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2023年6月9日金曜日

新日本フィル:すみだクラシックへの扉#15

2023-06-09 @すみだトリフォニーホール



デリック・イノウエ:指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
藤木大地:カウンターテナー*

メンデルスゾーン:劇音楽「夏の夜の夢」序曲 op. 21
モーツァルト:交響曲第36番ハ長調 K.425「リンツ」
パッヘルベル:カノンとジーグニ長調
ヘンデル:歌劇「セルセ」HWV40から「オンブラ・マイ・フ(なつかしい木陰)」*
ヘンデル:歌劇「リナルド」HWV7から「涙の流れるままに」*
モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」K.492から序曲/「恋とはどんなものかしら」*
モーツァルト:歌劇「ポントの王ミトリダーテ」K.87から「執念深い父がやってきて」*
モーツァルト:モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618*
グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」から「精霊の踊り」/「エウリディーチェを失って」*
---------------------------------
ヴォーン・ウィリアムズ(マーティン・カッツ編):「オルフェウスがリュートをとれば」*



前半はオケのみ。
メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」は良。だがプログラム全体の中では座り心地が悪かったのではないか。
というのも後半も含め、その他はヘンデル、モーツァルト等バロック・古典一色だったから。

後半は声休めを兼ねたオケのみ演奏の2曲以外は藤木大地のカウンターテナー・リサイタルの様相。この為彼のレパートリーから古色中心になったのだろう。

前半は弦14型。これがなかなか美しい。
昨日、読響を残念席で聴いて楽しめなかったせいもあるが、やはり自分で納得して選んだいつもの席で聴くって幸せだよ。

後半は10型(一部は弦楽のみも)とコンパクトな編成にチェンバロが加わった。カウンターテナーのレパートリーとしてはこれ以上ないという風な名曲揃いで大変結構でした。

♪2023-102/♪すみだトリフォニーホール-04

2023年2月16日木曜日

白熱の室内楽!<チーム・ソワレ> 藤木大地 & みなとみらいクインテット -あいのうた-

2023-02-16 @みなとみらいホール



カウンターテナー:藤木大地
みなとみらいクインテット
 バイオリン:長原幸太/辻彩奈
 ビオラ:川本嘉子
 チェロ:辻本玲
 ピアノ:萩原麻未

ドボルザーク:ピアノ五重奏曲イ長調 Op.81 B.155から第3楽章*
ベートーべン:アデライーデ Op.46
フォーレ:リディア Op.4-2
プーランク:歌曲集《陽気な歌》FP42から第7曲 <美しき青春>
モノ―:愛の讃歌
ヴォーン・ウィリアムズ:《命の家》から <静かな真昼>
マーラー:交響曲6番イ短調「悲劇的」から第3楽章**
村松崇継:生命の奇跡
木下牧子:夢みたものは+
アーレン:ミュージカル《オズの魔法使い》から <オーバー・ザ・レインボー>
J.S.バッハ:カンタータ第170番 <満ち足れる安らい、うれしき魂の悦びよ>
-----アンコール--------------------
加藤昌則:もしも歌がなかったら

*はピアノ五重奏の原曲。
**は加藤昌則の編曲によるピアノ五重奏
+は作曲者のオリジナル
その他は全て加藤昌則の編曲による歌とピアノ五重奏








-----感想は<マチネ>に同じ----





♪2023-032/♪みなとみらいホール-07

白熱の室内楽!<チーム・マチネ> 藤木大地 & みなとみらいクインテット -いのちのうた-

2023-02-16 @みなとみらいホール



カウンターテナー:藤木大地
みなとみらいクインテット
 バイオリン:成田達輝/周防亮介
 ビオラ:川本嘉子
 チェロ:中木健二
 ピアノ:松本和将

シューマン:ピアノ五重奏曲変ホ長調 Op.44から 第3楽章*
シューベルト:魔王 Op.1 D.328
マーラー:《リュッケルトの詩による5つの歌曲》から 第5番<私はこの世に忘れられた>
ラフマニノフ:ヴォカリーズ Op.34 No.14
J.S.バッハ:主よ、人の望みの喜びよ
ヴュータン:アメリカの思い出《ヤンキー・ドゥードゥル》Op.17**
加藤昌則:レモン哀歌
木下牧子:鴎
モリコーネ:映画《ミッション》から<ネッラ・ファンタジア>
平井夏美:瑠璃色の地球
村松崇継:いのちの歌
-----アンコール--------------------
加藤昌則:もしも歌がなかったら

*はピアノ五重奏の原曲。
**は加藤昌則の編曲によるピアノ五重奏
その他は全て加藤昌則の編曲による歌とピアノ五重奏





昨秋横浜18区コンサートシリーズで行われた「藤木大地&みなとみらいクインテット」の続きとして企画された。

今回は、1日にマチネとソワレ2公演で、メンバーも藤木大地と川本嘉子以外は変わった。
マチネの出演者は18区と同じメンバーで小林美樹が出演するはずだったが、体調不良で周防亮介に代わった。しかし、彼も(彼女も?)素晴らしかった。可愛らしいお声も拝聴して、なんだか、親近感を感じてしまったよ!それでいいのかっ!

藤木大地の歌とピアノ五重奏団による、ボーダーレス・ジャンルの歌曲の数々に器楽のみの演奏も各公演に2曲混じった。

さて、マチネはシューマンPf五重奏曲の第3楽章から始まったが、これがもう素晴らしくて一気に持ってゆかれた。

各楽器の音色のなんて美しい事。前日、前々日のサントリーホールの干からびた響に比べると雲泥の差だ。

みなとみらい小ホールは文化会館小ホールと並んで響の良さでは知る限り最高だ。こういうところで、名人たちによる生の音楽を聴くことができるのは何ものにも代え難い幸福だ。

メンバー紹介は、藤木が行うのではなく、自己紹介でもなく、”他己紹介”が傑作で、隣席を紹介するのだが、それぞれに面白く、各人の人柄が分かって楽しいひと時だった。

余談:メンバーから宇宙人と言われていた成田達輝(マチネの第1バイオリン担当)と最近大物との共演が続いている萩原麻未ちゃん(ソワレのピアノ担当)が夫婦だったとは知らなかったよ。出番の終わったタッキーがソワレでは客席から応援していたよ。

♪2023-033/♪みなとみらいホール-06

2022年11月3日木曜日

横浜みなとみらいホールリニューアル記念事業 井上道義指揮 NHK交響楽団 with 藤木大地

2022-11-03 @みなとみらいホール



井上道義:指揮
NHK交響楽団
カウンターテナー:藤木大地*
オルガン:近藤岳**

J.シュトラウスⅡ:ワルツ《南国のバラ》 Op. 388
マーラー:リュッケルトの詩による5つの歌曲*
サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調 「オルガン付き」Op. 78**


今日のプログラムには祝祭感がほぼなかったな。「オルガン付き」が派手なので、まあ、それらしくもあるけど。

1曲目は「南国のバラ」。ここでやらなきゃやるとこないよ、と思いながら見ていたが、案の定。終盤、ビヤジョッキが登場して飲みながら(フリだけ)指揮した井上センセ。サービス精神健在。

でも前半はあまり聴くべきものがなかった。
悪いけど、カウンターテナーという声質が生理的に苦手だよ。

業界用語で「ガン付き」=「オルガン付き」は「アルプス交響曲」と違って聴く機会が多い。
中で、過去最高は2018年の神フィル@ミューザがベスト。
しかし、本日名誉ある位置を転落した。ミューザには金網が無いからな…。

N響の透明感ある弦に管の乗り方がキレイ。
ルーシーも改修してもらったのかと思うほど、オルガンの存在感が明瞭だ。「アルプス〜」では感じなかったが(音楽の違い)同じ近藤岳によるオルガンが、オケに埋もれることなく、オケもオルガンに埋もれることなく、絶妙のバランスを保ち、クライマックスの快感へ!
サン=サーンスはこんなふうに書いていたのか!という新発見の思い。

やはりみなとみらいホールで聴くN響はピカイチだ。
N響B定期は音の悪いサントリーホールはやめて横浜でやってくれえ。

♪2022-165/♪みなとみらいホール-03

2022年10月18日火曜日

横浜音祭り2022 横浜18区コンサート 〜藤木大地 & みなとみらいクインテット〜

2022-10-18 @県立音楽堂


藤木大地:カウンターテナー
みなとみらいクインテット
 バイオリン:成田達輝/小林美樹
 ビオラ:川本嘉子
 チェロ:中木健二
 ピアノ:松本和将

シューマン:ピアノ五重奏曲から第1楽章*
J.シュトラウスⅡ:お客を招くのが好き(喜歌劇「こうもり」から)
ベートーべン:アデライーデ
シューベルト:魔王
フォーレ:リディア
マーラー:私はこの世に忘れられた
ブラームス:鎮められたあこがれ**
ドボルザーク:ピアノ五重奏曲第2番から 第1楽章*
モリコーネ:ネッラ・ファンタジア
アーレン:オーバー・ザ・レインボー*
ヴュータン:アメリカの思い出「ヤンキー・ドゥードゥル」*
小林秀雄:落葉松
木下牧子:夢みたものは***
村松崇継:いのちの歌
------Enc------------------
木下牧子:鷗***
加藤昌則:もしも歌がなかったら

無印は加藤昌則編曲によるCTn+ピアノ五重奏曲版
*印はオリジナルのピアノ五重奏曲版
**印は木下牧子編曲によるCTn+ピアノ五重奏曲版


横浜18区コンサートの一環。
これまでは各区の区立文化センターの小ホールだったけど、今回は千人超の音楽堂で。これが満席だった。

90分の予定が140分。その後の予定がなくて良かったよ。

悪いけど藤木ファンじゃない。みなとみらいクインテットという怪しい方が目当て。

成田達輝/小林美樹/川本嘉子/中木健二/松本和将ってなかり好みの面子が揃って嬉しや。
しかし、ピアノ五重奏はシューマンとドボルザーク2番から各1楽章のみと「ヤンキー〜」だけで寂しかったが、藤木の歌唱には1曲を除きすべて五重奏で伴奏した。

一番良かったのは最初のシューマンのピアノ五重奏曲。
ブラームスと並んでこのジャンルの最高傑作だと思っている。

それが第1楽章だけって悲しい…が、天の采配だね。明日、横浜シンフォニエッタで全曲聴くので楽しみだ。

「ヤンキー〜」では第1バイオリンを担当した成田が殆ど曲弾きの体で先輩たち4人を引っ張った。これは盛り上がった。

みなとみらい五重奏団と藤木は来年2月にも同面子で演奏会あり。早速、同日昼夜2公演を通しでチケ購入した。

昼の部は今日と全く同一メンバーだが、夜の部は長原幸太/辻彩奈/川本嘉子/辻本玲/萩原麻未とこちらも期待できる。


♪2022-154/♪神奈川県立音楽堂-09

2022年10月10日月曜日

オペラ:ヘンデル「ジュリオ・チェーザレ」新制作

2022-10-10 @新国立劇場


リナルド・アレッサンドリーニ:指揮
【演出・衣裳】ロラン・ペリー
【美 術】シャンタル・トマ
【照 明】ジョエル・アダム
【ドラマトゥルク】アガテ・メリナン
【演出補】ローリー・フェルドマン
【舞台監督】髙橋尚史

【合唱指揮】冨平恭平
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

【ジュリオ・チェーザレ】Msマリアンネ・ベアーテ・キーランド⇒女性・女声だが男役
【クーリオ】Br駒田敏章
【コルネーリア】Ms加納悦子
【セスト】Ms金子美香⇒女性・女声だが男役
【クレオパトラ】Sp森谷真理
【トロメーオ】Ct藤木大地⇒女声だが男役
【アキッラ】Brヴィタリ・ユシュマノフ
【ニレーノ】Ct村松稔之⇒男性・女声だが女役

ヘンデル「ジュリオ・チェーザレ」<新制作>
全3幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉

予定上演時間:約4時間25分
 第Ⅰ幕 90分
  休憩   25分
 第Ⅱ幕   60分
  休憩   30分
   第Ⅲ幕   60分

2022-10-10 この日がちょうど新国立劇場開場25周年の記念日だった。



ヘンデルの音楽は耳馴染みがよく、心地良い。
が、物語への共感は低く止まる。
話が複雑な印象を受けるのは、歌手の役割に問題があるかも。

女性(マリアンネ・ベアーテ・キーランド)が女声(メゾソプラノ)で男役(ジュリオ・チェーザレ)。
男性(藤木大地)が女声(カウンター・テナー)で男役(トロメーオ)。
男性(村松稔之)が女声(カウンター・テナー)で女役(ニレーノ)というのが混じっているのは、オペラ作曲当時のカストラートの存在を現代に持ち込んでいるからだろう。その結果、大勢登場する割にソプラノは一人だけ。こう言っちゃ悪いが、そのソプラノも高音に輝かしさが不足して、舞台全体がどんよりとしている。

今回の演出は既にパリ・オペラ座で初演済み。どういう評判を得たのか知らないが、成功しているとは思えない。

時は現代。場所は多分エジプトの、演出家曰く「博物館」《「美術館」の方がふさわしいぞ。17-8世紀の作と思われる絵画もあり、一定の役割を担っているから。》の収蔵庫。そこに収蔵品を運んだり修理したりする作業員が大勢登場。

その収蔵庫の中で古代の衣装を纏った歌手が演唱するのだが彼らからは現代に存在している作業員の存在は無。
作業員は自分達の仕事をしているので古代人の存在は無。
この構造が貫徹されたら並行世界の中で二重構造ドラマが進行することになり興味深かったが、残念!貫徹しない。
作業員は歌わない、踊らないが、古代人の物語に関わり合いを持つのだ。

最後は、古代の歌手たちがさも収蔵品のように収まったのだから、正に、これが狙いのはずだったのに、途中で両者が絡み合うことで互いに無の存在ではなくなったのがつまらない。なんで、こんな中途半端な演出をしたのだろう?
ロラン・ペリーは、かなり名の売れた演出家なのにどうして?
腑に落ちない。

♪2022-147/♪新国立劇場-11

2021年12月22日水曜日

読売交響楽団特別演奏会「第九」❺

2021-12-22 @サントリーホール



ジョン・アクセルロッド:指揮
読売日本交響楽団
合唱=新国立劇場合唱団

オルガン=中田恵子*

ソプラノ=中村恵理
アルト=藤木大地
テノール=小堀勇介
バス=妻屋秀和

J.S.バッハ:小フーガ ト短調 BWV578*
J.S.バッハ:トッカータとフーガ ニ短調 BWV565*

ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125


オミクロン水際対策強化で来日できないあちこちのオケの指揮者の代役でアクセル吹かしているアクセルロッドが読響でも代役で登場。初聴き。


演奏に限って言えば、とても良かった。

一昨日の新日フィルも良かったが、読響が僅差で上回った。好みの問題だけど。


弦の編成は10-8-8-6-5と中低域重視の10型。


今日で5回目の「第九」中、10型が3回。


どこもコンパクトな編成なのは奏者間距離の問題か。

とは言え、引き締まった響き。

金管の読響、と勝手に思っているが、今日はむしろ少数精鋭の弦に勢いがあった。


指揮ぶりは、癖のない正統的で風格を感じさせる「第九」だった。


合唱は秋山「第九」と同じ新国立劇場合唱団で男声18、女声22の計40人。

今回の合唱席は、広いP席全部を僅か40人で市松配置。

独唱は舞台後方に。



<違和感その1>は声楽陣の入場。

合唱は最初から着席できたのに途中入場だった。

独唱に至っては4楽章が始まっても入場しない。

低弦のレシタティーヴォが終わり、チェロが歓喜のテーマを始めても入場しない。

あわや大事故かと思いきや、バス独唱が始まる寸前に上手袖から妻屋氏が小走りで飛び込んでギリギリセーフ。それで「おお 友よ こんな音ではない。」と歌えるのか!


バスソロの途中で下手から残る3人の独唱者が登場して間に合った。

何てこった!こんな登場の仕方は見たことないぞ。


<違和感その2>はマスク。弦奏者は全員 NoMask!さすが読響(東フィルと並んで、定期演奏会でもNoMaskを通している。まれに外し忘れもいたが…。)!


なのに、トロンボーンの3人(終楽章途中まで出番なし)とパーカッションの3人(同じく)は出番までマスクをしていた。

これって変だよな?

弦でさえNoMaskなのに、座っているだけなのになぜ?


ま、音楽と関係ないのだけど、プロの矜持としてNoMaskを貫いてほしいよ。

♪2021-162/♪サントリーホール-22

2020年10月12日月曜日

オペラ「夏の夜の夢」

 2020-10-12 @新国立劇場


指揮:飯森範親
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
児童合唱:TOKYO FM 少年合唱団

演出・ムーヴメント:レア・ハウスマン
(デイヴィッド・マクヴィカーの演出に基づく)
美術・衣裳:レイ・スミス
照明:ベン・ピッカースギル(ポール・コンスタブルによるオリジナルデザインに基づく)

ブリテン「夏の夜の夢」全3幕〈英語上演/日本語及び英語字幕付〉
ニューノーマル時代の新演出版

予定上演時間:約3時間20分
 第1幕50分
  休憩25分
 第Ⅱ幕50分
  休憩20分
 第Ⅲ幕55分

オーベロン⇒藤木大地
タイターニア⇒平井香織
パック⇒河野鉄平
シーシアス⇒大塚博章
ヒポリタ⇒小林由佳
ライサンダー⇒村上公太
ディミートリアス⇒近藤圭
ハーミア⇒但馬由香
ヘレナ⇒大隅智佳子
ボトム⇒高橋正尚
クインス⇒妻屋秀和
フルート⇒岸浪愛学
スナッグ⇒志村文彦
スナウト⇒青地英幸
スターヴリング⇒吉川健一


子供の頃に原作を読み、映画(妖精の女王をミシェル・ファイファーが演じたもの。)も観たが、面白さが分からなかった。

この筋書きにブリテンによる調性拡張?音楽が加わった僕としては初見のオペラが「秋の午後の夢」となることは必至だな…と思いつつ臨んだが、これが存外退屈もせずに終幕に達した。

しかし、最後の妖精パックの口上のように《以上の物語は広い心を以て束の間の夢と受け入れ》なければ、ホンにアホらしい話で、このように物語の結末を「夢落ち」にすること自体にシェークスピアの力量を疑いたくなる…なんて、素人の大胆な発言!

音楽は美しくなく、耳に馴染む事もできないが、ぼんやりとした劇の内容をよく表していた。

ピット内は疎な配置で、弦が19人(他の楽器奏者16人)しか居ないので弦の響きは弱い。が、輪郭のはっきりした演奏で不満はなかった。

歌手も概ね健闘。

ただ、舞台が終始暗く、演者に表情が乏しいのは残念だ。

ニューノーマル時代の新演出とやらで、舞台上の歌手たちも互いの距離をとっていたが不自然さは感じさせなかった。

主役というべき、妖精の王を演じたカウンター・テナーの藤木大地の<地声>が一度炸裂した。これは如何なものか。

そもそも、僕はここでカウンターテナーを使うのも疑問なんだけど、これは演出ではなく、ブリテンがそのように書いているのだから仕方がないけど。

♪2020-064/♪新国立劇場-03

2019年12月14日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第353回横浜定期演奏会<第九③>

2019-12-14 @みなとみらいホール


広上淳一:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:東京音楽大学

ソプラノ:中村恵理
アルト(カウンターテナー):藤木大地 
テノール:吉田浩之
バリトン:大西宇宙

J.C.バッハ:シンフォニア変ロ長調 作品18-2
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125

ソプラノ独唱が中村恵理。何度かオペラで、昨年の秋山「第九」でも聴いたのにあまり印象に残っていなかったが、新国立劇場「トゥーランドット」のリューのアリアで僕はこの人に覚醒した。
男子3人(Altはカウンターテナーの藤木大地)の独唱相手に一歩も引けを取らず歌い上げたのはさすが。

肝心のオケだが、なんてうまいんだ。
東響も良かったが、今日の日フィルは格違いのうまさだった。管、特にホルンの抜群の安定感。弦は透明感を終始保った。オケはこうでなくちゃ。

多少の不満は、広上淳一の指揮はメリハリがはっきりしすぎ。それは聴きやすいのだけど、聴き手の集中力を削ぎ易い。

一音も聴き逃すまいと集中しなくとも、適度なメリハリ感が音楽を心地よく伝えてくれるので楽なのだけど、提供されるだけの喜びの様な気もして、一体感は得にくい…とこれは贅沢な不満。3⇒4楽章も一息で入って欲しかったな。

独唱者が舞台前に立った(東響は後方)。それだけに独唱が鋭く響き渡った。


♪2019-206/♪みなとみらいホール-57

2017年11月25日土曜日

モンテヴェルディ生誕450年記念特別公演 歌劇「ポッペアの戴冠」

2017-11-25 @県立音楽堂


鈴木優人:指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン

森麻季⇒ポッペア 

レイチェル・ニコルズ⇒ネローネ 
クリント・ファン・デア・リンデ⇒オットーネ
波多野睦美⇒オッターヴィア
森谷真理⇒フォルトゥナ/ドゥルジッラ
澤江衣里⇒ヴィルトゥ
小林沙羅⇒アモーレ
藤木大地⇒アルナルタ/乳母
櫻田亮⇒ルカーノ
ディングル・ヤンデル⇒セネカ
加耒徹⇒メルクーリオ
松井亜希⇒ダミジェッラ
清水梢⇒パッラーデ
谷口洋介⇒兵士Ⅱ

モンテヴェルディ:歌劇「ポッペアの戴冠」全3幕
(演奏会形式・日本語字幕付)

モンテヴェルディ開眼は40年以上昔だ。FMの音楽番組で聴いた「聖母マリアの夕べの祈り」にいささか衝撃を受けてさっそくLPを買って繰り返し聴いた。当初はラテン語のテキストも読みながら聴いていたので、まあ、大筋は覚えていたけど、今ではCDケースに収まった小さな解説を読む気にもなれないからそんな熱心な聴き方はせず、もっぱらBGMのようにして聴いているが、これがなんとも幸せな感じになるのだから嬉しい。

他の作品のCD(マドリガーレ集など)も僅かに持っていてこれも時々ヒーリング音楽として聴く。聖から俗まで守備範囲の広い作曲だとは知っていたが、どうしても「聖母マリアの夕べの祈り」のイメージが強くて、敬虔な信仰者との印象が出来上がっている。

ところが、今年はモンテヴェルディ生誕450年ということで、同じ音楽堂で、6月にコンチェルト・イタリアーノによる「聖母マリアの夕べの祈り」があり、同じ企画の一環で、歌劇「ポッペアの戴冠」も演奏されることになった。これは観ない訳にはゆかぬ。

さて、一体どんな物語なのか。
NET情報では17世に半ばに初演されたオペラとは思えない相当大胆な筋書きのようである。
そこで、ノルウェー国立歌劇場によるBDを見つけて購入し、観たが、これは大いにびっくりだ。放尿、性交、殺人、命じられた自殺、不倫など、もうハチャメチャな内容だ。舞台で一体何人が死んでいったろう?
音楽堂での演奏では、演奏会形式とはいえこれを一体どう演ずるのか、と心配になったものだ。

しかし、物語の筋書きは変わらないとは言え、演出が異なるとこうも別世界の物語になるのか、と驚くほど下品さ、醜悪さは取り除かれて、許容範囲の物語になっていたが、一方で毒を抜いた事による刺激不足の感は否めない。元々ノルウェー国立歌劇場版は世界のオペラ界で良いものと評価されているのだろうか?これは特殊な異端演出なのか、それとも原作に忠実なのだろうか?それが分からないので、比較において今回の舞台の良し悪しはなんとも言えない。

音楽は、聴き慣れたマドリガーレの世界だ。
しばし、ピリオド楽器によるルネサンス〜バロック初期の調べを楽しんだ。

♪2017-188/♪神奈川県立音楽堂-06

2015年5月2日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015 No.144 受難曲の傑作~バッハ究極の「マタイ」


2015-05-02 @東京国際フォーラムC


鈴木優人:指揮
ドロテー・ミールズ:ソプラノ
澤江衣里:ソプラノⅡ
青木洋也:アルト(カウンターテナー)
藤木大地 :アルトⅡ/証人Ⅰ(カウンターテナー)
ハンス・イェルク・マンメル:テノール
谷口洋介:(テノールⅡ/証人Ⅱ)
ドミニク・ヴェルナー:バス
藤井大輔:バスⅡ

バッハ・コレギウム・ジャパン

J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV244


こういう大曲は数年に一度しか聴く機会がない。普通、オーケストラ定期では取り上げないから。

「熱狂の日」3日間を通じて、J.S.バッハの受難曲2曲の他に、カンタータ、コラール、ミサ曲、マニフィカトなどを聴いたが、2日めのアンサンブル金沢だけはピリオド楽器(いわゆる古楽器)は使っていなかったように思うけど、バッハ・コレギウム・ジャパンはもとより、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルもリチェルカール・コンソートもピリオド楽器を含んだ編成だった。

遠目にもはっきりと区別が付く楽器もあるし、木管のように音で判断できるものもあるが、バイオリンやビオラなどはモダンなのかピリオドなのか分からなかった。
また、演奏団体によっては明らかに両者が混ざっていたり、曲によって使い分けをしていたり、と様々だった。
こういうピリオ楽器(を含む)演奏スタイルにどんなルールがあるのかさっぱり分からない。おそらく、こうでなくてはいけないというかっちりした決まりはないのだろう。

バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)といえば、古楽(の定義も難しいけど、大雑把には一部バロックを含むルネサンス、中世の音楽。)、就中バッハ作品を中心に取り上げる演奏団体としては我が国ではトップクラスだと聞いている。

これまで、TV放送などでは何度か聴く機会があり、ちょうどこの演奏会の数日前にNHKBSのクラシック倶楽部がBCJの第100回定期演奏会の様子を放映し、録画で視聴したばかりだった。

ナマで聴くのが初めてかどうかは古い記録が無いので分からないけど、聴いていたとしても思い出せないくらい昔のことだろう。
いずれにせよ、バッハをその名に冠する一流の演奏団体による「マタイ受難曲」を聴けるのは大いに楽しみだった。

が、しかし数日前のテレビで見たBCJとは様子が違う。指揮者が鈴木雅明でないことは事前に承知していたが、チェロも楽しみにしていた鈴木秀美ではない。コンマスも違ったかも。
それで(あれ、二軍編成か?と)少々残念な思いがよぎった。
もっとも、誰が出ようとこのクラスの団体となればきちんと最高水準を維持できるのだと思うが。


歌詞の字幕サービスが無かった。これは迂闊だった。
普通コンサートホールでは電光板かプロジェクタ投影で歌詞の字幕が写されるのだけど。

早く会場に入ったために気が付かなかったが、入口付近で歌詞のプリントを販売していたらしく、周囲の人の多くがそのページをめくりながら聴いていた。
まあ、受難曲はまさに福音書による「キリストの受難」を歌っているので(A・L・ウェバーの「ジーザス・クライスト・スーパースター」も同様)、筋はほとんど頭に入っているから、訳詞がなくともおよその見当はつくが、登場人物のやりとりを逐一記憶している訳ではないので、万全に楽しむことはできなかった。
せめてCDのブックレットを持参すれば良かった。


もう一つはカウンターテナーの必要性に大いに疑問を感じた。と言ってみても始まらないのだけど。世界のクラシック界(特に教会音楽の世界)では古くから、女声のアルトではなく、男声のファルセットによるアルトが使われることになっているらしい。
元々、教会が女性が舞台に上がること、歌うことを禁じたためにその代用として特に訓練をした男性がファルセットで歌うスタイルが出来上がった。

今では、女性でも立派な体格で声量のある歌手がいるのだから何も男性が裏声出して歌うことはなかろうと思ってしまう。やはり、高音部は無理があるように思う。

因みに僕が愛聴しているショルティ指揮のCDは管弦楽も現代楽器(シカゴ交響楽団)でアルトも女性が担当している。
超有名なアルトのアリア「憐れみたまえ、我が神よ」は古楽演奏の常道に反するかも知れないが本物のアルトで聴きたかった。

以前、オペラシティコンサートホールで「マタイ」を聴いた時も、当然管弦楽はモダン楽器を使う東京交響楽団で、声楽ソリストも混成だったように記憶している。
まあ、慣れの問題なのだけど、こういうスタイルでマタイを聴き慣れているので、やっぱり、現代スタイルがいい。
…と言う思いは、この翌日更に強くすることになったが。

なんやかんやで、欲求不満のうちに終わって、大いなるカタルシスは得られなくて残念。

♪2015-38/♪東京国際フォーラム-02