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2023年9月3日日曜日

東京都交響楽団 第979回 定期演奏会Aシリーズ

2023-07-19 @東京文化会館



サッシャ・ゲッツェル:指揮
東京都交響楽団
ネマニャ・ラドゥロヴィッチ:バイオリン*

リャードフ:ポロネーズ ハ長調op.49〜プーシキンの思い出に〜
チャイコフスキー:バイオリン協奏曲ニ長調 op.35*
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 op.64
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パガニーニ(セドラー編曲):24のカプリース から





❶Sゲッツェル讃
2014年1月に神奈川フィルの首席客演指揮者に就任して以来、2年間の在籍だったが、8回も聴いて、ほぼ、全てに好感を持った。その後、2017年に読響も振り、その年の読響「第九」を代打でかっ飛ばした。
2022年には新国立劇場で「ばらの騎士」で東フィルを振った。
『客席との仕切りが通常より低かったので、ゲッツェルの背中まで見えたが、彼の指揮姿が実に美しい!
その美しい指揮が東フィルから見事な響きを引き出していたように思う。ピットの音とは思えないほど弦の透明感が美しかった。
やはり終盤の三重唱にはゾクゾクしたが、ゲッツェルの見事な棒捌きも大いに寄与したはず。』とその時の感想に書いた。

今日も、Vn協でのコンビネーションの良さがNラドゥロヴィッチの好演を引き出したのだろう。交響曲5番では弦を煽り、盛り上げ、タメを効かせ、下手したら諄くなるところを良い塩梅に抑えていうことなし。都響の16型は成功率低いが今日は功を奏していたよ。
ゲッツェルには男の色気があるな。

❷Nラドゥロヴィッチ讃
最初登場した時、すぐ「異民族」という言葉が浮かんだ。そもそも長身だが、「ラインの黄金」の巨人族みたいな厚底靴を履いて余計に大きい。髪は腰まで届くような長さだが、頭頂には丁髷を結っている。始皇帝が万里の長城を建てさせたのはこういう民族の侵入を防ごうとしたのだな、と想像が羽ばたく。
その見かけの割には愛想を振りまいて人柄は良さそう。

さて、チャイコVn協が始まるや、驚きの美音。丁寧に繰り出されるが力強い。文末処理が見事で、次の章区の繋がりが自然でとても美しい。オケもゲッツェルがよくコントロールして3者一体で、え〜?都響ってこれほど上手かったの?とびっくりだよ。

第1楽章が終わって、ここで僕はもう拍手をしたかったが、独り目立つのも嫌だし…と思っていたら、なんと会場のあちこちから確信的な拍手が巻き起こった。それほど素晴らしかった。

過去、この曲での最高傑作は五嶋龍+Hr響だったが、肉薄したね。いや〜良い音楽を聴きました。

❸余談:
昨日神奈川フィル定期だった。前半は良い出来だったが、後半のブラ2に難があった。はっきり言えばHrの出来がイマイチだった(それだけではないが)。
もし、首席の坂東裕香が乗っていたらもっとずっと良くなったはずだ…。

その坂東裕香が、なんてこった!
今日の都響に客演首席で座っているではないか。Hrはアシスタントを従えた5人体制だった。この曲は第2楽章初めのソロをはじめ1番Hrが、極めて重要な役割を果たしている。そして、今日は美技を披露してくれた。
終演後に指揮者から一番に立つよう促されたのは、もちろん彼女だ。ま、この曲では1番Hrが1番と決まっているみたいだけど…。
ま、複雑な気持ちだ。

https://youtu.be/RAYZoGCrxy8?si=Me-zNSrqTsmsQavU

♪2023-126/♪東京文化会館-08

2023年7月7日金曜日

東京シティ・フィル第362回定期演奏会

2023-07-07 @東京オペラシティコンサートホール



秋山和慶:指揮
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
周防亮介:バイオリン*

リャードフ:交響詩「キキーモラ」作品63
プロコフィエフ:バイオリン協奏曲第2番ト短調 作品63*
スクリャービン:交響曲第4番 作品54「法悦の詩」
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シュニトケ:ア・パガニーニ から抜粋*



20世紀初頭のロシア音楽の内、精緻な管弦楽技法がウリの作品集と纏められるのかな?

リャードフの「キキーモラ」は、極めて弱音に始まり、ムソルグスキーを思わせる旋律が垣間見え、不気味な調子で徐々に音量が大きくなったかと思ったら、ピッコロが悲鳴を上げてストンと終わった。

プロコのVn協2番。独奏バイオリンのソロから始まるメロディは、耳に馴染んでいるけど、親しみやすいものでもなく、なんか、このままでは済まないぞという不穏な旋律で、聴き手にこの先の解決を待ち望ませるような効果がある。

気持ちの休まるところはなくて、緊張がずっと継続したまま超絶的に盛り上がって終わる。そして当然ながらここまで引きずってきた冒頭の不穏さがようやく解決される。30分程度の尺だからこういうスタイルが可能なんだろうな。


周防亮介は初めて聴いた時(19年)は、格別の印象もなかったが、昨年からとても良くなったのは、僕の耳垢がポロッと落ちたのか、彼が楽器を変えたのか?とにかく、音が明瞭で14型の弦のTuttiにも埋もれない安心感。
またEncで聴かせた超絶技巧。Enc用の小品とも思えないリサイタル・ピースのような作品であり演奏だった。

今日のような演奏会では素顔が出ることもないが、室内楽で見せる表情や話を聞くと、とても穏やかでカワユイところがあって、人間的も魅力的だ。

最後の「法悦」は7年ぶりに聴いた。どんな音楽だったか、全く忘れていたし、音楽が始まっても思い出すこともできなかった。残念ながらエクスタシーも感じられなかった。しかし、神秘和音とやらを探しながら、強力な管打楽器群(Hr9本!Tp5本など)にざわざわと翻弄され、パイプオルガンも加わって賑やかな極彩色管弦楽絵巻を楽しんだ。

秋山御大82歳か。お元気な様子で嬉しい。今年も年末の東響は秋山「第九」チケ取り済み。


♪2023-119/♪東京オペラシティコンサートホール-05

2018年7月6日金曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第341回

2018-07-06 @みなとみらいホール


尾高忠明:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

スヴェトリン・ルセフ:バイオリン*

リャードフ:魔法にかけられた湖 作品62
プロコフィエフ:バイオリン協奏曲第2番ト短調 Op.63*
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 Op.47「革命」
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アンコール
フリトスコフ:ブルガリアン・ラプソディ*

リャードフなんて作曲家は知らない…と思っていたら、3年前に読響定期で「魔法にかけられた湖」を聴いていたよ。
久しぶりに2度めを聴いた訳だが、作曲家の名前も思い出せなかったくらいだから音楽を聴いたって前に聴いたことがある、ということを思い出せない。初めてのつもりで神妙に聴いた。

ほとんどリズムを感じさせない音楽で、小刻みの弦が水面を表しているのか。起伏がなく、ダイナミズムに欠けるというか、そもそもそこを狙っていない、まあ、気持ちよく過ごせる環境音楽のようである。

スヴェトリン・ルセフという人は初聴き。現在、スイスロマンドのコンマスを兼ねているようだ。楽器が日本財団貸与のストラディヴァリウス1710年製「カンポセリーチェ」だそうな。そのせいかどうか分からないけど、この人の弾くバイオリンの音色はとても柔らかくてきれいだった。弾き方も、余りガリガリと脂を飛ばすような弾き方ではないので余計にきれいに感じたのだろうな。

この1月余りで4回、バイオリン協奏曲を聴いたが、フランチェスカ・デゴのフェラーリの協奏曲と並んで心地よい音楽だった。

メインがショスタコだが、この曲はいつ聴いても、どのオケがやってもまずハズレがない。このところ(僕の耳には)好調な神奈川フィルだ。まず期待してよかろう。と思っていたが、その期待どおりの上出来だった。

ところで、何度も聴いている曲なのに、これまで、終楽章で鳴らされる銅鑼の存在に気が向くことはなかったが、この日の銅鑼に気が向かない人は一人もいなかったろう。何しろ、舞台最後列の中央に陣取ったそのサイズの大きいこと。かつて見たこともない大きさだ。
みなとみらいホールの開演の合図は鐘やベルではなく、みなと街にふさわしく銅鑼のグォ〜ンという音だが、この特大銅鑼ならお客は慌てて席に付いたろう。

音量もすごくて効果抜群だったが、これまで聴いてきたショスタコ5番ではいつも銅鑼が使われていたのだろうか、ふと疑問が出てきた。解説に書いてあるスコア上の楽器編成には銅鑼は書いてない。すると、銅鑼は当たり前のように思っていたけど、これまで銅鑼なしの「革命」を聴いてきたのだろうか。

過去に「革命」を取り上げた各オケの演奏会のプログラムをいくつか当たってみたが、いずれもスコア上の表記らしく銅鑼は書いてない。
Youtubeで探してみたら、いくつか銅鑼を使っているものを発見した。また今年1月のN響定期の録画をチェックしたらここでも銅鑼は使われていたから、どうやら指揮者の好みで使ったりつかわなかったりするらしい。すると、今日の尾高師は「思い切りでかい銅鑼を用意しろ」と指示したのかもしれない。

今後も聴く機会の多い作品だから、銅鑼の有無やサイズに注意して聴くこととしよう。

♪2018-080/♪みなとみらいホール-21

2015年9月21日月曜日

読売日本交響楽団第82回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2015-09-21 @みなとみらいホール


尾高忠明:指揮
諏訪内晶子:バイオリン*
読売日本交響楽団

リャードフ:魔法にかけられた湖 作品62
モーツァルト:バイオリン協奏曲 第5番 イ長調 K.219「トルコ風」*
チャイコフスキー:交響曲 第4番 ヘ短調 作品36
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アンコール
チャイコフスキー:弦楽のエレジー~イワン・サマーリンの想い出

たまたま重なったのだけど、18日から21日までの4日間で6つのコンサートを聴いた。うち2日間は音楽堂とミューザ川崎シンフォニーホール、音楽堂とみなとみらいホールのハシゴだった。
こんなに重なることはこれまでの観賞歴では無かったことで、いささかコンサート疲れをしていた、その最後のコンサート。

予習するゆとりが無く、何が演奏されるのかも確かめず、チケットだけ持って出かけた。
席に着いてから気がついたけど、今、かけているメガネは外出用じゃない!自宅で読書やパソコン作業をするためのメガネなので度が弱く手元が見やすい代わりに遠くは全然焦点が合っていない。

音楽を聴く上でメガネはどうでもいいか、というとそうではない。
音楽は聴くだけより演奏ぶりを見ることで多くの情報と感興が得られる。
特に、この日はソロ・バイオリニストが諏訪内晶子だ。
多分、日本のこの熟女年代のバイオリニストの中では一番美形ではないかな。その彼女の表情が全くボケてしまったのが残念!って話が違うか。


リャードフという作曲家の存在は知らなかった。
19世紀後半から20世紀初頭のロシアの作曲家・指揮者・教師でリムスキー・コルサコフの門下、プロコフィエフの教師筋に当たるらしい。
「魔法にかけられた湖」はプログラムには楽曲の形式について何も書いてなかったが、Wikipediaでも手元の参考書でも「交響詩」と記載されている。
バイオリンが終始細かい音形を刻んでいる。これが湖のさざなみなのだろう。そこに木管が断片的なメロディを繋いでゆくが、全体としてはぼんやりとした雰囲気で始まり、ぼんやりと終わる。ドビュッシーの(牧神の午後への前奏曲などの)先取りのような印象だ。

モーツァルトの最後のバイオリン協奏曲と目されている第5番(全部で7曲書いたとされていたが、今では6番と7番は偽・疑作とされている。)はCDや放送などで時々耳にするが、これもナマで聴くのは初めてだった。
終楽章はメヌエット(3拍子)だが、中間部の短調・2拍子の部分が「トルコ風」と言われれば、ナルホドそうだったのか、と納得。


チャイコフスキーの4番はホルンとファゴットによる耳タコの勇ましいファンファーレで始まり、このフレーズが全曲を通じて顔を出し、終楽章後半でも再現される。運命のファンファーレというらしい。
プログラムの解説では、「運命と逃避」というキーワードで全体を説明してあったがそんな聴き方はしたことがないので、よく分からなかった。最後は盛り上がって終曲するが、あれはどこかに逃避する逃げ足を表しているのだろうか。

ま、そんなことは考えなくとも哀愁や激情が聴き手の心を掴んで離さない語り口のうまさがチャイコの身上だろう。


♪2015-92/♪みなとみらいホール-27