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2024年9月21日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第400回横浜定期演奏会

2024-09-21 @みなとみらいホール




カーチュン・ウォン:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
ゲルハルト・オピッツ:ピアノ*

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83*
チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調 作品36





オピッツはこれで3回目だが、全てブラ2だ。
これしか弾けないのか!なんて冗談ですよ。

やはり、ドイツもの、特にベートーベンやブラームスを得意としているというだけあって、(気のせいかも)すごく安心して聴いておられるし、ケレン味が全然なくて、ブラームスが書いたように弾いているのかもしれない…という気がしてくる。

数年前まで、カーチュウン・ウォンにハズレなしと思っていたが、日フィルの首席になった頃から、いついつもハズレなしでもないな、という気がしてきて、今日なんかも、アンサンブルがもっとビシッと決まっても良かったのではないかと思ったよ。

♪2024-128/♪みなとみらいホール-31

2021年12月5日日曜日

東京交響楽団川崎定期演奏会 第84回

2021-12-05 @ミューザ川崎シンフォニーホール



ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団

ゲルハルト・オピッツ:ピアノ

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 op.83
ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲



本来、独創ピアノはNアンゲリッシュという人だったが、体調不良とやらでオピッツに代わった。

アンゲ氏はまったく知らない人だが、オピッツは15年にSゲッツエル指揮神奈川フィルで聴いた。

その時も今日と同じブラームス2番だった。


過去の記録に、その時の印象を

「指はほとんど鍵盤に向かって突き立てることがなく、まるで鍵盤の上を雑巾がけでもしているような動きだ。力みがまるでなく感情を込めるといった様子もなく、淡々と職人芸を聴かせるといった風だ。」

と書いていたが、今日もそう思ったよ。


もし、小林愛実だったら、どんな悲惨な人生ドラマが起こっているのか、と思わせられたかもしれない。


淡々と弾いて、ブラームスの音楽の大きさ、魅力を感じさせてくれた。


オケは14型対抗配置。

と言っても第2バイオリン以下は16型と同じ。

大きな編成だったが、ピアノが埋もれる場面はなかった。


今日のノットのコントロールが次の曲も含め良かった。


ただ、ピアノの中低域は少し明瞭さにかけるところがあったが、ここはむしろオケと一体化したとでも言っておこう。


ルトスワフスキは滅多に聴けない作曲家だが、「管弦楽のための協奏曲」は過去に東響やN響等で経験済み。

ポーランド民族風味がどこに出ているのか分からないが、弦16型に管打鍵多数で、管弦楽を[生]で聴く楽しさには溢れている。


♪2021-145/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-40

2015年11月27日金曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第314回 コルンゴルト、ウィーンからの新たな風

2015-11-27 @みなとみらいホール



サッシャ・ゲッツェル:指揮

ゲルハルト・オピッツ:ピアノ
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番Op.83
コルンゴルト:シンフォニエッタOp.5
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アンコール(管弦楽)
ヨハン・シュトラウスⅡ:ポルカ「雷鳴と稲妻」 作品324

今回のテーマは「ウィーンからの風」だそうな。
首席客演指揮者のサッシャ・ゲッツェルはウィーン生まれ。
ピアノのゲルハルト・オピッツはドイツ・ピアノ界の正統派だそうで、まあ、音楽の素地はウィーンの親戚みたいなものか。
ブラームスは言うまでもなくドイツの3Bの一翼を担うドイツ人だが、ベートーベン同様ウィーンで活躍した。
コルンゴルトは今で言うチェコ生まれで、やはりウィーンでも活躍したらしいが、この人についてはむしろ活躍の場はハリウッドだったかも。

何やら、ウィーンで統一するには少し無理のある組合せで、モーツァルトやシューベルト、ヨハン・シュトラウスなどを組んだらまさしくウィーンの風が吹いたろうに。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番は強固な城郭然とした堂々の大曲だ。聴き応えがある。しかし、今日も神奈川フィルはホルンを始め金管に不安要素を抱えたままこの大海に乗り出した。

ところどころ小座礁しながら港には着いたが、出来はイマイチ。
ピアノは良かった。

ゲルハルト・オピッツは、体型から一層指が太短く見えるのだけど、その指はほとんど鍵盤に向かって突き立てることがなく、まるで鍵盤の上を雑巾がけでもしているような動きだ。
力みがまるでなく感情を込めるといった様子もなく、淡々と職人芸を聴かせるといったふうだ。

この曲は、カデンツァがなく、華麗なテクニックを見せることもないが、ラフマニノフの第3番と並んでピアノ協奏曲の最難曲とされているそうだ。
それだけに雑巾がけスタイルでこともなげに弾きこなすゲルハルト・オピッツが余計に頼もしく思えてくる。
オケが、特に管に安心感があれば堂々のコンチェルトだったのに惜しかった。

コルンゴルトはモーツァルトの再来と言われるほど早熟の天才だったそうだ。
「シンフォニエッタ」は作品番号からも若作りという検討はつくが、なんと15歳の少年時代の作だ。管弦楽作品としては2曲めだという。

「シンフォニエッタ」は「小さな交響曲」というくらいの意味だが、全4楽章で40分を超える大作だ。オケの規模もマーラーほどではないにしても大きい。

少年が、仕事で作曲した訳ではない。勉強か遊びで作ってみたというところだろう。そんな作品をありがたがって聴いてられるか、というような反発心も感じたよ。若いなあ。

ま、初めての作品だ。とりあえず聴いてみる。
冒頭のメロディが歌いやすい調子で始まるものの一捻りしてある。15歳がこんなメロディを思いつくのか、と少し驚く。
次から次へと楽想が繋がって出てきて休む間もない。
拒否感を覚えるような超現代風ではなく、後期ロマン派だと言われたらそうか、と思うような、新しさと古さが同居して居心地の悪いような印象であったが、これは初めて聴いたのだからそんなものかもしれない。

どこがウィーンの風か分からないままだったな…と思っていたら、アンコールでヨハン・シュトラウスⅡ「雷鳴と稲妻」でようやくウィーンぽく治まった。


♪2015-118/♪みなとみらいホール-36