小泉和裕:指揮
東京都交響楽団
アブデル・ラーマン・エル=バシャ:ピアノ*
ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 op.73《皇帝》*
シューマン:交響曲第2番ハ長調 op.61
<合奏=アンサンブル>の安定感はいつも感ずることだが、今回は、これにピアノ独奏が加わってもまったく揺るぎない合奏のお手本を聴いた気がする。
協奏曲であるからには、独奏とオケが何度も往来する。ピアノのフレーズが一段落してオケが流れを引き取る場合は、ピアノの最終強打が同時にオケのTuttiであることが多い。これが往々にして合わないものだ。ピアノが先んじて終結することが多い。
これは生演奏の勢いみたいなもので、たいていは許容範囲だ。協奏曲でなくとも盛上がったティンパニの打撃がオケとは僅かに前後することも少なからず。
が、しかし。エル=バシャとオケはピタッと合うのが凄い。
これは三者が同じ呼吸をしているからだ。
特に楽章の最後の強奏打撃の間隔は微妙にタメが入るものだ。測れないほど僅かにリズムの間合いが伸びることで終曲効果を高める。これがわざとらしいと興醒めだが、小泉師の間合いは絶妙で団員も飲み込んでいるのだろう。ピアノも微妙な間合いに完全合致。
なにもそんなところばかり聴いていた訳ではないが、独奏パートも見事で、力強く、それでいて歌うべきところはちゃんとテンポ・ルバートをかけて情感を表現しながら、尻をピタリと合わせる。
過去に聴いた「皇帝」の中で一番皇帝らしい威厳を備えていた。
シューマンの2番は、第1楽章冒頭、管と弦がバラバラでしっくり来ないのは、都響のせいではなかろう。ほかのオケで聴いたときも同じ不満を感じた。家でCDを聴いても同じだ。シューマンの情緒不安定のせいかオーケストレーションの不備ではないか。
開始から2分程で、急に霧が晴れたように音楽の輪郭が見えてくる。それ以降終曲までシューマンらしく迷走する浪漫が感じられて面白い。
この2番をマーラーが編曲しているそうで、神奈川フィル7月定期ではこの編曲版を使うという。どんな響か楽しみだ。
♪2017-095/♪東京文化会館-10