2018年10月28日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会 第7回 サファイア<横浜みなとみらいシリーズ>

2018-10-28 @みなとみらいホール


上岡敏之:指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団*

山口清子:ソプラノ*
清水華澄:アルト*
与儀巧:テノール*
原田圭:バス*

ブルックナー:交響曲第9番ニ短調 WAB 109(ハース/オーレル版)
ブルックナー:テ・デウム WAB 45*

好みじゃないブルックナー「交響曲第9番」が今年はどういう訳か3回目だ。

でも、今日は、指揮が好みの上岡敏之だし、未完の第4楽章に代えて(ブルックナーの)「テ・デウム」を休憩なしで演奏するという野心的な試み。

これまで、ブルックナーが(第9番の終楽章が未完に終わった場合は、「テ・デウム」を代わりに演奏せよ、と)示唆したというこの形での演奏に接したことがなかったので、その面でも楽しみだった。

細部へのこだわり=上岡らしさは特に感じなかったが、弦はきれい。管はやや残念。とは言え、緊張感の持続する良い演奏だった。

難点の<長さ>については、「テ・デウム」込み(約90分)でも納得させた。というより、むしろ「テ・デウム」が終楽章の代わりに続いたことが全曲の完結感を高めたのだろう。

欲を言えば、合唱席はP席(舞台後方)を使ったのだから、冒頭から座って待っておれば良かった。80人が着席するには時間が必要で、気持ちを維持するのに一手間かかる。
でも、その合唱は良かった。
独唱4人の巧拙は別に、アンサンブルの妙が無い。そういう音楽だから仕方がない。

♪2018-138/♪みなとみらいホール-30

2018年10月27日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第341回横浜定期演奏会

2018-10-27 @みなとみらいホール


小林研一郎:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

辻本玲:[日本フィル・ソロ・チェロ]*
石丸由佳:オルガン#

ウェーバー:歌劇《オベロン》序曲
サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番イ短調 op.33
サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調 作品78「オルガン付き」#
---------------
アンコール
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番からサラバンド*
ブラームス:ハンガリー舞曲第5番ト短調
サン=サーンス:交響曲第3番から”終結部”

サン=サーンスのチェロ協奏曲。
ソリスト辻本玲(日フィルのソロ・チェリスト)のチェロの音色の美しいこと。ストラディバリウスだというが、普段、オケのチェロ首席として弾いている時はこの楽器使っていないのだろうなあ。もし使っておれば、彼の音だけ響きすぎると思うもの。

メインは9日前にも都響で聴いたばかりのサン=サーンス交響曲第3番。巷では「ガン付き」とも略されているが、「オルガン付き」のこと。連弾ピアノも「付いている」が、オルガンの圧倒的存在感の前に影が薄い。

時々、指揮しながら、お客様サービスで遊ぶコバケン(小林研一郎)だが、今日の「ガン付き」では「遊び」を完全に排した正統的で堂々たる構成力を示してくれた。
テンポは遅め。
特に第2楽章は失速しそうだが、ギリギリで緊張が維持された。クライマックスへの焦らされ具合がむしろ心地良い。

弦の透明感も管の迫力も良かった。主役のオルガン・ルーシーの音色が美しい。サントリーのオルガンは重低音ではゴロゴロ唸っていたがルーシーはピュアに響く。

都響@サントリーHに比べて数段上等の出来で満足できた。

アンコールでは、久々にコバケンお得意のハンガリー舞曲5番を聴く。テンポ・強弱遊び放題も又楽し。


♪2018-137/♪みなとみらいホール-29

60分miniminiオペラ ようこそ!魔法の箱へ  ロッシーニ「セビリアの理髪師」

2018-10-27 @かなっくホール


斎藤みゆき:脚本・演出
二瓶浩一:舞台監督
小峰優希:照明
関孝之:音響

大山大輔:Br
長谷川寧:ストーリーテラー
藤井麻美:Sp
渡辺大:Tn
宇根美沙恵:Pf

60分miniminiオペラ
ロッシーニ「セビリアの理髪師」

近所のホールで時短オペラ鑑賞。
「セビリアの理髪師」を大山大輔Brほか歌手3人+ピアニスト+ナレーションが60分でエッセンスを聴かせてくれる。
なんて楽しい!
千円。なんて安い!

ママに連れられたちびっこ達が大勢来ていたが、アリアの一節を子供達と一緒に歌わされた。恥ずかしや。

かなっくホールでは毎年1回、このシリーズをやっているそうだ。家から徒歩10分以内というホンに近いところなのに灯台下暗しだった。

♪2018-136/♪かなっくホール-01

2018年10月24日水曜日

東京都交響楽団 第864回 定期演奏会Aシリーズ

2018-10-24 @東京文化会館


大野和士:指揮
東京都交響楽団

アウシュリネ・ストゥンディーテ:ソプラノ*
アルマス・スヴィルパ:バリトン*

シュレーカー:室内交響曲
ツェムリンスキー:抒情交響曲
 〜ラビンドラナート・タゴールの詩による7つの歌 op.18*

シュレーカー(1878-1934)は存在さえ知らなかった。「室内交響曲」(1917年初演)はもちろん初聴き。
ツェムリンスキー(1871-1942)は今年の1月の都響B定期、指揮も今日と同じ大野和士で交響詩「人魚姫」という全く面白くないのを聴いたが、「叙情交響曲」(1924年初演)は初聴き。

2曲とも音楽史区分では<近代>という<調性>との格闘の時代の落とし子と言えるのだろう。
調性を完全否定するには至らないが、そのまま認める訳にもいかぬ。調性を見え隠れさせながらその概念を拡大させたようだ。

さて、そんな音楽が面白いのかと言えば(この時代の音楽を全否定するつもりはサラサラ無いけど)今日の2曲に関して言えば、これは初めて聴いたせいもあるだろうがつまらない。

前者は「室内交響曲」というだけあって、小ぶりな編成だが、通常の弦5部(バイオリン2部、ビオラ、チェロ、コントラバス各1部)を、バイオリン4部、ビオラ2部、チェロ3部、コントラバスの弦10部に分けてある。それだけ、精妙に作曲されているのだが、凝った割にはその効果は響いてこなかった。これは演奏能力の問題もあるだろう。

全曲を通じてけだるい音楽が(一応4楽章に区分できるらしいが)さほどの起伏もなく長々と続くので、途中で眠くなった。

後者は弦は16型の大編成。
冒頭は映画音楽のように大げさな出だしだ。すれ違いの男女の恋愛感情をバリトンーソプラノが交代しながら歌う7曲から成る。
歌のテキストに照らして管弦楽が極端に大げさすぎる。
この音楽も7楽章構成とも言えるが、古典的な交響曲構成は踏襲していない。全曲続けて演奏される(プログラムには48分と書いてあったが実測は42分だった。)。

ワーグナーを思い起こさせるところがある。ここいらが後期ロマン派の残滓か。もし、オペラの一部として演奏されたら案外音楽に入り込めたかもしれないが。


♪2018-135/♪東京文化会館-05

https://youtu.be/XxKWG1K29v0 シュレーカー:室内交響曲

https://youtu.be/3XyKTCKSVKg ツェムリンスキー:抒情交響曲

2018年10月21日日曜日

名曲全集第141回 二つのロマンス

2018-10-21 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ダン・エッティンガー:指揮
東京交響楽団

エドナ・プロホニク:メゾソプラノ*

ワーグナー:ヴェーゼンドンク歌曲集*
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
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アンコール*
R.シュトラウス:8つの歌曲から「献呈」作品10-1
F.シューベルト(レーガー編):「音楽に寄せて」作品88-4 D547

ワーグナー「ヴェーゼンドンク歌曲集」は初聴き。家まで与えられて保護してくれた富豪のヴェーゼンドンクの好意を裏切って氏の奥方と相思相愛になったワーグナーは、「トリスタンとイゾルデ」の作曲と並行して、その奥方が書いた5つの詩に音楽をつけた。その為に全体が「トリスタンとイゾルデ」の世界が凝縮されているという。そういえば、オーケストレーションなどにその雰囲気を感ずる。
それにしても奥方の亭主殿はこの事情を知らなかったのだろうか。僕は、気の毒な亭主に同情しながら聴いたよ。

メゾ・ソプラノのエドナ・プロホニクは新国立にもかなり出演しているようだが、あいにく記憶にも記録にもない。
東響はかなり控えめで繊細な伴奏に徹しているようだったが、それでも少し声量不足を感じた。
本番5曲にアンコールが2曲。「献呈」は初聴き。「音楽に寄せて」は馴染みのあるもので、昔は「楽に寄す」と呼ばれていたと思う。

メインが「幻想交響曲」。これは聴く機会が多いし、いつでも満足できる好感度の高い作品だ。
指揮のダン・エッティンガーも初めてだったが、「ヴェーゼンドンク〜」では、歌曲という性格からだろうが、特段変わった指揮ぶりではなかったが、「幻想〜」ではかなり特徴のある指揮ぶりだった。
強弱、テンポの早い遅いの差が大きい。それだけ音楽にメリハリを付けながら、たっぷり歌わせるという感じで、これが嫌味と取る向きもあるだろうけど、僕としてはギリギリのところで、バランスを取った指揮だったと思う。
特に、これまで何度も聴いているにもかかわらず、こんなメロディが潜んでいたのか、という発見もあって、少々驚いた。

プログラム記載の予定時間は49分とあったが、実演奏時間は56分弱だった。しかし、手持ちのCDの演奏時間を見ると54〜57分程度だから、標準的な長さだ。プログラム記載の時間は繰り返し部分を省略した場合の時間だったのかもしれない。

♪2018-134/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-21

2018年10月20日土曜日

神奈川県民ホール・オペラ・シリーズ2018 グランドオペラ共同制作 ヴェルディ:歌劇「アイーダ」

2018-10-20 @県民ホール


アンドレア・バッティストーニ:指揮
ジュリオ・チャバッティ:演出
マウリツィオ・ディ・マッティア:原演出

合唱:二期会合唱団
バレエ:東京シティ・バレエ団 ほか
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

アイーダ:モニカ・ザネッティン
ラダメス:福井敬
アムネリス:清水華澄
アモナズロ:今井俊輔
ランフィス:妻屋秀和
国王:ジョン・ハオ
巫女:針生美智子
伝令:菅野敦

ジュゼッペ・ヴェルディ「アイーダ」全4幕〈イタリア語上演/字幕付〉/新制作
予定上演時間:約3時間25分
第Ⅰ幕45分
 --休憩25分--
第Ⅱ幕50分
 --休憩20分--
第Ⅲ幕/第Ⅳ幕65分

分かり易い三角関係のドラマを軸に親しみやすい歌曲、スペクタキュラーな舞台、バレー(ソロと群舞)など、見どころ聴きどころ満載のオペラだ。

ただ、4月に新国立でゼッフィレッリ(演出・美術・衣裳)の「アイーダ」を観ているので、馬2頭まで登場する豪華絢爛な舞台と比較することはハナからできないとしても、舞台美術や衣装などがどこまで肉薄できるかが、関心の一つ。
特に、神奈川県民ホールは新国立劇場より間口が4m弱広いので、舞台装置が粗末だとスカスカの舞台になってしまう恐れがある。

実際の舞台を見て、その点はどうだったか、実はよく分からない。というのも、ピットから3列目のど真ん中で観たので、その位置からは見える舞台装置は十分に満足できるものだったから。後方、特に2階、3階席からはどんな感じだったのだろう。

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前奏が始まるやいなや幕が上がり、男女一組のバレエが始まった。これはアイーダとラダメスの運命を予感させるものだ。この演出はとても良かった。バレエの美しさはその後2幕でも堪能できる。

馬は登場しないが、凱旋の場面(2幕後半)では、アイーダトランペットが舞台上のギリギリ上手と下手に3人ずつ別れて陣取った。広い間口を活かした演出が功を奏していた。

幕内と第3幕〜第4幕の間の舞台転換は幕を下ろさず暗転したまま黒衣が登場して人力で大きな装置を動かしたが、これも気分を弛緩させることなくむしろ緊張を維持する上で良かったかもしれない。

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声楽陣はどうだったか。
タイトルロールのモニカ・ザネッティンを除いてみんな良かった。特にラダメス役の福井敬とアムネリス役の清水華澄が光っていた。清水華澄にとっては7年前、県民ホールで同役を歌うはずのところ、3.11で公演中止となったという因縁の舞台だった。
終演後のカーテンコールでは感極まって涙ながらにステージにひざまずいて床を撫でるようにしていたのは、それ自体が感動的だった。見事に県民ホールでアムネリスが凱旋を果たした訳だ。

肝心のザネッティンは残念ティンだったよ。
歌唱も表情も態度も、起伏に乏しく、アイーダの悲劇が伝わってこない。そういう演出なのかもしれないが、だとすれば、他の出演者とのバランスが取れない。
むしろ、日本人声楽陣の方が感情豊かだった。
これでは「アイーダ」というよりタイトルを「アムネリス」に変えた方がピッタリする。

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ピットに入ったのは東フィルだ。まあ、慣れたものなんだろう。とりわけ、バッティストーニは「アイーダ」は何度も経験しているそうだが、それにしても、全曲暗譜だったのには驚いた。

僕の席の前に2列あったが、県民ホールの席は前後で椅子の位置が半席分ずれているので、前席には人の頭が無い。最前列は空席だった(チケット完売だそうだが、気の毒に来れなかったらしい)。すると、目の前はバッティストーニのモジャモジャ頭だ。気合い十分な指揮ぶりだったが、肩から上しか見えないものの、スコアを捲っている様子は皆目見えない。それで、終演後、ピットの中の人に聞いたら、やはり完全暗譜だそうな。いやはやびっくり。正味2時間40分の大曲が全部頭に入っているとはすごいことだ。

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残念な部分もあったが、全体としては上出来。大いに楽しめた。とてもラグジュアリーな気分で帰路についたはいいものの、パラパラ降り出した雨が途中から本降りに。傘を持っていなかったのでずぶ濡れの「凱旋」となった。

♪2018-133/♪県民ホール-04

2018年10月19日金曜日

東京都交響楽団 第863回 定期演奏会Bシリーズ

2018-10-19 @サントリーホール


大野和士:指揮
東京都交響楽団

タベア・ツィンマーマン:ビオラ*
アントワン・タメスティ:ビオラ*
室住素子:オルガン#

マントヴァーニ:2つのビオラと管弦楽のための協奏曲(2009)(日本初演)*
サン=サーンス:交響曲第3番 ハ短調 op.78《オルガン付き》#
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アンコール
バルトーク:44の二重奏曲 Sz.98からNo.28「悲嘆」*

前半はマントヴァーニ(1974年生まれ。ストリングスを多用した同名の名アレンジャー(1905-1980)とは別人。)によるビオラ2本(指揮者の下手と上手に位置した。)と管弦楽による協奏曲(2009年初演。本日は日本初演)。

不快音のみで構成され、意表を突くことで自己満足している現代作曲家の作品にうんざりしていたら、終盤、下手のビオラが断線し、弦の張替えのために5分弱中断した。そのまま弾いても誰も気づかなかったろうに。そういう聴き苦しい音楽だ。

その時、上手奏者が下手奏者に自分の楽器を貸し、自分は都響ビオラ首席(上手奏者の直ぐ側に位置している。)から借りたら良かったのに何故そうはならなかったか?瞬間のことでどうしたらよいか、分からなかったのかもしれないが。

実演奏時間を測っていたが、断線による中断時間は5分弱!
ひょっとして、作曲家は楽譜に<X小節目で下手奏者は断線を装い舞台袖に退く。約4分経過後舞台に復帰し、指揮者は正確に4分33秒を計測して音楽を再開すること>なんて書いてあるのではないか、といっときの妄想を楽しんだ。
それというのも、現代作曲家のジョン・ケージは4分33秒という3楽章構成の作品で全楽章とも演奏家に無音を強いている(これは初演者の演奏?が4分33秒だったので後日それがタイトルになったという説も聞く。)。
今日の中断時間が正にそれくらいの時間だったから、ジョン・ケージの馬鹿げた作品も取り込んでいると取れなくもない。
でも、実際は、舞台上の様子から、この長い沈黙が織り込み済みではないことは明らかだった。

39分の予定が45分位に延びた演奏が終わり、カーテンコールに応えて、ビオラの2人がアンコール(ビオラ二重奏)を弾く際に、2人の楽器の調弦がうまく合わず、上手奏者が都響ビオラ首席から楽器を借りて弾いたのは何故だろう?「本番で君が貸してくれたら良かったのに!」とでも言いたかったか。そうでもないだろうけどなあ。
ま、色々あって白けたよ。

後半は待望のサン=サーンス交響曲3番。「オルガン付き」と呼ばれているが、業界では「ガン付き」とも略すらしい。
これまで不満に思ったことがない好みの作品だ。
全2楽章だが、それぞれが2つの部分に分かれていて、全4楽章に分解できるが、2つの部分は途切れなく演奏されるので、耳には全2楽章に聴こえる。

冒頭の短い序奏が終わり所謂循環主題がざわざわ登場するところで、原始脳に1本目の覚醒剤が打たれ、第1楽章後半(第2楽章相当)に効きだして来る。

第2楽章(第3楽章相当)冒頭に2本目が打たれ気分は愈高揚してくる。
同楽章後半(終楽章相当)にオルガンが強奏しここでトドメの3本目。
そこからは小波大波を掻い潜ってひたすら荘厳な頂点へ!

これで前半の不具合も帳消しにするカタルシス、と言いたいところだが、全体にざわつきが大きく、透明感に不足したのは残念。

♪2018-132/♪サントリーホール-10

2018年10月15日月曜日

平成30年度(第73回)文化庁芸術祭協賛 国立演芸場10月中席

2018-10-15@国立演芸場


落語          春風亭朝七⇒やかん
落語          春風亭一花⇒悋気の独楽
落語          三遊亭歌奴⇒片棒
ジャグリング    ストレート松浦
落語          八光亭春輔⇒ぞろぞろ
落語          春風亭一之輔⇒錦の袈裟
     ~仲入り~
漫才    笑組
落語          春風亭三朝⇒あくび指南
奇術          伊藤夢葉
落語          春風亭一朝⇒転宅

近頃TV露出が多い春風亭一之輔を初めて聴いたが、TVで聴く噺と同様まだまだ未熟だ。人気に溺れて器用に振る舞っていると成長は止まるだろう。

最近の落語ブームは、だめな噺家を粗製乱造しているから困ったものだ。

「巧いっ!」と思える噺に、なかなか出会えない。

そんな中で、今日の<前座>の若手がなかなかの噺巧者だった。

寄席の正式な開演時刻は13時だが、その15分前から(ゆえに「前座」)、事前に公表された番組には名前の出ていない若手が登場して、お客もチラホラの中で一席伺う機会を与えられるのだが、たいてい下手くそ。
なので、前座に間に合う時刻に演芸場に到着していても、普段は待合で聴くともなく…聴いて…いないことが多い。
が、この日はモニターから聴こえてくる話しぶりが堂に入って落ち着いていて、とても前座とは思えない。ついつい、聴き入って笑ってしまった。

春風亭朝七という前座だった。
これは将来楽しみだ。はっきり言って、並の真打ちより巧い。

色物では、ジャグリングのストレート松浦は客あしらいも巧い。漫才・笑組はテンポ良し。奇術の夢葉は相変わらず持ち時間の半分以上がとぼけた話術で煙に巻く。


♪2018-131/♪国立演芸場-15

2018年10月13日土曜日

N響第1894回 定期公演 Aプログラム

2018-10-13 @NHKホール


ヘルベルト・ブロムシュテット:指揮
NHK交響楽団

モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K504「プラハ」
ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(コールス校訂版)

モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」。存在は有名だけど、ほとんど聴く機会がなくて前回はいつだったろうと記録を手繰れば2年半ほど前にカメラータ・シュルツ・ウィーンで聴いた。それ以来だ。自宅で聴くこともないので、久々の演奏を、へえ、こんな曲だったか、と聴いた次第。

弦だけで24人?総勢35人位の小規模な編成だけに、見通しの良い軽快な音楽だった。

最近は小難しい音楽が多い中で、現代音楽やマーラー、ブルックナーなどのファンに失礼だが、簡潔明瞭な「絶対音楽」を聴く悦びを久しぶりに味わった。

プログラムには演奏時間28分と合ったが、実演はずっと長くて36分くらいあったと思う。そんなにのろいテンポではなかったから、提示部の繰り返しをしたのではないか。


後半はブルックナー第9番!
ブルックナーの中では聴く機会の少なかった作品だけど、どういうことか、今年は9番の当たり年だ。4月に東響で聴いたのが3年ぶりだった。そして、今日はN響で、来月は新日本フィルが控えている。

ところで、今やファンの間では神様扱いのブロムシュテットのブルックナーは如何。
大いに期待をした。
何しろブルックナーの9番でこれまで「良かった!」と思えるものは一度も聴いていないのだから。

しかし、冒頭の管の何やら自信のないような出だしに、不安が走った。僕の聴き違いかもしれない。その後の弦の強奏で盛り上がるところまでくると音楽が順調に流れ出した…ように思った。
その後はひたすら傾聴したつもりだ。

ブロムシュテットはいつものように上体だけで腕をフワフワさせているだけだが、リハーサルが行き届いているのだろう。細部まで(情緒を失わず)かっちり仕上げた感があった。

ややテンポが早めで(プログラムには64分と書いてあるし、手持ちの数種類あるCDはいずれも60分強だが、ブロムシュテットの指揮は)55分程度ではなかったか。
プラハが長かった分、放送時間に合わせて巻きが入った?まさかね。

ただ、終わってみると、やはり満足には程遠かった。
おそらく、これは演奏のせいではない。
ブロムシュテットについてはN響のコンビでも(毎回ではないが)、昨年のゲヴァントハウスの公演でも至福を味わっている。最も期待をかける指揮者で、マエストロと呼ぶにふさわしい。

今回イマイチ楽しめなかったのは僕のブルックナー(の音楽)への入魂率が低いのだ。マーラー同様、心底には不信感を持っているからだと思う。

さりとて、2014年4月のN響+マレク・ヤノフスキーの5番、2016年のサンフランシスコ交響楽団+マイケル・ティルソン・トーマスによる7番などは、細部に至るまで実に心に沁みたのを覚えている。
あのレベルを何度か聴くとブルックナーの聴き方が変わってくるかもなあ。

♪2018-130/♪NHKホール-10

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第343回

2018-10-13 @みなとみらいホール


川瀬賢太郎:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

波多野睦美:メゾソプラノ*
野田清隆:ピアノ*
横須賀芸術劇場少年少女合唱団(児童合唱)*
市原愛:ソプラノ**

権代敦彦:子守歌ーメゾ・ソプラノ、ピアノ、児童合唱とオーケストラのための*
マーラー:交響曲第4番ト長調**

権代敦彦作「子守歌~」は表題のとおり、管弦楽にメゾ・ソプラノの独唱とピアノに児童合唱が加わった編成だ。
その独唱と児童合唱の中で独唱を受け持つ2人、計3人に拡声装置が使われた。独唱についてはマイクで拾いアンプを通して舞台上のスピーカーから大きな音量で明瞭に聴こえる訳だ。
しかし、歌謡ショーじゃあるまいし、どうして生の声を使わなかったのか違和感があった。

その疑問に対する神奈川フィルの回答は、「スコアにPA使用の指示はありませんが、指揮者、ソリストともにオーケストラとのバランスを取るため、PAを使用するべきと選曲時から考えておりました。
3年前の名古屋フィルでの子守歌(川瀬賢太郎指揮、独唱藤井美雪)の演奏は、作曲家も会場に来場しておりましたが、その際もPAを使用していましたので作曲家も公認のセッティングということで理解をしております。」ということだった。

稀に作曲家が拡声装置の仕様を楽譜上指示する場合がある(コリリアーノ作曲「ミスター・タンブリンマン─ボブ・ディランの7つの詩」)。それならば仕方がない、というか、当然なのだが、今回のは、公認というより黙認なのだろう。

楽譜上作曲家の指示が無いのなら、演奏時においてナマの独唱がオケにかき消されないようにバランスをとるのが指揮者の腕だ。また、拡声装置などなくたって声は会場に十分響き渡ったと思う。
現に、2曲めのマーラーでは独唱はナマで歌われた。オケとのバランスを言うなら、むしろ、この曲でこそ独唱に拡声装置をつけるべきだった(本気でいうのではなく、皮肉だ。)。

マイク〜アンプ〜スピーカーを通したことによって、この作品の情感が安っぽく盛り上がってしまったと思う。

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尤も、この拡声装置の問題を抜きにしても、この音楽は素直に聴くことができなかった。

この作品は、2001年の池田小児童殺傷事件の被害者遺族のうちの1人の母親の手記と旧約聖書を素材に編集した、嘆き、鎮魂、祈りの歌だ。
まだ誰も忘れていない具体的な事件を題材にしている。
テキストも、淡々と綴られていることがむしろ聴く者の胸をかきむしるはずだ。
生々しい記憶のおかげで、犠牲になった児童8人と合唱団諸君が重なり、一層、事件の非情・悲痛は訴えるものの、「音楽」以前に「この鎮魂歌」の目的・存在そのものが腑に落ちず混乱してしまった。
誰のための鎮魂なのか~遡って鎮魂とは何かまで、考え込んでしまった。
作品の出来は別としてもう聴きたくない。

しかし、横須賀芸劇少年少女合唱団が難しい音楽を歌い切ったのには驚いた。これは立派だった。また、オケも終始高い緊張を維持した。

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後半のマーラー4番。
先月のパーヴォ・ヤルヴィ+N響とつい比較してしまうが、こちらも川瀬賢太郎の指揮が行き届いている感じで、神奈川フィルは健闘した。
長過ぎる!第3楽章がようやく終わっていよいよ第4楽章のソプラノが始まると、その軽やかな旋律にホッとし、天上界へと誘われる…段取りなのだが、今回のソプラノ嬢は、きれいな声だけど音圧不足。天上界気分に浸れずに終わった。

狙いは、「子守唄ー」の後を継いで苦しみの浄化を果たすはずだったが、その点ではやや不満が残った。

♪2018-129/♪みなとみらいホール-28

2018年10月12日金曜日

未来に羽ばたくオペラ歌手たちによる 「アイーダ」コンサート

2018-10-12 @県民ホール


ソプラノ:内田千陽
テノール:岸浪愛学
バリトン:小林啓倫

ピアノ:石野真穂
構成・演出:菊池裕美子

オール・ヴェルディ・プログラム
「アイーダ」1幕から
・アイーダのアリア「勝ちて帰れ」
「椿姫」第2幕から
・アルフレードのアリア「燃える心を」
「アイーダ」3幕から
・アイーダのアリア「ああ我が故郷」
・アイーダとアモナズロの二重唱「まあ、お父様!…」
「ドン・カルロ」4幕から
・ロドリーゴのアリア「終わりの日は来た」
「アイーダ」4幕から
・ラダメスとアイーダのアリア「私の上で運命の岩が閉められた」

県民ホールのプロフェッショナルアーティスト養成事業の一環で、今月下旬に同ホールで上演されるオペラ「アイーダ」の盛上げも兼ねて企画されたミニコンサートだ。
ソプラノ嬢は同公演でアイーダのアンダースタディ(稽古に参加し練習代役などを務める。)だそうで、男声2人は今正にオペラ界に羽ばたかんとしている才能らしい。

岸浪愛学氏だけは昨年の日生劇場「ラ・ボエーム」に出演していたので初めてではなかった…ということは帰宅後調べて分かったのだけど。

「アイーダ・コンサート」と銘打ってあるが、「アイーダ」のアリアだけではなく、「アイーダ」を中心にヴェルディの作品が歌われた。それにしては、アリアとしてはいちばん有名なラダメスの「清きアイーダ」が歌われなかったのが残念だった。

3人共プロなりたてのようだが、当然に歌唱力は並のものではない。4列目の真ん中で聴いていたのでとりわけ高い音圧を受けた。デュエットなど、2人共競うかのように大声を張り上げてくれるので怖いくらいだ。しかし、これくらいの声量がなければ大劇場(県民ホールはピット分を除いて2,300人)の天井桟敷まで飛ばすことはできないだろう。

ピアノ伴奏という簡素なコンサートだったが、解説も入り、こちらの気分も企画者の思惑どおりに盛り上がって、いよいよ県民ホールでの本番が楽しみになってきた。


♪2018-128/♪県民ホール-03

2018年10月10日水曜日

新国立劇場オペラ「魔笛」

2018-10-10 @新国立劇場


指揮:ローラント・ベーア
演出:ウィリアム・ケントリッジ
美術:ウィリアム・ケントリッジ、ザビーネ・トイニッセン
衣裳:グレタ・ゴアリス
照明:ジェニファー・ティプトン

合唱⇒新国立劇場合唱団
管弦楽⇒東京フィルハーモニー交響楽団

ザラストロ⇒サヴァ・ヴェミッチ
タミーノ⇒スティーヴ・ダヴィスリム
夜の女王⇒安井陽子
パミーナ⇒林正子
パパゲーノ⇒アンドレ・シュエン
パパゲーナ⇒九嶋香奈枝
モノスタトス⇒升島唯博
弁者・僧侶I・武士II⇒成田眞
僧侶II・武士I⇒秋谷直之
 ほか

モーツァルト:「魔笛」全2幕〈ドイツ語上演/字幕付〉
 予定上演時間:約3時間
 第Ⅰ幕70分
  --休憩25分--
 第Ⅱ幕85分

新音楽監督大野和士が手がけた第1作はウィリアム・ケントリッジ演出の「魔笛」。
<新制作>とあるが、新国立劇場で過去6季継続上演してきた版を改めたからだろう。今回のケントリッジ版は既に2005年から世界各地で上演されてきたもので、装置・衣装ごと権利を買上げたというから、この先当分はこの演出による上演が続くだろう。でないと元が取れないもの。

ケントリッジは現代美術家としてむしろ有名らしい(僕は知らなかったが)。それで演出だけでなく舞台美術も担当している。
今日、開演前に紗幕越しの舞台を見て、どうも見たことがあるなと思って、帰宅後何本もある「魔笛」のビデオをチェックしたら、2011年3月のミラノ・スカラ座の録画がこの舞台美術と演出で、おまけに指揮者まで同じローランド・ベーアだった。

さて、音楽はよろしい。演奏も素敵だ。夜の女王とパミーナは交代した方がいいのではないかと思ったりもしたが、不満というほどのものではない。

問題は、今回売り物の<演出と美術>だ。納得できない。

「魔笛」はメルヘンでファンタジーであってほしいが、この演出では舞台装置は無いも同然。そこにモノクロの線画映像がプロジェクターで投影されることで場面変化をつけているのだが、いかんせん黒が基調で舞台は常に暗い。

また、演出ノートを読むとアパルトヘイトを念頭に置いているような説明があったり、映像のそこここにフリーメイソンを暗示したり、小難しい事が書いてあって辟易だ。

そこで何種類もあるビデオの中から、お気に入りのMETのメルヘン&ファンタジー版(ジュリー・テイモア演出)を見直して口直ししたよ。

♪2018-076/♪新国立劇場-11

東京交響楽団 ファンタスティック・オーケストラ 〜みんなで集えるコンサート〜

2018-10-09 @ミューザ川崎シンフォニーホール


円光寺雅彦:指揮
東京交響楽団

大谷康子:バイオリン*
吉田 孝:司会・ナレーション

ロッシーニ:「ウィリアム・テル」よりスイス軍の行進
小室昌広:ディズニーのメロディによる管弦楽入門
マスネ:タイスの瞑想曲*
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン*
ボロディン:だったん人の踊り
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モンティ:チャールダーシュ*
宮川彬良:シンフォニックマンボNo.5

昨夏、政府肝入でキッズウィークを勧めるとかなんとか、いっときはマスコミでも取り上げられていたが、知らないところでは着々と進んでいたらしい。キッズウィークの一環で川崎市は今日は学校がお休みだそうだ。色んなイベントやサービスが用意されていたらしい。

ということで、今日のコンサートはそうとも知らずにチケットを買っていたのだけど、キッズも、お年寄りも、障害者も楽しめる手話付き、ボディソニックシート付きのコンサートだった。

オーケストラはミューザ川崎シンフォニーホールが本拠の東京交響楽団。それに「永遠のお姫様」大谷康子という豪華版なのに、料金は一般千円、キッズ・障害者・シニア五百円!

クラシック・ファンでなくとも楽しめるよう全般的に配慮されたコンサートだったが、ディズニー版管弦楽入門には感心した。ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」に倣って、ディズニー映画の主題歌を材料にして、オーケストラの構成を紹介するアイデアはとても良かった。

我らが(…僕が勝手にそう思っているだけかもしれないが)お姫様は、定番2曲にアンコールでチャールダッシュを、勝手知ったるミューザの1階席を巡りながら弾いてくれたが、真っ先に障害者席に駆け寄り腰を屈めて寄り添うように弾いていた姿には感動したよ。この人がやるとホンに嫌味がない。自然なママの「お姫様」だから。

オケのアンコール曲は、ベートーベンの交響曲第5番「運命」で始まった。え!と思っていたら、いつの間にかマンボの名曲「マンボ・ナンバー5」に変身。5番繋がりという訳だけど、実に自然に変身している。変わりっぱなしではなくしばらくしたらまた「運命」に戻っている。巧妙なアレンジは宮川彬良の作だった。

就学前の子供も入っていたので、時折、演奏中でも小さな声でママへの質問が聞こえてきたりしたが、観客一同が心豊かになり、笑顔で帰途につける演奏会だった。

♪2018-126/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-20