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2024年2月6日火曜日

令和6年2月文楽公演第1部

2024-02-06 @日本青年館ホール



第一部 (12時開演〜14:20)
●二人三番叟 (ににんさんばそう)
  睦太夫・亘太夫・聖太夫/勝平・寛太郎・錦吾・清方

●仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
 山崎街道出合いの段
   小住大夫/清馗 

 二つ玉の段
   希太夫/團七/胡弓:藤之亮

 身売りの段
   織太夫/藤蔵

 早野勘平腹切の段
 切 呂太夫/清介

 人形▶二番叟⇒紋吉
    三番叟⇒玉翔
    -----------------------------
    早野勘平⇒玉助
    千崎弥五郎⇒勘一
    斧定九郎⇒簑紫郎
    女房おかる⇒紋臣
    与市兵衛女房⇒簑二郎
    一文字屋才兵衛⇒簑一郎
    めっぽう弥八⇒玉征
    原郷右衛門⇒文司





昨年12月から文楽公演も漂流しているが、年が改まって初の「国立」文楽は、なんと「青年」の館に爺さん・婆さんたちが集まった次第。

おめでたの「三番叟」に続いて久しぶりの「忠臣蔵」から5段目、6段目の上演。
「二つ玉の段」は落語や最近では芝居でも取り上げられている中村仲蔵が、歌舞伎のこの段で今に伝わる工夫をしたことで有名だが、文楽でもおおよそ踏襲されている。

勘平が暗闇の中、猪と見間違って斧定九郎を撃ち殺し、懐の財布を持ち帰ったが為に狂い出した歯車。
真実は観客のみ知るが、義母も塩谷家中も本人さえも舅を殺して50両を奪ったと思い込み、遂に無念の切腹の悲劇に至る。
この辺の話の運びが、良くできていて、なんて、アナクロだよと思いつつも引き込まれてしまう。

♪2024-022/♪日本青年館ホール-1

2023年10月15日日曜日

文楽協会創立60周年記念 人形浄瑠璃文楽 「桂川連理柵」

2023-10-15 @県立青少年センター



演目解説…豊竹芳穂太夫

桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)
 石部宿屋の段(今回は省略)
     
 六角堂の段
     豊竹亘太夫/鶴沢清公

 帯屋の段
     前⇒豊竹藤太夫/竹澤宗助
     切⇒竹本錣太夫/鶴澤藤蔵
 道行朧の桂川
     お半:豊竹芳穂太夫
     長右衛門:竹本小住大夫
     豊竹薫大夫/
     鶴澤清馗・鶴澤清公・鶴澤清方     


  人形▶女房お絹⇒吉田勘彌
     弟儀兵衛⇒吉田玉志
     丁稚長吉⇒吉田玉勢
     母おとせ⇒吉田簑一郎
     親繁斎⇒吉田勘市
     帯屋長右衛門⇒吉田玉也
     娘お半⇒吉田簑紫郎
     下男⇒大ぜい

     望月太明蔵社中









文楽の世話ものと言えば、「お半・長右衛門=桂川連理柵」、「お初・徳兵衛=曾根崎心中」、「お染・久松=新版歌祭文」など心中ものをすぐ思い浮かべるのは、多分、このジャンルに傑作が多いからではないか?

大抵は、だらしのない男が墓穴を掘って女性を道連れにする話だ。

「桂川連理柵かつらがわれんりのしがらみ」の主人公、帯屋の主人・長右衛門(38歳くらい)は養父・繁斎や隣家の信濃屋にも恩を受けており、女房お絹もよくできた女性だ。しかし、旅先で、偶然一緒になった信濃屋の娘お半…コレがなんと14歳…と床を一つにし、妊娠させてしまう。
商売上の失敗やら繁斎の子連れ後妻にいじめ抜かれ、にっちもさっちもゆかなくなって、「桂川で死にます」と書き置きを残して出て行ったお半の後を追い、身投げをする。

2まわりも若い、それも14歳(数え)のほんの子どもと過ちを犯し挙句入水するなんて、あほらし!という気もするが、実は、それほど荒唐な話でもなく、丁寧に味わえば、それなりの説得力があって、そのような道行になるのも納得はできる。


全編悲劇に終始するかと思えばそうではなく、三段中(今回は、先立つ「石部宿屋の段」が省略された。)最も長尺の「帯屋の段」は、後半、笑いがとまらない。

つまりは、非常にうまくできた話なのでいつまで経っても人気が衰えないのだろう。

余談:枝雀の落語「どうらんの幸助」では、この「帯屋の段」が面白く取り入れられて実におかしい。



♪2023-174/♪県立青少年センター-1

2022年5月8日日曜日

豊竹咲太夫文化功労者顕彰記念 文楽座命名150年 文楽公演第Ⅱ部

2022-05-08@国立劇場


●競伊勢物語 (はでくらべいせものがたり)
 玉水渕の段
口 豊竹亘太夫/鶴澤清𠀋
奥 竹本織太夫/鶴澤清友

 春日村の段
中 竹本小住太夫/鶴澤清馗
次 豊竹藤太夫/鶴澤藤蔵
切 竹本千歳太夫/豊澤富助/琴:鶴澤清公
************************
人形役割
娘信夫⇒    吉田一輔
磯の上豆四郎⇒吉田玉勢
鉦の鐃八⇒  吉田簑一郎
代官川島典膳⇒吉田玉輝
亭主五作⇒  桐竹勘次郎
母小よし⇒  吉田和生
紀有常⇒   吉田玉男
在原業平⇒  吉田玉彦
井筒姫⇒   吉田和馬


「競伊勢物語」は東京では35年ぶりの上演だそうだ。勿論、初めての観賞。

朝廷の争いに巻き込まれた公家・紀有常が忠義の為に実の娘を手に掛け、その若い夫も自害するという悲惨な話。

それに先行して、これも忠義で犯した大罪の、類が実母に及ばぬように、必死でわざと実母に悪態をつき、なんとか勘当してもらおうとするが、母の限りのない我が子への深い情愛がそれを受け付けない。このやりとりがウルっとなる。

ところで、伝統芸能でジェンダー不平等やセクハラ・パワハラは洋の東西を問わないが、身代わりに我が子の首を差し出す児童虐待?は日本のお家芸かも。

追記:
文楽では初めて観たけど、過去の記録を見ていたら2015年の歌舞伎座秀山祭で、吉右衛門・菊之助・染五郎*・東蔵・米吉*(*当時の名前)らの豪華版で(歌舞伎では)観ていた。
強烈な話なのにもう忘れているなんてかなりショックだ。

♪2022-064/♪国立劇場-03

2021年9月5日日曜日

国立劇場開場55周年記念 人形浄瑠璃文楽 令和3年9月公演第Ⅱ部

2021-09-05@国立劇場



●卅三間堂棟由来 (さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)
 平太郎住家より木遣音頭の段
中 睦太夫/清志郎
切 咲太夫/燕三
奥 呂勢太夫/清治
人形 吉田和生・桐竹紋臣・吉田簑一郎・
   吉田簑二郎・吉田玉助・桐竹勘次郎

●日高川入相花王 (ひだかがわいりあいざくら)
 渡し場の段
三輪太夫・咲寿太夫/
碩太夫・聖太夫・團七・清𠀋・錦吾_清允・青方
人形 吉田清五郎・吉田勘市


機会の少ない文楽の前回公演を、コロナ拡大中につき弱気にも断念したので、2月公演以来の久しぶりの文楽観賞だった。
客席に座った時に、その場限りにせよ、日常が戻ったなあと嬉しくなった。

「卅三間堂棟由来」は文楽では始めての観賞だが、歌舞伎では数回観ている。

異類婚姻譚の一種。
柳の精・お柳は、平太郎と縁あって結ばれ、子(緑丸)を成す。
平和な暮らしも長くは続かず、ある日、白河法皇の病気平癒のため建てる三十三間堂の棟木に使う柳の大木が切り倒されることに。
その柳の木こそお柳その者なのだ。

切り倒されて都に運ばれる柳の大木は夫と緑丸が見送る場面で動かなくなる。

夫が歌う木遣音頭に合わせて緑丸が綱を曳くと、びくとも動かなかった柳が動き出す。
夫婦・母子の無念の別れが涙を誘う。

豊竹咲太夫・鶴澤清治・吉田和生の人間国宝トリオが結集して、何やらありがたい舞台ではあった。

♪2021-089/♪国立劇場-06

2020年2月19日水曜日

人形浄瑠璃文楽令和2年2月公演第Ⅱ部

2020-02-19 @国立劇場


新版歌祭文(しんばんうたざいもん)
 野崎村の段
  中 睦太夫/勝平
  前 織太夫/清治
  切 咲太夫/燕三
    ツレ 燕二郎 
人形役割
 娘おみつ⇒簑二郎
 祭文売り⇒玉延
 親久作⇒勘壽
 手代小助⇒紋秀
 丁稚久松⇒玉志
 下女およし⇒紋吉
 娘お染⇒簑一郎
 ほか

竹本津駒太夫改め
六代目竹本錣太夫襲名披露狂言
傾城反魂香(けいせいはんごんこう)
 土佐将監閑居の段
  口 希太夫/團吾
    津駒太夫改め
  奥 錣太夫/宗助
    ツレ 寛太郎

人形役割
 門弟修理之介⇒玉勢
 土佐将監⇒玉也
 将監奥方⇒文昇
 浮世又平⇒勘十郎
 女房おとく⇒清十郎
 狩野雅楽之介⇒一輔
 ほか

「新版歌祭文」はいわゆる「お染め・久松」の物語だが、先行作があるので本作は「新版~」というらしい。
歌舞伎では「野崎村の段」に先立つ「座摩社」も併せて観たが、今回は「野崎村の段」だけ。
この先お染めと久松は心中をするのだが、まあ、この若い2人は知恵が足らないから自業自得だけど、幼い頃からの久松の許嫁・おみつこそ哀れなり。

この段は3人で語り分け。
「中」が睦太夫、「前」が織太夫、「切」は当然唯一の切り場語り・人間国宝の咲太夫。
咲太夫が登場すると、テンションが高まる感じだ。

後半は、竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫襲名披露狂言
「傾城反魂香」土佐将監閑居の段。
歌舞伎では2度観ているが文楽は初めて。

絵の才能はあるが、吃音のせいもあって万事うまく立ち回れない又平に代わって、女房のおとくが陽気に喋りすぎるところが好対照の面白さだが、出世を弟弟子に越され、絵師「土佐」の名を与えてもらえない。万事休すで2人は心中を決め、師匠・土佐将監の家の庭の手水鉢に遺書代りに絵を描くと、これが裏面にまで抜け現れる。
その才能に驚いて師匠は又平にも「土佐」の名を与える。

本作の後半、「奥」を「錣太夫」が語った。
津駒太夫時代から聴いていて、上手いとかどうこう言えるほどの耳もないが、素人ながら申し上げれば、上手なんだろうな。いや、本公演に登場するような太夫はみんな上手なので、あとは好みの問題。織太夫、千歳太夫、藤太夫のような情熱派ではないが、堂々として素直な語り口のように思う。

♪2020-026/♪国立劇場-04

2019年2月15日金曜日

人形浄瑠璃文楽平成31年02月公演 第2部

2019-02-15 @国立劇場


近松門左衛門=作
大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)
 大経師内の段
     中⇒希太夫/鶴澤清丈
     奥⇒文字久太夫/鶴澤藤蔵

 岡崎村梅龍内の段
     中⇒睦太夫/鶴澤友之助
     奥⇒呂太夫/竹澤團七

 奥丹波隠れ家の段
     三輪太夫・南都太夫・咲寿太夫/鶴澤清友
     
  人形▶吉田和生・吉田簑紫郎・吉田勘一・吉田玉勢・
               吉田簑一郎・吉田玉志・吉田玉也

近松門左衛門の<世話物>の中でも、「大経師昔暦」は「冥途の飛脚」、「曾根崎心中」、「女殺油地獄」、「心中天網島」などと並んで、非常に有名な作品だが、あいにくこれまで文楽でも歌舞伎でも観たことはなかった。

この話も、おさん・茂兵衛にとって、ほんのちょっとしたはずみの事故のような出来事が、悪い方へ悪い方へと転がり、糸がもつれもつれて絡み合い、もう、どうにもならずに最悪の逃避行へと転落する。

茂兵衛への恋心から茂兵衛に味方した下女のお玉は京に近い岡崎村の伯父・梅龍の元に預けられ、おさん・茂兵衛は逃避行の傍、そこを尋ね、その後奥丹波に隠れ住むが、それも長くは続かず、ついに追っ手の手にかかる。
そこに梅龍が、お玉の首を持参し、全ての罪はお玉にあるので成敗した。おさん・茂兵衛に罪はない、と役人に申し立てるが、2人の不義は濡れ衣だと証明できる唯一の証人を殺してしまったと梅龍の早計を惜しみ、梅龍は地団駄踏んで悔しがる。

このラストチャンスまで、むしろ善意が3人の人生を踏み潰してしまうという悲劇に慄然とする。

それでも、おさん・茂兵衛はお互いに真実の愛を知らぬまま今日に至り、思いがけない地獄への道行きの中で、純愛に準ずることができたのがせめてもの幸いか。

今回は、ここまでの上演だったが、近松の原作ではその後2人は助命されるそうだ。にもかかわらず、実話の方は両者磔、お玉は獄門晒し首になるそうで、劇中、それを予告するかのように、おさん・茂兵衛の影が磔の姿に、お玉は窓から顔を出したその影が獄門首に見えるように演出されていて、これはかなり気味が悪い。

余談:
この話も「桂川連理の柵」同様、実話が基になっている。
それを最初に浮世草子として発表したのが井原西鶴(「好色五人女」の中の「暦屋物語」)で、その33年後に近松門左衛門が同じ題材で浄瑠璃「大経師昔暦」を発表した。
両者の話の細部は知らないので相違も知らなかったが、これらを原作にした溝口健二監督の名作映画「近松物語」は何度も観てよく知っているので、近松の浄瑠璃「大経師昔暦」もおよそ、この映画のストーリーに近いものだと思い込んでいたが、実際に観てみると少し様子が異なる。

後からの俄か勉強だが、そもそも西鶴の描いた物語と近松の物語とではおさん・茂兵衛の関係がだいぶ違うようだ。加えて、溝口が映画化した際は、その両者を合体させてシナリオを作ったという。

映画の方は合理的な筋の展開で無理がなく共感するものが多いが、文楽「大経師昔暦」ではおさんと茂兵衛が不義の仲になる設定に無理がある。

大経師の女房おさんと下女お玉が寝所を交代する目的は、おさんがお玉のふりをして亭主・以春のお玉への夜這いの現場を押さえ、懲らしめる事にあった。
一方、茂兵衛は昼間自分を助けようとしてくれたお玉に礼を言おうと寝所に忍び込む。暗闇で顔が分からないとしても、茂兵衛が言葉は発しないとしても、おさんには忍び込んで来た男が自分の亭主でないことくらい素ぶりで分かるはず。にも関わらず、抵抗もせず、情を通じてしまうのも不可解。
だからこそ、溝口はここを改めて、すぐお互いが意中の人ではないと気がつくが、何しろ深夜の寝所に2人でいるところを見られたことで不義が疑われるという筋に変えている。

床本(シナリオ)を読む限り、2人はお互いの顔を確認した上で、互いに予期する相手ではなかったが、それでも結ばれるという筋立てに変更する演出は可能だし、そうすればその後の逃避行もよく分かるのだが、「伝統芸能」の世界では、新劇のような自由な解釈は許されないのだろうな。

♪2019-017/♪国立劇場-04

2018年2月14日水曜日

人形浄瑠璃文楽平成30年2月公演 第1部「心中宵庚申」

2018-02-14 @国立劇場


近松門左衛門=作
心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)

 上田村の段
  竹本文字久太夫
  鶴澤藤蔵
  ◎人形
  豊松清十郎⇒姉おかる
  桐竹勘十郎⇒女房お千代
  吉田玉也⇒島田平右衛門
  吉田玉男⇒八百屋半兵衛 ほか
 
八百屋の段
  竹本千歳太夫
  豊澤富助
  ◎人形
  吉田分司⇒伊右衛門女房
  吉田玉男⇒八百屋半兵衛
  吉田簑一郎⇒八百屋伊右衛門
  桐竹勘十郎⇒女房お千代 ほか
 
 道行思ひの短夜(みじかよ)
  竹本三輪太夫⇒お千代
  豊竹芳穂太夫⇒半兵衛
  豊竹希太夫
  竹本文字栄太夫
  竹澤團七
  鶴澤清志郎
  鶴澤友之助
  鶴澤錦吾
  鶴澤清允
  ◎人形
  吉田玉翔⇒庚申参り
  吉田簑太郎⇒庚申参り
  吉田玉男⇒八百屋半兵衛
  桐竹勘十郎⇒女房お千代

近松の心中物と言えば、大抵は女は遊女、男は手代とか婿養子といういずれも弱い立場の組み合わせが多いようだが、「心中宵庚申」は好きあって連れ添い腹に子を宿した女房とその亭主の心中だ。
そこで思い出したのは、先日新国立劇場で観た「近松心中物語」(秋元松代作)だ。「冥途の飛脚」を軸に「卯月の紅葉」とその続編「卯月の潤色(うづきのいろあげ)」を合わせて作劇してあるが「卯月〜」こそ夫婦の心中ものだった。尤も「〜紅葉」では男は死に損ない、「〜潤色」で後追い自殺するのだから厳密には心中とはいえない。ついでに「冥途の飛脚」も「近松心中物語」では2人で心中するが、原作の方は追手から逃げてゆくところで終わっているのでこれも心中物ではない。
すると、厳密な夫婦心中物はひょっとして「心中宵庚申」だけかもしれないな。


お千代は上田村の裕福な百姓の娘だが、二度嫁いで二度とも離縁されていた。一度は婚家の破産、一度は死別なので彼女には何の落ち度もなかった。そして三度めに嫁いだ大阪の八百屋半兵衛とは互いに仲睦まじく暮らしお腹には二人の子を宿していた。ところが、姑は何が不満かお千代に辛く当たり、半兵衛が旅に出ている間に離縁してしまう。所謂「姑去り」だ。
実家に戻った日に訳を知らない半兵衛が旅の帰りにその実家を訪ねてことの仔細を知り、大阪に連れ帰ったが、義母の手前、家に入れることはできず従兄弟の家に隠し、時々の逢瀬を楽しんでいた。しかし、それも義母の知るところとなり、半兵衛はお千代との離縁を強く求められる。
義母への恩もあり、義理と愛情との板挟みで苦しんだ挙句、お千代を正式に離縁した。その夜は宵庚申だった。半兵衛とお千代は今度こそ一生連れ添おうと、庚申参りの賑わいに紛れて生玉神社へゆき夜明けを待って心中をした。

なんとも哀れなお千代だ。
半兵衛も元は武士であるのに、何という気の弱さ。

この話では、姑がなぜお千代を嫌うのかが説明されていないので心中せざるを得ない理由が不可解なのだが、多分、近松にとってそんなことはどうでも良かったのだろう。嫁と姑の軋轢は多くの場合些細なことから生じていてそこを論ずるにあまり意味はない。むしろ、それがフツーにある、ということを前提にして行き場を失った夫婦の悲劇を見せようとしたのではないか。

義太夫、三味線、人形遣いの巧拙はよく分からないが、この三者の織りなす世界は不思議な魅力に満ちている。
例えば、お千代の哀しさは、人間が演ずるより人形の方が心に染み入るようだ。お千代の役だけではなく、人形が演ずる(遣っているのは人間だが)ことで、観ている方の感情の振幅が素直に増大されるような気がする。もちろん、語りと三味線が息を合わせているからこそだが。

今回の公演は3部あり、今日はまず第1部を観た。次は第2部が今回の要の公演で八代目竹本綱太夫の五十回忌追善と豊竹咲甫大夫改め六代目竹本織太夫襲名披露公演「摂州合邦辻」、第3部が「女殺油地獄」でいずれも楽しみだ。

♪2018-018/♪国立劇場-02