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2024年6月19日水曜日

第2015回 NHK交響楽団 定期公演 B-1

2024-06-19 @サントリーホール



鈴木優人:指揮
NHK交響楽団
イザベル・ファウスト:バイオリン*

ウェーベルン:パッサカリア 作品1
シェーンベルク:バイオリン協奏曲 op.36*
J.S.バッハ(ウェーベルン編):6声のリチェルカーレ
シューベルト:交響曲第5番変ロ長調
--------------------------
ニコラ・マティス(父):バイオリンのためのエア集第2巻〜「パッサッジョ・ロット」*






前半3曲は睡魔との戦い。いずれも少ないけど何度か聴いているが、リチェルカーレ**は、なんでこういう編曲をしたのか?管弦楽で聴く意味があるのかと白けてしまう。

Iファウストはこれまでロマン派の作品ばかり聴いてきた。
そして、好ましく思っていたが、シェーンベルクは付いてゆけないよ。

最後に、シューベルトのこぢんまりした交響曲5番でようやく元を取った感じ。

僕にとって今日がN響B定期会員としての最後の公演だった。
名演だったら後ろ髪を引かれたろう。未練が残らず良かったよ。

**リチェルカーレ(形式)とリチェルカータ(具体的作品)の違いがあるそうだが、音楽解説などを読んでも明確に使い分けてあるとは思えないので、耳慣れたリチェルカーレを使うことにする。

♪2024-087/♪サントリーホール-13

2023年7月19日水曜日

東京都交響楽団 第979回 定期演奏会Aシリーズ

2023-07-19 @東京文化会館



アラン・ギルバート:指揮
東京都交響楽団
シュテファン・ドール:ホルン*

ウェーベルン:夏風の中で―大管弦楽のための牧歌
モーツァルト:ホルン協奏曲第4番 変ホ長調 K.495*
R.シュトラウス:アルプス交響曲 op.64


ウェーベルン:「大管弦楽のための〜」という割にはおとなしい音楽で、うとうとしている間に終わってしまった(13分)。

本日の白眉はモーツァルト:Hr協4番だ。独奏はシュテファン・ドール。彼の演奏でモツHr協全曲を聴いたことがあるので、彼の4番を聴くのは2回目。というより、他の人の演奏で4番は聴いていない。
モツのHr協奏曲というとほとんど3番ばかりで、N響6月のBでも福川名人が3番を吹いた(つい先日クラ館で放映)。しかしその演奏はあまり芳しくなかった。放映録画を確認してもスッキリしない。

そういう経験をしたばかりで聴いた今日の演奏にはびっくりした。
音圧高く、音色も豊かだ。オケに埋もれるなんて心配は全く無用。朗々と響き渡る。
それほど福川氏と技量の差があるとも思えないしバックのオケはN響と都響ではだいぶ違う。
しかし、今日の都響は弦10型に絞って(N響は12型だった)、キリリとしてよくサポートしていた。
ま、Hrを鳴らす技術に特別のものがあるのかもしれないが、半分はホールの違いだろう。文化会館はサントリーと違って無駄に音を逃さない。


メインが、最近やたら多い「アルプス~」。これにもシュテファンドールが参加して大サービス。

弦は「運命」でも16型でやる都響だもの当然に16型。金管はHr8-Tp4-Tb4-Tub2計18本にバンダがHr12-Tp4-Tb4計20本と舞台より多い超特大。まるで音大の合同オケみたいだ。
その超特大バンダがどこで吹くか?興味があったが、舞台裏から聴こえてきたね。これじゃ20本揃える意味がないだろう。どうしてバルコニーでやらなかったのだろう?

オルガンもパイプオルガンじゃないから迫力はないし、全体として賑やかではあったが、P.ヤルヴィ+N響や特に沼尻+神奈川フィルが聴かせた緻密さと巨大さには及ばす。

♪2023-126/♪東京文化会館-08

2022年12月22日木曜日

みなとみらいアフタヌーンコンサート2022後期 〜大フーガ〜

2022-12-22 @みなとみらいホール


エール弦楽四重奏団
 バイオリン:山根一仁/毛利文香
 ビオラ:田原綾子
 チェロ:上野通明

モーツァルト:弦楽四重奏曲第18番 蝶々 K464
ウェーベルン:5つの断章 op5
ベートーべン:弦楽四重奏曲第13番変ロ長調「大フーガ」付き op130/133(初演版)




大ホールで室内楽を聴くアフタヌーンコンサート・シリーズなので、比較的前方で聴いている。
前回は堤剛と萩原麻未で、それなりに楽しめたが、今回はダメ。気持ちが乗ってゆかない。やはり弦楽四重奏(SQ)では音圧が決定的に不足する。
過去、みなとみらいホールの大ホールでは1度経験しただけで、その時もあまり楽しめなかった…と記録に。

ミューザでは弦楽(ピアノなし)の小編成を聴いたことは数回あるが、いずれもかぶりつきで聴いているので不満らしき記録はない。

それに今日の演目がキツかった。
馴染んでいるのはモーツァルトSQ第18番だけ。

ベートーベンSQ第13番「大フーガ」付きは、家で聴くときは大抵ベートーベンが書き直した版で。こちらは軽快で親しみやすい。CDにはその後にフーガ楽章も録音されているが楽しんで聴いたことはない。この楽章だけで15分超だもの。しかも親しみやすいとはいえない。

それで、今日は、生演奏の迫力で怠惰に流れやすく凡庸な耳を鍛えたいと思っていたが、現実には音量不足で、これは心構えでどうなるって問題ではない。物足りなくて隔靴掻痒に終始した。

奏者の一人一人はとても魅力的な若者ばかり。
これは是非小ホールで聴きたかったよ。

本日の入場者は、小難しい演目にもかかわらず1,200名程だったそうだ。当然、2階や3階にもお客は少なからず。
果たして、音楽は届いたのか?
か細い音でも聴く人の心次第?


♪2022-200/♪みなとみらいホール-11

2022年12月13日火曜日

東京都交響楽団 第962回 定期演奏会Bシリーズ

2022-12-13 @サントリーホール


エリアフ・インバル:指揮
東京都交響楽団

ウェーベルン:管弦楽のための6つの小品 op.6(1928年版)
ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調 WAB 104 《ロマンティック》(ノヴァーク:1874年第1稿)


本日2本立ての為もあって前半はほぼ寝ていたよ。後述する騒ぎにも気づかず。

ブルックナー:交響曲第4番《ロマンティック》。
特に好きな訳じゃないが、近年抵抗感が和らいでいる。

それに今日の都響はどうしたことか、巧い。
まず管のハーモニーの美しさは特筆もの。
弦も16型だが、結構透明感があって、僕の「力技の都響」のイメージを今日は変えたね。

特に終楽章43小節目?に至って、全楽器でのユニゾンが聴かせどころ。ここは完全に美しかったな(しかし、この旋律、後からも何度か登場するが、サスペンス映画の劇伴みたいで聴いていて恥ずかしくなるよ)。

余談:
後半、オケも舞台に揃って、チューニング直前の完全沈黙を破って突如館内放送が。大事件が起こったかと思いきや、前半の演奏中に客席から電子音が鳴ったそうで、スマホなどの電源を切り、補聴器の調整を頼むという注意だった。僕は、その電子音とやらに全然気がつかなかった。

SNSを検索したら、後半にも鳴っていたようで、原因は補聴器のハウリングらしい。そんなに長時間鳴っていたなら発信源が特定できるのじゃないか?
とまれ僕には聴こえなかったのだからそれが寂しい。
でも僕の周囲ではキョロキョロする人もなく、何の問題もなかったようだったが。


♪2022-191/♪サントリーホール-21

2022年10月22日土曜日

東京交響楽団川崎定期演奏会 第88回

2022-10-22 @ミューザ川崎シンフォニーホール



ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団

シェーンベルク:5つの管弦楽曲 op.16
 Ⅰ予感
 Ⅱ過ぎ去りシコと
 Ⅲ色彩
 Ⅳ急転回
 Ⅴオブリガート・レチタティーヴォ

ウェーベルン:パッサカリア op.1

ブルックナー:交響曲第2番ハ短調*
 Ⅰモデラート
 Ⅱスケルツォ:適度に速く
 Ⅲアンダンテ
 Ⅳフィナーレ:急速に

*当初の告知から、第1稿による楽章順に変更。一部は第2稿も取り入れるなど独自解釈



今日の3曲(シェーンベルク/ウェーベルン/ブルック ナー)がどういうコンセプトで繋がるのか分からないところがノットらしい。

前半の2曲は、プログラムに挟み込まれた刷物を読みながらぼんやり聴いていたが、存外面白く、演奏も良い出来だった。

後半のブルックナー交響曲第2番は、リハーサルの最中にでも急に思いついたか、ノヴァーク版2稿から1稿に変えて楽章順を変更し、部分的には2稿も使うという趣旨(原文が悪いのか訳が悪いのか両方なのか、実に分かりにくい文章)の別刷が挟んであった。急いで複写したのか、文面が傾いていたな!

モーツァルト「レクイエム」にリゲティの作品を挟みこむ際の最初の告知〜本番までの方針変更に比べりゃ即断即決だったかも。

それにしても、よく、いろんなことを思いつく人だよ。それも急だから、オケも事務方も容易じゃないな。

そもそもブルックナーは好みじゃないし、中でも2番は聴く機会が少ないが、手持ちのCD2種はいずれも2稿だし、パーヴォ・ヤルヴィ+N響で聴いたのも2稿だった。

ま、どっちもありなんだろうな。
2稿⇒1稿による楽章順の入替なんか、そもそもこの曲に馴染んでいないからでもあるが、何の違和感もなかった。

また、最近良い響きを出している東響がなかなかの熱演で好感した。ブルックナーも悪くないぞ、という感じだったのは収穫。


♪2022-157/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-41

2017年12月19日火曜日

みなとみらいクラシック・マチネ~横坂源、田村響リサイタル〜

2017-12-19 @みなとみらいホール


横坂源:チェロ*
田村響:ピアノ

黛敏郎:文楽*
ウェーベルン:チェロとピアノのための3つの小品 作品11
シューマン:アダージョとアレグロ 変イ長調 作品70
ベートーベン:チェロ・ソナタ第4番ハ長調 作品102-1
--------------
アンコール
サン=サーンス:白鳥

2年強前に、同じみなとみらいホールの大ホールの方でウィーン・フィルのヘーデンボルク・直樹のチェロ・リサイタルを聴いた際に黛敏郎の「文楽」を聴いた。音楽は忘れていたけど、こういう変わったタイトルなのでどこかで聴いたな、と覚えていた。
人形浄瑠璃の太棹をイメージした作品で、ピチカートと言うより、叩きつけるような撥音法が随所に取り入れられているが、旋法がまるで違うので、文楽をイメージするのは難しかったが、今回の横坂の演奏の方がインパクトが強かったのは、ヘーデンボルク・直樹は大ホールでの演奏(2列目とはいえ2階席。)だったのに比べて、今回は小ホールの演奏だからだろう。

みなとみらいホールの小ホールは僕が日常的に聴く小ホールの中では一番響が良いと思っている。小規模なシューボックスで天井以外はすべて木製だ。オペラシティのタケミツメモリアルを小さくしたような感じの柔らかい響がする。

ウェーベルン(プログラムにはアントン・ヴェーベルンと書いてあったが、僕は予てからウェーベルンと表記しているので従前に倣う。)の「チェロとピアノのための3つの小品」は初聴き。3曲と言っても、それぞれが9、13、10小節からなり全曲!でも2分ほどしかかからないという説明だったが、たしかに、いつの間に3曲が終わったのか分からなかった。演奏者も観客に終曲の合図をせず、そのままシューマンを始めたので、結局ウェーベルンは誰からも拍手を受けなかった。でも、演奏家にとっては何某かの味わいがあるかもしれないが、聴く側にはつまらない作品だ。独りよがりとしか思えない。

そのシューマンも残念ながら小品なので、じっくり2人の駆け引きなどを味わうような作品ではない。
そんな訳で、メインはベートーベンのソナタ4番。やはり、これはしっくり来る。ピアノ・ソナタで言えば、27番(1814年)と28番(1816年)の間(1815年。チェロ・ソナタ5番も同年)に作られたらしいが、この辺はベートーベン後期の始まりと言えるのではないか。ピアノ・ソナタ27番と28番では随分様相が異なる。
チェロ・ソナタも有名な3番(1808年)の明快さに比べると4番はとても深刻そうで内省的だ。7年の時が経過したこともあるのだろうが、ピアノ・ソナタで言えば27番と28番の違いと似たようなものがあるのではないか。また、その単純でないところが(耳馴染むまではともかく、馴染んでしまえば)面白さでもある。

10月に大好きな藤原真理の演奏で、大ホールの方でこの4番を聴いている。それももちろん感銘深いものだったが、今日の演奏、特にチェロの音といい、ピアノのおとといいを聴きながら藤原真理もやはり小ホールで前の方に陣取って聴きたかったなあと思った。

アンコールは、弾く前に、安直だが「白鳥」だろうと思ったがそのとおりで、これはちと物足りなかったな。

♪2017-206/♪みなとみらいホール-50

2016年4月7日木曜日

東京都交響楽団第804回 定期演奏会Bシリーズ

2016-04-07 @サントリーホール


フランソワ=グザヴィエ・ロト:指揮
東京都交響楽団

シューベルト(ウェーベルン編曲):ドイツ舞曲 D820
R.シュトラウス:メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作
ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 op.55《英雄》

フランソワ=グザヴィエ・ロトという指揮者。この舌を噛むような名前に、だからこそだろうけど、聞き覚え、見覚えがあるのだけど、過去の記録を手繰ってみてもどうやら初めてらしい。

放送で聴いたのかなと思って録画ディスクを調べたら、2014年のN響の「第九」を振っていた。年末のN響の「第九」はほぼ毎年聴いているからそれで、頭の片隅に「グザヴィエ・ロト」という変わった名前がインプットされていたらしい。

この人、一つのコンサートで古楽器とモダン楽器を使い分けたプログラムを演奏するなど、かなり革新的、意欲的な取り組みをしているようだ。

そういえば、本日のメインディッシュ、ベートーベンの「英雄」の手綱さばきは、モダン楽器を使いながら、ベートーベン時代ならこうかもといった感じの演奏だった。
つまり、オケの規模はこじんまりとコンバス4本、チェロ6本、バイオリン&ビオラは5プルトずつの編成だったような気がする。

シンフォニックな響に欠ける割に、各パートが明確に聴こえてくるのがこういうピリオド風(その時代風)な演奏の面白さだ。
そして、ビブラートを控えめにして、テンポは速め、というのもまさにピリオド風味の演奏スタイルだ。

このスタイルは、前に聴いたロジャー・ノリントンやジャナンドレア・ノセダ(いずれもN響)、鈴木秀美(神奈川フィル)らのベートーベン解釈とやや類似性があるのではないか。
パーヴォ・ヤルヴィもこの仲間に入れても良いかもしれない。少なくともヤルヴィの年末のN響「第九」ではそういうアプローチが新鮮だった。
疾走するベートーベン、とまでは言えなくとも、かなりテンポの良いベートーベンだった。

さて、今日のプログラムは相当凝った仕掛けが施されていた。

まず、シューベルトの「ドイツ舞曲」D820は、6曲の舞曲からなるピアノ曲だ(ほかにもシューベルトは12のドイツ舞曲という作品集D790も作っている。)。これを12音技法の確立に寄与したウェーベルンが木管と弦楽のアンサンブルに編曲したものだ。
原曲の方も今回のコンサートの予習として何度か聴いたが、ウェーベルンの編曲したものはCDの手持ちにないし、過去にも聴いたことがなかった。ウェーベルンが編曲したのだから、相当モダンな、調性の怪しい作品になっているのではないかと思ったが、ウェーベルンはそこまでは編曲しなかったようで、19世紀前半の音楽ぽい出来上がりだった。
ただし、原曲の6曲をウェーベルンは並べ替え繰り返し、計10曲の作品に「変容」させていることで、単なるオーケストレーションには終わっていない。

R・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」は編曲作品ではなく、シュトラウスのオリジナルだが、バイオリン10、ビオラ5、チェロ5、コンバス3という小規模弦楽合奏で、それぞれのパートは、通常のオーケストラ曲と異なって、かなり各人が独奏的な動きをするところが特徴か。
そして、タイトルが表す「変容」は通常の冒頭提示される主題が繰り返し変奏されるという形ではなく、最初は音楽のかけらがばらまかれ、やがて形を成し、最終部に至って、ベートーベンの交響曲第3番「英雄」の第2楽章の有名な主題が浮かび上がるという凝った仕掛けだ。

「変容」をテーマに構成されたプログラムが「英雄」の葬送行進曲に完結して、後半、いよいよ本物の「英雄」が登場するなんて、よく考えているね。


♪2016-039/♪サントリーホール-03

2015年1月16日金曜日

読売日本交響楽団第540回定期演奏会

2015-01-16 @サントリーホール


準・メルクル:指揮
金子三勇士:ピアノ
読売日本交響楽団

ウェーベルン:パッサカリア 作品1
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調作品54
ブラームス(シェーンベルク編曲):ピアノ四重奏曲第1番(管弦楽版)ト短調作品25


本来聴くべき11日のみなとみらい定期がN響定期と重なったのでこの日に変更してもらった。
やりくり先としては可能な限りサントリーホールにしている。一番足の便がよく、音響面でもまったく不満がない。

もっとも、本当に日本で一番優れたホールかどうかはよく分からない。
ミューザ川崎シンフォニーホールの方が、聴きやすいような気もするし、場所を選ぶ難点はあるけどみなとみらいホールも素晴らしい。
聞く場所より、聴く側の集中力に音楽鑑賞を有意義なものにできるかどうかがかかっているような気が、この頃している。

昨日は、前半良かったのに後半は携帯ピロピロおばさんのせいですっかり集中力を欠いてしまった。

今日は、そんな邪魔もされず、比較的入り込めたが、冒頭のウェーベルンの「パッサカリア」が初めての曲で、おまけに、ほぼ無調(12音技法などの完全な無調作品ではない。)と言っていいのだろう。部分的にはきれいな旋律も流れるけど、なかなかハードルが高い。この手の現代音楽は何度か聴いたからといって馴染むものでもないように思う。音楽の性格がロマン派までとは革命的に異なるのだ。その変化に僕は対応できていないし、今後も努力して対応する気持ちもないのだから、一生、楽しめないまま終わるかもしれない。






こういう音楽を聴いた後では、シューマンの情緒性が天国のように思える。ピアニストの金子三勇士(かねこ・みゆじ)は初めて。ハンガリー人とのハーフだ。そういえば、指揮の準・メルクルもドイツ人とのハーフだ。西洋クラシック音楽の世界で国籍は関係ないと思うけど、やはり、独墺の音楽には血が騒ぐということがあるのだろうか。

シューマンが見出した出藍の誉れがブラームスだ。
ウェーベルンの師匠は12音技法の生みの親シェーンベルクだ。
そのシェーンベルクは、自己の音楽的血統をブラームスに求めていたらしい。

彼は、ブラームスのピアノ四重奏曲第1番を大規模な管弦楽に編曲した。まことに大規模で、シューマンの協奏曲の時はコンバスは4本しか出ていなかったが、この管弦楽版ピアノ四重奏曲では倍の8本が並んだ。他の弦パートも推して知るべしで、弦楽5部だけでほぼ60人。管打楽器を入れて約90人という編成だった。
原曲はわずか4人で演奏される音楽だが、これを大規模管弦楽で演奏するというのは、シェーンベルクが19世紀のブラームスに当時は早すぎたのかもしれない革新性を見出し、それを20世紀の精緻なオーケストレーションで証明しようとしたこと、さらには自分自身こそブラームスの後継者であると世に知らしめたかったのではないか、とプログラムには説明してあったが。



この管弦楽版を生で聴くのはこれで2回めだ。最初聴いた時は耳に慣れた弦楽四重奏曲との違和感が拭えず、第3楽章のジプシー風ロンドに至って、初めて「管弦楽」で聴く面白さを感じたのだけど、まあ、やっぱり、今回もそういう感じかな。
シェーベルクの意図がなんであれ、ピアノ四重奏曲として完成している音楽がある以上、やはりブラームス版で聴きたいな。




余談:
1月12日に「新世界より」より「新世界から」にしてほしい、と書いたが、今日のコンサートで配っていた読響2月公演のチラシがなんと「新世界から」だった。こうでなくっちゃ。



♪2015-7/♪サントリーホール-01

2014年4月26日土曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第96回

2014-04-26 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮
佐藤卓史:Pf
東京交響楽団




ウェーベルン:管弦楽のための5つの小品 作品10
シューベルト:交響曲 第4番 ハ短調 D.417 「悲劇的」
ブラームス:ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品15

東響、今日のコンサートマスター(他のオケではコンサート・ミストレスと表記されることも。)は大谷康子だった。何時頃か覚えていないけど随分前に東響を聴いた時に既にコンサートマスターだった。当時は女性のコンマスがとても珍しかった。テレビで見かけることがあったけど、久しぶりのリアルは少し若返っているような気がしたが不思議なことだ。


ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品」は小品というより掌品といったほうがいいくらいで5つ合わせても6分程度だ。
無調音楽で12音技法ではないらしい(その区別もつかないと思うけど。)。妙な音がピコピコシャリシャリ鳴っているうちに終わってしまった。どこが面白いのか分からない。
指揮者のジョナサン・ノットは、そのまま、袖に引っ込むこと無く、続いてシューベルトを演奏した。

同じウィーンの作曲家ではあるけど、100年ほど時代が異なるので、続けて演奏する意図は奈辺にありや分からなかったが。

シューベルトの交響曲全8曲の中では第7番(昔は8番と言った。)の「未完成」がダントツ、ついで第8番(同9番)「ザ・グレート」が人気があり、他には5番が時々演奏される程度で、第4番となると家でもまず聴かない(今回の耳慣らしのために何度か聴いたけど)し、コンサートでも聴いたことがない。
「悲劇的」という表題はシューベルト自身が付けたそうだが、格別物語性があるわけではなく、ハ短調の雰囲気をそう評したものらしい。
まだ19歳ころの作品だというが、立派な音楽になっているのだから驚きだ。後年のシューベルト印が緩徐楽章の転調するところなんかに感じられて面白い。


ブラームスのピアノ協奏曲は、個人的には2番の方がよほどか馴染んでいるけどこの曲もなかなかの力作だ。
最初からピアノ協奏曲として構想されたものではないらしく、第1楽章が印象強い出だしで始まりかつ相対的に長い。それで存在感が大きい。終楽章は短いが、晩年の作品のようなストイズムは控えめで激情奔流。挟まれた第2楽章が、妙に落ち着いた作りで物足りなさもある。

さて、今日の東響。先日(20日)、サントリーホールで聴いた時に響が心地良かったが、今日も、会場は違ったが、変わらず良い響きだった。


♪2014-35/♪ミューザ川崎シンフォニーホール02