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2024年9月17日火曜日

東京フィル第1005回サントリー定期シリーズ

2024-09-17 @サントリーホール



チョン・ミョンフン:指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団

マクベスBr:セバスティアン・カターナ(東フィル定期「ファルスタッフ」)
マクベス夫人Sp:ヴィットリア・イェオ
バンクォーBs:アルベルト・ペーゼンドルファー(新国「ワルキューレ」「神々の黄昏」)
マクダフTn:ステファノ・セッコ
マルコムTn:小原啓楼
侍女Ms:但馬由香
医者Bs:伊藤貴之
マクベスの従者、刺客、伝令Br:市川宥一郎
第一の幻影Br:山本竜介
第二の幻影Sp:北原瑠美
第三の幻影Sp:吉田桃子

ヴェルディ:歌劇「マクベス』
全4幕・日本語字幕付き原語(イタリア語)上演
公演時間:約2時間45分(休憩含む)

第1幕  19:00…50分
第2幕  19:50…30分
----休憩      …20分
第3幕 20:40…20分
第4幕 21:00…45分
終演予定 21:45



チョンさんの歌劇シリーズはいつも本当に良い出来で、大いに楽しめる。
今日も、東フィルの第一声に痺れてしまった。これがサントリーの響か?と耳を疑うような明瞭な美しい響だ。

「オテロ」の時に気がついたが、それまでもこのスタイルだったのだろう。弦は指揮者に正対するのではなく、45度くらい客席に向かって広がっている。これが、あの美しい響きを生んでいるのではないか。

天井から普段は隠れているスピーカー群が降りていたが、一部は拡声していたのかもしれない。

歌手のうち、マクベス役はチョンさん歌劇「ファルスタッフ」で経験済み。バンクォーは新国の「ワル〜・神黄」で聴いている。夫人を歌ったVイェオもすばらしい。

いやはやみんな素晴らしくこれまで観た本格「マクベス」を含めても一番楽しめた。

あまりに良い出来だったので、「鑑賞減量」の大目標の下、東フィル定期は更新しないと決めていたが、やっぱり更新しよう。

チョンさん歌劇を聴く為だけでも定期継続の価値がある…ってミシュランの☆☆☆だね。

♪2024-125/♪サントリーホール-18

2017年10月11日水曜日

楽劇「ニーベルングの指環」第三日〜神々の黄昏〜

2017-10-11 @新国立劇場


ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」第3日〜神々の黄昏〜

指揮:飯守泰次郎
演出:ゲッツ・フリードリヒ
美術・衣裳:ゴットフリート・ピルツ
照明:キンモ・ルスケラ

読売日本交響楽団
新国立劇場合唱団
二期会合唱団


ジークフリート⇒ステファン・グールド
ブリュンヒルデ⇒ペトラ・ラング
アルベリヒ⇒島村武男
グンター⇒アントン・ケレミチェフ
ハーゲン⇒アルベルト・ペーゼンドルファー
グートルーネ⇒安藤赴美子
ヴァルトラウテ⇒ヴァルトラウト・マイヤー
ヴォークリンデ⇒増田のり子
ヴェルグンデ⇒加納悦子
フロスヒルデ⇒田村由貴絵
第一のノルン⇒竹本節子
第二のノルン⇒池田香織
第三のノルン⇒橋爪ゆか

1989年の11月にサヴァリッシュがバイエルン国立歌劇場で「指環」全曲を演奏した際に、NHKが世界で初めてハイビジョン収録した。それを当時のBS2で放映したのが翌年だったと思う。その時に、当時としては最先端技術の録画規格Hi8+PCM録音で録画した。そのSONYのビデオデッキは市販品としては最高額で、清水の舞台から飛び降りる決意で購入したのも、ハイビジョン収録の「指環」を全曲録画したかったからだ。

その後、何年か経過してその高価なデッキが壊れ、PCM録音を再生できるデッキが無くなってしまったが、こういうこともあろうかと壊れる前にVHSにダビングしておいたのが残った。その後、ビデオテープ再生環境も無くなってしまったが、その前に今度はDVD-Rにダビングしておいたので、これは今も残っている。ダビングを繰り返したので映像も音声も放送時の状態とは比べ物にならないくらい酷いが、今では貴重な宝物だ。

今では、METやラノスカラ座、バイロイト祝祭劇場その他での公演のビデオをブルーレイやDVDで何組も持っているけど、同一の演出、指揮、歌手、オケで全4部作を通したものはこの1989年サヴァリッシュ版だけだ。

このサヴァリッシュ版による「指環」体験が、その後ワーグナーのオペラへの関心を惹起させ、さらにオペラ全体への興味を高めさせた。
いろんな演出・指揮等による数種類の「指環」を楽しんできたが、2015年10月までは一度もナマの舞台を観たことがなかった。4部作を順を追ってナマ舞台で公演するという機会は極めて少なかったように思う。

2015年10月から、新国立劇場で始まったシリーズでようやく初めて「指環」と対峙できるようになった。新国立では過去2回公演しているが、いずれも4部作を聴き通せる環境になかったので、リタイアを機に長年の希望が叶った次第だ。

「ラインの黄金」は2015年10月。
「ワルキューレ」は2016年10月。
「ジークフリート」は2017年6月。
そして、2017年10月の「神々の黄昏」で3年がかりの「指環」が完結する*
指揮者は全作ともワグナーならこの人!飯守泰次郎だ。
オケは東フィルが2回、東響、そして読響と変わった。

4部作を観終えて、圧倒されたのはやはりワーグナーの精緻で巨大な音楽だ。物語は不完全な脚本のせいか、壮大な哲学の深淵に当方が届かないせいか、何とおりもの解釈が成り立つ。だからこそ、演出によって全体の雰囲気が微妙に異なってくる。
いつも疑問に思うのは最後にブリュンヒルデが火の中に身を投じた後、その火はヴォータンのヴァルハラ城をも燃やし尽くす…はずだが、どちらにせよこうして既に「黄昏れていた神々」の世界がなくなった後に、他の世界(人間界、ヴェルズング族、ニーベルング族、ラインの乙女たち)には平和が訪れるのだろうか?ブリュンヒルデの自己犠牲はイエス・キリストのように他の世界の人々の愛による救済になったのだろうか?

これまでいろんな演出の「指環」を観てきたが、どれもはっきりしない。初体験であったサヴァリッシュ版(ニコラウス・レーンホフ演出)では何もかも終わってしまうような演出だったが、これではブリュンヒルデの死が虚しい。
今回の演出でも、すべては火と水に飲み込まれてしまうようでもある。ただ、身を投げてうずくまったブリュンヒルデは舞台と一体化するように大きな布を全身で被っていたが、それが彼女の死を意味すると思っていたところ、最後には彼女がその布を両手で持ち上げ、上半身を起こすのだ。これは、命は失ったが、代わりに世界は救済されたという暗示ではないだろうか。ともかく、無駄死にではないということが示された終幕であった。それを観て、長い時間の緊張状態が解けて、ほっと安堵したものだ。

それにしても、「指環」は奥が深い、とあらためて思い知らされる。音楽は、決して歌えるような音楽ではないのに素晴らしい。

ベートーベンの「第九」と同じく、ワーグナーが「指環」を書き遺してくれたことに感謝だ。

*今年は、「指環」の当たり年で、4月にはマレク・ヤノフスキ+N響の演奏会形式での「神々の黄昏」を、5月にはピエタリ・インキネン+日フィルの演奏会形式での「ラインの黄金」を、同月に新国立で「ジークフリート」のハイライト版を、6月には新国立での今回の「指環」シリーズの第3作目である「ジークフリート」を鑑賞した。いずれも素晴らしく、我が内なる「指環」熱をいやが上にも高揚させてくれた。

♪2017-162/♪新国立劇場-07

2016年10月5日水曜日

楽劇「ニーベルングの指環」第一日〜ワルキューレ〜

2016-10-05 @新国立劇場


指揮:飯守泰次郎

演出:ゲッツ・フリードリヒ
東京フィルハーモニー交響楽団

ジークムント⇒ステファン・グールド
フンディング⇒アルベルト・ペーゼンドルファー
ヴォータン⇒グリア・グリムスレイ
ジークリンデ⇒ジョゼフィーネ・ウェーバー
ブリュンヒルデ⇒イレーネ・テオリン
フリッカ⇒エレナ・ツィトコーワ

ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」第1日~ワルキューレ~

「ニーベルングの指環」全4部作の<前夜祭>に当たる「ラインの黄金」が同じ新国立劇場、同じスタッフで公演されたのが昨年の10月だったから、ちょうど1年を経て第2部とも言うべき「ワルキューレ」が始まった。正しくは「~指環」の<第1日目>で、いよいよ本格的なドラマが始まる。待っている1年が長かったよ。
歌手は「~黄金」とは異なっているが、今回も主要な役は全員海外からの招聘だ。この世界のことはよく知らないけど、いずれも国際的に活躍している一流歌手だそうだ。それは素人の耳にももう一聴瞭然だ。
広くて天井の高い劇場空間に声が朗々と響き渡るのが、ナマとは思えない音圧を伴っている。
飯守泰次郎御大の率いる東京フィルハーモニー交響楽団の圧倒的なサウンドもピットの中に入っているとも思えない迫力だ。
ワクワクさせる音楽の素晴らしさは言うまでもないが、「~黄金」ではややもの足りなかった舞台装置が今回はとてもいい。
広い舞台と高さを活かした仕掛けがシンプルな中に深遠なドラマを表現していた。また、照明もよく考えられていて見事だった。
終幕のブリュンヒルデを深い眠りに落としその回りを炎が取り囲むとともに天界から降りてくる緑のレーザー光線が彼女の悲劇性を高めている。

「~黄金」は神々や巨人や小人族の間の権力争いで、ここでは愛を犠牲にすることで権力を得ようとする男たちの物語だが、「ワルキューレ」では権力よりも愛に生きようとする男女、それも神々の長ヴォータンが人間女性との不倫によって産ませた兄(ジークムンデ)と妹(ジークリンデ)の近親相姦の愛の物語だ。
ヴォータンは正妻(婚姻の女神フリッカ)以外の女神たちとも不倫をして9人のワルキューレたち(死んだ雄者を運ぶ女性たち)を産ませる。中でも知恵の神エルダとの間に生まれたワルキューレ姉妹たちの長姉ブリュンヒルデをヴォータンは一番信頼し、愛していた(これも近親相姦ぽい)。
ヴォータンはジークムンデを自分の大いなる野望の実現のために利用するつもりだったが、正妻フリッカの糾弾にあってやむを得ず殺さざるをえないことになる。ブリュンヒルデはヴォータンの命を受けてジークムンデを撃つ算段で出かけたが、ジークムンデとジークリンデの純粋な愛に心打たれ、父ヴォータンを裏切ろうとした。このことによって彼女はヴォータンによって神性を奪われ、岩山で眠りにつかされるのだが、ジークリンデはジークムンデの子種を体内に宿していた。やがて、生み落とされた子供こそ「~指環」の第2日「ジークフリート」のタイトルロールとなってブリュンヒルデと結ばれるという壮大な話が続くのだが、その公演は来年6月まで待たなければならない。

この神話のような物語は、愛と権力の対立という構造を持ち、実は、今を生きる我々の心の中に、愛や生きるということの意味を問いかけるものでもある。
開幕から終演まで正味5時間20分(休憩が第1幕の後に40分、第2幕のあとに35分あった。)という長丁場だったが、(休憩を除いて)片時も途切れないワーグナー印濃厚な劇的な音楽に全身・全霊を包み込まれ、圧倒されっぱなしだった。

♪2016-133/♪新国立劇場-2