2015年10月28日水曜日

みなとみらいクラシック・クルーズvol.71 女性演奏家が奏でる華麗なアンサンブル、時代を越えた名曲

2015-10-28 @みなとみらいホール


清水真弓(トロンボーン)T
秦貴美子(ソプラノ)S
三浦はつみ(オルガン)O

~華やかな響き~
A.ロイド・ウェッバー:「オペラ座の怪人」より…TO
A.ドボルザーク:「ルサルカ」より"月に寄せる歌"
G.ホルスト:トロンボーンとオルガンのための二重奏曲…TO
J.プッチーニ:「トスカ」より"歌に生き、愛に生き"…SO
F.ラーベ:バスタ…T
J.プッチーニ:「ラ・ボエーム」より"私が街を歩けば"
L.バーンスタイン:「ウエスト・サイド・ストーリー」より"トゥナイト"
--------------------------
アンコール
フランチェスコ・サルトーリ:Time to say good by

…無印はTSO


パイプオルガン、トロンボーン、声楽(ソプラノ)という変わった組合わせ。

一人ひとりはとても達者で、トロンボーンの音量もソプラノの声量もびっくりするくらい豊かで、大きなホールに轟き渡っていたとはいえ、パイプオルガンの本気には勝てない。
また、各パートの音の混じりあいに格別の味わいがないので、このアンサンブルには終始違和感が付き纏った。

オペラ座の怪人の序曲はオリジナルもパイプオルガンの強力なメロディで始まるが、それをナマで聴けたのは良かった。
ただ、後が続かない。オルガンだけで迫力出すとトロンボーンや声楽が霞んでしまうからだろうけど。
この編成ではどう編曲しても妙味は出ないだろうな、と最初に思ってしまったので最後までネガティヴな受け止め方になってしまったのかもしれないけど。

蛇足ながら、「女性演奏家が奏でる」というコピーは時代遅れではないか。
女性だからといって華麗という訳でもないだろうし。



♪2015-107/♪みなとみらいホール-31

2015年10月27日火曜日

MUZAナイトコンサート10月 東京交響楽団メンバーによる弦楽四重奏+クラリネット

2015-10-27 @ミューザ川崎シンフォニーホール


第一バイオリン:水谷晃(東京交響楽団コンサート・マスター)
第二バイオリン:福留史紘(東京交響楽団第二バイオリン フォアシュピーラー)
ビオラ:青木篤子(東京交響楽団首席ヴィオラ奏者)
チェロ:伊藤文嗣(東京交響楽団首席チェロ奏者)
クラリネット:吉野亜希菜(東京交響楽団首席クラリネット奏者)*

モーツァルト:弦楽四重奏曲第16番 変ホ長調 K.428(ハイドンセット第3番)
モーツァルト:クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581*
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アンコール
ウェーバー:クラリネット五重奏曲作品34 第4楽章*


ミューザで室内楽を聴くのは初めてだ。音響に不安はないが、弦楽四重奏が大ホールにどう響くのか、興味があった。

全席自由席なので、早い目に出掛けて開場を待ち、好みの席をゲットした。オーケストラなら2階か3階正面を選びたいけど、室内楽だから1階席8列目を選んだ。良く分からないけど、なんとなく、この辺が小規模編成には適当な気がしている。
ま、どこで聴いてもさほど響に変わりのないのがミューザの素晴らしいところなので、神経質に席を選ぶ必要はないとも思っているのだけど。

東京交響楽団の各パートのエースで構成された四重奏団プラスだ。
特に有名な人もいないが、各人の経歴を読むと錚々たるキャリアだ。まだみんな若いながら各パートの首席を占めているのもうなずける。
にわか作りの四重奏団なのか、オケとは別にこのメンバーでも活動をしているのか知らないけど、気心の知れた仲間のアンサンブルらしい良い雰囲気だった。


弦楽四重奏曲の16番は、モーツァルトの全23曲中でも19番<不協和音>と並んで異質な感じがする。陽気さを封印しているのではないかと思うけど浅薄な見方かもしれない。

クラリネット五重奏曲は、モーツァルトとブラームスが双璧で、僕が若かりし頃、初めて買った室内楽のLPが確かジャック・ランスロのクラリネットで、この両方の五重奏曲がカップリングされていたことを覚えている。
そういう次第でこれらの曲の観賞歴は随分と長いけど、生演奏は初めてだった。やはり、ナマで聴くクラリネットの柔らかくて甘い音色が弦楽四重奏という本来溶け合わないと思われる響だけど、弦に乗っかったソロとしてはむしろ良い対比で心地良く聴くことができた。次はブラームスのクラリネット五重奏曲をぜひとも生演奏で聴いたみたい。


♪2015-106/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-22

2015年10月25日日曜日

横浜交響楽団第666回定期演奏会

2015-10-25 @県立音楽堂


飛永悠佑輝:指揮

独唱
カルメン:池端歩
ミカエラ:田川聡美
ホセ:浅原孝夫
エスカミーリオ:武田直之

田添菜穂子:語り

合唱
横響合唱団
金沢少年少女合唱団

横浜交響楽団

【 オペラの魅力 】
ビゼー:歌劇「カルメン」 全4幕から抜粋《演奏会形式》


演奏会形式の抜粋版「カルメン」。
前奏曲、間奏曲を含め全18曲。
オリジナルが何曲と数えられるのか知らないが、演奏時間がだいたい160分くらいで、今回の抜粋版が休憩除いて105分だったから、およそ7割弱。耳に馴染んだ曲ばかりだった。

フランス語原語上演だが、要所々々にナレーション(当然、日本語!)が入るので、何を歌っているか、どんな場面なのかは原作歌劇を一度も観たことがない人でもおよそは理解できる趣向になっていた。

まずは、ビゼーの音楽が素晴らしい。
4人のソリストたちの豊かな声量が素晴らしい。
児童合唱団も出番は少なかったが巧いものだ。
横響合唱団もいつになくうまい。

そして何より驚いたのは、横響の素晴らしい響だ。
冒頭の前奏曲から破綻がない!
いつもなら、ピッチの狂いが気になってしかたがないのだけど、弦のユニゾンのきれいなこと!
管・打楽器もいつもよりうまい!

まるで別人のように美しい音を奏でる横響はプロオケと聴き違うほどであったが、一体どうしたのだろう。
次会は恒例の県民ホールでの大合唱団付き「第九」だが、見事なアンサンブルを決めてほしいな。


♪2015-105/♪県立音楽堂-12

2015年10月17日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第311回横浜定期演奏会

2015-10-17 @みなとみらいホール


アレクサンドル・ラザレフ[首席指揮者]:指揮
小川典子:ピアノ
日本フィルハーモニー交響楽団

ラームス:大学祝典序曲
リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調S.124/R.455
ボロディン:交響曲第2番ロ短調
--------------------------
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガイーヌ」から「レズギンカ」


大学祝典序曲ではイマイチサウンドに輝きがないというか、いつもはもっとまろやかで透明感も感じられるのに、ザワーっとしたような響だったが、2曲めのリストになると弦も良く鳴っていつもの日フィルらしさが戻った。聴く側の耳の問題、気持ちの問題もあるのかもしれないけど、アコースティックな環境でのアコースティックなサウンドってほんに微妙だ。

リストのピアノ協奏曲は3作あるという説もあるが、第3番は聴いたことがない(これは全1楽章だそうだが)。
第1番も第2番も多楽章とはいえ全曲通して演奏される。
その第1番の楽章構成は全3楽章とする見方と全4楽章とする見方があっていずれにせよ通して演奏されるので、楽章の切れ目がよく分からないのだけど、4楽章構成で言えば第3楽章と第4楽章で、3楽章構成でいえば第3楽章で、トライアングルが頻繁に鳴らされるので、それを聴くとああ、この辺まで来たのか、と分かる。

大きなホールの後ろの方で聴いているのだけど、あの小さな楽器がチリンチリンとよく伝わってくる。CDだと聞き逃すことも多いのだけど。

もちろん、主役はピアノで、終始ピアノが華麗に鳴り続けている。

ボロディンの交響曲第2番は、チャイコフスキーの悲愴と並んでロシア人の国民性が如実に反映された作品だ…とワインガルトナーが言ったと解説にある。

しかし、この2作品はその洗練度において大きな開きがあると思うが、あるいは、だからこそ、この2曲がロシアの2面性を代表するのかもしれないが。

とても素朴というか、民族性が露骨に出て、俗っぽい音楽だ。
初めて聴いたが、それだけに分かり易く親しみやすい。


ラザレフは、どの曲も<ここで終わり>という瞬間に指揮台でくるっと踵を返し客席に向かって拍手を促す。それは全然嫌味ではなくて、彼自身が音楽を楽しんで、お客と一体感を味わいたいという気持ちだろう。観客サービスでもある。
普通は、終曲は観客と演奏家が音楽の最後の余韻まで納得して共有して迎えるものだけど、このタイミングはなかなか難しくて、観客も気持ちを一つにできるとは限らないのだけど、ラザレフのようにくるっと客席に向かってバンザイをしてくれると、ああ、これで終わったんだ、という気持ちの整理が<明確に>ついて、文句の言いようもない。


♪2015-104/♪みなとみらいホール-30

2015年10月16日金曜日

東京都交響楽団第796回 定期演奏会Bシリーズ

2015-10-16 @サントリーホール


ペーター・ダイクストラ(スウェーデン放送合唱団首席指揮者):指揮
クリスティーナ・ハンソン:ソプラノ
クリスティーナ・ハマーストレム:アルト
コニー・ティマンダー:テノール
ヨアン・シンクラー:バス

合唱:スウェーデン放送合唱団
東京都交響楽団

リゲティ:ルクス・エテルナ (1966)(無伴奏混声合唱)
シェーンベルク:地には平和を op.13 (混声合唱と管弦楽)
モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626 (ジュスマイヤー版)
-------------
アンコール
モーツァルト:アヴェ・ヴェルム・コルプス ニ長調 K.618(無伴奏混声合唱)


今夏、フェスタサマーミューザで十数年ぶり?に都響を聴いてあまりにもうまいのに驚いて、後期シーズンから会員になって今日が初めての定期演奏会だった。

とはいえ、この日のプログラムでは都響の管弦楽の魅力が十分発揮されるものとはいえないなあ、と内心はあまり期待せずにでかけたが、とんでもなかった。

リゲティという現代作曲家の作品は何度か聴いていて一度も面白いと思ったことはないのだけど、この日のトップバッター「ルクス・エテルナ」(永遠の光)という宗教曲は無伴奏混声合唱曲で、当然調性はなく、不協和音が主体だけど、時折協和的な和音らしきものが覗かせる。全体的にリズムを感じさせずひたすら音が流れて続けているが、最後は無音の7小節で終曲する。

「無音の7小節で締め括られる」とプログラムの解説に書いてあったが、それって何?と思うけど、確かに、最後に無音が必要な場合はある。
通常は指揮者が余韻として溜めている僅かな時間で、観客もこれを最後まで共有しようと努める。とても大切な無音の音楽とも言える。
リゲティはそれを指揮者に委ねず、自らが7小節と決めた訳だ。
そこまで演奏家を縛らなくともいいと思うけど、この不思議な音楽は嫌な感じはしなかった。

一つは、合唱団のレベルの高さもあったからだろう。
スウェーデン放送合唱団というのは、知らなかったけど、世界のトップアンサンブルなのだそうだ。
指揮者のペーター・ダイクストラはこの合唱団の首席指揮者でもあり、合唱指揮者としては相当名の売れた人らしい。

シェーンベルクの「地には平和を」は調性を持つらしいが(ニ長調の主和音で終わるらしいから、ニ長調という調性を持っているといえるのかな)、実際にはそれ(機能和声)は拡大されて、無調的な部分もある。というか、むしろ、ところどころに調性が感じられる。

この曲もリゲティの無伴奏曲と同じく明確なリズム感が全体を支えるということはなく、どちらかと言えば平板に流れてゆき、劇的緊張感には乏しかった。
作曲時は無伴奏合唱曲だったらしいが、あまりにも音取りが難しく歌手たちが歌えないこともあって、管弦楽伴奏部分が付けられたそうだ。

最後は、モーツァルトだ。
レクイエムは何度かナマで聴いているが、管弦楽も合唱団もおそらく、今回が一番小編成だった。

しかし、キビキビとしたアップテンポな指揮ぶりとボリューム感のある合唱団、そして小規模ながら透明感のある都響の管弦楽が本領を発揮して、実に聴き応えのあるレクイエムになった。

第4曲目に当たる「トゥーバ・ミルム」(驚くべきラッパ)はトロンボーンのソロで始まりその上にバス(声楽)ソロが重なるのだけど、いやこのトロンボーンの見事なこと。完璧なピッチコントロールだ。スライドトロンボーンなのにどうしてこうもツボがピタッと決まるんだろうと驚いた。こんなにきれいなトロンボーンソロを聴いたのも初めてだ。

とにかく、過去最高のレクイエムを聴くことができて、久しぶりに大満足のコンサートだった。


♪2015-103/♪サントリーホール-05

2015年10月14日水曜日

楽劇「ニーベルングの指環」序夜〜ラインの黄金〜

2015-10-14 @新国立劇場


指揮:飯守泰次郎
演出:ゲッツ・フリードリヒ

【ヴォータン】 ユッカ・ラジライネン
【ドンナー】 黒田博
【フロー】 片寄純也
【ローゲ】 ステファン・グールド
【ファーゾルト】 妻屋秀和
【ファフナー】 クリスティアン・ヒュープナー
【アルベリヒ】 トーマス・ガゼリ
【ミーメ】 アンドレアス・コンラッド
【フリッカ】 シモーネ・シュレーダー
【フライア】 安藤赴美子
【エルダ】 クリスタ・マイヤー
【ヴォークリンデ】 増田のり子
【ヴェルグンデ】 池田香織
【フロスヒルデ】 清水華澄

東京フィルハーモニー交響楽団

ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」序夜~ラインの黄金~


もう、一体何年ぶりかわからないくらい久しぶりの本格的なオペラ鑑賞。
オペラを観にゆくより、そのお金と時間をコンサートに回すべし、が僕のクラシック鑑賞ルールで、オペラはもっぱらホームシアターで楽しんでいるが、やはり、「指環」は一度は観ておきたい作品だ。

新国立劇場では2001年から4年がかりで全作品を上演したそうだが、その時はどういう訳か第1作(ラインの黄金)の公演情報を見逃し、結局一作品も観なかった。
今回2度めの上演は、再び「ラインの黄金」から3年がかりで全4作を上演するというので、機会ヨシ、とばかり観に行った。

久しぶりのオペラ(本作は「歌劇」に非ず「楽劇」と呼ばれている)の生舞台。
新国立劇場自体初めての経験だったが、少なくとも2階席中央ブロックは舞台は見やすいし音響面でも申し分なかった。

「指環」のビデオは4セット持っているくらい好きで、僕にとっては(多分、よほどワーグナー嫌いでもなければ全オペラファンにとっても)特別な作品だ。
今回は、事前にMETの「ラインの黄金」をじっくり観直して臨んだ。
全篇が聴き馴染んだ音楽ばかりで楽しいやらうれしいやら。
ビデオ鑑賞は特等席でゆっくりできるが、やはり(というか、残念ながらというか)、ナマのオーケストラと歌声にはかなわない。

飯守泰次郎御大は御年75歳だ。
これまでオーケストラ・コンサートで何度か指揮を聴いているがいつも満足できる。このクラスとなるとその音楽性は及びもつかないので分からないが、人間的魅力が指揮ぶりにも表れていて好感するのだろうと自分を納得させている。

その高齢にもかかわらず、「ラインの黄金」は4場が連続して休憩無しの160分、音楽が途切れることがないという長大作。
100名を超えるオーケストラ団員も、歌手たちも(出番のない場面では)、1,800人の観客も当然、その長時間を座わって過ごすのだけど、唯一、指揮者だけは立ち通しだ。まあ、背もたれくらいあったのかもしれないけど、もう、それだけでも敬服してしまうが、何より、この長いだけではない複雑なドラマを孕んだ超大作を完全理解していてこそ全篇にわたる緊張感を漲らせた音楽を再現できるのだから、これを指揮することが大変な力量を必要とされるだろうことは凡才にも想像ができる。

東京フィルも良く鳴って迫力十分だ。
これは新国立劇場が最初からオーケストラピットでの演奏を前提としてホールの音響効果が設計されているからではないかとも思うが、そもそもオケとしての実力がなければどんなホールだってうまくは響かない。

演出(というか、むしろ舞台装置)について言えば、METのロベール・ルパージュ演出版(2010年~)のシンプルながら舞台の全空間を活かした構造に魅了されている身としては、今回の舞台装置はちょっとチープ感が漂っていたが、これはMETと比較するからで、そこは知らなかったことにすれば十分満足できる。

ワーグナー恐るべし。
飯守泰次郎恐るべし。
東京フィルも見直した。


♪2015-102/♪新国立劇場-1

2015年10月11日日曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第111回

2015-10-11 @ミューザ川崎シンフォニーホール


クシシュトフ・ウルバンスキ:指揮
小菅優:ピアノ*
東京交響楽団

ベートーベン:「エグモント」序曲 作品84
ベートーベン:ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37*
ベートーベン:交響曲 第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」


オール・ベートーベン・プログラム。

どれも聴き馴染んだものばかりだけど、何度聴いても満足感がある。

東響は管も弦もきれいで安定感がある。両者が交響する時に管弦楽の醍醐味を感じさせてくれる。

この日のピアノの音は抜けの良い音で気持ちがいい。
タッチの問題ではないし、席の問題でもない(いつも同じだから)。
不思議に、日によって音が違う。
ベートーベンの唯一短調のピアノ協奏曲だが、第3楽章の途中に登場するクラリネットから始まる長調のテーマにウィーンを感じたなあ。
最近、独墺の音楽に、ドイツらしさとウィーンらしさを嗅ぎ分けようと意識しているので。

指揮のウルバンスキはとてもシャイな人柄のようだ。
指揮者である以上大きな身振り手振りが必要だが、それがどうも板についている感じがしない。
しかし、音楽への誠実、堅実、冷静な態度が伝わってきていつも好感できる。

「英雄」では、ベートーベンが如何に精緻な構造物を作り上げたかを今更ながら実感できたのはウルバンスキの丁寧な音楽作りとそれに応える東響の優れた演奏によると思う。



♪2015-101/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-21

2015年10月10日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第313回

2015-10-10 @みなとみらいホール


川瀬賢太郎:指揮
三浦文彰:バイオリン
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ショスタコーヴィチ:交響詩「十月革命」作品131
ショスタコーヴィチ:バイオリン協奏曲第1番イ短調 作品77
シベリウス:交響曲第5番変ホ長調 作品82


ショスタコの作品では交響曲第5番、チェロ協奏曲第1番、ピアノ協奏曲第2番、それに弦楽四重奏曲のいくつか、ジャズ組曲など大好き、あるいは、それほどでなくとも親しめる作品も少なくないのに、バイオリン協奏曲第1番はどうも馴染めない。

必ずしも作曲年代が遅いものほど調性が曖昧とも言えないので、結局は慣れの問題なのかもしれない。

楽器編成は大規模ながら金管はホルン4本とチューバだけという変わった編成だ。

独奏バイオリンはかなり難しそうだ。

シベリウスの5番というのも、有名な2番に比べると面白みがない。
もちろん、ところどころにシベリウスらしい民謡風のメロディーが織り込まれて、初めて聴いたとしてもシベリウスの作品だと分かる特徴を供えている。
それだけに、2番があるのに5番を作る必要があったのかなと思ってしまった(交響曲は7番まで残しているが、コンサートでもこの両者以外はほとんど取り上げられないように思う。)。
特に終曲部分が俗っぽくて素人ぽくて好きになれない。交響曲第2番を書いた同じ作曲家とも思えない。

しかし、この日の神奈川フィルの演奏は実に良かった。
いつも心配な金管パートも崩れることなく、弦の響も厚くそして繊細さもみせて、破綻がない。ここ数年に聴いた演奏会では最良の部類に入る出来だった。



♪2015-100/♪みなとみらいホール-29

2015年10月8日木曜日

NHK音楽祭2015 極上のオーケストラサウンド -真価を発揮する指揮者たち- NHK交響楽団演奏会

2015-10-08 @NHKホール


パーヴォ・ヤルヴィ:指揮
ジャン・イヴ・ティボーデ:ピアノ
NHK交響楽団

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14


今年のNHK音楽祭は、N響のほかに、ロンドン交響楽団、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、hr交響楽団(旧フランクフルト放送交響楽団)が招聘された。

海外の一流オケは料金がべらぼうに高いので、N響とhr交響楽団の演奏会を聴くことにした。

まずは、N響。
プログラムはオールフランスもの。
パーヴォ+N響なら勝負曲はドイツものではないかと思うが、意外にもフランスの作品だ。パーヴォ・ヤルヴィはパリ管弦楽団の音楽監督もしていたので、十分に自信があるのだろう。

いつもの定期演奏会と違って、舞台には造花だろうが、花飾りがしてあって、音楽祭の雰囲気作り。

さて、N響のコンサートはいつもたいてい満足できるが、実力を出しきれない時もあるように思う。
今回はロンドン交響楽団などと顔を並べた音楽祭で、FM生放送(TVは録画で後日放映)でもあり、定期演奏会と違って一回きりだから、ここで実力を見せないでどこで見せるのか、という大舞台だ。

その期待どおり、フランス近代管弦楽の精密で華麗な音楽を堪能できた。

牧神の午後~冒頭のフルートソロから既に官能的で、ドビュッシーの作品の中では多分一番最初に好きになったもので、結局今でもこビュッシーの作品の中から何か1曲、と言われたらこれを選ぶだろうな。

ドビュッシーの音楽から西洋クラシック音楽は大きな転換をしたと言われている。五音音階などによる調性の喪失(傾向)とか機能和声からの脱出?が、それまでにない不思議な心理描写を産んだ。その後に12歳若いラヴェルが続き、環境が整ったところで、20世紀最大の作曲家とも目されるストラヴィンスキーが登場する。

近代~現代の西洋音楽に関してはフランスでまず革命が起こり、次いでロシアでダメ押しの大きな革命が起こったことが社会思想改革の歴史と似ているのは偶然なのだろうか。

ともかく、ラヴェルの音楽はドビュッシーの影響を受けたかどうか知らないけど、ドビュッシーに比べると調性拡大が進んでいるため、作品によっては馴染みにくいものもある(これは僕が進んで聴いていないせいもあるけど。)。リズムに関しても短期間ながらアメリカ滞在のせいかジャズの影響を受けていると言われる。
そして、管弦楽作品については、「管弦楽の魔術師」と言われる多彩で華麗な管弦楽技法を駆使したものが多い。

その代表が、ピアノ協奏曲だ。
技術的には相当困難らしいが、ちょっととっつきにくいけど何度か聴いているうちに面白みが分かってきた。
叙情的な第2楽章が終わり、間をおかず雪崩れ込む第3楽章が元気いっぱいで賑やか。ここにこそジャズっぽいシンコペーションがふんだんに用いられ、後のストラヴィンスキー風でもある。後年伊福部がゴジラの音楽で借用した(偶々似たものになったのかもしれないけど。)フレーズが混じっているのも楽しい。

ジャン・イヴ・ティボーデは師匠がラヴェルの友人だったということで、とりわけこの曲を好んで弾いているそうだ。巧さについては名人芸というほか分からないけど、実に楽しんで弾いているふうではあった。

最後は大一番のベルリオーズ。
「幻想交響曲」は、ラヴェル(ピアノ協奏曲=1931年)からは100年も前、ドビュッシー(牧神~)からも60年ほど前の作品だ。
ベルリオーズは革新的なフランス管弦楽の源流を創りだしたと言われる。
ベルリオーズはベートーベンより一世代(33歳)若いが、ベートーベンがミサ・ソレムニス、最後の交響曲「第九」、第12番以降の最後の弦楽四重奏曲群、最後の3曲のピアノ・ソナタを書いたのが1822年~26年(27年没)だということを考えると、ベルリオーズは時期的にはベートーベンからバトンタッチするようにして作品を発表し始めたことになる。
両者に交流があったかどうかは知らないけど、ベートーベンの交響曲第3番「英雄」のパリ初演がベルリオーズの「幻想交響曲」作曲のきっかけになったそうだ。


2人には一世代の年齢差、ウィーンとパリという活動地域の違いがあるにしても随分音楽が異なるのはどういう理由によるのか理解していないけど(「幻想」は「第九」から6年しか経過していない。)、ベルリオーズの音楽は完全にロマン派とはこれだ、と言わんばかりに絶対音楽とは訣別している。

この曲は特にストーリーに沿って作られているので、音楽が情景や心理を描写し、とても劇的な展開だ。
それを多彩な管・打楽器を繰り出した大規模管弦楽で華麗に、また力強く聴かせてくれるので、オーケストラを聴くという醍醐味を堪能させてくれる。

普段のN響より一層力が入っている様子で(いつも入れて欲しいが)、「怒りの日」を主題にした強烈な全楽器のけたたましい合奏がクライマックスを迎えて終曲した時に大きなカタルシスがあった。


♪2015-99/♪NHKホール-10

2015年10月7日水曜日

松竹創業120周年 芸術祭十月大歌舞伎 壇浦兜軍記 阿古屋〜梅雨小袖昔八丈 髪結新三

2015-10-07 @歌舞伎座


一 壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)
 阿古屋

 遊君阿古屋⇒玉三郎
 岩永左衛門⇒亀三郎
 榛沢六郎⇒功一
 秩父庄司重忠⇒菊之助

 Ⅱ世尾上松緑二十七回忌追善狂言
二 梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)
 髪結新三

 序 幕 白子屋見世先の場 
     永代橋川端の場
 二幕目 富吉町新三内の場
     家主長兵衛内の場
     元の新三内の場
 大 詰 深川閻魔堂橋の場

 髪結新三⇒松緑
 白子屋手代忠七⇒時蔵
 下剃勝奴⇒亀寿
 お熊⇒梅枝
 丁稚長松⇒左近
 家主女房おかく⇒右之助
 車力善八⇒秀調
 弥太五郎源七⇒團蔵
 後家お常⇒秀太郎
 家主長兵衛⇒左團次
 加賀屋藤兵衛⇒仁左衛門
 肴売新吉⇒菊五郎


歌舞伎鑑賞は月1回と決めていたけど、今月は一昨日の国立劇場に続いて歌舞伎座の夜の部を観た。

なぜか、と言えば、玉三郎の舞台は過去に観たことがなかったし、それも「阿古屋」をやるという。この作品も初めてだけど、何が見どころか、ぐらいは本で読んで知っていたので、一度は観ておきたいと思ったのが一つ。

それと、髪結新三を松緑が演るというのに大いに惹かれた。
「髪結新三」は3月に国立劇場で橋之助の髪結新三を観たばかりだ。これはこれで悪くはなかったが、橋之助は品が良すぎて新三のワルぶりが僕にはピタッとこなかった。今回は、松緑が演るという。これはお似合いだと思う。是非観たい。


「阿古屋」
今も頼朝の命を狙う平家の武将平の悪七兵衛景清(あくしちひょうえかげきよ)の行方が分からない源氏方は、景清の愛人・傾城阿古屋(玉三郎)を堀川御所に引きたてその所在を問う。
取り調べに当たるのが秩父庄司重忠(菊之助)とその助役岩永左衛門致連(亀三郎。<致連⇒むねつら>)だが、彼女は知らないという。
そこで致連は阿古屋を厳しく拷問にかけて白状させようとするが、重忠はそれを制して理と情に訴えて諭す。
それでも本当に知らない阿古屋は私の言葉が信じられないならいっそ殺してくれという。
そこで、重忠も意を決してあらためて阿古屋を拷問にかけようと責め道具を準備させる。
その道具というのが、琴、三味線、胡弓である。

これじゃ、拷問にならないじゃないの…。

と、フツーは不審に思うはずだけど、事情を知ったる観客には、むしろ、「よ、待ってました」という感じだ。

物語の合理性には頓着しない。
面白ければ何でも取り込む。
こうやって、歌舞伎は発展してきたのだろう。西洋の合理主義では捉えきれない飛躍・跳躍の芸だと思う。

玉三郎が、相当重いと思われる鬘や衣装を身に纏い、3種類の楽器を順番に実際に弾いてみせる。
もっとも完全な独奏ではなく、三味線の伴奏・掛け合いも入るので、この呼吸を合わせるのも容易ではないだろう。

琴、三味線には下座音楽の三味線がある程度代わりができるが、胡弓の音楽は三味線では代用できないので、気が抜けない。いや、全部気を抜いたりしていないだろうが。
それだけでもう感心してしまうのだけど、終始、その姿形が美しい(楽器を操るにはかなり無理があるにもかかわらず。)。

演奏の合間には取り調べの重忠と阿古屋の間に問答があり、問われて景清との関係を阿古屋が音楽に託して説明する段取りだ。
彼女の演奏を聴き終えて重忠は景清の行方を知らないという阿古屋の言葉に偽りがないと判断する。

異を唱える致連に、重忠は、もし阿古屋の心に偽りがあれば、演奏に心の乱れが表れるはずだが、一糸の狂いもなかった、と応え、阿古屋を釈放する。

この芝居は圧倒的に阿古屋の芸を見せるためのものだ。それだけでもう十分とも言えるが、他にも観客を楽しませる仕掛けがある。
元は人形浄瑠璃であったことからその芸を取り込もうとしたのか、遊び心からなのかは知らないけど、致連役が人形振りで演じられる。劇中はもちろん代官の助役という役だが、彼だけは人形のカタチで演じられる。
人形であるので、セリフは浄瑠璃(竹本)が語るので演じている役者は言葉を発しない。
人形であるので黒子が2人付く(ここで黒子はフツーの黒子ではなく、黒子の<役>を演じているのだ。歌舞伎座の「筋書き」にも登場人物として扱われている。)。
黒子によって操縦される人形になりきるので、動きもそのようなぎこちなさをわざと見せる。
顔も手も真っ赤に塗られており(<赤っ面>というそうだ。)、眉は人形のように上下する。
重忠が白塗りであるので2人は好対照になっている。

この動きや無・表情がおかしい。致連の一人芸だけでも一幕が成り立ちそうだ。

亀三郎の芝居はだいぶ見ているけど大きな役としては国立劇場での「壺坂霊験記」の沢市くらいしか覚えていなかったが、致連のおかしさで、強くインプットされた。

菊之助の重忠も、声もよく通るし、これまでにない力強さを感じた。


で、竹田奴って何?
致連が阿古屋を責めさせようとして呼び出すが、重忠の「鎮まれ、鎮まれ!」の言葉で、キャッキャと言ってすぐ引き下がる。
文楽人形の端役を模しているらしいが、何でもありの歌舞伎だとはいえ、これは何を意味しているのかさっぱりわからない。
人間国宝玉三郎の重厚な演技とは全く溶け合わない演出だが、昔からの決まり事なのだろうけど出てこない方がいいのに。




髪結新三
主要な登場人物が全員悪党というのがおかしい。
中でも一番悪党は新三(松緑)からまんまと15両と滞納家賃2両をゆすり取り、さらに初鰹の半身まで貰い受けて帰る家主の長兵衛(左團次)かもしれないが、その長兵衛も盗人に入られて元も子もない。因果応報というか、これでお客もすっきりする。

やはり、松緑(の新三)は粋な小悪党がよく似あって面白かった。
初役だそうだが、すっかり新三が身についているという感じだ。

配役をよく見てゆかなかったので、肴売りという小さな役で大御所菊五郎が登場したのには驚いた。ファンサービスだ。鰹の捌きにしてもセリフ回しにしても板についてなかったが、これはご愛嬌だろう。


♪2015-98/♪歌舞伎座-01

2015年10月5日月曜日

10月歌舞伎公演「通し狂言 伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」

2015-10-05 @国立劇場


中村梅玉⇒福岡貢
中村東蔵⇒貢の叔母おみね
中村鴈治郎⇒料理人喜助/正直正太夫
中村松江⇒油屋お鹿
中村亀鶴⇒奴林平
中村壱太郎⇒油屋お紺
中村寿治郎⇒銅脈の金兵衛
松本錦吾⇒猿田彦太夫
大谷桂三⇒徳島岩次(藍玉屋北六)
澤村由次郎⇒徳島岩次(藍玉屋北六)
市川高麗蔵⇒今田万次郎
大谷友右衛門⇒藤浪左膳
中村魁春⇒仲居万野
中村梅丸⇒油屋抱えお岸
ほか

近松徳三=作
通し狂言「伊勢音頭恋寝刃」(いせおんどこいのねたば)
 三幕八場
 国立劇場美術係=美術
       
序幕
第一場 伊勢街道相の山の場 
第二場 妙見町宿場の場
第三場 野道追駆けの場
第四場 野原地蔵前の場
第五場 二見ヶ浦の場

二幕目 御師福岡孫太夫内太々講の場

大詰
第一場 古市油屋店先の場
第二場 同 奥庭の場


国立劇場がこの作品を取り上げるのは開場以来初めてだそうだ。
他の劇場でも大詰めの二場が単独で度々演じられるそうだが、二幕目の太々講(だいだいこう)の場は歌舞伎座で演じられて以来53年ぶりになるという。

つまり、これまでは各場がバラバラに上演されてきたが、これを通し狂言として演ずるのは初めてということだ。
こういうのは国立劇場でしかできない仕事だ。

阿波国のお家騒動が下地にあって、将軍家に献上する予定の名刀「青江下坂(あおえしもさか)」が行方知れず、恋人の裏切り(実は…の展開)や妖刀の殺気に翻弄される大量殺人などが描かれる。

芝居全体の主役は梅玉演ずる福岡貢という伊勢神宮の御師であるが、陰惨な大詰めの前に置かれる太々講の場はむしろ喜劇で、ここでは正直正太夫を演ずる鴈治郎が実におかしい。

油屋(遊郭)店先の場では、貢がすったもんだの末に青江下坂は手にしたもののその折紙(鑑定書)を手に入れようと腐心するが、これを仲居の万野(魁春)が邪魔をする。愛人お紺(壱太郎)にも仔細あって邪険にされる。遊郭の決まりだと言われて、手に入れた刀を帳場に預けることになるが、敵方が刀を入れ替えてしまうなどのふんだり蹴ったりだ。

面目を失った貢が油屋を出た後、刀が入れ違っていると気づき油屋に戻るが、そこで、こちらも偽物の刀を掴まされたと思って貢の刀を取り返そうとする万野を貢が誤って斬りつけ、それが契機となって、万野の仲間(敵方)の連中をメッタ斬りにしたのは名刀青江下坂の妖気の故か。

お紺が折紙を手に貢のもとに駆けつけたことから、我に返った貢は自分がしたことの重大さにおののき腹を切ろうとするが、そこに料理人喜助(鴈治郎)が現れ、刀は自分が最終的に入れ替えておいた本物であることを告げ、めでたしめでたし。


まあ、大略こういう筋だ。
最後の最後にフラ~っと出てきた敵方の小物を貢が切り捨てた際に、喜助が「下坂の切れ味見事!」と声を掛けてお終いになったと思うが、これは人道的にひどい作劇だなあ、と思ったよ。

まあ、そういう残酷な殺戮シーンもあるが、滑稽な場面もあって、通し狂言の長丁場を退屈させない。


梅玉という役者が歌舞伎界でどういう位置を占めるのかよく分からない。
これまでに観た「双蝶々曲輪日記」の南与兵衛や「傾城反魂香」の又平も主役なのだろうが、今回が一番大きな役だったと思う。
それにしては地味な役者だ。渋いというべきかもしれないが、どうも彼の持ち味をどう受け止めて良いのかよく分からなかった。

正直正太夫という滑稽味と料理人喜助、実は貢の家来筋という2役で、この芝居のおいしいところをさらったのは鴈治郎ではなかったか。


♪2015-97/♪国立劇場-04

2015年10月4日日曜日

N響第1817回 定期公演 Aプログラム-パーヴォ・ヤルヴィ首席指揮者就任記念

2015-10-04 @NHKホール


パーヴォ・ヤルヴィ:指揮
エリン・ウォール:ソプラノ
リリ・パーシキヴィ:アルト
合唱:東京音楽大学
NHK交響楽団

マーラー:(1860~1911)
交響曲 第2番 ハ短調「復活」


2日連続でマーラーになった。
それも第1番に続いて第2番だ。
マーラーは演奏に大編成を要するものが多いからどのオケでも取り上げにくいだろうけど、やはり、お客が入るのだろうな。
その中で、僕の経験では第2番を聴く機会がダントツに多い。

この曲も第1番と同様、第1楽章から第4楽章までは楽しめるが、第5楽章(終楽章)には疑問を感じない訳にはいかん。

全曲演奏時間90分近い長大曲だが、そのうち終楽章は35分前後というお尻デッカチであることも、いやが上にも長さを感じさせるし、登場する楽想のいくつかは聴いていて恥ずかしくなるような俗っぽさにまみれていて、マーラーはここを作曲する時にフツフツと湧いてくる楽想には見放されて、相当手こずりながら無理やりまとめたのではないか、という気がする。

それでもこの気宇壮大で贅を極めた大規模音楽はそれだけの感興を呼び起こすことは間違いない。

パーヴォ・ヤルヴィが正式にN響の首席指揮者に就いて9月にこのシーズンが始まったが、指揮台に登場するのは今月が初めてで、首席指揮者就任記念というタイトルを冠したコンサートにふさわしい出し物だった。

終曲後、館内客席は大歓声と拍手の嵐で就任を祝ったが、今年2月にヤルヴィが10年ぶりにN響でプレ・就任記念コンサートのような形で同じくマーラーの第1番を指揮した際の熱狂的な祝意や興奮ほどではなかったのは、その後も何度かN響のステージに立ち実質的にはデビューはとうに終わっていたからだろう。


♪2015-96/♪NHKホール-09

読売日本交響楽団第83回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2015-10-04 @みなとみらいホール


下野竜也:指揮
セリーヌ・モワネ:オーボエ*
読売日本交響楽団

モーツァルト:オーボエ協奏曲 ハ長調 K.314*
マーラー:交響曲 第1番 ニ長調「巨人」
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アンコール
J.S.バッハ:無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調から第1曲アルマンド


モーツァルトのオーボエ協奏曲はCDは持っていないし、聴いた記憶もはっきりしなかったが、プログラムの説明によるとフルート協奏曲第2番の原曲だそうで、どおりで冒頭を少し聴いただけで、よく耳に馴染んだメロディーを思い出した。

オーボエ協奏曲がハ長調でフルートの方がニ長調であるのは、楽器の吹きやすさとか、音域の違いなどによるのだろう。
独奏部分には多少の相違があるらしいが、フルートの独奏部分が頭に入っている訳ではないので違いは分からない。

今日のプログラムにはオーボエ協奏曲の方が原曲であると書いてあったが、どちらが原曲でどちらが編曲かについてははっきりしていないらしい。

まったくの素人考えだけど、フルートの方が先じゃなかったかと思った。
いずれの楽器編成も弦5部にオーボエ2、ホルン2だ。
まあ、移調しただけなのだから編成も同じなのは当然かも知れない。

先にオーボエ協奏曲を作曲したとすれば、木管楽器にオーボエを使うだろうか?独奏楽器とかぶるよりフルートやファゴットなど音質の異なる楽器を選ぶのではないか、と思ったけど、どうかな。


メインディッシュはマーラーの交響曲第1番だ。
マーラーを若い頃は忌避していたので今でも素直にはなれないのだけど、彼の交響曲はどれを聴いても劇的でほとんど退屈する間がない。
CDではなかなか聴こうという気力が湧かないけど、最近はナマで聴く機会が多いのでだんだんと馴染んできて、かなりカタルシスを覚えるようになってきたが、これって良いことかどうかという疑問も払拭できない。
本当に傑作なのだろうか。
これが腑に落ちない。

今日の第1番は第3楽章まではとても良いと思うけど、第4楽章がやたら長過ぎないか(この楽章だけで約20分!)。ちょうど半分くらいのところに大きなクライマックスが来るので、そこで終曲しておけばすっきりするのだけど、終わったかと思えば、また出直しになるのでなかなか彼の心情にシンクロできない。

でも、さらに聴きこめばこの冗長とも言える音楽が終わってほしくない至福の時を与えてくれるようになるのかもしれない、とも最近は思うようになった。


♪2015-95/♪みなとみらいホール-27