2018年11月30日金曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第345回

2018-11-30 @みなとみらいホール


パスカル・ヴェロ:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

大島亮:ビオラ(神奈川フィル首席奏者)*

イベール:交響組曲「寄港地」3つの交響的絵画
ハイドン:交響曲第44番ホ短調 Hob.I:44「悲しみ」
ベルリオーズ:「イタリアのハロルド」〜独奏ビオラ付き交響曲 作品16*

パスカル・ヴェロは仙台フィルの常任指揮者らしいが、仙台フィルを含め、神奈川フィル以外のオケと組んだ演奏は聴いたことがない。
神奈川フィルとの演奏を聴くのは今回で3回目。
過去2回は全作品がフランス音楽で、フランス人であるパスカル・ヴェロにとっては得意分野だったからかも知れないが、いずれも満足度が高い演奏会だった。
それで、パスカル・ヴェロにハズレ無し、と何となく思っていたのだが、今回もフランスもの2曲のほかに初めてハイドンが入った。果たして、「〜ハズレ無し」は的中するのか。

今日の3曲はナマで聴くのは何れも初めて。
先ずはイベールの「寄港地」。これがとても良い。弦がとてもきれいだ。音楽も好みのタイプ。良い出だし。

問題のハイドン。
弦の編成はぐっと小さくなって、弦5部で36人?これにオーボエ2、ホルン2、ファゴット1が加わった、オーケストラ定期としては珍しい小規模編成だ。これでもハイドンが指揮した当時の宮廷楽団よりは大きな編成だったろう。

その編成が功を奏したか、神奈川フィルとしては今年最高かと思わせる<管弦>楽の魅力と合奏力の見事さに刮目した。気持ち良く透明感があって爽やかなアンサンブルだ。

「イタリアのハロルド」ではふたたび大編成に戻って華やかな音楽絵巻を繰り広げてくれた。
この<交響曲>は、事実上ビオラの<協奏曲>だ。この形式自体が珍しい。
独奏ビオラの大島氏は神奈川フィルのビオラ首席だ。いつも縁の下の力持ちという役割に、今日は、晴れがましいライトが当たったが、オケのメンバーも仲間を祝おうというような気持ちで演奏しているのがよく分かって微笑ましいというか、見ている方も喜ばしい気持ちになった。


ところで、終楽章の終盤、チェロが1人上手袖に消えた。弦が切れたのだろうか...と思っていたら、今度はバイオリンから2人が下手に消えた。ええっ!時を同じくして3人の弦が切れるなんてあるのだろうか、と不思議に思っていたが、しばらくして舞台に戻り演奏に加わったようだが、間もなく終曲のクライマックスを迎えた。

合点がゆかなかったので終演後に神奈川フィルの人に聞いたら、あれは3人が舞台裏で、舞台上の独奏ビオラと弦楽四重奏を弾いていたというのでびっくりした。
あゝ、僕は何を聴いていたのだろう。ベルリオーズが工夫をした肝心の仕掛けを馬耳東風で聴き流してしまったのだ。「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われそう。

それにしても、バンダ(舞台外で演奏する別動隊)といえば、管楽器と決まっている、と思い込んでいたが、弦楽器のバンダもあるとは驚いた。次に「〜ハロルド」を聴く時は必ず注意しよう。でも、この曲滅多に演奏されないからなあ。

♪2018-158/♪みなとみらいホール-36

2018年11月29日木曜日

河村尚子「ベートーベン ピアノ・ソナタ・プロジェクト」第2回(全4回)

2018-11-29 @紀尾井ホール


河村尚子:ピアノ

ベートーベン:ピアノ・ソナタ
 第18番変ホ長調 Op.31-3「狩」
 第21番 ハ長調 Op.53「ワルトシュタイン」
 第24番嬰ヘ長調 Op.78「テレーズ」
 第23番 ヘ短調 Op.57「熱情」
-------アンコール
エリーゼのために

2年でベートーベンのピアノ・ソナタ14曲を弾くプロジェクトの2回目。

今日は18、21、24、23番(第1回は4、8、7、14番)だった。

前回のフィリア・ホールではピアノの響きに難を感じたが、今回の紀尾井ホールでは残響が程良くピアノという楽器の音自体も楽しめる。

渾身の演奏は、非常に速い弱音のフレーズでも玉を転がすように輝いて聴こえる。ダイナミック・レンジも広く感情表現は豊かだ。おそらく彼女が明確な意思で音楽を構成しているように思う。

前回も8番「悲愴」、14番「月光」というポピュラーな作品が選ばれたが、今回も21番「ワルトシュタイン」や23番「熱情」という人気曲が含まれた。人気曲ではあるけど、内容的にも演奏技術の面でも一段と高度になっているように思えるが果たしてどうなのだろう。

前半では1曲毎にいったん袖に引っ込んだが、後半は「テレーズ」が終わって一呼吸置いただけで、「熱情」を始めた。そこに気合や覚悟を感じたが、演奏もまさにPassionateな力強さに溢れていた。

また、音楽表現は指先にとどまらずキュートな表情も見える音楽だ。

♪2018-157/♪紀尾井ホール-1

2018年11月27日火曜日

新国立劇場オペラ「カルメン」

2018-11-27 @新国立劇場


指揮:ジャン=リュック・タンゴー
演出:鵜山仁
美術:島次郎
衣裳:緒方規矩子
照明:沢田祐二
振付:石井 潤

合唱⇒新国立劇場合唱団
管弦楽⇒東京フィルハーモニー交響楽団

カルメン⇒ジンジャー・コスタ=ジャクソン
ドン・ホセ⇒オレグ・ドルゴフ
エスカミーリョ⇒ティモシー・レナー
ミカエラ⇒砂川涼子
スニガ⇒伊藤貴之
モラレス⇒吉川健一
ダンカイロ⇒成田眞
レメンダード⇒今尾滋
フラスキータ⇒日比野幸
メルセデス⇒中島郁子

ビゼー:「カルメン」全3幕〈フランス語上演/字幕付〉

予定上演時間:約3時間35分
第Ⅰ幕55分
 --休憩25分--
第Ⅱ幕45分
 --休憩25分--
第Ⅲ幕65分

17年1月公演と同演出だが主要キャストはミカエラ(砂川涼子♡)以外は総変わり。
が、カルメン役もエスカミーリョ役も、それぞれの役が得意の声域ではないように思えた。低域が中高域に比べてすっきりと出ていない、地声風の箇所があった。

それに何より残念なのはカルメンに華やかさや妖しさが不足していた点だ。でも、これは、前回との比較でそう思ってしまうのであって、今回を初めて観た人には満足できたのかもしれない。

美術・衣装とも前回と同じだったが、第1幕のタバコ工場の女工たちが大勢登場するシーンの彼女達の衣装の色彩設計の妙に、今回は感心した。
4、50人居たろうか、その大勢の衣装の色合いが実に美しい。原色といえば白と黒だけ、それも極めて少ない。他の色合いはベージュを基調にした〜といってもカラフルではある〜とはいってもすべてパステルカラーの穏やかさ、渋さがある。
この色彩設計が衣装担当によってもたらされたのか、美術担当の仕事なのか分からないが見事で、このシーンは一幅の名画のようでもあった。これもオペラ観劇の楽しみの一つだなと得心した。もっとも前回はほかの事に気を奪われて衣装の色彩には気がつかなかったが。

いずれにせよ、次々と繰り出されるお馴染みの名曲・名旋律。
「カルメン」は頭から尻尾まで餡が詰まった鯛焼きの如し。


♪2018-156/♪新国立劇場-12

2018年11月25日日曜日

平成30年度(第73回)文化庁芸術祭協賛 平成30年11月特別企画公演 正蔵 正蔵を語る10

2018-11-25@国立演芸場


落語          金原亭駒六⇒手紙無筆
落語          林家たま平⇒高砂や
曲芸          翁家勝丸
落語          林家正蔵⇒一眼国
落語          柳家権太楼⇒猫の災難
    ―仲入り―
紙切り        林家正楽
落語           林家正蔵⇒小間物屋政談

今回は、寄席の定席(じょうせき)ではなく、特別企画公演だ。平成20年からほぼ毎年1回開催されていて、今回がキリ良く10回目。
ということは、これまで何度も機会があったのに見逃していたとは残念無念。定席(月2回の上席と中席)だけでは、好みの噺家も1男に1度くらいしか聴くことができないので、民間の寄席を回るとかホール落語などを調べてみるとかすればいいのだろうが、なかなかその暇が無いのでアル。

正蔵は初代三平の長男。若い頃は失策多く芸も評価が低かったようだが、襲名後は正統派古典落語で(こぶ平時代の落語を聴いたことがないが)腕を上げたようで巧い。しかも、巧さを感じさせないのがいい。好きな噺家の一人だ。
できたら、もう少し大掛かりな作品を聴きたかったな。「文七元結」とか「唐茄子屋政談」など。「柳田格之進」なども正蔵がやればどんな感じだろうか。是非とも聴いてみたいものだ。


権太楼もベテランの格別の味でおかしい。初めてではないけど、こんなにうまい噺家だとは思っていなかった。寄席に通う楽しみが増えた。


♪2018-155/♪国立演芸場-18

2018年11月24日土曜日

N響第1899回 定期公演 Aプログラム

2018-11-24 @NHKホール


広上淳一:指揮
NHK交響楽団

鈴木優人:オルガン*

バーバー:シェリーによる一場面のための音楽 作品7
コープランド:オルガンと管弦楽のための交響曲*
アイヴズ:交響曲第2番
-----アンコール-----
J.S.バッハ:我ら苦難の極みにある時も BWV641*

20世紀前半のアメリカ音楽3本立て。

客演コンマスは白井圭。11月9日の日フィル定期でグラズノフとショスタコーヴィチの壮烈な大曲を演奏した際も彼が客演コンマスだった。13日のクラシック・マチネ〜トリオ・アコードでのブラームスのピアノ・トリオ全曲演奏会でも彼の演奏を聴いているので、ここ2週間で遭遇は3度目だ。オケからの信頼も厚いのだろう。

チェロの首席も日フィルの辻本玲で、ストラディヴァリウスの美音が響いた。

独奏客演オルガンは鈴木優人。腕前は一流だろうが、NHKホールのオルガンの音がイマイチ。作曲家の意図なのかもしれないが、まるで昔の小学校の足踏みオルガンに拡声器をつけたような深みに欠ける音だ。広い会場に鳴り渡る深々とした響きが欲しい。でなければ、パイプオルガンを使う意味がないではないか。
アンコールで弾いたバッハでは全然違和感がなかったので、個人的には不本意ながらコープランドはそういう音色のオルガンを求めたのかもしれない。

指揮も客演の広上淳一。

今日の3曲は全曲初聴きとは言え、いずれもそこそこは楽しめる作品だった。ただし、アイヴズの交響曲の冒頭、弦楽合奏の聴き苦しさは作曲家が音を重ね過ぎた為か、演奏技術の限界か、リハ不足?N響らしからぬ音だったのは残念。

♪2018-154/♪NHKホール-11

2018年11月23日金曜日

山手プロムナードコンサート第38回 J.S.バッハ:チェンバロ協奏曲全曲演奏会①

2018-11-23 @みなとみらいホール


器楽アンサンブル(古楽器使用)ザ・バロックバンド
バイオリン:丸山韶、渡邊慶子 
ビオラ:深沢美奈
チェロ:山根風仁
ビオローネ:諸岡典経
リコーダー:太田光子、江崎浩司

チェンバロ:渡邊順生、崎川晶子、鴨川華子、渡邊孝

J.S.バッハ:
3台のチェンバロのための協奏曲第1番ニ短調BWV1063
2台のチェンバロのための協奏曲第2番ハ長調BWV1061
1台のチェンバロのための協奏曲第6番ヘ長調BWV1057
1台のチェンバロのための協奏曲第1番ニ短調BWV1052
4台のチェンバロのための協奏曲イ短調 BWV1065

J.S.バッハのチェンバロ協奏曲全15曲を3回に分けて演奏しようという企画の第1回。
チェンバロ1台〜4台と古楽器・弦5部各1本、曲によっては、ビオローネ、リコーダーが加わる小編成の作品ばかりが計5曲だった。

馴染みの少ない分野だが、1曲(BWV1061)だけがチェンバロのために書かれたオリジナルで、残りは、自作・他作からの編曲だそうで、どうりで聴き覚えのある作品が多かった。
最後に演奏されたBWV1065はビバルディの協奏曲集「調和の幻想」からの編曲だそうだ。

いずれも典雅な響が心地良い。

ただし、チェンバロの音は小さいから、4台も並んだらどれが何を弾いているのかよく分からない。
弦5部が各1本の編成であっても、その音圧はチェンバロ4台を凌ぐ。これではこういう形の音楽が衰退していったのは無理もない。

♪2018-153/♪みなとみらいホール-35

読売日本交響楽団第107回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2018-11-23 @みなとみらいホール


デニス・ラッセル・デイヴィス:指揮
読売日本交響楽団

ハリエット・クリーフ:チェロ*

ニールセン:歌劇「仮面舞踏会」序曲
エルガー:チェロ協奏曲ホ短調 作品85*
シベリウス:交響曲第1番ホ短調 作品39
-----アンコール
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番からサラバンド

ハリエット・クリーフというチェリストは初めて聴いた。
エルガーのチェロ協奏曲は力強いカデンツァ風のチェロ独奏で始まるが、その音量不足で抱いた不信感は最後まで払拭できなかった。ラストも読響の圧倒的な音圧に埋もれてしまった。音はなかなかきれいなのだけど、体調が悪かったのか、元々非力なのか。

ソナタや室内楽などでは力を発揮するのではないかと思ったが。
また、彼女が弾いたアンコールのバッハの無伴奏が独自的過ぎで驚いた。かつて聴いたことがないようなフレージングだった。あの楽譜から、どうしてこういう演奏になるのか、不思議だ。

シベリウスの交響曲第1番は2管編成に比べ弦の編成は見た目過剰感のある16型だったが、良く鳴るホールで大規模編成が違和感なく偉力を発揮した。

♪2018-152/♪みなとみらいホール-34

2018年11月22日木曜日

日生劇場会場55周年記念公演 NISSAY OPERA 2018 モーツァルトシリーズ『後宮からの逃走』

2018-11-22 @日生劇場


指揮:下野竜也
演出:ギー・ヨーステン

管弦楽:東京交響楽団
合唱:二期会合唱団

セリム:大和田伸也
ベルモンテ:金山京介
ペドリッロ:升島唯博
コンスタンツェ:松永知史
ブロンデ:冨平安希子
オスミン:加藤宏隆

モーツァルト作曲 オペラ『後宮からの逃走』全3幕
(原語[ドイツ語]上演・日本語字幕付)(セリフの一部は日本語)
台本:ゴットリーブ・シュテファニー

予定上演時間:約2時間25分
第Ⅰ、Ⅱ幕 80分
 --休憩25分--
第Ⅲ幕 40分

今季のNISSAY OPERAはモーツァルト4作。
所謂4大歌劇から「フィガロの結婚」に代えて「後宮〜」が入った。
「魔笛」、「ドン・ジョヴァンニ」、「コジ・ファン・トゥッテ」については、音楽はともかく、物語になかなか納得できないので、どうにもカタルシスが得られない。その点、本作の物語はおおむね腑に落ちるし、無理なく幕が閉まるのがいい。

物語で重要な役割を果たすトルコの太守・セリム(後宮の主)には歌がない(このオペラ自体が、歌付き芝居=ジングシュピールと呼ばれていて、セリフ劇の中に歌も登場するので、もっぱらセリフのみ受け持つ役も興行的に必要だったのではないか。J.シュトラウスⅡの喜歌劇=オペレッタ「こうもり」でも看守役には歌がなく、その役は有名な喜劇役者が演ずることが多いようだ。)。
歌のないセリムのセリフだけ日本語(部分的にはドイツ語のやり取りもあった。)というのも変だが、ここを日本語にしなくちゃ大和田伸也という舞台役者を登用する意味は無いのだろう。

美術・舞台装置は良かった。
日生劇場では、舞台があまり広くないので大掛かりな舞台装置を配置することはできない。その制約との戦いの中で色々なアイデアを巡らすのだろう。その出来栄えに感心することが多い。

今回も、シンプルな装置だった。
4つ折りの屏風のような構造物を4角に畳んだり3角に畳んだりして場面が変わる。
特に2、3幕との差で終幕が実際以上に豪華な後宮に見えるのが面白い。

欲を言えば、幕切れの演出に工夫がほしかった。セリムは復讐に走ってもよいはずだが、寛大な心で若者たちを後宮から逃走させてやる。立派な行いであるが、その心情がうまく描かれないと、取ってつけたような安易な「まとめ」になってしまう。今回もちょっとそんな気がした。


♪2018-151/♪日生劇場-04

2018年11月21日水曜日

東京都交響楽団 第864回 定期演奏会Aシリーズ

2018-11-21 @東京文化会館


ミヒャエル・ザンデルリンク:指揮
東京都交響楽団

河村尚子:ピアノ*

クルト・ワイル:交響曲第2番
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第1番変ニ長調 op.10*
ショスタコーヴィチ:交響曲第6番ロ短調 op.54
--------アンコール
プロコフィエフ:10の小品 作品12-7「前奏曲」*

今日のプログラムは、クルト・ワイル:交響曲第2番<初演1934年-演奏時間28分>、プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第1番<同12年-16分>、ショスタコーヴィチ:交響曲第6番<同39年-31分>と、

いずれも20世紀前半に活躍した作曲家の作品で、
いずれも3楽章で構成され、
いずれも比較的演奏時間が短い。

第1曲めは途中からまどろんだ。現代作品と言っても「3文オペラ」など軽いものも書いた人で、小難しい音楽ではなかったが、初聴きだし特に魅力を感じないまま、うつらうつらとしてしまった。

第3曲めのショスタコーヴィチの交響曲第6番。
これは近年の鑑賞記録には無いので、これもナマでは初めて聴いたのかもしれない。
超有名な第5番の香りを残しつつも全体として軽い。都響の演奏もこれが一番まとまりがあったように思う。

何と言っても一番楽しみだったのはプロコフィエフだ。
特にこのピアノ協奏曲第1番が好きなのではない。ソリストの河村尚子のファンなので彼女が弾くなら何だって聴きたい。

舞台に登場するところからチャーミング。
愛嬌のある顔に満面の笑みを浮かべて背筋を伸ばし、大股で舞台中央に。コンマスらと握手をし、オケにも愛想を振りまいてから客席に向かって深々と一礼。その辺まではキュートな笑顔だが、音楽開始とともに表情は一変する。

完全に音楽の世界に入魂した表情だが変化が目まぐるしく、その表情を見ていると音楽の表そうとしているものがそのままに伝わってくるようだ。
女性ピアニストの中には演奏中に高尚な苦悩の表情を浮かべる人も少なくないが、河村尚子の表情は次元が違う。

鋭いタッチ、コロコロと鍵盤を転がるしなやかな指は思い切りピアニシモでもフォルテシモでも一音一音を疎かにしていないことが分かる。とても繊細なタッチだが、ここ一番では椅子からお尻が上がる。そのダイナミズムも魅力だ。
わずか16分の作品だったが、中身は濃かった。

♪2018-150/♪東京文化会館-06

2018年11月19日月曜日

平成30年度(第73回)文化庁芸術祭協賛 国立演芸場11月中席

2018-11-19@国立演芸場


落語          立川吉幸⇒寿限無
歌謡漫談    東京ボーイズ
落語          三笑亭夢丸⇒納豆屋
漫才          東京丸・京平
落語          立川談幸⇒二番煎じ
    ―仲入り―
講談           神田紫⇒春日局〜奴さん〜
落語           桂米福⇒長命
曲芸           ボンボンブラザース
落語           三笑亭茶楽⇒明烏

11月の興行は芸術祭協賛と銘打たれているがそれは名ばかり。
ルーティンのやっつけ仕事みたいな芸が多かった。
二ツ目の立川幸吉は滑舌は良いが「間」が無いので聴き辛い。

曲芸のボンボンブラザーズはいつも同じ芸だが憎めない。
漫才が2本。東京ボーイズもいつものように冴えないが、東(あずま)京丸・京平は酷い。引退を勧告するよ。

せめてものトリの茶楽には味わいがあった。


♪2018-149/♪国立演芸場-17

2018年11月17日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第344回

2018-11-17 @みなとみらいホール


ロリー・マクドナルド:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

エルガー:序曲「南国にて(アラッシオ)」
ワーグナー/フリーヘル編:楽劇「ニーベルングの指環」 
 -オーケストラル・アドベンチャー-
 序夜:『ラインの黄金』
 ♪01前奏曲
 ♪02ラインの黄金
 ♪03ニーベルハイム
 ♪04ヴァルハラ

 第1日:『ワルキューレ』
 ♪05ワルキューレたち
 ♪06魔の炎

 第2日:『ジークフリート』
 ♪07森のささやき
 ♪08ジークフリートの英雄的行為
 ♪09ブリュンヒルデの目覚め

 第3日:『神々の黄昏』
 ♪10ジークフリートとブリュンヒルデ
 ♪11ジークフリートのラインへの旅
 ♪12ジークフリートの死
 ♪13葬送行進曲
 ♪14ブリュンヒルデの自己犠牲

今季・神奈川フィル定期(みなとみらい定期、県民ホール定期を通して)最大の楽しみが今日のワーグナーのフリーヘル編「ニーベルングの指環」オーケストラル・アドヴェンチャーだった。

一昨日のウィーン・フィルの「神々の黄昏」抜粋版がもたらす夢見心地は30分で覚めたが、フリーヘル版は「指環」4部作(演奏は4日間にわたり、計15時間を要する。)を網羅しているだけあって60分強のノンストップ興奮の旅だ。
この熱い期待に応えて、近年好調の神奈川フィルの演奏も緩みなくほぼ完璧だった。

高域弦の透明さ不足を除けばウィーン・フィルも吃驚の迫力。
「〜黄昏」の中で有名な「ラインの旅」のホルンソロが確実に決まって見事(Wフィルは1音外した)。

https://youtu.be/_MkMdlfl8Hg?t=3

欲を言えば、ハープ4台、ホルン9本、ティンパ2組など管打の大編成に対し、弦は変則14型?ここは各部あと1〜2プルト(プルト=譜面台。1本に付き奏者2名)ずつ増強してほしかった。

さて、余談になるが、指環の抜粋モノは数々あれど、全4部作を網羅した管弦楽版でノンストップ1曲にまとめ上げたのはこれしか無いのではないか。

2年前に都響定期で演奏したラインスドルフ版では「ラインの黄金」からは1曲も盛り込まれていなかった。尤も、この時は指揮者のアラン・ギルバートが手を加えた版だったので、彼が端折ったのか、元から入っていなかったのかは分からない(演奏時間約52分)。

4年前に東響定期では今日と同じのフリーヘル版を演奏して、これが素晴らしかった。今、プログラムを読み返したら演奏時間70分と書いてある。今日の神奈川フィルは60分と記載してあり、実演も61分だった。手持ちCDでは66分だ。すると、今日の神奈川フィルは少しテンポが速めだったのかもしれないな。

いずれにせよ、管弦楽を聴く喜びに満たされた名曲であり、名演奏ではあった。そして何より、ワーグナーがよくぞこの畢生の大曲を残してくれたものだと感謝する。

♪2018-148/♪みなとみらいホール-33

2018年11月15日木曜日

ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン2018

2018-11-15 @ミューザ川崎シンフォニーホール


フランツ・ウェルザー=メスト:指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
フォルクハルト・シュトイデ:バイオリン
ペーテル・ソモダリ:チェロ

ドボルザーク:序曲「謝肉祭」作品92 B.169
ブラームス:バイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 作品102
ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」~舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」第3夜から抜粋(ウェルザー=メスト編)
-----------------
J.シュトラウスⅡ:レモンの花咲くところ 作品364、
   〃     :浮気心 作品319

2年前に同じミューザでメータ指揮のウィーン・フィルを聴いた。その時がウィーン・フィルを聴いた最初だったが、期待したほどの音ではなかった。アンサンブルが分厚い、とは思ったがびっくりするような音質ではなかった。

そんな訳で、2年ぶりのウィーン・フィルが前回以上の素晴らしい音楽体験を与えてくれるか、多少の不安はあった。

しかし、第1曲「謝肉祭」の、冒頭の管・弦・打のTuttiがあまりに強烈で、しかも、音が濁っていないのに、まずは惹き込まれた。耳をそばだてていたが、弱音になっても、ほとんど問題なく、分厚いアンサンブルを響かせながら弦は透明感を維持していたので大いにホッとし、これなら全プログラムが高水準で楽しめるぞ、と確信できた。

「謝肉祭」の弦の編成は大規模だったが、完全な16型ではなかったように思う。自席からはバイオリン群は重なって見えるので、正確に数えるのが難しい。第1バイオリンが15本、第2バイオリンが13本のように見えた(1人で譜面台を見ている奏者が2人いたような気がした。)が、16+12だったのか、14+14だったのかもしれない。
ビオラ以下は16型の基本形に従ってビオラ12人、チェロ10人、コントラバス8人だったと思う。つまり、バイオリンがはっきりしないが、ほぼ16型だ。

ブラームスのダブル・コンチェルトでは、14型だったのではないか。少し縮小したが、ブラームスの協奏曲だから、そのほうがバランスがいいはず。

ソリストは、バイオリンがウィーン・フィルのコンサートマスター。チェロがウィーン国立歌劇場管弦楽団のソロ・チェリストで、有名なソリストではない(と思う。僕は彼らの名前を知らなかった。)が、腕前は一流なのだろ。むしろ、ウィーン・フィルを知り尽くしているのだから、オケとの呼吸はよく合うはず。

ブラームス最後の管弦楽作品で、オーケストレーションの集大成なのだろう。遠慮なく自分らしさを発揮した重厚な音楽で、独奏者の超絶技巧も、あまりそれらしく聴こえず、これみよがしの見せ場というか、アクロバティックな聴かせどころは少ないものの独奏楽器とオーケストラは溶け合って、深い世界へと誘っているように聴こえるが、果たして聴く側の耳がどれほど立派かによって表面の面白さにとどまっているのかもしれないと聴きながら葛藤していた。

欲を言えば、バイオリンの音がこの曲においてはやや繊細だったか。もっと図太い音でガリガリと脂を飛ばしてくれた方が、似合ったように思った。

今回の真打ちは、ウェルザー=メスト自らが「神々の黄昏」から抜粋した音楽を1曲の管弦楽作品にまとめたものだ。

4部作「ニーベルングの指環」全曲を網羅した管弦楽編曲(歌がないもの)はいくつか例があるが、今回は「〜黄昏」だけを対象に、その中で既に管弦楽曲として独立して演奏されることの多い「ラインの旅」と「ジークフリートの葬送行進曲」を軸に、前奏曲やフィナーレ部分などを加えていたように思ったが、自信はない。

「〜指環」は大好きな音楽だけど、「〜黄昏」だけでも休憩なしの正味演奏時間が4時間を超える大作だから、残念ながら、2曲以外の部分については確実にこの場面だ、というだけの確信は持てなかった。まあ、そんなことはどうでもいいことだけど。


特大編成の管弦楽が精緻なオーケストレーションを一瞬も緩むことなく、休むことなく楽劇の壮大なシーンを彷彿させてくれる。
演奏は、管・弦それぞれに美しいだけでなく、管と弦がこんなふうにも混じり合うのか、という驚きの響で溢れていた。

こんな素晴らしいアンサンブルで、この名曲を味わうという幸せに浸っていてもよいものだろうか、とさえ思った。

しかし、幸せは長くは続かない。
今回の編曲版は演奏時間30分に20秒ほど満たなかった。

フリーヘル編:楽劇「ニーベルングの指環」<オーケストラル・アドベンチャー>は全4部を網羅しているだけに演奏は60分〜70分も続く大曲だ。それをなんとなくイメージしていたのでまさか30分で終わるとは思っていなかったが、15時間の音楽を60分強でまとめているなら4時間の音楽を30分にまとめるのは上々なのかもしれないな。ともかく、ずっと聴いていたかったよ。

♪2018-147/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-22

2018年11月13日火曜日

みなとみらいクラシック・マチネ~名手と楽しむヨコハマの午後〜 トリオ・アコード

2018-11-13 @みなとみらいホール


ピアノ三重奏団「トリオ・アコード」
 白井圭:バイオリン
 門脇大樹:チェロ
 津田裕也:ピアノ

【第1部】
ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番ロ長調 作品8
-----------アンコール
ブラームス:ワルツ 作品39 から 第15番(ピアノ三重奏版)

【第2部】
ブラームス:ピアノ三重奏曲第2番ハ長調 作品87
ブラームス:ピアノ三重奏曲第3番ハ短調 作品101
-----------アンコール
ブラームス:子守唄(ピアノ三重奏版)

ブラームスのピアノ三重奏曲全曲という硬派の演目が、小ホールと言え1部・2部とも満席だったのには驚く。

「トリオ・アコード」は津田祐也ピアノ、白井圭バイオリン、門脇大樹チェロが編成。いずれも室内楽、オーケストラでも活躍しているが、3人一緒でトリオで聴くのは初めて。
また、ブラームスのピアノ三重奏曲3曲全曲を通して聴くのも初めてだった。

みなとみらいホールは小ホールの方も響きが良くて、個々の楽器の音も重なりも美しい。

門脇のチェロは神奈川フィルの首席なので数多く聴いているが、ソロとしての音の良さに驚いた。

白井のバイオリンは先日のラザレフ+日フィルの定期で、ショスタコーヴィチの交響曲第12番という凄まじい大曲コンサートの客演コンマスの大役を努めたが、なるほどその実力は室内楽でも存分に発揮された。力強い。

ブラームスのピアノ三重奏曲全曲(だけに限らないが)に共通するのは、牧歌的だったり、メランコリックだったりの分かり易い主題が、決してそのまま情緒に流れることなく禁欲的に昇華され、弾けそうで弾けないギリギリの情念がコントロールされるところにこそむしろブラームスの秘めたエネルギーを感ずることだ。それがブラームスの魅力の一つだと思う。

とても3人で演奏しているとは思えないような精妙で重厚なアンサンブルが響き渡る空間で、美音に癒やされ、少しはブラームスの心境に近づけたような気もしたが。

♪2018-146/♪みなとみらいホール-32

2018年11月11日日曜日

日生劇場会場55周年記念公演 NISSAY OPERA 2018 モーツァルトシリーズ『コジ・ファン・トゥッテ、あるいは恋人たちの学校』

2018-11-11 @日生劇場


指揮:広上淳一
演出:菅尾友

管弦楽:読売日本交響楽団
合唱:C.ヴィレッジ・シンガーズ

フィオルディリージ:髙橋絵理
ドラベッラ:杉山由紀
フェルランド:村上公太
グリエルモ:岡昭宏
デスピーナ:腰越満美
ドン・アルフォンソ:大沼徹
ほか

モーツァルト作曲 オペラ『コジ・ファン・トゥッテ、あるいは恋人たちの学校』全2幕
(原語[イタリア語]上演・日本語字幕付)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

予定上演時間:約3時間30分
第Ⅰ幕 95分
 --休憩20分--
第Ⅱ幕 95分

日生劇場で初めてオペラを鑑賞したのは約40年前のことで、出し物が「コジ・ファン・トゥッテ」だった。友人と一緒だったので、終演後、銀座のライオンでワイン等を飲みながら熱く語り合ったことが、つい、この間のようでもある。

分かり易い筋書きが簡明で美しい音楽に載せて非常に混乱させる物語を紡ぐ。
このオペラ、観る度に話が腑に落ちることを期待するが、落ちた試しはない。

ダ・ポンテとモーツァルトはコメディのつもりで作ったのだろうけど、実に深遠な人間ドラマを含んでいるし、3世紀を経て女性観が様変わりした今、彼らが考えもしなかった問題を提起する。演出家は何とか解きほぐそうと格闘しているが…。

今回の演出は時代を近未来に設定し、女主人公2人をAIロボットに仕立てたが、難しい話を余計に混乱させただけに終わったように思う。

仲の良い男たちA(フェランド)とB(グリエルモ)にはそれぞれ恋人がいる。A’(ドラベッラ)とB’(フィオルディリージ)で、A’とB’は姉妹である。2組の男女はそれぞれ愛し合っているが、老哲学者(アルフォンソ)にそそのかされ、女の気持なんて頼りないものだ、試しに変装して他人になりすまして、口説いてみろと言われ、恋人の愛情に絶対の自信のあるA、Bは老哲学者と自分たちの恋人の心変わりの有無で賭けをすることになった。その際、Aが口説くのはB’を、Bが口説くのはA’という設定なのが、皮肉で残酷だ。

その先、どう話が転がってゆくか…。
老哲学者曰く「Cosi fan tutte(女性は)みんなこうしたものだ。」ということになるのだが、これはとても辛辣で当人たちには色んな意味で笑い事ではないのだ。

それを(僕は台本が悪いと思うが)十分な説明もなく最後は力技でみんな笑って終わりにしてしまうのだが、僕にはブラック・ジョークに思えてしまう。

広上淳一指揮。ピットに入ったのは読響。モーツァルト作品らしく中規模編成だったようだ。それだけに軽快で、広上淳一はいつものように、ピットの中でも踊っていた。

歌唱力は揃っていなかったが、水準は満たして満足。
狭い舞台だが手作り感のある装置に工夫をこらしていて好感。

♪2018-145/♪日生劇場-03

2018年11月9日金曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第705回東京定期演奏会

2018-11-09 @サントリーホール


アレクサンドル・ラザレフ:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

グラズノフ:交響曲第8番変ホ長調 作品83
ショスタコーヴィチ:交響曲第12番ニ短調 作品112「1917年」

昨日に続いてサントリー詣で。

コンサートのダブリの為に横浜定期を東京定期に振り替えたので席を選べず、選べるなら絶対に避けたい前方寄りの、かつ、下手寄りが割り当てられてしまった。チケットを無駄にするよりマシだが、できたら、ど真ん中のど真ん中で聴きたかった。

日フィル桂冠指揮者ラザレフがシリーズとして取り上げているグラズノフとショスタコーヴィチ又はプロコフィエフのうちいずれかの作品を演奏するコンサート「ラザレフが刻むロシアの魂」の4回目だった。

グラズノフ交響曲第8番では、席の前方に第1、第2バイオリン群が迫っているので、これら高域弦がけたたましく、明らかに中低域の弦が埋もれてしまった。それに音楽自体が、初聴きのせいもあったか、凡庸な気がして楽しめなかった。

一方、ショスタコ12番では冒頭の低弦の大音量に引き込まれ、その後はバランスもへったくれもない。

ショスタコーヴィチは、ロシア革命の煽りを食って、その芸術が批判にさらされ、一時期は生命の危険もあった。生きてゆく為には操も捨てなければならぬ。

かくして、現在世界中で最も親しまれている交響曲第5番「革命」でスターリンのご機嫌をとって、なんとか音楽家としての人生を全うしようとした。
今日の交響曲第12番も副題が「1917年」と付いているようにロシア「10月革命」を祝賀してその44年後に作曲されたものだそうだ。
この政権に阿(おもね)た大衆受け狙いの原始的な吸引力に自称文化人としてはいささか素直に音楽を楽しめない。

ジダーノフ(ソ連共産党中央委員会書記。50年代を中心に当時のソ連の前衛芸術、とりわけショスタコーヴィチの音楽を反革命として批判した。)を批判するなら、今、我々はこの音楽を批判すべきなのか等考えながら…もひきも切らぬ怒涛の爆音に襲いかかられ体よく飲み込まれてしまったのだけど。

日フィルの底力は受け止めたが。

♪2018-144/♪サントリーホール-12