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2025年4月7日月曜日

東京都交響楽団 第1017回 定期演奏会Aシリーズ

2025-03-14 @東京文化会館



大野和士:指揮
東京都交響楽団
キリル・ゲルシュタイン:ピアノ*

ベルク:管弦楽のための3つの小品 作品6
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83*






ベルクの「管弦楽のための〜」は3回目だったが丸切り忘れている。

特大規模の編成だ。
弦は当然16型。
管は多彩でその分演奏者も多い。
特に打楽器はドラが2台、Timpも2組。ハンマーまで登場した。尤も第2Timpには神奈川フィルの篠崎くんが客演していたが、ほとんど出番はなかった。ハンマーはか弱き女性が振り回したせいか迫力不足。

ともかく、大勢が駆り出されたが、音楽の方は面白くない。C/Pが悪い音楽だ。作曲家の自己満足に過ぎないような気がするよ。

とはいえ、文化会館のビッグステージに目一杯広がった都響の演奏は、粒立ち良く定位も良くこれぞ超立体音響(…本末転倒なことを言っているよ。)で聴く管弦楽の面白さも味わった。


音楽的には後半のブラームスが盛り返してくれた。
ピアノのキリル・ゲルシュタインは23年に都響と共演しているそうだが僕の記録にないのでAB以外だったのかも。
それより、もう1人のキリル(ペトレンコ)が指揮するベルリン・フィルと共演した22年のワルトビューネでのラフマニノフ2番はちょっと印象に残っていたよ(TV録画で)。

今回も、とても良かった。
正統的で、ケレンなく、堂々として、これぞドイツ・ロマン派の真骨頂という感じ。
ブラームスの素晴らしさを全幅に味わった。

ゲルシュタインのステージマナーにも風格を感じた。大人だね。45歳。僕と歳はだいぶ違うが誕生月日が同じなんだ。どうでもいいけど。

この頃、体力的に衰えているのではないかと心配していた大野ちゃんも、今日、見る限りではすごく力をセーブしながら、しかし、手勢を明確にコントロールしていて、大編成大好きな都響から良いアンサンブルを引き出していた。

♪2025-035/♪東京文化会館-03

2024年6月8日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第761回東京定期演奏会

2024-06-08 @サントリーホール



大植英次:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
信末碩才:ホルン(首席奏者)

ベルク:管弦楽のための3つの小品 op.6
(リーア編曲:室内アンサンブル版)
R.シュトラウス:ホルン協奏曲第2番変ホ長調 TrV283
ドボルザーク:交響曲第7番ニ短調 op.70 B.141



ベルクは初聴きかと思ったら、19年に東響で聴いていたよ。でも全く覚えていない。尤も、その時は管弦楽版で、今日の室内アンサンブル版ではなかった。この版では日本初演だそうだから当然聴いてはいない。

しかし、なんでこういう編曲をしたのだろう。
弦5部は各部2人ずつ(計10人)だが、管打鍵の多いこと。奏者の数だけで23人だ。各自はいろんな楽器を持ち替えるので楽器の編成としてはさらに大きい。ティンパニーは2組。大小太鼓、銅鑼にハンマーまであった。ピアノにチェレスタ、マリンバ、シロフォン等々。

こんな大編成にしては弦が非力すぎる。そこが狙いなのだろうが、そもそも馴染みにくい音楽ということもあって、全然楽しめず。

その他は聴き慣れた音楽だけど、振替席で2階LBだったので、落ち着いて聴くことができなかった。見える景色が違うと聴き方に戸惑ってしまう。
大植ちゃんは好きな指揮者だけど、ドヤ顔するほどコントロールしていたようには見えなかった。
秋山御大の代役だし、やむを得なかったかな。


普段は1Fのど真ん中辺りで聴いている。

今日は、家のステレオでわざわざ左スピーカーの前で聴くようなもので、落ち着かなくて困った。
ただ、心配したほど違和感はなく、視覚が補ってくれるので各楽器の音がそれぞれの位置から聴こえてくるような気がする(そんなはずはないけど。)。

普段なら、下手高域弦の鳴り方や管と弦の混ざり具合などが気になるのだけど、2階のLBではもう混ざって出来上がった音として聴こえてくるので、これでもいいか、という気になる。いや、よくはないのだけど。今日はやむを得ない。

♪2024-079/♪サントリーホール-12

2023年5月10日水曜日

東京シティ・フィル第360回定期演奏会

2023-05-10 @東京オペラシティコンサートホール



高関健:指揮
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
バイオリン:山根一仁*

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム 作品20
ベルク:バイオリン協奏曲*
ネオゲル:交響曲第3番「典礼風」
---------------------------------
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第1番から第3曲「サラバンド〜ドゥーブル」*





シティ・フィル今季1回目。
なのに高関センセは小難しいのばかり並べた。

ベルクとオネゲルはいずれもN響と都響で過去数回ずつ聴いていたが良い印象は残っていない。

ブリテンは初聴き。せめてこれに淡い期待をかけていたがやはり面白くない。
しかし、いずれの曲もオケの気合いと迫力は十分感じた。

ブリテンはとても「レクイエム」とは思えない轟音で始まって、途中にも、いかなる爆睡者をも覚醒させる大爆音。

最後のオネゲルも終盤手前で、さあ起きろ!と言わんばかりの大爆音。

弦は変則14型(14-11-10-8-7)で管打もさほど多くはないのだけど、こんな大音量が出るのかと思う程の凄さに圧倒されてしまった。

先述の如くオネゲル「典礼風」は過去2-3回は聴いているのだけど、その日の記録を読み返してもその轟音について何も書いていないのが不思議。

たぶん、武満メモリアルの、時に鳴り過ぎる響の良さが今回は奏功したか。

♪2023-076/♪東京オペラシティコンサートホール-03

2019年12月20日金曜日

みなとみらいクラシック・マチネ~名手と楽しむヨコハマの午後〜 北村朋幹(ピアノ)

2019-12-20 @みなとみらいホール


北村朋幹:ピアノ

【第2部】
ブラームス:6つの小品 Op.118
ベルク:ピアノ・ソナタ Op.1
ブラームス:4つの小品 Op.119
-------------------
ラッヘンマン:「子供の遊び」から第7曲「影のダンス」

みなとみらいホールのクラシック・マチネは2部・2公演でどちらか一方を購入しても、両方聴いてもいいが、通しだと元から安い料金がなお安くなり、年間セット券を買うとさらに安くなる。僕はセット券組だ。なので、いつもは第1部から聴いているが、今回は寝坊して間に合わず2部から。

北村朋幹はこれまでオケとの共演や室内楽で何度か聴いていたが、ソロは初めて。
プログラムは両部ともブラームスがヴェーヴェルンorベルクを挟む構成で、楽しみのブラームスは3つの間奏曲集などは1部で聴き逃したが、6つの小品、4つの小品を聴いた。いずれも曲集として聴く機会の少ない作品なので満足。

それにしても、愛想のない青年である。1セットが終わっても客席に顔を向けず、客席も拍手もして良いのかどうか迷う。
パラパラの拍手を聞きながらもう次の作品に取り掛かり、以下同様。流石に最後は立ってお辞儀をしていたように思うが。

まあ、演奏家に愛想の良さは求めないけど、拍手は受けるべきだ。

このシリーズは、大抵演奏者がマイクを持って曲の説明をしてくれたりするが、それもなく(1部は?)、ひたすら孤高の求道者の如しであった。
アンコールが聴き慣れぬ作曲家の作品で、ピアノ線に何か挟んで、高音部の1つのキーをひたすらリズミカルに叩きつけるだけ。
プリペアド・ピアノの一種なのだろう。しかし、これって音楽じゃないぞ!と保守的な僕は思う。

♪2019-213/♪みなとみらいホール-58

2019年11月17日日曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第72回

2019-11-17 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団

ベルク:管弦楽のための3つの小品 作品6
マーラー:交響曲第7番 ホ短調「夜の歌

ベルクなんて嫌い。
ここで居眠りしてマーラー交響曲第7番に備える積もりが、煩くて寝られない。

その7番。
定期ではマーラー中で一番演奏機会が少なく、あえて聴きにゆくこともないので今回3回目。
しかし過去2回はいずれも(読響・N響)熱演で、長尺の割に楽しんだ記憶があったが。

今回は東響の面々の剛腕ともいえる力演にもかかわらず、ベルクで気分を害していたのでそれが尾を引いたり、昨日のブラームス(N響)の余韻が尚も残っていたからか、素直に入り込めなかった。

嫌な部分ばかり気になった。

俗臭芬々。

柴田南雄「マーラー」を読んでみたらやはり7番は褒めるに窮している。

♪2019-181/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-24

2019年9月4日水曜日

東京都交響楽団 第885回 定期演奏会Bシリーズ

2019-09-04 @サントリーホール


大野和士:指揮
東京都交響楽団

ヴェロニカ・エーベルレ:バイオリン*

【若杉弘没後10年記念】
ベルク:バイオリン協奏曲《ある天使の思い出に》*
ブルックナー:交響曲第9番ニ短調 WAB109(ノヴァーク版)
----------------
プロコフィエフ:無伴奏バイオリン・ソナタから第2楽章*

今日は偶々ブルックナー195歳の誕生日だったが、プログラムには書いてなかった。その一方で、プログラムには若杉弘没後10年は銘打ってあったが、今日の演目との関係は何にもなかったようだ。
ま、そんな事どうでもいいのだけど。

久しく都響不信感が募っていたが、今日はさっぱりと解消してくれた。

「湿度が高いとホールは良く鳴る」という僕の仮説が当たってサントリーホールにしてはとても良い響きだった。これも都響の腕を高らしめた一因だろう。

まず、ベルクのバイオリン協奏曲。以前、N響+ジュミ・カンで聴いたことはあったがその時はつまらなく感じたが、今回は結構楽しめた。これで3度目聴くこととなったエーベルレの技量も(音圧を除き)良かった。

何より都響の演奏が繊細で良かった。
非調性音楽はだいたい嫌いだ。この曲は12音音階を基にして作曲されているようだが、その割には穏やかで無闇に意表を突くようなところも少なく嫌味がない。何より独自の和声が綺麗だ。
ただ、2楽章の3挺のバイオリンが絡み合う部分など、肝心の音の遣り取りがオーケストラに隠れてよく聴こえなかったのは残念。

メインがブルックナー。
これが過去の鬱憤を晴らす上出来!

冒頭の弦楽器のみの弱音トレモロ…所謂ブルックナー開始から管楽器が入るところが穏やかで良かった。ここをファンファーレみたいに大音量でかき乱す演奏も少なからず。
ここが自然で綺麗に滑りだしたので、あとはなんだか安心して聴いておられた。

今日は弦のアンサンブルも綺麗だったし、管と弦の織りなす響きも久しぶりに美しかった。都響は、やはり力があるのか。

それにしても、ブルックナーは何故かくも劇的で緊張感を強いる音楽なのだろう。未完成で終わってしまったのはむしろ正解だろう。

♪2019-132/♪サントリーホール-05

2017年10月14日土曜日

N響第1867回 定期公演 Aプログラム

2017-10-14 @NHKホール


下野竜也:指揮
NHK交響楽団

クララ・ジュミ・カン:バイオリン*
モイツァ・エルトマン:ソプラノ**

モーツァルト:歌劇「イドメネオ」序曲
ベルク:バイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」*
モーツァルト:歌劇「皇帝ティトゥスの慈悲」序曲
ベルク:「ルル」組曲**

モーツァルトとベルクの組み合わせって何?
プログラムの解説には「《ウィーン音楽の黄金期の始まりと終わり》が150年の時を超えて相接する。」などと書いてあるが、ウィーン音楽の黄金期をモーツァルト1人で代表させていいのか。ましてやその終わりをベルクが代表するのか、は大いに疑問で、取ってつけたような括り方だと思う。

ベルクなんて好きじゃない。
12音技法なんて音楽だろうか?こんな音楽ともよく分からぬ音の集合をみんな楽しんで聴いているのだろうか、大いに疑問だ。

モーツァルトの2つの序曲は、いずれもナマでは初めて(たぶん?)聴くもので、妙な新鮮味があった。ベルクと対比して聴くと一層、古典派万歳という気分になる。

嫌いなベルクだけど、2曲いずれもが独奏共演者を持つ音楽で、バイオリン協奏曲はその名のとおりバイオリンが活躍するのだけどいかにも難しそうであった。
組曲「ルル」は未完に終わったオペラから抜粋された5曲から成る。映画の予告編みたいに本編と同時進行でアレンジされた組曲は、いずれ完成されるはずのオペラの宣伝用に意図されたものらしい。5曲のうち第3曲と第5曲にソプラノの歌が入る。これも変な音楽だから歌うのは容易ではなかろう。

定期演奏会のプログラムはお仕着せだから好きでなくとも聴かねばならぬ。でも、お仕着せだからこそ、思いがけない発見があって楽しいときもある。今回は楽しくない!

2017-164/♪NHKホール-09

2017年1月19日木曜日

チョ・ソンジン ピアノ・リサイタル

2017-01-19 @ミューザ川崎シンフォニーホール


チョ・ソンジン:ピアノ

ベルク:ピアノ・ソナタ 作品1
シューベルト:ピアノ・ソナタ第19番 ハ短調 D.958
ショパン:24の前奏曲 作品28
-------------------
アンコール
ショパン:マズルカ 作品30-4
ブラームス:ハンガリー舞曲第1番

シューベルトも、信じられないことに、このピアノソナタが苦手だ。シューベルトには若い頃から共感を抱いていた。
彼の音楽はなぜか、自分の感性にピタッとハマるような気がして、他人とも思えないというと大げさだが、つまり、親しみを感じていた。新しい作品を初めて聴いても、まず違和感を覚えない。
…と長く思っていたが、ピアノ・ソナタ19番はどうも勝手が違った。この曲に出会ったのは5年ほど前にソナタ全曲CDを買うまでは(放送などでは別として)きちんと19番を聴く機会がなかったのだ。
で、きちんと対峙してみると19番で語るシューベルトの言語が理解できない。なので気持ちが乗れない。本当にシューベルトの作品なのだろうか、そういう疑念が生まれるほどに馴染んでゆかない。何度繰り返し聴いても、近づけない。

19番は、僕のシューベルト体験におけるエア・ポケットみたいなものだ。

チョ・ソンジンが弾くというから、事前に何度も聴いたが症状は変わらない。

そんな風に迎えた本番。
ベルクは最初から諦めていた。あまり面白い音楽を書く人じゃないから。
でも、シューベルトは、ショパンコンクール1位という俊才の生演奏を間近で聴くことでようやく覚醒できるかもと思って臨んだが、どっこい、距離はあまり縮まらなかった。
作曲家の円熟に従って凡人の感性からは遠のくとも想像できる。
確かに、ベートーベンの場合、最後の30番台のソナタが若い頃は敷居が高かった(今ではむしろこの辺の作品が好きだ。)。

シューベルのピアノ・ソナタでもそういうことが言えるのかもしれないが、因みに、シューベルトの最後のピアノ・ソナタ第21番など、とてもしっくり来るのだ。如何にもシューベルトらしく、メロディーが美しい。なぜ、第19番が近寄りがたいのか、これは一つの課題としておこう。

24の前奏曲(全曲)は、最近では去年夏に(チョン・ソンジンが優勝した同じ2015年のショパンコンクールでファイナリストに残った…留まった?)小林愛実でも聴いたし、アンナ・ヴィニツカヤでも聴いて、いずれも楽しめた。
もっとも、厳密に言うと、全曲が楽しめる訳ではない。
第2曲など特にとっつきにくい。
ベルイマン監督のバーグマン最後の作品「秋のソナタ」でこの音楽が母と娘の断絶の象徴のように使われるが、初めて聴いたときはこれがショパンの作品とはとても思えなかったものだ。
それでも何度も聴いているうちに、まあ、この曲だけを取り出して聴きたいとは思わないけど、前奏曲集として楽しめるようになった。

チョ・ソンジンの音楽性は分からないが、佇まいにただならぬものは感じた。とくに最終曲の最終盤の迫力は鬼気迫るものがあった。

♪2017-006/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-01

2016年11月28日月曜日

東京都交響楽団 第814回 定期演奏会Aシリーズ

2016-11-28 @東京文化会館


大野和士:指揮
東京都交響楽団

ピエール=ロラン・エマール:ピアノ *
天羽明惠:ソプラノ **

ベルク:アルテンベルク歌曲集 op.4 **
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調 *
マーラー:交響曲第4番 ト長調 **
-------
アンコール
ブーレーズ:ノタシオン Ⅷ~Ⅻ *

ベルクの「アルテンベルク歌曲集」は初聴き。こういう作品の存在も知らなかった。
全5曲で10分強。
作曲者のベルクと作品名が似ているのでちょっと混乱したが、同時代の詩人アルテンベルクの詩集「絵葉書の詩」の中の5篇に音楽をつけたものだそうだ。

ベルクについてはシェーンベルクの弟子筋に当たる無調の作曲家ということくらいしか知らないが、まさにこの曲は無調音楽だ。
大規模な管弦楽を伴奏にしたソプラノの独唱だが、訳が分からない。つまらない。まあ、なんとなく夢遊病者みたいな感覚は再現しているのだけど、こういうのが音楽といえるのか疑問が払拭できない。しかし、旋律らしい旋律もない、和声や調性の手がかりのない音の連続を「歌う」のは相当困難なことだろうとは思った。

まことに個人的な趣味で言えば、天羽明恵が本領を発揮したのは最後のマーラーの第4番の最終楽章だ。これは良かった。きれいな透き通るソプラノが朗々と響いた。

ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」は既に何度も聴いている。舘野泉の演奏も聴いた。
しかし、何度聴いても大いに疑問があって気分が乗れなかった。
不幸にして片手しか使えなくなったピアニストはまことに気の毒だが、ピアノという楽器はいうまでもなく両手で弾いてこそ本領を発揮する。私的な楽しみのために(片手のための作品を)作曲し、演奏するのはそれで良いとしても、両手が使えるピアニストがわざわざ片手を封じて演奏するというのはどう受け止めたらいいのだろう。

この日の演奏も、こういう懸念が解消された訳ではないが、しかし、演奏は良かった。
ピエール=ロラン・エマールについては、NHKクラシック倶楽部で放映されたリサイタルを聴いたが、どんなレベルなのか分からない。プログラムの解説によると「当代最高のピアニストの一人」と書いてあるが、まあ、こういう紹介は常套文句だからどのくらいすごいのかは分からない。

が、ピアノも都響の管弦楽も緻密にしてダイナミック。
片手のみということが信じられない超絶テクニック(これまでも聴いた演奏も当然そうだったが)に気持ち良くあっけにとられているうちに行進曲風のリズミカルな3連符が続くがここが単一楽章の第2部なのだろうか。その後の長いカデンツァも鳥肌モノだ(本当は良い意味で「鳥肌」は誤用らしいが、この際適切な語彙が思いつかない。)。激しさだけではなく、ここでピアノはたっぷりロマンチックだ。甘い夢をさまようがごとく。

そんな訳で、「左手の〜」に引っかかりを残しながらも、今回はじめてこの音楽が美しいと感じた。

マーラーも良かった。
オケの定期にマーラーは欠かせないので、これまでも色々聴いたが、どういう訳か第4番は聴いたという記録がないし、記憶もはっきりしない。たぶんナマで聴くのは初めてだったのかも。
CDなどでは特徴的な第1楽章の出だしからすっと入りやすいが、第3楽章がやたら長すぎる(全楽章中最長で22分位)という思いがあった。しかし、ナマで聴くとこれはこれで楽しいものだ。

都響はいつも安定感抜群で、このオケこそ「管弦楽」(正しくは「管弦打楽」か。)を感じさせてくれる。
マーラーのような大規模な管弦楽作品となると俄然巧さが際立つようだ。

♪2016-165/♪東京文化会館-09

2016年4月23日土曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第55回

2016-04-23 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮
クレシミル・ストラジャナッツ:バス・バリトン&語り:
チェン・レイス:ソプラノ:
東響コーラス:混声合唱
東京交響楽団

シェーンベルク:ワルシャワの生き残り 作品46 ~語り手、男声合唱と管弦楽のための
ベルク:「ルル」組曲
ブラームス:ドイツ・レクイエム 作品45

東響音楽監督のジョナサン・ノットは時々変わったプログラムで驚かせるが、今日は前半が12音技法を採用した超現代音楽2曲。後半がブラームスの「ドイツ・レクイエム」とは、いかなるコンセプトか。

大体、無調音楽は苦手で、CDやビデオではまず、聴かない。
しかし、ナマで聴くと、これが案外面白かったりもする。
「ワルシャワの生き残り」はナチスの犠牲になったユダヤ人の悲劇を管弦楽と語りと男声合唱で表現しているので、終始、不協和音の連続で重苦しい。

シェーンベルクの弟子筋に当たるベルクもナチスには苦労したそうだ。この「ルル」組曲には政治的な主張はないが、原作がウィーン世紀末の退廃を描いているそうで、魔性の女ルルが多数の男を巻き込んで最後は殺されるというこれまた悲惨な話を題材にしている。元々オペラとして企画され、作曲は未完に終わったが、それらの中から抜粋して組曲が編まれた。
そのためにソプラノ歌手が登場してルルを演じている?のだろう。


現代音楽というのは、如何に観客を驚かすか、ということに腐心している(というのは嫌味で言っているだけだど)ので、ぼんやりと退屈している間はなく、そういう意味では最後まで飽きずに聴ける。しかし、何度も聴きたいとは思わない。

前半に、脳みそを掻き回されるような音楽を聴いたので、後半のブラームスがどんなに素晴らしかったことか。
なるほど、ジョナサン・ノットの計算はこういうことであったか。

第1曲の闇夜から徐々に陽が差してくるように静かに合唱が始まる時、もう、気持ちをキュンと掴まれてしまう。
全7曲で構成され、どれもが深い精神性を持っているようだ。

テキストが通常のミサ曲やレクイエムのようにラテン語ではなくドイツ語(なので「ドイツ・レクイエム」と呼ばれる。)であるというだけではなく、形式においても、通常は置かれるキリエ~サンクトゥス~ラクリモーサ~アニュス・デイ~リベラ・メなどの歌詞を持つ曲が全く配されていないので、レクイエムというより、聖書をテキストにした「管弦楽伴奏声楽独唱と合唱のための組曲」のようなものだ。
こういう点が、いわゆる三大レクイエム(モーツァルト、ヴェルディ、フォーレ)にカウントされない理由かもしれないが、これらの3曲にまったく劣らない大傑作だと思う。個人的にはヴェルディを引きずり下ろしてもドイツ・レクイエムを入れたいところだ。


合唱の東響コーラスはアマチュアなのだけど、東響専属だけあって良く訓練されており、全員が楽譜を持たずに全曲を歌っていたのは驚いた。ソプラノグループに、特に最終曲の高音ピッチに不安が見られたけど、気にするほどのことではなかったか。

♪2016-048/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-11

https://youtu.be/rGWai0SEpUQ

https://youtu.be/YP12Bt9qjh4

2015年3月13日金曜日

東京交響楽団 川崎定期演奏会 第49回

2015-03-13 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョナサン・ノット:指揮
アレックス・ペンダ:クンドリ(ソプラノ)
クリスティアン・エルスナー:パルジファル(テノール)

ベルク:「抒情組曲」より 3つの小品
ワーグナー:舞台神聖祝典劇「パルジファル」抜粋


聴いたことがない曲でも馴染みの少ない曲でも、そしてそれがコムツカシイ曲でさえ、ナマの音楽はふしぎにそれなりの音楽の楽しさを感じさせてくれるものだ。

でも、さすがに今日のプログラムはダメだったな。
日頃の不摂生がたたっての体調不十分に加え、今日のプログラムはコムツカシイものばかりだった。

ベルク(1885-1935)は無調音楽や12音技法の作曲家だ。12音技法の中に調性を織り込んだものも作ったらしいが、どんな曲なのかしらない。
これまでも積極的に聴いたことがないけど、否応なく耳に入ってきたものはちんぷんかんぷんな音楽ばかり。
彼はユダヤ人ではないけど、ナチスからは「退廃音楽家」と言われドイツでの演奏が禁止されたそうだが、ヒットラーでなくとも禁止したくなるような音楽だ(相当非文明的な問題発言だな!)。

「抒情組曲」はベルク40歳頃の作品。
彼の不倫が作曲の端緒になったらしいが、それなら少しはロマンチックな香りを嗅がせて欲しいが、僕の耳にも鼻にも伝わってくるのはメロディもなくリズムもなく、もちろん調性のない、だらだらとした牛の涎のような音楽だった。

どんな音楽でも馴染んでくればまあ楽しめるものだけど、ルネサンスから後期ロマン派に民族楽派などの音楽さえあれば僕としては十分なので、ベルクやシェーンベルグなどのややこしい音楽とは無理をしてまで付き合わなくともいいと思っている。



ワーグナーも古典的な音楽の骨格に楔を打って近現代の音楽を先取りしたところがあって、僕には面白さ半分、退屈半分だ。
クラシック音楽界の巨人というべき位置に立つと思うが、僕の思いは非常に屈折している。

ワーグナーの作品で我々が聴くことができるのはほとんど歌劇・楽劇(の音楽)で、例外は「ジークフリート牧歌」くらいか。
他に、管弦楽曲や室内楽も作曲しているようだけど、CDも発売されていないし、コンサートでも取り上げられない。
つまるところ、彼の楽劇を楽しめるかどうかがワーグナーを楽しめるかどうかど同義だ。


楽劇「指環」4部作など大好きで、非常に面白い。
トリスタンとイゾルデの音楽も許容範囲だ。
でも、「パルジファル」はこれまでにいくらでも聴く機会があったのにスルーしている。METを始め3種類もビデオディスクを持っているけどいずれも最後まで視聴したことがない。
最初の取っ付きが悪かったのだろう。食わず嫌いかもしれないが。


今日は、生でその音楽を聴けるのが、一歩お近づきになれる良い機会だろうと思っていた。
パルジファル役のテノールとクンドリ役のソプラノが登場して演奏会形式で、オリジナル全3幕4時間強から第2幕を中心に60分で聴かせる趣向だ。
歌には字幕が表示されるのだけど、そもそも全篇の物語の流れを承知していなければなかなか抜粋を楽しむことはできないものだということがよく分かった。

音楽自体も決して分かりやすいものではない上に、抜粋の字幕だけでは物語を追うことができなかった。

また、実際問題として困ったのはどのタイミングで拍手をするか、ということだ。
ワグナーは全幕の拍手を禁じ、今でも第1幕のあとはカーテンコールはしない習慣が権威筋では残っているそうだ。加えて演奏会形式の抜粋ではアリア毎に拍手すべきかどうか迷う。この点はほかの観客も同様で、最初の方のパラパラの拍手はそのうち鳴り止んでしまった。

プログラムに、もう少し丁寧な解説と鑑賞のあり方を書いてくれていたら良かったが、この点、配慮に欠けた。

♪2015-23/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-05