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2020年10月7日水曜日

10月歌舞伎公演第1部

2020-10-07 @国立劇場

●ひらかな盛衰記
梶原源太景季 中村梅玉
腰元千鳥              中村扇雀
梶原平次景高       松本幸四郎
母延寿                中村魁春
                 ほか

●幸希芝居遊
久松小四郎     松本幸四郎
金沢五平次    大谷廣太郎
二朱判吉兵衛        中村莟玉
三国彦作            澤村宗之助
                                ほか

文耕堂ほか=作
●ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき)
   -源太勘当-梶原館の場

鈴木英一=作
●幸希芝居遊(さちねがうしばいごっこ)
   常磐津連中


国立の歌舞伎は1月公演以来だ(2月は休演月。3月以降はコロナ休演)。

国立劇場ではコロナ再開後の興行形態が、寄席・文楽共々歌舞伎も変わった。

1日の公演数を多く(2公演)・短時間にして料金も少し安めだけど全公演を観たいから結局C/Pは悪い。


しかし、歌舞伎公演に関しては、僕の<指定席>と言っていい程こだわって取っていた2階最前列花道寄りは従来1等A席だったが、再開後は1〜3階が各1〜3等席と決められたので、嬉しいことに我が<指定席>2階最前列が2等席になって料金は半額以下となった。


1日2公演制になったが、両方観ても従来より安価だ。

逆に1階席ファンには気の毒なことに前より高くなった。


第1部は2本立て。

「ひらかな盛衰記」から”源太勘当”。「ひらかな〜」といえば、圧倒的に”逆櫓”の上演機会が多く、こちらは何度も観たが”勘当”は初めて。


宇治川の先陣争いでわざと勝ちを譲った梶原源太景季/梅玉を武家の建前から母/魁春が勘当するという話だが、源太の弟の小憎らしい平次/幸四郎や源太と恋仲の千鳥/扇雀が絡み、悲話だが笑いどころもあって面白い。


扇雀が声も姿も若々しいのに驚いた。

幸四郎は剽軽役も巧い。


2本目・新作「幸希芝居遊」でも幸四郎が主役で登場し、多くの有名な歌舞伎の見処を繋ぎ合わせて見せてくれる。

全篇に幸四郎の歌舞伎愛が溢れていて胸熱に!


♪2020-060/♪国立劇場-07

2020年9月16日水曜日

九月大歌舞伎 第二部

2020-09-16 @歌舞伎座



色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)
かさね


与右衛門⇒幸四郎
捕手沢田⇒隼人
同 飯沼⇒鷹之資
かさね ⇒猿之助


「色彩間苅豆〜かさね」。

「いろもようちょっとかりまめ」とはなかなか読めないのだけど、2度目なので覚えていた。到底読めそうもないタイトルほど覚えやすいものだな。

「かさね」は「累」だ。怪談「真景累ヶ淵」と同根の話である。

与右衛門(幸四郎)は、腹に自分の子を宿す累(猿之助)の身体に過去の過ちの報いが現れた事で恐ろしくなり、彼女を斬り殺して逃げるが、怨霊となった累が彼を襲う。

清元による舞踊劇で台詞は少ないが、全篇の2人の動きがしなやかで緊張が漂う。

残酷だけど美しい。
哀れだが美しい。


♪2020-050/♪歌舞伎座-04

2020年8月3日月曜日

八月花形歌舞伎 第四部

 2020-08-03 @歌舞伎座

三世瀬川如皐 作

与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)
源氏店

切られ与三郎⇒幸四郎
妾お富⇒児太郎
番頭藤八⇒片岡亀蔵
和泉屋多左衛門⇒中車
蝙蝠の安五郎⇒彌十郎


半年ぶりに再開した歌舞伎座で、幸四郎・彌十郎・児太郎・中車らの「与話情浮名横櫛」を観る。
掛声・大向こうの禁止、幕間の私語遠慮、という異常な状態で、観客の声援は拍手のみ。

幸四郎が見得を切る〜そこで拍手。
児太郎も見得を切る〜そこで拍手。

この気脈がなかなか飲み込めない。

それにしてもなんと静寂な歌舞伎座!
いつもなら開幕前や休憩中はそこここでおばちゃん達の甲高い話し声。

それがない。
全然ない。

座席は市松模様で前後左右が空いているから、友達も、恋人も、夫婦も、目下不倫中の2人も仲を割かれるので話しづらいということもあるが、みんなお行儀よく決まりごとを守って大したものだな。むしろ、開幕前に繰り返し放送される注意事項がホンに煩かった。


♪2020-034/♪歌舞伎座-02

2019年12月4日水曜日

12月歌舞伎公演「近江源氏先陣館―盛綱陣屋―」/「蝙蝠の安さん」

2019-12-04 @国立劇場


①近松半二=作
『近江源氏先陣館』(おうみげんじせんじんやかた)
「盛綱陣屋」(もりつなじんや)一幕
        国立劇場美術係=美術

佐々木三郎兵衛盛綱⇒松本白鸚
高綱妻篝火⇒中村魁春
信楽太郎⇒松本幸四郎
盛綱妻早瀬⇒市川高麗蔵
後室微妙⇒上村吉弥
四天王⇒澤村宗之助
四天王⇒大谷廣太郎
竹下孫八⇒松本錦吾
伊吹藤太⇒市川猿弥
和田兵衛秀盛⇒坂東彌十郎
古郡新左衛門⇒大谷友右衛門
北條時政⇒坂東楽善
                      ほか

②チャールズ・チャップリン生誕130年
チャールズ・チャップリン=原作『街の灯』より
木村錦花=脚色
国立劇場文芸研究会=補綴
大野裕之=脚本考証
大和田文雄=演出
『蝙蝠の安さん』 (こうもりのやすさん)
    国立劇場美術係=美術

蝙蝠の安さん⇒松本幸四郎
花売り娘お花⇒坂東新悟
上総屋新兵衛⇒市川猿弥
井筒屋又三郎⇒大谷廣太郎
海松杭の松さん⇒澤村宗之助
お花の母おさき⇒上村吉弥
大家勘兵衛⇒大谷友右衛門
                                  ほか

高麗屋一門による「近江源氏先陣館―盛綱陣屋―」/「蝙蝠の安さん」。国立にしては珍しい2本立て。
「盛綱陣屋」はいかにも義太夫歌舞伎らしい本格派。
彌十郎がかっこいい。

「蝙蝠の安さん」はチャップリン「街の灯」を翻案した異色作だが、案外と良くできていた。

幸四郎と猿弥のやりとりの場面で、幸四郎のちょび髭が落ちてしまった。慌てる幸四郎に猿弥が「髭なしで何か面白いことをやれ」と囃し立てる。この場面は客席も大笑いだったが、てっきり、そういう演出だと思って観ていたが、実はそうではなく、髭が落ちたのは予期せぬ事故だったが、猿弥も幸四郎もアドリブで乗り切ったのだという。まあ、喜劇だから、どんな失敗が起こっても笑って済ませるからいいが、「盛綱陣屋」で白鸚のカツラが落ちたりしたらどうにも取り繕いもできないだろうな。

♪2019-193/♪国立劇場-15

2019年9月10日火曜日

秀山祭九月大歌舞伎 夜の部

2019-09-10 @歌舞伎座


菅原伝授手習鑑
一、寺子屋(てらこや)
松王丸⇒吉右衛門
園生の前⇒福助
千代⇒菊之助
戸浪⇒児太郎
涎くり与太郎⇒鷹之資
菅秀才⇒丑之助
百姓吾作⇒橘三郎
春藤玄蕃⇒又五郎
武部源蔵⇒幸四郎

二、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう
武蔵坊弁慶⇒幸四郎
源義経⇒孝太郎
亀井六郎⇒坂東亀蔵
片岡八郎⇒萬太郎
駿河次郎⇒千之助
常陸坊海尊⇒錦吾
富樫左衛門⇒錦之助

三世中村歌六 百回忌追善狂言
三、秀山十種の内 松浦の太鼓(まつうらのたいこ)
松浦鎮信⇒歌六
大高源吾⇒又五郎
鵜飼左司馬⇒歌昇
江川文太夫⇒種之助
渕部市右衛門⇒鷹之資
里見幾之亟⇒吉之丞
お縫⇒米吉
宝井其角⇒東蔵

今年の秀山祭夜の部は尻尾まで餡の詰まった鯛焼き3枚。大満足。

「寺子屋」は何度目観ても面白い。
今回は、吉右衛門・又五郎・菊之助・幸四郎と見たい役者が揃った。
忠義の為に我が子の首を差し出すという時代錯誤の物語だが不思議と共感してしまうのは無私の精神で徹底的に人に尽くすことの美しさに抵抗できないからだろうな。山本周五郎の掌編「水戸梅譜」に何十回となく読んでいても、新たに読む度泣けてしまうのも同根だ。

今時ありえないような話をありそうに描くのが役者の腕の見せ所。又五郎以下みんな巧いが、吉右衛門は次元が違う大きさを感じさせる。
菊之助の息子、丑之助は團菊祭で初舞台を踏んだ。あいにく彼の出演した夜の部は観なかったので(後日TVで観劇したが)、僕にとっては今日が初見。團菊祭から4ヶ月。6歳になり菅秀才を演じた様子は初舞台で牛若丸を演じた際の子供っぽさとは様変わりで驚いた。

「勧進帳」は弁慶役が奇数・偶数日で仁左衛門と幸四郎が交代。幸四郎は奇数日は富樫を演ずるというハードな舞台をこなしている。幸四郎の弁慶は経験済みなので仁左衛門で観たかったが諸般の事情で偶数日の今日は幸四郎で。富樫は男前の錦之助だ。

義経が孝太郎(最近放映のNHKで昭和天皇。そっくりだったな。)が義経。ちょい老けた義経だけどこれもよし。終盤、弁慶ら部下を謁見する場面などやはり、義経の貫禄を見せる。

3本立ての中でも「松浦の太鼓」がベスト!
歌六・又五郎・東蔵という地味だが達者な役者。米吉が紅一点で華を添える。
忠臣蔵外伝の一種で、これは以前、幸四郎が松浦の殿様を演じたのを観たが、まるで喜劇仕立てだったが、今回は、なかなかしんみりとさせる。

吉良家の隣屋敷に住まいする松浦鎮信(歌六)の赤穂浪士に寄せる思い、本心を明かせず歌に気持ちを託す忠義の大高源吾(又五郎)、二人の俳諧の師である宝井其角(東蔵)、源吾の妹・お縫(米吉…む、かわゆい!)のそれぞれの熱い想いが空回りする前半から、やがて隣家から聞こえてくる山鹿流陣太鼓の連打。
赤穂浪士に助太刀せんと勇みたつ殿様のもとに吉報を知らせにくる大高源吾。すべてのわだかまりが解け、気持ちが結ばれ、喜び合う面々。
おかしくて笑いながらもどっと泣けてきた。

東蔵は、いつもはたいていおばあさん役だ。立ち役(男役)は滅多に観られないが、何をやらしても巧い。人間国宝だものな。
歌六もいい味だ。又五郎も何を演っても巧いな。

3本とも古臭い話なんだけど。でも面白い。


♪2019-136/♪歌舞伎座-04

2018年9月6日木曜日

秀山祭九月大歌舞伎 昼の部

2018-09-06 @歌舞伎座


  祇園祭礼信仰記
一、金閣寺
此下東吉実は真柴久吉⇒梅玉
雪姫⇒児太郎
狩野之介直信⇒幸四郎
松永鬼藤太⇒坂東亀蔵
此下家臣春川左近⇒橋之助
同   戸田隼人⇒男寅
同   内海三郎⇒福之助
同   山下主水⇒玉太郎
腰元⇒梅花
腰元⇒歌女之丞
十河軍平実は佐藤正清⇒彌十郎
松永大膳⇒松緑
慶寿院尼⇒福助

  萩原雪夫 作
  今井豊茂 補綴
二、鬼揃紅葉狩(おにぞろいもみじがり)
更科の前実は戸隠山の鬼女⇒幸四郎
平維茂⇒錦之助
侍女かえで⇒高麗蔵
侍女ぬるで⇒米吉
侍女かつら⇒児太郎
侍女もみじ⇒宗之助
従者月郎吾⇒隼人
従者雪郎太⇒廣太郎
男山八幡の末社⇒玉太郎 
男山八幡の末社⇒東蔵

  河竹黙阿弥 作
  天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)
三、河内山(こうちやま)
上州屋質見世
松江邸広間
同  書院
同  玄関先
河内山宗俊⇒吉右衛門
松江出雲守⇒幸四郎
宮崎数馬⇒歌昇
大橋伊織⇒種之助
黒沢要⇒隼人
腰元浪路⇒米吉
北村大膳⇒吉之丞 
高木小左衛門⇒又五郎
和泉屋清兵衛⇒歌六
後家おまき⇒魁春

「金閣寺」、「鬼揃紅葉狩」、「河内山」3本立て。それぞれに歌舞伎らしい作品だ。

「金閣寺」では久し振りに大きな役の松緑を楽しんだ。
児太郎が女形の大役「雪姫」に初役で挑んだ。児太郎はこれまで何度も観ていたけど大きな役は無かったので声の具合に着目したことがなかったから、今日の出来が普段どおりなのか喉の具合が悪かったのか判断できないが、少し嗄れるところが気になった。若いお姫様としてはもう少し済んだ声がほしいが。

その「金閣寺」で、5年近い病休から復帰した中村福助の登場では館内がどっと湧いた。

昼の部の吉右衛門の出番は「河内山」だけだが、声がよく通って良かった。七五調での聴かせどころは最後の二幕目第三場「玄関先の場」だが、ここでは大向うから盛んに掛け声が飛んだ。

こういうところは、歌舞伎が役者と観客とで成り立っている芸だなと実感する。

幸四郎は全作に登場し、夜の部にも出ている。そんなに器用に働いて芸が枯渇しないか?

個人的に好感している米吉くん。今日も良かった。

♪2018-105/♪歌舞伎座-05

2018年8月26日日曜日

歌舞伎座百三十年 八月納涼歌舞伎第三部 通し狂言 「盟三五大切」

2018-08-26 @歌舞伎座


四世鶴屋南北 作
郡司正勝 補綴・演出
織田紘二 演出
通し狂言 「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」

序幕
 佃沖新地鼻の場
 深川大和町の場  
二幕目
 二軒茶屋の場
 五人切の場   
大詰
 四谷鬼横町の場
 愛染院門前の場

薩摩源五兵衛⇒幸四郎
芸者小万⇒七之助
家主くり廻しの弥助⇒中車
ごろつき五平⇒男女蔵
内びん虎蔵⇒廣太郎
芸者菊野⇒米吉
若党六七八右衛門⇒橋之助
お先の伊之助⇒吉之丞
里親おくろ⇒歌女之丞
了心⇒松之助
廻し男幸八⇒宗之助
富森助右衛門⇒錦吾
ごろつき勘九郎⇒片岡亀蔵
笹野屋三五郎⇒獅童

初めて観る芝居で、あらすじはざっと予習していたが、本番では、歌舞伎座が販売している「筋書き」(プログラム)を手元に開いてややこしい人間関係の理解に追われながら観ることになった。手元に置くと言っても、演出で館内も暗くなる場面が多くてそうなるともうお手上げなのだが。

この作品は、先行の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」、「仮名手本忠臣蔵」、「東海道四谷怪談」が織り込まれているそうだ。後者2作はまずまず理解しているつもりなので、どういうふうに本作に取り込まれているかは、およそ分かる。
が、「五大力恋緘」を観たことがなく内容も予習の範囲でぼんやりとしか頭に入っていなかった。
今後のために改めてブリタニカ国際大百科から関係部分を引用しておこう。

『<五大力>とは、元来は<五大力菩薩>の略で、女からの恋文の封じ目に書く文字であり、また貞操の誓いとして簪(かんざし) 、小刀、三味線の裏皮などにこの字を書いた。』
『<五大力恋緘>〜は紛失した宝刀探しに明け暮れる源五兵衛と三五兵衛に、辰巳芸者小万との愛と義理立てをからませた筋で、隣で唄う上方唄<五大力>を聞きながら三味線の裏皮に<五大力>と書く趣向が受けた。ほかに文化3 (1806) 年並木五瓶作の『略三五大切 (かきなおしてさんごたいせつ) 』、文政8 (25) 年鶴屋南北作の『盟三五大切 (かみかけてさんごたいせつ) 』の書き換え狂言が有名。』とある。

つまり、「盟三五大切」は「五大力恋緘」を再構成し、その際?に「仮名手本忠臣蔵」と「東海道四谷怪談」(東海道〜は元来が忠臣蔵の外伝である。)を盛り込んで再構成したようだ。

本作では、笹野屋三五郎がその女房小万の腕に彫った「五大力」の入れ墨に、頭に「」を加え「」に偏として「」を加えて、「五大」に書き変える。これが終盤の悲劇の原因となる。

小万は三五郎の女房であることを隠して深川芸者として稼いでいる。それは三五郎の父に討ち入りの資金を提供することで、勘当を解いて欲しいからだ。つまり、三五郎も今は身分を隠して船頭をしているが、元は武家の出で、塩谷家(史実では浅野家)に縁の者だ。

一方、その小万にすっかり入れ込んだのが源五右衛門。彼は主人の切腹前に主家の御用金を盗まれて、その科で浪人となったが、なんとか盗まれた金を取り戻し、塩谷家に復縁したいと思っているが、今は、その素性を明らかにできない。また、そんな事情から芸者にうつつを抜かしているゆとりはないのだが、そこがだらしがないのがこの男の性なのだ。
ところが、親戚筋から、思わぬ大金百両を得ることになった。本来なら、主家に届けて復縁を願い出るべきところ、小万に未練があって逡巡している。
それを知った三五郎夫婦がその金を奪おうと計画する。三五郎も源五右衛門も本来は仲間同士なのだが、互いはその事情を知らないがゆえである。

源五右衛門は結局百両を奪われ、深夜、その恨み果たさんと三五郎の仲間が寝入っている家を襲い、5人を斬り殺す。

筋書きは、このあとも更に複雑に展開し、人殺しや腹切など凄惨な場面が続くが、最後は源五右衛門が晴れて塩冶浪士として高野家(史実では吉良家)討ち入りに向かう。

という訳で、この芝居も全体として「忠臣蔵外伝」なのだ。
幽霊の紹介は略したが、民谷伊右衛門(実は塩冶浪人)が女房のお岩を斬り殺した家が重要な舞台となり、お岩の幽霊が出る、という話が絡んでくる。

こういう筋書きの理解で、冒頭に書いた、「五大力恋緘」、「仮名手本忠臣蔵」、「東海道四谷怪談」の織り込みは納得できるが、おそらく、この作者はもっと巧緻な仕掛けを用意しているのかもしれない。

「予習」した際に、芝居の大詰で源五右衛門が三五郎の切腹を見て「こりゃかうなうては叶うまい」(こうでなくちゃおさまらなない)というセリフを言うことで、三五郎の切腹を早野勘平、塩冶判官の切腹に見立て、物語全体が「忠臣蔵」として「収まる」という見方を読んだが、今回の公演ではこのセリフ、確かに聞いたが、源五右衛門のセリフではなく、三五郎の父徳右衛門がつぶやいたように思った。なので、このセリフの意味が理解できない。浮いている感じだ。

巧緻な仕掛け、というのは、ここに引用した独自な見方が正しいかどうか判断できないが、そのような類の仕掛けが施してあるのではないか。登場人物を(源五右衛門⇒不破数右衛門だけでなく)忠臣蔵のいろんな人物に重ね合わせることができるのではないか、そんな気もしながら観ていたが、筋を追いかけるのが精一杯だった。

歌舞伎の常套手段で、登場人物の「A実はB」というびっくりぽんが多いこと。
参考までに以下に列挙しよう。これが、理解を難しくさせる原因の一つだ。

●薩摩源五兵衛⇒実は塩冶浪人(御用金を盗まれたため浪人となった)の不破数右衛門
●芸者妲妃の小万⇒実は民谷伊右衛門の召使いお六⇒実は大家の弥平の妹⇒実は三五郎の女房
●大家の弥助⇒実は民谷家中間土手平⇒実は小万の兄⇒実は塩冶家から御用金を盗み出した盗賊
●賤ケ谷伴右衛門⇒実はごろつき勘九郎
●笹野屋三五郎⇒実は塩冶家縁の徳右衛門(同心の了心)の息子千太郎

♪2018-101/♪歌舞伎座-04

2018年2月1日木曜日

二月大歌舞伎 昼の部

2018-02-01 @歌舞伎座


一、春駒祝高麗(はるこまいわいのこうらい)
工藤祐経⇒梅玉
曽我五郎⇒芝翫
大磯の虎⇒梅枝
喜瀬川亀鶴⇒梅丸
化粧坂少将⇒米吉
曽我十郎⇒錦之助
小林朝比奈⇒又五郎
     
二、一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)
檜垣/奥殿
一條大蔵長成⇒染五郎改め幸四郎
常盤御前⇒時蔵
お京⇒孝太郎
吉岡鬼次郎⇒松緑
茶亭与市⇒橘三郎
女小姓⇒宗之助
八剣勘解由⇒歌六
鳴瀬⇒秀太郎
     
三、歌舞伎十八番の内 暫(しばらく)
鎌倉権五郎⇒海老蔵
鹿島入道震斎⇒鴈治郎
那須九郎妹照葉⇒孝太郎
成田五郎⇒右團次
小金丸行綱⇒彦三郎
加茂三郎⇒坂東亀蔵
桂の前⇒尾上右近
大江正広⇒廣松
埴生五郎⇒弘太郎
荏原八郎⇒九團次
足柄左衛門⇒男女蔵
東金太郎⇒市蔵
局常盤木⇒齊入
宝木蔵人⇒家橘
加茂次郎⇒友右衛門
清原武衡⇒左團次
     
北條秀司作・演出
四、井伊大老(いいたいろう)
井伊大老⇒吉右衛門
お静の方⇒雀右衛門
昌子の方⇒高麗蔵
宇津木六之丞⇒吉之丞
老女雲の井⇒歌女之丞
仙英禅師⇒歌六
長野主膳⇒梅玉

高麗屋3代同時襲名披露公演の第2弾、と言っても3人が揃うのは夜の部で、これは3等席以下の切符が取れない。2等席といっても1万5千円だ。これなら日生劇場のS席に回したい。
昼は新・幸四郎が一条大蔵卿に出ただけで新・白鸚も新・染五郎も夜の部だけだ。それに夜の部には高麗屋の3人以外に菊五郎、仁左衛門、玉三郎、猿之助、藤十郎などのスターが登場するので、昼のぶとは比べ物にならない豪華さだ。
昼夜の配役の偏りは大いに不満。
それで料金は同じなんだものなあ。
結局、昼の部だけではなく夜の部も観せようという商魂か。
いや、それだけではなく「仮名手本〜七段目」ではお軽勘平を偶数日と奇数日で、玉三郎+仁左衛門と菊之助+海老蔵というダブルキャストにして、よければ二度とも観てくださいという魂胆であるのが腹立たしい。


その高麗屋の貴重な出番「一條大蔵譚」では新・幸四郎の阿呆ぶりはもっとハジけたかった。この芝居は何回か観ているが、誰が演っても無理があって、面白いと感じたことはない。大義のために阿呆なふりをしているが、ここ一番では正気に戻ってかっこよく見せ問題が片付くとまた阿呆に戻るのだが(もう、戻る必要はないのではないか、という気がしてならないのだけど。)、こういう変化はなんかお客を喜ばせるにはとても安易でどうも気分が乗れない。
ま、ここぞというところで、一條大蔵卿が孔雀の羽を広げるように豪華な衣裳を見せて見得を切るというところが、歌舞伎の華々しいところで、これはこれでいいのだろうけど。

「暫」は前に七之助の「女暫」を観たが、本家?は今日が始めて。海老蔵がさすがの貫禄。長い刀を振り回して大勢の首を跳ねるところは「女暫」で経験していたが、面白い。
「井伊大老」はえらく地味な科白劇だが、2幕途中から登場する吉右衞門と雀右衛門のシットリ芸がいい。

♪2018-013/♪歌舞伎座-01

2016年12月23日金曜日

国立劇場開場50周年記念 通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら) 第三部 四幕八場

2016-12-23 @国立劇場


竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら) 第三部 四幕八場
国立劇場美術係=美術

八段目   道行旅路の嫁入
九段目   山科閑居の場
十段目   天川屋義平内の場
十一段目 高家表門討入りの場
    同  広間の場
    同  奥庭泉水の場
    同  柴部屋本懐焼香の場
    花水橋引揚げの場


2日の初日鑑賞に続いて2回目だ。
前回は、めったにない事だけど、1階4列目中央やや上手寄りから観たが、今回は3階最前列席中央だったが、むしろこのチケット代の安い席の方が見通しが良くて楽しめた…ともいいきれないか。
なにしろ2回目なので筋が頭に入っているという利点もあったのだろう。
特に十一段目の高家表門の場では46名の居並ぶ迫力は高い場所から見下ろしていた方が迫力を感じた。

全3部を2回ずつ観て、この間に文楽版も観たのでいよいよ全篇が終わってしまうと寂しくもある。
単なる<仇討ち事件>を描くのではなく、殿様の短慮に巻き込まれた多くの、いろんな立場の人々の忠義やそれ故の悲劇を描く人間ドラマとなっているのが素晴らしく、良くできた話だと感心する。

この公演は当然録画は行われたはずだからNHKが放映してくれると嬉しいが、何しろ大長編であるから無理だろうな。

♪2016-183/♪国立劇場-010

2016年12月2日金曜日

国立劇場開場50周年記念 通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら) 第三部 四幕八場

2016-12-02 @国立劇場


竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら) 第三部 四幕八場
国立劇場美術係=美術

八段目   道行旅路の嫁入
九段目   山科閑居の場
十段目   天川屋義平内の場
十一段目 高家表門討入りの場
    同  広間の場
    同  奥庭泉水の場
    同  柴部屋本懐焼香の場
    花水橋引揚げの場

(主な配役)
【八段目】
本蔵妻戸無瀬⇒中村魁春
娘小浪⇒中村児太郎

【九段目】
加古川本蔵⇒松本幸四郎
妻戸無瀬⇒中村魁春
娘小浪⇒中村児太郎
一力女房お品⇒中村歌女之丞
由良之助妻お石⇒市川笑也
大星力弥⇒中村錦之助
大星由良之助⇒中村梅玉

【十段目】
天川屋義平⇒中村歌六
女房お園⇒市川高麗蔵
大鷲文吾⇒中村松江
竹森喜多八⇒坂東亀寿
千崎弥五郎⇒中村種之助
矢間重太郎⇒中村隼人
丁稚伊吾⇒澤村宗之助
医者太田了竹⇒松本錦吾
大星由良之助⇒中村梅玉

【十一段目】
大星由良之助⇒中村梅玉
大星力弥⇒中村米吉
寺岡平右衛門⇒中村錦之助
大鷲文吾⇒中村松江
竹森喜多八⇒坂東亀寿
千崎弥五郎⇒中村種之助
矢間重太郎⇒中村隼人
赤垣源蔵⇒市川男寅
茶道春斎⇒中村玉太郎
矢間喜兵衛⇒中村寿治郎
織部弥次兵衛⇒嵐橘三郎
織部安兵衛⇒澤村宗之助
高師泰⇒市川男女蔵
和久半太夫⇒片岡亀蔵
原郷右衛門⇒市川團蔵
小林平八郎⇒尾上松緑
桃井若狭之助⇒市川左團次
ほか


長大な芝居が遂に終わってしまった。
ま、今月中にもう一度観ることにしているけど、この先、<全段完全通し>は生きているうちには観られないだろうから良い経験ができた。

この芝居に関しては、第2部から(第1部も遡って)初めて台本を購入した。もちろん第3部も購入したので、今日は第3部の1回目でもあるので、台本と照らし合わせながら舞台を観たので非常に良く分かった。しかし、月内の次回鑑賞時は一切の解説本無しで舞台に集中しようと思う。

八段目道行は舞踊劇(竹本の伴奏による。セリフはない。)だが、加古川本蔵の妻(戸無瀬=魁春)と娘(小浪=児太郎)の東海道を京都山科にいる小浪の許嫁である力弥の屋敷までの嫁入りの旅で、不安な要素もないではないが全段中一番平和な話だ。
背景の景色が変化することで2人の道中が運んでゆくのが分かるようになっていて、他家の嫁入り行列なども紙人形で作ってあってユーモラスでもある。

九段目山科閑居の場では加古川本蔵の一家の物語が胸を熱くする。本蔵の幸四郎、由良之助の梅玉は芝居のタイプが全然違うけど、そんなことにはお構いなしが歌舞伎の面白さでもある。

由良之助の妻お石を演じた市川笑也という役者のことは全然知らなかった。多分、これまで一度も芝居を観たことがなかったのではないか。しかし、冷徹で筋目を通そうとする武士の妻お石を実に好演したと思う。厳しいばかりではなく、情の人でもあるところをさり気なく見せるところが良かった。今後楽しみな役者だ。
小浪は一部で米吉が演じて実に可愛らしかったので今回も力弥より小浪を演じたら良かったが、しかし、今回の児太郎の小浪も実に良かった。この人の芝居を始めていいと思ったよ。

講談・浪曲では「天野屋利兵衛は男でござる。」で知られる天川屋義平の十段目は筋に無理があるが、ここにも義理と人情の板挟みで苦しむ町人の物語が殺伐とした仇討ち物語に良い味付けではある。

いよいよ十一段目。
幕が開くと広い舞台に拵えられた高家の表門。その前に所狭しと46人の赤穂義士が居並ぶ様にまずは圧倒される。
こんなに大勢の役者が揃って同じ場面に立つという芝居がほかにあるだろうか。

このあとの討ち入りの様は、いわゆる歌舞伎風の踊りのような立ち回りではなく、時代劇映画の殺陣を観るようなかなりリアルな厳しいものなので驚いた。

ようやく師直の首を打ち取り、判官の位牌の前に供えた由良之助は、まずは師直に一矢を報いた矢間(やざま)重太郎(中村隼人)に手柄として最初の焼香を命ずる。次に足軽でありながらその忠義心から義士の連判状に名を連ねてもらった寺岡平右衛門(錦之助)に対し、勘平の遺した財布を手渡して妹婿の代わりに焼香させる。もう、ここでかなり目頭が熱くなる。

その後亡君の菩提寺まで引き揚げる途中の花水橋でそもそもこの事件の発端を作った若狭之助(左団次)に呼び止められ、あっぱれの本懐を讃えられ、義士の姓名を我が胸に刻みたいという申し出に応じて由良之助以下46人(これに勘平を加えて47士)が高らかに、誇らしげに名乗りを上げ、花道に消えてゆく。

芝居興行の世界では「忠臣蔵にはずれ無し」と言うそうだが、300年にわたって庶民に愛されてきたのもなるほ納得。いやはや面白い芝居をたっぷりと観せてもらった。

♪2016-166/♪国立劇場-09

2016年10月27日木曜日

国立劇場開場50周年記念 通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら) 第一部 四幕九場

2016-10-27 @国立劇場


平成28年度(第71回)文化庁芸術祭主催
竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)第一部四幕九場
国立劇場美術係=美術

大序   鶴ヶ岡社頭兜改めの場
二段目  桃井館力弥使者の場
       同 松切りの場
三段目   足利館門前の場
            同 松の間刃傷の場
            同 裏門の場
四段目   扇ヶ谷塩冶館花献上の場
            同 判官切腹の場
            同 表門城明渡しの場

(主な配役)⇒10/03のノート参照

初日に観たが、いよいよ第2部の公演も近づいて、復讐と予習を兼ねて千秋楽にも出かけた。

すっかり、頭に入っていたつもりだけど、見逃していた部分などもあって良い勉強になった。

やはり、4段目の判官切腹の場からの緊張感がいい。役者陣も1ヶ月近く演じてきただけに息が合ってきたのだろう。
観ている側の気持ちも、劇中にシンクロしてゆくようだった。
由良之助の幸四郎も、初日に感じたほどにはクセを感じなかった。
初日には足元がふらついた團蔵もシャキッと有終の美を飾った。

第2部が楽しみだ。
第2部も第3部も2回観ることにしている。
めったに観られない全段完全通しを全身全霊で味わいたいものだ。

♪2016-148/♪国立劇場-06

2016年10月3日月曜日

国立劇場開場50周年記念 通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら) 第一部 四幕九場

2016-10-03 @国立劇場



平成28年度(第71回)文化庁芸術祭主催
竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)第一部四幕九場
国立劇場美術係=美術

大序   鶴ヶ岡社頭兜改めの場
二段目  桃井館力弥使者の場
      同 松切りの場
三段目   足利館門前の場
            同 松の間刃傷の場
            同 裏門の場
四段目   扇ヶ谷塩冶館花献上の場
            同 判官切腹の場
            同 表門城明渡しの場

(主な配役)
【大序】
塩冶判官⇒中村梅玉
顔世御前⇒片岡秀太郎
足利直義⇒中村松江
桃井若狭之助⇒中村錦之助
高師直⇒市川左團次

【二段目】
桃井若狭之助⇒中村錦之助
本蔵妻戸無瀬⇒市村萬次郎
大星力弥⇒中村隼人
本蔵娘小浪⇒中村米吉
加古川本蔵⇒市川團蔵

【三段目】
塩冶判官⇒中村梅玉
早野勘平⇒中村扇雀
桃井若狭之助⇒中村錦之助
鷺坂伴内⇒市村橘太郎
腰元おかる⇒市川高麗蔵
加古川本蔵⇒市川團蔵
高師直⇒市川左團次

【四段目】
大星由良之助⇒松本幸四郎
石堂右馬之丞⇒市川左團次
薬師寺次郎左衛門⇒坂東彦三郎
大鷲文吾⇒坂東秀調
赤垣源蔵⇒大谷桂三
織部安兵衛⇒澤村宗之助
千崎弥五郎⇒市村竹松
大星力弥⇒中村隼人
佐藤与茂七⇒市川男寅
矢間重太郎⇒嵐橘三郎
斧九太夫⇒松本錦吾
竹森喜多八⇒澤村由次郎
原郷右衛門⇒大谷友右衛門
顔世御前⇒片岡秀太郎
塩冶判官⇒中村梅玉
ほか


今年は国立劇場会場50周年ということで記念の大型企画が各分野で並んだが、中でも、「仮名手本忠臣蔵」の3ヶ月連続公演による全段完全通し上演というのが画期的らしい。

全段通し上演と称した公演は度々行われているようだが、国立劇場が昭和61年に開場20周年記念で今回と同じく10月~12月の3回に分けて上演したものは本物の「完全通し上演」だそうだが、他の「全段通し」は実際にはいくつかの場面が省略されているらしい。

50周年記念の今回も、上演可能な場面はすべて網羅するという「完全通し上演」だと言うから、今回を逃したら次の機会に生きている保障はないかも…と思って、「あぜくら会」会員向けの3公演セット券を迷わず買った。歌舞伎鑑賞はたいてい3階席だが、今回は特別席と1等A席しかセット販売されないので1等Aを選んだ。

人形浄瑠璃からの移行作品の全段完全通しなので、一段目は「大序」と呼ばれるそうだが、この「大序」の前には定式幕の前に文楽人形が出てきて配役を紹介する。これを「口上人形」という。滑稽な表情とセリフがおかしく、かしこまった作品かと思っていたが楽しく出鼻をくじかれた。

口上が終わって幕が開くと鶴岡八幡宮の場面だが、ここでも役者たちは目を伏せうなだれたまま微動だにしない。そしてどこからか役者の名前を告げる声がしてそれに応じて一人ずつ精気を得たように「人形」から「人間」に生まれ変わる。

こういう演出はいずれも、原典の人形浄瑠璃に敬意を表するものだそうだ。

物語は、映画やテレビドラマなどでよく知っている「忠臣蔵」とはかなり異なるので驚きの連続。
しかし、省かれた場面がないので物語の連続性は分かりやすい。
なるほど、これが本物の「仮名手本忠臣蔵」なのか。

人形浄瑠璃として1748年に初演され、同年末には早くも歌舞伎に移行されて以来、270年近い歴史の中で、上演すれば必ずそれなりのヒットが見込まれたそうで、もはや日本人のDNAに刷り込まれているのかもしれない。

塩冶判官を演ずる梅玉はいつもながら渋い。
4段目になってようやく登場する由良之助の幸四郎は、やや、芝居が大仰ではないかと思うけど如何にもの幸四郎節で、やはり舞台の求心力は大きい。
左団次が演ずる加古川本蔵という登場人物のことは知らなかった。これまで映画やTVドラマなどではこの人に相当する人物は出てこなかったように思う。そもそも本蔵が仕える桃井若狭之介(錦之助)という殿様の存在も知らなかったが、どうやら、本蔵の存在が全段の物語の中で大きな役割を占めることになりそうだ。

「大序」も伝統に則った珍しい演出だったが、4段目切腹の場も古来「通さん場」と呼ばれ、お客の出入りを禁じたそうで、国立劇場でも踏襲された。

こんなところにも、格調を感じさせる大芝居だ。
この壮大な物語があと2回も続くというのはとてもワクワクする。


♪2016-132/♪国立劇場-05

2016年4月18日月曜日

四月大歌舞伎 夜の部

2016-04-18 @歌舞伎座


一 彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)
杉坂墓所~毛谷村
毛谷村六助⇒仁左衛門
お園⇒孝太郎
杣斧右衛門⇒彌十郎
微塵弾正実は京極内匠⇒歌六
お幸⇒東蔵

高野山開創一二〇〇年記念
夢枕獏:原作、戸部和久:脚本、齋藤雅文:演出
新作歌舞伎
二 幻想神空海(げんそうしんくうかい)
沙門空海唐の国にて鬼と宴す
空海⇒染五郎
橘逸勢⇒松也
白龍⇒又五郎
黄鶴⇒彌十郎
白楽天⇒歌昇
廷臣馬之幕⇒廣太郎
牡丹⇒種之助
玉蓮⇒米吉
春琴⇒児太郎
劉雲樵⇒宗之助
楊貴妃⇒雀右衛門
丹翁⇒歌六
憲宗皇帝⇒幸四郎


「彦山権現誓助剱」は昨年2月に歌舞伎座で観たが、その時の主要な役者は菊五郎(六助)、時蔵(お園)、東蔵(お幸)で、東蔵は今回も同じ役だった。
この時は「毛谷村」だけの上演だったが、今回は「杉坂墓所」という前段が演じられて話がより分かりやすくなった。

前回は初見だったが、これは面白かった。そもそも話が面白いのだ。
今回は菊五郎から仁左衛門に、時蔵から孝太郎に変わったが、やはり面白い。一番楽しめるのは男勝りで腕自慢のお園が、六助こそ自分の許嫁であることを知って、急にしおらしく、女っぽくなるおかしさだ。
それでも照れながら庭の臼を転がしたりとつい地が出たり、慌てていて火吹き竹の代わりに尺八を吹いてしまうなど、まるでコントのようなおかしさだ。
それを孝太郎が実におかしくやるので笑いが止まらない。

仁左衛門の六助が菊五郎と違ってとても陽性で、人の良い六助にぴったりだ。この仁左衛門・孝太郎という実の親子の掛け合いが、本筋とは別に、とても幸福感に満ちて良かった。

さて、今月の歌舞伎座のメインは新作歌舞伎「幻想神空海」だろう。そう思い、興味もあって、今月は<夜の部>を選んだ。

しかし、これがちっとも面白くないのだ。
音楽、音響効果、照明、セリフ回しを含め、これが「歌舞伎」?という疑問もあるけど、まあ、そこは<面白ければ>なんでもあり、というのが「歌舞伎」の真髄だと思うので受け入れることができる。
しかし<面白ければ>許される新しい試みは全然効果を発揮していない。
まずもって、芝居の筋が分かり難い。
観劇の最中は客席の照明も落とされるし、2時間12分の長丁場に幕間休憩もないので、筋書きをチラチラ読むこともできない。
予めざっと目を通していたけど、人物の名前もなかなか覚えきれないまま本番に突入したので、ほとんど役に立たなかった。

空海が主役と思っていたが、必ずしもそうとも言えないようだ。
空海が留学僧として、唐で密教を学び成長してゆく話かと思いきや、なるほど夢枕獏の原作であるからにはそんな正統的な話であるはずがない。それはそれで良い。突飛な物語も結構だけど、空海の存在が希薄なのだ。
終わってみれば、楊貴妃をめぐる白龍と丹翁の確執の物語ではないか。空海は狂言回しのような存在にすぎない。

これは意欲的な取組みだったがこのままでは失敗作で終わるのではないか。


♪2016-047/♪歌舞伎座-03

2015年12月8日火曜日

12月歌舞伎公演「東海道四谷怪談」

2015-12-08 @国立劇場


松本幸四郎⇒民谷伊右衛門/石堂右馬之丞
中村錦之助⇒小汐田又之丞
市川染五郎⇒お岩/小仏小平/佐藤与茂七/大星由良之助/鶴屋南北
市川高麗蔵⇒赤垣伝蔵
中村松江⇒矢間十太郎
坂東新悟⇒お岩妹お袖/千崎弥五郎
大谷廣太郎⇒秋山長兵衛/大鷲文吾
中村米吉⇒喜兵衛孫娘お梅/大星力弥
中村隼人⇒奥田庄三郎/竹森喜多八
澤村宗之助⇒関口官蔵/織部安兵衛
松本錦吾⇒四谷左門
大谷桂三⇒薬売り藤八/金子屋庄七
片岡亀蔵⇒按摩宅悦/高家家来小林平内
市村萬次郎⇒伊右衛門母お熊
坂東彌十郎⇒直助権兵衛/仏孫兵衛
大谷友右衛門⇒伊藤喜兵衛/原郷右衛門
      ほか

四世鶴屋南北=作
通し狂言「東海道四谷怪談」とうかいどうよつやかいだん 三幕十場
          国立劇場美術係=美術


序幕   浅草観世音額堂の場
     浅草田圃地蔵前の場
     同     裏田圃の場

二幕目 雑司ヶ谷四谷町民谷伊右衛門浪宅の場
    伊藤喜兵衛宅の場
    元の伊右衛門浪宅の場 

大詰  砂村隠亡堀の場
    小汐田又之丞隠れ家の場
    蛇山庵室の場
    仇討の場


予備知識として、四谷怪談の物語の背景に忠臣蔵が同時に描かれているということは知っていたが、これはどうやら奇抜なアイデアではないらしい。
歌舞伎初演時から四谷怪談と忠臣蔵が、形は別の演目として独立しているものの、物語は同時進行的に描かれていたようだし、民谷伊右衛門が浅野家の浪士であるという設定は「四谷怪談」が単独上演されるようになって追加されたものではなく当初からのものらしい。

これまで「四谷怪談」は映画などでしばしば観ているが、伊右衛門が浅野家浪士だったとは気が付かなかったというか、果たしてそのように描かれていたのだろうか。

ま、ともかく、作者鶴屋南北は「四谷怪談」を「仮名手本忠臣蔵」の外伝として描いたそうだ。

そもそも歌舞伎で「四谷怪談」を観るのが初めてなので(国立劇場としても44年ぶりの上演らしい。)、「四谷怪談」と「忠臣蔵」を抱き合わせにするとはなんて斬新なアイデアだと思っていたが、その萌芽は初演時からあった訳だ。

人気の出し物を2本併せてた物語が組み立てられているせいか、全三幕十一場の場面を必要とするほどに話が複雑で、ついて行くのに苦労した。
普段は、役者の役どころや演目の筋をさらっておいてから出かけるのだけど、今回は忙しくて時間のゆとりがなかったことに加え、どうせ、両方とも話は分かっている、と甘く見ていたのが大間違いで、大筋はともかく、それを彩る、いや絡みつくというか、いろいろと細かい話が盛り沢山。それに最初に出た何気ないエピソードや小物が後の場になってつながってくるという筋立て上の仕掛けもあって、これは相当目配り・気配りしながら観ないと全体を楽しむことはできない。

塩冶家(⇒浅野家)の家臣小汐田又之丞(錦之助)が冒頭、高家(⇒吉良家)の家臣らにさんざ打擲されて歩けなくなるというエピソードなど、忘れてしまうような話だが、大詰め第二場で、民谷家家宝の薬ソウキセイ(桑寄生)が意味を明らかにし、これを持ってきた小仏小平(染五郎)とともに討ち入りにつながってくるのだからぼんやりしてられない。
いや、ぼんやりしていた部分はほかにあったのだけど思い出せないだけだ。



中盤は伊右衛門(幸四郎)とお岩(染五郎)の話が中心になるが、上述の小汐田又之丞隠れ家の場が踏み台になって舞台は一挙に討ち入りに変化する。

既に真っ白な雪が積もったところに惜しげも無く雪が舞い降りてそこでの戦闘シーンはきれいだ。途中、あれは誰と誰の戦いだったか、2人の上にドカ雪が落ちてきてもう互いに顔も見えない中での斬り合いが意表を突いて面白かった。

幸四郎の伊右衛門はコワイ。
だからとても良い。

染五郎は別としてほかにも良い味を感じた役者が何人かいた。
坂東彌十郎(直助権兵衛/仏孫兵衛)が存在感があった。
米吉(お梅/大星力弥)はお梅で存在感希薄。力弥では颯爽たる立ち回りが絵になっていた。
錦之助(小汐田又之丞)は冒頭の情けない場面と随分間があって「小汐田又之丞隠れ家の場」でタイトルロール?として登場するが、ここではさすがにかっこ良く、次の場面への期待を持たせるきっぱりとした芝居だ。


さて、染五郎。

お岩、小仏小平、佐藤与茂七、大星由良之助のほかに、冒頭、鶴屋南北としてすっぽんから登場して(幽霊なので)本公演の趣旨を述べ、又之丞打擲の芝居が終わると再度せり上がってきて、未来の役者、市川染五郎なるものが熱心に上演許可を求めてきたので許可した、ゆっくりご覧あれ…といったような口上を述べてセリ下がる。館内は笑いに包まれる。
そんな訳で計5役を勤めるのだ。
その中には、お岩と小平のような早変わりもある。
お岩の顔貌の早変わり?もある。
燃える提灯からの飛び出しって、昔からそういう仕掛けがあったのだろうか。
宙乗りもあってもう大奮闘だ。

最後に本懐を遂げた由良之助で終わるので、カタルシスがある。

まあ、とにかく、筋の仕掛け、舞台の仕掛けも複雑で盛り沢山だが、2、3度観なければ全貌を堪能するには至らないように思った。

もう一度、おさらいをしにゆくかな。


♪2015-122/♪国立劇場-06