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2020年12月27日日曜日

N響「第九」Special Consert 「第九」❽

 2020-12-27 @サントリーホール


パブロ・エラス・カサド:指揮
NHK交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団

ソプラノ:髙橋絵理
メゾ・ソプラノ:加納悦子
テノール:宮里直樹
バリトン:谷口伸
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勝山雅世
:オルガン*

J.S.バッハ:組曲第3番ニ長調 BWV1068「アリア」(G線上のアリア)*
J.S.バッハ(デュリュフレ編):コラール「主よ、人の望みの喜びよ」*
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」op.125

パブロ・エラス・カサドの指揮は、スペイン人だからなのか冒頭からメリハリの強いシャキシャキした演奏だったが、1拍めの明瞭さに比べて拍の末尾がぼんやりとした印象は最後まで拭えなかった。

1拍目だけでリズムを作る軽快な舞踊曲みたい。

これはドイツ音楽だろうか?

…なんて、大胆な疑念と闘い続けているうちに終わってしまって、カタルシスは得られなかった。

今日のサントリーホールは響きも悪かった。
舞台周り以外はかなり大勢のお客が入っていたせいだろうか?

管弦のアンサンブルも、ホルンの聴かせどころ(とても上手なのだけど)も響きに潤いがない。

自席は、なかなか取れない最良席だった。ここで文句を言っていたら座る場所がない。なのに、響いてこない。

演奏技術とは無関係。

ホールは生き物だ。あるいは自分の体調も影響したかも。

音楽の齎す幸福度で測れば評点80点。

カーテンコールは最後スタンディングオーベイションで盛り上がったが、それ程じゃないよと1人白けていた。

♪2020-100/♪サントリーホール-06

備考:
弦の編成:12-10-8-5-4
合唱:女声20/男声20
演奏時間正味:63分18秒

2018年12月21日金曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会 県民ホール名曲シリーズ 第2回 ---「第九」❸

2018-12-21 @県民ホール


広上淳一:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
神奈川フィル合唱団

髙橋絵理:ソプラア
平山莉奈:メゾソプラノ
宮里直樹:テノール
浅井隆仁:バリトン

ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125

客席も舞台も広い県民ホールで聴く「第九」は一層の祝祭性を帯びて気分高揚。
残響が少ない為、弦はシャリシャリ感が残るがこれこそナマならではのリアルな感触。
その弦が高い透明感を保って心地良い味わい。

広上節は全体にテンポ鷹揚。特に第4楽章は外連味利かせテンポの変化が頻繁で歌わせすぎではないか。声楽独唱はそれこそ「歌え」ば良いのだけど、オケはできるだけ無表情にテンポを保って欲しい…というのが、僕の好み。

終楽章の低弦のレシタティーヴォは特に朗々と歌わせたが、こここそは限りなくイン・テンポで聴きたい。

演奏時間は楽章間休止含め71分位。

声楽陣と打楽器3人は第2楽章の後登壇した。
ならば、第3楽章から第4楽章への乗り換えは一呼吸で入れたのに、広上センセイ、フツーに休止時間をとったので肩透かし。Apple Watchで計測していたが、22秒間もお休みあそばした。これではテンションが下がってしまう。

神奈川フィルの出来は上々だった。先日の日フィルと良い勝負だ。また、合唱団は中高年中心で110名くらいだが、迫力あった。東京音大合唱団(日フィルの「第九」)にも負けていなかったな。
そして、声楽ソロも(テノールは急遽の代演だったが)みんな良く通る声で聴き応えがあった。
テノールは訂正済み

今季3回目の「第九」だが、声楽ソリストが舞台の前方(指揮者を挟む形)に立ったのは今回初めて(他の2回はオケの後ろ。)。やはり、前方に立つと声がよく通り、4声部の絡みもはっきり聴き取れて気持ちがいい。

事ほど左様に、オケも声楽陣もとても良い出来だったが、指揮者の演出が好みではなかったので80点としよう。

♪2018-175/♪県民ホール-05

2018年11月11日日曜日

日生劇場会場55周年記念公演 NISSAY OPERA 2018 モーツァルトシリーズ『コジ・ファン・トゥッテ、あるいは恋人たちの学校』

2018-11-11 @日生劇場


指揮:広上淳一
演出:菅尾友

管弦楽:読売日本交響楽団
合唱:C.ヴィレッジ・シンガーズ

フィオルディリージ:髙橋絵理
ドラベッラ:杉山由紀
フェルランド:村上公太
グリエルモ:岡昭宏
デスピーナ:腰越満美
ドン・アルフォンソ:大沼徹
ほか

モーツァルト作曲 オペラ『コジ・ファン・トゥッテ、あるいは恋人たちの学校』全2幕
(原語[イタリア語]上演・日本語字幕付)
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ

予定上演時間:約3時間30分
第Ⅰ幕 95分
 --休憩20分--
第Ⅱ幕 95分

日生劇場で初めてオペラを鑑賞したのは約40年前のことで、出し物が「コジ・ファン・トゥッテ」だった。友人と一緒だったので、終演後、銀座のライオンでワイン等を飲みながら熱く語り合ったことが、つい、この間のようでもある。

分かり易い筋書きが簡明で美しい音楽に載せて非常に混乱させる物語を紡ぐ。
このオペラ、観る度に話が腑に落ちることを期待するが、落ちた試しはない。

ダ・ポンテとモーツァルトはコメディのつもりで作ったのだろうけど、実に深遠な人間ドラマを含んでいるし、3世紀を経て女性観が様変わりした今、彼らが考えもしなかった問題を提起する。演出家は何とか解きほぐそうと格闘しているが…。

今回の演出は時代を近未来に設定し、女主人公2人をAIロボットに仕立てたが、難しい話を余計に混乱させただけに終わったように思う。

仲の良い男たちA(フェランド)とB(グリエルモ)にはそれぞれ恋人がいる。A’(ドラベッラ)とB’(フィオルディリージ)で、A’とB’は姉妹である。2組の男女はそれぞれ愛し合っているが、老哲学者(アルフォンソ)にそそのかされ、女の気持なんて頼りないものだ、試しに変装して他人になりすまして、口説いてみろと言われ、恋人の愛情に絶対の自信のあるA、Bは老哲学者と自分たちの恋人の心変わりの有無で賭けをすることになった。その際、Aが口説くのはB’を、Bが口説くのはA’という設定なのが、皮肉で残酷だ。

その先、どう話が転がってゆくか…。
老哲学者曰く「Cosi fan tutte(女性は)みんなこうしたものだ。」ということになるのだが、これはとても辛辣で当人たちには色んな意味で笑い事ではないのだ。

それを(僕は台本が悪いと思うが)十分な説明もなく最後は力技でみんな笑って終わりにしてしまうのだが、僕にはブラック・ジョークに思えてしまう。

広上淳一指揮。ピットに入ったのは読響。モーツァルト作品らしく中規模編成だったようだ。それだけに軽快で、広上淳一はいつものように、ピットの中でも踊っていた。

歌唱力は揃っていなかったが、水準は満たして満足。
狭い舞台だが手作り感のある装置に工夫をこらしていて好感。

♪2018-145/♪日生劇場-03