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2020年8月3日月曜日

八月花形歌舞伎 第四部

 2020-08-03 @歌舞伎座

三世瀬川如皐 作

与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)
源氏店

切られ与三郎⇒幸四郎
妾お富⇒児太郎
番頭藤八⇒片岡亀蔵
和泉屋多左衛門⇒中車
蝙蝠の安五郎⇒彌十郎


半年ぶりに再開した歌舞伎座で、幸四郎・彌十郎・児太郎・中車らの「与話情浮名横櫛」を観る。
掛声・大向こうの禁止、幕間の私語遠慮、という異常な状態で、観客の声援は拍手のみ。

幸四郎が見得を切る〜そこで拍手。
児太郎も見得を切る〜そこで拍手。

この気脈がなかなか飲み込めない。

それにしてもなんと静寂な歌舞伎座!
いつもなら開幕前や休憩中はそこここでおばちゃん達の甲高い話し声。

それがない。
全然ない。

座席は市松模様で前後左右が空いているから、友達も、恋人も、夫婦も、目下不倫中の2人も仲を割かれるので話しづらいということもあるが、みんなお行儀よく決まりごとを守って大したものだな。むしろ、開幕前に繰り返し放送される注意事項がホンに煩かった。


♪2020-034/♪歌舞伎座-02

2018年8月26日日曜日

歌舞伎座百三十年 八月納涼歌舞伎第三部 通し狂言 「盟三五大切」

2018-08-26 @歌舞伎座


四世鶴屋南北 作
郡司正勝 補綴・演出
織田紘二 演出
通し狂言 「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」

序幕
 佃沖新地鼻の場
 深川大和町の場  
二幕目
 二軒茶屋の場
 五人切の場   
大詰
 四谷鬼横町の場
 愛染院門前の場

薩摩源五兵衛⇒幸四郎
芸者小万⇒七之助
家主くり廻しの弥助⇒中車
ごろつき五平⇒男女蔵
内びん虎蔵⇒廣太郎
芸者菊野⇒米吉
若党六七八右衛門⇒橋之助
お先の伊之助⇒吉之丞
里親おくろ⇒歌女之丞
了心⇒松之助
廻し男幸八⇒宗之助
富森助右衛門⇒錦吾
ごろつき勘九郎⇒片岡亀蔵
笹野屋三五郎⇒獅童

初めて観る芝居で、あらすじはざっと予習していたが、本番では、歌舞伎座が販売している「筋書き」(プログラム)を手元に開いてややこしい人間関係の理解に追われながら観ることになった。手元に置くと言っても、演出で館内も暗くなる場面が多くてそうなるともうお手上げなのだが。

この作品は、先行の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」、「仮名手本忠臣蔵」、「東海道四谷怪談」が織り込まれているそうだ。後者2作はまずまず理解しているつもりなので、どういうふうに本作に取り込まれているかは、およそ分かる。
が、「五大力恋緘」を観たことがなく内容も予習の範囲でぼんやりとしか頭に入っていなかった。
今後のために改めてブリタニカ国際大百科から関係部分を引用しておこう。

『<五大力>とは、元来は<五大力菩薩>の略で、女からの恋文の封じ目に書く文字であり、また貞操の誓いとして簪(かんざし) 、小刀、三味線の裏皮などにこの字を書いた。』
『<五大力恋緘>〜は紛失した宝刀探しに明け暮れる源五兵衛と三五兵衛に、辰巳芸者小万との愛と義理立てをからませた筋で、隣で唄う上方唄<五大力>を聞きながら三味線の裏皮に<五大力>と書く趣向が受けた。ほかに文化3 (1806) 年並木五瓶作の『略三五大切 (かきなおしてさんごたいせつ) 』、文政8 (25) 年鶴屋南北作の『盟三五大切 (かみかけてさんごたいせつ) 』の書き換え狂言が有名。』とある。

つまり、「盟三五大切」は「五大力恋緘」を再構成し、その際?に「仮名手本忠臣蔵」と「東海道四谷怪談」(東海道〜は元来が忠臣蔵の外伝である。)を盛り込んで再構成したようだ。

本作では、笹野屋三五郎がその女房小万の腕に彫った「五大力」の入れ墨に、頭に「」を加え「」に偏として「」を加えて、「五大」に書き変える。これが終盤の悲劇の原因となる。

小万は三五郎の女房であることを隠して深川芸者として稼いでいる。それは三五郎の父に討ち入りの資金を提供することで、勘当を解いて欲しいからだ。つまり、三五郎も今は身分を隠して船頭をしているが、元は武家の出で、塩谷家(史実では浅野家)に縁の者だ。

一方、その小万にすっかり入れ込んだのが源五右衛門。彼は主人の切腹前に主家の御用金を盗まれて、その科で浪人となったが、なんとか盗まれた金を取り戻し、塩谷家に復縁したいと思っているが、今は、その素性を明らかにできない。また、そんな事情から芸者にうつつを抜かしているゆとりはないのだが、そこがだらしがないのがこの男の性なのだ。
ところが、親戚筋から、思わぬ大金百両を得ることになった。本来なら、主家に届けて復縁を願い出るべきところ、小万に未練があって逡巡している。
それを知った三五郎夫婦がその金を奪おうと計画する。三五郎も源五右衛門も本来は仲間同士なのだが、互いはその事情を知らないがゆえである。

源五右衛門は結局百両を奪われ、深夜、その恨み果たさんと三五郎の仲間が寝入っている家を襲い、5人を斬り殺す。

筋書きは、このあとも更に複雑に展開し、人殺しや腹切など凄惨な場面が続くが、最後は源五右衛門が晴れて塩冶浪士として高野家(史実では吉良家)討ち入りに向かう。

という訳で、この芝居も全体として「忠臣蔵外伝」なのだ。
幽霊の紹介は略したが、民谷伊右衛門(実は塩冶浪人)が女房のお岩を斬り殺した家が重要な舞台となり、お岩の幽霊が出る、という話が絡んでくる。

こういう筋書きの理解で、冒頭に書いた、「五大力恋緘」、「仮名手本忠臣蔵」、「東海道四谷怪談」の織り込みは納得できるが、おそらく、この作者はもっと巧緻な仕掛けを用意しているのかもしれない。

「予習」した際に、芝居の大詰で源五右衛門が三五郎の切腹を見て「こりゃかうなうては叶うまい」(こうでなくちゃおさまらなない)というセリフを言うことで、三五郎の切腹を早野勘平、塩冶判官の切腹に見立て、物語全体が「忠臣蔵」として「収まる」という見方を読んだが、今回の公演ではこのセリフ、確かに聞いたが、源五右衛門のセリフではなく、三五郎の父徳右衛門がつぶやいたように思った。なので、このセリフの意味が理解できない。浮いている感じだ。

巧緻な仕掛け、というのは、ここに引用した独自な見方が正しいかどうか判断できないが、そのような類の仕掛けが施してあるのではないか。登場人物を(源五右衛門⇒不破数右衛門だけでなく)忠臣蔵のいろんな人物に重ね合わせることができるのではないか、そんな気もしながら観ていたが、筋を追いかけるのが精一杯だった。

歌舞伎の常套手段で、登場人物の「A実はB」というびっくりぽんが多いこと。
参考までに以下に列挙しよう。これが、理解を難しくさせる原因の一つだ。

●薩摩源五兵衛⇒実は塩冶浪人(御用金を盗まれたため浪人となった)の不破数右衛門
●芸者妲妃の小万⇒実は民谷伊右衛門の召使いお六⇒実は大家の弥平の妹⇒実は三五郎の女房
●大家の弥助⇒実は民谷家中間土手平⇒実は小万の兄⇒実は塩冶家から御用金を盗み出した盗賊
●賤ケ谷伴右衛門⇒実はごろつき勘九郎
●笹野屋三五郎⇒実は塩冶家縁の徳右衛門(同心の了心)の息子千太郎

♪2018-101/♪歌舞伎座-04

2017年8月16日水曜日

八月納涼歌舞伎 第一部

2017-08-16 @歌舞伎座


長谷川 伸 作
坂東玉三郎・石川耕士 演出
一刺青奇偶(いれずみちょうはん)二幕五場
半太郎⇒中車
お仲⇒七之助
赤っぱの猪太郎⇒亀鶴
従弟太郎吉⇒萬太郎
半太郎母おさく⇒梅花
半太郎父喜兵衛⇒錦吾
荒木田の熊介⇒猿弥
鮫の政五郎⇒染五郎

二 上 玉兎(たまうさぎ)
  下 団子売(だんごうり)
〈玉兎〉
玉兎⇒勘太郎
〈団子売〉
お福⇒猿之助
杵造⇒勘九郎

8月の歌舞伎座は1日に3部公演だ。それなら、もっと安くできないか、と思うが、役者をこき使って、狭い場所に大勢の観客を閉じ込めて、2部公演のときとさほど料金は変わらない。松竹の商魂がミエミエな感じで役者にはすまないけど、歌舞伎座での歌舞伎公演はなかなか好きになれない。国立でゆったりと大人の歌舞伎をリーズナブルな値段で観るのが好き。

とは言え、この月は国立の歌舞伎公演はないから、毎年納涼歌舞伎に行くことになる。3部構成の中で、一番興味を持ったのが第一部の「刺青奇偶」。泣かせてくれそうな江戸の粋な人情噺。これを玉三郎の共同演出、中車、七之助、染五郎の主演で演るというから楽しみだった。

博打さえしなければ良い男だが、ヤクザな稼業から足を洗えないでいる半太郎が、ふとした縁で川に身投げした酌婦のお仲を助けた。人生に疲れていたお仲は初めて男の真情に触れ、2人は相身互いの貧乏だが幸せな暮らしを送っていたが、無理が祟ってお仲は不治の病に。なんとか助けたいと思う半太郎は賭場に因縁つけてお金にありつこうとして半殺しで叩き出されるが、そこに土地の親分政五郎が半太郎の事情を聞き、その男気に惚れて子分にしてやろうというが、半太郎は断る。そこで政五郎、自分の有り金全部を賭けて丁半で勝負しようと持ちかけ、応じた半太郎が勝利する…のは偶然なのか政五郎の情けが通じたのか。
思ってもみなかった大金を手にした半太郎は、喜び勇んで臥せているお仲の元へと急ぎ足。…この先は描かれないが、愁嘆場が待っているのは想像に難くない。

隣のご婦人は途中からもうグズグズに崩れまくっていたが、それほどの噺かな。

いくつも不満を感じた。

まずは、舞台が暗い。客席も真っ暗だ。いくら夜の情景としても暗すぎる。その一幕の間に暗転が2回。大道具を作り変えるために仕方がないとは言え、三場とも暗くて役者の顔もよく見えない。すると不思議な事にセリフも聞き取りづらい。

第二幕で話は暗いままだが、舞台はようやく少し明るくなってこれで初めて生の舞台を見る中車の顔がはっきり見えた。
暗いのが長いと気鬱になる。

そもそも、これは歌舞伎なのか、という疑問も湧いてくる。三味線・浄瑠璃はなし。台詞回しも新劇のようで、つまりは前進座の芝居のような感じを受けたが、前進座も歌舞伎なのかも。少なくとも歌舞伎座で歌舞伎役者が演じたら歌舞伎なんだろうな。

一幕三場と二幕二場に、半太郎を探し訪ねて母親と甥、母親と父親がやってくるが、二度とも半太郎とは会えない。絡みがないのなら何のために登場させているのか分からない。
原作どおりなのだろうが、彼らの出番はカットしたほうがスッキリする。

な、次第で、期待は裏切られてしまった。

二つ目の演目、玉兎はホンのご愛嬌。
団子売りは、前に仁左衛門、孝太郎で観たが、今回の勘九郎、猿之助の方が陽気な感じで良かったかな。

♪2017-140/♪歌舞伎座-04