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2023年5月12日金曜日

東京都交響楽団 第975回 定期演奏会Aシリーズ

2023-05-12 @東京文化会館



山田和樹:指揮
東京都交響楽団
東京混声合唱団*
武蔵野音楽大学合唱団*
東京少年少女合唱隊**

三善晃:混声合唱とオーケストラのための《レクイエム》(1972)*
三善晃:混声合唱とオーケストラのための《詩篇》(1979)*
三善晃:童声合唱とオーケストラのための《響紋》(1984)**



三善晃の反戦三部作だのレクイエムだのを聴いてなんにも感じなかったのは非文化人とか音楽を分かっちゃいないとか言われそうだけど、事実、なんの感動もなんの癒しもなんの妙味も感じなかったのだからしようがない。

特に最後の子供達の歌で、ああ、ようやく心地よい音楽が聴けるかと思いきや、オケが無作法に雪崩込んで、綺麗な合唱をズタボロにしてしまう。そこに意味があるのだろうけど、もういいよ。

そもそも大人の合唱も含め、今日の作品では、声楽を器楽としてしか扱っていないのではないか。そこにも違和感を感じた。

書いた方は深い重い痛切な感情を音にしたのだろうが、なんであれ、ちっとも共感できなかった。
今の世の中では、もう、居場所を失っているのではないか。

♪2023-079/♪東京文化会館-07

2023年1月15日日曜日

読響第7回川崎マチネーシリーズ

2023-01-15 @ミューザ川崎シンフォニーホール



山田和樹:指揮
読売日本交響楽団

黛敏郎:曼荼羅交響曲
マーラー:交響曲第6番イ短調《悲劇的》


3日連続してブラームス、の後、仕上げがマーラー6番か。
胃凭れしそうなプログラムで実測88分と長かったが、さすがは読響。音楽は片時も緩みなく、食いつくように聴いた。

読響管楽部の巧さは折に触れ感じているが、今日は弦も透明度が高くて、密度の高い合奏力を示した。

マーラーの作品はあまり好きでもないのだけど、6番は分かり易いのか、つまりは好みに合うのか、がっかりしたことがない。

いろんなオケで平均年1回は聴いているが、過去最高の出来はPヤルヴィ+N響@みなとみらいHで、あの神がかりな演奏を超えるものはまったく期待していないが、今日の読響はその時の演奏を彷彿とさせた。


もちろん弦は16型だが、ホールの良さも手伝って、迫力はあれどがさつかず。時に出来不出来はあれど平均的にはやはり読響は実力集団だなと得心させた。

2-3楽章の順はスケルツォ⇒アンダンテ。第1楽章や第4楽章が長大なので、相対的に短めの両楽章の順番はどっちでもいいと思うよ。

前半の曼荼羅交響曲の緊密な合奏力も特筆もの。
これで、6番を傾聴する心の準備ができた。

♪2023-008/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-01

2021年12月16日木曜日

第1947回 NHK交響楽団 定期公演 B-2

2021-12-16 @サントリーホール



山田和樹:指揮
NHK交響楽団
佐々木典子:ソプラノ

マーラー:花の章
R. シュトラウス:4つの最後の歌
ベートーベン:交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」


昨日は日フィルとだぶったので今日に振り替えてもらったが、大抵振替席は最悪だ。

特にN響Bは人気があるので良い席はすぐ埋まってしまうのだろう。

前回は右壁に近い席だったがだいぶ後列だったので抵抗は少なかったが、今日は5番という壁際で6列目という悲惨な席だった。


左には通路と壁しかない。正面はバイオリンの最後列。音源はすべて席より上手にある。


遠くの東半球で音楽をやっているらしい…

とまあそんな感じだ。


ホルンが下手に配置されていたので、ホルンだけはプツプツと良く聴こえてくる。


バランスなんて関係無し。

脳内で指揮者の位置で聴く音楽に変換する試みも全く無駄。


これでもS席なのだ。

周りの人はよく我慢して聴いているよ。


11日の日フィル@サントリーのLD席(A席)もびっくりの経験だったが、今日の6列5番で聴くことを思えばずっと良い席だ。


枕が変わったら寝られないという人がいるが、僕も見慣れぬ視界に置かれるととても音楽を聴くどころじゃない。

全く、集中できなかった。


♪2021-156/♪サントリーホール-21

2020年2月11日火曜日

読売日本交響楽団第117回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2020-02-11 @みなとみらいホール


山田和樹:指揮
読売日本交響楽団
イーヴォ・ポゴレリッチ:ピアノ*

グリーグ:二つの悲しき旋律
シューマン:ピアノ協奏曲*
ドボルザーク:交響曲第7番
--------------
アザラシヴィリ:無言歌(弦楽合奏版)

1曲目のグリーグとアンコールのアザラシヴィリは初聴き。
いずれも弦楽合奏。弦の編成は14型と16型。

今月に入って東響・都響・神フィル・東響でいずれも小編成の弦楽合奏が見事だったので、耳が繊細になりすぎていたか。
読響クラスでも奏者が増えると音が濁る…というより重い感じだ。

ピアノ独奏のポゴレリッチは多分2回目のはずだが記憶にも記録にも漏れているらしい。

シューマンを弾いた。

もう、冒頭の和音連打のテンポから違和感を感じた。
聴きなれていないだけだから集中してこの世界に入ろう、などという殊勝な思いは長く続かず途中から幽界離脱状態。

14型でも重く感じた弦はドボ7で16型になって更に重い。
金管の炸裂も心なしか輝きに欠ける。
いつもの読響とは違う。どうも入り込めない。
するとドボルザークの才能にさえ疑いが生じてくる。

山田和樹も読響も今日はポゴレリッチ症候群を抱えていたのではないか。

♪2020-019/♪みなとみらいホール-05

2018年1月13日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第334回横浜定期演奏会

2018-01-13 @みなとみらいホール


山田和樹:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
ピアノ:小曽根真*

バーンスタイン:《キャンディード》序曲
​バーンスタイン:《キャンディード》組曲
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
バーンスタイン:交響曲第2番《不安の時代》*
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アンコール
バーンスタイン:「On The Town」から”Some Other Time”*

今年はバーンスタインの生誕100年ということで、あちこちの演奏会でベーンスタインの作品が取り上げられるようだ。
それにしては、今日の演奏会は、バーンスタイン3本に何故かラヴェルが1本。これがどうバーンスタインと結びつくのかはプログラムにも書いてなくてサッパリ分からない。新年の演奏会であるから、ウィンナ・ワルツを1曲混ぜるというなら分からないでもないが、バーンスタインの小品かせめて小曽根が客演しているのだからラプソディインブルーでも組み合わせて欲しかったが「高雅で感傷的なワルツ」ではどうしても違和感がある。

山田和樹指揮のオケは上出来。「キャンディード」序曲冒頭のブラスの咆哮で気持ちを掴まれた。この序曲自体は時々演奏会で取り上げられるし、個人的にはミュージカルのディスクも持っているので馴染みがある。そして、この曲を聴きながら、近・現代の管弦楽の発達というのは、まこと管楽器・打楽器の発展だったなあと得心した。もちろん、弦楽器はここ数百年なんにも変わっていないのだから、こんなことはあたり前のことなのだけど、「キャンディード」序曲では、ほぼ全曲に渡って、管・打楽器が大活躍するのであって、弦楽器はお手伝い役にすぎないように思う。
そんな風に思いながら次の「キャンディード」組曲を聴いても、やはり、主体は管・打楽器のようだ。こちらは声楽に変わるものとして弦が旋律を受け持つ部分もあるが、そもそもが旋律というよりリズム主体の音楽なので、弦の役割は小さい。

さて、メインの「不安の時代」は、その名を知っていた程度であり、ナマで聴くのはもちろんCDなどでも聴いたことがなかったので「キャンディード」と違ってまったく馴染みがない。

全体は大きく二つの部分に分かれている、と解説に書いてあり、それは聴いていても明確に分かったが、その二部の各部はそれぞれが3部に分かれていて、前半の第二部の第2部と第3部がそれぞれに7つの変奏曲でできていると書いてあるのだが、そんなことは聴いていても分かるはずもない。正直なところ、7つの時代だの7つの段階だの無意識の領域だの分かるはずがない。
まあ、純粋なクラシックというより、ジャズっぽい部分もあって、聴いていて退屈するような音楽でもないけど、先日のツェムリンスキー:交響詩《人魚姫》のように、抵抗感は乏しいけども35分も聴かされてはたまらんという感じだったな。

♪2018-004/♪みなとみらいホール-01

2017年11月11日土曜日

NISSAY OPERA 2017 ドボルザーク『ルサルカ』

2017-11-11 @日生劇場


指揮:山田和樹
演出:宮城聰

管弦楽:読売日本交響楽団
合唱:東京混声合唱団

ルサルカ⇒竹多倫子
王子⇒大槻孝志
ヴォドニク(水の精)⇒妻屋秀和
イェジババ(魔法使い)⇒与田朝子
外国の公女⇒秋本悠希
料理人の少年⇒守谷由香
森番⇒加藤宏隆
森の精1⇒松原典子
森の精2⇒梶田真未
森の精3⇒池端歩
狩人⇒松原友

ドボルザーク作曲 オペラ『ルサルカ』全3幕
(チェコ語原語上演・日本語字幕付)

アンデルセン童話の「人魚姫」によく似たメルヘンだ。
水の精ルサルカは一目惚れをした王子様の済む人間界の住人になりたくて魔法使いに人間にしてほしいと頼むが、代わりに声を失う。また、恋人の裏切りは二人の死を意味するとも告げられる。

最初はそのルサルカを愛おしいと思っていた王子も物言わぬルサルカから他の女性に心が移ろう。
かくして、2人には悲劇が待っている。

声を失うヒロインの物語を、よくぞドボルザークはオペラにしたものだと思うが、第2幕の最初から殆どの場面、ルサルカは無言で苦しい胸の内を演じなければならない。
この「声を失う」には、当時のヨーロッパの政治・文化の中心(ドイツ語圏社会)に入ればチェコ語が通じなくなるという厳しい現実を童話に託したという説明も読んだが、社会風刺劇ではなさそうだ。

物語は、納得できるかどうかは別として単純で分かりやすい。
音楽は、流石にドボルザークだ。西洋音楽の枠組みの中に民族的な旋律もまぶしてあって、楽しめる。有名なアリアは「月に寄せる歌」しか無い(と思う。これしかなくともこれだけでも聴けば満足、というほどに美しい。)が、それほど有名ではない歌もしみじみと共感できる。


今回は、舞台装置・照明が素晴らしかった。

オーケストラの規模がかなり大きいのでピットに収まりきらず。舞台の上手(管・打の一部)と下手(木管全員)の両側方に別れて陣取った。その為に、オケが一体化するようにピットも底上げしてあった。普段なら、ピットの中の演奏家は頭ぐらいしか見えないのだけど、今回は客席とほとんど同じ高さぐらいまで底上げしてあった。指揮者も指揮台に乗り立ったままの演奏だった。でなければ演奏家たちによく見えないからだ。
そんな変則オケ配置だったが、観劇に特段支障はなかった(これは僕の席がGSの中央最前列だったからかもしれないが、お陰で山田和樹の入魂の指揮ぶりがよく分かって感心した。)。

さて、すばらしかったというのはオケの配置ではない。これはむしろ苦肉の策だろう。しかし、それを逆手に取った舞台美術や演出が舞台と客席の一体感を高めた。
舞台の両側方から円弧を描いた背景の壁は日生劇場の独特の壁面と同じようなデサインにしてある(もっと徹底して欲しかったが。)ので、劇場の客席と舞台は繋がっているかにも見える。

1幕終盤の女声合唱は1階席後方の両側に陣取り、2幕冒頭では客席前方が舞台となり、ここにも舞台と客席の一体化は成功していた。
また、舞台装置が全幕を通して変わらないので、その分、照明やスモークなどが工夫されて、本来は異界の地をそれなりにイメージできたのも良かった。

あるいは、この公演がチェコ語(原語)で行われたというのも、意義が深いかもしれない。歌手たちは大変だったろう。

NISSAY OPERA近年のヒットではないか。

♪2017-176/♪日生劇場-03

2016年1月10日日曜日

N響第1826回 定期公演 Aプログラム

2016-01-10 @NHKホール


山田和樹:指揮
松嶋菜々子:語り*
NHK交響楽団

ビゼー:小組曲「こどもの遊び」作品22
ドビュッシー(カプレ編):バレエ音楽「おもちゃ箱」*
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシカ」(1911年版)

指揮の山田和樹は、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝したのが2009年。
若いと思っていたけどもうすぐ37歳だ。いよいよ中堅に入るのだろうか。

放送は別としてナマの指揮ぶりを聴くのは初めてだ。
N響とは3年半前に定期外で共演したそうだが、定期演奏会としては今回がN響デビューとなる。

それにしても面白くないプログラムだ。
コンセプトは「子どもとおもちゃ」なのかな。



「ペトルーシカ」は時々聴くけど「こどもの遊び」も「おもちゃ箱」も初めての曲だった。

「こどもの遊び」は12曲からなるピアノ連弾曲が元で、この内次の5曲をビゼー自信が管弦楽用に編曲したもの。

1 ラッパと太鼓(行進曲)
2 お人形(子守歌)
3 こま(即興曲)
4 小さな旦那様、小さな奥様(二重奏)
5 舞踏会(ギャロップ) Le Bal (Galop)

「おもちゃ箱」は子供のためのバレエ音楽。
知人の挿絵画家アンドレ・エレの絵本を元に最初はピアノ曲として、次いで管弦楽用に編曲したが未完で亡くなったためにカプレという作曲家が補筆・完成した。

1 前奏曲 おもちゃ箱の眠り
2 第1場 おもちゃ屋
3 第2場 戦場
4 第3場 売られる羊小屋
5 第4場 お金持ちになってから
6 エピローグ

今回の演奏では各場面ごとにエレが書いた絵本の筋書きが朗読された。
松嶋菜々子が担当したが、ナマで見るのは初めてで、長身でスタイルが良く、片肌脱いだ?ドレスはピアノの鍵盤をイメージしたような白と黒のデザインでしっぽりとオトナの女を漂わせていた。

「ペトルーシカ」はストラヴィンスキー3大バレエの一つ(他は「火の鳥」、「春の祭典」)だけど、一番マイナーかな。
4場で構成され、曲数は15曲位…というのは、解説には各曲の説明はなかったし、演奏によっても編成が異なることがあるらしい。僕の手持ちのCDは全15曲だ。



初めて聴く作品が2曲。
それもお子様向け。
すべていわば劇伴音楽なので、純粋な演奏会向けの音楽ではない。
すべて細切れで成り立っている。
そういう点で、不満のあるプログラムだった。

客演指揮者の思いどおりにはならないのかもしれないが、初共演ではできたらドイツ古典派~ロマン派の音楽を聴きたかった。


♪2016-004/♪NHKホール-01

2014年5月10日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第297回横浜定期演奏会

2014-05-10 @みなとみらいホール



小林美樹:Vn
山田和樹:指揮 
日本フィルハーモニー交響楽団

コルンゴルト:バイオリン協奏曲ニ長調Op35
ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調Op27


●昨日に引き続きみなとみらいホールだが、昨日は前から2列目という過酷な鑑賞環境だったが、今日は、定期演奏会なので、いつもの3回最前列席正面という、遠いけど、バランスよく音楽が聴こえる席だ。
たしかに、昨日とは全然音の響きが違う。
いくら舞台そばが好きと言っても、近づきすぎては音のバランスが悪い。

●コルンゴルトという作曲家の名前を知ったのはつい最近のことで、今年3月の読響定期で彼のヴァイオリン協奏曲を初めて聴いた。

半世紀にわたるクラシック音楽ファンにして、日本のオーケストラが演奏会で取り上げるような作曲家を(初演は別として)知らない、なんて、ちょっとショックだった。
まあ、もう一度聴く機会は数年間はあるまいと思っていたけど、なんてことはない。1月強で再び聴くことになった。

前回からあまり日が経っていないので、音楽全体の感じはぼんやりと覚えていて、あと数回聴けば自分のテリトリーに入ってくるという感じだ。

元々ハリウッドで映画音楽も書いていたという人なので、ところどころに映画音楽風なメロディーが登場して、現代曲(1945年)ではあるけど、親しみ易い。


●ラフマニノフの交響曲第2番も恥ずかしながら聴くのは初めてだ(厳密には放送で聴いているかもしれないけど、記憶が無い。)。
20歳台に発表した第1番は大コケしたらしく、長くそのトラウマに悩まされながら30代にして満を持して発表した第2番は満場の喝采で迎えられたという。

ラフマニノフといえば4曲のピアノコンチェルトが超有名だが、この交響曲の第1楽章だったか、第2楽章だったか記憶が定かではないけど、彼のピアノ協奏曲と同じ楽想の断片も出てきたように思う。

全体が、ラフマニノフ印(ピアノ協奏曲にみられる旋律と類似)で満たされた、どちらかと言うと甘美でドラマチックな音楽だ。
第3楽章のAdajioはラフマニノフらしい癒し系の心地よさがある。
ただし、演奏に60分を要する大曲で、今の僕の感受性では間延び感は否めない。


●さて、バイオリンのソリストは小林美樹。この人の演奏も3月はじめに聴いたばかりだったが、前回(モーツァルト5番)より一段と貫禄を増して別人のようであった。

●今日のゲスト・コンサートマスター白井圭クン。
「熱狂の日」でベートーベンの七重奏曲を聴いた時のバイオリニストで、巧いしメンバーのリードも良かったと思ったが、1週間後にこの大舞台で再会するとはこれも縁だ。今後の活躍に注目していようと思う。

余談だが、ベートーベンの七重奏曲でチェロを弾いていた横坂源クンも、7日早朝に放映されたNHKEテレのクラシック倶楽部で、ブラームスの六重奏を演奏していた(再放送)。優れた若者がキラ星のようにいるんだ。

♪2014-51/♪みなとみらいホール21