2023年12月9日土曜日
名曲全集194回 東京交響楽団/秋山「第九」❷
2022年12月23日金曜日
「第九」2022-❼ 新日フィル「第九」特別演奏会 2022 アドバンスクリエイトクリスマスコンサート
2022年9月9日金曜日
東京都交響楽団 第956回 定期演奏会Bシリーズ
2021年12月20日月曜日
新日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会 2021「第九」❹
2021-12-20 @東京オペラシティコンサートホール
鈴木秀美:指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:二期会合唱団
ソプラノ:森谷真理
メゾソプラノ:中島郁子
テノール:福井敬
バリトン:萩原潤
ベートーベン:序曲「レオノーレ」第3番 作品72b
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125
しかし、今日は非常に好ましい演奏だった。新日フィルがこんなにうまいのか!と思ったよ。いつも聴くすみだトリフォニーとは格段に力強かったのはホールの響きの良さもあるのだろう。
今季4回目の「第九」。これ迄で一番弦編成は大きかった(12-10-8-7-6)とはいえ僅かな違いで、それが演奏に反映したとは思えない。
全体にメリハリが良かった(全66分弱)。
終楽章の低弦のレシタティーヴォはとても独自で、「朗唱」というより「啖呵」を切っている感じだ。
前3楽章の主題を否定する勢いに説得力がある。
帰途の車中で、スマホに入っている5人の指揮者の「第九」から当該部分だけ、演奏を聴き比べたら、特に似ているのはトスカニーニで、まるで喧嘩腰なのが面白い。
もちろん、朗々と詠うのも悪くない。全体の音楽の中ですんなり収まれば色々あって面白い。
合唱は二期会32人。もちろん NoMask。
舞台後方中央に独唱4人。その左右に合唱団。
つまり独唱と合唱が重ならなかったのもいい。そして今日の独唱陣が良く響いた。
特に森谷・福井はここぞとばかりの声量。
惜しむらくは弦奏者が5人ほどマスクしながら演奏していた。
残り全員 NoMask なので、何とかならなかったかなあ。
2021年4月11日日曜日
NHK交響楽団 04月公演
2021-04-11 @サントリーホール
三ツ橋敬子:指揮
NHK交響楽団♢
ソプラノ:森谷真理♡
テノール:福井敬♠︎
◎モーツァルト:歌劇「魔笛」から
⚫︎序曲♢
⚫︎タミーノのアリア「なんと美しい絵姿」♠︎
⚫︎パミーナのアリア「愛の喜びは露と消え」♡
◎モーツァルト:歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」から
⚫︎フィオルディリージとフェランドの二重唱「夫の腕の中に」♡♠︎
◎モーツァルト:歌劇「イドメネオ」から
⚫︎バレエ音楽 K. 367から「パ・スル(1人の踊り)」♢
イドメネオのアリア「海の外なる胸の内の海は」♠︎
⚫︎エレットラのレチタティーヴォとアリア「ああ私の切望、怒り」~「血を分けたオレステよ」♡
◎ヴェルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」から
⚫︎バレエ音楽「春」♢
◎マスネ:歌劇「ウェルテル」から
⚫︎オシアンの歌(ウェルテルのアリア)「春風よ、なぜ私を目ざますのか」♠︎
◎マスネ:歌劇「タイス」から
⚫︎鏡の歌(タイスのアリア)「私を美しいと言っておくれ」♡
⚫︎「タイスの冥想曲」♢
◎プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」から
⚫︎ピンカートンと蝶々夫人による愛の二重唱「夕暮れは迫り」♡♠︎
ソプラノ:森谷真理、テノール:福井敬によるアリアと序曲など12曲。
ま、それはどうでもいいや。
才能ある人のよく磨き上げられた身体こそ最高の楽器だという日頃の思いを十分に納得させてくれた。
特に福井の声はなんとも輝かしい!
先日、砂川涼子を目の前で聴いてその声の美しさに震えるような思いをしたばかりで、加えて今日の福井の輝きと併せて比べると、森谷にはその輝きが不足しているように思うが、これはもう天性のもので仕方がないのか。年齢とともに磨きがかかるのだろうか。
とはいえ、両者の歌唱もN響の演奏にも大満足。
いつか、ワーグナー作品で企画して欲しいな。
♪2021-037/♪サントリーホール-04
2021年1月3日日曜日
第64回NHKニューイヤーオペラコンサート
2021-01-03 @NHKホール
広上淳一:指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団/二期会合唱団/藤原歌劇団合唱部
僕には抗体がある!と暗示をかけていざ、NHKホールへと出かけた。
久しぶりのNHKホールだが、これまで以上に警戒厳重で、中に入るのもしっかりSDを保たないと叱られる。
不安を抱えつつのコンサートだが、第1曲(全員で「第九」の「歓喜の歌」)が始まった途端、来て良かった!と思った。
考えてみれば、「歓喜の歌」が昨年の聴き納めだったが、新年の聴き初めも「歓喜の歌」だった。
元気を出すにはもってこいの音楽だ。
そのあとはどの歌もどの歌手も愛おしい。
その一瞬一瞬が宝のようだ。
馴染んだ名曲の釣瓶打ちに癒されるというか、じわじわと幸福感に満たされてゆく。
最後はオペレッタ「こうもり」から”シャンパンの歌”を全員で賑やかに歌って〆たが、その前が「マイスタージンガー」の親方の歌。
「国が滅びても芸術は残る」の趣旨。
ここでは歌がその芸術だ。誠に感無量で聴いた。
帰宅後、録画をざっ~と見たが、最後の最後に1階客席がぼんやり写り無観客ではないこと、拍手はウィーン・フィルのニューイヤーコンサートのようにオンラインではなくお客がその場で手を打っているという事が分かる。
しかし、そこに至る迄は、客席は見事なくらい映らないので、今時観客入れて開催するのか!という批判に気を使ったのかと思った。少なくとも昨年は客席がもっと鮮明に映ったし、1階席前方にいたみつばち先生の薄くなった頭頂部を確認できた。
でも、よく開催してくれたよ。
同じ場所で3日前の「紅白」は無観客だったし(見てないけど)。
関係者のひとかたならぬ苦労があったのだろうな。
在仏の大村博美の出演も嬉しいかった。
我がマドンナ砂川涼子姫は並々ならぬ美声の持ち主であることを再確認した。やはり、ナマでないと伝わらないものがある。
リスクを冒して出かけたが、この至福の2時間は僕にコロナ抗体を植え付けてくれたように思う。
2021-001/♪NHKホール-012020年1月3日金曜日
NHKニューイヤーオペラコンサート
アンドレア・バッティストーニ:指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団
二期会合唱団
びわ湖ホール声楽アンサンブル
藤原歌劇団合唱部
クラシック界の紅白歌合戦…でもないけど、楽しいお祭りに行ってきた。
今が旬の実力と人気を兼ね備えた
ソプラノ6人、
メゾソプラノ2人、
テノール4人、
バリトン4人、
バス1人。
馴染みのあるアリアの名曲釣瓶撃ち。まさに至福の2時間。
Eテレ生放送なので、帰宅後録画をチェックしたら、薄くなりかけた後頭部がしっかり写っていた。
2019年12月25日水曜日
東京都交響楽団 都響スペシャル「第九」<第九⑨>
レオシュ・スワロフスキー:指揮
東京都交響楽団
二期会合唱団
安井陽子:Sp
富岡明子:Ms
福井敬:Tn
甲斐栄次郎:Br
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125
前半は音楽に集中できず考え事をしていた。途中から、これはイケナイと考え直して集中に努めたが、その前半(1、2楽章)、上の空で聴いたとはいえ弦の響に難あり。管・打も迫力不足。
都響も3日連続で疲れが出たのではないか?
これまで聴いた8回で弦編成が16型だったのは、アマの横響とやっぱり!今日の都響だけ。
大勢並んだ上に独唱4人を指揮者横に2人ずつ並べたので窮屈なこと。スワロフスキーは何度も福井敬の頭を叩きそうに見えた。4楽章バリトン独唱が入った途端指揮棒を落としかけたのは福井に指揮棒が当たりそうだったから?
3楽章以降は弦が落ち着いた響きで心地よく、都響の久しぶりに良い管弦アンサンブルを聴いた。
前方に配した独唱陣もよく声が通り、二期会合唱団もマズマズの出来。
先日の横響@県民ホールと同様、額縁舞台では合唱団を後方に配置したせいで舞台前に押し出されたオケの響が結果的にとても良かった。
♪2019-201/♪東京文化会館-10
2019年1月13日日曜日
名曲全集第144回 壮大華麗な「レクイエム」
ロレンツォ・ヴィオッティ:指揮
東京交響楽団
東響コーラス
ソプラノ:森谷真理
メゾ・ソプラノ:清水華澄
テノール:福井敬
バス:ジョン ハオ(アン・リの代役)
ヴェルディ:レクイエム
ヴェルディ「レクイエム」。
モーツアルト、フォーレの作品と合わせて3大レクイエムと呼ばれているが、その音楽的<効果>は他の2作はもとより、知る限りのどのレクイエム(ベルリオーズ、ブラームス、シューマン、デュリュフレ、A.L.ウェッバー等)をも抜きん出ている。
聖書にテキストを求め、一応カトリックのレクイエムの形式をなぞってはいるが、オペラの大作曲家であるヴェルディに相応しく荘厳というより壮大、厳粛というより華麗な大作だ。
特に、ヴェルディの「レクイエム」を代表する第Ⅱ曲「怒りの日」は、古典的なレクイエムの形式に則ったもので、モーツアルトの「レクイエム」でも第Ⅲ曲に置かれた「怒りの日」は非常に印象深い。
が、ヴェルディは「怒りの日」の主題を3度も繰り返し、さらに最終曲にも登場させて、怒り狂っている!かのような激烈な音楽の配置によって「レクイエム」を単なる「鎮魂歌」にはしていない。
尤も、その対比として独唱者によって歌われる「ラクリモーサ(涙の日なるかな)」、「アニュス・デイ(神の子羊)」などの清明な美しさが輝き、とりわけソプラノ独唱と合唱による満を持しての最終曲「リベラ・メ(我を解き放ち給え)」の壮大なフーガのクライマックスが聴き手の心を激しく打つ…というヴェルディの巧みな構想。
さて、今日の演奏。
独唱・合唱・オケによる壮大華麗の一方で精緻精妙なる音楽をヴィオッティが明確な交通整理で信じられないほどの透明感を持って再現した。
早くも今年のベストかと思わせる上出来だ。東響としてもこんなに見事な演奏は記憶にない。
オケは最弱音から最強音までどのパートも埋もれることなく筋を通した感がある。
聖句の繰り返しが多いとしても長大な音楽を全曲暗譜で歌った東響コーラスも立派。
最終曲までの独唱はメゾ・ソプラノの清水華澄が目立つが、その鬱憤を晴らすようにリベラ・メでソプラノ森谷真理が大活躍して感動的フィナーレを歌い上げた。
終曲後、ヴィオッティは20秒ほど祈るような姿勢で休止した。
さもあらん。
観客もここは固唾を飲んで共に呼吸を整えた。拍手やブラボーのフライングもなく完全な終曲を待った。これが一層の感動を誘った。
拍手と歓呼の声は凄まじくカーテンコールは長く強力だった。
多くのプレーヤーがヴィオッティの指名を受けて喝采を浴びたのは当然でいつものとおりだが、今日に限っては大太鼓奏者に館内最強の拍手が巻き起こった。宜なるかな。「怒りの日」の大太鼓の最強音による裏拍打ちがあってこその「レクイエム」だもの。
ヴェルディ「レクイエム」は聴く機会が少ないが、今年は当たり年で来月の神奈川フィルも楽しみだ。
今日のように底力のある演奏家たちが気鋭の指揮者がもたらす化学変化でさらに音楽の高みを極める機会を共にできたことを幸運に思う。しかも、ミューザの特等席で味わうゴージャスな喜び。こんな楽しみを続けていて良いのだろうか、とふと反省の気持ちも…。
♪2019-004/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-01
2018年12月26日水曜日
都響スペシャル「第九」 ---「第九」❺
小泉和裕:指揮
東京都交響楽団
二期会合唱団:合唱
安井陽子:ソプラノ
富岡明子:メゾソプラノ
福井敬:テノール
甲斐栄次郎:バリトン
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125
今季「第九」は5回目だが、弦の編成が16型は初めて。
数にものを言わせる都響らしい。合唱の二期会も音圧高く、何もかも強力で爆音コンサートのよう。
尤も、その割には纏まり良く、いつも不満が残る第1バイオリンの高域もほとんど不快な音が混じることがなかった。
第2楽章はえらく短かった。テンポが早目であったこともあるが、どこか(提示部・展開部・再現部)で反復を省略したようだが、どの部分かは気がつかなかった。
終楽章の、歓喜の物語を誘う低弦のレシタティーヴォは鋭さが不足した。そもそもチェロ10本、コントラバス8本という編成は多過ぎないか。そのせいかどうか分からないが、エッジが効いておらず、ぼんやりとしてモタモタ感があった。
全曲は正味62分(第2楽章の短縮効果)と短いが、決して<疾走する「第九」>という訳ではない。小泉和弘の指揮はどんな曲を聴いても正攻法で、外連味がないのがいいと思っている。
第3楽章から第4楽章の入りは間髪入れず、というほどではないが、ほんの2呼吸空けた程度で突入したのは良かった。
ここは、ゆっくり休止をとるのが好きという人もいるが、ベートーベンが本来(古典的形式)なら緩徐楽章である第2楽章とスケルツォであるべき第3楽章を入れ替えて配置し、第2楽章を急速なスケルツォ、第3楽章をアダージョとしたからには、楽譜上の指示はないが、第3楽章が終わり次第、一呼吸で終楽章の激しい世界に雪崩れ込むのが効果的だと思う。
全体としては、最近都響にがっかりすることが多かったが、今日はまずまず楽しめた。
16型(弦楽器60人)にせずとも他のオケのように14型(同50人)で演奏した方がもう少し引き締まった響きになったのではないかとは思うが。
80点。
♪2018-178/♪サントリーホール-15
2018年10月20日土曜日
神奈川県民ホール・オペラ・シリーズ2018 グランドオペラ共同制作 ヴェルディ:歌劇「アイーダ」
アンドレア・バッティストーニ:指揮
ジュリオ・チャバッティ:演出
マウリツィオ・ディ・マッティア:原演出
合唱:二期会合唱団
バレエ:東京シティ・バレエ団 ほか
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
アイーダ:モニカ・ザネッティン
ラダメス:福井敬
アムネリス:清水華澄
アモナズロ:今井俊輔
ランフィス:妻屋秀和
国王:ジョン・ハオ
巫女:針生美智子
伝令:菅野敦
ジュゼッペ・ヴェルディ「アイーダ」全4幕〈イタリア語上演/字幕付〉/新制作
予定上演時間:約3時間25分
第Ⅰ幕45分
--休憩25分--
第Ⅱ幕50分
--休憩20分--
第Ⅲ幕/第Ⅳ幕65分
分かり易い三角関係のドラマを軸に親しみやすい歌曲、スペクタキュラーな舞台、バレー(ソロと群舞)など、見どころ聴きどころ満載のオペラだ。
ただ、4月に新国立でゼッフィレッリ(演出・美術・衣裳)の「アイーダ」を観ているので、馬2頭まで登場する豪華絢爛な舞台と比較することはハナからできないとしても、舞台美術や衣装などがどこまで肉薄できるかが、関心の一つ。
特に、神奈川県民ホールは新国立劇場より間口が4m弱広いので、舞台装置が粗末だとスカスカの舞台になってしまう恐れがある。
実際の舞台を見て、その点はどうだったか、実はよく分からない。というのも、ピットから3列目のど真ん中で観たので、その位置からは見える舞台装置は十分に満足できるものだったから。後方、特に2階、3階席からはどんな感じだったのだろう。
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前奏が始まるやいなや幕が上がり、男女一組のバレエが始まった。これはアイーダとラダメスの運命を予感させるものだ。この演出はとても良かった。バレエの美しさはその後2幕でも堪能できる。
馬は登場しないが、凱旋の場面(2幕後半)では、アイーダトランペットが舞台上のギリギリ上手と下手に3人ずつ別れて陣取った。広い間口を活かした演出が功を奏していた。
幕内と第3幕〜第4幕の間の舞台転換は幕を下ろさず暗転したまま黒衣が登場して人力で大きな装置を動かしたが、これも気分を弛緩させることなくむしろ緊張を維持する上で良かったかもしれない。
♫---------
声楽陣はどうだったか。
タイトルロールのモニカ・ザネッティンを除いてみんな良かった。特にラダメス役の福井敬とアムネリス役の清水華澄が光っていた。清水華澄にとっては7年前、県民ホールで同役を歌うはずのところ、3.11で公演中止となったという因縁の舞台だった。
終演後のカーテンコールでは感極まって涙ながらにステージにひざまずいて床を撫でるようにしていたのは、それ自体が感動的だった。見事に県民ホールでアムネリスが凱旋を果たした訳だ。
肝心のザネッティンは残念ティンだったよ。
歌唱も表情も態度も、起伏に乏しく、アイーダの悲劇が伝わってこない。そういう演出なのかもしれないが、だとすれば、他の出演者とのバランスが取れない。
むしろ、日本人声楽陣の方が感情豊かだった。
これでは「アイーダ」というよりタイトルを「アムネリス」に変えた方がピッタリする。
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ピットに入ったのは東フィルだ。まあ、慣れたものなんだろう。とりわけ、バッティストーニは「アイーダ」は何度も経験しているそうだが、それにしても、全曲暗譜だったのには驚いた。
僕の席の前に2列あったが、県民ホールの席は前後で椅子の位置が半席分ずれているので、前席には人の頭が無い。最前列は空席だった(チケット完売だそうだが、気の毒に来れなかったらしい)。すると、目の前はバッティストーニのモジャモジャ頭だ。気合い十分な指揮ぶりだったが、肩から上しか見えないものの、スコアを捲っている様子は皆目見えない。それで、終演後、ピットの中の人に聞いたら、やはり完全暗譜だそうな。いやはやびっくり。正味2時間40分の大曲が全部頭に入っているとはすごいことだ。
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残念な部分もあったが、全体としては上出来。大いに楽しめた。とてもラグジュアリーな気分で帰路についたはいいものの、パラパラ降り出した雨が途中から本降りに。傘を持っていなかったのでずぶ濡れの「凱旋」となった。
♪2018-133/♪県民ホール-04
2017年12月27日水曜日
N響「第九」Special Concert
クリストフ・エッシェンバッハ:指揮
NHK交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ
オルガン:勝山雅世*
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ソプラノ:市原愛
メゾ・ソプラノ:加納悦子
テノール:福井敬
バリトン:甲斐栄次郎
J.S.バッハ:トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV564 ― トッカータ*
J.S.バッハ(デュリュフレ編):コラール「主よ、人の望みの喜びよ」*
J.S.バッハ(イゾアール編):アリア「羊は安らかに草をはみ」*
J.S.バッハ:「天においては神に栄えあれ」― フーガBWV716、コラールBWV715*
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ベートーベン:交響曲第9番ニ短調 作品125 「合唱付き」
さて、エッシェンバッハの指揮をナマで聴くのは初めて。
N響C定期ではブラームスの交響曲を2回にわたって全曲指揮し、既にNHK-TVのクラシック音楽館でも放映され、録画の際にちらっと聴いたものの、ゆっくり聴く時間がないので本気では対峙していないが、年末年始にじっくり聴いてみようと思っている。
このブラームスの演奏は概ね好評だったようだが、今回の「第九」に関するNET評なども「良かった!」という評判が多いので、大いにがっかりした僕としては、世間の評はアテにならないという思いを今更ながら強く確信した。ブラームスも予断にとらわれずに聴かねばなるまい。
オケまず、合唱は、今回 P(舞台後方)席を客席とせず、ここに並んだ。これは数えやすい。全部で90人だった。やや少なめだがプロ集団だから数に恃む必要はないのだろう。東京オペラシンガーズだ。やはり、少ない人数を感じさせない馬力があった。大規模編成のオケにちっとも負けていない。それでいてあまり濁ることもなかったのはさすがプロだ。合唱団には満足できた。
声楽独唱者は、全員、何度か「第九」やオペラなどで聴いている人で各人は一流の腕なのだろう。しかし、バランスがどうだったか。特に合唱団に馬力があるので、合唱と独唱が一緒に歌うところでは独唱のアンサンブルの声量に不足を感じた。
オケ編成は、所謂16型。倍管。なのでコンバスも8本だ。今年聴いた「第九」の中で最大編成かどうかは分からないが、一、ニを争う大きな編成だった。そのせいで、合唱はP席に追いやられたのかも…。結果、観客席が制限を受け、そしてチケットが高くなった…という訳ではないだろうな。昨年、サントリーホールで都響の「第九」を聴いた時は合唱団は舞台上に陣取ったので、今回のN響の編成でも合唱団も一緒に並ばないこともなかったのかもしれないが、でも、並んだら相当窮屈だったろう。
大規模編成だから、迫力はあるし、演奏能力は高い。やはり、弦の美しさ(美しいところでは!)はどのオケよりもきれいに思う。しかし、今回の演奏にがっかりしたのは、演奏能力の問題ではなく、指揮の問題だ。
どの楽章もテンポは中庸ないし遅め(特に第3楽章)の設定だった。これは僕としては好みではない。できたら、第3楽章以外は可能な限り in tempo で疾走してほしい。でも、これは僕の偏った好みかもしれないから、テンポ設定に文句は言うまい。
問題は、テンポや音量を弄り過ぎだということだ。演出過剰で、外連であり、嫌味である。俗っぽすぎる。素人芸のようでさえある。フレーズの終わりを極端に dim したり rit して次のアタックを効かせるなんて、あまりにも安易ではないか。
かと思うと、第2楽章など本来は molto vivace なのであるから、相当速いはずだが、それが随分ゆったりしている。弦のアンサンブルが微妙にずれて、小節の頭だけで合わせていたような部分があったが、これは中途半端なテンポ設定に原因したのではないか。
また、第3楽章は遅くとも良い。 Adagio なのだから。いくら遅くとも音楽になっておればいい。
エッシェンバッハは16分20秒だった。この年末に6回聴いた「第九」の中では一番最長時間だが、長さだけを見れば世界標準だろう。
朝比奈隆のCD(新日本フィル・1988年12月@サントリーホール・ライブ録音)など第3楽章に19分48秒をかけていて、それはそれできれいな音楽になっているのだ。
問題は、冒頭書いた演出過剰だ。一番驚いたのが92小節目のホルンの独奏だ。聴きどころ・聴かせどころだが、ここで急ブレーキを踏んだように遅くなった。それで気持ちがつんのめってしまった。この急ブレーキに必然性はあるのだろうか。スコアを見てもこの場所にはテンポを含め何らの指示もないのだ。
どうやら、エッシェンバッハは「第九」の世界の中で独自の呼吸をしているようだ。僕にはそれが過剰だと思う。おそらく、N響の団員たちも違和感を払拭できていないのだ。
第4楽章。冒頭の強奏後、何度も繰り返される低弦のレシタティーヴォに勢いがない。ここはチェロやコンバスにとって最大の聴かせどころだが、勢いに欠ける。音も美しくない。年末の6回の「第九」中最低のレシタティーヴォだった。N響とは思えない。
それというのも、こういう部分こそ、特に指揮者と奏者が息を合わせなくちゃうまくゆかないが、呼吸があっていないのだ。
エッシェンバッハはそれを感じていなかったのだろうか?年末に計5回の「第九」を演奏して、今日がその最終日だというのに両者の呼吸が合っていない。
なぜ合わないか。
そりゃ、あまりにエッシェンバッハの呼吸が「独自」過ぎるからだ。こういう独自解釈を押し付けられてはいい迷惑だが、それでも、プロ同士として両者歩み寄り、それなりに呼吸を整えてモヤモヤの残らない演奏を聴かせてほしかった。
一昨年のパーヴォ、昨年のブロムシュテットと組んだN響の「第九」は素晴らしかった。「神は細部に宿る」という言葉を実感したような、行き届いたアンサンブルであった。
今年も一番の期待をかけて1年のコンサート聴き納めに選んだのだが残念な結果だった。
♪2017-212/♪サントリーホール-06