2018年10月24日水曜日

東京都交響楽団 第864回 定期演奏会Aシリーズ

2018-10-24 @東京文化会館


大野和士:指揮
東京都交響楽団

アウシュリネ・ストゥンディーテ:ソプラノ*
アルマス・スヴィルパ:バリトン*

シュレーカー:室内交響曲
ツェムリンスキー:抒情交響曲
 〜ラビンドラナート・タゴールの詩による7つの歌 op.18*

シュレーカー(1878-1934)は存在さえ知らなかった。「室内交響曲」(1917年初演)はもちろん初聴き。
ツェムリンスキー(1871-1942)は今年の1月の都響B定期、指揮も今日と同じ大野和士で交響詩「人魚姫」という全く面白くないのを聴いたが、「叙情交響曲」(1924年初演)は初聴き。

2曲とも音楽史区分では<近代>という<調性>との格闘の時代の落とし子と言えるのだろう。
調性を完全否定するには至らないが、そのまま認める訳にもいかぬ。調性を見え隠れさせながらその概念を拡大させたようだ。

さて、そんな音楽が面白いのかと言えば(この時代の音楽を全否定するつもりはサラサラ無いけど)今日の2曲に関して言えば、これは初めて聴いたせいもあるだろうがつまらない。

前者は「室内交響曲」というだけあって、小ぶりな編成だが、通常の弦5部(バイオリン2部、ビオラ、チェロ、コントラバス各1部)を、バイオリン4部、ビオラ2部、チェロ3部、コントラバスの弦10部に分けてある。それだけ、精妙に作曲されているのだが、凝った割にはその効果は響いてこなかった。これは演奏能力の問題もあるだろう。

全曲を通じてけだるい音楽が(一応4楽章に区分できるらしいが)さほどの起伏もなく長々と続くので、途中で眠くなった。

後者は弦は16型の大編成。
冒頭は映画音楽のように大げさな出だしだ。すれ違いの男女の恋愛感情をバリトンーソプラノが交代しながら歌う7曲から成る。
歌のテキストに照らして管弦楽が極端に大げさすぎる。
この音楽も7楽章構成とも言えるが、古典的な交響曲構成は踏襲していない。全曲続けて演奏される(プログラムには48分と書いてあったが実測は42分だった。)。

ワーグナーを思い起こさせるところがある。ここいらが後期ロマン派の残滓か。もし、オペラの一部として演奏されたら案外音楽に入り込めたかもしれないが。


♪2018-135/♪東京文化会館-05

https://youtu.be/XxKWG1K29v0 シュレーカー:室内交響曲

https://youtu.be/3XyKTCKSVKg ツェムリンスキー:抒情交響曲