2018年5月28日月曜日

東京都交響楽団 第856回 定期演奏会Aシリーズ

2018-05-28 @東京文化会館


小泉和裕:指揮
東京都交響楽団

アレクサンドラ・スム:バイオリン*

ドボルザーク:序曲《謝肉祭》op.92 B.169
グラズノフ:バイオリン協奏曲イ短調 op.82*
ドボルザーク:交響曲第7番ニ短調 op.70 B.141

上野でのA定期は1月のトゥーランガリラ交響曲以後3月も4月も他のコンサートと重なった為に池袋のC定期に振り替えたので、ずいぶん久しぶりの文化会館だ。その間にシーズンが変わり、席もちょうど3列後ろに下げた。左席に嫌な感じのオヤジがいて、定期会員のデメリットとして毎回会わなくちゃいけないのが苦痛だったし、そもそも少し前すぎると予てから思っていたので、今シーズンはちょうど良い感じの位置になった。もう、変えることはないだろうと思う。

新しい席ではどんな響きがするだろう、と興味津々。このところ、都響は、演奏というより、音の響の面で残念賞続きなので、祈るような気持ちで第一声ならぬ第一音を待ったが、ドボルザークの「謝肉祭」は出だしからもっさりして、迫力に欠けた。

次のグラズノフ「バイオリン協奏曲」は、以前読響でチャイコフスキーの協奏曲を演奏した時に好感できたアレクサンドラ・スムが今回もなかなか力強くて奮闘したが、元来この音楽ももっさりしている。弦が中低域を徘徊するようなピリッとしない音楽だ。
独奏バイオリンは時に大編成の弦楽合奏に埋もれがち。華やかさがない。

最後の交響曲はどうか。
やっぱり、アンサンブルが悪い。
管楽器の編成は作曲者によって指定されているから時に増やすことはあるかもしれないが、基本は楽譜に書かれた数だ。
それに対して、弦5部は特段指示がなく、管の編成の大きさに合わせて12型〜16型などを決めるはず。
今日の弦の編成はたぶん16形と言われている大編成だろう。自分の席からはビオラとコンバスの数しか分からないが、ビオラが12本、コンバスが8本なので、第1バイオリンは16人だったのだろう。
とにかく、多い。

冒頭の序曲も、バイオリン協奏曲も、交響曲も(管の編成は作品毎に作曲家による指示が異なるので変わるが)減5部の編成は全く変わらなかった。
まあ、大勢の方が厚いアンサンブルになって好都合だが、それは全員が揃って正しい美しい音を出す場合の話だ。
大所帯なので弦だけでもまとまりに欠けたが、管とのバランスが悪い。弦が多すぎる。でなければ管が非力だ。
管と弦がきれいに溶け合っていなかった。

一番最初に感じたもっさり感が最後まで尾を引いた。

♪2018-062/♪東京文化会館-03

2018年5月26日土曜日

河村尚子「ベートーベン ピアノ・ソナタ・プロジェクト」第1回(全4回)

2018-05-26 @フィリアホール


河村尚子:ピアノ

ベートーベン:
ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調 op.7
ピアノ・ソナタ第8番ハ短調 op.13「悲愴」
ピアノ・ソナタ第7番二長調 op.10-3
ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調 op.27-2「月光」
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ドビュッシー:月の光

河村尚子、満を持してのベートーベン・ツィクルスだそうな。フィリアホールでは今日はその第1回目だが、全国的…いや、世界的には今年の4月から始まっているようだ。

ただし、今後の予定として発表されているのは、今回を含む全4回でソナタ14曲を弾くというのだから、全32曲の半分にも満たないのは残念。
今日は4、7、8、14番だったが、フィリアホールで11月に予定されている第2回めが18、23、23、24番の4曲、来年4月が26、27、29番の3曲、来秋に最後の3曲(30〜32番)だ。
次回以降も聴きに行くつもりだが、3回目以降は日時も未定なので聴きに行けるかどうか分からないけど、行けたとしても17番や28番が含まれていないのは残念だな。

さて、久々に近くで見る…いや聴く河村尚子はなんとも魅力的だ。一音一音に入魂しているのがその姿勢や顔の表情の変化でよく分かる。ホンに表情が豊かで、大げさではなく、とても自然で音楽と一体になっているように見える。
彼女の考え方なり感覚がその表情を通じて聴手にも少しは伝わってくる気がする。できれば、彼女のそれらと完全にシンクロできたらとてもハッピーだろうと思うが、そこは才覚や知識の差で、うまくはゆかないけど、でも、音楽に誘い込まれるのは確かだ。

さて、気になったことが一つ。
ピアノの音がイマイチだった。
良くなるホールであることは前に寺神戸亮のリサイタルを聴いて体験済みだけど、無伴奏バイオリンの場合はこの響具合がとても効果的だ。でも、ピアノ(スタインウェイ)の場合は、鳴り過ぎではないか、と思った。その音も、「ジャーン」という音で、あまり美しくない。「カーン」と抜けるような音で聴きたいものだ。

前半が終わった後の休憩中に調律師がだいぶ時間を掛けて整音か調律をしていたが、やはり、河村尚子にとっても何か違和感があったのかもしれない。でも、後半もピアノの鳴り方はさほど変わらなかった。
できたら、音楽堂やみなとみらいの小ホールで聴いてみたかった。

♪2018-061/♪フィリアホール-01

2018年5月24日木曜日

新国立劇場オペラ 開場20周年記念特別公演「フィデリオ」

2018-05-24 @新国立劇場


指揮⇒飯守泰次郎
演出⇒カタリーナ・ワーグナー
ドラマツルグ⇒ダニエル・ウェーバー
美術⇒ユリウス・ゼンメルマン
衣裳トーマス・カイザー
照明⇒クリスティアン・ケメトミュラー

合唱⇒新国立劇場合唱団
管弦楽⇒東京交響楽団

ドン・フェルナンド⇒黒田博
ドン・ピツァロ⇒ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
フロレスタン⇒ステファン・グールド
レオノーレ⇒リカルダ・メルベート
ロッコ⇒妻屋秀和
マルツェリーネ⇒石橋栄実
ジャキーノ⇒鈴木准
囚人1⇒片寄純也
囚人2⇒大沼徹

ベートーベン:全2幕〈ドイツ語上演/字幕付〉予定上演時間:約2時間40分
第Ⅰ幕70分
 --休憩30分--
第Ⅱ幕60分

「フィデリオ」の生舞台は初めてだけど、ビデオディスクは持っているので、まるきり初めてという訳ではなかった。
そのディスクは2003年4月のザルツブル・イースター音楽祭でサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルの演奏。演出はニコラウス・レーンホフのものだ。
時代設定はあえて不詳にしてあり、舞台装置も単純で抽象的なものだが、筋書きは台本どおりだと思う。

詳しく勉強した訳ではないが、他に参考資料を見ても、今回の新国立劇場でのプログラムに書いてある「あらすじ」を読んでも、だいたい似たり寄ったりの筋が書いてあるところから、ビデオ版の「フィデリオ」もベートーベンが拠にした台本に沿った演出だと思う。

であるので、これは、男装しフィデリオと名乗って政治犯牢獄で働きながら夫フロレスタンを救出する妻レオノーレの物語だと安心しきっていた。さらに言えば、フロレスタン個人が救済されるというより、政治犯が解放され思想信条の自由が勝利するという物語であるはず。

前から2列めという字幕を読むには不利な席だけど音楽にはどっぷり浸れる。音楽は文句なしにベートーベンらしさに溢れて、歌手には相当困難らしいが、聴いている分にはその良さを堪能できる。
なので、あまり字幕を熱心に追わず、音楽に集中していた。話がどう進み、どういう結末を迎えるか分かっているのだから。

ところがどっこい。
話が違う。
第2幕第2場から様子が変で、ラストはもうまるきり台本から逸脱した。いや、「逸脱」という言葉では不足するくらいのとんでもない最後だった。ベートーベンが生きていたらこの演出家を銃殺したのではないか。

新国立劇場だけでなく、これまでどこの劇場でも終演後にブーイングを聞いたのは初めての経験だ。いや確かに怒りたくなる。

演出家はカタリーナ・ワーグナー。
あのワーグナーのひ孫だそうな。
極東の歴史の浅い(この作品は会場20周年記念特別公演と位置付けられている。)オペラハウスで、好きにやってくれ、と言われて、思い切り遊んでみたか。

2月の二期会「ローエングリン」も深作健太の新演出が自己満足の為に奇を衒ったようで面白くなかったが、今回のカタリーナ・ワーグナーの新演出は、<読み替え>の限度を超えて「フィデリオ」を冒涜したような思いがする。

新国立劇場の音楽監督である飯守泰次郎が最後に自ら指揮をする作品であったのにその有終の美を穢したとは言いすぎかな。

歌手陣はいつもながら素晴らしかった。
レオノーレを演じたリカルダ・メルベートは「ジークフリート」、「ばらの騎士」についで3度めだったが、迫力ある美声だ。
フロレスタン役のステファン・グールドは「リング」4部作についで5度目で、彼も見事なものだ。
他に、ロッコの妻屋秀和やマルツェリーネの石橋栄実など日本人歌手も引けを取らない歌唱だった。

ピットは東響で、これがなかなか良い。ミューザやサントリーで聴くときより響が良いのは、ピット効果なのか、新国立効果なのか分からないけど、音楽を聴く喜びを感じさせてくれる。

指揮者はじめ、演奏陣は力を尽くしているのに、この演出ではさっぱりだ。気の毒に思うよ。カーテンコールも盛り上がりに欠けた。

帰宅後、プログラムをよく読めば、ドラマトゥルク(定義がよくわからないし、プロダクション毎に役割も異なるようだ。)であるダニエル・ウェーバーなる人物がプロダクションノートを記していて、そこに今回の演出の解釈のヒントが出ていたが、仮に事前に読んでいたとしても、舞台で繰り広げられたとんでもない結末を誰が予想したろう。

舞台美術は全幕基本的に変化しない。何しろ全ては政治犯牢獄で始まり終わるのだから。全体に暗いのもやむを得ないだろう。
しかし、最大4階分(上下する)まで作ってあり、そこで芝居が行われるので、1階席からは終始見上げていなくてはいけないし、4階席からは舞台の上部は見えなかったのではないか。こういう点も美術や演出において考えてくれなくては困るな。

いやはや、音楽だけが救いだった。

バックステージツァーで舞台から客席を見る
♪2018-060/♪新国立劇場-06

2018年5月22日火曜日

東京都交響楽団 第855回 定期演奏会Bシリーズ

2018-05-22 @サントリーホール


下野竜也:指揮
東京都交響楽団

ヒラ・プリットマン:ソプラノ*

メンデルスゾーン:交響曲第3番 イ短調 op.56《スコットランド》
コリリアーノ:ミスター・タンブリンマン
 ─ボブ・ディランの7つの詩(2003)(日本初演)*

昨年末の文化会館での「第九」の後は、都響の演奏会は不作続きで、大満足はおろか、中満足もなかなかできないでいる。
今日の希望の星であった「スコットランド」でさえ、アンサンブルがガサついていて、本来の力が出ていないのではないかと思った。とりわけ、弦の透明感の不足を感ずる。

「音楽」であるからにはまずもって「音」が美しくなければだめだ。
長い中断を経て都響を聴き始めた頃は厚いアンサンブルにワクワクすることもあったが、最近は耳が肥えてしまい?ちょっとやそっとのレベルでは満足できなくなっている。

一つは僕の耳の問題(体調によって聴こえ方が異なる)、ホールの問題、曲目が本来持っている演奏効果、リハーサルの徹底具合、指揮者の音楽性などが複合的に影響して、同じオケでも出来がだいぶ異なってくるように思う。

「スコットランド」が大好き、という訳ではないけど、メインに置かれたのがコリリアーノ(初めて聴く名前だ。)という作曲家が2003年に発表してグラミー賞を受賞した作品だというので、現代音楽に関心のない我が身としては、せめて「スコットランド」で楽しみたいと思っていたのだけど、果たせず。

ボブ・ディランの7つの詩に作曲した作品は、聴いてみれば案じたほど小難しい(と言うより、現代の作品は自己中ぽいのが嫌いなのだけど…)音楽でもなかったが、さりとて楽しめるようなものでもなかった。
これを歌ったヒラ・プリットマン女史はやはりこの歌唱でグラミー賞を受賞したのだそうだ。目下のところ、この曲を歌うに最も相応しい歌手という訳だ。きれいな声だったが、作曲者の指示によりアンプ増幅による歌唱だった。サントリーホールのいつもは閉じている天井から黒い巨大なスピーカー群がぶら下がって降り、ここから彼女の歌が拡声された。ナマで歌っても十分館内に響き渡ったろうけど、何しろオケが巨大(プログラム掲載の楽器編成で数えたら打楽器だけで20種類も用意されていた。)な為に、ナマでは歌がかき消されるおそれがあるからだろう。
現代音楽はもう何でもありだから、これはこれで良いのかもしれないけど、個人的には受け入れ難い。

ボブ・ディランそのものをよく知らない。CDを1枚だけ持っていて、耳に馴染んでいるのは「風に吹かれて」と「タンブリンマン」くらいだ。聴きながら意味が分かるほど英語に堪能でもないし、集中できなかった。

ところが、終曲すると、館内は拍手喝采、歓呼の嵐で大騒ぎだった。僕は全然ついて行けず、気分は白けたままだったな。

♪2018-059/♪サントリーホール-05

團菊祭五月大歌舞伎 昼の部

2018-05-22 @歌舞伎座


成田山開基1080年
二世市川團十郎生誕330年
安田蛙文・中田万助 作
奈河彰輔 演出
藤間勘十郎 演出・振付
通し狂言
一、雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)
市川海老蔵五役相勤め申し候
鳴神上人⇒海老蔵
粂寺弾正⇒海老蔵
早雲王子⇒海老蔵
安倍清行⇒海老蔵
不動明王⇒海老蔵


雲の絶間姫⇒菊之助
秦民部⇒彦三郎
文屋豊秀⇒松也
秦秀太郎⇒児太郎
小野春風/矜羯羅童子⇒廣松
錦の前⇒梅丸
八剣数馬/制多迦童子⇒九團次
小原万兵衛実は石原瀬平/黒雲坊⇒市蔵
白雲坊⇒齊入
小松原中納言⇒家橘
関白基経⇒錦之助
八剣玄蕃⇒團蔵
小野春道⇒友右衛門
腰元巻絹⇒雀右衛門

二、女伊達(おんなだて)
女伊達木崎のお光⇒時蔵
男伊達中之島鳴平⇒種之助
同  淀川の千蔵⇒橋之助

「雷神不動北山櫻」は僕にとって初めての演目だった。
全4幕の通し狂言で、そのうちに歌舞伎十八番(市川宗家のお家芸として選定された荒事の演目。)に選ばれている「毛抜・鳴神・不動」の3作を含むというのだから、1作で3度おいしい作品という言える。
尤も、歌舞伎十八番も現代も実際に演じられているのは8作品程度で、残りは今ではほとんど演じられることはないそうだ。内容が伝承されていないので、演るとすれば新作を作り上げるに等しいらしい。
「毛抜・鳴神・不動」も実際に舞台にかかるのはほぼ「毛抜」だけと言ってもよい状態のようだ。

僕も、「毛抜」は数回観たが、「鳴神」も「不動」も観たことはないし、今回の鑑賞で初めてそういう作品があることを知った次第だ。

1人口上から4幕大詰まで海老蔵が5役出ずっぱりで八面六臂の大活躍。外連味たっぷりの見得がこれ程似合うのは海老蔵だけか。
菊之助との絡みも見所。

筋の運びが必ずしも滑らかではないし、長過ぎるような気もするが、歌舞伎の面白さ、楽しさ、美しさをたっぷり詰め込んだ力作だ。

余談だが、「毛抜」が単独で演じられる時は、何故か劇中劇の形をとる。今回も2幕目がそれに当たるが、やはり、この幕だけは、舞台上手と下手に芝居小屋の看板が掲げられ、粂寺弾正が若衆や腰元にちょっかい出しては失敗する度に客席に向かって頭を下げ、「面目次第もござりませぬ」と言い訳するところも今回の「通し」上演でも同じだった。

♪2018-058/♪歌舞伎座-03





2018年5月20日日曜日

読響第104回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2018-05-20 @みなとみらいホール


イラン・ヴォルコフ:指揮
読売日本交響楽団

クロエ・ハンスリップ:バイオリン*

ブラームス:大学祝典序曲 作品80
メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲ホ短調 作品64*
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」
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アンコール
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン・ソナタ第1番アダージョ

今日のコンマスは、特別客演コンマスの日下紗矢子だった。チューニング時の立姿が百済観音のようにスラッとしてスリムで、まずは目の保養になる。次席にはコンマスを務める機会が多い長原幸太が座っていた。

指揮のイラン・ヴォルコフは初めてだが、都響は指揮しているようだが、肝心の読響には初登場なのかどうか、解説には書いてなかった。

「大学祝典序曲」はバイオリンの高域が美しくないし、なにやらバラバラ感が拭えず。

ところが、2曲めのメンコンが素晴らしい。
バイオリン独奏はクロエ・ハンスリップ。現在30歳。英国人だが、ロシア人のような顔貌だ。何れにせよ美形のうちに入るかも。読響には初登場らしい。
その彼女が弾く冒頭の音色の豊かさにググっと惹きつけられた。小柄な体躯とは裏腹に全体に音量が豊かだ。ちょうど1週間前にテツラフの独奏+N響でベートーベンの協奏曲を聴いたときほどのDレンジの豊かさはないものの、十分な迫力だ。
プログラムには、彼女の使用する楽器が1737年製グゥアルネリだと書いてあった(Wikipediaではもう使っていないとある。)が、何であれ、楽器自体が良くなるのかもしれない。

全体に気合の入った演奏で、切れ目のない楽章構成も相まって心地よい緊張感が漲った。

ソリストにしては珍しく楽譜を用意していたが、ほとんど見ていない。アンコールで弾いたJ.S.バッハでは譜面台に向かっていたから、見ながら弾いたのだろう。余談だが、楽譜を観るソリストと言えばコパチンスカヤを思い出す。彼女の場合は裸足で演奏した。ハンスリップが高いピンヒールを脱いだらえらくちっちゃくなってしまうだろうな、と思ったよ。ホンに、余計なことだけど。

メインが「展覧会の絵」だったが、これはもう冒頭のプロムナードがなんといっても素晴らしい出来栄え。それと第6曲(本日のプログラム上の表記。プロムナードを数えないやり方もあって必ずしも第6番目とは限らないけど。)サムエル・ゴールデンベルクとシュムレイ(ユダヤ人の金持ちと貧乏人)の弦楽ユニゾンの合奏が厚みがあって美しい。
が、残念なことに、「大学祝典序曲」同様、曲によっては管楽器群で、あるいは管と弦楽器の間でピタッと来ないものもあり、ざわつきが気になるところがあったのは残念。

♪2018-057/♪みなとみらいホール-16

2018年5月17日木曜日

人形浄瑠璃文楽平成30年5月公演 第2部「彦山権現誓助剣」

2018-05-17 @国立劇場


彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)
●須磨浦の段
  お菊⇒竹本三輪太夫
  内匠⇒豊竹始太夫
  友平⇒竹本小住太夫
  弥三松⇒豊竹咲寿太夫/鶴澤清友
 
●瓢簞棚の段 
 中 豊竹希太夫/鶴澤寛太郎
 奥 竹本津駒太夫/鶴澤藤蔵・鶴澤清公 

●杉坂墓所の段
 口 豊竹亘太夫/野澤錦吾
 奥 豊竹靖太夫/野沢錦糸
 
●毛谷村六助住家の段
 中 豊竹睦太夫/野沢勝平
 奥 竹本千歳太夫/豊澤富助

人形役割
  娘お菊⇒吉田勘彌
  弥三松⇒吉田簑太郎
  友平 ⇒吉田文昇
  内匠 ⇒吉田玉志
  佐五平⇒吉田玉勢
  お園 ⇒吉田和生
  伝五右衛門⇒吉田玉佳
  六助 ⇒吉田玉男
  母お幸⇒桐竹勘壽
 ほか

一昨日、鑑賞したばかりだが、頭に入っていない部分があって、気になってもう一度観ることにした。

「毛谷村」の段で、お園は父の決めた許婚六助に出会い、急に女らしく振る舞うようになるのだが、夕飯の支度をする時にかまどに火吹き竹で息を送る際に、あまりに慌てていて尺八を口にするシーンが歌舞伎にはある。

最初の鑑賞の際、ボーッとしていて、それに気づかなかった。果たして尺八の場面はあったのかなかったのか、それが気になってならない。それで、第1部の鑑賞日に第2部のチケットがあるかどうか調べたら幸いなことに良い席が残っていたので即GETした。

ところが、朝から第1部4時間超を観た後に、続いて第2部を観るというのはなかなかしんどいものがある。
いよいよというところまで来てまたもや注意散漫になってしまった。
「彦山権現誓助剣」は休憩込みで4時間37分もあるので、最後の毛谷村迄行きつく頃は相当疲れが溜まっていたのだ。

結局、火吹き竹の場面は確認できずじまいだった。
六助がお園や姑の見送りを受け、梅の枝と椿の枝を背中に挿してもらって仇討ちに出かけるところは観ていたのだけど。どうも、その瞬間、エアポケットに落ち込んだみたいだ。

ま、2回観たので、全体像ははっきりしてきたので良かったけど。

しかし、朝から通せば9時間37分だ。
休憩が合計90分。第1部と第2部の間の切り替えの時間が38分あったとはいえ、1日で2部とも観るというのはかなりの体力勝負だ。

♪2018-056/♪国立劇場-08

https://beelogbee.blogspot.jp/2018/05/305-2.html

人形浄瑠璃文楽平成30年5月公演 第1部「本朝廿四孝」/「義経千本桜」

2018-05-17 @国立劇場


本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)
●桔梗原の段
 口 豊竹芳穂太夫/竹澤團吾
 奥 竹本三輪太夫/竹澤團七

●吉田幸助改め五代目吉田玉助襲名披露口上
 桐竹勘十郎・吉田簑助・(吉田幸助改)吉田玉男
 吉田和生・吉田玉男・吉田簑二郎・吉田玉誉・
 吉田玉勢・吉田玉志・吉田玉也・吉田玉輝・吉田玉佳

●景勝下駄の段
 竹本織太夫/鶴澤寛治

<襲名披露狂言>
●勘助住家の段
 前 豊竹呂太夫/鶴澤清介
 後 豊竹呂勢太夫/鶴澤清治

人形役割
 高坂妻唐織⇒吉田簑二郎
 越名妻入江⇒吉田一輔
 慈悲蔵(直江山城之助)⇒吉田玉男
 峰松⇒吉田簑悠
 高坂弾正⇒吉田玉輝
 越名壇上⇒吉田文司
 女房お種⇒吉田和生
 長尾景勝⇒吉田玉也
 横蔵(後に山本勘助)⇒(吉田幸助改)吉田玉男
 勘助の母⇒桐竹勘十郎(勘助住家<前>まで)
     ⇒吉田簑助(勘助住家<後>から) ほか

義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
●道行初音旅
 静御前⇒豊竹咲太夫
 狐忠信⇒竹本織太夫
 竹本津國太夫・竹本南都太夫・豊竹咲寿太夫・
 竹本小住太夫・豊竹亘太夫・竹本碩太夫
 竹本文字太夫
 鶴澤燕三・竹澤宗助・鶴澤清志郎・鶴澤清馗・
 鶴澤清丈・鶴澤友之助・鶴澤清公・鶴澤清胤・
 鶴澤燕二郎

人形役割
 静御前⇒豊松清十郎
 狐忠信⇒桐竹勘十郎

吉田幸助という人形遣いはこれまでも何度か見ているが、顔と名前が一致しない。何しろ、人形使いはほぼ90%?が吉田某で残りの多くが桐竹某で、わずかに豊松という名がある。これは太夫、三味線でも同じ傾向だから姓・名を覚えるのは容易ではない。ついでに言えば、太夫は全員が○○太夫という名前で、かつ、その読み方が「○○だゆう」の場合と「○○たゆう」の場合があるので、ほとんどお手上げだ。

その幸助が五代目*玉助を襲名するというので5月文楽公演の第1部に披露口上が行われ、メインの演目である「本朝廿四孝」のうち「勘助住家の段」で横蔵(後の山本勘助)を遣った。

「本朝廿四孝」は全五段の大作で、今回はその三段目(山本勘助誕生の筋)が演じられた。

どんな話か、あらすじさえ書くこと能わず。
何しろ複雑な伏線が絡み合って、壮大な(武田信玄と上杉謙信)軍記を彷彿とさせる物語だ。

観ているときはそれなりの理解ができるのだけど、徐々に登場人物が多くなり、何某…実はナントカであった、というようなよくある話が一層話を複雑にして、とうとう消化不良のまま終わってしまった。
これは二度三度観なければ合点が行かないだろう。

襲名口上は、桐竹勘十郎、吉田簑助、吉田和生、吉田玉男、吉田蓑次郎など錚々たる布陣だった。
また、襲名狂言では人形を簑助、和生、玉男、勘十郎が、三味線を鶴澤清介、清治が、語りを呂太夫、ロ勢太夫といったベテランが参加して花を添えた。

「義経千本桜〜道行初音旅」は、歌舞伎では当たり前のように観る所作事(舞踊劇)で、これを文楽で観るのは初めてだった。
歌舞伎では(主に)長唄連中が舞台の後ろに大勢並んで踊りの伴奏をするが、文楽でも同様だった。
桜満開の吉野山を描いた背景の前に、前列に三味線が9人、後列に太夫が9人整列した様は見事だ。
人形は静御前(豊松清十郎)と狐忠信(桐竹勘十郎)だけだが、勘十郎は早変わりで忠信と狐を演ずる。

襲名披露とは直接関係のない出し物だけど、見事に美しい華やかな舞台だった。

♪2018-055/♪国立劇場-07

*幸助の父・玉幸は四代目玉助を襲名する前に亡くなったので、今回、四代目が父に追贈され、幸助が五代目を襲名した。

2018年5月15日火曜日

人形浄瑠璃文楽平成30年5月公演 第2部「彦山権現誓助剣」

2018-05-15 @国立劇場


彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)
●須磨浦の段
 お菊⇒竹本三輪太夫
 内匠⇒豊竹始太夫
 友平⇒竹本小住太夫
 弥三松⇒豊竹咲寿太夫
 /鶴澤清友
 
●瓢簞棚の段 
 中 豊竹希太夫/鶴澤寛太郎
 奥 竹本津駒太夫/鶴澤藤蔵・鶴澤清公 

●杉坂墓所の段
 口 豊竹亘太夫/野澤錦吾
 奥 豊竹靖太夫/野沢錦糸
 
●毛谷村六助住家の段
 中 豊竹睦太夫/野沢勝平
 奥 竹本千歳太夫/豊澤富助

人形役割
  娘お菊⇒吉田勘彌
  弥三松⇒吉田簑太郎
  友平 ⇒吉田文昇
  内匠 ⇒吉田玉志
  佐五平⇒吉田玉勢
  お園 ⇒吉田和生
  伝五右衛門⇒吉田玉佳
  六助 ⇒吉田玉男
  母お幸⇒桐竹勘壽
  ほか

今月の文楽公演は第1部が吉田玉助襲名披露公演で出演陣もなかなか豪華だ。ま、そちらはあとの楽しみにして、まずは第2部から出かけた。
演目は「彦山権現誓助剣」。本来十一段構成から六段目から九段目までの半通し上演だ。
このうち、九段目に当たる「毛谷村六助住家の段」は、歌舞伎では何度か観ている。歌舞伎では、大抵「毛谷村」としてこの段だけが単独で上演され、稀にその前段の「杉坂墓所の段」も置かれる場合があるが、今回の文楽公演のように四段・半通しは多分ないのだろう。

「須磨浦の段」と「瓢箪棚の段」を前置することで話がわかりやすくなったかと言えば、どうもそうでもなかった。むしろ、複雑になって全体像を掴みにくかったように思うが、それは、これら前二段を観るのが初めてだったからかもしれない。

物語性はともかく、「瓢箪棚の段」は、単独でもなかなか見どころがある。全体を通したヒロインであるお園が初めてここで登場し、仇役との対決場面だ。

お園は武術指南の娘として生まれたので武術全般に通じているだけでなく、180cmという偉丈夫(偉丈婦?)で怪力の持ち主でもある。鎖鎌まで使う剣戟、棚から遣い手もろとも人形が飛び降りる演出など、これはなかなかの見どころだ。

その彼女が「毛谷村六助住家の段」で、親が決めた彼女の許嫁でめっぽう剣術の巧い六助に出会い、その途端、しおらしくなり何くれとなく世話を焼くが、つい怪力の地が出てしまうところは、歌舞伎でも滑稽シーンが連続する楽しいところだ。

この「毛谷村」の「奥」を語ったのが千歳太夫。
人形は六助を吉田玉男、お園を吉田和生が遣った。
うまい下手は判断付けかねるが、みんな熱演で良かった。

♪2018-054/♪国立劇場-06

2018年5月14日月曜日

国立演芸場5月中席

2018-05-14@国立演芸場


落語   柳亭市楽⇒やかん  
落語   三遊亭歌笑⇒松山鏡
紙切り      林家楽一
落語         柳亭左龍⇒家見舞
落語   三遊亭圓窓⇒つる
  ー仲入りー
漫才         すず風にゃん子・金魚
落語         橘家圓太郎⇒化物使い
奇術         伊藤夢葉
落語         柳亭市馬⇒笠碁

ほとんど船を漕いでいたよ。
一番感心したのは、初めてお目見えの林家楽一の紙切だ。
紙切芸人は何人か見ているが、その中で男性としては一番若いようだ。芸の方はまずまずだと思うが、ぽつぽつしゃべる話芸のほうがなかなか味があって笑わせてくれる。すべてお客のリクエストに答えていたが、大谷翔平などの新作もそれなりにこなして好感を持った。

すず風にゃん子・金魚は、もうベテランの域なのだろうが、頑張っているのが痛々しくも思えるなあ。

一番楽しみにしていたのはもちろんトリの市馬だったが、これが申し訳ないことに途中から寝てしまい、お客の盛大な拍手で目が覚めた次第。いやいや申し訳ないことをした。

この日は、超満員だった。船橋方面からの団体客だったようだ。と言っても、老人会の風でもなく、平日の昼間に大勢で寄せに来るのはどういう団体だろう。

♪2018-053/♪国立演芸場-07

2018年5月13日日曜日

N響第1885回 定期公演 Aプログラム

2018-05-13 @NHKホール


パーヴォ・ヤルヴィ:指揮
NHK交響楽団

クリスティアン・テツラフ:バイオリン*

ベートーベン:バイオリン協奏曲 ニ長調 作品61*
シベリウス:交響詩「4つの伝説」作品22
 「レンミンケイネンと乙女たち」
 「トゥオネラの白鳥」
 「トゥオネラのレンミンケイネン」
 「レンミンケイネンの帰郷」
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J.S.バッハ:無伴奏バイオリンのためのソナタ第2番イ短調 BWV1003からアンダンテ*

N響A定期は、本来は土曜日(初日)の会員なのだけど、コンサートがダブって、日曜日に振り替えてもらった。なので、席は選べないし、振替先にはたいてい良い席は残っていない。
センターゾーンだけどその中でも下手寄りで、おまけに実質6列目だった。
普段の席は、センターの中のセンターで非常に良い席だ。
今回は、一体どんな響がするのだろうか、不安だったが、第1バイオリンの原音のシャリシャリ感が少し強めだったけど、これはこれで一つの味わい。終わってみれば不満はなかった。
むしろ、これは席の問題ではないが、P.ヤルヴィの指揮が隅々に行き届き、繊細&重厚なアンサンブルが素晴らしかった。

ベートーベンのVn協は先日の石田泰尚+神奈川フィルが上出来だったが、今日のテツラフの独奏は広いDレンジと起伏に飛んだ表現力。それにバックのN響も呼応してこれぞベートーベンといった風格のある演奏で、やはり、格違いを感じさせた。
カデンツァもベートーベンがこの曲を自らピアノ協奏曲に編曲した際に作曲したティンパニー伴奏付きのもので、以前、ティンパニーの入ったカデンツァを聴いたことがあるが、それと同じだったかどうか分からない。ピアノ用に書かれたものをバイオリン用に編曲したのはテツラフ本人だというから、多分、今回が初聴きのカデンツァだったのだろう。とてもスリリングで良かった。

シベリウスの「4つの伝説」中の「トゥオネラの白鳥」は非常に有名なので、これだけ単独で聴くことは多いが全曲は初めて聴いた。50分を超える大曲で、管弦楽アンサンブルの響はとても良いのだけど、ちょっと退屈してしまったな。

♪2018-052/♪NHKホール-05

2018年5月12日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第337回横浜定期演奏会

2018-05-12 @みなとみらいホール


アレクサンドル・ラザレフ:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

阪田知樹:ピアノ*

ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》より前奏曲と愛の死
シューマン:ピアノ協奏曲*
チャイコフスキー:交響曲第4番
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アンコール
シューマン(リスト編):「献呈」*
チャイコフスキー:「くるみ割り人形」から「トレパック」

「トリスタン〜」はまずまず。好みで言えば、もう少し穏やかな方が好きだけど、元気のいい「トリスタン〜」だった。
弦楽器のアンサンブルは美しい。

「シューマン」は、オケは良かったが、ピアノに若干問題あり。音を外す場面が多く、ピアノも加わるTuttiでもズレが目だった。シューマンのコンチェルトはピアニストにとって難曲らしいが、あまり何度も音を外すと興ざめだ。

メインのチャイコ4番。これはよろしい。冒頭のホルンから始まりトロンボーン・チューバに降りてゆくファンファーレの見事さにまずは心奪われてしまった。なんども聴いているが、これほど立派なファンファーレは初めてだ。

ラザレフの指揮は第1楽章冒頭からテンポが早かったが、終楽章も怒涛の迫力だった。

欲を言えば、弦がなかなか綺麗なのだが、中低域が人数が多い割に厚みに不足した。と言うより、管の迫力に負けていたようにも思う。
それにしても、最近、日フィルの満足度は高いな。

♪2018-051/♪みなとみらいホール-15

2018年5月5日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2018 M326 〜ロマの音楽〜

2018-05-05 @東京国際フォーラムB7


パヴェル・シュポルツル:バイオリン
     &
ジプシーウェイ(伝統ロマ音楽)

ブラームス:ハンガリー舞曲第5番
サラサーテ:チゴイネルワイゼン
シュポルツル:ジプシー・ファイヤー
ピアソラ:アヴェ・マリア
ハチャトゥリアン:剣の舞
ロシアン・ファンタジー
モンティ:チャールダーシュ
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アンコールあり。曲名不詳


所謂ジプシーの音楽、ロマ音楽だ。
曲弾きのようなバイオリンにビオラ、コントラバス、ツィンバロンという4重奏。

ハンガリー舞曲(案内では1番だったが本番では5番を演奏)やチゴイネルワイゼン、チャールダーシュなどほとんど、お馴染みの作品ばかりだ。

思い切りメランコリーで、さめざめ泣いたあとには激しいリズムだ。クラシック音楽には禁じ手の減5度や増2度などもお構いなしに登場して、現代の人間にも残る原初的な感性を痛く刺激して心地よい。

ただ、惜しいと思ったのは、拡声装置を使っていたことだ。そのおかげで迫力ある演奏を楽しめたのだけど、スピーカーから流れる爆音はナマとは比べ物にならないひどい音だ。
ホールB7は大して広いホールではなく、せいぜい500人程度ではないか。生演奏でも十分音は場内全体に届くはずだ。
2千人規模のホールでもバイオリン独奏を聴くことができるのだもの。ぜひともナマの繊細な弦やツィムバロンの響きで咽び泣く音楽に酔いしれたかったよ。

♪2018-50/♪東京国際フォーラム-02

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2018 M335 〜中世の伝統歌Ⅱ〜

2018-05-05 @東京国際フォーラムB5


エマニュエル・ボナルド
    &
アンサンブル・オブシディエンヌ

ヴィヨン:美しきパリの女たち/デュファイ:目覚めよう、愛する者同士
バンショワ/ドルレアン:私の心は喜び歌う
トリスタン:私の故郷からやってきた鳥たち
ほか多数


毎年GW恒例の「熱狂の日」に毎年”熱狂”してきたが、今年は、1年を通じた鑑賞ステージ数(昨年は212ステージ)を抑えたいことや、3日連続して毎日3つも4つものコンサートを聴き続ける疲労を補って余りあるような魅力的な3日間のステージを構成するのができなかったことがあって、結局最終日の1日だけにして、その日の4つのコンサートを選んだ。

ところが、普段の不摂生が災いして、当日の朝、目は覚めたものの身体ちは音楽を受け入れるような状態ではない。このまま無理に出かけても前半の2つは寝てしまうだろう。なら、いっそ、家でもう少し睡眠を補ってから後半の2つをしっかり聴こうという情けない計画になってしまった。

まあ、結果的には、その日の朝の判断としては良かったと思うが、安いチケットで良かったものの海外オケのコンサート等だったら目も当てられんなあ。

で、このエマニュエル・ボナルドが率いるアンサンブル・オブシディエンヌは男声3人、女声1人、器楽1人(女性)という5人のアンサンブルで、男声1人は歌・朗読飲みだったが、残り4人はとっかえひっかえ笛や太鼓(中世の複製楽器)を鳴らしつつ歌った(笛を吹きながら歌うことはできないが!)。

声楽的には、オペラ歌手のような発声とは異なる地声のような感じで、旋律も単純。しかし、何か懐かしさを感じさせる歌ばかりだった。字幕もなし、歌詞カードもなしで、意味はタイトルから推し量るしか無い。
宗教歌、俗謡、民謡など、ルネサンス12〜16世紀の流行歌のようなものが多かったように思う。
上手な演奏だとは思えなかったが、親しみやすくて楽しめた。

♪2018-49/♪東京国際フォーラム-01