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2024年12月23日月曜日

神奈川フィル川崎公演「第九」/「第九」⑨ 〜川崎市市制100年を祝う“歓喜の歌” 初演200年!

2024-12-23 @ミューザ川崎シンフォニーホール



大植英次:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
神奈川ハーモニック・クワイア

ソプラノ:宮地江奈
メゾソプラノ:藤井麻美
テノール:村上公太
バリトン:萩原潤

モーツァルト:歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」K50(46b)序曲
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125



大植ちゃんて、いつも何かやってくれそうと期待してしまうが、初めて聴く「第九」で、予想以上の弾け方に降参です。

前座の初聴き、モツ序曲に、まずは驚いた。
弦8型?高域から8-6-4-2-1だ。これにHr2、Ob2という極小サイズの編成に驚く。主題がベト3番の栗卒に驚く。始まったらあっという間に(100秒)終わったのに驚く。

問題は「第九」だ。

まずP席やオケ周りにお客を入れていないので、大合唱団が並ぶのかとも思ったが、合唱席は舞台後方に椅子が並べてある。結局、P席では大植ちゃんの演出が楽しめないから売らなかったのだろうか?

前座が終わった時点で合唱団が入るのかと思ったが、入らない。3楽章の前に入るかと思ったが入らない。4楽章の前に入るのかと思ったが入らないで4楽章が始まった。

先に入ったのは独唱者だ。
もう直ぐBrの出番だという少し前に1人で…。
暫時あってTn。以下1人ずつ登場し、中央の定位置付近に集まってお互いが握手やハグで「おお、友よ!」を演じた。

歓喜のテーマがTpに回ったクライマックスに合わせて合唱団が参加する。独唱者と合唱団はお互いに会えて良かったなあという演技だ。途中、男声は酒盛りの仕草だ。

なんとクサイ…と思いながらも、ちょいと感動的でもある。みていても恥ずかしいくらいの演出だが、面白い。

実は、神奈川フィルは6月の「第九」でも声楽の扱いは同じだった。その時より、所作が練れて不満はなかった。

演奏面では、1楽章ではさほど気にならなかったが、2楽章も3楽章も自在なテンポ設定。
終楽章ではもうやりたい放題で、かつてのコバケン先生の遊びよりスーパーだ。楽譜に書いてないぞ!なんて言っても始まらない。もう、どうか、お好きに、存分にやってください、という気持ち。

到底受け入れられないという人も多いだろうけど、僕は面白かった。
完全に鑑賞記録している過去11年間で「第九」は88回聴いたが、今日の大植「第九」が最もエキサイティングだった。その前にもかくほどの印象を残した演奏は思い出せない。
今年は後2回残しているが、聴かずともこれを超える演奏はないと確信する。

音楽鑑賞史に残る大事件だ。「大植劇場」と名付けよう。

♪2024-181/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-18

2023年11月3日金曜日

日フィル第755回東京定期演奏会

2023-11-03 @サントリーホール



小林研一郎:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:東京音楽大学(126人)

ソプラノ:澤江衣里
テノール:髙橋淳
バリトン:萩原潤

コダーイ:ガランタ舞曲
オルフ:世俗カンタータ《カルミナ・ブラーナ》





前座の「ガランタ舞曲」は現在はスロバキアの「ガランタ」という地方の民謡(実質はロマの音楽)を素材にしているだけに、大げさな哀愁に満ちた、情緒溢れる、まさしく「ロマ」ンチックな音楽で、初聴きでも抵抗感なく楽しめる。が、実際は7年半前に聴いていたことを忘れていたよ。滅多に演奏されないものなあ。

「カル・ブラ」が傑作。この曲は誰が指揮しようとどのオケが演奏しようと、まず楽しめないことはない。
オルフはドイツ人だが、この音楽はどこの音楽だろう?これもやはり、ロマと地続きの音楽ではないだろうか?とハンガリーに縁の深いコバちゃんに無理に結びつけたようだけど、彼は得意なんだと思う。こういう土着の俗謡から成るリズミックで華々しい音楽が。

「ガランタ」は「ガラクタ」状況だったのに、「カル・ブラ」では、コロナ以降僕が聴いた範囲では最大規模(126名)の合唱団が、ガンガン歌うので、オケの不調は全く気にならなかった。いや、調子を戻していたのかもしれないが、管打鍵盤楽器も賑やかだし、独唱陣も(ほぼBrの独擅場だが)頑張りを聴かせて、良いも悪いも、とにかく盛り上がった。

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「カル・ブラ」の大判の歌詞集が、プログラムとは別に配られた。親切とは言えるが、読みたい人は、事前に目を通すか、家に持って帰って読むとかすればいいのに、僕の席のまわりでは数人がその大判の歌詞集を演奏に合わせてめくっていた。
プログラムのサイズならそっとめくれば音はしないが、今日のように大判でペラペラだとどうしても隣人に聞こえるような音がする。

僕は、演奏中の音のマナーにはあまり拘らない方だけど、今日のはちょいと気になったな。

やはり、プログラムに印刷しておけばよかったよ。

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今日は、横浜定期の振替だった。いつものように振替席は楽しくない。1桁列で、右翼席だった。中央も空いていたのに。

とにかく、目線の先はVaの第2Pと第3Pとの間だ。
目に入るVaは裏側ばかりが見える。
チェロはほぼ側板ばかり。
その代わりVn1-2は16+14がしっかり飛んでくる。
これでは弦のバランスはひどい。

ガランタ舞曲が僕の耳には雑音のように聴こえたのは半分は席のせいだ。半分は高域弦がキャンキャン言っていたからでもあるが。

やはり、席はこだわりたい。
定期を減らして一回券で好きなものだけ聴くたって、今日のような席だと金返せレベルだ。

やはり、定期で良席を死守しないといかんな。

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今日のコバちゃんの熱演も楽しかったよ。
でも、忘れられない「カル・ブラ」はNHK音楽祭2018でのPヤルヴィ+N響だ。

Spが前年新国で「ルチア」を歌ったペレチャッコ。
合唱は児童合唱+新国入れて130人。

プログラムも洒落ていて、
ドビュ〜「牧神〜」に続いて、オルフ「踊る牧神<日本初演>」、「カル・ブラ」と尻取り遊びのような緊密に繋がった構成に魅了されたが、何といってもN響の演奏が神がかり。

聖の世界から生の世界、そして性の世界と、正に聖俗の混交だ。
宝箱のようなおもちゃ箱をひっくり返したように次から次と刺激的で官能的で、土俗的で、時に天上の音楽が繰り出され、聴いている側も息をつく間もないめくるめく感興に振り回される。

圧倒、圧巻、感動、最高~なんて賛辞を軽々に使いたくないが、この演奏に使わずしてどこで使う?
パーヴォ・ヤルヴィの緩急自在な棒にオケも合唱もピタリと合わせて見事。聴きながら幸福に浸りオルフがこの作品を残してくれた事に感謝せずにおれなかった。

名演は、鑑賞のハードルを上げてしまって、幸福はだんだんと狭まる。

♪2023-189/♪サントリーホール-22

2021年12月20日月曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会 2021「第九」❹

2021-12-20 @東京オペラシティコンサートホール



鈴木秀美:指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:二期会合唱団

ソプラノ:森谷真理
メゾソプラノ:中島郁子
テノール:福井敬
バリトン:萩原潤

ベートーベン:序曲「レオノーレ」第3番 作品72b
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125

鈴木秀美の「第九」は昨年も聴いているが、「運命」では疾走するのに、「第九」では案外フツーだ。

しかし、今日は非常に好ましい演奏だった。新日フィルがこんなにうまいのか!と思ったよ。いつも聴くすみだトリフォニーとは格段に力強かったのはホールの響きの良さもあるのだろう。


今季4回目の「第九」。これ迄で一番弦編成は大きかった(12-10-8-7-6)とはいえ僅かな違いで、それが演奏に反映したとは思えない。


全体にメリハリが良かった(全66分弱)。

終楽章の低弦のレシタティーヴォはとても独自で、「朗唱」というより「啖呵」を切っている感じだ。

前3楽章の主題を否定する勢いに説得力がある。


帰途の車中で、スマホに入っている5人の指揮者の「第九」から当該部分だけ、演奏を聴き比べたら、特に似ているのはトスカニーニで、まるで喧嘩腰なのが面白い。


もちろん、朗々と詠うのも悪くない。全体の音楽の中ですんなり収まれば色々あって面白い。


合唱は二期会32人。もちろん NoMask。

舞台後方中央に独唱4人。その左右に合唱団。

つまり独唱と合唱が重ならなかったのもいい。そして今日の独唱陣が良く響いた。

特に森谷・福井はここぞとばかりの声量。


惜しむらくは弦奏者が5人ほどマスクしながら演奏していた。

残り全員 NoMask なので、何とかならなかったかなあ。


♪2021-160/♪東京オペラシティコンサートホール-1

2018年12月14日金曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団「第九」特別演奏会2018 ---「第九」❶

2018-12-14 @サントリーホール


アントニ・ヴィット:指揮
栗山文昭:合唱指揮

新日本フィルハーモニー交響楽団
栗友会合唱団:合唱

室住素子:オルガン*
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盛田麻央:ソプラノ
中島郁子:アルト
大槻孝志:テノール
萩原潤:バリトン

J.S.バッハ:トッカータとフーガ ニ短調*
ピエトロ・アレッサンドロ・ヨン:ユモレスク*
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ベートーベン:交響曲第9番短調「合唱付き」作品125

アントニ・ヴィットという指揮者は初めて。せっかくの新日フィルなら上岡敏之で聴きたかった。何年か前に読響で「第九」を振った演奏はスリリングでテンション高く、もう一度聴いてみたい演奏の一つだ。
ヴィットの指揮ぶりに関していえば、テンポは中庸だった。特段速くもなく、遅くもない。プログラム記載の予定時間は75分と書いてあったのでかなりゆっくり振るのかと思っていたが、そうではなく、実際にも各楽章の演奏時間を積み上げたら66分弱だった。楽章間のポーズはほとんどないに等しかったからそれを含めたところで66分±10秒くらいか。

また、演奏の色付けにもテンポの変化にもこれといったクセはなく、嫌味もなく、個性がにじみ出やすい第4楽章低弦のレシタティーヴォもごく素直でひっかかりのない音楽で、要するに外連味を抑えた真っ当な指揮ぶりだった。こういう点は大いに好感を持った。
それでいて、第3楽章から第4楽章への繋ぎはほんの一呼吸の間を置くや否やの突撃で、この辺りも心憎い。

変わった点といえば、オーケストラや合唱の配置だ。

合唱団は舞台の後方、オケの後ろに並んだ。オルガン前のP席を潰した訳ではない。これはよくあること、というより、舞台後方席(P席)のないホールではそうならざるを得ないし、P席があってもこれを潰さずに客席として使い、合唱団は舞台に並ぶ場合も珍しくない。
しかし、合唱団が、声部毎の縦横集団で並ぶのではなく、横に並んだ。つまり最前列は多分ソプラノが横一線に並び、その次の列はアルトが一列に、その後ろはテノール、最後列がバリトンなのだろう。栗友会では常にこういう形なのかもしれないが、僕には初めて見る形だった。なかには、男女・声部混在で並ぶ例も見たことがあるからそれに比べると分かりやすいが、果たして、声楽的にどういう効果があるのだろう。声部毎にまとまった集団配置の方が立体感が出るのではないかと思うが、よく分からない。

ともかく、舞台後方に合唱団が並び、合唱団は4段になるようなひな壇が用意されていた。
その前方にオケが並ぶが、普段はひな壇の上に並ぶ管楽器・打楽器が今日の新日フィルでは弦と同じ平場に置かれた。
これがよく分からない。管打を高く配置した方が客席に対する音の抜けがいいはず。また、そうすることも(合唱団を一層高く配置することで)不可能ではなかったはずなのに。

弦は14型(第1バイオリン14人。この場合の弦5部の標準は総計50人になるが、今日の新日フィルはまさしくこの人数だった。)。「第九」といえば、16型が多いように思うが、14型だってちっともおかしくない。むしろ、すっきりしていいと思う。そして舞台に並びきれない数ではない。この50人を平場に置いて管打楽器を2〜3段のひな壇に置き、さらに合唱をその上に2〜3段積むことはできなかったのだろうか。

これまでサントリーで何度もいろんなオケの「第九」を聴いてきたが、合唱団やオケのこの配置の点で疑問に思ったことは一度もなかったが、これまで聴いたきたのは一体どういう配置だったのだろう。少なくとも昨年のN響「第九」では合唱団はP席に配置されていたから、オケもゆとりを持ってひな壇付きだったはずだ。

さて、えらくこだわるようだが、弦と管打共に平場に置かれたために、一階席からは弦に隠れて管・打楽器が見えない。見えないということは音の通りもよくないということだ。
事実、管楽器は弦楽器に埋もれてしまっていた。特にホルンなど、もやもやとしてメリハリがつかない。

このオケの実力なのか、こういう配置のせいなのか、ホールの欠陥なのか、それらの複合なのか、全体に音の響きに透明感が乏しく、キンキン鳴るかと思えば、ぼんやりともやがかかったような響きに終始した。

さて、合唱団はオケの前に入場した。
独唱は第2楽章の後に入場する例が多いが、今回はそこでは入場しなかった。ということは、第3楽章の後に入場のためのポーズを置かなくてはいけないことになる…てことは、第3楽章から終楽章へ間髪入れず雪崩れ込む、という快感が得られないではないか、と思っていたが、どっこい、先述したように第3楽章の最後はほとんどアタッカのように終楽章に入ったのだ。
では独唱者たちは合唱団に紛れて隠れていた?な訳はない。

なんと、終楽章が始まって約7分後、バリトンのソロが始まろうとしていたその時に声楽独唱者4人が下手袖から静かに入場した。下手には4人分のひな壇が設けてあり、そこにバリトン以外の3人が着座するや否や(バリトンは着座する間も無く)例の「おお友よ〜」を歌い出したのにはびっくりした。
こういう声楽ソロの入り方は初めての経験だが、無駄がなくていい。音楽の緊張感を損なわないでとても良かった。

しかし、演奏全体をみれば、何やらザワつきが消えず透明感乏しく60点といったところか。

今年は12月中に8回も「第九」を聴くので、点数評価をすることにした。
まずは、60点から始まったが、これを基準として、さて、100点満点は出るだろうか?


♪2018-169/♪サントリーホール-14

2015年12月13日日曜日

第50回 クリスマス音楽会「メサイア」全曲演奏会

2015-12-13 @県立音楽堂


小泉ひろし:指揮

市原愛(ソプラノ) 
上杉清仁(カウンターテナー) 
中嶋克彦(テノール) 
萩原潤(バリトン)
長久真実子(チェンバロ) 
宇内千晴(オルガン)

神奈川県合唱連盟、音楽堂「メサイア」未来プロジェクト(神奈川県立海老名高等学校、湘南高等学校、大和西高等学校)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ヘンデル:オラトリオ「メサイア」HWV56


ここ3年はずっとみなとみらいホールで開催される昭和音大のメサイアを聴いていたが、今年はほかのコンサートと重なってしまい、残念ながら、と言っちゃ失礼だけど、音楽堂のメサイアにした。

というのも、昭和音大のオケも合唱団も大規模かつハイレベルで大いに満足していたから。

音楽堂のメサイアは今年で50年だというのに、僕は今回が初めてだった。もともと、アマチュアの合唱団の集まりである神奈川県合唱連盟が始めたことらしい。この中には高校生も混じっていて、最初は「ハレルヤ・コーラス」と「アーメン」(終曲)だけの参加(を許された?)だったが、徐々に曲数が増えてゆき、昨年は第2部後半の33曲目以降をすべて歌い、今年ついに全曲を歌うことになったそうだ。そういう意味では記念の、そして50回という節目の公演を聴くことが出来たのは良い思い出になるだろう。

ちなみに高校生は、県下の4校から数十人が加わったようだが、正確な人数は分からない。オトナの合唱団を含め、舞台上にはざっと数えて215?人くらいかな。
音楽堂の舞台から溢れそうだった。

4人の声楽ソリストはプロで、ソプラノの市原愛は夏のミューザの「第九」でも登場していたのを覚えている。

オケは神奈川フィルだが、全員で27名?という極めて小規模だ。
周りに大合唱団が覆いかぶさるように並んでいるので余計にこじんまりと見えた。
そのメンバーだが、どうも覚えのない面々だった。
定期演奏会に出てくる人なら少なくとも弦の首席クラスや管打楽器なら見覚えがあるはずなのに。
二軍なのか。それとも特定分野を担当するエキスパートかな。
というのも、プロに向かって恐れ多いが、演奏は上手だと思った。これといって破綻は無かった。
そして、トランペット以外はモダン楽器で、そのトランペットもピリオド楽器ではなくてモダンのピッコロ・トランペットの類だったかもしれない。が、演奏スタイルはピリオド奏法なのだろう。ビブラートは極めて少なかった。そういう方面の演奏に長けている人が集められているのかもしれない。

元々残響の短いホールで、小規模オーケストラ。そしてビブラート極少なので、楽器音はとても乾いた響だが、ヘンデルの時代はまさにこういう音だったのだろうな。


指揮の小泉ひろしという人のことは名前も知らなかったが、この音楽堂メサイアを過去23回振り、今回が24回目だそうだ。
今回は昭和音大から浮気したが、なかなか聴き応えあって、来年は、できれば両方聴きたいものだ。


♪2015-105/♪県立音楽堂-13

2014年12月27日土曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第103回

2014-12-27  @ミューザ川崎シンフォニーホール


秋山和慶:指揮

秋山和慶:チェンバロ*
神尾真由子:ヴァイオリン*
安井陽子:ソプラノ
清水華澄: メゾ・ソプラノ
与儀巧:テノール
萩原潤:バリトン
東響コーラス:合唱

ビバルディ:「四季」~春&冬*
ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 Op125 「合唱付き」



このシーズン5回目の「第九」にして今年最後のコンサート。
有終の美を飾って欲しいところ。

指揮は東響の顔とも言える御大、秋山和慶。
コンマスはこちらも東響の顔、大谷康子。
バイオリンソリストが若手バイオリニストのホープ、神尾真由子。
…と役者が揃った感じで大いに期待していたのだけど、うーむ。

「第九」のコンサートは1本立てでいいと思うのだけど、ビバルディのバイオリン協奏曲「四季」から春と冬が前置された。
やるなら全曲やって欲しいところだけど、中途半端だ。

管弦楽は弦楽器のみ20人に指揮者が兼任するチェンバロが加わっただけの極めて小編成。実際にビバルディが作曲した当時はこんな程度だったのだろう。
これに神尾真由子のソロヴァイオリンが加わるが、ソロはもちろん、伴奏(協奏というべきか)の各パートもくっきりとして新鮮な感じで聴くことができた。

<ミューザ提供>

ソロパートの節回しに普段聴き馴染んでいるものと違うようなところを感じたのは普段聴こえていない音を聴いたからだろうか?トリルなどの装飾音の奏法が違ったのか、それとも気のせいだろうか。
神尾真由子のバイオリンは、ここぞというところでは大きな音が出るものだ。ソリストはなにより音量が大事だけど、楽器の良さもあるだろうが、全身を楽器にして絞りだす音に迫力がある。かと思えば、微細加工も怠りない。幾多のコンクールを制覇し、とりわけチャイコフスキー・コンクール第1位というのはなるほどこういうものかと、耳の保養になった。
<ミューザ提供>

さて、「第九」だ。
実は、「四季」のときから感じていたのだけど、いつもの東響の音じゃないように思ったのは「四季」ではオケの編成があまりに小さいためではないか、と思っていた。
しかし、「第九」でもやはり、どうも違う。音のまろやかさが違うなあ。どうして?

いや、音の問題だけではなく、わずかながら生理的に違和感があった。
微妙な間の取り方などが、自分の脳内で流れている音楽と完全シンクロしないからだ。どうして?

<ミューザ提供>

「第九」の、「第1楽章」と「部分的に第1楽章を再現する第4楽章」の一部にとても危なっかしいところがあると感じている。
緊張感を失うと空中分解してしまいそうな場所がある…と思っている。
でも、普段は、それを感ずることはない。
音楽に違和感を感じた時だけ、その失速しそうな危うさを嗅ぎとってしまうみたいだ。
滅多に無いことだけど、今日は感じてしまったなあ。それが引っかかって最後までとうとう気持ちが盛り上がらなかったのが残念。

でも、この原因は僕の側にあるのだろう。13日からの15日間で「第九」を5回も聴いたということは3日に1回は聴いたということだ。僕の脳内は異常に敏感になっていたのかもしれない。

<ミューザ提供>

「第九」が終わった後のカーテンコールのさなかに楽団員が譜面台にアンテナのようなものを取り付けているのを発見。何かあるな、と思っていたら、カーテンコールもひととおり山場を過ぎると声楽ソリストも元の場所に戻り、音楽が始まった。
アンコールというより一年の最後を締めくくるという意味だろう、合唱団とソリストたちによる「蛍の光」がオーケストラ伴奏で始まった。途中から館内の照明が落ちると、合唱団やソリストは手に持っていたカラフルなLEDライトを一斉に点灯した。譜面台に取り付けたものもLEDライトだった。
これがなかなか幻想的でよかった。
青色ダイオードのおかげだよ。
そういう意味では2014年掉尾を飾るにふさわしかったかも。

余談:
声楽がどこで登壇するか?シリーズ。
合唱団は全員冒頭から着座した。
ソリストは、やはり、第2楽章が終わったところで入場し着座した。
この入場に関して、曲の始まる前に「指揮者からのお願い」が館内放送された。
音楽の緊張感を維持するために、第2楽章終了後ソリストが入場するが、拍手はご遠慮いただきたい、ということだった。
宗教音楽でもあるまいしそんなにテンションを高めなくともいいかとも思うけど、そこまでする以上、第3楽章と第4楽章は切れ目なく演奏するのだな、と受け取ったが、果たしてそのとおりだった。
間髪入れず第4楽章になだれ込んだ。「第九」はこうでなくちゃ。


♪2014-121/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-13