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2023年9月8日金曜日

東京都交響楽団 第981回 定期演奏会Bシリーズ

2023-09-08 @サントリーホール



サッシャ・ゲッツェル:指揮
東京都交響楽団
ネマニャ・ラドゥロヴィッチ:バイオリン*

ベートーべン,:バイオリン協奏曲ニ長調 op.61*
コルンゴルト:シンフォニエッタ ロ長調 op.5
-------------------------
ヤドランカ・ストヤコヴィッチ:あなたはどこに*



先日の都響Aに続いてゲッツェルとラドゥロヴィチの組み合わせ。

まずは、ベートーベンのVn協。ゲッツェルのリードがいいのか、2人の相性がいいのか、久しぶりに聴く古典名曲が柔らかい美音でロマンチックに楽しめた。
ただ、Aプロでの衝撃が大きかったのとサントリーは文化会館ほどには音が飛んでこない(文化会館より1列前なのだけど)ので、やや、物足りなさを感じた。音楽的には第3楽章のテンポが遅すぎたなあ。もっと感情を煽って欲しかった。

この日のラドゥロヴィチは長い髪をポニーテイル状に纏め、丁髷もなかった。それでも十分派手派でしかったが。


コルンゴルト15歳の作「シンフォニエッタ」を聴くのは少なくとも2回目で、前回もゲッツェルの指揮(神奈川フィル)だった。彼はこの曲が好きなんだろう。

15歳の作とは思えない大人びた旋律が繰り出されるが、構成感が不足気味で、長すぎる。つぎはぎの軽音楽を重ねて、どこをとっても受け入れやすいのだけど、それでどうなの?という感じ。

ベートーベンのVn協と同時期の作、交響曲4番なんかと組み合わせたらもっと味わい深く楽しめたのではないか。


♪2023-152/♪サントリーホール-17

2023年9月3日日曜日

東京都交響楽団 第979回 定期演奏会Aシリーズ

2023-07-19 @東京文化会館



サッシャ・ゲッツェル:指揮
東京都交響楽団
ネマニャ・ラドゥロヴィッチ:バイオリン*

リャードフ:ポロネーズ ハ長調op.49〜プーシキンの思い出に〜
チャイコフスキー:バイオリン協奏曲ニ長調 op.35*
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 op.64
-------------------
パガニーニ(セドラー編曲):24のカプリース から





❶Sゲッツェル讃
2014年1月に神奈川フィルの首席客演指揮者に就任して以来、2年間の在籍だったが、8回も聴いて、ほぼ、全てに好感を持った。その後、2017年に読響も振り、その年の読響「第九」を代打でかっ飛ばした。
2022年には新国立劇場で「ばらの騎士」で東フィルを振った。
『客席との仕切りが通常より低かったので、ゲッツェルの背中まで見えたが、彼の指揮姿が実に美しい!
その美しい指揮が東フィルから見事な響きを引き出していたように思う。ピットの音とは思えないほど弦の透明感が美しかった。
やはり終盤の三重唱にはゾクゾクしたが、ゲッツェルの見事な棒捌きも大いに寄与したはず。』とその時の感想に書いた。

今日も、Vn協でのコンビネーションの良さがNラドゥロヴィッチの好演を引き出したのだろう。交響曲5番では弦を煽り、盛り上げ、タメを効かせ、下手したら諄くなるところを良い塩梅に抑えていうことなし。都響の16型は成功率低いが今日は功を奏していたよ。
ゲッツェルには男の色気があるな。

❷Nラドゥロヴィッチ讃
最初登場した時、すぐ「異民族」という言葉が浮かんだ。そもそも長身だが、「ラインの黄金」の巨人族みたいな厚底靴を履いて余計に大きい。髪は腰まで届くような長さだが、頭頂には丁髷を結っている。始皇帝が万里の長城を建てさせたのはこういう民族の侵入を防ごうとしたのだな、と想像が羽ばたく。
その見かけの割には愛想を振りまいて人柄は良さそう。

さて、チャイコVn協が始まるや、驚きの美音。丁寧に繰り出されるが力強い。文末処理が見事で、次の章区の繋がりが自然でとても美しい。オケもゲッツェルがよくコントロールして3者一体で、え〜?都響ってこれほど上手かったの?とびっくりだよ。

第1楽章が終わって、ここで僕はもう拍手をしたかったが、独り目立つのも嫌だし…と思っていたら、なんと会場のあちこちから確信的な拍手が巻き起こった。それほど素晴らしかった。

過去、この曲での最高傑作は五嶋龍+Hr響だったが、肉薄したね。いや〜良い音楽を聴きました。

❸余談:
昨日神奈川フィル定期だった。前半は良い出来だったが、後半のブラ2に難があった。はっきり言えばHrの出来がイマイチだった(それだけではないが)。
もし、首席の坂東裕香が乗っていたらもっとずっと良くなったはずだ…。

その坂東裕香が、なんてこった!
今日の都響に客演首席で座っているではないか。Hrはアシスタントを従えた5人体制だった。この曲は第2楽章初めのソロをはじめ1番Hrが、極めて重要な役割を果たしている。そして、今日は美技を披露してくれた。
終演後に指揮者から一番に立つよう促されたのは、もちろん彼女だ。ま、この曲では1番Hrが1番と決まっているみたいだけど…。
ま、複雑な気持ちだ。

https://youtu.be/RAYZoGCrxy8?si=Me-zNSrqTsmsQavU

♪2023-126/♪東京文化会館-08

2022年4月12日火曜日

R.シュトラウス「ばらの騎士」

2022-04-12 @新国立劇場


【指 揮】サッシャ・ゲッツェル
【演 出】ジョナサン・ミラー
【美術・衣裳】イザベラ・バイウォーター
【照 明】磯野睦

【合唱指揮】三澤洋史
【合唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】多摩ファミリーシンガーズ
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

【元帥夫人】アンネッテ・ダッシュ
【オックス男爵】妻屋秀和
【オクタヴィアン】小林由佳
【ファーニナル】与那城敬
【ゾフィー】安井陽子
【マリアンネ】森谷真理
【ヴァルツァッキ】内山信吾
【アンニーナ】加納悦子
【警部】大塚博章
【元帥夫人の執事】升島唯博
【ファーニナル家の執事】濱松孝行
【公証人】晴 雅彦
【料理屋の主人】青地英幸
【テノール歌手】宮里直樹
【帽子屋】佐藤路子
【動物商】土崎譲


R.シュトラウス「ばらの騎士」
全3幕〈ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付〉

予定上演時間:約 4時間10分
第Ⅰ幕        75分
     休憩25分
第Ⅱ幕                        60分
     休憩25分
第Ⅲ幕                        65分



残念な部分もあったが、良かったところだけ書こう。

なんと言っても、5年ぶり尊顔拝謁のアンネッテ・ダッシュが、まさに元帥夫人の気品を漲らせて◎。

テノールには重要な役が全く振られていない変わったオペラだが、役としてはなくともいいような小さい「テノール歌手」役の宮里直樹が短い出番ながら朗々と歌って◎。

ピットに入ったのはS.ゲッツェル+東フィル。

客席との仕切りが通常より低かった(東フィル仕様)ので、ゲッツェルの背中まで見えたが、彼の指揮姿が実に美しい!

その美しい指揮が東フィルから見事な響きを引き出していたように思う。ピットの音とは思えないほど弦の透明感が美しかった。
これは、ピットの仕切りが低かった事も関係しているだろう。

やはり終盤の三重唱にはゾクゾクしたが、ゲッツェルの見事な棒捌きも大いに寄与したはず。

今回、改めてR.シュトラウスの才気を感じた。

終始ウィーンワルツ風の軽やかさを保ちながら、皮肉や冗談を精密な管弦楽技法に塗り込んでいる。

余録だが、森谷真理(マリアンネ)がさほど大きな役でもないのに出演していたが、もったいないような使い方だな。

以前、森谷の元帥夫人を二期会で観たこともあるのだけど。

その一方で、人材不足も感じたよ。どの役とは言わないけど。


♪2022-049/♪新国立劇場-05

2017年12月24日日曜日

読響第99回みなとみらいホリデー名曲シリーズ 「第九」演奏会

2017-12-24 @みなとみらいホール


サッシャ・ゲッツェル:指揮
読売日本交響楽団
合唱=新国立劇場合唱団

ソプラノ=インガー・ダム=イェンセン 
メゾ・ソプラノ=清水華澄
テノール=ドミニク・ヴォルティヒ 
バス=妻屋秀和

ベートーベン:交響曲第9番ニ短調 作品125「合唱付き」

22日の神奈川フィルと同じく読響でも体調不良により急遽指揮者が交代した。エマニュエル・クリヴヌに代わったのがサッシャ・ゲッツェルだ。クリヴヌ(仏国立管弦楽団音楽監督)という人はまったく知らないが、ゲッツェルは昨年度まで神奈川フィルの首席客演指揮者をしていたので、相当回数聴いている。僕の印象では、正統的な王道を行くという感じで、好感を持っている。

まあ、その一方で、変わり種の「第九」も聴きたくて仕方がないから、仏訛の「第九」も良かったかなとちと残念でもある。

正確な弦の編成は分からないけど、コンバスが6本、Vn1が12本、Vn2が10本、VlとVcが各8本だったと思う。神奈川フィルと同じような規模で、決して大編成ではない。管・打楽器の編成からしても本来はせいぜいこの程度、いや、これでもベートーベンの時代より多いのかもしれない(いずれにせよ、好みの席が1階中央前寄りなもので弦楽器はコンバスのほかは舞台最前列に並んでいる分しか数えられない。その内側は奏者が重なっているのでよく分からない。)。

これまでの経験では弦の多数は(極端な差ではない限り、12本であろうと16本であろうと)あまり音圧に決定的ではないように思う。迫力を感ずるのはやはり管や打楽器の数かな。

昨日の日フィルに比べて明らかに弦編成の規模は小さかったが、音圧は負けていなかった。
また合唱団も60名位しかいなかったのではないか。この年末の「第九」は今日で4回目だが、目下のところ一番規模が小さい。しかし、4回目にして初めてのプロ合唱団で、これはなるほどと思わせる出来栄えだった。東響と組んだ東響コーラスもアマチュアとも思えなかったが、こちらは160名ほどの大合唱団だ。それに引き換え半分以下の小規模合唱団が勝るとも劣らない迫力ある合唱を聴かせた。
また、声楽ソリストも全員がバランスの取れた良い出来だった。


さて、肝心の音楽は、やっぱり、そうか。という演奏で、テンポは中庸。わざとらしさやいやらしい演出などの外連味はゼロで、堂々たる「第九」だと感じた。
第2楽章が終わった時点で独唱者が入場し、その間隙を縫ってチューニングもしたので、ここでは少し間が伸びた…といっても時計を見ていたら1分前後なのだけど。

第3楽章をゆったりと歌わせ、終わるや否や終楽章に突入したのは正解だ。こうでなくっちゃ。低弦のレシタティーヴォは、まるで自分が頭の中で歌っているのと同じようなフレージングでツボに嵌ったようで心地よい。

全曲終わって時計を見たら所要時間71分だった。
やはり、オーソドックスな「第九」はこの程度の時間を要するものなのかもしれない。

♪2017-210/♪みなとみらいホール-53

2017年4月23日日曜日

読響第95回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2017-04-23 @みなとみらいホール


サッシャ・ゲッツェル:指揮
読売日本交響楽団
ユリアンナ・アヴデーエワ:ピアノ*

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調 作品16*
ドボルザーク:交響曲第7番ニ短調 作品70
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アンコール
チャイコフスキー:瞑想曲(18の小品 作品72から)*

序曲「魔弾の射手」は出鼻のホルンが崩れて的を外したようだ。しかし、グリーグのピアノ協奏曲は引き締まった。
アヴデーエワのピアノが歯切れよく、オケとの絡みもスリリングで協奏曲の醍醐味を味わう。さすがに前々回のショパンコンクール覇者(女性優勝者はアルゲリッチ依頼45年ぶりだそうな。)の貫禄あり。

グリーグPf協奏曲は超有名曲の割にはナマで聴く機会が少ないが、今日の演奏で初めて「名曲」の所以を素直に納得できた気がする。
初顔合わせのS・ゲッツェルと読響もこの曲辺りから段々噛み合ってきたようだ。

最後のドボルザーク交響曲7番も8番「イギリス」、9番「新世界から」ほどには演奏されず残念だ。しかし、これらに負けず劣らずの名曲だと思う。
番号順で濃厚になるボヘミヤ色がここではまだ薄い分、独墺風の絶対音楽の雰囲気があってブラームスの延長を感じさせる堂々の作風。出鼻を挫いたホルンもここにきて絶好調。分厚い弦の響も相まって読響は今季良いスタートを切った。


♪2017-064/♪みなとみらいホール-17

2016年9月22日木曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会 県民ホールシリーズ 第9回

2016-09-22 @県民ホール


サッシャ・ゲッツェル:首席客演指揮者
上原彩子:ピアノ*
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ムソルグスキー:交響詩「はげ山の一夜」
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調Op.26*
ムソルグスキー(ラヴェル編曲):展覧会の絵
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アンコール
ラフマニノフ:プレリュード 作品32-5*

ウィーン生まれのS・ゲッツェルの首席客演指揮者退任コンサートだったが、オール・ロシアプログラムは違和感。ゲッツェルが振った最後のみなとみらい定期ではマーラーだったから、ここはブルックナーでもやってほしかったな。

今日の曲目は管楽器の活躍が目立つ作品だけど、管と弦の不和がやけに耳についたのは残響の少ないホールのせいだろうか。
展覧会~の「サムエル・ゴールデンベルク~」冒頭の豊かな弦の響などは素晴らしかったのだけど。

上原彩子のプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。これは良かった。リズミカルで、シンコペートでジャズっぽく、アクロバティックな超絶技巧(に見える)を時にお尻を浮かせての熱演には惹きこまれたなあ。


♪2016-129/♪県民ホール-03

2016年9月17日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第322回

2016-09-17 @みなとみらいホール


サッシャ・ゲッツェル:首席客演指揮者
ライナー・キュッヒル:バイオリン*(ウィーン・フィルコンサートマスター)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ゴルトマルク:バイオリン協奏曲第1番イ短調Op.28*
マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調
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アンコール*
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第2番からサラバンド

首席客演指揮者のサッシャ・ゲッツェルが今月で退任するそうで、もう一度22日の県民ホール定期への出番があるもののホームグランドというべき(3種類の定期演奏会の中で一番公演回数が多い)みなとみらいホールでは最後の演奏会となった。

それでメインにマーラーを選んだのかもしれないが、前半に置いたのがゴルトマルクのVn協奏曲第1番て、知らなかったよ。
ブラームスと同世代の中~後期ロマン派。ブラームスよりもロマンチックでメンデルスゾーンに近いか。

これを独奏したのが先月までウィーンフィルのコンマスだったライナー・キュッヒル氏でこちらは名前は知っていたがナマは初聴きだ。

初めて聴いたのに懐かしさを感ずるような作品だったせいか、全体がきれいに流れて特に超絶技巧を披露するといったところはなかったように思うがどうだったのだろう。
この作品よりもアンコールで弾いてくれたJ.S.バッハのサラバンドにむしろハッとした。襟を正されたとでも言うか、とても真摯な音楽だという感じがした。

さて、本日のメインイベントはマーラーの交響曲第5番だ。
冒頭のトランペットにはヒヤヒヤしたが、その後はまずまずか。
一番の心配はホルン・ソロだった(がっかりさせられることが多いから。)。

しかし、今日はどうしたことだろう、ほとんど完璧な仕上がりに驚いてしまった。神奈川フィルで今日のようにきれいなホルンを聴いたのは初めてだ。

そんな訳で冒頭を乗り切った後は、どの楽章も破綻なく、管・弦・打が響き合って壮大なマーラーの世界が繰り広げられて大いに満足した。


♪2016-127/♪みなとみらいホール-33

2015年11月27日金曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第314回 コルンゴルト、ウィーンからの新たな風

2015-11-27 @みなとみらいホール



サッシャ・ゲッツェル:指揮

ゲルハルト・オピッツ:ピアノ
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番Op.83
コルンゴルト:シンフォニエッタOp.5
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アンコール(管弦楽)
ヨハン・シュトラウスⅡ:ポルカ「雷鳴と稲妻」 作品324

今回のテーマは「ウィーンからの風」だそうな。
首席客演指揮者のサッシャ・ゲッツェルはウィーン生まれ。
ピアノのゲルハルト・オピッツはドイツ・ピアノ界の正統派だそうで、まあ、音楽の素地はウィーンの親戚みたいなものか。
ブラームスは言うまでもなくドイツの3Bの一翼を担うドイツ人だが、ベートーベン同様ウィーンで活躍した。
コルンゴルトは今で言うチェコ生まれで、やはりウィーンでも活躍したらしいが、この人についてはむしろ活躍の場はハリウッドだったかも。

何やら、ウィーンで統一するには少し無理のある組合せで、モーツァルトやシューベルト、ヨハン・シュトラウスなどを組んだらまさしくウィーンの風が吹いたろうに。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番は強固な城郭然とした堂々の大曲だ。聴き応えがある。しかし、今日も神奈川フィルはホルンを始め金管に不安要素を抱えたままこの大海に乗り出した。

ところどころ小座礁しながら港には着いたが、出来はイマイチ。
ピアノは良かった。

ゲルハルト・オピッツは、体型から一層指が太短く見えるのだけど、その指はほとんど鍵盤に向かって突き立てることがなく、まるで鍵盤の上を雑巾がけでもしているような動きだ。
力みがまるでなく感情を込めるといった様子もなく、淡々と職人芸を聴かせるといったふうだ。

この曲は、カデンツァがなく、華麗なテクニックを見せることもないが、ラフマニノフの第3番と並んでピアノ協奏曲の最難曲とされているそうだ。
それだけに雑巾がけスタイルでこともなげに弾きこなすゲルハルト・オピッツが余計に頼もしく思えてくる。
オケが、特に管に安心感があれば堂々のコンチェルトだったのに惜しかった。

コルンゴルトはモーツァルトの再来と言われるほど早熟の天才だったそうだ。
「シンフォニエッタ」は作品番号からも若作りという検討はつくが、なんと15歳の少年時代の作だ。管弦楽作品としては2曲めだという。

「シンフォニエッタ」は「小さな交響曲」というくらいの意味だが、全4楽章で40分を超える大作だ。オケの規模もマーラーほどではないにしても大きい。

少年が、仕事で作曲した訳ではない。勉強か遊びで作ってみたというところだろう。そんな作品をありがたがって聴いてられるか、というような反発心も感じたよ。若いなあ。

ま、初めての作品だ。とりあえず聴いてみる。
冒頭のメロディが歌いやすい調子で始まるものの一捻りしてある。15歳がこんなメロディを思いつくのか、と少し驚く。
次から次へと楽想が繋がって出てきて休む間もない。
拒否感を覚えるような超現代風ではなく、後期ロマン派だと言われたらそうか、と思うような、新しさと古さが同居して居心地の悪いような印象であったが、これは初めて聴いたのだからそんなものかもしれない。

どこがウィーンの風か分からないままだったな…と思っていたら、アンコールでヨハン・シュトラウスⅡ「雷鳴と稲妻」でようやくウィーンぽく治まった。


♪2015-118/♪みなとみらいホール-36

2015年1月24日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団第305回定期演奏会

2015-01-24 @みなとみらいホール


サッシャ・ゲッツェル(首席客演指揮者)
チーデム・ソヤルスラン(ソプラノ)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

コルンゴルト:組曲「シュトラウシアーナ」
R.シュトラウス:4つの最後の歌
ブルックナー:交響曲第9番ニ短調 (ノヴァーク版)


神奈川フィル「みなとみらい」定期としては今年最初の演奏会であり、指揮者サッシャ・ゲッツェルがウィーン出身ということもあったのかもしれないが、今回は「ウィーン関連でまとめました」というところか。

●コルンゴルトはオーストリア人で、ウィーンで活躍後、ハリウッドに渡った人だ。この人の作品は何故か最近聴く機会が多い。
もっとも、組曲「シュトラウシアーナ」はその存在さえ初めて知ったくらいだから聴くのも初めて。
コルンゴルトは、ウィンナ・ワルツ王ヨハン・シュトラウスⅡに大変傾倒していたらしい。「シュトラウシアーナ」は、そのシュトラウスⅡの作品をアレンジしたもので、3つの部分で構成されている。

1ポルカ、2マズルカ、3ワルツだ。
原曲がヨハン・シュトラウスⅡなので、全体を通してとても軽妙だ。でもわざわざ、1953年に至って作曲(正しくは編曲?)する以上、やはりオーケストレーションに新しさがあり、ハープやグロッケンシュピールなどを使って全体に華やかになっている。
コルンゴルトはこの曲に先立ってピアノ曲で「シュトラウス物語」という作品も同じ趣向で作曲しているというから相当なシュトラウス党だったのだろう。

●R・シュトラウスはオーストリア人ではなくドイツ人だ。といってもかつてドイツとオーストリアは同じ国であったのだから、今回のプログラムは「ウィーン」で束ねてみたというより、「ドイツ語圏」で束ねたという方が正確だろうが、そういう束ね方にあまり意味があるとも思えない。何しろ、バロック以降の作曲者リストを作ればその大半はドイツかオーストリア出身だから。

でも、R・シュトラウスがウィーンを活躍の場(の一つ)としていたことは確かなので、「ウィーン」関連であることには間違いない。

この「最後の4つの歌」はR・シュトラウスらしい大規模な管弦楽を伴奏にするソプラノ歌曲集だ。
死の前年(1948年)に作曲されたもので、事実上最後の作品(彼の死後もう1曲歌曲が作曲されたことが発見された。)だ。

4曲セットで、初めの3曲(春・9月・眠りにつく時)はいずれもヘッセの詩に基づいている。
最終曲(夕映え)だけアイヒェンドルフの詩に作曲したもの…と言ってもそんな詩人は知らなかったけど。
現代の作品だが、調性もギリギリ保っているようで、おっとりしたきれいな曲だ。特に最終曲が心平安にして死に臨むといった曲想のようできれいなソプラノと相まって好感が持てた。


●ブルックナーの交響曲第9番は、10曲ある交響曲中最後の作品。書くつもりの第4楽章がまったく進まず第3楽章までの未完成で終わっている(第0番があるので第9番までで全10曲)。
どういう訳か比較的聴く機会が多い。
だが、率直にいって、なかなか喰い付いて行けない。
大げさで虚仮威しのような部分があるかと思えば、えらく鎮静してしまったりして、未完成と言っても60分を超える長大曲であるので、どうも緊張感の維持が難しいような気がする。

第4番(ロマンティック)や第5番などは親しみがあるので生のオーケストラで聴くのは大いに楽しみなのだけど、第9番はしばらくは僕の鬼門かも知れない。

いや、はっきり言えば、今日の演奏は、僕の緊張感もいまいちだったけど、演奏している側も緊張の糸が途中でほつれでしまったような気がした。技術的なミスではなく、演奏者全員の呼吸が途中から揃わなくなったような気がしたのは、僕の方の呼吸が演奏にシンクロできなかっただけなのかもしれないけど。

♪2014-10/♪みなとみらいホール-04

2015年1月17日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団特別演奏会 ミューザ川崎シンフォニーホール  ~ウィーンの風 ―甦る名曲たち~ 

2015-01-17 @ミューザ川崎シンフォニーホール


サッシャ・ゲッツェル(首席客演指揮者)
山本裕康(首席チェロ奏者)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ワーグナー:舞台神聖祝典劇「パルジファル」より第1幕への前奏曲
コルンゴルト:チェロ協奏曲ハ長調
ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調「英雄」
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アンコール
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番から「サラバンド」(チェロ)
J.シュトラウスⅡ:ポルカ「浮気心」(管弦楽)


1月半ばだというのにチャイコのピアノ協奏曲が2回続き、「英雄」も中1日での登板だ。飽きる訳ではないけど、ワクワク感はない。
特に「英雄」は、指揮者もオケも同じ。ホールが異なるだけ。
今回は定期とは別の演奏会だったので、事情を知った上でチケットを買ったのだから文句は言えない。

特別演奏会の方はシニア割引があって安いのと、ホールや座る場所で同じ演奏の音の響がどう異なるか、という興味もあったから。

で、その音響は、県民ホールも良く鳴っていたし、ミューザもどこで聴いてもそれなりの楽しみがある、ということを再確認した。

コルンゴルトについては1枚のCDも持っていないけど、バイオリン協奏曲は何度か聴いている。
しかし、チェロ協奏曲も書いているとは知らなかった。

バイオリン協奏曲ならYoutubeで視聴もできる。Amazonでホンのさわりだけなら試聴も可能だ。
ところが、チェロ協奏曲となるYoutubeでもAmazonでも見当たらない。
悲しいかな、昨日聴いた曲を思い出せないのだ。サワリだけでも聴けばどんな感じだったかくらい思い出せると思うのだけど…。
まあ、短い曲だった。全1楽章だったと思う。

ぎりぎり19世紀末の生まれだけど、20世紀の作曲家だ。ユダヤ系であったために故国オーストリアでは長く活動することができずハリウッドに渡った。映画音楽の作曲家として名高いが、20世紀の作曲家と言っても基本的には後期ロマン派で、あまりこむつかしいところはなかったように思う。
この曲も、元は映画のために書かれた作品を後日手を入れてチェロ協奏曲に仕上げたらしい。ただ、なんとしてももう一度聴きたいといったピンと来るようなものはなかったけど、これも何度も聴いておれば面白さが湧いてくるのかもしれない。



「英雄」は一昨日、同じ演奏家の組合わせで聴いているが、前回は第4楽章がゆったりしていると思ったが、その後、手持ちのCDを聴いてみたら、万事遅めの朝比奈隆は別としても万事速めのトスカニーニでさえ後半(Poco Andante)はずいぶんゆったりだったので、サッシャ・ゲッツエル(ウィーン生まれ)のテンポは、案外オーソドックスなものなのではないか、と思い直して聴いた。
そう思って聴けばこれでいいのかな、とも思えてくる。

去年N響で聴いたロジャー・ノリントンのベートーベン第7番や11日に聴いたジャナンドレア・ノセダ指揮N響の「運命」に驚嘆した僕としてはノリントンやノセダが「英雄」をどう料理するのかも是非聴いてみたいものだ。



♪2015-8/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-02

2015年1月15日木曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会 県民ホールシリーズ 第2回

2015-01-15 @県民ホール


サッシャ・ゲッツェル(首席客演指揮者)
小山実稚恵(ピアノ)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調Op.23
ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」
--------------
アンコール(オーケストラ)
J.シュトラウスⅡ:ポルカ「浮気心」

12日に東響+中村紘子でチャイコフスキーのピアノ協奏曲を聴いたばかりだったが、今日は神奈フィル+小山実稚恵で同じ曲だ。
ちなみにベートーベンの「英雄」も17日に同じくサッシャ・ゲッツェル+神奈川フィルで聴くことになっている。
最近、コンサートが続いているので、図らずも結果的にしりとり遊びみたいな選曲が続いている。
同じ曲ばかりでは面白味がないけど、一方で聴き比べという楽しみもある。「英雄」の方は演奏者が同じでも今度はミューザ川崎シンフォニーホールなので、ホールの違いが音楽にどう影響するのか、という聴き方もできる。

さて、チャイコフスキーだけど、今日の小山実稚恵、もともと個人的には好みにフィットする人なのだけど、中村紘子のケレン味のある演奏(心の中で「女コバケン」と僕は呼んでいる。)に比べて、実にノーマルで端正な演奏だ。大げさなテンポルバートで気を惹くようなことがなく、だいたいインテンポだった。楽譜に書いてないことまでは演奏しないという感じがしたがどうなのだろう。とにかく、僕としては聴いていて好ましい。
アンコールがなかったのはちと寂しかったが。

「英雄」はややテンポが遅い気がしたが、僕はベートーベンの交響曲はアップテンポで乾いたのが好きなので、好みとは違う方向だけど、全体としては気合の入った熱演だった。先日の東響のチャイコや「新世界より」に比べて弦の編成が大きかったせいで、重厚な響だった。

NHKホールを範にしたという県民ホールはなかなか音がしっかり届いて迫力があるのがいい。

隣の老婦人が携帯電話の電源を切らず、マナーモードにさえせずにかばんに入れていたので、第1楽章が始まる直前になりだした。慌てて止めたが、スリープにしただけで電源を切った様子がない。これではまたかかってくるのではないかと不安に思っていたら、案の定、第3楽章でまたピロピロだ。
おかげで集中力を欠いてしまった。

今どき、電源を切らないなんて、また、一度着信して恥をかいているのになおも電源を切らないなんてまったくその感覚が信じられない。
終演後、穏やかに注意をした。「電源の切り方をご存じないのですか?」すると、「主人の具合が悪くて電源切る訳にゆかなかったんです。」という理解不能な答え。演奏中でも電話にでるつもりだったの?そんなに心配なら家で看病していなさいよ。
「そうであっても、演奏中は電源を切るべきでしょう。」「はいすいませんでした。」という次第だ。
本当に済まないと思っているとは思えなかった。理解できない。


♪2015-6/♪県民ホール-01

2014年1月26日日曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団 名曲シリーズ「オーケストラ 名曲への招待」サッシャ・ゲッツェル首席客演指揮者就任記念公演

2014-01-26 @ミューザ川崎シンフォニーホール



ヴァイオリン:石田泰尚
チェロ:山本裕康

サッシャ・ゲッツェル指揮:神奈川フィルハーモニー管弦楽団

●ブラームス:バイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102
------------
●ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲
●R.シュトラウス:「バラの騎士」組曲

アンコール
●ヘンデル(ハルヴォルセン編):「パッサカリア」
(Vn & Vc)
●J.シュトラウスⅡ:「狂乱のポルカ」






昨日と全く同じ演奏家、同じプログラム、開始時刻まで同じ。
違うのはコンサートホールだけ。
でも、ここが大切で、演奏場所まで同じなら、さすがにチケットを買おうとはしなかったろう。

音響効果の良いコンサートホールとして夙に有名なのが、このミューザ川崎シンフォニーホールだ。
ほかにもサントリーホール、みなとみらいホール、すみだトリフォニーなども挙げられているが、県立音楽堂も東洋一!という評判を聞いたりするし、人によってはサントリーの音はひどいという人もあって、さまざまだ。
その道の専門的知識はないが、どこもそれほど違いはないのではないかという気がする。
人によって評価が大きく異なったりするのは、結局、そのホールのどこで聴くか、によるのではないかと思う。何を聴くか、聴いた時の体調や精神状態も影響するだろう。

ミューザがおしなべて高評価なのは、キャパシティ2000弱という比較的小ぶりで、複雑な非対称のヴィンヤード形式が舞台をぐるっと取り囲んでいるので、どの席からの距離も比較的短く、どこで聴いても大きな差がないということに尽きるのではないかと思う。


果たして、音は違うか?
そんなことは分からなかった。上述したようにあちこちの場所で聴いてみないと簡単に判断はつかないし、いや、それでも分からないかもしれない。
鈍感な僕の耳には昨日のサウンドも今日のサウンドも違いは分からなかった。

それより、昨日といい、今日といい、神奈川フィルのオケとしての鳴り方がすごくいい。
いや、だんだん良くなってきた。これは場所のせいではない。
ブラームスの「ダブルコンチェルト」もR・シュトラウスの「バラの騎士」のいずれも立ち上がりはトゥッティ(全合奏による強奏)ではじまるけど、それが、…え!こんなにうまかったの?と思うくらい柔らかで透明だ。ひょっとすると僕はこれまで神奈川フィルの実力を過小評価していたのかもしれない。

「バラの騎士」はこれまで馴染みの少ない曲だったけど、要するに雑多な音楽のてんこ盛りで、オーケストレーションも凝っていて、見ても!楽しい作品だとじわじわ分かってきた。
R・シュトラウスはこのような管弦楽曲(組曲、交響詩)で名を馳せているけど、実はピアノソナタなどにもとて親しみやすい作品を残していて、ロ短調のソナタや作品3のピアノのための5つの作品なども、管弦楽作家のR・シュトラウスとはまた異なる面を見せてくれて楽しい。

♪2014-10/♪ミューザ川崎シンフォニーホール01

2014年1月25日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団第295回定期演奏会

2014-01-25 @みなとみらいホール



バイオリン:石田泰尚
チェロ:山本裕康
サッシャ・ゲッツェル:指揮

神奈川フィルハーモニー管弦楽団

●ブラームス:バイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102
------------
●ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲
●R.シュトラウス:「バラの騎士」組曲

アンコール
●ヘンデル(ハルヴォルセン編):「パッサカリア」
(Vn & Vc)
●J.シュトラウスⅡ:「狂乱のポルカ」




ブラームスの二重協奏曲はお気に入りの一つだ。
ブラームスは、当初、この作品を5番目の交響曲として構想していたそうだ。
50歳代半ばの作品で、結果的に最後の管弦楽作品となった。
いわば、枯淡の境地に至って作曲した訳だが、出だしを聴く限りそうは思えない。
若々しく情熱的で、それが少し悲劇的に、バイオリンとチェロの超絶技巧を伴って展開される。

それでいて、やはり全体としてブラームスらしい禁欲主義が貫かれているように思える。
溢れそうで溢れない。流されそうで踏みとどまる。
シューベルトのように情熱が勢い余って駆け巡るということはない。

この限度を弁えているというところがブラームスの大人の魅力だ。

しかし、そこに僕の「思い」が、あるいは「感性」が至ったのは40歳を過ぎてからだったように思う。
それまではブラームスは敬遠していた。聴き手の精神年齢も要求されるのだ。もちろん、若くして、この味わいを知る人も多いだろうけど。

いったん自分なりの鑑賞の緒(いとぐち)を発見すると、芋づる式に楽しさは広がってゆく。
ブラームスはあまりたくさんの作品を残していないので、CDで入手できる作品はほぼ全曲集めた。歌曲にまだ未踏の地が残されているが、まあ、焦ることはない。


指揮のサッシャ・ゲッツェル氏は神奈川フィルの首席客演指揮者ということらしいが、実質的な共演は今日が初舞台だとプログラムに書いてあった。


しかし、今日の指揮ぶりはオケを完全掌握して堂々としている感じがした。
ウィーン生まれだそうで、今日のプログラムはドイツ・オーストリアで固めていわば自家薬籠中のものなのだろう。
特に、アンコールの「狂乱のポルカ」は、指揮台の上で飛び跳ねてごきげんだった。
今日の曲目がすべて満足できる出来だったのだろう。表情豊かでとても愛想もいい。
これからも神奈川フィルメンバーとお客さまに愛されてゆくのだろう。
とてもいいスタートだったように思う。
聴衆の満足度も相当高かったと思う。
やんやの喝采やブラボーの声にはあながち義理とも思えない熱気があった。



あれこれ感ずることがあったが、明日も全く同じ演奏家で同じプログラムを舞台を移して(ミューザ川崎シンフォニーホールで)聴くことにしているので、それは明日の鑑賞記に回そう。



♪2014-09/♪みなとみらいホール06