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2024年6月27日木曜日

横浜アンサンブルワンダーランド Vol.2 ~日本フィル・クラリネットセクションによる室内楽~

2024-06-27 @みなとみらいホール



JPO Quatre Homme plus
[クラリネット四重奏]
 伊藤寛隆(首席奏者)
 楠木慶(副首席奏者)
 照沼夢輝
 堂面宏起

●第一部 コンサート
グランドマン:クラリネットのためのカプリス
ヘンリー:バードウォッチング
ラヴェル(杉本哲也編曲):クープランの墓
チャイコフスキー(杉本哲也編曲):幻想序曲《ロメオとジュリエット》

●第二部 ライブトークショー
ここでしか聞けないスペシャルトーク
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チャイコフスキー:弦楽セレナーデからワルツ



日フィルの定期会員向けサービスコンサート?の2回目。

クラリネット4本が登場するとは承知していたが、ソプラノ~バスなど音域の異なる3~4本のアンサンブルだと思っていたが、なんと、全員B♭管(?)だ。

これで、うまくいくの?
…と思ったが、まず、音がきれい。同種楽器なのでユニゾンも和音もきれい。この「音を聴く」面白さがある。
そして、同種類の楽器なのに、結構低域から高域までカバーしていて、アンサンブルが成立しているのだ。

バスもリズムも4人に割り振って違和感がない。

最後の、チャイコのロメジュリの最後の音。
原曲もユニゾンで終わるのかどうか知らないけど、今回の編曲では4本のユニゾンの長音で終わった。
これが見事で、まるで1本の楽器のように聴こえたので驚いた。
編曲も上手いがやはり演奏技術が巧みなんだ。

第二部はメンバー紹介やら、プレゼントやら、最後に全員記念撮影。その写真どうするのかなと思っていたがTwitterで披露してあった。もちろん僕も写っているのだが、爺くさい。

♪2024-092/♪みなとみらいホール-23

2018年4月21日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第336回横浜定期演奏会

2018-04-21 @みなとみらいホール


ピエタリ・インキネン:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

伊藤寛隆:クラリネット*
松井久子:ハープ**

【ドビュッシー没後100周年記念プログラム】
ドビュッシー(アンリ・ビュッセール編):小組曲
 <小舟にて><行列><メヌエット><バレエ>
ドビュッシー:クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲*
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲**
ドビュッシー:交響詩《海》
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アンコール
ドビュッシー(アンドレ・カプレ編):「子供の領分」より第6曲「ゴリウォーグのケークウォーク」管弦楽版

ドビュッシー没後100年ということで組まれたオール・ドビュッシープログラム。さほど期待していなかったけど、とても良かった。久しぶりに満足度の高いコンサートだった。
「小組曲」はピアノ連弾が原曲で、これも聴いたことがあるがその時はあまり印象に残らなかったようだ。管弦楽版は読響と日フィルでいずれもコバケンの指揮で聴いている。

インキネンのタクトが降りて冒頭のフルートが惹きつける。もう、この日のコンサートは満足できそう!とその瞬間に思った。
始めよければ終わりよし、そのことわざを地で行ったみたいだ。
「小組曲」の管弦楽編曲はドビュッシー自身の手になるものではないけど、ドビュッシーがピアノ連弾用に作曲した時からオーケストレーションをイメージして書いたのではないか。管弦楽版を聴くとむしろピアノではこの雰囲気はとても出せまいと思う…とおもって帰宅後ピアノ連弾盤を聴いてみたら、やっぱり、これはこれでなかなかいいんだ。名曲だと再確認したよ。

「クラリネット〜第1狂詩曲」はちょうど1週間前(14日)に同じみなとみらいホールで、カンブルラン+読響、ポール・メイエのクラリネットで聴いたばかり。しかもNHK-BSクラシック倶楽部でその前日にアレッサンドロ・カルボナーレのクラリネットでピアノ伴奏版を放送していたのを録画していたので、この間に視聴している。まあ、こういう偶然てあるんだな。1週間の内に同じ曲を生で2回、放送でも1回聴くことになった。
そんな訳で、最近急にお馴染みさんになった、「牧神の午後への前奏曲」のクラリネット版のようなやや官能的な音楽を楽しんだ。「牧神〜」もフルートの代わりにクラリネットでやれば一層官能的になるかもしれない。

「神聖な舞曲〜」は独奏ハープと弦楽アンサンブルのための作品で、これは初聴きだった。細かく速いフレーズでハープの音がクリアに聴こえなかったところがあったのは残念。

メインは「交響詩≪海≫」。若い頃はなかなか馴染めなかったが、今ではかなり好きな作品だ。音楽の印象派だの象徴派だのと言われているが、音楽を聴きながら海の三態(海の夜明けから正午まで・波の戯れ・風と海の対話)が凡人に見えてくる訳ではないけど、まあ、それらしい気配は十分だし、何より、たゆたう感じの音楽そのものに不思議な魅力がある。これはドイツ音楽にもイタリア音楽にもない近代フランスの感性だ。それを切り開いたドビュッシーの天才なのかもしれない。

日フィルは、最近ずっと好感度が高いが、今日の演奏はインキネンの彫琢が細部まで行き届いているようで実にレベルの高い演奏だった。ひょっとして、昨日のN響よりも高水準だったかも。
やはり、オーケストラはみなとみらいホールで聴くのが一番安心して聴けるなあ。良い演奏を引き立てる名ホールだ。

♪2018-045/♪みなとみらいホール-12

2015年12月11日金曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第670回東京定期演奏会

2015-12-11  @サントリーホール


尾高忠明:指揮
伊藤寛隆[首席奏者]:クラリネット
柳生和大:テューバ
日本フィルハーモニー交響楽団

フィンジ:クラリネットと弦楽のための協奏曲 作品31
ヴォーン・ウィリアムズ:バス・テューバと管弦楽のための協奏曲 ヘ短調
シューベルト:交響曲第8番 ハ長調 D944 《ザ・グレート》

シューベルトの前の2曲はいずれも初めて聴く、というより、こういう音楽の存在すら知らなかった。フィンジという作曲家についてはその存在さえ知らなかった。
珍しい作品の組み合わせだった。



ジェラルド・フィンジ(1901-1956)は現代イギリスの作曲家だそうな。Wikiによれば「作曲家・園芸家」と書いてある。「演芸家」の間違いではない。

ヴォーン・ウォリアムス(1872-1958)の方が一世代前に生まれたが、彼の方が長命だったのでフィンジの2年後まで生きた。

詳しいことは知らない(調べたら分かるけど面倒だ。)が、2人は、同じ英国でほぼ同時代を生きたと言っていいのだろう。

作風については、なんとも分からない。フィンジについては今日はじめてこの1作を聴いただけだ。

かなり、切ない曲調だ。
調性がありそうな気もするけど表記はない。長短でいえば短調だな。ちょっと劇的な出だしの後、哀愁たっぷりにクラリネットの甘い音色でこれでもか、と胸をかきむしられるようだ。
第2楽章はやるせない。
第3楽章も結構ユウウツだ。ま、最後の最後に少し明かりが見えたという感じ。
でも、最近の僕の精神状態にはぴったりだったかも。

ヴォーン・ウィリアムズは好き。イギリス民謡組曲なんかヒジョーに好きだ。英国の土着の香りがする。もっとも、「英国」という国柄を論ずるのはこれまたヒジョーに難しいので深入りしないでおこう。
この民謡組曲に関してだけ言えば、「英国=イギリス」といっても実は「イングランド」のことであって、UKを指す訳ではない。

ついでに、「ヴォーン・ウィリアムズ」という名前。
つい最近まで、「ヴォーン」が名で「ウィリアムズ」が姓だと思っていたが、そうではなくで「ヴォーン・ウィリアムズ」ぜんぶが姓で、名は「レイフ」というそうだ。

バス・テューバと管弦楽のための協奏曲は、第1楽章はまるで日本の祭り囃子のような曲調だ。
第3楽章がせわしないが、奏者の腕の見せ所だ。聴いていてもあの大きな楽器をコロコロと鳴らすのは容易では無いだろうと思う。
しかし、まさにテューバ奏者のために作られたような作品で、感傷音楽としては如何なものか。もともとソロ楽器には絶対向いていないものなあ。

なんで、「バス・テューバ」か。
いわゆるテューバ(チューバとも)には少なくとも一番低い音の出る「コントラ・テューバ」。次の音域の「バス・テューバ」。一番高い音域の「テナー・テューバ」というのがあるそうだ。
「テナー・テューバ」なんて名前は自己否定みたいだが、吹奏楽でいう「ユーフォニアム」のことらしい。オーケストラでは「ワーグナー・テューバ」を指して「テナー・テューバ」という場合もあるそうだ。


シューベルトの第8番。
8番といえば、昔は「未完成」交響曲を指した。そして現在の第8番「ザ・グレート」はかつては7番だったり、9番だったりした。国際シューベルト協会が1978年に作品番号を改訂し、それ以降は8番(未完成は7番)で落ち着いているが、手持ちのスコアを見ると9番と書いてある。

その昔、アマオケ時代に演奏した曲で、今も、ボウイングを書き込んだパート譜も残しているが、楽譜の中に当時の演奏会のチラシが挟みこんであり、1989年7月と記されているので26年も前の事だったんだ。
まあ、そんな思い出もあって、特に好きな曲だ。
どの楽章もいいけど、やはり第2楽章か。シューマンは「天国的な長さ」と評したそうだが、終わってほしくない至福の時、というような気持ちでそう評したのだろう。

全篇に漂う雰囲気は、たぶん、…ウィーンの香りって、こういうのではないかと思う。


日フィルは、みなとみらいホールやサントリーホールのように残響の長いホールではこれまで弦に不満を感じたことはなかったのだけど、前回県民ホールでの演奏で、こう言っちゃ失礼だが、ボロを出したように思った。で、今回は特に弦の響きを気にしながら聴いたのだけど、やはり、以前のような聴き方はできない。
これまでは聴き過ごしていたのだろうが、この頃では、弦の高音部の濁りや中低域でもざわざわして透明感に欠ける部分が少なからずだ。たまたま今回もそうだったのか。僕の体調の問題かもしれないが。

せっかく久しぶりに「ザ・グレート」をもっと澄んだ弦のアンサンブルで聴きたかったな。

♪2015-123/♪サントリーホール-07