2014年3月29日土曜日

第67回全日本学生音楽コンクール全国大会in横浜 横浜市民賞受賞者による演奏会

2014-03-29 @みなとみらいホール小ホール

●ピアノ部門
進藤実優(小5)、石川奈々歩(中1)、上原琢矢(高1) 
●ヴァイオリン部門
河井勇人(小5)、東亮汰(中2)、宮﨑真実子(高2)
●フルート部門
類家千裕(中3)、堺日和(高2)
●声楽部門
宮川優子(高2)、梨谷桃子大4
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演奏曲目はチラシ記載のとおり。


昨年の11月末にみなとみらいホールで開催された第67回全日本学生音楽コンクール全国大会で、1~3位入賞とは別に横浜市民によって選定された「横浜市民賞」を受賞した各部門のちびっ子たちの(とも言えない人も含まれているけど…)ミニ・リサイタル。
若い才能に、本格的なステージに立つ機会を与えようと、横浜市芸術文化振興財団と横浜市が共催して開催している。

僕は、全4部門のうち、バイオリン小・中学校とフルート中・高校の横浜市民賞選定員を勤めた(応募して当選した!)ので、きょうの出演者のうち4人は、その時に演奏を聴いている。
縁あって横浜市民賞を受けたちびっ子を応援したい気持ちで、彼らのステージにはできるだけ出かけることにしている。

全国大会クラスとなるともうびっくりするほど巧いことを既に過去2階の選定員経験から知っているので、今日はもうびっくりしなかった。

横浜市民賞はコンクールでの入賞の有無や順位とは関係なく、20~30名の選定員が、各部門毎に「最も感動した演奏」、「今後も応援したい演奏」に投じた票で決まるのだけど、今日演奏した10人のうち1位が2人、2位が1人、3位が2人という結果だったから、プロの見立てとそう大きくズレていないということに胸張って良いのかどうか…。

最年少受賞者でかつ全国1位だったバイオリン部門小学校の5年生河合勇人君なんか、まだまだちびっ子なのに、舞台上でバイオリンを構えるともう一丁前の音楽家だ。


96年の同じ部門の1位が、今をときめく神尾真由子だったそうだ。

河合くんたちもいずれ世界に羽ばたくのだろう。

♪2014-26/♪みなとみらいホール13

2014年3月25日火曜日

平成26年3月歌舞伎公演 菅原伝授手習鑑/處女翫浮名横櫛

2014-03-25 @国立劇場大劇場


●竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ) 一幕
-車引-       
吉田社頭車引の場


●河竹黙阿弥=作
国立劇場文芸研究会=補綴
處女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)
二幕六場
-切られお富-
序幕     第一場 藤ヶ谷天神境内の場   
    第二場 赤間妾宅の場
二幕目 第一場 薩埵峠一つ家の場
    第二場 赤間屋見世先の場
    第三場 同 奥座敷の場
    第四場 狐ヶ崎の場


中村時蔵/中村錦之助/市川男女蔵/中村萬太郎/中村隼人/嵐橘三郎/上村吉弥/坂東秀調/坂東彌十郎/ほか


◆「菅原伝授手習鑑」という演目(外題)はよく知っていたけど、どんな話か知らなかった。
要約すれば、「菅原道真が讒言により大宰府に左遷され、最後は天神になる」と言う話らしい。
元は人形浄瑠璃として作られ、それが後に歌舞伎に移し替えられたもので、こういう出自の作品を「義太夫狂言」といい、本作と「義経千本桜」、「仮名手本忠臣蔵」が義太夫狂言の3大名作と呼ばれる…と俄勉強。

人形浄瑠璃では全五段で語られるうちの三段目の冒頭部分が今日の「車引(くるまびき)」。
「菅原伝授手習鑑」は、歌舞伎では通しで演じられることが少なく、「車引」や「賀の祝」、「寺子屋」の場が単独で演じられるのがフツウだそうだ。

その「車引」は1幕1場。上演時間にして35分ほど。物語のホンの一部に過ぎず、これを観たからといって「群盲象を撫ず」。
なんで単独上演されるのか?という疑問があったが、事前に解説は読んでいたけどなるほど実際に鑑賞すると合点する。

短い芝居の中に全体のエッセンスが込められていることのほか、歌舞伎の様式美の中の「荒事」と呼ばれる所作の見せ所なのだ。
それぞれに様式の異なる隈取や衣装を身に着けた三つ子の兄弟が運命に引き裂かれ敵対する立場で偶然出会い、牛車を引き合う(という設定で実際には触れもしないけど)形を大見得の連続、飛び六方、立ち回りなどで見せる。これも歌舞伎ならではの魅力であった。



◆「切られお富」は河竹黙阿弥によって書かれる(というより正しくは脚色だと思うが。)前に黙阿弥自身の手になる「切られ与三」があり、その前にはライバル作家による「切られ与三(与話情浮名横櫛)」があり、その作品は第三者による講談「お富与三郎」の脚色であり、それは事実に基づいている、というややこしい系譜で誕生した。

なんでこんなことを書いておくのかというと、僕の遠い記憶の中に「切られ与三(郎)」の映画の存在があリ、春日八郎の「お富さん」という歌
♪粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の 洗い髪 死んだ筈だよ お富さん 生きていたとは お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん エーサオー 玄冶店♪
を今でも覚えているので、メッタ斬りにされたのは与三郎の方ではなかったか?という引っ掛かりがずっとあったからだ。

で、あれこれ調べると、つまり、ライバルの作った「切られ与三」の大ヒットを受けて河竹黙阿弥がお富をメッタ斬りにされるように作りなおしたのが「處女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)全二幕六場」で、通称というのだろうか別名なのか「切られお富」とも呼ばれているということらしい。
尤も、本作は書替え作であるにもかかわらず原作を凌ぐという評価を得ているようだ。

今も耳に残っている印象的なセリフ、

与三郎:え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、
いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。
お 富:そういうお前は。
与三郎:与三郎だ。
お 富:えぇっ。
与三郎:お主(のし)ゃぁ、おれを見忘れたか。
~(この後にも調子の良い啖呵が続く)

は、「切られ与三」のものであることも、今回知った。

では、このやりとりが「切られお富」では二人の立場が逆転して登場するかというとそうではない。

全体として、そんな名調子のやりとりはなかった(はず!)。

むしろ、若い男女の恋愛が運命に弄ばれ、お富が与三郎への恋情が故に情夫によって総身に疵を負いながらも、お金に困っている与三郎との偶然の再会によって、意を決して悪女になり元の主宅へ強請(ゆすり)に行くという、お富という女性の純情を宿した大胆な悪女の心情を細やかに表現した物語としての面白さが楽しめる。

切り刻まれたり、殺しあったりと、凄惨な場面もあって刺激的でもあるが、今回の公演は(プログラムによると)原典にない場面の追加や削除によりわかりやすくしたとあるが、与三郎とお富が「実は」(この実は~が歌舞伎には多い!)本当の兄妹だった、という設定も変えてあり(省かれている)、その分、現代人にも受け入れられやすいリアルな人情物語(世話物)になったのだろう。

五代目中村時蔵が家の芸とも言える「切られお富」に初めて挑んだという。



お食事処「向日葵」。 開演前に予約してあるので、食事休憩時には番号札を持ってゆくと案内される席には既に御膳が並べてある。



新メニュー「牛ステーキ重」。 肉が固くておいしくなかった。やっぱり「ちらし寿司」がいい。



♪2014-25/♪国立劇場-02

2014年3月23日日曜日

読売日本交響楽団第70回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2014-03-23 @みなとみらいホール


パク・ヘユン:Vn
クリスチャン・ヤルヴィ指揮:読売日本交響楽団

ジーン・プリッツカー:「クラウド アトラス」交響曲から第4、5、6楽章(日本初演)
コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
ブラームス(シェーンベルク編):ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 作品25(管弦楽版)

今日は興味深いプログラムだった。

第1曲めが、ジーン・プリッツカーという作曲家による「クラウド アトラス」交響曲全6楽章から後半の第4、5、6楽章でこれは日本初演(正確には昨日東京芸術劇場で同じプログラムが演奏されている。)ということだった。
1971年生まれという若い作曲家によって作曲され、世界初演されたのは2012年。ホットな超現代曲だ。

この作品が僕にとって興味深いのは、新しい作品で日本初演というからではない。

ちょうど1年前の3月に日本で公開された映画「クラウド アトラス」は難解だが興味深い作品だった。その中で重要な役割を果たすのが「クラウド アトラス六重奏」で、この音楽は別の作曲家3人の手になるものらしいが、その際にジーン・プリッツカーもオーケストレーションや追加の音楽を提供した。

「クラウド アトラス」交響曲はこの映画でバックに流れていた「クラウド アトラス六重奏」を発展させたものらしい。

短いメロディが一定のリズムを刻んでひたすら繰り返される、いわゆるミニマル・ミュージックが母体となっているようだ(後半3楽章しか聴いていないから全体はどうかわからないが。)。

まさに映画「クラウド アトラス」の物語を思い起こさせる、刺激に満ちた音楽だった。

映画の方もビデオディスクを観直したいが、交響曲も全6楽章を聴いてみたいものだ。


2曲めも映画に関わりが深い。
エリック・ウォルフガング・コルンゴルト(コーンゴールド)(1987~1957)は、ナチスの迫害を逃れて米国に渡ったユダヤ人で、元々は純粋なクラッシック音楽を作曲していたが、縁あって映画音楽に携わることになり、1936年のアカデミー賞作曲賞を受賞したほか3回ノミネートされている。
アカデミー賞を受賞した時の映画は「風雲児アドヴァース」という作品で、もちろん存在さえ知らなかったが、データベースを調べるとオリヴィア・デ・ハヴィランド(「風と共に去りぬ」のメラニー!)が主演している。
これは観たいなあ、とAmazonをチェックすると、VHSの中古で7,000円。もう再生できないよ。

ああ、だいぶ脱線した。
コルンゴルトもその音楽人生でハリウッドに関わったために純クラッシックの楽壇からは脱線したとみなされていたらしい。近年その再評価が進んできたそうだ。
もとより、映画音楽が純クラッシックより低水準というわけではないだろうが、物語に奉仕するという意味では作曲家にとっては制約を受けることになるだろう。

今日のバイオリン協奏曲は1945年の作品なので映画音楽から再び純クラッシックに戻りはじめの頃らしい。
とはいえ、全3楽章はそれぞれに過去の自作映画音楽から主題を取り込んでいるという。

そのせいか、まさしくこちらも現代音楽ではあるけど、耳に心地よいメロディーも散りばめられていてやはり上質の映画音楽のような気がした。


3曲めが、ブラームスのピアノ四重奏曲第1番だが、シェーンベルク(無調音楽=12音技法の創始者)が1937年に管弦楽用に編曲したもの。
原曲は好きで何度も聴いているけどオーケストラで聴くのは初めて。ブラームスが無調音楽になった訳ではなく、シェーンベルクは原曲に忠実に編曲しているので、全体を聴くと交響曲を聴くような感じだ。
最初は不慣れで違和感があった。いや、3楽章までは、わざわざオーケストラにする必要はなかったのではないかと、凡人は思ったのだけど、終楽章に来てああこれはオーケストラのほうが断然いいや、と腑に落ちた。
終楽章だけなら(ブラームスの)ハンガリアンダンスの1曲に加えても少しも違和感がない。ミュージカルの「屋根の上のバイオリン弾き」を思わせるメランコリーで叙情性たっぷりの音楽が、原曲より増幅されていて面白い。

シェーンベルクというといかにも現代の作曲家という感じだが、年表を繰ってみるとブラームスとは20年余を共に生きているのだから青年時には晩年のブラームス本人に会っているのかもしれない。ロマン派の巨匠と12音音楽もかなり接近しているのにちょっと驚き。


バイオリンソロのパク・ヘユンは初めて。
今日は初めて尽くしだったなあ。
名だたる国際コンクールを史上最年少で優勝した才能ある若手。良く鳴るバイオリンで不満なし。

というか、今日は、どの作品もとても満足できた。


♪2014-24/♪みなとみらいホール12

2014年3月22日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第295回横浜定期演奏会

2014-03-22 @みなとみらいホール


シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 Op54ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 Op73

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アンコールシューマン(リスト編):献呈(小菅優)E.エルガー:愛の挨拶(管弦楽)

小菅優:Pfアレクサンドル・ラザレフ:日本フィルハーモニー交響楽団




昨日に続いて同じみなとみらいホールだけど、席が完全に対極だ。昨日の神奈川フィルは舞台後方のP席。日フィル定期は3階正面が定位置。

昨日、P席から遥か彼方の3階席を眺めて明日はあそこだなあ、遠いなあ、と思っていたが、今日は3階席からP席を眺めている。まあ、どちらも一長一短だ。3階から舞台はあまりに遠いので、臨場感に欠ける。今日は、単眼鏡も持ってゆかなかったのでソリストの表情も見えない。
しかし、音はとてもまろやかで、良い録音のCDを家で聴いているようなきれいでバランスの良い音が届く。


特に、今日はピアノ協奏曲だったので、これはあまり近くで聴くより残響に包まれた方が良いみたいだ。音がきらめいている。

さて、小菅優というピアニストは多分初め聴くのだと思う。まだ若い女性だ。事前に何の予備知識も持っていなかったが今年『ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全曲演奏会シリーズ』により芸術選奨新人賞音楽部門を受賞したというから、将来が楽しみな逸材なのだろう。

大好きなシューマンのピアノコンチェルト。

先月も金聖響、神奈川フィル、川﨑智子で聴いたばかりだから、ついそちらと比較してしまうが、聴く側の体調や気分も影響したのかもしれないものの、もっとやるせないような哀愁を滲ませて欲しい感じはあったなあ。


そしてブラームスの2番。
こういうドイツロマン派の組み合わせは、まがい物ではない正統的な西洋古典音楽の代表として安心して楽しむことができる。

時々、こういう音楽を聴くのは、音楽に対する雑念を初期化してリセットするのにいい。

ラザレフの指揮は多分2度め(過去の演奏会記録がなく記憶は曖昧。それで今年からは細大漏らさず記録することにしたけど続くだろうか…。)。


前回は苦手のマーラーで、あまり楽しめなかったが、今回は僕にとっては得意科目ともいえるブラームスで、十分楽しめた。

第1番の作曲で相当苦労した挙句成功を得たブラームスが肩の荷を降ろして取り組んだという作品だそうだが、心なしか、第1楽章や第3楽章にその軽やかさが感じられる。尤も全体としては自制された叙情性たっぷり?という屈折感が好きだ。



演奏が終わって、何度かのカーテンコールに応えていたラザレフのノリが尋常ではない躁状態に変だなと思ったが、そのうち、袖に引っ込んでから花束を持参して出てきた。

どういうことかと思っていたら、江口有香コンサートミストレス(女性のコンサートマスター)に手渡してみんなの祝福を受けよというジェスチャー。
そのうち彼女の手をとって指揮台に乗せ観客にも拍手してくれというサイン。なんだかよくわからないまま会場が盛り上がる。
そして、花束を持った江口氏と手を握り合ったまま、かねて準備してあったのだ。アンコールを兼ねたエルガーの「愛の挨拶」が演奏された。おそらくコンサートミストレスの退任を記念して謝意を示そうとしたのだろうと思って、帰りに日フィルの職員に確認したらまさにそのとおりで、今日で契約が切れるが、次期もやっていただけるようお願いしているところですということだった。
まあ、そうと知れば洒落た計らいだったが、多くの人は何のことか分からなかったのではないかと思う。

昨日に続いて、音楽以外のことでとても印象に残るコンサートになった。
明日もみなとみらいホールで読響定期だ。一体何が起こるだろう?





♪2014-23/♪みなとみらいホール11


2014年3月20日木曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団第297回定期演奏会

2014-03-20 @みなとみらいホール


金聖響指揮:神奈川フィルハーモニー管弦楽団

藤倉大:アトム
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

メインディッシュはマーラーの交響曲第6番イ短調「悲劇的」だ。

今日の演奏家たちにとってこの曲には特別な思い入れがあったようだ。
3年前の3月11日。彼らはあの大震災が発生した時、翌日の本番に備えたリハーサル中だったそうだ。
大変な困難を乗り越えて、翌日は本番が開催されたが、首席チェロ奏者の山本氏がプログラムの中にこんなことを書いている。

「~『悲劇的』の冒頭から弾きながら涙が止まらなかった。何の涙だったんだろう。それも分からない。どんな演奏だったのかも一切覚えていない。
平尾さんが放ったハンマーの音(注:終楽章に2回、ホール全体の床を震わすような打撃)。
あの音は一体何だったんだろう。いまでもその音だけは頭のなかで鳴らすことができる。あのコンサートで唯一覚えている音だ。

僕の中ではあの日から価値観が根底から覆されたと言ってもいい。無力感に苛まれ、チェロを弾く事どころか生きる意味さえ見失った3年間。
答えが出ないまま3年が経った。
あのハンマーはそれを考え始めるスイッチとなった。~」

あの震災(といっても僕が直接経験したのはやや非日常の地震だけだが。)当日より、その後もたらされた信じられない光景の情報に、僕も彼と同じような無力感をしばし味わったのは事実だ。
3年もそんな思いを引きずってはいないけど。軽いトラウマになっていることは確かだ。

その日(2011年3月12日)、マーラーの第6番「悲劇的」を指揮したのが金聖響だった。

今日は、同じく3月定期演奏会、場所も同じみなとみらいホール。
奇しくも金聖響が神奈川フィルの常任指揮者となって6年の任期を終える退任記念コンサートでもある。
そして曲目は「悲劇的」。

まるで、この素材でドキュメンタリーフィルムが出来上がるようにおあつらえ向きだ。

そのようなストーリーが、この曲、この指揮者、このオケにまとわりついている。

只者ではない雰囲気の中で演奏が始まった。

演奏時間80分という大曲だ。
はっきり言えば、何度聴いても簡単に馴染めるものではない。
今回の演奏会の前に、CDで、ながら聴きだけど、10回は聴いたろう。それでも馴染めない。
だから、演奏会では寝てしまうのではないかという心配もあったが、その「現場」はなかなか、寝かせてくれる雰囲気ではなかった。
管弦楽は多種多様な楽器編成で、パーカッションの種類が豊富で、それこそ他に例がないのではないかと思うが、「ハンマー」も登場して全館を震わせる。
コンバスもホルンも8本づつ。
弦や木管の編成も推して知るべしで大きな舞台に肩を寄せ合うように並んでいる。
なるほど、これが近代の管弦楽の一つの典型なのだろう。
あんまり物々しいと、それじゃ「音楽」はどこへ行ったの?という気にもなるのだけど、まあ、ナマの迫力は眠気どころではない。

金聖響の指揮は、本来の「悲劇的」音楽が乗り移っただけでなく、3.11に思いを寄せたり、退任記念コンサートということからくる感慨もあってか、大曲を振り終えた最後のタクトを下ろしたまま身動きしない。
観客は拍手もできない。
演奏家は楽器を下ろすころもできない。
放送中なら完全に放送事故になる空白の時間だ。およそ30秒も続いたろうか。般若心経でも黙読しているのではないかと思われるくらいの時間が経過してようやくタクトを譜面台に置いた。

あとは、割れんばかりの拍手と歓声。

ちょいと演出が過ぎるんじゃないの!と思った僕は根性が曲がっているのかもしれないけど、元々マーラーの音楽って、そういう虚仮威し的な、ケレン味たっぷりな音楽だと思っているので、そういう意味では似合った演出だったかもしれない。

いや、あるいは、本当にマーラーは天を仰ぐ気持ちでこの大曲を作ったのかもしれないし、金聖響も鎮魂の思いを込めて指揮をし、あの長い沈黙は祈りだったのかもしれない。

いずれにせよ、忘れられないコンサートとして記憶に残るだろう。

♪2014-22/♪みなとみらいホール10

2014年3月17日月曜日

横響第653回定期演奏会

2014-03-17 @県立音楽堂

飛永悠佑輝指揮:横浜交響楽団

小船幸次郎:第一序曲 Op7
芥川也寸志:交響管弦楽のための音楽
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 Op47


小船幸次郎という人については知らない人が多いだろうなあ。かくいう僕も数年前に知ったばかり。1907年生まれで1982年まで存命していた人だ。作曲家であり、指揮者であり、教育者で、横浜交響楽団の創立者の1人だ。
その小船氏が31歳の時に作曲し毎日音楽コンクールで1位入選したのが今日の第1曲め「第一序曲」。
管弦楽だけど、多彩な楽器編成で邦楽、雅楽的な要素をたっぷり織り込んだユニークで面白い音楽だった。もちろん初めて聴いた。

2曲めが芥川也寸志(1925~89)が24歳で作曲し、これもNHKの懸賞募集で特賞入選した「交響管弦楽のための音楽」全2楽章。
この作品については、3週間ほど前に、NHKBSpのクラッシク倶楽部が日本人作曲家名作選で芥川也寸志を取り上げた際に演奏され、録画していたので、何度も聴いて事前に耳を馴染ませていた。これも生演奏は初めて聴いたが、やはり、家で視聴するのと生ではこうも違うかと(家のオーディオシステムに)がっかりしたり(だからこそ生で聴く意味があると)得心したり。

3曲目のショスタコーヴィチも小船氏とは1歳違い(1906年~75年)。

つまり、今日のプログラムは現代音楽ばかりなのだけど、いずれも無調音楽ではない(「第一序曲」はそもそも西洋音楽の調性を当てはめるのが無理なのかもしれないが)。
いずれも、少なくともメロディを耳で追えるような調性はあるし、ショスタコーヴィチは作曲した交響曲や弦楽四重奏曲の全部に調号を付けている(今日の第5番はニ短調だ。)。

残された調性のおかげで、十分に現代ぽさを感じながら心地よい刺激がある。

今日の横響はレベルが高かった。
「第一序曲」の管楽器の不協和の重なりが雅楽の興趣を聴かせたり、ショスタコの第3楽章の消え入るような最終音に聖なる世界を響かせたあたり、おお、腕を上げたなあという感じがした。

最後に、アンコールの代わりに3.11から3年ということもあって、「花は咲く」が演奏され、歌詞カードを配られた観客も一緒に歌って、ちょっとうるっと来たよ。


♪2014-21/♪県立音楽堂-07

2014年3月15日土曜日

春のコンサート in 公会堂 Vol.Ⅺ

2014-03-15 @神奈川公会堂


古谷享子カルテット(古谷享子ASax / 山田メイPf / 須川こういちBase / 繁泉英明Drums)

星に願いを(レイ・ハーリン)
いつか王子様が(フランク・チャーチル)
テイクファイブ(ポール・デスモンド)
リベルタンゴ(アストロ・ピアソラ)
私のお気に入り(R・ロジャース)
オブリヴィオン(アストロ・ピアソラ)
スペイン(チック・コリア)
ほか


家のすぐ近所にある神奈川公会堂。
毎日のようにその前か横を通っているのに入ったことはなかった。

1階のエントランスとロビーはガラス張りでちょっと洒落ているとも言えるけど、建物全体は窓一つなく、まるで倉庫のような風体だ。
ところが灯台下暗し。外見からは想像もできない結構立派なホールがあるんだ。
そこで、毎年春には無料のコンサートを開いているということを今年はじめて知って、音楽そのものよりどんなホールなんだろうという興味で覗いてみた。

定員563人というから、みなとみらいホールの小ホールや同じく近所にあるかなっくホールに比べても規模は大きくてびっくり。
壁にレンガが敷き詰められているというのもユニークだ。
しっかり音を跳ね返すのだろうな。

今日は古谷享子カルテットのジャズコンサートだった。
このグループのことは初めて知った。
ジャズと言っても、イージーリスニング風で、これは客層に合わせたのかもしれないけど、いずれも聴きやすく、楽しめるものばかりだった。

主軸のアルト・サックスとピアノはふたりとも音楽大学でクラッシックを学んだ人で、そのせいか、演奏スタイルはえらくかっちりとして端正で遊びがない。
なので、まあ、ききやすいのだけどその分物足りなさは残った。

ピアソラのリベルタンゴは好きな曲。
最後にチックコリアの作品を演奏したがこの作曲家(ピアニスト)も好きで、選曲はとても良かった。


♪2014-20♪神奈川公会堂-01