2014年6月30日月曜日

みなとみらいクラシック・クルーズ Vol.57 MMCJ講師たちによる室内楽

2014-06-30  @みなとみらいホール


ジェニファー・ギルバート(バイオリン)
ハーヴィー・デ・スーザ(バイオリン)
柳瀬省太(ビオラ)
鈴木学(ビオラ)
ニコラ・アルトマン(チェロ)
エリック・キム(チェロ)

司会:大谷直人

チャイコフスキー:弦楽六重奏曲 ニ短調 op.70 ≪フィレンツェの思い出≫

MMCJ(ミュージック・マスターズ・コース・ジャパン)というのは、指揮者の大友直人とアラン・ギルバート(この人も指揮者)が創設した国際音楽セミナーで、世界中から集まった若い演奏家たちが、トップクラスの演奏家を講師に室内楽とオーケストラを学ぶセミナーらしい…

ということを、冒頭、司会代わりに登場した大友直人の解説で知った。

今日は、その講師陣によるお披露目演奏会だ。
あいにく知った名前は1人もいないけど、いずれも世界各地のオーケストラで各パートのソロ~首席クラスらしい。
演奏技術だけではなくアンサンブルの面でも練達の士のようだ。

昨日も同じ場所でチャイコフスキーのピアノ三重奏曲を聴いたが、今日は弦楽六重奏曲だ。

チャイコは、ピアノトリオも弦楽六重奏曲も各1曲ずつしか作曲していない。前者は友人の追悼音楽として、後者は某室内楽協会の名誉会員に選出してもらったことへの返礼として作曲されたというから、そもそもこういうスタイルには乗り気ではなかったのだろう。

偶々フィレンツェに滞在中に作曲したので、「フィレンツェの思い出」と副題が付いた。

イタリア滞在中にしては不似合いな短調で、いきなり挑みかかってくるようなメロディーで始まる。
全4楽章にわたって、ピアノトリオに見られるような悲愴的で甘美な旋律は影を潜めている。
どの楽章も安易に胸襟は開かぬといった姿勢で、曲調もコロコロ変化して構造も複雑な感じだ。
もちろん、ところどころにチャイコ印がチラチラ顔をのぞかせるが。

この六重奏曲はチャイコにとっては晩年(1893年〈50歳〉。53歳で逝去)の作で、室内楽としては最後の作品だそうな。
ピアノトリオのほぼ10年後になる。

精神性が一段と高みに辿り着いたようで、おそらく、何ものにも縛られずに思い切り自由に、感性の赴くままペンを走らせたのではないかと想像してみる。



ベートーベンの弦楽四重奏曲も最晩年の12番以降はコロッと様子が異なり、ピアノソナタも最後の3曲はそれまでのものとは明らかに音楽の質が違うと思う。いずれも孤高を追求して自分のためだけに作曲したかのように思えてしかたがないのだけど、チャイコも六重奏の作曲ではそういう境地だったのではないか、とこれは素人の勝手な憶測。

弦楽六重奏曲は弦楽三重奏が二組という構成だから音の交わりが自然ですごくきれいだ。弦楽三重奏や四重奏では出せない厚みのある豊かな響がとても心地よい。

この曲を聴くときは、(現代の感覚に照らせば若くして)老境に至ったチャイコフスキーの精神性と立ち向かうような気迫が求められるように思う。

♪2014-66/♪ @みなとみらいホール-27

2014年6月29日日曜日

ビヨンド・ザ・ボーダー音楽祭2014「偉大な芸術家へ捧ぐ」

2014-06-29  @みなとみらいホール


鈴木理恵子(バイオリン)
上村昇(チェロ)
若林顕(ピアノ)

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番Cd BWV1009から
ベートーベン:ピアノソナタ第14番C#m Op27-2 「月光」
チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲Am Op50「偉大なる芸術家の思い出に」
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アンコール
ピアノ三重奏曲第2楽章から第6変奏曲ワルツ


僕がピアノトリオの魅力に目覚めたのは、多分、この作品に出会ったからだ。

単純なことだけど、第1楽章の主題が悲劇的に美しい(悲劇的楽章と名付けられている。)。
ピアノのアルペジオに乗ってチェロが歌いだし、バイオリンが引き継ぎ、両者のからみ合いが始まる。そして、ダメ押しのようにピアノが両手を使って力強くこの甘美で悲壮的なメロディーを印象付ける。たいていの人は、この序盤で惹き込まれてしまうと思う。

チャイコフスキーはピアノトリオという編成に違和感を感じて長く作曲しなかったそうだが、急逝したピアニストの友人(ルービンシュタイン)の追悼音楽として思いを新たにして作曲したらしい。


ピアノ三重奏曲としては構成が変則で2楽章しかない。
第1楽章はソナタ形式だが、第2楽章は主題と11の変奏のあと、最終変奏にコーダが付いて終わる。
その第2楽章だけで30分(全体で50分)という長さ。
そのうち最終変奏とコーダは12分位ある。

このような構成は、旧友ルービンシュタインというピアノの名人に手向けた作品だからであろう、とどこかで読んだ覚えがある。

この変奏曲形式の第2楽章こそ、作曲家にとって多彩な技の見せ所であり、変奏のカギを握るピアノが大活躍する仕掛けだ。
ルービンシュタインなら難なく弾きこなしたのだろうが、現代の優れたピアニストにとっても大変な難曲らしい。


さて、チャイコフスキーじゃないけどこの楽器編成というのはなかなかバランスとるのが難しいなあと感じた。
チャイコがこの作品を作曲した頃(1882年)のピアノがどんな性能を持っていたか知らないけど、現代のフルコンサートグランドの音量には遠く及ばないだろう。

よく鳴るピアノがよく響くホールでガンガン歌うとどうもバイオリンがひ弱に聴こえてしまう。そういう部分が何度かあったが、聴き方が悪かったかもしれない。

そういう難点は感じたのだけど、この曲を生で聴く機会はなかなかない(今回初めて)し、あらためてチャイコフスキーの渾身を感ずることができて良い勉強になった。

♪2014-65/♪ @みなとみらいホール-26

2014年6月28日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第661回東京定期演奏会

2014-06-28  @サントリーホール


ピエタリ・インキネン[首席客演指揮者]
日本フィルハーモニー交響楽団

シベリウス:交響詩《夜の騎行と日の出》 作品55
マーラー:交響曲第6番イ短調《悲劇的》

シベリウスの作品はお初だった。CDも持っていないし、放送でも聴いた覚えがない。
最初から最後までシャカシャカとリズムが刻まれて、急き立てられるような音楽で、なるほど、馬で夜を駆けるのだろうが、最終盤に至って少しゆったりした、と思ったらもう夜が明けて終わりだった。

同じ交響詩の「フィンランディア」や「トゥネラの白鳥」に比べると馴染みのないせいもあるだろう。今回は楽しめなかったが、次回聴く機会があればどんな印象だろうか。


本日のメインイベントは、前日に引き続きのマーラーだ。
前回のサントリーホールもマーラー(東京交響楽団で第9番)だった。これが実に良かった。
また、6番については3月にやはり神奈川フィル+金聖響の退任記念演奏会で聴いて、これも素晴らしかった。

なにより、前日の神奈川フィルの「復活」があまりに凄かったので、どうしても期待は膨らむ。

しかし、大きすぎる期待が邪魔をしたか、なかなか音楽に没入できないのには弱った。体調がイマイチだったせいもある。何やら朝からシャキッとしていなかった。
「悲劇的」も十分「刺激的」な曲なのだけどそれが伝わってこないのはどうしたものか…と考えながら聴いていると余計に気持ちが音楽から遠ざかってしまう。

さりとて決してつまらない訳ではなく、日フィルは長大な音楽を十分緊張感を持って演奏し切ったと思う。
終曲のタクトが止まって暫時の沈黙を経て会場は割れんばかりの拍手とブラボーの合唱。これは大曲をともに共有できたという喜びのほかに、若い指揮者への激励もあったろう。

〈ピエタリ・インキネン〉
胸を打たれる、というような高揚感は得られなかったけど、これは最近の生々しい感動の記憶が引き算をしてしまったということだろう。

..あえて言えば、最前列で聴いている60歳前後と思しき男性。

顔を天井に向け目は閉じているが口はポカンと開いたまま。
右手が胸の前で手刀を切るように音楽に合わせて動き、時には両手を繰り出してさも指揮をしているような塩梅で完全没入している。
まるで脱法ハーブ状態だ。
そんな音楽の聴き方ってあるものか、と呆れて心中憎まれ口を利いていたのが、僕が没入できなかった原因の一つかもしれない。
もっと気の毒なのは隣席の紳士。いい迷惑で集中できていない様子がありありだった。

♪2014-64/♪ @サントリーホール-02

2014年6月27日金曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団第300回定期演奏会

2014-06-27  @みなとみらいホール


秦茂子(ソプラノ)
藤井美雪(アルト)
川瀬賢太郎(常任指揮者)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
合唱団:神奈川フィル合唱団

マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
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神奈川フィルみなとみらい定期演奏会の第300回という節目のコンサートで、取り上げられたのは、いかにもという感じの大曲。

プログラムには演奏(予定)時間85分と書いてある(手持ちのCDは1時間29分)。
とにかく、長い。当然休憩なしだ。

さて、「復活」はまずオーケストラが大編成なので、みなとみらいホールの大きな舞台でも手狭で、演奏者たちは舞台から零れ落ちそうなくらいだ。
ソプラノ・アルトのソリストは舞台上に立ったが、大合唱団の並ぶ場所がない。
そこで、舞台後方の観客席がすべて合唱団に占領されてしまった。

僕の神奈川フィルみなとみらい定期での指定席はこのP席なので、追い出されてしまった訳だけど、もちろん席はちゃんと確保してくれて、おまけにS席に取り替えてもらえた。
とはいえ、オケとの距離感はP席とほとんど変わらない。何しろ前から4列目だったから。

コンマスの正面。お陰で神奈川フィルのマドンナ(第2バイオリン首席)がコンマスに隠れて見えないという難点はあったが。



しかし、お陰で近代管弦楽とはこれだっ!と言わんばかりの強烈なサウンドを体験できた。冒頭のチェロが脂(ヤニ)を飛ばしてガリガリ弾きまくるのがアドレナリンを誘発する。

「復活」をナマで聴くのは(たぶん)2回めだが、初回(か前回か怪しい)が8年前で、その頃はマーラーには興味がなかったからか、日記には「復活」を聴いたということしか書いてない。
あまり感ずるものが無かったらしい。もったいないことをしたものだ。

しかし、今回は、マーラーをはっきりと見直した(とは横柄な!)。
巷間確立されている交響曲作家としての魅力は確かに、そして素直に聴き取った(ブルックナーとマーラーについてはかねてから屈折した思いがあり、いずれ整理してみたいと思うけど、なかなかその時間(能力)がない。)。


とにかく、今回の演奏会ではっきりしたことは、残念ながらマーラーやブルックナーはナマで聴かなくちゃ凡庸な耳には彼らの意図した音楽を聴き取ることができないということだ。

記念演奏会ということもあるだろうし、常任指揮者川瀬賢太郎氏にとって、就任以来指揮する最大規模で最長の作品ということもあるだろう。指揮者もオケのメンバーも気合が入っていた。
間近にコンマス(石田泰尚)を見ていたからその入魂ぶりは凄まじいものを感じたよ。


8年前の記憶は引き出せないけど、今回の「復活」は忘れられないものになると思う。

♪2014-63/♪ @みなとみらいホール-25

2014年6月20日金曜日

平成26年6月社会人のための歌舞伎鑑賞教室「ぢいさんばあさん」

2014/06/20 @国立劇場大劇場


中村扇雀
坂東亀三郎 
中村国生
中村虎之介
中村児太郎  
中村橋之助
      ほか

解説 歌舞伎のみかた   中村虎之介
                                 
森鷗外=作
宇野信夫=作・演出
ぢいさんばあさん  三幕
                   高根宏浩=美術
             川瀬白秋=箏曲    
       
  第一幕  江戸番町美濃部伊織の屋敷
  第二幕  京都鴨川口に近い料亭
  第三幕  江戸番町美濃部伊織の屋敷



1月近い興行の間に2日間だけ社会人を対象とした歌舞伎鑑賞教室が開かれる。と言っても、働いている人のために19時という遅い時刻から始まるという以外は、フツーの歌舞伎鑑賞教室(主として中高生などの団体観賞を意図している。)と変わるところはないし、社会人だからといって、学生用の鑑賞教室に入場できないという訳ではない。
でも、学生ばかりだと、大向うからの掛け声もないだろうし、それでは歌舞伎の雰囲気も出ないし役者もやりにくかろう。
そういうこともあり、今回は社会人のための鑑賞教室を選んだ。

最初に30分位だろうか、歌舞伎解説がある。
歌舞伎一般に関する基礎知識入門編だ。

緞帳が降りたまま客席が真っ暗になり、やがて、客席内から若々しい声が響きそこにスポットライトが当たった。
今日の説明役中村虎之介(扇雀の長男)だ。
よく通る声で、実に明るく愛想よく楽しそうに、歌舞伎の主要な表現方法や下座音楽を実演入りで見せながら解説し、普段は絶対に見られない黒御簾の中や、花道のすっぽん、直径20mもある廻り舞台の全景を見せてくれる。

歌舞伎鑑賞教室は過去の一時期は常連だったので、これらの裏方事情も初見ではないけど、歌舞伎の一舞台が大変な労力をかけて創りだされるということがよく分かって、疎かには観られぬと気持ちが高まる。
歌舞伎を初めて観る人にとっても、親しみを感ずるためにとても良い機会だと思う。

社会人のための鑑賞教室が今回の演目で2日間・2回しか上演されないことや、観劇料が破格に安いので、席はほぼ満席状態であった。

歌舞伎鑑賞教室は、観劇料が安価であるにもかかわらず、薄っぺらいけどプログラムも無料(一般公演の場合は800円。歌舞伎座は1200円!)で、希望者には台本まで無料で配られる。
しかも、橋之助・扇雀といった一流の役者の出演で、手抜きなしの本格的な芝居が観られるのは実にありがたいことだ。



「ぢいさんばあさん」は、おしどり夫婦(伊織=橋之助、妻るん=扇雀)の生き別れと再会の物語だ。
るいの弟久右衛門(虎之介)の不始末に代わって義兄の伊織が京都の勤務になったが、そこで、性悪の同僚を殺めてしまったことから、越前の某家に預かりの身になり、家禄も没収されたのだろう、るんは筑前某家に奥奉公をすることとなって、夫婦は生き別れ状態となる。

そうして37年が過ぎだ。
夫婦の一粒種はとっくに病気で死に、るんの弟も既に亡く、かつて伊織・るん夫婦が平安な日々を過ごした屋敷は久右衛門の息子夫婦が守りをしていた。

ようやく預りの身分が解かれた伊織は江戸へ戻ることになった。間接に連絡を受けたるんも暇を願い出て認められ、その日、七ツをメドに懐かしい屋敷に戻り、再会を果たす。


こういう物語をもし、テレビドラマにすれば30分で終わってしまうだろうが、歌舞伎は3幕、90分?をかけてじっくり見せる。

1幕と3幕は同じ夫婦の屋敷。
しかし、その間に37年が経過しているので、庭の桜も大きく成長している一方で、夫婦はすっかり老人となっている。

留守を守っていた若い甥夫婦の登場も、37年の時の経過を感じさせる(原作にはない)舞台劇ならではのうまい脚色だ。

滑稽味もあるが、夫婦の互いを気遣う心情や再会の喜びが観る者の共感を誘う。
るんが2人の再出発に当たって、2人の息子の墓参りと伊織が切った同僚の墓もお参りしましょう、と言うところがしんみり泣かせる。
たまたま先日観た邦画「ここのみに光り輝く」でも似たようなシーンが感動的だったので、両者がダブって余計に胸を打った。

歌舞伎はすべての所作が踊りのように滑らかで丁寧で、どの瞬間を切り取っても芸が息づいていると思うが、橋之助と扇雀の穏やかな、そしてピッタリと呼吸を合わせた掛け合いに、至福の時を感じた。

帰りの東京駅までのバスの中では、あゝ、そのうちどちらかが要介護認定を受けるんだなあなどと厳しい現実を思い起こしてしまったが。

♪2014-62/♪国立劇場-03

2014年6月18日水曜日

横響第655回定期演奏会

2014-06-18 @県立音楽堂

竹澤勇人(ピアノ)
飛永悠佑輝指揮:横浜交響楽団

【国民楽派の音楽】<伊福部昭生誕100年>
伊福部昭(1914~2006):交響譚詩
グリーグ(1843~1907):ピアノ協奏曲イ短調 作品16
ドボルザーク(1841~1904):交響曲第9番ホ短調 作品95「新世界より」
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アンコール(ピアノソロ)
レスピーギ:3つの小品から「ノクターン」


前回の4月定期は東響のコンサートとバッティングして行けなかった。5月はそもそも定期演奏会がなかったので、3ヶ月ぶりの横響定期。

伊福部昭は、今年生誕100年ということもあって、いくつかの演奏会が彼の作品を取り上げているようだ。NHKでもドキュメンタリーを放送していた。

伊福部といえば「ゴジラ」を始めとする映画音楽で有名だけど、純粋器楽・声楽曲も多数作曲しており、いくつかは作曲コンクールで優勝するなどクラシック界からもその才能は認められている。

音楽は独学で、いまでいう農水省の官吏をしながら作曲の勉強をしたそうだ。そのためかどうか知らないが、西洋古典音楽理論を無視した作曲法で、正統派からは難色を示されたそうだが、21歳の作曲「日本狂詩曲」は、かえって外国人の耳には新鮮だったようでフランスで賞を得ている。

今日の「交響譚詩」はその「日本狂詩曲」の一部を取り込んで29歳で発表され、これも国内で賞を受けた。

2楽章形式で、ほとんど全体が変拍子の明確で強力なリズムで出来上がっている。あまりメロディアスではないが、歌われるのは、日本の古謡の音律(ヨナ抜き音階)に依っているようだ。

彼自身が(先日のTVドキュメンタリーで)話していたが、ストラヴィンスキーを聴いて、これなら自分もできると思ったそうだが、確かに、和風「火の鳥」のようでもある。

第2楽章(第2譚詩)には、後の「ゴジラ」の音型が顔を出すのがご愛嬌。

「譚詩」は「バラード」の訳語だそうだけど、現代の「バラード」が持つ意味(恋愛風味)とは異なって、本来の物語詩的な内容や雰囲気を音楽で表現した作品であった。



グリーグのピアノ協奏曲でソロを弾いたのはまだ高校2年生の竹澤勇人くんだ。
2012年に開催された第66回全日本学生音楽コンクール中学生の部で2位入賞し、横浜市民賞も受賞したのが縁で、今日の舞台につながった。

こういうキャリアを積んできた若者が如何に高度なテクニックを持ち、音楽性を備えているかは、もうずいぶんといろんな才能のある若い芽を聴いてきているので、驚きもしないのだけど、まあ、上手なものだ。
県立音楽堂は、残響が非常に少ないホールなので、フルコンサートグランドの鋭くきらめくような音がモロに響いてきて心地よい。

オケとの協奏部分で、少し呼吸が合っていないような部分もあったけど、プロでもそういうことはあるので、どうってこともない。むしろ、自分なりの音楽を主張したのかもしれない。

協奏曲が終わって数回のカーテンコールに引っ張りだされた後、アンコールとしてピアノソロで弾いたのがレスピーギで、えらく渋い選曲に驚いた。


さて、メインベントは「新世界*」。
この曲、「運命」、「未完成」と並んで、三大交響曲などとして括られることが多く、確かに多くの古典音楽ファンはこれらの交響曲からクラッシックの世界に入門することが多いだろう。

それからベートーベンやシューベルトの他の作品に興味が広がり、シューマンやブラームスに分け入る。ブルックナーやマーラーに目覚める人もいるだろう。

そうして、「新世界」を忘れてしまうというか、もう卒業した気になってしまうのではないか。
というのも、僕がまさにそういうことだった。
いわゆる「名曲コンサート」の類では取り上げられるけど、定期演奏会でなければわざわざ聴きに行きたいという気持ちはすっかりなくしていた。CDを回すこともなく、「新世界」を聴く時間があれば他の作品を聴きたい。
それにそもそもドボルザークという作曲家は「天才性」を持っているのだろうか?という疑いは今も払拭できないでいる。

そんな訳で、これまで「軽め」にみていた「新世界」だったが、3月ぶりに聴く横響の、腕を上げたように思える弦の熱演もあって、目からうろこの文字どおりの「新世界」が展開された。

一番有名な第2楽章。「家路」として子供の頃覚えたメロディー。
下校の合図だったり、デパートの閉店音楽として耳タコなのだけど、いやあ今回はしんみりと聴きました。
ヨナ抜き音階(厳密には違う。でもよく似ている)風の、何故か万国共通のノスタルジーを感じさせるメロディーだ。
ドボルザークも、新世界(アメリカ)からチェコを懐かしんで作曲したのだろう。

この有名なテーマは冒頭短い序奏を経てイングリッシュホルンが哀愁に満ちた音色で提示するが、終曲間際に(CD観賞だと分からなかったが)、弦5部が2人ずつでこのメロディーの前半を奏で、後半はバイオリン、ビオラ、チェロの3人だけで引き継がれる部分があって、ここがまた一入泣かせてくれる。

アマオケ時代には演奏した機会がなかったが、高校の吹奏楽でこれをやったことがあったので、そんな昔の頃もあれやこれや思い出され、万感胸に迫り、心に滲みた。

やはり、世間が「名曲」というのは素直に認めなくちゃいかんなあ。

横響の弦が腕を上げていたように思った。
神奈川県立音楽堂というソリッドな音響空間ではピッチが合っていないと非常によく目立つのだけど、今回はほぼ一糸乱れず。
特に低弦は第一楽章冒頭を綺麗に揃えてスタートできて、その後も目だった破綻もなく全曲を支えていたように思う。

*英訳はFROM THE NEW WORLDなので、「新世界から」と訳すべきだけど、世間では「新世界より」の方が大手を振っている。
「より」は本来比較・原因などを表し、物事の起点を表すには「から」を使うべきだと僕は頑固を通している。


♪2014-61/♪県立音楽堂-10

2014年6月8日日曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第98回

2014-06-08 @ミューザ川崎シンフォニーホール



三浦文彰(バイオリン)
垣内悠希指揮東京交響楽団
大谷康子(ソロ・コンサートマスター)

メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」 序曲 作品21
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番  ト短調 作品26
ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 作品68
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アンコール(バイオリンソロ)
アンリ・ヴュータン:アメリカの思い出「ヤンキー・ドゥードゥル」作品17



なんか最近「真夏の夜の夢」の名前を目にすることが多いなあと思ったら、シェークスピアの生誕450年だそうな。

メンデルスゾーンの劇音楽「真夏の夜の夢」は「結婚行進曲」(を含む全12曲)で有名だけど、今日の序曲はその劇音楽版の元となった作品で序曲というが、単独完結作品だ。

どおりで、ところどころに耳に馴染んだ旋律があったけど、全体としては初めて聴いたかもしれない。
メンデルスゾーンは僕にとってハイドンと同じく、生意気にも若い頃は軽く見て、熱心に聴くことはなかった(いったいどうしてそんな不遜な態度をとることができるんだろうと、我ながら呆れるけど。)。

しかし、何がきっかけだったか(たぶんグレン・グールドのCDの中にメンデルスゾーン再発見があったように思う。)、思いを改め数年前にこれまでの非礼を詫びて、全作品集という40枚組を買った。でも、それはほとんど手につけていない。以前から持っていたものばかり聴いているけど、いずれはメンデルスゾーンの全作品を聴き倒し!てみたいものだ。


ほぼ1週間前にブルッフのバイオリン協奏曲を読響で聴いた。
とても良かったので、あれを超えることはあるまい、と思いながら初めて聴く三浦文彰クンの演奏を聴いたが、こちらもなかなかのものだ。

彼は2009年のハノーバー国際コンクールで史上最年少の16歳で優勝したそうで、そういえば、そんなニュースを聞いた覚えがあった。てことは現在21歳前後か。まあ、とにかく若い。

ブルッフの協奏曲は大いに楽しめた。
しかし、アンコールに応えて弾いたアンリ・ヴュータンが作曲したバイオリン無伴奏曲「ヤンキー・ドゥードゥル」が技術的には超絶技巧を要する曲と見えたが、楽しそうに弾きこなして観衆をびっくりさせた。


話がずれるけど、そもそも、アンリ・ヴュータンなる作曲家が初耳で、現代の作曲家だろうと思っていたが、帰宅後調べてみたら1820年生まれで、フランク、スメタナ、ブルックナーとほとんど同時代だった。
この時代の作曲家で、今もコンサートに取り上げられる作曲家を知らなかったなんて、軽い衝撃だ。
まあ、深追いはするまい。
ただ、「ヤンキー・ドゥードゥル」は本来はピアノとバイオリンのための作品のようだけど、三浦クンは、ピアノ無しで弾いた。あるいは、初めから無伴奏のバージョンもあるのだろうか。

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休憩を挟んで、本日のメインディッシュはブラームスの1番。
読響でブルッフのバイオリン協奏曲を聴いた時のメインディッシュはブラームスの2番だったから、よく似たプログラムになったが、同時代(ブラームスが5歳上)の同国人で、ともにドイツロマン派として類似性が高いから、カップリングとしては好ましいのだろう。

因みに両者の作品リストを見比べると同じような形式の作品群が並んでいてその類似性に驚く。もっともブルッフは今に残る作品があまりにも少ないが。


ブラームスの1番。
彼の交響曲の中ではそれこそ1番に好きになった曲で、ブラームスが完成までに20年余をかけ、43歳にして完成させたという遅咲きの大輪だ。

第1楽章はティンパニーのドンドンと規則正しい響に乗って、C-C#-Dという半音上昇形を基本に弦と木管がうねるようなメロディーをチラチラ見せながら、決して高らかに歌い上げることは無く、時々小爆発を繰り返し、余韻を残して終わる。
先日聴いた2番がD-C#-Dという音型に依っているのとよく似ている。

第2楽章は古典派では歌うような緩徐楽章である場合が多いが、ブラームスではあまりカンタービレにはならない。短いオーボエソロと後半1/3くらいかなバイオリンソロ(コンサートマスターによる。今日は大谷康子だった。)にややそれらしいメロディーが出てくるけど、伸びやかな歌心は感じられず。全体に散文的。これは4楽章全体を構想しているからだろう。

第3楽章。本来スケルツォだけど、前楽章が3拍子だったせいか、ここは2/4。割と調子の良い、分かりやすい音楽だ。
第4楽章のテーマがちょっと顔をのぞかせることで、全曲の構成感を高めている。

第4楽章。ハ短調の重苦しいような長い序奏部がクネクネ続いて、一転ハ長調に変わり、ようやくまことに明るくて分かりやすい第1主題が登場するが、これが実に正統なドイツ歌曲のような気がする。これをベートーベンの第9番の「歓喜の歌」に喩える説明もよく目にするがもっともだと思う。
ソナタ形式だが展開部を欠く代わりにこの主題が姿を変えては何度か登場し、小クライマックスが来て、ようやく最後の1分強が2/2にテンポを変えて怒涛のクライマックスだ。

ブラームスなら手放しというわけでもない。例えば弦楽六重奏曲第1番(27歳の作品)は大好きだけどラストに構成感の不満があるが、交響曲第1番はさすがに20年余をかけ、満を持して発表しただけに、前半のもやもやを全て受け止めて高らかにドイツ音楽ってこれです!という感じで50分近い大曲を堂々と締めくくって大いなるカタルシス。
ハ短調に始まってハ長調に終わり、まさにベートーベンの第9番「苦悩を通じて歓喜に至れ」の再現だ。「第10番交響曲」と言われる所以なり。

ところで、この作品におけるティンパニーの使い方は実に効果的だ。

ひょっとして、ティンパニー付き管弦楽作品中屈指ではないだろうか…とは言い過ぎかもしれないので、これからもオーケストラを聴く際にはティンパニー活躍度にも関心を持って聴こうと思う。

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枝雀は落語を「緊張と緩和」で説明していたけど、時間芸術は基本的にそういうものだ。音楽に特化して言えば、意味は同じだけど「溜めと解放」とという表現の方がピッタリ来る。
ブラームスの音楽(シューマンも)はとりわけ、そこが妙味になっているように思うが、見当外れかも。


指揮の垣内悠希は昨年秋に神奈川フィルでやはりブラームスの3番を聴いているが、その時の印象について、鑑賞ノートはなんにも具体的なことを書いていなかった。その日の興味はほかのところにあったからだろう。

この人もまだ若く36歳くらい。輝かしいキャリヤを積んでいるが、まだまだ音楽性に磨きをかけるんだろう。
ブルッフもブラームスもとても惹き込まれた。

♪2014-60/♪ミューザ川崎シンフォニーホール04