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2023年9月8日金曜日

未来へつなぐ国立劇場プロジェクト 初代国立劇場さよなら特別公演 通し狂言「妹背山婦女庭訓」

2023-09-08 @国立劇場大劇場


近松半二=作
通し狂言「妹背山婦女庭訓」<第1部>三幕
(いもせやまおんなていきん)

  戸部銀作=脚本
  高根宏浩=美術

序 幕  春日野小松原の場
二幕目  太宰館花渡しの場
三幕目  吉野川の場

太宰後室定高⇒中村時蔵
蘇我入鹿坂東⇒坂東亀蔵
久我之助清舟⇒中村萬太郎
腰元小菊⇒市村橘太郎
采女の局⇒坂東新悟
太宰息女雛鳥⇒中村梅枝
大判事清澄⇒尾上松緑
       ほか



「妹背山婦女庭訓」は文楽発祥の大作で、文楽では19年に《国立文楽劇場開場35年》の記念興行で、2公演にわたって(10:30〜21:00という長丁場!)通し狂言として演じられたのを初めて観て大いに感心した。もう一度観たいと思っていたが、今回は歌舞伎で観ることができた。

歌舞伎版は初めてだったが、やはり大作なので、何かの記念公演で演じられることが多いようだ。今回は、《初代国立劇場さよなら特別公演》ということで、今月と来月に2公演に分けて通し狂言として演じられる。

核となる場面は「妹山背山の段」で歌舞伎では「吉野川の場」とタイトルが変わっているが、舞台装置は文楽と全く同様で、桜満開の吉野に敵味方に分かれた両家の別荘が、吉野川を挟んで対峙している。その舞台の美しいこと。

文楽でいう、太夫が三味線に合わせて語る「床」は、文楽の「妹山背山の段」と同様上手・下手の両方に設えてある。

文楽では人形の寸法に合わせて舞台も小ぶりだが、歌舞伎では言うまでもなく人間サイズだから、特に豪華に見える。
そして、極めて珍しい両花道を使って舞台全体が立体的に構成してあって、製作陣の意気込みを感ずる。


物語は、説明不可だ。大勢登場し、我が子の首を切ったり、首が嫁入りしたりと荒唐無稽だ。
寛大な気持ちで臨まなければこの話を楽しむことはできない。

♪2023-151/♪国立劇場-09

2021年6月9日水曜日

6月歌舞伎鑑賞教室

 2021-06-09 @国立劇場


●解説 歌舞伎のみかた

●三遊亭円朝=口演

竹柴金作=脚色
尾上菊五郎=監修
人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)二幕四場
      国立劇場美術係=美術

序 幕  第一場 本所割下水長兵衛内の場
    第二場 吉原角海老内証の場
二幕目  第一場 本所大川端の場
     第二場 元の長兵衛内の場

●「解説 歌舞伎のみかた」
解説                    中村種之助

●『人情噺文七元結』
左官長兵衛          尾上松緑
女房お兼                  中村扇雀
和泉屋手代文七       坂東亀蔵
鳶頭伊兵衛              中村種之助
娘お久                    坂東新悟
和泉屋清兵衛          市川團蔵
角海老女房お駒       中村魁春
                                ほか


この芝居は落語から移し替えられた。

本家落語版では、なんと言っても名人志ん朝の「文七元結」が大好きだ。何十回も聴いているが、おかしくて、ほろっとさせられる。


落語は時空が噺家の自在になるが、芝居ではそうもゆかないので、落語の話を少し端折ってあるが、うまく繋いであるので少しも違和感がない。

この芝居、昨年菊五郎ほか豪華版で楽しんだが、今回は主役長兵衛を松緑に譲り(初役)、菊五郎は監修に回った。

やはり松緑こそ実年に近く味わいもピッタリだ。菊之助では長兵衛は務まらない。


毎回、こんなバカな話はないぞ、と思いながらも惹き込まれ、ホクホク、ウルウルしてくる。

娘が身を売って拵えた50両の大金を、長兵衛は店の金を無くして身投げ寸前の文七に逡巡の挙げ句人の命にゃ変えられない、とやってしまう。


長兵衛の女房(お兼=扇雀)はどうせ博打で擦ったのだろうと大喧嘩。この扇雀も巧い。2人の絡みの面白さで話に説得力が生まれ、バカな話もありそうな話になってくる。


今月(来月も)は観賞教室として開催されているので、中・高生の団体がたくさん入っていて、2階最前列の好きな席は取れなかったが、その後取り消しが相次いだようで、結局、2階はガラガラだった。よほどか、空いてる席に移りたかったが、ま、それはじっと我慢して後ろの方で観ていたよ。


本篇に先立って恒例の歌舞伎案内を今回は種之助が務めた(本篇も)が、手際良く、滑舌良く、上手だった。



♪2021-051/♪国立劇場-04

2021年3月9日火曜日

3月国立劇場 歌舞伎公演

2021-03-09 @国立劇場


令和3年3月歌舞伎公演『時今也桔梗旗揚』
《歌舞伎名作入門》

●入門 歌舞伎の“明智光秀”

●四世鶴屋南北=作
中村吉右衛門=監修
時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)三幕

序 幕 饗応の場
二幕目 本能寺馬盥の場
大 詰 愛宕山連歌の場


----------------
●「入門 歌舞伎の“明智光秀”」
ご案内                片岡亀蔵

●『時今也桔梗旗揚』
武智光秀              尾上菊之助
小田春永              坂東彦三郎
光秀妻皐月          中村梅枝
森蘭丸                  中村萬太郎
光秀妹桔梗          坂東新悟
森力丸                  中村鷹之資
山口玄蕃              中村吉之丞
住職日和上人        片岡亀蔵
連歌師宇野丈巴    河原崎権十郎
安田作兵衛            中村又五郎
                                          ほか


「時今也桔梗旗揚」(ときはいまききょうのはたあげ)

光秀が信長のパワハラに我慢ならぬと謀反を起こす物語。

初見だったが楽しめた。


主人公光秀役の菊之助(初役)のほかに信長役の彦三郎、片岡亀蔵、又五郎、梅枝、新吾などいずれも口跡の良いシャキシャキした中堅と若手が清新に舞台を引き締めた。


重鎮は一人も配役されていなかったが、役者の気合十分で、緩むところがなかった。


菊之助は白塗りがよく似合う。

彦三郎はホンに憎らしや!


この作品、本篇中に義太夫が全然使われていない。

鶴屋南北の作品には珍しくないみたいだが、寂しくもあり、一方で科白劇として分かり易かったのかもしれない。


本編に先立って、解説を片岡亀蔵が面白おかしく勤めたが、これもなかなかの見もの・聴きもので、夏の鑑賞教室のような構成だ。


それにしても、平日昼間なので、もとより観客層は限られるが、空席が目立った。こんな面白い芝居をもったいないことだ。


♪2021-022/♪国立劇場-03

2019年12月4日水曜日

12月歌舞伎公演「近江源氏先陣館―盛綱陣屋―」/「蝙蝠の安さん」

2019-12-04 @国立劇場


①近松半二=作
『近江源氏先陣館』(おうみげんじせんじんやかた)
「盛綱陣屋」(もりつなじんや)一幕
        国立劇場美術係=美術

佐々木三郎兵衛盛綱⇒松本白鸚
高綱妻篝火⇒中村魁春
信楽太郎⇒松本幸四郎
盛綱妻早瀬⇒市川高麗蔵
後室微妙⇒上村吉弥
四天王⇒澤村宗之助
四天王⇒大谷廣太郎
竹下孫八⇒松本錦吾
伊吹藤太⇒市川猿弥
和田兵衛秀盛⇒坂東彌十郎
古郡新左衛門⇒大谷友右衛門
北條時政⇒坂東楽善
                      ほか

②チャールズ・チャップリン生誕130年
チャールズ・チャップリン=原作『街の灯』より
木村錦花=脚色
国立劇場文芸研究会=補綴
大野裕之=脚本考証
大和田文雄=演出
『蝙蝠の安さん』 (こうもりのやすさん)
    国立劇場美術係=美術

蝙蝠の安さん⇒松本幸四郎
花売り娘お花⇒坂東新悟
上総屋新兵衛⇒市川猿弥
井筒屋又三郎⇒大谷廣太郎
海松杭の松さん⇒澤村宗之助
お花の母おさき⇒上村吉弥
大家勘兵衛⇒大谷友右衛門
                                  ほか

高麗屋一門による「近江源氏先陣館―盛綱陣屋―」/「蝙蝠の安さん」。国立にしては珍しい2本立て。
「盛綱陣屋」はいかにも義太夫歌舞伎らしい本格派。
彌十郎がかっこいい。

「蝙蝠の安さん」はチャップリン「街の灯」を翻案した異色作だが、案外と良くできていた。

幸四郎と猿弥のやりとりの場面で、幸四郎のちょび髭が落ちてしまった。慌てる幸四郎に猿弥が「髭なしで何か面白いことをやれ」と囃し立てる。この場面は客席も大笑いだったが、てっきり、そういう演出だと思って観ていたが、実はそうではなく、髭が落ちたのは予期せぬ事故だったが、猿弥も幸四郎もアドリブで乗り切ったのだという。まあ、喜劇だから、どんな失敗が起こっても笑って済ませるからいいが、「盛綱陣屋」で白鸚のカツラが落ちたりしたらどうにも取り繕いもできないだろうな。

♪2019-193/♪国立劇場-15

2019年7月16日火曜日

令和元年6月 第96回歌舞伎鑑賞教室「菅原伝授手習鑑ー車引」/「棒しばり」

2019-07-16 @国立劇場


解説 歌舞伎のみかた  坂東新悟

竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)  一幕
 ―車引(くるまびき)―
  国立劇場美術係=美術
  吉田社頭車引の場

岡村柿紅=作
棒しばり(ぼうしばり)  長唄囃子連中

(主な配役)
「菅原伝授手習鑑 -車引- 」
舎人松王丸⇒尾上松緑
舎人梅王丸⇒坂東亀蔵
舎人桜丸⇒坂東新悟
舎人杉王丸⇒中村玉太郎/尾上左近(交互出演)
藤原時平⇒中村松江
       ほか

「棒しばり」
次郎冠者⇒尾上松緑
太郎冠者⇒坂東亀蔵
曽根松兵衛⇒中村松江
        ほか

7月は短篇2本。菅原伝授手習鑑から「車引」。
三ツ子の兄弟の出会い・睨み合いを描くだけでこれといって面白い話ではないが、歌舞伎の荒事・和事・実事を隈取りや車鬢、衣装、小道具などで描き分ける点で入門にも相応しい。
松緑の松王丸、亀蔵の梅王丸やよし!

後半は「棒しばり」。
狂言から移された松羽目物。
オリジナルの狂言は若い頃に観ているが歌舞伎版は初見。
遠い記憶と照らしてはほぼ同じように思ったが…。
主人の留守中、悪さをせぬようにと次郎冠者は棒に両手を縛られ太郎冠者は後ろ手に縛られるが、二人協力して酒の壺から大酒する様のおかしさ。こちらも松緑と亀蔵が大活躍。

松江が前半では藤原時平、後半では大名(曽根松兵衛)の役で舞台を締めるはずだけど、イマイチ貫禄不足かなあ。この人は真面目一方な感じで(実際は知らないけど…)ハッタリが不足している。

♪2019-101/♪国立劇場-10

2018年10月4日木曜日

十月歌舞伎 通し狂言「平家女護島」

2018-10-04 @国立劇場


近松門左衛門=作
国立劇場文芸研究会=補綴
国立劇場美術係=美術
通し狂言 平家女護島(へいけにょごのしま)三幕四場

序 幕 六波羅清盛館の場 
二幕目 鬼界ヶ島の場
三幕目 敷名の浦磯辺の場
同   御座船の場

(主な配役)
平相国入道清盛/俊寛僧都⇒中村芝翫
俊寛妻東屋⇒片岡孝太郎
瀬尾太郎兼康⇒中村亀鶴
能登守教経/丹左衛門尉基康⇒中村橋之助
俊寛郎等有王丸⇒中村福之助
上臈松ヶ枝⇒中村梅花
海女千鳥⇒坂東新悟
越中次郎兵衛盛次/丹波少将成経⇒中村松江
後白河法皇⇒中村東蔵
ほか

所謂「俊寛」に前後の段を加えた通しとして演じられた。できるだけオリジナルを復元して次代に伝えようという姿勢で、これが国立劇場の魅力だ。
しかし、先月秀山祭@歌舞伎座で吉右衛門が「俊寛」を演ったせいか、2ヵ月続いて「俊寛」では誰が演じてもお客は呼べないだろう。

僕は、秀山祭は昼の部だけを観て夜の部の「俊寛」をパスし、今月の国立での通し狂言「平家女護島」に期待をしていた。

しかし、というか、案の定というべきか、厳しい状況で、芝翫が吉右衛門にかなうはずもなし。
今日のお客の入りは全館で五分〜せいぜい六分の入りか。

舞台は芝翫親子が熱演しているのだけど、空席の目立つ客席は緊張がシカンしていた。

芝翫の息子たち、橋之助・福之助兄弟はそれぞれに出番の多い役で頑張っていたが、舞台にも生まれる緊張の隙間を埋めるには到底心もとなく、お稽古教室の感があった。

鬼界ヶ島で俊寛に斬り殺されてしまう悪役・瀬尾太郎兼康を中村亀鶴が演じていた。亀鶴という役者をこれまで何度も観てきているが、その都度忘れてしまう、まあ、あまり存在感のある役は振られていなかったように思うが、今回の役はなかなか良かった。元気な悪党ぶりが頼もしかった。これで当分覚えているだろう。

♪2018-123/♪国立劇場-014

2018年7月3日火曜日

平成30年7月 第94回歌舞伎鑑賞教室「日本振袖始」

2018-07-03 @国立劇場


解説 歌舞伎のみかた  坂東新悟

近松門左衛門=作
戸部銀作=脚色
日本振袖始(にほんふりそではじめ) 一幕
〜八岐大蛇(やまたのおろち)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)〜
  二世藤間勘祖=振付
    高根宏浩=美術
   野澤松之輔=作曲

 出雲国簸の川川上の場

(主な配役)
岩長姫実ハ八岐大蛇 ⇒中村時蔵
稲田姫 ⇒坂東新悟
素戔嗚尊 ⇒中村錦之助
              ほか

先月の鑑賞教室は「連獅子」で、歌舞伎の舞踊を鑑賞するという趣向だったが、今回もどちらかというと舞踊に近い作品だった。

物語は、記紀に描かれた岩長姫と木花開耶姫の婚姻譚や素戔嗚尊の八岐大蛇退治を基にして、なんと近松門左衛門が人形浄瑠璃として書いたものだそうで、すぐさま歌舞伎にも移されたとある。

「時代物」でも、よほどか古い時代の話だが、登場人物の衣装は、少なくとも2人の姫は江戸時代の衣装だ。まあ、そんなことは頓着しない。面白ければそれで良し。

主要登場人物は3人。と言っても稲田姫は生贄で活躍の場もなく大蛇に飲み込まれてしまう。一番活躍するのが岩長姫(実は大蛇)だ。生贄をいただく前に、その周りに置いてあった大きな8つの甕に入っていた酒をたらふく飲んでから稲田姫を飲み込んでしまう。

お酒には素戔嗚尊が毒を仕込んでおいたので、徐々に毒が身体に回わったところで、正体を明らかにした八岐大蛇は素戔嗚尊と切り結ぶことになる。この辺の所作が激しいものの舞踊を見ているようでもある。

8つも頭がある大蛇をどう表現するのか、と心配していたが、そこは分身の術で7人の大蛇が加わって、計8人の大蛇との戦いになるが、もちろん、素戔嗚尊が勝利して、切り裂いた腹の中から生きたままの稲田姫と宝剣を取り返す。

岩長姫は当然女であり、女方の時蔵が演ずるが、八岐大蛇という正体を表してからは、衣装が早変わりで金の鱗模様(これは蛇の印)となり、顔には女方としては非常に珍しい隈取をして恐ろしい形相での大立ち回りが見どころだ。

♪2018-078/♪国立劇場-11

2016年8月16日火曜日

八月納涼歌舞伎 第一部

2016-08-16 @歌舞伎座


近松門左衛門 作
武智鉄二 補綴
一 嫗山姥(こもちやまんば)
岩倉大納言兼冬公館の場
荻野屋八重桐⇒扇雀
太田太郎⇒巳之助
局藤浪⇒歌女之丞
沢瀉姫⇒新悟
煙草屋源七実は坂田蔵人時行⇒橋之助

岡本綺堂 作
大場正昭 演出
二 権三と助十(ごんざとすけじゅう)
権三⇒獅童
助十⇒染五郎
権三女房おかん⇒七之助
助八⇒巳之助
小間物屋彦三郎⇒壱太郎
猿廻し与助⇒宗之助
左官屋勘太郎⇒亀蔵
石子伴作⇒秀調
家主六郎兵衛⇒彌十郎


2本とも初見。
「嫗山姥」は怪奇伝の類だろうか。
橋之助がその名前で出演する最後の舞台だが、それにしては甲斐性のない男の役(煙草屋源七実は坂田蔵人時行)だったな。

再会した女房八重桐(扇雀)から親の敵討ちや主家の難儀などを聞かされ、女房、妹や主君の苦労にひきかえ自分は源七と名を変え郭通いで身を持ち崩した不甲斐なさを恥じて切腹するが、その際に八重桐の胎内には時行の魂が宿り(将来坂田金時を産むことになる。)、そのため怪力の持ち主になって、悪党を蹴散らす~という話。

浄瑠璃(竹本)に合わせた長セリフが聴かせどころらしいが、あまり良く分からなかった。
元は傾城であった八重桐が神通力を得て変身するところが見どころで、これは衣装の早変わり(引き抜き?)もあっていかにも歌舞伎らしい。

「権三と助十」は江戸時代の長屋が舞台で繰り広げられる人情話であり、大岡裁きの話でもある。
まずは、この長屋の舞台装置がよく出来ていて、江戸時代の長屋はこういうものだったのか、と思わせる。猿回しや駕籠かき、小間物売りに女房たちが江戸の風情をよく表している。
染五郎(助十)と獅童(権三)もいかにもの江戸っ子ぶりで面白い。
話も良く出来ていて、セリフも現代劇風なので聴き取りやすい。

権三の女房おかんを演じた七之助が小粋な女っぷりでうまいなと思った。


♪2016-114/♪歌舞伎座-05

2016年7月27日水曜日

平成28年7月歌舞伎鑑賞教室「卅三間堂棟由来」(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい) (平成28年度神奈川県歌舞伎鑑賞教室)

2016-07-27 @県立青少年センター


●解説 歌舞伎のみかた   
   坂東新悟

若竹笛躬・中邑阿契=作
山田庄一=補綴
●卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)二幕三場
      国立劇場美術係=美術

  序  幕 紀州熊野山中鷹狩の場
  二幕目 横曽根平太郎住家の場
           木遣音頭の場

中村魁春⇒お柳<おりゅう>(実は柳の精)
坂東秀調⇒進ノ蔵人<しんのくらんど>
中村歌女之丞⇒平太郎母滝乃
市村橘太郎⇒伊佐坂運内<いささかうんない>
中村松江⇒太宰師季仲<だざいのそちすえなか>
坂東彌十郎⇒横曽根平太郎<よこそねへいたろう>
  ほか

国立劇場で初日を観たが、7月の歌舞伎鑑賞教室は横浜でも公演があるので再度観にいった。

今回は、前方8列目、花道から7番目に席をとった。下手(しもて)に偏するけど、役者には近い。

国立の大きな舞台に比べると少し手狭だが、席が舞台に近かったことや客席全体もこじんまりとしているので没入感はむしろ大きかった。

芝居の感想は初日(7月3日)に書いたとおりだが、役者たちの熱演にはあらためて感心する。国立劇場で休み無しの22日間・42回の公演を終えて、中2日の休みを挟んで横浜での2日間・4公演だ。
少しは手抜きがあるかと思ったが、それは全く感じられなかった。おそらく、一度でも手を抜くと芸がダメになるのだろう。この日の午後の部で千秋楽だが、ゆっくり夏休みをとってほしいものだ。

子役(緑丸)が初日と同じ子供(2人交代)かどうか分からないけど、なかなかうまい。大先輩たちに混じって演じているうちに徐々に腕を上げてきたようだ。花道七三で短い足を踏ん張って見得を切る姿は堂々として可愛らしい。

地味な演目で、役者も花形とはいえない。
昨年の菊之助の公演の時のような熱気がなく、客席もおとなしくて大向うは全然かからない。拍手さえはばかられるような雰囲気で、多分、あまり歌舞伎を観慣れていないお客が多かったのではないか。それでも終盤に向かって徐々に拍手の和が広がっていったのは良かった。
尤も、歌舞伎鑑賞において拍手はするべきではないという意見もあるらしいが、これは少数異見だろう。


♪2016-104/♪県立青少年センター-1

2016年7月3日日曜日

平成28年7月歌舞伎鑑賞教室「卅三間堂棟由来」(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)

2016-07-03 @国立劇場


●解説 歌舞伎のみかた   
    坂東新悟

若竹笛躬・中邑阿契=作
山田庄一=補綴
●卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)二幕三場
    国立劇場美術係=美術

 序 幕 紀州熊野山中鷹狩の場
 二幕目 横曽根平太郎住家の場
     木遣音頭の場

中村魁春⇒お柳<おりゅう>(実は柳の精)
坂東秀調⇒進ノ蔵人<しんのくらんど>
中村歌女之丞⇒平太郎母滝乃
市村橘太郎⇒伊佐坂運内<いささかうんない>
中村松江⇒太宰師季仲<だざいのそちすえなか>
坂東彌十郎⇒横曽根平太郎<よこそねへいたろう>
  ほか

「卅三間堂棟由来」は異類婚姻譚の一種。
柳の精・お柳は、今は落魄の武士・平太郎の弓の腕前のおかげで危ういところ一命をとりとめる。それが縁で2人が結ばれ、子(緑丸)を成すが平和な日々は長くは続かない。

およそ5年経過したある日、都から知り合いの武士が平太郎一家が住む熊野にやってくる。白河法皇の病気平癒のために都に三十三間堂を建てることになり、その棟木に使う柳の大木を伐りに来たのだ。

お柳はそれを聴いて自分の最期を知る。
まさにその柳の木こそお柳そのものなのだ。

やがて、柳に斧が振るわれる。カーンという音。これは小鼓だろうか。激痛に身悶えしながら、お柳のクドキが始まる。
すべてを知った平太郎も緑丸も姑も為す術はなく、4人が互いに掻き抱きながら、無情の別れが竹本(浄瑠璃)の気合も高らかに哀切極まりない。
ああ、この話で江戸の庶民は涙を搾り取られたんだろうなと思いながら観ていたが、隣のお兄さんも鼻をグズグズ言わせ始め、つい伝播して不覚の涙。

特に切り倒された柳の大木を運ぶ木遣り音頭の場面では、大勢の曳き手にもかかわらず、駆けつけた平太郎や緑丸を前に柳は微動だにしなくなる。そこで、緑丸が「かかさま~」と縋りより、手綱を曳くとお柳の思いが晴れたか、ゆっくりと動き出す。
緑丸を演じた子役(星一輝と山田華音のダブルキャストなのでこの日=初日どちらが出ていたのか分からないが)がなかなか上手で、しっかり感情移入させてくれた。

大道具の仕掛けもいろいろあって、姿が消えたり、早変わりに宙吊りまでと、人情モノにしては凝った作りが面白かった。

平太郎の彌十郎とお柳の魁春。
これまで、余り主要な役は観る機会がなかったが、いずれも力の入った良い芝居だったと思う。


♪2016-092/♪国立劇場-04

2015年12月8日火曜日

12月歌舞伎公演「東海道四谷怪談」

2015-12-08 @国立劇場


松本幸四郎⇒民谷伊右衛門/石堂右馬之丞
中村錦之助⇒小汐田又之丞
市川染五郎⇒お岩/小仏小平/佐藤与茂七/大星由良之助/鶴屋南北
市川高麗蔵⇒赤垣伝蔵
中村松江⇒矢間十太郎
坂東新悟⇒お岩妹お袖/千崎弥五郎
大谷廣太郎⇒秋山長兵衛/大鷲文吾
中村米吉⇒喜兵衛孫娘お梅/大星力弥
中村隼人⇒奥田庄三郎/竹森喜多八
澤村宗之助⇒関口官蔵/織部安兵衛
松本錦吾⇒四谷左門
大谷桂三⇒薬売り藤八/金子屋庄七
片岡亀蔵⇒按摩宅悦/高家家来小林平内
市村萬次郎⇒伊右衛門母お熊
坂東彌十郎⇒直助権兵衛/仏孫兵衛
大谷友右衛門⇒伊藤喜兵衛/原郷右衛門
      ほか

四世鶴屋南北=作
通し狂言「東海道四谷怪談」とうかいどうよつやかいだん 三幕十場
          国立劇場美術係=美術


序幕   浅草観世音額堂の場
     浅草田圃地蔵前の場
     同     裏田圃の場

二幕目 雑司ヶ谷四谷町民谷伊右衛門浪宅の場
    伊藤喜兵衛宅の場
    元の伊右衛門浪宅の場 

大詰  砂村隠亡堀の場
    小汐田又之丞隠れ家の場
    蛇山庵室の場
    仇討の場


予備知識として、四谷怪談の物語の背景に忠臣蔵が同時に描かれているということは知っていたが、これはどうやら奇抜なアイデアではないらしい。
歌舞伎初演時から四谷怪談と忠臣蔵が、形は別の演目として独立しているものの、物語は同時進行的に描かれていたようだし、民谷伊右衛門が浅野家の浪士であるという設定は「四谷怪談」が単独上演されるようになって追加されたものではなく当初からのものらしい。

これまで「四谷怪談」は映画などでしばしば観ているが、伊右衛門が浅野家浪士だったとは気が付かなかったというか、果たしてそのように描かれていたのだろうか。

ま、ともかく、作者鶴屋南北は「四谷怪談」を「仮名手本忠臣蔵」の外伝として描いたそうだ。

そもそも歌舞伎で「四谷怪談」を観るのが初めてなので(国立劇場としても44年ぶりの上演らしい。)、「四谷怪談」と「忠臣蔵」を抱き合わせにするとはなんて斬新なアイデアだと思っていたが、その萌芽は初演時からあった訳だ。

人気の出し物を2本併せてた物語が組み立てられているせいか、全三幕十一場の場面を必要とするほどに話が複雑で、ついて行くのに苦労した。
普段は、役者の役どころや演目の筋をさらっておいてから出かけるのだけど、今回は忙しくて時間のゆとりがなかったことに加え、どうせ、両方とも話は分かっている、と甘く見ていたのが大間違いで、大筋はともかく、それを彩る、いや絡みつくというか、いろいろと細かい話が盛り沢山。それに最初に出た何気ないエピソードや小物が後の場になってつながってくるという筋立て上の仕掛けもあって、これは相当目配り・気配りしながら観ないと全体を楽しむことはできない。

塩冶家(⇒浅野家)の家臣小汐田又之丞(錦之助)が冒頭、高家(⇒吉良家)の家臣らにさんざ打擲されて歩けなくなるというエピソードなど、忘れてしまうような話だが、大詰め第二場で、民谷家家宝の薬ソウキセイ(桑寄生)が意味を明らかにし、これを持ってきた小仏小平(染五郎)とともに討ち入りにつながってくるのだからぼんやりしてられない。
いや、ぼんやりしていた部分はほかにあったのだけど思い出せないだけだ。



中盤は伊右衛門(幸四郎)とお岩(染五郎)の話が中心になるが、上述の小汐田又之丞隠れ家の場が踏み台になって舞台は一挙に討ち入りに変化する。

既に真っ白な雪が積もったところに惜しげも無く雪が舞い降りてそこでの戦闘シーンはきれいだ。途中、あれは誰と誰の戦いだったか、2人の上にドカ雪が落ちてきてもう互いに顔も見えない中での斬り合いが意表を突いて面白かった。

幸四郎の伊右衛門はコワイ。
だからとても良い。

染五郎は別としてほかにも良い味を感じた役者が何人かいた。
坂東彌十郎(直助権兵衛/仏孫兵衛)が存在感があった。
米吉(お梅/大星力弥)はお梅で存在感希薄。力弥では颯爽たる立ち回りが絵になっていた。
錦之助(小汐田又之丞)は冒頭の情けない場面と随分間があって「小汐田又之丞隠れ家の場」でタイトルロール?として登場するが、ここではさすがにかっこ良く、次の場面への期待を持たせるきっぱりとした芝居だ。


さて、染五郎。

お岩、小仏小平、佐藤与茂七、大星由良之助のほかに、冒頭、鶴屋南北としてすっぽんから登場して(幽霊なので)本公演の趣旨を述べ、又之丞打擲の芝居が終わると再度せり上がってきて、未来の役者、市川染五郎なるものが熱心に上演許可を求めてきたので許可した、ゆっくりご覧あれ…といったような口上を述べてセリ下がる。館内は笑いに包まれる。
そんな訳で計5役を勤めるのだ。
その中には、お岩と小平のような早変わりもある。
お岩の顔貌の早変わり?もある。
燃える提灯からの飛び出しって、昔からそういう仕掛けがあったのだろうか。
宙乗りもあってもう大奮闘だ。

最後に本懐を遂げた由良之助で終わるので、カタルシスがある。

まあ、とにかく、筋の仕掛け、舞台の仕掛けも複雑で盛り沢山だが、2、3度観なければ全貌を堪能するには至らないように思った。

もう一度、おさらいをしにゆくかな。


♪2015-122/♪国立劇場-06

2015年8月12日水曜日

松竹創業120周年 八月納涼歌舞伎 第二部

2015-08-12 @歌舞伎座


一 ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき) 
   逆櫓 一幕
   第一場 福嶋船頭松右衛門内ノ場
   第二場 沖中逆艪の場
   第三場 浜辺物見の松の場

      銘作左小刀
二 京人形(きょうにんぎょう) 常磐津連中/長唄連中


一 ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき) 逆櫓
船頭松右衛門(実は樋口次郎兼光)⇒橋之助
畠山重忠⇒勘九郎
女房およし⇒児太郎
船頭日吉丸又六⇒国生
同 明神丸富蔵⇒宜生
同 灘芳九郎作⇒鶴松
漁師権四郎⇒彌十郎
お筆⇒扇雀

       銘作左小刀
二 京人形(きょうにんぎょう)
左甚五郎⇒勘九郎
女房おとく⇒新悟
娘おみつ(実は井筒姫)⇒鶴松
奴照平⇒隼人
京人形の精⇒七之助



2本とも初めての作品だった。

「ひらかな盛衰記」ってよく目にする耳にするタイトルだったが、歌舞伎の演目とは知らなかった。
「源平盛衰記」も存在を知るだけで読んだことはなかった。何となくこの両者がごっちゃになって記憶に残っていたようだ。

歌舞伎座の「筋書き」によれば、「ひらかな盛衰記」は「源平盛衰記」を平易に描いたという意味が込められているそうだ。
つまりは源氏と平家の争いの物語だ。

歌舞伎(元は人形浄瑠璃の翻案)独特のありえないような複雑な登場人物や状況設定で、予習をしておかないと戸惑ってしまったろう。しばらくしたら、はてどんな話だったっけ、ということになるのは必定なので、忘れないうちにあらすじだけ書いておこう。

頼朝に敗れ討ち死にした木曽義仲の家臣樋口次郎兼光(橋之助)は身分を隠して漁師権四郎(彌十郎)の娘およし(児太郎)の2度めの婿として松右衛門を名乗り、権四郎から学んだ逆艪(船を後退させる技術)の腕を磨きながら、義経に対して、主人のかたきを討つ機会を狙っていた。

…なんて、先月観た「義経千本桜-碇知盛」とそっくり!

ある日、ついにチャンス到来。源氏の武将梶原景時に呼び出され、義経の乗る船の船頭を任された。

一方、およしと前夫の子、槌松は先ごろ西国巡礼の宿での捕物さわぎに巻き込まれ、逃げ帰る途中に、背負っていた槌松が実は騒動の最中に取り違ってしまった他人の子供であったが、いずれは本物の槌松に再会できる望みを抱いて槌松と思い大事に育てていた。

松右衛門がチャンスを掴んだその同じ日に女性お筆(扇雀)が権四郎らの家を訪ねて来て、その子を返してほしいという。
取り違えられた子は木曽義仲の遺児駒若丸で、自分は義仲の家臣の娘だという。
では槌松を返してほしいと迫る権四郎に、お筆は、その子は駒若丸の身代わりに敵に殺されたと告げる。
収まらない権四郎とおよし。

およしの悲痛。それが我が事のように分かるお筆も辛い。

ここが哀切極まりないの場面だ。
権四郎は、ならば、駒若丸の首を討ってから返してやると、いきり立ち、奥の間から駒若丸を抱いて出てきた松右衛門に、その首を討てと促す。

松右衛門、実は樋口次郎兼光の心中は、すべて仇討ちのための準備が整ったのは天の采配だと狂喜しただろう。
主君の遺児に手をかけるはずもなく、駒若丸を抱いたまま権四郎に「頭が高い!」と一喝する。

水戸黄門みたいだが、混乱収拾には効果的。

ここで、素性を明らかにした松右衛門=兼光は権四郎らに言葉を尽くして忠義の道を立てさせてくれと頼み、ついには納得した2人は駒若丸を兼光、お筆に渡し、槌松の死を受け入れる。

この後の場面は、船頭たちの勇ましい争いを華麗に見せる芝居で、ちょっと物語としては閑話休題といったところ。

最終場面で源氏側に正体を見破られた兼光が多勢に無勢の中必死に戦うところも、碇知盛を思わせる。
いよいよ、追い詰められたところに権四郎の機転が奏功して源氏方武将畠山重忠(勘九郎)が登場するが、「勧進帳」で言えば富樫のように、事態をすべて丸く収め、兼光は安心して潔く縄を受ける。

なんだか、よくある話のてんこ盛りという感じだったな。
第二場も第三場も活劇が舞のようにきれいで、話とは別に見せ場として用意したような趣向だが、このごった煮も歌舞伎の面白さなのだろう。
能の間に狂言が混じっているようなものか。


傑作は、むしろ舞踊劇「京人形」だ。

彫工の名人左甚五郎の話だ。
京都の郭で見初めた小車太夫を忘れられない甚五郎(勘九郎)は太夫にそっくりな人形(七之助)を作る。
するとこの人形に魂が乗り移り、動き出すのだが、最初は甚五郎の魂が乗り移ったようで、きれいな女の人形なのに男の仕草をするのがおかしい。
そこで、手鏡を懐に差し入れると今度は実に艶かしく女の仕草を始める。
小車太夫になった人形を甚五郎が口説き始めると彼女のお懐からポロッと鏡が落ちて、その途端姿勢も仕草も男の様子だ。

七之助演ずる人形はもちろん表情を変えず、声を発せず、動きも男らしい、女らしいと言っても、やはり人形のぎこちない動きなのだ。パントマイムのようなものか。
このやりとりがとにかくおかしい。

後半、突飛にも左甚五郎の通名の謂われが描かれる。
何の伏線もなかったが、実は甚五郎は旧主の妹の井筒姫(鶴松)を預かっていたところ、彼女に執心する侍が姫を奪い去ろうとやって来るがこれはなんとか凌いだものの、姫の家来に左手を誤って傷つけられた甚五郎の元に、武家の差配か(はっきり描かれなかったが)大勢の大工が姫を差し出せと襲ってくるが、不自由な左手がつかえないまま、いろんな大工道具で応戦し蹴散らす。

つまりは無理に話をくっつけたのだけど、せめて、小車太夫の人形が後半にも登場して脈絡をつけたら良かったのに、そういう整合性はお構いなしなのだ。こういうところが、歌舞伎を今日的な目で観る時に判断に迷う。


♪2015-78/♪歌舞伎座-04