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2019年9月1日日曜日

国立演芸場開場四十周年記念 9月上席

2019-09-01@国立演芸場


落語            昔昔亭全太郎⇒やかん
落語            昔昔亭A太郎⇒罪と罰
落語            柳亭芝樂⇒のっぺらぼう
落語            昔々亭慎太郎⇒家族旅行作文
曲芸   丸一小助・小時
落語            桂小文治⇒包丁
     ―仲入り―
コント         D51
落語            桂枝太郎⇒茶の湯
奇術            瞳ナナ
落語            昔昔亭桃太郎⇒結婚相談所

いつもながらに桃太郎の下手さ加減に白ける。もう、寝たふりするしかない。
コントD51も見事につまらない。
みんな長いキャリアを積んできたのにお客の心理を理解していない。お客の知性にもはるか及ばない。

が、それでも笑い、拍手するお客がいるのだから困ったものだ。昨今の落語ブームは芸人をダメにする一方だ。

昔昔亭一門はほとんど下手だが、前座の全太郎が真打連中よりうまいのが救い!


♪2019-130/♪国立演芸場-12

2019年4月13日土曜日

国立劇場開場四十周年記念 国立演芸場04月中席 桂歌丸追善公演

2019-04-13@国立演芸場


落語   桂鷹治⇒ちりとてちん
落語         桂枝太郎⇒チュウ臣蔵
落語         桂歌蔵⇒熊の皮
ものまね   江戸家まねき猫
落語         桂歌春⇒加賀の千代
        ―仲入り―
座談        歌丸師匠を偲んで
落語        桂歌助⇒宮戸川〜奴さん姐さん〜
漫才        コントD51
落語        桂米助⇒ラーメン屋

桂歌丸は、噺家としては昨年の4月19日の国立演芸場中席が最後の高座で、僕は初日の11日に聴いた。もうかなり声量・滑舌は衰えていたので、8日後に訃報を聞いても、やっぱりダメだったか、という感じだった。

それから1年後の4月中席というので、一門や親しい噺家が順番に出演して「歌丸追善」公演となったが、待合に写真が飾られたり短時間の座談会が開かれたほかは普段と寄席と変わることもなかった。

噺家は死んでも笑い話のタネにされるが、話す方も一種の照れがあるのだろうな。


今回は、相当遅れて行ったので前半3人は聴いていない。
まねき猫は相変わらずうまい。声帯模写の実力というより、全体の客あしらいが天性の巧さを持っているように思う。

歌春は独自だ。ちっとも上手くならないようにも思えるが、その独自を磨けば彼ならではの地歩を占めるのかもしれない。

そのあとの出し物はいずれもつまらなかった。
米助なんぞあれでトリが務まるのかと大いに疑問だ。


♪2019-046/♪国立演芸場-07

2018年1月19日金曜日

1月中席

2018-01-19@国立演芸場


落語 笑福亭希光⇒時うどん
漫談 新山真理
落語 三笑亭夢花⇒まんじゅうこわい
コント コントD51
講談 一龍斎貞水⇒安兵衛婿入り
   ~仲入り~
奇術 花島皆子
落語 桂米多朗⇒ちりとてちん
売り声 宮田章司
落語 三笑亭夢太朗⇒井戸の茶碗 

今年の初笑いだ。前座は飛ばして2ツ目から入った。
笑福亭希光(きこう)は鶴光の弟子で師匠と同じく、元は関西の芸人だ。そのせいで、東京落語じゃ「時そば」として有名な演目が「時うどん」になった。蕎麦とうどんではちょっと感じが違うんだけどな。そばみたいに啜れないからどうしてもズルズルっという擬音があまり旨そうではない。まあ、芸も学習途上というところで、まずまずの出来だったが、引っ込む際に時間超過だったのか、客席後方の時計を見て舌打ちして下がったのはいかん。観客は誰も気が付いていないのだ。いくら自分の話が終わっても、舞台の上で余計なことをしては観客の目には大いに不愉快。まったく修行が足らぬ。

新山真理の漫談は初聴きだったが、これもまずまず。

三笑亭夢花の「まんじゅうこわい」はかなりアレンジが効きすぎだ。特徴的な語り口なので、大成すれば面白い芸になるかもしれないが、今のところは聞き辛さが上回っている。

D51の漫才は話のレベルが低くその上くどいというか、臭いというか、洗練させておらず、加えてお客をいじりすぎるのは良くない。微笑ましい交流はいいが、乗れない観客も大勢いるのだ。そこの見極めはしながらやって入るのだろうけど。ま、タイプじゃないね。D51に特有のことではなく、下手な芸人ほどほかにも、お客をネタにするのが、こんな安易な方法で笑いを取ろうとしたって無駄だよ。スマートにやらないと不快感だけが残る。

講談師初の人間国宝一龍斎貞水の話は流石に惹きつけるのだけど、前フリが長くて愈々本筋に入ったところで時間不足という講談にありがちな(計画的確信犯?)展開に終わってしまい、欲求不満になってしまう。

桂米多朗のちりとてちん、宮田章司の売り声はまずまず。
トリの夢太郎の井戸の茶碗は好きな噺で、出来もとても良かった。心温まる良い話でシメたのはとても良かったね。

♪2018-007/♪国立演芸場-01

2016年3月11日金曜日

国立演芸場3月中席

2016-03-11@国立演芸場

落語 桂昇羊⇒初天神
落語 桂翔丸⇒つる
漫才 コントD51
落語 春風亭鹿の子⇒袈裟御前~かっぽれ~
曲芸 翁家喜楽・喜乃
落語 桂幸丸⇒野口英世伝
―仲入り―
奇術 山上兄弟
落語 春風亭柳之助⇒時そば
曲独楽 やなぎ南玉
落語 春風亭小柳枝⇒井戸の茶碗

 
寄席って過去に一度行ったきりで、それも数十年前のことだ。
落語など好きだけどわざわざ寄席へ行かなくとも、お気に入りの作品はCDでそこそこ持っているし、Youtubeで聴くこともできるのでながく行かなかったのだけど、歌舞伎の縁で国立劇場の「あぜくら会」にも入会したので、チケッが取り易くなり、自宅まで配送してくれるので、ちょいとついでに落語でもと思って出かけることにした。

国立演芸場といっても席は300しかないので建物自体も隣の大劇場と比べたらえらく小さい。というより外見は貧相だ。もっと立派にできなかったものか。

さて、たくさんの演目の中で、感心したものは、翁家喜楽・喜乃親子による「曲芸」だ。傘の上で色んな物を回したり、顎の上に棒を立てて茶碗やら房の付いた棒などを積み上げていくバランス芸だ。まあ、目新しさはないけど、そこがむしろ楽しい。
やなぎ南玉の「曲独楽」も同様で、最近ではTVでさえ見ることがなくなった回転している独楽を扇の紙の端や日本刃で刃渡りしたりして見せてくれるのだけど、驚きはないけど、懐かしさを感じて良かった。

「奇術」の山上兄弟。まだ20歳前後と見えたが、なかなか堂に入ったものだ。1人が箱の中に入り、蓋を占めてからその箱に何本もの先の尖った金属棒を突き刺して、蓋を開けるとあら不思議、誰もいない。再度蓋を閉めて棒を抜き取るとなかから最初の青年が入っている。そういうのが、もう一つあった。人間の体が箱ごと分断され多様に見えてまた元に戻る。
これもよく見る芸だけど、間近で見ているのにタネが分からない。

最後は春風亭小柳枝の「落語」。知っている話だったが、さすがにトリだけあって、それまでに出た落語家の話とは俄然違ってうまい。


フリをしているようでは一人前じゃない。
自然にそのまんまが芸になって表に出てそれがおかしい、そういうのでなくちゃいけない。でも、粋なフリをしているがそれが板についていない落語家が実に多いのは嘆かわしい。


♪2016-026/♪国立演芸場-01