2018年4月28日土曜日

華麗なるコンチェルト・シリーズ第5回 石田泰尚〜カリスマ・バイオリニストのConcerto!〜

2018-04-28 @みなとみらいホール


阿部未来:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
石田泰尚:バイオリン*

ワーグナー:歌劇「ローエングリーン」第1幕への前奏曲
ハチャトゥリアン:バイオリン協奏曲ニ短調*
ベートーベン:バイオリン協奏曲ニ長調 作品61*
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アンコール
クライスラー:美しきロスマリン*(+弦楽5部首席)
シューベルト:アヴェ・マリア*(無伴奏)

華麗なるコンチェルトシリーズ(年4回)が去年から始まっていたのは知っていたけど、いくつかダブりがあって、買わなかったが、今年のシリーズは見事に4回とも重ならないのでセット券で買った。

その第一弾が石田泰尚のバイオリン協奏曲2本立てだ。

石田は神奈川フィルのソロ・コンマスで2001年からその地位にあるから、神奈川フィルの顔であり、オケ以外にも室内楽活動も盛んに行っている。ファンが多く、大抵、彼が出演するとチケット完売だ。

「音楽の友」4月号が発表した3年に一度の読者人気投票では、なんと、<日本のバイオリニスト>の中では石田は10位だというのがびっくりだ。いやいやそれ以上に<世界のバイオリニスト>の中でも20位だというのには愕然となった。音友の読者層って、横浜中心なのか?いくらなんでもこれほどまでも上位に位置するとは思えない。あくまでも人気投票なので、いい加減なところはあるだろうけど。
ついでに書きておくと、この華麗コンの全回の管弦楽担当が神奈川フィルだが、このオケが、音友の投票では<日本のオケ>ではなんと4位だと言う。都響、東フィル、読響、新日フィルなどよりも上位にランクしているのも不思議な事だ。
加えて<世界のオケ>の中でも15位にランキングされている。ここでは、<日本のオケ>では神奈川フィルより上位の日フィルが20位内にも入っていないし、同じく神奈川フィルより一つ順位が下の都響が<世界のオケ>で3位というのだから訳が分からない。

あくまでも人気投票だし、確か、好きな奏者・オケを5人(団体)まで選ぶ方式なので、こんな矛盾した結果が生まれるのだろう。

<人気投票>では厳密なことは言えないまでも、少なくとも、バイオリニストとして石田泰尚は日本で一流のランクにあり、神奈川フィルも人気としては我が国のトップレベルにあるということだ。

で、その両者が組んだ2曲のコンチェルト。
ハチャトゥリアンの”バイオリン協奏曲”は初聴きだった。しかし、1年余前にランパルがフルート版に編曲したものを聴いていた…ことを帰宅後思い出した。原曲のバイオリン版より、こちらの方が有名かもしれない。
第1楽章、第3楽章はとてもリズミカルだ。挟まれた第2楽章がエキゾチックでメランコリー。演奏に34分前後要し、オーケストラの編成もかなり大きな本格的な協奏曲で、味わい深く、十分楽しめる。もっと演奏機会が増えても良さそうだが、この華麗コンのように、一度に2曲以上協奏曲を演奏するのでなければ、さほど知れ渡った作品でもないので単独では取り上げにくいのだろう。

ベートーベンも堂々たるもので、とても良かった。

予てから、石田泰尚のバイオリン・ソロは何度も聴いているが、その音色が繊細で美しいのだけど、野性味に欠ける。
今回もハチャトゥリアンのカデンツァなど重音奏法の部分などはもっとガリガリと脂を飛ばしてもいいのではないかと思ったが、全体を聴き終えると、やはり、この繊細さが彼の持ち味で、どんなに速いパッセージでも一音一音に磨きをかけようとしているのだろう。それが彼の音楽である、と受け止めると、一つのスタイルとして納得できる。

バイオリン・ソロも良かったが、神奈川フィルも素晴らしい出来だった。
今日の指揮は阿部未来クン。彼は2015年度から副指揮者を勤めているが、定期演奏会には一度も立ったことがないから、指揮ぶりを見るのは初めてだったが、うまくコントロールしていたのではないか。こう言っちゃ何だが、メンバーも必ずしもエース級を欠いた編成だったが、弦の音もきれいだし、まとまりが良くて実に心地よい演奏だった。
ソロ・コンマスが独奏に立っているので、今日のコンマスは﨑谷君かと思っていたが、コンマス席に座っていたのは見慣れぬ若い女性だった。終演後関係者に尋ねたら日本センチュリー交響楽団のコンマス・松浦奈々という人だった。はっきりした動作で役割を果たしていたのではないか。

♪2018-048/♪みなとみらいホール-14

[参考]
「音楽の友」2018年4月号人気投票結果
◎世界のオケ⇒
  1ウィーン・フィル、
  2ベルリン・フィル、
  3N響
  4R・コンセルトヘボウ、
  5都響
  6NYフィル、
  7バイエルン放送響、
  8ロンドン交響楽団、
  9パリ管、
10ドレスデン・シュターツカペレ、
11チェコ・フィル、
12東響
13ボストン響、
14ミラノ・スカラ座管、
15神奈川フィル(日本オケで4位)

◎日本のオケ⇒
  1N響、
  2日フィル、
  3東響、
  4神奈川フィル
  5都響、
  6東フィル、
  7読響・新日本フィル(同順)、
  9大阪フィル、
10札響

◎世界のVnist⇒
1五嶋みどり
2パールマン、
3クレーメル、
4ハイフェッツ
5ムター、
6諏訪内晶子
7オイストラフ
8五嶋龍
9イザベル・ファウスト、
10庄司紗矢香
11グリュミオー
12スターン
13ツィマーマン、
14ヴェンゲーロフ、
15キュッヒル、
16レーピン、
17樫本大進
18キョンファ、
19三浦文彰、
20石田泰尚 緑は故人

◎日本のVnist⇒
  1五嶋みどり、
  2諏訪内晶子、
  3庄司紗矢香、
  4樫本大進、
  5五嶋龍、
  6神尾真由子、
  7千住真理子、
  8堀米ゆず子、
  9三浦文彰、
10石田泰尚

2018年4月25日水曜日

N響第1884回 定期公演 Bプログラム

2018-04-25 @サントリーホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

ベートーベン:交響曲第8番ヘ長調 作品93
ベートーベン:交響曲第7番イ長調 作品92

今月のN響定期はABCいずれもブロムシュテットの指揮だった。
今回は、最上席とはいえないまでも十分満足できる席だ。
NHKホールよりは響の柔らかいホールだし、ベートーベンの7番、8番という願ってもない組合せで、ブロムシュテット3連チャンの最後を飾るに相応しいコンサートだ。

聴き慣れた都響定期Bの席より3列後ろのやや上手だったが、この位置加減が微妙なところだ。普通なら、その違いにこだわることもないと思うが、この頃神経質になっている僕としては、その違いが音楽の違いになって現れるので、良かったり、悪かったりする。

上手い下手ではなく、3列後ろだとやはり音圧が違う…という気がしたが、これは3列後ろで聴いているという認識がもたらす気の所為にすぎないのかもしれないのだけど。あるいは、歳のせいで徐々に聴こえづらくなっているのかもしれないが。

そんな訳で、もうちょいと腹に響く音圧が欲しかった。

この点を除けば、3回シリーズの中では一番満足度が高く、まさに有終の美を飾ってくれた。

20日のC定期のベートーベン交響曲第4番でも多少感じたが、今回の8番、7番でもやはりテンポが速めだった。「疾走するベートーベン」というほどではないが、ブロムシュテットのベートーベンは普通に聴き慣れた演奏より、少し速い。このテンポこそ、本来のテンポだというのが、ブロムシュテットの主張だ。何と言ってもベートーベン自身がすべての交響曲にメトロノームによる速度表示をしているのだから。でも、当時のメトロノームのテンポは真実どうだったのか…などの争いもあって、楽譜の表記に従うのが正解なのかどうかははっきりしないらしい。が、僕としては、疾走するベートーベンこそベートーベンらしくて好きなので、ブロムシュテットのテンポは好きだ。余談になるが、一昨年の年末のブロムシュテットの「第九」はとても緊張感に溢れた、目下の時点では最高に感動した演奏で、何と言ってもテンポの良さも預かって大きなものがあった。

また、気が利いているな、と好感したのは、7番の第1楽章と第2楽章、第3楽章と第4楽章をホンの一呼吸しか置かず続けて演奏したことだ。楽譜にアタッカの指示はないし、完全な連続ではない。
ブロムシュテットの腕が宙に止まって暫時動かず、動いた時は次の楽章の始まりだった。な訳で、観客席の咳込み合唱はシャットアウトされ、緊張を保ったまま2楽章へ、4楽章へと入ったのはとても気持ちが良く、胸のすく思いだった。

そう言えば、A定期のベルリオーズ「幻想交響曲」でも、第1楽章と第2楽章、第4楽章と第5楽章の間も同じように一瞬の間を置いて次楽章になだれ込んだ。

この時代の編成だから、オケも弦楽中心で中規模だ。弦のアンサンブルがシャキシャキと決まって、Tuttiも豊かに響いた。
ベートーベンはこうでなくちゃという演奏だったように思う。

♪2018-047/♪サントリーホール-04

2018年4月22日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会 第6回 サファイア<横浜みなとみらいシリーズ>

2018-04-22 @みなとみらいホール


上岡敏之:指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
アンヌ・ケフェレック:ピアノ*

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491* 
ブルックナー:交響曲第6番 イ長調 WAB 106
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アンコール
ヘンデル(ケンプ編):メヌエットト短調*
モーツァルト:交響曲第29番イ長調から第4楽章

新日本フィルは、在京プロオケの中では、オペラのピットに入っているのを別にしてコンサートを聴く機会は極めて少ないオケだが、その数少ない機会に上岡敏之が振ったのを聴いて非常に印象に残っていた。
ラヴェルの「ボレロ」はどこのオケが演奏してもまずハズレ無しだが、約2年前のミューザで聴いた上岡+新日本フィルの「ボレロ」はいろんなオケで何度も聴いている曲だけど、その中で一番インパクトを受けた演奏だ。

また2015年の読響を振った「第九」もすごかった。
細部へのこだわりが、彼の場合は嫌味を超越した外連味となって、高いテンションを生んでいる。一種の癖になってしまうような困った魅力があるのだ。

新日フィルはめったにみなとみらいホールで聴く機会がないが、今回は特別演奏会として登場した。これからも度々来てくれるといいのだけど。

さて、メインはブルックナーの交響曲6番だが、ブルックナーの交響曲はマーラーほどではないにしても演奏される機会が多い。5番、4番、7番、9番を中心に何度も聴いているが、1番と6番だけはナマで聴いたことがなかった。今日、6番を初めて聴いたので残りは1番だ。どこのオケでもいいや、早く聴かせてくれ!

それはともかく、今回のコンサートに向けて予習のためにCDは相当聴き込んだが、スコアを見ながら聴いた訳ではないので、この複雑な構造は皆目頭に入ってこなかった。
しかし、やはりナマを聴くと没入度が違うし、古典的な形式を踏んで4楽章にキチンと分けられていて、聴きながら道に迷うということはなかった。
しかし、馴染み方が十分ではないので、どこに上岡マジックが秘められていたのか、それは分からなかった。案外、そんなものはなくてひたすらオーソドックスを目指したのではないか、という気もしながら聴き終えた。

前日がインキネン率いる日フィルの精緻なアンサンブル、その前日がブロムシュテットのN響、その前日が大野和士の都響と4日連続して大物を聴いていたので、新日フィルのオーケストラとしての力量は素人の評価は差し控えておこう。まあ、特段劣ることもないという印象だった。

ブルックナーの前に、モーツァルトの2曲しかない短調のピアノ協奏曲の一つ、24番がアンヌ・ケフェレックの独奏で演奏された。この人の演奏は、過去にオリヴィエ・シャルリエというバイオリニストと一緒にベートーベンとブラームスのバイオリン・ソナタを聴いていたが、これは記録を改めて思い出したこと。
その時の印象は特に残っていなかったが、今日のモーツァルトはとても良かった。
技術的なことは分からないけど、転がるような高音域と太い1本弦がブルっと震えているのが伝わるような低域まで豊かに響いて(ま、ピアノが良い、ホールが良いということでもあるけど)、まずはピアノの音が美しいし、少し哀愁を含んだモーツァルトの旋律も穏やかで心にしみる。まあ、とにかく気持ち良く聴くことができたし、この曲では新日フィルの編成は当然小規模で弦楽中心だったが、このアンサンブルも良い雰囲気を醸していた。

♪2018-046/♪みなとみらいホール-13

2018年4月21日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第336回横浜定期演奏会

2018-04-21 @みなとみらいホール


ピエタリ・インキネン:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

伊藤寛隆:クラリネット*
松井久子:ハープ**

【ドビュッシー没後100周年記念プログラム】
ドビュッシー(アンリ・ビュッセール編):小組曲
 <小舟にて><行列><メヌエット><バレエ>
ドビュッシー:クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲*
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲**
ドビュッシー:交響詩《海》
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アンコール
ドビュッシー(アンドレ・カプレ編):「子供の領分」より第6曲「ゴリウォーグのケークウォーク」管弦楽版

ドビュッシー没後100年ということで組まれたオール・ドビュッシープログラム。さほど期待していなかったけど、とても良かった。久しぶりに満足度の高いコンサートだった。
「小組曲」はピアノ連弾が原曲で、これも聴いたことがあるがその時はあまり印象に残らなかったようだ。管弦楽版は読響と日フィルでいずれもコバケンの指揮で聴いている。

インキネンのタクトが降りて冒頭のフルートが惹きつける。もう、この日のコンサートは満足できそう!とその瞬間に思った。
始めよければ終わりよし、そのことわざを地で行ったみたいだ。
「小組曲」の管弦楽編曲はドビュッシー自身の手になるものではないけど、ドビュッシーがピアノ連弾用に作曲した時からオーケストレーションをイメージして書いたのではないか。管弦楽版を聴くとむしろピアノではこの雰囲気はとても出せまいと思う…とおもって帰宅後ピアノ連弾盤を聴いてみたら、やっぱり、これはこれでなかなかいいんだ。名曲だと再確認したよ。

「クラリネット〜第1狂詩曲」はちょうど1週間前(14日)に同じみなとみらいホールで、カンブルラン+読響、ポール・メイエのクラリネットで聴いたばかり。しかもNHK-BSクラシック倶楽部でその前日にアレッサンドロ・カルボナーレのクラリネットでピアノ伴奏版を放送していたのを録画していたので、この間に視聴している。まあ、こういう偶然てあるんだな。1週間の内に同じ曲を生で2回、放送でも1回聴くことになった。
そんな訳で、最近急にお馴染みさんになった、「牧神の午後への前奏曲」のクラリネット版のようなやや官能的な音楽を楽しんだ。「牧神〜」もフルートの代わりにクラリネットでやれば一層官能的になるかもしれない。

「神聖な舞曲〜」は独奏ハープと弦楽アンサンブルのための作品で、これは初聴きだった。細かく速いフレーズでハープの音がクリアに聴こえなかったところがあったのは残念。

メインは「交響詩≪海≫」。若い頃はなかなか馴染めなかったが、今ではかなり好きな作品だ。音楽の印象派だの象徴派だのと言われているが、音楽を聴きながら海の三態(海の夜明けから正午まで・波の戯れ・風と海の対話)が凡人に見えてくる訳ではないけど、まあ、それらしい気配は十分だし、何より、たゆたう感じの音楽そのものに不思議な魅力がある。これはドイツ音楽にもイタリア音楽にもない近代フランスの感性だ。それを切り開いたドビュッシーの天才なのかもしれない。

日フィルは、最近ずっと好感度が高いが、今日の演奏はインキネンの彫琢が細部まで行き届いているようで実にレベルの高い演奏だった。ひょっとして、昨日のN響よりも高水準だったかも。
やはり、オーケストラはみなとみらいホールで聴くのが一番安心して聴けるなあ。良い演奏を引き立てる名ホールだ。

♪2018-045/♪みなとみらいホール-12

2018年4月20日金曜日

N響第1883回 定期公演 Cプログラム

2018-04-20 @NHKホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

マリア・ジョアン・ピレシュ:ピアノ*

ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番ト長調 作品58*
ベートーベン:交響曲第4番変ロ長調 作品60
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アンコール
ベートーベン:6つのバガテル 作品126から第5番ト長調*


N響定期4月はABCともブロムシュテットの指揮なので、定期会員ではないB、Cもチケットを買った。
N響の場合、どうやら定期会員の割合が高いらしく、1回券を買おうとしてもなかなか希望するエリアが手に入りづらい。
今日の席も1階後方でセンター(指揮者席)からはやや上手しか取れなかった。それでもS席だし音だけを考えたら問題はない。
ところが不思議なもので、見た目が大切だ。やはり、センターに座ってオケを見ながら聴くのと、今日の配置で言えば第2バイオリンの5プルトあたりが正面になる席からオケを見ながら聴くのとでは没入感が違う。しかも、かなり後ろの方で、普段聴き慣れている席とは音圧が小さいのも没入を妨げた。

ブロムシュテットの指揮で聴く作品はN響でもゲヴァントハウスでも独墺系が多かったし、ご本人も得意としているのではないか。

今日は、ベートーベンの2本立て。
ピアノ協奏曲も交響曲もいずれも第4番と、なかなか渋いプログラムだ。

ナマのピレシュは以前、チェロのアントニオ・メネセスとのデュオ・リサイタルを聴いたきりだが、その際も彼女が取り上げたのはベートーベンのピアノ・ソナタ32番とチェロ・ソナタ3番だった。
ベートーベンを得意分野としているのかどうかは知らないが。

まあ、そんなことで、プログラムに不満は無いどころか大いに期待をしていたが、一つには、如上の席の問題があって、音楽がなかなか琴線に触れてこない。
演奏は、一定水準以上なんだろうな。2曲とも弦楽アンサンブルに毛の生えた用なこじんまりした編成で、弦のアンサンブルはシャキシャキしてメリハリがついている。この辺は、ブロムシュテットの技ではないかと思いながら聴いた。

ピレシュのベートーベンは流れるようにきれいだが、ガツンという山場のようなところがなくて、ひたすらきれいに収まった。この人はコンチェルトよりソナタ向きではないかと思ったりもしたが、ともかく、あまり没入できなかったのだからいいかんげんな感想だ。

♪2018-044/♪NHKホール-04

2018年4月19日木曜日

東京都交響楽団 第854回 定期演奏会Cシリーズ

2018-04-19 @東京芸術劇場大ホール


大野和士:指揮
東京都交響楽団

リムスキー=コルサコフ:序曲《ロシアの復活祭》op.36
ボロディン:歌劇『イーゴリ公』から「だったん人の娘たちの踊り」、「だったん人の踊り」
チャイコフスキー:交響曲第3番ニ長調 op.29《ポーランド》

僕が定期会員となっている6オケのうち4月からシーズンが始まる東響、神奈川フィル、読響、都響はいずれも今月は音楽監督・首席指揮者などそれぞれのトップ指揮者が登場した。
で、都響は好漢大野和士の登場だ。
都響の4月定期はA、Bが同じでマーラーの交響曲第3番。同じ曲を短期間に2度聴ききたいほど好きな曲でもないので、A定期を振り替えたのが、今日のC定期。やはり指揮は大野和士だったが、こちらはオール・ロシアプログラム。

リムスキー=コルサコフの序曲「ロシアの復活祭」は多分ナマでは初聴きだと思うし、CDも持っていないのに、耳に馴染んだ曲だった。おそらく、若い頃、FMラジオに齧りついていた頃の記憶が残っていたのだろう。

ボロディンの「だったん人の踊り」は記録によれば、10年前にN響で聴いていた。こちらの方はそうでなくとも有名な曲だから始まった途端、あ、これこれ!という感じだが、「だったん人の≪娘の≫踊り」というのまであるとは知らなかった。しかしこちらも聴いたことがあるメロディだった。

前半の2曲(3曲というべきか)は、コンサートで聴く機会は珍しいけど、昔から馴染んでいるという音楽だった。

後半のチャイコの3番は、これもナマでは初聴き。
6曲ある交響曲のうち、ナマで聴いた記憶・記録がないのはこの第3番だけだったので、クラシック歴半世紀超を経てようやくチャイコの全曲を聴き終えたことになった。
もちろん、CDなどでは何度も聴いているのだけど、4番以降ほどには馴染んでいないし、第一、4番以降のように覚えやすいきれいなメロディーが出てこないのでなかなか印象に残らないのだ。

ともあれ、次回、この第3番を聴くのは何年後だろうか、果たして聴くことがあるだろうか。まあ、生きている内に聴けて良かったかな。

ところがどっこい。
今日の都響はイマイチだった。

A、B定期のマーラー第3番でエネルギーを使い果たしたか、どうもぴりっとしない。特にバイオリン群は出がらしのように薄くて濁りのある響だった(これはホールのせいも多少あるとは思う。)。本来なら、もっと華やかな管・弦・打楽の饗宴になるべきプログラムだったが、隔靴掻痒の思いで劇場を後にした。

♪2018-043/♪東京芸術劇場大ホール-02

2018年4月17日火曜日

新国立劇場オペラ 開場20周年記念特別公演「アイーダ」

2018-04-17 @新国立劇場


指揮⇒パオロ・カリニャーニ
演出・美術・衣裳⇒フランコ・ゼッフィレッリ
照明⇒奥畑康夫
振付⇒石井清子

合唱⇒新国立劇場合唱団
管弦楽⇒東京フィルハーモニー交響楽団

アイーダ⇒イム・セギョン
ラダメス⇒ナジミディン・マヴリャーノフ
アムネリス⇒森山京子(エカテリーナ・セメンチュクの代役)
アモナズロ⇒堀内康雄
ランフィス⇒妻屋秀和
エジプト国王⇒久保田真澄
伝令⇒村上敏明

ジュゼッペ・ヴェルディ「アイーダ」
全4幕〈イタリア語上演/字幕付〉

予定上演時間:約3時間50分
第Ⅰ幕45分
 --休憩25分--
第Ⅱ幕50分
 --休憩25分--
第Ⅲ幕35分
 --休憩20分--
第Ⅳ幕30分


先行抽選のためにゾーンしか選べず、当たった座席は最前列のど真ん中。これは字幕の読みづらさはあるが、アイーダ鑑賞としては最高の席だ。大いに楽しんだが、残念だったことを3つ挙げておこう。

①まずは指揮者(カリニャーニ)のテカテカの薬缶頭が終始目の前で浮沈した事だ。舞台が明るい場面ではさほど気にならないが、2幕を除けばほとんど薄靄(後述ゼッフィレッリのトンデモ演出のせいもある!)とか薄暗い場面なので、天井からスポットライトを浴びている指揮者のツルツルピカピカの頭だけは煌々と輝いている。ちょいと没入鑑賞を妨げたなあ。

②アムネリス役は本来はE.セメンチュクだった。昨年のザルツブルク音楽祭でも同役を歌った。BDは5種類も持っていて、この公演も録画視聴しているので少し楽しみにしていたが、なんと、体調不良で本日休演。急遽の代役が奮闘したがアイーダ役に比べてなんとも声量不足。

③ゼッフィレッリの演出に不満。初演時から変わらない(5年毎に再演をして今回で5回目。今回は劇場20周年の特別公演と位置づけられている。)そうだが、舞台額縁の全面を紗幕が覆っている。その為舞台のすべてが少し霞んで見える。いずれ、凱旋場面で取り払われるだろうと期待していたが最後まで紗幕は上がらずじまいだった。どうやら幻想的な舞台を演出しているらしい。

アイーダに「幻想」が必要かどうかも理解不能だが、舞台演出家が舞台全面を紗幕で覆いとおすのは演出家の自殺行為ではないか。部分的使用は良いが、終始全面ではお客にサングラスでも配ればよい。むしろ、道具・舞台美術・照明など舞台上で「幻想」を見せるべきだ。

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などなど、不満もあったが、全体としては上出来だ。
まったく豪華絢爛なる舞台で特に2幕2場の豪勢なこと。
馬も2頭登場。
舞台上は総勢300人だそうだ。
総勢10人の喇叭手(と言っても東フィルのメンバーだろう)によるアイーダ・トランペットの砲列で演奏する凱旋の行進曲にはゾクっとしたよ。
バレエシーンも良し。合唱に力がある。

アイーダ(イム・セギョン)の豊かな声量が代役アムネリスとの比較で際立った。

ラダメス(N.マヴリャーノフ)も堀内・妻屋・久保田の日本人歌手も良し。代役嬢も終盤は良くなった。

薬缶君の下で東フィルも見事な演奏だった。
舞台美術、独唱、重唱、合唱、バレエ、オーケストラの競演、ザ・オペラを十分に堪能できた。

BDでは上述したザルツブルグ公演の他にMETが2種類(2009年と2012年)、ヴェローナ野外劇場(2012年)、ミラノ・スカラ座日本公演(2009年。これはゼッフィレッリの演出だ。)と観ているが、どのプロダクションにも引けを取らなかったのではないか。
それにしても紗幕が残念無念。

♪2018-042/♪新国立劇場-05

2018年4月15日日曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第65回

2018-04-15 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団

マーラー:交響曲第10番嬰ヘ長調からアダージョ
ブルックナー:交響曲第9番ニ短調 WAB109

マーラーとブルックナーの組合せと聞けばもうゲップが出そうになるが、マーラーは交響曲10番、ブルックナーは交響曲9番。いずれも未完成品ばかりなので可能なカップリングだ。
未完成とはいえ、マーラーは1楽章だけで終わった作品だが24分(予定時間)。ブルックナーは3楽章まで書いて4楽章を書き始めたところで亡くなってしまった。それでも演奏時間62分。両方合わせて約90分だ。

プログラム上はマーラーは「交響曲第10番からアダージョ」となっているが、ほぼ完成された第1楽章のテンポ記号がアダージョなので「交響曲第10番第1楽章」と同じことだ。
マーラーのアダージョと言えば、5番の第4楽章アダージェットが超有名だし俄然旋律が美しい。のでこちらを聴きたかったな。

そのマーラーのアダージョでは弦の透明度が高くて良い演奏だった。


しかし、なんといっても今日のメインはブルックナーだ。
半年近くブルックナーを聴いていなかったこともあって、何か、全体に新鮮さを感じた。よく言われるブルックナー開始、ブルックナーユニゾン、ブルックナー総休止等の外連調味料がとりわけこの9番には効いているように思った。それで、無駄な繰り返しが多いとは思いながらもあまり気にならず、最後まで楽しめた。あまりの熱演のせいか、コンマスの弦が切れて演奏中に下手から順に楽器リレー。これはなかなか珍しい。

♪2018-041/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-03

2018年4月14日土曜日

N響第1882回 定期公演 Aプログラム

2018-04-14 @NHKホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

ベルワルド:交響曲第3番ハ長調「風変わりな交響曲」
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14

ベルワルドという作曲家はその名前も知らなかった。現代の人かと思ったが、そうでもなくて、生没は1796-1868年だというから、ロッシーニの4歳下、ドニゼッティ、シューベルトの1歳上だ。ロマン派の盛りの時期ということになるが、同時代にはあまり受け入れられなかったようだ。いや、今でも有名ではないし、作品も今回演奏された交響曲第3番くらいしか演奏されることはないみたいだ。

ブロムシュテットはアメリカ生まれだが両親がスウェーデン人だそうで(国籍は両方にあるのかもしれないが。)、ベルワルドも、音楽家としての活躍の場はベルリン、ウィーンだが、スウェーデン人だ。そんなことで、ブロムシュテットはベルワルドを取り上げたのかもしれない。

ただ、その音楽は今や思い出せない。Youtubeで探しても部分的な演奏(指揮はブロムシュテットだった。)しかしか見つからず、それを聴いてもやっぱり思い出せない。まあ、そんな音楽だったなあ。

ブロムシュテットと言えば、なんといってもベートーベンやブラームスがぴったりという気がするが、今日はベルリオーズだった。
「幻想交響曲」は、先月読響・都響でも聴いたばかりで、1ヶ月足らずの間に3度めを聴くとは不思議な縁だ。
まあ、この作品は華麗な管弦楽技法が売りものだから、どのオケが演奏しても大抵は満足できる。直近の2例では読響の方が気合を感じたが、都響も悪くはなかった。

そこで、N響がやるとどう違うか。
ブロムシュテットが指揮したからと言って格別音楽が上等になる訳ではなかった。毛細血管の先までピタッと呼吸が合う(これまで聴いたベートーベンなどではそういう感じがした。)ようなところまではゆかなかったが、一味違うと思ったのは、3600人を擁する空間を満たす絢爛にして重厚な響。これはN響ならではだ。

ブロムシュテットの飄々とした指揮に客演コンマスのライナー・キュッヒル始め、楽員が心を一にしての熱演が聴く者の心も温めた。ブロムシュテットの才覚なのか人徳なのか、不思議と包み込まれてしまう。

♪2018-040/♪NHKホール-03

読響第103回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2018-04-14 @みなとみらいホール


シルヴァン・カンブルラン:指揮
読売日本交響楽団
ポール・メイエ:クラリネット*

チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」から
 行進曲、こんぺい糖の踊り、トレパック、花のワルツ
モーツァルト:クラリネット協奏曲イ長調 K622*
ドビュッシー:クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲*
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

チャイコフスキー、モーツァルト、ドビュッシーにストラヴィンスキーというコンセプト不可解プログラムだったが、久しぶりに聴いたモーツァルトのクラリネット協奏曲は小編成で美しい弦の合奏に妙なるクラリネットの色音が別宇宙。

ポール・メイエを聴くのは2度めで、「N響夏2016」で今日と同じモーツァルトの協奏曲を演奏した。しかし、その時は楽器の不調(素人耳にも音が硬いのがよく分かったが、空調も原因していたかもしれない。)で、演奏を途中で中断して楽器を取り替えるというハプニングがあった。今回はそのようなこともなく、音色は柔らかく、艶かしく、低音は豊かに響き渡っていた。

春の祭典は特大編成でこれでもか!これでもか!と原始脳を刺激され、これまた別次元の音楽体験。読響上出来!

♪2018-039/♪みなとみらいホール-11

2018年4月11日水曜日

国立演芸場4月中席

2018-04-11@国立演芸場


落語   桂夏丸⇒玄関の扉
落語   三遊亭遊雀⇒蛙茶番
落語   桂竹丸⇒西郷隆盛
漫才   Wモアモア
落語   三遊亭圓楽⇒禁酒番屋
    ―仲入り―
落語   瀧川鯉昇⇒千早ふる
俗曲   桧山うめ吉
落語   桂歌丸⇒小間物屋政談

今月の中席はトリに歌丸が登場だ。と言っても前日ではなく、奇数日だけ。健康上の理由かどうかは分からない。何であれ、同じ行くなら歌丸の落語を聴きたい…と思う人が大勢いて、今日初日は満員御礼だった。普段なら、お気に入りの席に座れるのだけど、今回も発売初日の発売時刻からチケットセンターにアプローチしたがその指定席が取れず、だいぶ後ろだった。

歌丸師匠、もう随分前から、高座に上がる際は歩いて登場しない。その前の出し物で一旦幕が降り、その間に前座などに運ばれてくるのだろう。幕があがると、鼻には酸素吸入チューブを付けた骨皮筋衛門のようなちっちゃくなった師匠が、目だけギョロつかせてちょこんと座っている姿も気の毒なくらいだ。


このところ入退院を繰り返しているので、さあ、いつまで持つか、というのが、その日の噺家たちの笑いのネタにされたりしているが、観客の方も、もし今日の高座で他をれたら、記念になるなあ〜などという不謹慎な興味で駆けつけているのも、大入り満席の中にはいるだろうな。

今日の歌丸の演目だけは事前に公表されていて、45分も要する大作「小間物屋政談」だった。ナマで聴くのは初めてだったし、歌丸の飾りっ気のない淡々とした枯れた語り口は好きで、大いに楽しみにしていたが、終わってみると、どうもイマイチのできだった。ご本人も季節の変わり目は特にしんどくて話しづらいと前口上で断っていたが、そんな体調も災いしたのかもしれない。長い話だから、うまくメリハリが付いたら最後の大岡裁きで聴いているものもホッと気持ちが暖かくなる仕掛けだが、どうも淡々とし過ぎたきらいがある。
とはいえ、噺家に定年はないのだから、健康に留意して、まだまだ色んな噺を聴かせてほしいものだ。

他の演目では、
圓楽はいつも下手くそだ。人間性の問題ではないか。
鯉昇はそこそこ面白い。もうこれ以上巧くはならないような気がするが、これくらいなら及第点。
うめ吉姐さんは、語りにはとぼけたおかしさがあるが、肝心の小唄・新内などになると声が小さすぎてダメだ。マイクを使っていても聴き取りにくい。

♪2018-038/♪国立演芸場-06

2018年4月10日火曜日

東京都交響楽団 第853回 定期演奏会Bシリーズ

2018-04-10 @サントリーホール


大野和士:指揮
東京都交響楽団
東京少年少女合唱隊:児童合唱
新国立劇場合唱団:女声合唱
リリ・パーシキヴィ:Ms

マーラー:交響曲第3番ニ短調

オケの編成も大きいが、これに声楽独唱、児童合唱、女声合唱も加わって演奏陣が膨れ上がるので、ナマで聴く機会が少ない。6オケ8定期を聴いていても定期演奏会で取り上げられる機会は、8定期合わせても年に1回あるかどうかで、前回聴いたのは一昨年の10月に、定期ではなく、N響90周年&サントリーホール30周年特別公演だったからもう1年半ぶりになる。

そもそもマーラーファンではないので彼の作品に関してはつい厳しい聴き方をしてしまうが、それでも、前回のパーヴォ+N響は見事なものだった。あれ程の緊張感を維持してこそ、90分余の長尺が無駄ではないのだという気にさせてくれる。

今回の都響は、まあ、これといってミスもなく(分からなかっただけかも)、壮大な音のスペクタクルを聴かせてくれた。
しかし、管だけを取り上げても(概ね名演だと思うが)アンサンブルで乱れるところがあったし、管と弦がTuttiで炸裂するところなどで、ピッチの甘さゆえの聴きづらい音の歪みを発していた。もし、それがなければ、あくまでも透明さを維持したままの爆音を聴かせてくれたら素晴らしいのにと残念に思った。

ナマであるから、少々の問題は別にして概ね楽しめるのだけど、何かを表現するのに、どうしてこんなに大きな編成と長時間が必要なのか、とはマーラーを聴く度に思ってしまう。
今回もマーラーの自己陶酔に付き合わされてしまったか、と苦笑い。


ところで、今日の弦の配置は少し変わっていた。
都響の3月はA定期が不都合でC定期に振り替えのでBとCを聴いたがいずれも指揮はインバルだったせいもあるのかもしれないが、第1バイオリンの定位置に対抗配置されたのは2回ともチェロだった。この編成もやや少数派だと思う。一番多く見るのは第1バイオリンから時計回りに第2バイオリン、チェロ、そして上手にビオラが第1バイオリンと対抗する形での配置だ。
今日は、その一般形の第2バイオリンとビオラを入れ換えた形、つまり第1バイオリンと向かい合うのが第2バイオリンだ。この形はあまり見ない(N響では多いかも…)。
そこで、ふと思ったのは、マーラーの第3番は、これは「吹奏楽」かと思わせるほどに管楽器・打楽器が活躍し、弦楽器の扱いは粗末なものだ。粗末にされた弦楽器の中では第2バイオリンが比較的活躍するように思う。その為に客席側に配置したのではないだろうか?
他の演奏例を手持のビデオやYoutubeで探してみたが、はっきりとVn1 Vs Vn2の形は発見できなかった。

蛇足ながら、第3楽章のバンダのポストホルンは2階舞台後方の通路下手で演奏され、トランペットで代用された。

プログラムには演奏予定時間が94分と書いてあったが、実測してみたらぴったり94分だった。この中には第1部(第1楽章)終曲後のメゾソプラノ独唱者やP席中央に陣取った合唱団の入場時間も含まれるが、偶然だろうけどちょいとびっくり。

♪2018-037/♪サントリーホール-03

2018年4月7日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第338回

2018-04-07 @みなとみらいホール


川瀬賢太郎:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
福原寿美枝:Ms*

バーンスタイン:政治的序曲「スラヴァ!」
バーンスタイン:ウェスト・サイド・ストーリーから「シンフォニック・ダンス」
バーンスタイン:交響曲第1番「エレミア」*
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アンコール
「シンフォニック・ダンス」から「マンボ」観客のマンボッ!付き

今年は生誕100年ということで、あちこちのオケでバーンスタインを取り上げている。
今日の神奈川フィルみなとみらい定期は3曲ともすべてバーンスタインだった。

政治的序曲「スラヴァ!」と交響曲第1番「エレミア」は生では初聴き。
前者は4分程度、後者も23分(いずれも演奏予定時間)という小振りの作品だった。

「スラヴァ!」は政治的序曲と副題?が付いているが、政治演説や群衆の歓呼などの音声が音楽に混じってテープで再生されるなど、実験的な作品だ。変拍子が続いて(7/4〜7/8)、共鳴を拒絶するような音楽だ。ま、一度聴けばもういいや、テな感じ。

最後の「エレミア」。
勉強のためにちょっとCD等で聴いたことがある程度でほとんど初めてと言っていい。
全体にヘブライ情趣で作曲されているというが、確かに全篇が異国情緒というか、元々調性が曖昧だが、その中におそらくヘブライ地方・時代の旋法などが取り入れられているのだろう。

特に第3楽章は旧約聖書「哀歌」**の一部をテキストにしたメゾソプラノによる歌唱が加わる。ここでは一層ヘブライ色が濃くなる。バーンスタインが先祖の苦難に思いを馳せて作ったのだろう。そして、悲嘆の内に全曲が終曲する。
歌の全体の意味は分かっていても一語一語の意味はさっぱり理解できないものの、良い歌唱だったとは思った。

ここで驚いたのは、歌唱を担当した福原寿美枝が終わった後、感極まって涙ぐんでいたことだ。まあ、ヘブライ語の難しい?歌を無事に歌い終えたという安堵感もあったかもしれないし、何より、この音楽に共感しながら歌っていたのだろう。それでもプロがこんな風に感情を露わにするのかなあという思いはしたけど。

中に挟まった超有名な「シンフォニック・ダンス」は親しんでいるだけに大いに楽しめた。


定期演奏会にしては珍しく、終演後、川瀬賢太郎がマイクを取って3曲とも尺が短いので、アンコールを演奏する、と言ったのは良かったが、「シンフォニック・ダンス」の中から「マンボ」だ。それもあの掛け声「マンボッ!」を観客に「もやりたいでしょ?」と勝手な判断でやらされる羽目になった。こんなこと別にちっとも楽しくないけど。でも、両隣ともでかい声で「マンボッ!」とやるので、僕も演りましたよ。恥ずかしい…。

ところで、今日の演奏は全体にアップテンポでリズミカル。それも変拍子が多く、アンサンブルの難しい音楽ばかりだったが、神奈川フィルはこれをピタッと気持ち良く合わせた。
確かに、川賢が常任指揮者に就いてから、少しずつ演奏レベルが上っているのは認めなくてはなるまい。

「音楽の友」4月号に3年に一度の読者投票による「あなたが好きな日本のオーケストラ」で前回の10位から4位(ちなみにベスト・テンは、1N響、2日フィル、3東響、4神奈川フィル、5都響、6東京フィル、7読響、7新日本フィル、9大阪フィル、10札響)にランクアップしているのにはびっくりだが、次回圏外に落ちないか、心配だよ。
「好きな」というだけで、「上手な」という訳ではない。このベスト・テンのうち1位〜5位全部と7位のオケはいずれも定期会員なのでよく聴いているが、実力から言えばこのランキングはだいぶ違うように思う。まだ神奈川フィルは10位にも入らないだろう。

**「哀歌」については昔聖書を熱心に読んだことがあって少々知識があったし、今日のプログラムにも対訳が掲載してあったので事前に目を通しておいた。現代ではむしろ「パレスチナ哀歌」に作り替えた方が良いのではないかと思えるが。

♪2018-036/♪みなとみらいホール-10

2018年4月5日木曜日

四月大歌舞伎 昼の部

2018-04-05 @歌舞伎座


●明治百五十年記念
真山青果作「江戸城総攻」より
松竹芸文室 改訂
大場正昭 演出
一、西郷と勝(さいごうとかつ)
西郷隆盛⇒松緑
山岡鉄太郎⇒彦三郎
中村半次郎⇒坂東亀蔵
村田新八⇒松江
勝海舟⇒錦之助

●通し狂言
梅照葉錦伊達織(うめもみじにしきのだており)
二、裏表先代萩(うらおもてせんだいはぎ)
大場道益宅
足利家御殿
同  床下
小助対決
仁木刃傷
下男小助/仁木弾正⇒菊五郎
乳人政岡⇒時蔵
細川勝元⇒錦之助
下女お竹/沖の井⇒孝太郎
倉橋弥十郎⇒松緑
荒獅子男之助⇒彦三郎
渡辺民部⇒坂東亀蔵
鶴千代⇒亀三郎
松島⇒吉弥
大場宗益⇒権十郎
横井角左衛門⇒齊入
栄御前⇒萬次郎
八汐⇒彌十郎
大場道益⇒團蔵
渡辺外記左衛門⇒東蔵

メインは、通し狂言「梅照葉錦伊達織」〜「裏表先代萩」。
と、ポスターや筋書きに書いてあるが、この意味がよく分からない。長大な通し狂言「梅照葉錦伊達織」の中の「裏表先代萩」の幕という意味ではなさそうで、どちらも同じ芝居を指しているようだが、どうしてこんなタイトルになっているのか。「梅照葉錦伊達織」という演目で上演されたこともあるようだ。内容は「伽羅先代萩」の変形なので「裏表先代萩」という言い方の方が伝わりやすいところから、いつしか、今のような形になったのかもしれない。

なにゆえ「裏表」なのか、と言えば、<時代物>である「伽羅先代萩」を「表」とし、そのスピンオフとして町人を主人公にした<世話物>を「裏」として、裏から初めた物語を次は表と交互に綴り、一本の話として成立させているのだ。
実に面白い趣向であるが、更に加えて両方の主人公格(表の伽羅先代萩では仁木弾正、裏では下男小助)を一人の役者が二役をするというのが通例になっているようで、時には最大4役を演じたという記録があるそうな。一人で主役格の複数の役をこなすというのもこの芝居の趣向となっているようだ。

今回は菊五郎がその両者を演じている。

そんな訳で、一粒で二度美味しいアーモンドグリコのような芝居だが、惜しいのは表と裏が交錯しないという点だ。もちろん話はつながっているのだけど、そのつながりが弱く、良いアイデアなのに二つの話が別々に進行してゆくのがイマイチもったいない。

さて、本日の歌舞伎座はガラガラだった。こんなに空席が目立つのも珍しい。やはり、一月、二月と高麗屋三代襲名で大勢の役者が揃った反動で、所謂、人気スターがお休みか、あるいは地方巡業に回ったのではないか。

しかし、今回歌舞伎座で留守を守る役者たちはどちらか言えば好みの
渋い役者が揃っている。

菊五郎、時蔵、錦之助、孝太郎、松緑、彦三郎、坂東亀蔵、萬次郎、彌十郎、團蔵、東蔵など。

中でも、彌十郎の八汐、東蔵の外記左衛門は驚いた。男女の役割が逆様だ。東蔵の立役は初めてでは無いけど、僕の鑑賞歴では非情に珍しい。彌十郎が女形を演じたのは、我が記録・記憶にはなく、多分今回が初めてだった。
2014年の11月国立劇場の「伽羅先代萩」では坂東彌十郎が渡辺外記左衛門(荒獅子男之助も)を、東蔵が栄御前を演じていたが、まあ、この配役が普通の形だろう。

元々声のよく通る彌十郎がひときわ大音声で勤めるので八汐の怖さ倍増だ。いやはや、珍しいものを観せてもらった。

♪2018-035/♪歌舞伎座-02

2018年4月3日火曜日

国立演芸場4月上席

2018-04-03@国立演芸場


落語     林家ぐんま⇒転失気
落語     林家つる子⇒やかん
落語     林家たけ平⇒都々逸親子
漫談     ひびきわたる
落語     三遊亭白鳥⇒マキシム・ド・呑兵衛
落語     柳家小団治⇒権助芝居
      ―仲入り―
漫才     青空一風・千風
落語     柳家はん治⇒子ほめ
奇術     アサダ二世
落語     林家正蔵⇒宗珉の滝

今日は、全体に良い出来だった。
林家ペーは楽しくない。できたら聞きたくないと思っていたら、通じたか、今日は欠場でひびきわたるに代わったが、まあ、こっちもあんまり面白くはないけど、人柄はペーほど悪くなさそうだ。

久しぶりに前座から聴いた。林家ぐんまはきっちりと話すのだけど、おかしくないのだ。どこが違うのだろうかと思いながら聴いていたけど、まあ、一本調子なのかなあ。


二ツ目の林家つる子。初めてだったが、いやー驚いた。まずは可愛らしい女性だ。とても可愛い。それだけでも十分楽しいのだけど、驚くほどの滑舌の良さ。もう、最初から観客の気持ちをきゅっと捉えて離さない。途中で、長い講談の節を披露するが、これがもうとても二ツ目とは思えない名調子だ。まったく、噛むこともなく、スラスラと出てくる。実力はもう真打ち級だ。いや、真打ちでももっと下手くそなのはいくらもいるよ。
彼女との遭遇が本日の最高の喜び。楽しみが増えたよ。

柳家はん治は前にも聴いたことがある。本格的で、味のある語り口だ。ただ、「子ほめ」はイマイチ。もっと大きな話を聴いてみたいね。

トリは正蔵だ。何と言っても彼の噺が一番の楽しみ。そして、その期待に答える良い話しぶりだった。「名人」を巡るマクラが最後のサゲ(と言っても所謂オチはないのだが。)に円環して気分良く収まった。この人は昭和の(東の)名人、志ん朝の味わいがある。このまま行けば平成の名人になるのではないかと思ったが、考えたら、平成も間もなく終わってしまうな。ま、ともかく、今が楽しく、これからも大いに期待できる噺家だ。


♪2018-034/♪国立演芸場-05