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2021年3月29日月曜日

東京・春・音楽祭2021 Trio Accord―白井圭、門脇大樹c、津田裕也

 2021-03-29 @石橋メモリアル


トリオ・アコード
 バイオリン:白井圭
 チェロ:門脇大樹
 ピアノ:津田裕也

ドボルザーク:ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調 op.21
マルティヌー:ピアノ三重奏曲第2番二短調 H.327
ドボルザーク:ピアノ三重奏曲第4番ホ短調 op.90 《ドゥムキー》
----ENC-------------------
ドボルザーク:我が母の教え給いし歌





トリオ・アコードを聴くのは3回目だが、門脇・津田のコンビは石田組長と組んだトリオでもよく聴いている(し、来週もフィリア・ホールで「大公」ほかを聴く予定。)。

いつも大抵聴き終えて満足度が高い。
この日も、3人ともとてもきれいな音で繊細なアンサンブルを聴かせてくれた。

しかし、大満足とは言えず。

理由その1:
《ドゥムキー》はドボルザークのピアノ・トリオ全4曲中、僕が唯一馴染んでいる曲だけど、何を隠そう、何度聴いても素直に共鳴できないでいる。

全6楽章はいずれも民族舞踊風で親しみやすいが、全体として構成感に欠けるので落ち着かない。

理由その2:
また、この日のホールは響きすぎで、絡み合う中にも各自の音が際立つ面白さに乏しかった。

♪2021-030/♪石橋メモリアル-01

2017年12月16日土曜日

東京都交響楽団 第845回 定期演奏会Bシリーズ

2017-12-16 @サントリーホール


ヤクブ・フルシャ:指揮
東京都交響楽団

マルティヌー:交響曲第1番 H.289
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68

月曜のA定期と同じマルティヌー&ブラームスの今日は2番。オケの編成も多分同じ。コンバス8本でブラームスっていいのかという疑問あり。あまり弦が多いと透明感が減少するリスクが増える。惜しい。
同日マチネで聴いたN響のメンデ3番もコンバス8本の大編成だったがパート毎に分離する音の明瞭さ。今日の都響も一歩及ばず。

とはいえ、A定期に比べると今日の方がずっと良いアンサンブルだった。弦がキンキンしなかったのはホールのせいだろうな。文化会館のA定期の席も悪くないのだけど、あのホールは残響が少ない分、原音:残響で言えば原音比率が高く、弦のピッチが甘いとそれがはっきりと聴こえてしまう。もう少し後ろで聴けばいいのかもしれないと思って、来季は3列後ろに移動することにしたが。

ところで、今回もフルシャの楽章間ポーズが長過ぎて緊張感に欠ける。楽章が終わる度に客席では咳払い狂騒曲が始まるのが耳障りだ。もっとテンポよくやってほしかった。

フルシャは今日で主席客演指揮者の座を降りる。
客席は大歓呼で送り出した。
人気もあるが、実力もあるのだろうな。その辺はどうもよく分からない。優れたオケとリハーサルを十分重ねたら、ハットするような音楽を聴かせてくれるのかもしれない。

♪2017-204/♪サントリーホール-05

2017年12月11日月曜日

東京都交響楽団 第844回 定期演奏会Aシリーズ

2017-12-11 @東京文化会館


ヤクブ・フルシャ:指揮
東京都交響楽団

ドボルザーク:序曲《オセロ》 op.93 B.174
マルティヌー:交響曲第2番 H.295
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調op.73

J.フルシャでマルティヌー2番、ブラームス2番他。
弦5部の編成は3曲とも同じだったような…。
大規模でコンバス8本。これでブラームス演る?
音圧は大きいが豊穣な響とは言えない。

この頃都響に満足できず欲求不満が続く。
次回のサントリーでも同指揮者・作曲家作品。さてどう響くか。

♪2017-200/♪東京文化会館-15

2017年1月29日日曜日

N響第1855回 定期公演 Aプログラム

2017-01-29 @NHKホール


下野竜也:指揮
クリストフ・バラーティ:バイオリン*
NHK交響楽団

マルティヌー:リディツェへの追悼(1943)
フサ:プラハ1968年のための音楽(管弦楽版╱1969)
ブラームス:バイオリン協奏曲 ニ長調 作品77*
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アンコール
イザイ:無伴奏バイオリン・ソナタ第2番第4楽章*

2017-01-29 @NHKホール

マルティヌー(1890-1959)なんて作曲家は記憶から抜けていたが、つい先月、都響で交響曲第5番を聴いたばかりだったよ。もう、忘れるのが速い。
フサ(1921-2016)こそ初聴き。
2人は生まれが半世紀ほど異なるけどいずれも現代の作曲家と言っていいのだろう。フサは昨年亡くなっているのだ。

現代の音楽は、ほとんどつまらない。
それにメインがブラームスの(交響曲ではなくて)協奏曲とは妙な組合せだな、と思った。

しかし、この2人はいずれもチェコの人で、マルティヌーの音楽はナチスによって焼き尽くされ、住人は強制収容された「リディツェ」という村の鎮魂の音楽であり、フサの作品もいわゆる「プラハの春」を崩壊させたソ連によるチェコ侵攻に怒りを覚えて作られた作品で、両者とも厳粛な気分が漲る音楽だった。
とくに後者は12音技法や微分音をも用いているそうだが、その全曲を覆う暗い情感が、実験趣味的な現代音楽とは一線を画しているように思えた。

それにしてもブラームスとのつながりはよく分からない。

その点は、ま、あまり重要だとも思えないけど。


ブラームスは良かった。
クリストフ・バラーティは2015年5月に同じN響の定期でバルトーク:バイオリン協奏曲第2番を聴いている。その時も相当高度なテクニシャンだと思ったが、ブラームスでも本領発揮。実に堂々として安定している。音圧も高く、館内に独奏バイオリンが響き渡った。

つい3週間ほど前に、飯森範親+日フィル+神尾真由子で聴いたが、そのときにも感じた第3楽章のテンポの遅さを今回も感じた。帰宅後手持ちのCDを3種類第3楽章の冒頭だけ聴き比べたが、ニコラス・アーノンクールとオイゲン・ヨッフムのテンポは結構速いが、チョン・ミョンフンのものは今日のN響、先日の日フィルと大差なかった。まあ、拘らなくともいいのだけど、やはり、このハンガリー舞曲風な音楽はちょっと疾走する感じがほしいな。

2017-014/♪NHKホール-01

2016年12月19日月曜日

東京都交響楽団 第822回 定期演奏会Aシリーズ

2016-12-19 @東京文化会館


ヤクブ・フルシャ:指揮
東京都交響楽団

マルティヌー:交響曲第5番 H.310
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番 ホ短調 op.93

マルティヌーという作曲家は知らなかった。1890年モラヴィア生まれ。1959年になくなっている。交響曲を6曲書いているが、第1番が51歳のときというからブラームスもびっくりの慎重派?
5番を書いたのが1946年。
それにしてはとてもロマンチックでドラマチックな音楽だった。
初めて聴いたから、へえ、こんな音楽か、ということ以上の感興はなかった。


ショスタコの10番も多分初聴きだ。
第1楽章が全体の半分近い長さ(25分位)で、しかもほとんど弱音でゆったりと経過してゆくので体調が悪ければ爆睡必至だ。
が、第2楽章が賑やかでテンポも速いので寝ていた観客もここでは覚醒するだろう。
古典的な形式の第1楽章と第2楽章がこの作品では入れ替わっている。
第3楽章もあまり面白くない。
終楽章もいよいよ終曲の少し手前からどんどんと盛り上がっていって、ようやくそれまでの憂さ晴らしができるのだけど、心に残るフレーズはなかった。

ショスタコーヴィチとしては過去に色々と国家からの批判を受けてきたために、本作では密かに自分の名前や女性の名前を織り込んで、屈折した本音を表現しているという説もある。
スターリンの死まで発表を待ったらしいが、そのような事情は音楽とどう関係してくるのだろう。
純粋に絶対音楽として楽しめばいいのではないか。
もっとも、なかなか楽しませてはくれないのだけど。

♪2016-181/♪東京文化会館-10