ラベル ヘルベルト・ブロムシュテット の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ヘルベルト・ブロムシュテット の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年10月19日土曜日

NHK交響楽団2020回A定期 10月公演

2024-10-19 @NHKホール



ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

オネゲル:交響曲第3番 「礼拝」
ブラームス:交響曲第4番ホ短調 作品98



ブロムシュテットは昨年は代役が続き、ちょうど2年ぶりだ。
川崎コンマスの腕に掴まって袖から登場した時点でもう拍手喝采。Apl.Watchの騒音計がブルブルと警告を発する。

大きな期待で始まったが、さあ、どうなの?
2曲とも、あまり感心できなかったな。特にブラームスは冒頭の各部間の受け渡しや絡みに緊張感を欠いたし終楽章もぶつぶつと流れ芳しからず(個人の感想です!…に決まってるけど。)。

リハ不足じゃないの?


とはいえ、もちろん、N響のレベルだ。

終曲後の長い無音がいいね。3千人を超える聴衆が固唾を飲んでブロムシュテットの呼吸が整うのを待つ。ブラームスではパラパラがやや早い気もしたが。

ところで、コンマスの川崎くんは実に好ましい。
あの大袈裟な演奏スタイルが、もし第2プルト以下に座っていたら、悪目立ちして顰蹙ものだが、コンマスだからこそのあのスタイルは後ろのプルトの人にも大いに頼もしく見えるだろう。ここぞという場面では、もうほとんど立ち上がっているように見える。彼の入魂ぶりにこちらも引き摺られてしまう。

♪2024-140/♪NHKホール-07

2022年10月26日水曜日

第1967回 NHK交響楽団 定期公演 B-1

2022-10-26 @サントリーホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

オリ・ムストネン:ピアノ*
盛田麻央:ソプラノ**
青山貴:バリトン**

グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調 作品16*
ニールセン:交響曲第3番 作品27「広がり」**
------------------------
ヘンデル:調子の良いかじ屋*


グリーグのピアノ協奏曲は頻繁に聴いているようで3年ぶり。大いに楽しみにしていたが、これは興醒めだった。

ピアノのオリ・ムストネンは初めてで、陽気な人柄みたいだが、いざ始まるとタッチの拘りは尋常ならざるものあり。フレーズの中のテンポも強弱も極めて独自…大袈裟だ。

ピアノの音も悪かった*がそれは措くとしても、異色の鍵盤操作に呆然として音楽に入ってゆけず。

が、NHKでの放映が楽しみだ。
どこまで彼の独自のアーティキュレーションをマイクは正確に拾うだろうか。

後半のニールセン。
交響曲3番は初聴きだが、交響曲1番や序曲、各種協奏曲などこれまで聴いたものは、全て好印象。

始まってみると、冒頭から楽しい!
きっちり調性があるだけではなく、実に分かりやすく、大掛かりな娯楽音楽のようでもある。
それに多彩な管弦楽技法が興趣を高める。
第2楽章だけソプラノとバリトンのボカリーズが加わって、これも効果的。

N響は大規模編成(弦は対抗配置16+16…)ながらカチッとしたアンサンブルが見事。こういう演奏なら、みなとみらいホールとかミューザで聴きたいものだが。


*今に始まった事ではないが、サントリーホールの響は良くない。特にピアノの音が耐えられん。
高域の強奏はキラキラ輝くが、それでも痩せ細った硬い音だ。
中低域となるとまるで石を叩いているかのよう。
安酒場のホンキートンクみたいだ。

が、苦情は出ていないようだから、三鳥に限って僕の耳が変になるのだな。

♪2022-160/♪サントリーホール-19

2022年10月15日土曜日

NHK交響楽団1965回A定期 10月公演

2022-10-15 @NHKホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

マーラー:交響曲第9番ニ長調


普段は情緒に流されまいと戒めているのだけど、演奏前の会場の盛上りもあって、我ながら情緒過多で聴いたかも。

1年ぶりのブロムシュテット翁、一段と足元おぼつかなく、マロ氏に伴われ、指揮台にも中間段が用意され、椅子も置かれて、結局座ったままの指揮だった。

翁だけとは言わないが、少なくとも翁が指揮をする時はN響の気合が普段とは違う。翁への敬愛と信頼の念が見てとれ、音を出す前から良い緊張感が漲っていた。

個人的にはマーラーは好物ではない。馬の💧みたく無闇に長く、特に9番は断片の変容に終始して構成感に欠け、楽しめるとは言い難い。

それゆえ、空中分解しそうな不安が付き纏う。
なので、オケには個人芸とともに強力な合奏力が要求されるのだろう。
それを、今日のN響はやったみたいだ。何しろ長時間を固唾を飲んで聴き、一瞬も別世界にゆくことがなかった。
とりわけ、終楽章が(そもそも、音楽的に上出来なのだろうが)惹きつけた。


終曲。
祈りのようなブロム翁の長い沈黙。
会場にいる、この音楽を経験したすべての人が、静かに燃え盛った内なる熱を覚ますのにも必要な時間だった。

暫くして大きな拍手が湧き上がったが、個人的には、もう少し時間をかけてほとぼりを覚ましたかったところだが、人さまざまかもしれない。

♪2022-151/♪NHKホール-02

2021年10月27日水曜日

第1941回 NHK交響楽団 定期公演 B-1

2021-10-27 @サントリーホール



ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

ステンハンマル:セレナード ヘ長調 作品31
ベートーベン:交響曲第5番ハ短調 作品67


N響定期プログラムB-1の会員にとっては今日が今季ブロム翁の最後の公演だった。


そのせいか、カーテンコールはC-1の時以上に盛り上がったが、コンマスのマロ氏が舞台上でもなお盛り上げるので、客席もかつて経験した事がないような拍手とスタンディング・オーベイションで常ナラヌ様相だった。正真正銘最後となる明日(B-2)はどんな事になるやら。


敬愛の念で満たされ、気持ちが繋がった指揮者とオケの演奏はそれだけで心豊かになる。


しかし、さあて、今日の出来は?


先日、響の悪い池袋で素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれたのだが、もちっとマシな響きのサントリーなのに、あの透明感は何処に?もちろん悪くはないのだけど。


Cを聴いていなければ上出来と思ったろうに。


良い演奏を聴くということは、次に良い演奏を聴く機会が少なくなるというジレンマと闘い続け、もっと良い演奏を求める事になる。


あゝ、こういう聴き方をしていちゃいかんなあ。


「運命」冒頭。

スリリングだった。

指揮は頭の拍を打つだけなのに、よくリズムが合うものだ。

2度目の運命の音形は崩れるかと思ったが、コンマスが強引に合わせたという感じがしたよ。それでも揃うのだから大したものだ。


♪2021-120/♪サントリーホール-15

2021年10月22日金曜日

第1940回 NHK交響楽団 定期公演 池袋C-1

2021-10-22 @東京芸術劇場大ホール



ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

グリーグ:「ペール・ギュント」組曲第1番 作品46
ドボルザーク:交響曲第8番ト長調 作品88


ほぼ2年ぶりのブロム翁だった。

登場を待つ間も含め、彼と同じ時間・空間を共有しているだけで、なにやらありがたい気持ちになる。


今回は早めに出かけて、休憩なし短時間公演の穴埋めか申し訳か、プレ室内楽も聴いた。

Vn1白井圭、Vn 2大林修子、Va佐々木亮のトリオでマルティヌー「セレナーデ2番」。


3人とも田中千香士門下生だったそうだ。

懐かしい名前を聞いたよ。N響コンマスの前に京響のコンマスもしていたな。


で、響の悪いホールでの弦楽トリオは音にふくよかさがないから全く面白くない。次回からパスしよう。


ところが、本番が始まるとN響の弦の響きが見事に美しい。

乾いた響きのホールなので、シャリシャリ感は払拭できないが、それさえも美しいと感じさせるピタッと揃った響に驚く。


白井圭のコンマスではもう何度も聴いているが今回が1番の上出来。彼の手腕かブロム翁の手腕か、全員が気持ちを一つにできたんじゃないか。

芸劇でもここまでやれるか!


管部門も各自が巧い。 


今季C定期はコスパが悪いなと思っていたけど始まってみるとPヤルヴィの前回も良かったが、今回はそれ以上に至福の時を過ごした。

一頭地抜くN響の巧さ。

管弦楽とはこういうものだ、という基準となる演奏だ。


ま、これが良し悪しで、上出来を聴けばそれが物差しになり、それを超えるものが少なくなるジレンマが悲しい。


♪2021-116/♪東京芸術劇場大ホール-03

2019年11月16日土曜日

N響第1925回 定期公演 Aプログラム

2019-11-16 @NHKホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

マルティン・ステュルフェルト:ピアノ*

ステンハンマル:ピアノ協奏曲第2番ニ短調 作品23*
ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 作品90
----------
ステンハンマル:3つの幻想曲 作品11-第3曲*

ブロム翁の指揮、ステンハンマルのピアノ協奏曲をステュルフェルトの独奏で聴く。3人ともスウェーデン人。ま、土地の香りなど分からなかったが、20世紀初めの作品にしてはロマン派を思わせる聴きやすい音楽だった。

メインはブラームス交響曲第3番。
サガンを読み、映画「さよならをもう一度」は何度も観た。

この映画で最初に登場するのはその第3楽章。ブラームスの全作品中で最も甘美な旋律ではないか。
演奏会の場面では同じくブラームスの交響曲第1番の第4楽章。
主人公2人がコンサートの休憩後の再開に遅れて入ったらここでも第3番の第3楽章が始まっていて中に入れない。

この映画を観た人は大抵「ブラームスはお好き」になる。
僕もこれを聴く度にバーグマンとパーキンスがホールの階段で立ち聴きするシーンを思い出す。


ブロム翁が指揮をするN響は普段以上にキリッとしているように思うのは気のせいか。何と言っても団員の、そして観客総員の敬愛が翁に注がれていて、みんながこの瞬間を尊いものとして全身で受け止めようとしているのではないか。そういう音楽へ共感が嬉しい。

何回かのカーテンコールの後に登場した際は歩きながら指を3本立てて楽団員に示した。ということは、最初から決めていたのではなかったか。フツー定期演奏会でアンコールはやらないものだ。
が、各員に指示が行き渡ったところで指揮台に乗り腕を振り降ろして始まったのはいうまでもなく第3楽章。もう、涙が出るほど(出ないけど!)嬉しかった。なんて、美しい音楽だ。

2019-180/♪NHKホール-07

2018年10月13日土曜日

N響第1894回 定期公演 Aプログラム

2018-10-13 @NHKホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K504「プラハ」
ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(コールス校訂版)

モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」。存在は有名だけど、ほとんど聴く機会がなくて前回はいつだったろうと記録を手繰れば2年半ほど前にカメラータ・シュルツ・ウィーンで聴いた。それ以来だ。自宅で聴くこともないので、久々の演奏を、へえ、こんな曲だったか、と聴いた次第。

弦だけで24人?総勢35人位の小規模な編成だけに、見通しの良い軽快な音楽だった。

最近は小難しい音楽が多い中で、現代音楽やマーラー、ブルックナーなどのファンに失礼だが、簡潔明瞭な「絶対音楽」を聴く悦びを久しぶりに味わった。

プログラムには演奏時間28分と合ったが、実演はずっと長くて36分くらいあったと思う。そんなにのろいテンポではなかったから、提示部の繰り返しをしたのではないか。


後半はブルックナー第9番!
ブルックナーの中では聴く機会の少なかった作品だけど、どういうことか、今年は9番の当たり年だ。4月に東響で聴いたのが3年ぶりだった。そして、今日はN響で、来月は新日本フィルが控えている。

ところで、今やファンの間では神様扱いのブロムシュテットのブルックナーは如何。
大いに期待をした。
何しろブルックナーの9番でこれまで「良かった!」と思えるものは一度も聴いていないのだから。

しかし、冒頭の管の何やら自信のないような出だしに、不安が走った。僕の聴き違いかもしれない。その後の弦の強奏で盛り上がるところまでくると音楽が順調に流れ出した…ように思った。
その後はひたすら傾聴したつもりだ。

ブロムシュテットはいつものように上体だけで腕をフワフワさせているだけだが、リハーサルが行き届いているのだろう。細部まで(情緒を失わず)かっちり仕上げた感があった。

ややテンポが早めで(プログラムには64分と書いてあるし、手持ちの数種類あるCDはいずれも60分強だが、ブロムシュテットの指揮は)55分程度ではなかったか。
プラハが長かった分、放送時間に合わせて巻きが入った?まさかね。

ただ、終わってみると、やはり満足には程遠かった。
おそらく、これは演奏のせいではない。
ブロムシュテットについてはN響のコンビでも(毎回ではないが)、昨年のゲヴァントハウスの公演でも至福を味わっている。最も期待をかける指揮者で、マエストロと呼ぶにふさわしい。

今回イマイチ楽しめなかったのは僕のブルックナー(の音楽)への入魂率が低いのだ。マーラー同様、心底には不信感を持っているからだと思う。

さりとて、2014年4月のN響+マレク・ヤノフスキーの5番、2016年のサンフランシスコ交響楽団+マイケル・ティルソン・トーマスによる7番などは、細部に至るまで実に心に沁みたのを覚えている。
あのレベルを何度か聴くとブルックナーの聴き方が変わってくるかもなあ。

♪2018-130/♪NHKホール-10

2018年4月25日水曜日

N響第1884回 定期公演 Bプログラム

2018-04-25 @サントリーホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

ベートーベン:交響曲第8番ヘ長調 作品93
ベートーベン:交響曲第7番イ長調 作品92

今月のN響定期はABCいずれもブロムシュテットの指揮だった。
今回は、最上席とはいえないまでも十分満足できる席だ。
NHKホールよりは響の柔らかいホールだし、ベートーベンの7番、8番という願ってもない組合せで、ブロムシュテット3連チャンの最後を飾るに相応しいコンサートだ。

聴き慣れた都響定期Bの席より3列後ろのやや上手だったが、この位置加減が微妙なところだ。普通なら、その違いにこだわることもないと思うが、この頃神経質になっている僕としては、その違いが音楽の違いになって現れるので、良かったり、悪かったりする。

上手い下手ではなく、3列後ろだとやはり音圧が違う…という気がしたが、これは3列後ろで聴いているという認識がもたらす気の所為にすぎないのかもしれないのだけど。あるいは、歳のせいで徐々に聴こえづらくなっているのかもしれないが。

そんな訳で、もうちょいと腹に響く音圧が欲しかった。

この点を除けば、3回シリーズの中では一番満足度が高く、まさに有終の美を飾ってくれた。

20日のC定期のベートーベン交響曲第4番でも多少感じたが、今回の8番、7番でもやはりテンポが速めだった。「疾走するベートーベン」というほどではないが、ブロムシュテットのベートーベンは普通に聴き慣れた演奏より、少し速い。このテンポこそ、本来のテンポだというのが、ブロムシュテットの主張だ。何と言ってもベートーベン自身がすべての交響曲にメトロノームによる速度表示をしているのだから。でも、当時のメトロノームのテンポは真実どうだったのか…などの争いもあって、楽譜の表記に従うのが正解なのかどうかははっきりしないらしい。が、僕としては、疾走するベートーベンこそベートーベンらしくて好きなので、ブロムシュテットのテンポは好きだ。余談になるが、一昨年の年末のブロムシュテットの「第九」はとても緊張感に溢れた、目下の時点では最高に感動した演奏で、何と言ってもテンポの良さも預かって大きなものがあった。

また、気が利いているな、と好感したのは、7番の第1楽章と第2楽章、第3楽章と第4楽章をホンの一呼吸しか置かず続けて演奏したことだ。楽譜にアタッカの指示はないし、完全な連続ではない。
ブロムシュテットの腕が宙に止まって暫時動かず、動いた時は次の楽章の始まりだった。な訳で、観客席の咳込み合唱はシャットアウトされ、緊張を保ったまま2楽章へ、4楽章へと入ったのはとても気持ちが良く、胸のすく思いだった。

そう言えば、A定期のベルリオーズ「幻想交響曲」でも、第1楽章と第2楽章、第4楽章と第5楽章の間も同じように一瞬の間を置いて次楽章になだれ込んだ。

この時代の編成だから、オケも弦楽中心で中規模だ。弦のアンサンブルがシャキシャキと決まって、Tuttiも豊かに響いた。
ベートーベンはこうでなくちゃという演奏だったように思う。

♪2018-047/♪サントリーホール-04

2018年4月20日金曜日

N響第1883回 定期公演 Cプログラム

2018-04-20 @NHKホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

マリア・ジョアン・ピレシュ:ピアノ*

ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番ト長調 作品58*
ベートーベン:交響曲第4番変ロ長調 作品60
--------------
アンコール
ベートーベン:6つのバガテル 作品126から第5番ト長調*


N響定期4月はABCともブロムシュテットの指揮なので、定期会員ではないB、Cもチケットを買った。
N響の場合、どうやら定期会員の割合が高いらしく、1回券を買おうとしてもなかなか希望するエリアが手に入りづらい。
今日の席も1階後方でセンター(指揮者席)からはやや上手しか取れなかった。それでもS席だし音だけを考えたら問題はない。
ところが不思議なもので、見た目が大切だ。やはり、センターに座ってオケを見ながら聴くのと、今日の配置で言えば第2バイオリンの5プルトあたりが正面になる席からオケを見ながら聴くのとでは没入感が違う。しかも、かなり後ろの方で、普段聴き慣れている席とは音圧が小さいのも没入を妨げた。

ブロムシュテットの指揮で聴く作品はN響でもゲヴァントハウスでも独墺系が多かったし、ご本人も得意としているのではないか。

今日は、ベートーベンの2本立て。
ピアノ協奏曲も交響曲もいずれも第4番と、なかなか渋いプログラムだ。

ナマのピレシュは以前、チェロのアントニオ・メネセスとのデュオ・リサイタルを聴いたきりだが、その際も彼女が取り上げたのはベートーベンのピアノ・ソナタ32番とチェロ・ソナタ3番だった。
ベートーベンを得意分野としているのかどうかは知らないが。

まあ、そんなことで、プログラムに不満は無いどころか大いに期待をしていたが、一つには、如上の席の問題があって、音楽がなかなか琴線に触れてこない。
演奏は、一定水準以上なんだろうな。2曲とも弦楽アンサンブルに毛の生えた用なこじんまりした編成で、弦のアンサンブルはシャキシャキしてメリハリがついている。この辺は、ブロムシュテットの技ではないかと思いながら聴いた。

ピレシュのベートーベンは流れるようにきれいだが、ガツンという山場のようなところがなくて、ひたすらきれいに収まった。この人はコンチェルトよりソナタ向きではないかと思ったりもしたが、ともかく、あまり没入できなかったのだからいいかんげんな感想だ。

♪2018-044/♪NHKホール-04

2018年4月14日土曜日

N響第1882回 定期公演 Aプログラム

2018-04-14 @NHKホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

ベルワルド:交響曲第3番ハ長調「風変わりな交響曲」
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14

ベルワルドという作曲家はその名前も知らなかった。現代の人かと思ったが、そうでもなくて、生没は1796-1868年だというから、ロッシーニの4歳下、ドニゼッティ、シューベルトの1歳上だ。ロマン派の盛りの時期ということになるが、同時代にはあまり受け入れられなかったようだ。いや、今でも有名ではないし、作品も今回演奏された交響曲第3番くらいしか演奏されることはないみたいだ。

ブロムシュテットはアメリカ生まれだが両親がスウェーデン人だそうで(国籍は両方にあるのかもしれないが。)、ベルワルドも、音楽家としての活躍の場はベルリン、ウィーンだが、スウェーデン人だ。そんなことで、ブロムシュテットはベルワルドを取り上げたのかもしれない。

ただ、その音楽は今や思い出せない。Youtubeで探しても部分的な演奏(指揮はブロムシュテットだった。)しかしか見つからず、それを聴いてもやっぱり思い出せない。まあ、そんな音楽だったなあ。

ブロムシュテットと言えば、なんといってもベートーベンやブラームスがぴったりという気がするが、今日はベルリオーズだった。
「幻想交響曲」は、先月読響・都響でも聴いたばかりで、1ヶ月足らずの間に3度めを聴くとは不思議な縁だ。
まあ、この作品は華麗な管弦楽技法が売りものだから、どのオケが演奏しても大抵は満足できる。直近の2例では読響の方が気合を感じたが、都響も悪くはなかった。

そこで、N響がやるとどう違うか。
ブロムシュテットが指揮したからと言って格別音楽が上等になる訳ではなかった。毛細血管の先までピタッと呼吸が合う(これまで聴いたベートーベンなどではそういう感じがした。)ようなところまではゆかなかったが、一味違うと思ったのは、3600人を擁する空間を満たす絢爛にして重厚な響。これはN響ならではだ。

ブロムシュテットの飄々とした指揮に客演コンマスのライナー・キュッヒル始め、楽員が心を一にしての熱演が聴く者の心も温めた。ブロムシュテットの才覚なのか人徳なのか、不思議と包み込まれてしまう。

♪2018-040/♪NHKホール-03

2017年11月13日月曜日

ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 NHK音楽祭2017

2017-11-13 @NHKホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団
ソプラノ:ハンナ・モリソン
バリトン:ミヒャエル・ナジ

ブラームス:ドイツ・レクイエム 作品45

これまた、随分前から楽しみにしていたコンサートだ。
先日、最高級のブラームスとシューベルトを聴いたブロムシュテットとゲヴァントハウス管弦楽団による、これまた大好きなブラームスの「ドイツ・レクイエム」。
昨年春の東響定期で聴いた「ドイツ・レクイエム」もとても良かった。まあ、音楽自体が素晴らしいので、どこが演奏したって、そこそこの及第点は取れると思う。

が、流石にこの組み合わせは響が違う。透明感と重厚さを併せ持っている。

隅々までブロムシュテットの感性が行き届いているのを感ずる。指揮者とオケは呼吸を一にして音楽を形作り、観客の呼吸もやがて同期して三者が一体となるという、稀な音楽体験を、ブロムシュテットの音楽では味わうことができるように思う。
そして、ブラームスの革新的レクイエムの美しさに浸ることができる、至福の85分。

ちょっと残念なのは、終曲してもブロムシュテットはかなり長い時間(タクトは持たないので)手を降ろさず、壮大な音楽の余韻を残した(後日の録画放映で測ったら、30秒も微動だにせず、やがて得心したように終わりの合図の印に頭を少し動かした。やはり、ブロムシュテットにとってこの音楽を締めくくるにはそれだけの時間が必要だった。)。
しかるに、慌て者がもう辛抱できないという感じでわずかに早いタイミングだがフライングの拍手をしてしまったのが残念だった。録画ではブロムシュテットの頭の動きと拍手の第一拍は重なっているように聴こえるが、これは後日の編集ではないかと思う。その場の雰囲気としては残念なフライングとしか聴こえなかった。明らかに3者一体の呼吸を乱した。


2017-179/♪NHKホール-11

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 創立275周年記念ツアー 横浜公演

2017-11-09 @みなとみらいホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
レオニダス・カヴァコス:バイオリン*

ブラームス:バイオリン協奏曲ニ長調 op.77*
シューベルト:交響曲第8番ハ長調 D.944「ザ・グレート」
--------------
アンコール
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第3番第3曲サラバンド*

前回、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を聴いたのは昨年の3月だから、こんな短い期間で再度聴けるとは思っていなかった。13日にもNHKホールで聴くので、今年は大当たりだ。

前回はマタイ受難曲で、これはもう至福の時間だった。

今回は別種の楽しみがある。
指揮のブロムシュテットの魅力だ。N響定期などで何度か聴いているが、昨年末の「第九」は実に素晴らしかった。彼の手にかかるとN響が普段のN響とはだいぶ違う音楽を演るのだから不思議だ。
そして、プログラムも魅力だ。今回は、オーケストラの魅力を存分に味わえるブラームスとシューベルト。独奏バイオリンのカヴァコスはTV放送を録画して聴いただけだが、かなりの売れっ子らしいからこれも楽しみ。

さて、ブラームスはカヴァコスが熱演だった。席も特等席だから、ソロ・バイオリンの音圧もオケに埋もれることなく、ビンビン響いてくる。ブラームスのギリギリ抑制した情緒・情熱に呼応して、いやその抑制を突破するが勢いで、惹きつけられる。
アンコールではJ.S.バッハの無伴奏曲の一部をサラッと弾いたが、本番でエネルギーを消耗したか、終演後に予定されていたサイン会は中止になった。まあ、そうかもな、と納得させた。

ブラームスも、シューベルトでも同様だが、ゲヴァントハウスの響は力強く、それでいて弦は繊細で透明感を保っている。昨年のN響「第九」でも感じたが、「神は細部に宿る」ごとく、フレーズの隅々までに神経が行き届いた精緻なアンサンブルだ。そして響は厚い。ブロムシュテットとゲヴァントハウスという紛れもなく世界一流の組み合わせで大好きなシューベルトの「ザ・グレート」を聴けたことのなんという幸せなことか。

また、みなとみらいホールの響が実によろしい。素晴らしい音楽が素晴らしい音楽空間にこだまして、これは得難い音楽体験だった。

♪2017-175/♪みなとみらいホール-42

2016年12月25日日曜日

N響特別公演「第九」~N響創立90周年記念~

2016-12-25 @NHKホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

ソプラノ:シモーナ・シャトゥロヴァ
アルト:エリーザベト・クールマン
テノール:ホエル・プリエト
バリトン:パク・ジョンミン
合唱:東京オペラシンガーズ

ベートーベン:交響曲第9番ニ短調 作品125 「合唱付き」


今年の「第九」の4回目。
ブロムシュテットの指揮でN響を聴くのはこれが3回目。
ベートーベンの作品は前回の交響曲第2番とピアノ協奏曲第5番に次いで2回目の3曲め。
前回の印象では奇を衒わない正統派ドイツ音楽という印象を受けた。

今回は席も良かった。1階席のど真ん中やや前方。楽器の原音と残響とがうまく混じり合って大迫力なのに各パートの音が明瞭に聴き分けられる。そういう事情も手伝ったのだと思うが、音楽の細部がきちんと伝わってくる。
ベートーベンの交響曲、特に「第九」は細かなパーツを丁寧に積み重ねられた大伽藍だ。パーツの各面が正確に磨き上げられていなければ積み上がった構造物も隙間ができぐらついてしまうが、ブロムシュテットのN響に対するトレーニング〜指揮ではまさにどのパートも磨き上げられて美しく響き、積み上がって大伽藍を構成した。

「神は細部に宿る」という言葉を思い浮かべていた。
全曲を通じて、これほどに幸福感を味わいながら音楽を聴く事ができたのは得難い経験だ。

合唱隊だけでなく声楽ソリストも最初から舞台に上がった。それで、楽章間にソリストの入場で音楽の緊張感が損なわれることがなく、しかも、第3楽章が終わると、ほんの一呼吸置いただけで終楽章に雪崩打ったのには胸のすく思いがした。

N響の演奏は、常に上出来とは限らない。しかし、前回の「カルメン」全曲に続き「第九」でもさすがに日本を代表するオケだと感じさせてくれた。

2016-184/♪NHKホール-13

2015年9月26日土曜日

N響第1816回 定期公演 Aプログラム

2015-09-26 @NHKホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
ティル・フェルナー:ピアノ*
NHK交響楽団

ベートーベン:交響曲 第2番 ニ長調 作品36
ベートーベン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」*

前回の定期公演は6月だったので、夏のシーズンオフを挟んで定期としては久しぶりだ。なんとなく、帰るところに帰ってきた、という落ち着きと、いよいよ始まるという期待感がある。

今月から、パーヴォ・ヤルヴィーが正式にN響の首席指揮者に就任する。もっとも指揮台に立つのは10月からだが、シーズンとしてはヤルヴィ-N響の始まりだ。

今日のコンマスは伊藤亮太郎。
確か、この4月からコンマスになった人で、多分、これまでステージでは一度も見かけなかったひとだ。堀正文が名誉コンマスに昇格したので順送りの芋づる式に昇格したのだろう。あるいは、4月から次期シーズンでのコンマス就任が予定されていたのかも。


ブロムシュテットは、好々爺の風情だ。飄々とした指揮ぶりだけど、手堅いという印象を受ける。

最初に交響曲第2番。
ピアノ協奏曲とのカップリングなら通常は交響曲のほうがトリになるけど、今日の組合わせだとやはり堂々として演奏時間も若干長い「皇帝」がふさわしいという判断だったのだろう。

この第2番て、全9曲あるベートーベンの交響曲の中で、一番聴く機会のない曲だ。奇数番は第1番を除いていずれも超有名。1番だって、そこそこ聴く機会がある。
偶数番は6番がダントツだけど、8番も4番もそこそこ聴く。

なことで、2番は個人的には一番馴染みの少ない曲だったが、今回、予習で聴き倒した感があり、随分馴染みの曲になった。

ベートーベンの音楽史的には前期の最後に位置し、次の年に第3番「英雄」が完成して中期が始まる。
…と説明されることが多いが、この時代区分による作風の違いについてはよく分からない(後期では最後のピアノソナタの3曲や12番以降の弦楽四重奏曲など、随分内省的になっていて前期とは様子が異なることはよく分かるのだけど。)。

何しろ、第1番でさえハイドンの作品とはずいぶん様子が違う。
一歩進めた第2番は一層「英雄」に近づいていて、構造物としても重厚さが漂う。
既に全篇ベートーベン印が飛び散っている感あり。面白い。

この日は、正規の日曜日の席を前日に振り替えてもらったので、席が異なり、少し上手側から聴いたが、同じ3階席前方なので、響に変わるところはなかった。
NHKホールは音が悪いともっぱらの評判だが、確かに、エアポケットみたいな場所が最前列~以外にもあるのかもしれないが、3階の少なくとも前方ではよく響いてくる。舞台後方の反響板の上から、館内の最後部まで、大きな波のうねりのような天井が一体となって続いて、オーケストラの音を運んでくるように思う。
2階席も少なくとも3階席の庇を被らない場所ではよく響く。
それで、僕は自分の指定席に満足しているのだけど、まあ欲を言えば、前回のサントリーホールでのN響の響はめったに聴けるものではなかったことは確かだ。

ピアノ協奏曲「皇帝」はいつもながら絢爛豪華だ。聴き応え十分。
ただ、ティル・フェルナーは何回か音を外していたやに思うが聴き取れなかったのかもしれないが。
ま、少しくらい音を外したって、それより勢いが大切。
大いに盛り上がってよかった。

今日の演奏が、いずれ「クラシック音楽館」で放映されるはず。
その時にじっくり反芻してみよう。


♪2015-93/♪NHKホール-08

2014年9月28日日曜日

N響第1789回 定期公演 Aプログラム

2014-09-28 @NHKホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

モーツァルト:交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 作品74「悲愴」


今日は、ほぼ満席。こんなに客席が埋め尽くされたのは初めての経験。自席の周囲でいつもは空いている席も埋まっていた。
9月から新シーズンということで、定期会員の数が増えたのかもしれないが、おそらく、一時的なものではないか。

まずは、ブロムシュテット人気だ。
そして、演奏曲目の人気だろう。

シーズン幕開けの3つのプログラム(ABC)はいずれもヘルベルト・ブロムシュテットの指揮で、モーツァルトとチャイコフスキーの最後の3つの交響曲の組み合わせだ。

Aプロはモーツァルト41番ジュピターとチャイコ6番悲愴。
Bプロは同じく39番と4番。
Cプロは40番と5番。
演奏会の日程はB-C-Aの順番だから、曲目も番数の順番になっている。

全日程を聴く人も少なく無いだろう。僕も追加でCプロを聴きたかったが、行事がダブってダメだった。
この3つのプログラムのうちどれか一つと言えば、多くの人は両天才の最後の傑作のカップリングを選ぶだろう。

多分、そんな理由で大観衆になったのではないか。
いつにない熱気があった。

ブロムシュテットは昨年も同じ時期に(ABCプロで連続して)ブラームスを取り上げ、これが昨年のN響コンサートの人気投票ベスト3を独占したという。
僕は生では聴いていないけど放送されたものを全部録画して聴いた。交響曲1番だけ抜けているのは(演奏会が3日間)残念至極だけど、ちょっとした宝物だ。


さて、モーツァルトとチャイコフスキーの組合わせって、前日のモーツァルトとレスピーギの組合わせと同じで、変に思う。
しかし、プログラムの解説では、ブロムシュテット自身が「チャイコフスキーはモーツァルトを敬愛していた~からチャイコフスキーを演奏するときはモーツァルトを意識しなければなりません。チャイコフスキーの作品は、速いテンポの大音量で演奏されることがしばしばです。チャイコフスキー自身はそういった大げさなことは嫌いでした。根本的には古典派なのです。」と語っている。

なるほど。
昨日、日フィル定期のアンコールで聴いたモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」はリスト編曲のピアノ版だったが、チャイコフスキーも管弦楽組曲に編曲しているそうだ。

録画しておいた「らららクラシック」が偶々チャイコの再放送で、ここでも、少年時代にオーケストリオンという自動演奏装置によって、モーツァルトのオペラを夢中になって聴いていたと紹介していた。

ま、2人に強固なつながりはあるようだ。
でも、モーツァルト以降の作曲家にとってモーツァルトの影響を受けなかった人はいないだろうし、どうも肌に合わないという人もいないだろう。

チャイコが「敬愛」を超えて、作曲技法など技術的な面でもモーツァルトを取り込んでいるのかどうかは分からない。

ブロムシュテットの指揮ぶりは「ジュピター」も「悲愴」も平凡なる耳にはフツーに聴こえた。
それで十分で、フツーが一番安心だ(時にはフツーでないのを聴いて感動するときももちろんあるけど。)。

チャイコは<大音量で速く>は良くないそうだし、<古典派>っぽいチャイコに不安があったけど、実際に始まってみると全然そういうことは感じない。
キビキビした演奏がまずは印象的で、安心して音楽に身を任せられた。


「悲愴」の終曲は長い休止が続いた。
ブロムシュテットは指揮棒を止めたまま降ろさない(この様子は放送されるだろうか。)。
チャイコの世界から現実世界に戻るにはだいぶ時間を要した。
しかし、観客席も水を打った静けさで息を呑んでブロムシュテットの呼吸に合わせている。
ようやくタクトが完全に降りたや否や、3千人以上入ったホールは割れんばかりの拍手喝采の嵐に包まれた。これはお義理の拍手ではない。敬愛、感謝、感動が音を立てているのだ。
今日の目的はこの時にあるとばかりの歓声も混じってものすごく、ブロムシュテット人気を実感した。

ご本人、御年87歳のはず。
温厚な好々爺然とした風貌だが、指揮棒を握っている姿はとてもエネルギッシュだ。
自身、とても演奏には満足の様子で、カーテンコールには何度も応え、団員たちとの握手を繰り返し、団員からも熱い拍手を送られていた。

こういう瞬間が、コンサートでは時に音楽以上に感動的だ。
昨年もそうだったのかもしれないが、鳴り止まない拍手に、団員が引き上げた後、椅子だけが並んだステージに呼び出されて歓声に応えてくれた。

こうしてブロムシュテットの神話が作られてゆくんだなあと思った。
その時を共にしたことをうれしく思った。

♪2014-89/♪NHKホール-04