も十分でないのがアンサンブルの乱れによく出ていたよ。
2024年8月2日金曜日
フェスタサマーミューザKAWASAKI2024 新日本フィルハーモニー交響楽団
も十分でないのがアンサンブルの乱れによく出ていたよ。
2024年7月27日土曜日
フェスタサマーミューザKAWASAKI2024 東京交響楽団 オープニングコンサート 昨年の衝撃を再び! ノットXチャイコフスキーⅡ
2022年11月27日日曜日
東京交響楽団川崎定期演奏会 第89回
2022年10月22日土曜日
東京交響楽団川崎定期演奏会 第88回
*当初の告知から、第1稿による楽章順に変更。一部は第2稿も取り入れるなど独自解釈
2022年10月16日日曜日
名曲全集第180回 ノット X 渾身のショスタコーヴィチ!
2022年5月22日日曜日
東京交響楽団川崎定期演奏会 第86回
2022年5月15日日曜日
名曲全集第177回 ノットX直球ブラームス!
東京交響楽団
2021年12月11日土曜日
モーツァルト・マチネ第47回「雲外蒼天」
東京交響楽団
2021年12月5日日曜日
東京交響楽団川崎定期演奏会 第84回
2021-12-05 @ミューザ川崎シンフォニーホール
ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団
ゲルハルト・オピッツ:ピアノ
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 op.83
ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲
アンゲ氏はまったく知らない人だが、オピッツは15年にSゲッツエル指揮神奈川フィルで聴いた。
その時も今日と同じブラームス2番だった。
過去の記録に、その時の印象を
「指はほとんど鍵盤に向かって突き立てることがなく、まるで鍵盤の上を雑巾がけでもしているような動きだ。力みがまるでなく感情を込めるといった様子もなく、淡々と職人芸を聴かせるといった風だ。」
と書いていたが、今日もそう思ったよ。
もし、小林愛実だったら、どんな悲惨な人生ドラマが起こっているのか、と思わせられたかもしれない。
淡々と弾いて、ブラームスの音楽の大きさ、魅力を感じさせてくれた。
オケは14型対抗配置。
と言っても第2バイオリン以下は16型と同じ。
大きな編成だったが、ピアノが埋もれる場面はなかった。
今日のノットのコントロールが次の曲も含め良かった。
ただ、ピアノの中低域は少し明瞭さにかけるところがあったが、ここはむしろオケと一体化したとでも言っておこう。
ルトスワフスキは滅多に聴けない作曲家だが、「管弦楽のための協奏曲」は過去に東響やN響等で経験済み。
ポーランド民族風味がどこに出ているのか分からないが、弦16型に管打鍵多数で、管弦楽を[生]で聴く楽しさには溢れている。
2021年10月24日日曜日
名曲全集第170回 モーツァルト没後230年。祈りを込める「レクイエム」
2021-10-24 @ミューザ川崎シンフォニーホール
ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団
新国立劇場合唱団*
ソプラノ:三宅理恵*
メゾソプラノ:小泉詠子*
テノール:櫻田亮*
バスバリトン:ニール・デイヴィス*
デュティユー:交響曲第1番
モーツァルト:レクイエム K. 626(リゲティ:ルクス・エテルナを含む)*
指揮のジョナサン・ノットが来日できなくなった定期演奏会で、事前に指揮ぶりを収録したビデオで東響に(リハではなくお客を入れた本番で)演奏させた事は驚愕だった。
もし彼がベルリン・フィルやウィーン・フィルを指揮するとしたら、このような事をするだろうか?
しないだろうし、オケも受け入れないだろう。
日本のオケやお客をバカにしているのではないか。
そこからノット不信が始まった。
今回、モーツァルト「レクイエム」にリゲティ「ルクス・エテルナ」を混在させた事は、ビデオ指揮とは異なり、音楽表現上の問題だから罪は軽い。否、無罪かもしれないが、彼のコロコロ変わる思いつきがオケ関係者を振り回していることは確かで、この点は微罪処分に相当する。
当初のプログラムにはリゲティは含まれなかった。
1回目の訂正でモツ・レクの後に演奏すると発表され、
2回目の訂正で終曲前に挿入することとされた。
リゲティ「ルクス・エテルナ」は世界的に高明なペーター・ダイクストラ指揮スウェーデン放送合唱団で聴いたことがあり、精緻な和声?に驚き感心したので、モツ・レクとは独立して聴きたかった。
どうせ、モーツァルトの完全作ではないのだから、他人の、現代作品を挿入して演奏するのも、格別気にする事もないのかもしれないが、少なくとも苦労して今日の形を完成したジュスマイヤーには失礼かも。
今回、演奏中、ジュスマイヤーの手にならない2曲(「涙にくれる、その日」とリゲティ「ルクス〜」)の前には仏壇に置いてある鐘?がチ〜ンと鳴らされたのは、ジュスマイヤーよ、化けて出るなよ!というお祓いのようだ。
良い点:弦編成が8-8-6-4-3。声楽は30人程。これはスッキリと聴けた。それに演奏自体悪くなかった。
当初は東響コと発表されたが、これも新国合唱団に代わって良かった…と思っていたが、瑞典放送合唱団の透明さと滑らかさには及ばず。
あゝ違うなあ〜と思いながら聴いていたよ。
ブーイングが起こってもおかしくない演奏会だったが、客席はスタンディング・オーベイションで歓迎した。
♪2021-118/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-35
2021年7月18日日曜日
東京交響楽団川崎定期演奏会 第81回
2021-06-27 @ミューザ川崎シンフォニーホール
ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団
チェロ:伊藤文嗣*
ヴィオラ:青木篤子*
R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」 op.35*
シベリウス:交響曲第5番 変ホ長調 op.82
それが終わった後のカーテンコールが非常に長かったので、なかなか休憩が始まらない。つまり僕は入場できず、オーディトリアムの二重扉の外で、待たされることに。
久しぶりのノット登場(個人的には1年8月ぶり)と独奏2人(東響)だったので拍手も長く続いたのだろう。
後半はシベリウスの交響曲第5番。
冒頭1分強の、管のみのアンサンブルの纏りが悪かった。
この部分はどこのオケでも難しいかも…だが、おかげで気分が乗れなかった。初日黒星の力士がその後も連日負け続けるようなものだ。
オケも前半でエネルギーを使い果たしたのではないか?
あれやこれやで久々に聴く弦16型だったが、大編成の妙味は感じられず。
また、マスク奏者の多いこと。
驚くべきは指揮者までマスクとは初体験。
東フィルや読響は全員マスクなしなのに。
2019年11月24日日曜日
モーツァルト・マチネ第38回「最期」〜東京交響楽団〜
ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団
荒絵理子:オーボエ*
R. シュトラウス:オーボエ協奏曲 ニ長調 AV. 144
モーツァルト:交響曲 第41番 ハ長調 K. 551 「ジュピター」
R.シュトラウスのオーボエ協奏曲は多分初聴き。
聴き慣れた伊バロックの諸作品とは全然興趣異なるも1945年の作とも思えない古風な作り。
でも、モーツァルト・マチネなのになんで?
ノットは自分が指揮する回は大抵趣旨を曲げても自分の選曲を通そうとするからどうかと思うよ。
独奏の荒嬢の白いドレス、この日のために数十万円かけて新調したのか…、友人の結婚式には着て行けないなあなどと妄想している内に終曲😓。
お楽しみはモーツァルト交響曲第41番。
弦編成は第2バイオリン以下5-4-3-2プルトで第1バイオリンも同数5プルト=10人。対抗配置では時々見る形。
すっきりとした小編成で各部の動きが目にも耳にもくっきりで楽しい。
ノット氏、よく踊っていた。
快調な音楽だったが時々見せる意図的な強弱&テンポ変化。
あ、それやめて〜。全ては楽譜に書いてあるだろ、と心中の声。
♪2019-187/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-25
2019年11月17日日曜日
東京交響楽団 川崎定期演奏会 第72回
ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団
ベルク:管弦楽のための3つの小品 作品6
マーラー:交響曲第7番 ホ短調「夜の歌」
ベルクなんて嫌い。
ここで居眠りしてマーラー交響曲第7番に備える積もりが、煩くて寝られない。
その7番。
定期ではマーラー中で一番演奏機会が少なく、あえて聴きにゆくこともないので今回3回目。
しかし過去2回はいずれも(読響・N響)熱演で、長尺の割に楽しんだ記憶があったが。
今回は東響の面々の剛腕ともいえる力演にもかかわらず、ベルクで気分を害していたのでそれが尾を引いたり、昨日のブラームス(N響)の余韻が尚も残っていたからか、素直に入り込めなかった。
嫌な部分ばかり気になった。
俗臭芬々。
柴田南雄「マーラー」を読んでみたらやはり7番は褒めるに窮している。
♪2019-181/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-24
2019年10月13日日曜日
名曲全集第150回 ジョナサン・ノットの「未完成」
ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団
ヴァーヴァラ:ピアノ*
アイヴズ:答えのない質問
シューベルト:交響曲第7番「未完成」
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番*
-------------
ブラームス:6つの小品 作品118から第2曲「間奏曲」*
台風19号の余波で開催が危ぶまれたが、10分遅れでもやったのは良かった。いつもよりお客の入りが悪かったのはやむを得まい。
当初は、アイヴズ作品にシューベルト「未完成」を続けて演奏するという木に竹継ぐような…ノットの悪癖に嫌気がさしていた。真面目にやれ!
しかし、初聴きのアイヴズ「答えのない質問」が予期に反してとても真面目な作品で興味深い。徹底的な弱奏を基調とする中に木管が思いがけない答えを用意する。静に始まり静に終わり…間をおかず「未完成」が始まるとそれはシューベルトとアイヴズの世界の混交状態。聴き慣れた旋律が今日は愛おしい。
不思議な感覚のまま入り込んだ第2楽章など、まさに先ほどのアイヴズが再現されているかのようだ。こんな印象的な「未完成」は初めて聴いた。ノットの外連味が今回に限っては功を奏して静寂で接続された両作品がともに味わい深いものとなった。
ヴァーヴァラ(初聴)の独奏でブラームス:ピアノ協奏曲第1番。協奏曲なのに弦の編成は14型から16型に拡大。
ピアノがえらく力強い。
オケも分厚い。
その分、前半2曲のような精緻な透明感は損なわれた。
協奏曲だし14型のままでも良かったのではないかと思うもののそれではあの迫力は出せなかったかもしれない。
厚切りフィレステーキを食べたような満腹感。
加えてアンコールのブラームス間奏曲118-2が心憎い選曲と名演。
♪2019-155/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-21
2019年7月21日日曜日
東京交響楽団 川崎定期演奏会 第70回
東京交響楽団
東京コーラス**
サラ・ウェゲナー:ソプラノ*
ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー:メゾ・ソプラノ*
J.シュトラウスⅡ:芸術家の生涯
リゲティ:レクイエム*/**
タリス:スペム・イン・アリウム(40声のモテット『我、汝の他に望みなし』)**
R.シュトラウス:死と変容
面白かったのはトマス・タリス(1505-1585・英)の40声のモテット「スペム・イン・アリス『我、汝の他に望みなし』」だ。
イタリアで言えばルネサンス後期に当たるようだ。
この頃に40声部の音楽が作られていたとはなんと斬新な。
尤も終始40声部で歌われたのではなく5声部合唱8組で、完全に40声部の合唱はわずかな部分だったと思うが、それでも壮大なものだ。
これは東響コーラス(総勢120名くらい)のみの無伴奏曲。テキストは聖書から取られたのだろう。短いものだが、多分手を替え品を替え繰り返されて演奏時間は10分強だった。
その対極に位置したのが現代音楽のリゲティの「レクイエム」。
1965年完成の女声独唱が2人と混声合唱とオーケストラによる作品。
これも最大20声部に分かれているそうだが当然聴き分けられるはずもなし。この作品の一部が映画「2001年宇宙の旅」に用いられたそうだが、メロディーラインなどと言うものもないので何十回観た映画であっても全然ピンとこなかった。はっきり言ってつまらない音楽だった。こんな妙ちくりんな音楽では死者もおちおち寝てはおれないだろう。
この声楽(含む)2曲の前と後ろにJ.シュトラウスとR.シュトラウスをサンドイッチのパンみたいに置いたのはどうしてか。
ともかく、今回だけではないが、ジョナサン・ノットの選曲は癖がありすぎて付いてゆけない。僕の理解力では本人だけがご満悦なのだ。
ところで、普段は暗譜で歌う東響コーラスも今日の新旧2曲を楽譜を手に歌った。そりゃやむを得ないだろう。おそらく彼らにとっても初めての作品だったはずだ。
♪2019-104/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-05
2018年12月16日日曜日
名曲全集第143回 ノットの英雄の生涯
ジョナサン・ノット :指揮
東京交響楽団
甲藤さち:フルート(東京交響楽団首席奏者)*
ヴァレーズ:密度21.5 (無伴奏フルートのための)*
ヴァレーズ:アメリカ (1927年改訂版)
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 作品40
昨日のサントリーでの東響定期でも同じ曲を取り上げて、それが絶好のゲネプロになったはずで、その上で今日の名曲全集に臨んだつもりだろう。
ミューザでは収録用のマイクが天井に6本、舞台上には20本近く据えられていたが、メインの「英雄の生涯」の演奏は残念な出来栄えで、ノットも団員も終演後の表情が大曲を演り終えたという晴れやかさがまるでない。
管楽器の少々のミスは許容範囲だが、第一バイオリンが受け持つ高域がキンキンゴロゴロと唸りを上げて悲しい。
弦は16型の対向配置(Vn1とVn2が両翼に向かい合う。)。これは音楽の立体感を狙ったのだろうか。
管打もホルンは8本を始め賑やかなものだ。
しかし、肝心の第1バイオリンが水谷コンマスの奮闘にも関わらず美しくないので、オケ全体が締まらない。
おそらくサントリーでも録音したのだろう。4月のブルックナー9番のCD化は、サントリーとミューザの両方の録音で合成しているから今回ももしCD化するならそういう形をとるのかもしれないが、休止箇所がほとんどないから、ツギハギは難しいな。
2015年、P・ヤルヴィ+N響、2017年、F・ルイージ+読響(いずれも@みなとみらいホール)の熱演に遠く及ばず。
♪2018-171/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-23