ラベル ◎伊賀越道中双六 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ◎伊賀越道中双六 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年9月5日日曜日

国立劇場開場55周年記念 人形浄瑠璃文楽 令和3年9月公演第Ⅲ部

2021-09-05@国立劇場



●伊賀越道中双六 (いがごえどうちゅうすごろく)
 沼津の段
前 藤太夫/宗助/寛太郎
後 千歳太夫/富助/清方

 伏見北国屋の段
  織太夫/清友

 伊賀上野敵討の段
  南都太夫・津國太夫・亘太夫・文字栄太夫/
  團吾
人形 吉田玉也・吉田玉男・吉田和馬・
   豊松清十郎・吉田玉勢・吉田一輔・
   吉田玉輝・吉田簑悠・桐竹紋吉・
   吉田文司・吉田玉彦・桐竹亀次

この作品も文楽で観るのは初めてだったが、歌舞伎では少なくとも<通し>で3度は観ている。
大部な作品で<通し>といっても幾つかの段の抽出。しかも、毎回構成が異なる。今回の文楽版でも初めて観る段を含む構成だった。が、今回は3段のみ。

一番有名な「沼津」で始まり、中に一段置いて最後はどんな版でも必ず上演される「敵討の段」で終わるので、スッキリと鑑賞できた。

とはいえ、敵討ちという筋立てに若い人達は共感を覚えられないのではないか。
鉢巻に手裏剣を刺した荒木又右衛門の敵討ちの話って、知らないだろうな。

僕が個人的に好きな藤太夫、千歳太夫(沼津の段)、織太夫(伏見北国屋の段)がホンにうまい。

クライマックスの伊賀上野敵討ちの段では太夫が4人揃ってチャンバラを盛り上げるのは爽快なり。

♪2021-090/♪国立劇場-07

2017年3月15日水曜日

国立劇場開場50周年記念 通し狂言 伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)五幕七場

2017-03-15 @国立劇場


近松半二ほか=作
国立劇場文芸研究会=補綴
通し狂言 伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)五幕七場

序幕    相州鎌倉 和田行家屋敷の場
二幕目 相州鎌倉 円覚寺方丈の場
      同    門外の場
三幕目 三州藤川 新関の場
      同    裏手竹藪の場
四幕目 三州岡崎 山田幸兵衛住家の場
大詰      伊賀上野 敵討の場 

唐木政右衛門⇒中村吉右衛門
山田幸兵衛⇒中村歌六
佐々木丹右衛門・奴助平⇒中村又五郎
和田志津馬⇒尾上菊之助
近藤野守之助⇒中村歌昇
捕手頭稲垣半七郎・石留武助⇒中村種之助
幸兵衛娘お袖⇒中村米吉
池添孫八⇒中村隼人
沢井城五郎・夜回り時六⇒中村吉之丞
和田行家⇒嵐橘三郎
沢井股五郎⇒中村錦之助
政右衛門女房お谷⇒中村雀右衛門
幸兵衛女房おつや⇒中村東蔵
ほか


2014年末公演の再演。その時に東京では1970年(国立劇場)以来だという「岡崎」の場を核とする芝居に再構成された。吉右衛門らの熱演で、この芝居は読売演劇大賞を歌舞伎として初めて受賞した。今回は若干構成を変えてあるがやはり、「岡崎」をクライマックスとする作りは同じで、しかも、同じ役者による(場面構成の違いによる配役や端役は異なっていると思うが。)、いわば凱旋公演だ。既に新聞などの劇評では一段と磨きがかかったと概ね好評なので観るのが楽しみだった。

場面構成の変更は、前回は第2幕は「大和郡山誉田家城中の場」だったが、これに代わって「相州鎌倉円覚寺方丈の場」、「同 門外の場」が置かれた。これによって話も鎌倉から伊賀への道順になって「道中双六」らしくなった。

見せ場は「岡崎」での愁嘆場だが、大義の為に敢えて妻子を犠牲にする苦悩の吉右衛門とこの上もない悲劇に見舞われる雀右衛門の葛藤が鬼気迫る。

前回も思ったが、吉右衛門が演ずる唐木政右衛門はとんでもない男だ。仇討ちのためにやむを得ないとは言え、まだ乳飲み子の我が子を刺殺し土間に放り投げるなど、これは納得できない。
残酷さを観るより、ギリシャ悲劇のような悲劇性を観て取るべしという高邁な解説も読んだが、乳飲み子の命より大切な仇討ちはなかろう、とつい思ってしまう。

この「岡崎」の場での政右衛門、否、吉右衛門の心中は極度の追い詰められ鬼と化すのだろう。

息子を殺してその直後に政右衛門の師匠が悪党を切り倒したのを見て褒める「まだお手の内は狂いませぬな、ハハハ〜」のセリフはやっぱりおかしい。この辺りを手直ししてはどうかと思うのだけどな。

米吉のお袖は今回も実にカワユイ!面白い。この悲惨な殺戮のドラマの中で一服の清涼剤だ。
菊之助は相変わらず男前で一段と磨きがかかったようだ。


♪2017-040/♪国立劇場-07

2014年12月12日金曜日

12月歌舞伎公演「通し狂言伊賀越道中双六 (いがごえどうちゅうすごろく)」

2014-12-12 @国立劇場大劇場


中村吉右衛門⇒唐木政右衛門                    
中村歌六       ⇒山田幸兵衛
中村又五郎   ⇒誉田大内記/奴助平
尾上菊之助   ⇒和田志津馬
中村歌昇       ⇒捕手頭稲垣半七郎
中村種之助   ⇒石留武助
中村米吉      ⇒幸兵衛娘お袖
中村隼人      ⇒池添孫八                    
嵐橘三郎      ⇒和田行家/夜回り時六
大谷桂三      ⇒桜田林左衛門
中村錦之助  ⇒沢井股五郎
中村芝雀      ⇒政右衛門女房お谷
中村東蔵      ⇒幸兵衛女房おつや
                     ほか

近松半二ほか=作
国立劇場文芸研究会=補綴
通し狂言伊賀越道中双六 五幕六場
           国立劇場美術係=美術

序 幕 相州鎌倉 和田行家屋敷の場
二幕目 大和郡山 誉田家城中の場
三幕目 三州藤川 新関の場
     同     裏手竹藪の場
四幕目 三州岡崎 山田幸兵衛住家の場
大 詰 伊賀上野 敵討の場


「伊賀越道中双六」は、昨年の11月に同じ国立劇場で通し狂言として上演された。それが初見だったが、なかなか面白かった。
「沼津」の幕が有名で、単独でも上演されるそうだ。
仇討ちをする和田志津馬とこれを助ける唐木政右衛門が主人公と言っていいと思うが、見どころとされている「沼津」では登場しない。
「沼津」は、今は敵味方に分かれた実の親子の再会が一転して悲劇に終わる話で、なかなか味わい深い。
しかし、この話はいわば仇討ちの本道からは逸れた脇道だ。

一方で、この時の公演では悲惨極まりない「岡崎」の場面が省略された。省略されることのほうが多いらしい。

ま、普通の観客の好みで言えば「岡崎」より「沼津」を観たいだろう。


ところで、今回の「伊賀越道中双六」ではその「沼津」が省略され、「岡崎」が上演された。歌舞伎では44年ぶりだそうな。
ほかにも昨年の公演とはだいぶ構成が異なっていた。
いわゆる「饅頭娘」*と言われる「政右衛門屋敷の場」もなくなり、「沼津」が省略され、これらに代わって「藤川」と「岡崎」が置かれた。

換骨奪胎だが、それでも成り立つのが歌舞伎という演劇の面白さなんだろうな。

今回の構成で、仇討ちモノとしては、スッキリと分かりやすくなったように思う。志津馬と政右衛門を軸に話が展開するからだ。
「藤川 新関の場」では志津馬<菊之助>が、「同 竹藪の場」では政右衛門<吉右衛門>が中心となり、「岡崎」も政右衛門と元の妻の芝居が凄絶で見応えがある。

「饅頭娘」が省略されているので、「岡崎」への話のつながりが分かり難い(お谷が巡礼している理由)ところもあるけど、やむを得ないか。

「岡崎」では、幸兵衛<歌六>の屋敷に、運命の糸で手繰り寄せられるように、それぞれの身柄を偽った志津馬、政右衛門と巡礼になったお谷が出会うことになるが、とりわけ、お谷とその乳飲み子(政右衛門の子)が哀れだ。お谷を救えない、そして我が子を手にかけて刺し殺す政右衛門も哀れだ。
すべては、仇討の本懐を遂げるためである。
この凄絶な葛藤は役者にとっても浄瑠璃語りにとってもなかなか至難の芸らしく、達者が揃わなければ上演できないと言われるのも宜なるかなである。

吉右衛門も芝雀も、迫真の芝居だったと思う。
吉右衛門には政右衛門として立ち回りも何度もあるが、やはり、この悲痛この上ないお谷とのやりとりの場面が一番いい。
芝雀も哀れを誘う。

志津馬に一目惚れしてしまった幸兵衛の娘お袖を演じた米吉くんがとても色っぽく可愛らしく、最後は意外な覚悟を見せてなかなか良かった。
志津馬役について言えば、菊之助はとても似合っていた。昨年の公演では虎之介くんで、存在感はいまいちだったが、これは志津馬が引き立つような演出ではないので仕方なかったろうと思う。


筋に戻れば、「岡崎」の我が子を殺した後の場面、幸兵衛の剣術の腕が衰えていないのを見て政右衛門が「まだお手の内は狂いませぬな、ハハハ~」と持ち上げるところなどは、いやはや男どもは呆れたものだと笑えてしまう。このやりとりはない方がいいと思う。

武家社会の義理や面子が、夫婦・親子の情愛を蹴散らしてしまうバカバカしさをもっと直截に工夫できないものか、と思ったが、そこに力点を置けば古典の枠からはみ出てしまうのだろうなあ。難しいところだ。

*政右衛門は、義理の弟(厳密には内縁の妻お谷<芝雀>の弟)の(父和田行家<橘三郎>を殺した沢井股五郎<錦之助>に対する)仇討ちの助っ人になるために、お谷を離縁(?)し、お谷と志津馬の異母妹でまだ7歳のおのちと正式に結婚するのだが、その幼い花嫁は結婚の場で三三九度の代わりに饅頭を欲しがることから「饅頭娘」と言われている。
内縁関係のままでは助太刀できないという理由によるけど、ならばこの際(結婚に反対していたお谷の父は殺されたのだから)、お谷と正式に祝言を上げれば済んだのではなかったかと思うけど、それでは話が盛り上がらないか…。歌舞伎が追求するのはリアリズムじゃないものな。


♪2014-114/♪国立劇場-07