2016年11月28日月曜日

東京都交響楽団 第814回 定期演奏会Aシリーズ

2016-11-28 @東京文化会館


大野和士:指揮
東京都交響楽団

ピエール=ロラン・エマール:ピアノ *
天羽明惠:ソプラノ **

ベルク:アルテンベルク歌曲集 op.4 **
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調 *
マーラー:交響曲第4番 ト長調 **
-------
アンコール
ブーレーズ:ノタシオン Ⅷ~Ⅻ *

ベルクの「アルテンベルク歌曲集」は初聴き。こういう作品の存在も知らなかった。
全5曲で10分強。
作曲者のベルクと作品名が似ているのでちょっと混乱したが、同時代の詩人アルテンベルクの詩集「絵葉書の詩」の中の5篇に音楽をつけたものだそうだ。

ベルクについてはシェーンベルクの弟子筋に当たる無調の作曲家ということくらいしか知らないが、まさにこの曲は無調音楽だ。
大規模な管弦楽を伴奏にしたソプラノの独唱だが、訳が分からない。つまらない。まあ、なんとなく夢遊病者みたいな感覚は再現しているのだけど、こういうのが音楽といえるのか疑問が払拭できない。しかし、旋律らしい旋律もない、和声や調性の手がかりのない音の連続を「歌う」のは相当困難なことだろうとは思った。

まことに個人的な趣味で言えば、天羽明恵が本領を発揮したのは最後のマーラーの第4番の最終楽章だ。これは良かった。きれいな透き通るソプラノが朗々と響いた。

ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」は既に何度も聴いている。舘野泉の演奏も聴いた。
しかし、何度聴いても大いに疑問があって気分が乗れなかった。
不幸にして片手しか使えなくなったピアニストはまことに気の毒だが、ピアノという楽器はいうまでもなく両手で弾いてこそ本領を発揮する。私的な楽しみのために(片手のための作品を)作曲し、演奏するのはそれで良いとしても、両手が使えるピアニストがわざわざ片手を封じて演奏するというのはどう受け止めたらいいのだろう。

この日の演奏も、こういう懸念が解消された訳ではないが、しかし、演奏は良かった。
ピエール=ロラン・エマールについては、NHKクラシック倶楽部で放映されたリサイタルを聴いたが、どんなレベルなのか分からない。プログラムの解説によると「当代最高のピアニストの一人」と書いてあるが、まあ、こういう紹介は常套文句だからどのくらいすごいのかは分からない。

が、ピアノも都響の管弦楽も緻密にしてダイナミック。
片手のみということが信じられない超絶テクニック(これまでも聴いた演奏も当然そうだったが)に気持ち良くあっけにとられているうちに行進曲風のリズミカルな3連符が続くがここが単一楽章の第2部なのだろうか。その後の長いカデンツァも鳥肌モノだ(本当は良い意味で「鳥肌」は誤用らしいが、この際適切な語彙が思いつかない。)。激しさだけではなく、ここでピアノはたっぷりロマンチックだ。甘い夢をさまようがごとく。

そんな訳で、「左手の〜」に引っかかりを残しながらも、今回はじめてこの音楽が美しいと感じた。

マーラーも良かった。
オケの定期にマーラーは欠かせないので、これまでも色々聴いたが、どういう訳か第4番は聴いたという記録がないし、記憶もはっきりしない。たぶんナマで聴くのは初めてだったのかも。
CDなどでは特徴的な第1楽章の出だしからすっと入りやすいが、第3楽章がやたら長すぎる(全楽章中最長で22分位)という思いがあった。しかし、ナマで聴くとこれはこれで楽しいものだ。

都響はいつも安定感抜群で、このオケこそ「管弦楽」(正しくは「管弦打楽」か。)を感じさせてくれる。
マーラーのような大規模な管弦楽作品となると俄然巧さが際立つようだ。

♪2016-165/♪東京文化会館-09

2016年11月27日日曜日

横浜音祭り2016クロージングコンサート ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団演奏会

2016-11-27 @みなとみらいホール


パーヴォ・ヤルヴィ:指揮
ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団
樫本大進:バイオリン

シューマン:歌劇「ゲノフェーファ」序曲 op.81
ベートーベン:バイオリン協奏曲 ニ長調 op.61
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68
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アンコール
ブラームス:ハンガリー舞曲第3番 ヘ長調
    同    :ハンガリー舞曲第6番 ニ短調

横浜音祭り2016クロージング・コンサートと位置づけられたカンマーフィルの演奏会。
パーヴォとカンマーフィルは2006年にみなとみらいホールからベートーベンの交響曲全曲の演奏・録音を始めたそうだから、今日は原点に帰ったような演奏会だ。

弦5部の編成は(野鳥の会ほど正確な目ではないので少し違うかもしれないが)、
第1バイオリン10人/第2バイオリン8人/ビオラ6人/チェロ6人/コントラバス4人。これに各曲の所要の管・打楽器が加わるが、3曲ともほぼ同時代の作品とあってか、編成に大きな差はなく管・打の計は18名くらいか。つまり総勢は52名前後のようだ。

「ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団」というのが正式名称らしいが、確かに中編成以下とは言え、室内管弦楽団と断る程こじんまりでもなくブラームスまでの作品を演奏するにはちょうどいいくらいの規模ではないのだろうか。
配布されたプログラムの解説ではトランペットやティンパニはオリジナル楽器と書いてあったが、そんな風には見えないし聴こえなかったな。
また、ピリオド奏法(ビブラートなし)で演るのかと思ったけど、そうでもなく、やや控えめではあるがビブラートはかけていた。もっともこの時代の作品だからやたら咽び泣くようなビブラートはそもそもご法度だと思う。
適正規模で、しかし、メリハリの効いたモダンな演奏を正確無比にやってのける、というのが聴く前に抱いていた印象だった。

最初のシューマンの序曲「ゲノフェーファ」でどんな弦の響を聴かせてくれるかと興味と期待で最初の音を聴いたが、まあ、どこにでもあるような音だった。いわば音慣らしのようなものか。


いよいよ、ベートーベンのバイオリン協奏曲。
これは良かった。やはり、オケの規模が小さいだけに、各パートが明瞭でメロディの輪郭が鮮やかだ。樫本大進のバイオリンも当然、埋もれることなくさりとて浮き立つこともなく良い塩梅に聴こえた。

パーヴォ+N響でベートーベンを聴いたのは昨年末の「第九」だけだが、その時の印象から、ベートーベンを振るときはテンポを早めにするのかという予断を持っていたが、遅くもなく、速くもなく、よく聴く普通のテンポだった。奇を衒うことなく王道のベートーベンだったように思う。

ブラームスには少し驚かされた。休憩が終わって後半の開始時間に既にチューニングが終えたオケが静かに待っている舞台にパーヴォが登場し、客席に軽く一礼したかと思ったらひょいと指揮台に飛び乗り、乗ったが早いか、第一拍を振り下ろした。あっけにとられている間もなく例のティンパニーの8分音符の連打のテンポが結構速い。
ベートーベンではさほど感じなかったけど、ブラームスではけっこう外連味を感じさせる。
テンポの設定然り。強弱のメリハリもはっきりしている。
それらが、小規模編成で…と言っても音圧に不足はないのだ…カチッと輪郭を明らかにして迫ってくるのはある意味で心地よい。あゝ、ブラームスってこうなの?という疑問は覚えるのだけど(ベートーベン風だ!)、まあ、いいかなあ、と説得させられてしまう。

最近、相次いで、ウィーン・フィル、サンフランシスコ響、そしてカンマーフィルと聴いたが、サンフランシスコ響には及ばないもののウィーン・フィルより面白い(巧いという意味ではなく)かな、と言う印象で本番が終演した。

しかし、アンコールが問題だった。
やらなければよかった。
ブラームスのハンガリー舞曲第3番はまずまず、オマケとして楽しく聴いたが、第6番はひどいな。思い切りのテンポ・ルバート。極端なリタルダンドとア・テンポ、強すぎるダイナミックレンジ。これではあのコバケンも真っ青だ。パーヴォとしてはサービスのつもりだったのかもしれないが、慣れないサービス精神が音楽をひどいものにしてしまった。これは聴かないほうが良かった。

♪2016-164/♪みなとみらいホール-44

2016年11月26日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第685回東京定期演奏会

2016-11-26 @サントリーホール


アレクサンドル・ラザレフ:指揮[桂冠指揮者兼芸術顧問]
日本フィルハーモニー交響楽団
郷古廉:バイオリン

ショスタコーヴィチ:バイオリン協奏曲第1番
グラズノフ:交響曲第5番

睡眠不足で出かけたものだから半分は船を漕いでいたような気がする。完全に寝ている訳ではなくて、音楽が頭の中で鳴っているのだけど、音楽に集中している訳でもない。

そもそもショスタコのバイオリン協奏曲はここ数年で3度はコンサートで聴いている。CDでは何十回も聴いている。昨夜も睡眠中ベッドサイドで繰り返し鳴っていた。
サントリーホールへ行く電車の中でもイヤフォンから流れていたのがこれだ。
そんなに繰り返し聴くのは、良さが分からないからだ。
CDで聴いてつまらなくともナマを聴くとその良さに気がつくことが多い。が、この曲については当てはまらない。

同じくショスタコのチェロ協奏曲は彼の全作品(をつぶさに聴いた訳ではないけど)中、一番のお気に入りだし、第5番を始めとする交響曲の幾つかと弦楽四重奏曲の幾つかは二番手、三番手のお気に入りだ。
ショスタコは現代作家の中では好きな方だ。
しかし、繰り返し聴いているにも関わらずどうにも馴染めない作品群がある。その中の代表がバイオリン協奏曲第1番だ。

ま、とにかく、今の時点では楽しめないのだ。
今日も、眠いとはいえ、最初は刮目して聴いていたのだけど、だんだん、つまらなくなって、後半戦のためにはここで少し休むが良かろうということにして集中力を放棄したらウトウト気分良くなった。

後半のグラズノフは、これまでも色んな音楽を聴いてきたが、どれも聴きやすい分かりやすい音楽だった。交響曲を聴くのは初めてだったが、初めてでも何の抵抗もなく耳に馴染んでゆく。ロシアの、あるいは東欧の民謡風な音階、明確な旋律線、色彩豊かな管弦楽と楽しめる要素が詰まっていた。なにより深刻な部分がないのがいい。陽気で楽天的。あるいは牧歌的。

♪2016-163/♪サントリーホール-12

2016年11月24日木曜日

国立劇場開場50周年記念 通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら) 第二部 四幕五場

2016-11-24 @国立劇場


平成28年度(第71回)文化庁芸術祭主催
竹田出雲・三好松洛・並木千柳=作
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)第二部四幕五場
国立劇場美術係=美術


浄瑠璃道行旅路の花聟   清元連中
五段目   山崎街道鉄砲渡しの場
        同二つ玉の場
六段目   与市兵衛内勘平腹切の場
七段目   祇園一力茶屋の場

(主な配役)⇒11/03のノート参照


3日に続いて2度めの鑑賞。筋はすっかり頭に入っているつもりだったけど、やはり1度目には見落としているものがあった。

芝居として重要なのは六段目と七段目だ。
五段目の暗闇の山中で勘平が撃ち殺したのは、おかるの父与市兵衛を惨殺して50両を奪った斧定九郎なので勘平は岳父の仇を討ったことにになるのだが、勘平には誰を猪と誤って撃ったのかが分からなかったことと斧定九郎が与市兵衛から奪った財布を、これで出世の手がかりができたと自分の懐に入れたことが災いしてまことに運悪く、彼が与市兵衛を殺し50両を奪ったと自分でも思い込み、回りからも責め立てられ、ついに自ら腹を切って落とし前をつける羽目に至る。
その直後、彼の無実は明らかになり晴れて討ち入りの連判状に名を連ねてもらうことができたが、時既に遅し。
僅かな手違いが運命の糸を縺れさせ思いもかけない大事に。ここがとてもドラマチックだ。

この勘平を菊五郎(七代目)が演ずるのだが、この一連の芝居には三代目菊五郎の型を基本に五代目菊五郎が完成した「音羽屋型」が踏襲されているそうだ。尤も他の型は観たことがないのでどんなものか分からないけど、まあ、緻密に手順が定められているのだろう。観客はそれを知る必要もないのだけど知ればさらに面白いだろう。

七段目。大星由良之助(吉右衛門)はこの段にしか登場しないが、なんといっても全段を通したらこの役こそ主役だろう。
しかし、七段目だけを観ると、ここで面白いのは遊女になっているおかる(雀右衛門。なお、冒頭の道行と六段目では<おかると勘平>は<菊之助と錦之助>。)とその兄の平右衛門(又五郎)の話だ。

足軽にすぎない平右衛門だが、なんとか討ち入りの仲間に入れてほしいと願い出るものの、敵を欺くために味方も欺いている由良之助には冷たくあしらわれてしまう。
ところが、おかるが由良之助への密書を盗み見したことから由良之助はおかるを身請けしてやろうという話になった。その次第をおかるから聞いた平右衛門はすべてを察し、妹を殺してまでも連判状に加えてもらおうとする。訳が分からないおかるに平右衛門は(六段目で描かれる)父・与市兵衛の死や夫・勘平の自決を説明することで、おかるは絶望し、いっそ兄の手にかかって死のうと覚悟を決める。
このドラマがとても観応えがあり、面白い。

又五郎と雀右衛門のともに涙を絞られるような哀切の芝居は由良之助の存在を食ってしまって七段目の主役のようでさえある。

第1部は武士の世界が描かれたが、第2部では元武士を含む庶民の人情物語だ。「仮名手本忠臣蔵」という大芝居の懐の深さとでも言うか、よくできた物語だと感心する。

♪2016-162/♪国立劇場-08

2016年11月23日水曜日

第7回 音楽大学オーケストラ・フェスティバル2016 桐朋&昭和

2016-11-23 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ジョシュア・タン:指揮(桐朋)
桐朋学園オーケストラ
モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K.136
バルトーク:管弦楽のための協奏曲
渡邊一正:指揮(昭和)
昭和音楽大学管弦楽団
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64

在京9音大のオケが4日間にわたり、ミューザ川崎シンフォニーホールと池袋の芸術劇場で演奏会を毎年開催して今年が7回目だそうだが聴きに行ったのは今回が初めて。
これとは別に各音大の選抜メンバーによる合同演奏会も毎年3月にあり、こちらは前回聴いて異次元の音楽体験だったので来年のチケットも既に購入済み。

各音大が独立して演奏する機会は(昭和音大を除いて)なかったが、全4回9音大すべての演奏を聴くことはできないので、今日の桐朋+昭和と来月の東邦+洗足の回を聴くことにした。

各大学の演奏の前に共演大学の学生が作曲したファンファーレがその大学の学生によって演奏された。エールの交換なのだそうだが、現代的なファンファーレで金管のみ又は金管プラス打楽器という小編成だが、2作ともあまり面白い作品ではなかった。

最初に桐朋のモーツァルトは弦楽のみで、これがなかなかきれいだし結構分厚い音をだすので、まるでプロのようでさえあった。
バルトークは管・打楽器も大活躍で、楽器見本市のような面白さはあるけど、これはオーケストラによほどの熟達した腕がないとバラバラの感じがしてしまう。ま、そんな、今一歩という感じだったが、さすがに東京藝大とともに優れた音楽家を輩出している音大だけにとても学生オケとは思えないレベルの高さを感じた。

それにしても圧倒的に女学生が多く、ディベルティメントは小編成だったので数えてみたら全員で35名(弦のみ)のうち男子学生はわずかに4人だけだった。
2曲めの管弦楽編成になってもその割合は似たようなもので、後半の昭和大学も…こちらははっきりとした記憶はないのだけど、やはり女性が多数を占めていたと思う。

実社会では女性の活躍が期待されているが、音楽の世界ではむしろ男性の活躍が期待されるな。

昭和音大の方は、管弦楽にややまとまりを欠いたように聴こえたのだけど、何と言っても音楽が素晴らしい。管楽器も打楽器もかっこよく大活躍するチャイコの5番が圧倒的な心地よさとカタルシスを与えてくれた。

♪2016-161/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-27

2016年11月22日火曜日

NHK音楽祭2016:サンフランシスコ交響楽団演奏会


2016-11-22 @NHKホール


マイケル・ティルソン・トーマス:指揮ユジャ・ワン:ピアノ*サンフランシスコ交響楽団
ショパン:ピアノ協奏曲第2番ヘ短調 作品21*ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB107(ハース版)------------アンコールシューベルト(リスト編):糸をつむぐグレートヒェン

聴いた場所も良かった。大きなホールだからそういう事情も影響しただろう。弦のアンサンブルが重厚だ。力強い。とは言え、ブルックナーの冒頭など聴こえないような繊細な微弱音もきれいだ。でも特徴的で印象に残ったのは厚い響きだ。国内オケだってこれくらいの力はあるなと最初は思いながら聴いていたけど、段々と音楽が進むにつれやはり一味違うものを感じた。前半のショパンは音楽がそもそも協奏曲と謂い条その実管弦楽伴奏付きピアノ幻想曲?とでも言った方がいいような作品なので、管弦楽はもっぱらユジャ・ワンの引き立て役に徹していたように思ったが、後半のブルックナーでは管弦楽が遺憾なく力を発揮した。第2楽章や終楽章のワーグナー風な、オルガン風なアンサンブルの美しさには特に弦の充実を感じさせた。ブルックナーの音楽(交響曲しか知らない)は、たいてい冗長感が拭えなかったが、今回はその精密な音楽の作りを逐一味わった気がして長すぎるとは思わなかった。
ユジャ・ワン!9月に音楽堂でのリサイタルをかぶりつきで聴いてヒジョーに興奮させられたが、今回はピアノ協奏曲ということもあって、リサイタルと比べるとだいぶ端正な印象を持った。とは言え、やはり、ユジャ・ワンらしく、例えば、力強い左手のバスに載せた右手高音部の実に軽やかでしなやかな宝石のキラメキのような音が、正確無比に転がる様にうっとりする。一体、ほかのピアニストとどこが違うのだろう。その違いを説明できるほどの耳も経験もないが、明らかにユジャ・ワンの弾きぶりはユニークだと思う。トレードマークの蝶番を畳んだような90度のお辞儀は健在で(よく見ると100度くらい曲がっているようにも思ったが)、指揮のマイケル・ティルソン・トーマスもおどけてユジャ・ワンと並んで腰を曲げてあいさつしたが、彼はせいぜい40度くらいしか曲がらなかったな。

2016-160/♪NHKホール-11


2016年11月20日日曜日

N響第1848回 定期公演 Aプログラム

2016-11-20 @NHKホール


デーヴィッド・ジンマン:指揮
レイフ・オヴェ・アンスネス:ピアノ*

シューマン:「マンフレッド」序曲
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54*
シューマン:交響曲 第3番 変ホ長調 作品97「ライン」
------------
アンコール
シベリウス:ロマンス 変ニ長調 作品24-9*

前日、都響でデュティユーやシェーンベルクの現代音楽(と言い切っていいのかどうか自信ないけど)をつまらなく聴いたので、今日のオール・シューマン・プログラムは楽しみだった。

やはり、古典派からロマン派中期までのそれもドイツ音楽が馴染んでいるせいでもあるのだけど性に合っている。

ピアノ協奏曲は冒頭のティンパニに続く特異なピアノのアタックでぐいっと引きずり込まれる。情感の奔流みたいな音楽のなんて心地よいことか。

D・ジンマンの指揮やレイフ・オヴェ・アンスネスのピアノの腕前はよく分からない、というかもう既に大家を成しているので問題はどういう音楽を造形するのか、ということだろう。自分の好みで評すれば、全体がとてもオーソドックスでドイツ音楽らしい。

先日、みなとみらいホールでピアノ協奏曲ばかり4曲聴いたが、巧いヘタは別にして、座席があまりにも前の方だったので、管弦楽の音が大きくてピアノとオケの混じり合い、駆け引きのようなものを楽しむには至らず、協奏曲は聴く場所が肝心と痛感したものだが、今日は両者が良いバランスで聴こえてくる。独奏ピアノと管弦楽の間の遣り取りの妙や緊張感が伝わってきて面白い。

ラインは冒頭息が合ってないのではという気がしたが、程なく解消された。聴いていてもテンポが取リづらい”ヘミオラ”の変調リズムのせいだったかも。まあ、この曲も協奏曲と同様、最初の掴みが効いてちょいと重苦しいが甘さも漂うシューマンのロマンチックな世界にいざなってくれる。

N響は時としてこれがN響か?と思うようながっかりさせられることがあるが、今日のN響は王者の風格があったよ。

2016-159/♪NHKホール-10

2016年11月19日土曜日

東京都交響楽団 第817回 定期演奏会Bシリーズ

2016-11-19 @サントリーホール


大野和士:指揮
庄司紗矢香:バイオリン
東京都交響楽団

フォーレ:組曲《ペレアスとメリザンド》 op.80
デュティユー:バイオリン協奏曲《夢の樹》 (1983-85)
シェーンベルク:交響詩《ペレアスとメリザンド》op.5

都響のサウンドは安定感がある。6つものオケの定期会員になっているが、一番の安定感を感ずる。N響は稀だがこれが実力?と思う時があるが、都響はいつ聴いても綻びがないという感じがある。

しかし、今日の音楽は楽しめなかった。
フォーレだけはまあいいかな。
デュティユー(1916-2013)という下を噛みそうな作曲家の作品は以前、読響で「音色、空間、運動」というのを聴いているが、さっぱり覚えていない。

今回のバイオリン協奏曲はなんだか窒息しそうな音楽で少しも気分が乗れない。庄司紗矢香も必死で格闘していたようにみえた。ソリストは楽譜を見ないで弾くのが普通だけど、今回は楽譜とにらめっこしながら弾いていた。いや〜難しそうな曲だもの。楽譜を見ていないとタイミングが合わなくなるのではないか。

まあ、彼女は上手に弾ききったとは思うし、都響の演奏も多分、うまくできたのだろうが、無調音楽なのかとにかく訳が分からない音楽だ。こんな音楽を演奏していても楽しくないだろうなあと思いながら聴いていた。聴かされる方も楽しくない。

メインがシェーンベルクの作品だった。彼こそ12音技法の生みの親だが、本作はそこに至る前の作品で、後期ロマン派風だと解説に書いてあったのでそれなら楽しめるかなと思ったが、全然ダメ。
デュティユー同様、不協和音の連続、先行きの見通せない構造、歌えない旋律など、これはかなり聴いているのが辛い。

美術でもそうだが、現代の作品って観る者聴く者を驚ろかすことしか考えていないのだろうか。

まあ、時には面白く思うものもあるのだけど…。
アンサンブルは良かった。こんなに合わせるのが難しい音楽を縦横ちゃんと合わせていたように思った。

♪2016-158/♪サントリーホール-11

国立劇場開場50周年記念 平成28年度(第71回)文化庁芸術祭協賛 11月中席

2016-11-19 @国立演芸場


落語 春雨や晴太⇒寄合酒
落語 春雨や風子⇒猫と暮らせば
奇術 小泉ポロン
落語 三笑亭河龍⇒つる
漫才 東京丸・京平
落語 桂伸乃介⇒真田小僧
―仲入り―
落語 桂右團治⇒稽古屋
落語 三遊亭小南治⇒長短
俗曲 桧山うめ吉⇒京の四季
落語 三遊亭夢太郎⇒竹の水仙

あぜくら会に入ったのがきっかけで国立演芸場へ出かけるようになってこれで15回目だったが、だんだんと耳が肥えてきた?のか、単に眠くてシャキッとできなかっただけなのか分からないけど、全体が面白くなかった。と言うか、さっぱり気分が乗れなかった。

落語といえば、最近は、大好きな志ん朝のDVD16枚組を買ったので、時間があれば観ているが、彼は本当に巧い。あの巧さが一つの基準になってしまうと、もう誰を聞いても物足りないのが悲しい。

桂右團治にはちょいとびっくり。
最近は女性の噺家も珍しくはないけど、これまで聴いたのは前座か二ツ目で、真打ちは初めてだった。
彼女の存在を知らなかったのでこの人は男なのか女なのかなかなか判別がつかなかった。
着物は黒っぽくて無地だし、まったくのすっぴんで髪型も少年のようなので声の調子が男性にしては高いというくらいだ。まあ、そのうち女性らしいなと確信はできたけど。

しかし、古典落語は噺の内容が基本的に男の世界なので女性が話してもどうも馴染まない。違和感がある。この人は新作で勝負すべきじゃないかなあ。それにもう少し女性らしさを出すべきだ。
男の真似をしているとしか見えない。

2016-157/♪国立演芸場-15

2016年11月18日金曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第324回

2016-11-18 @みなとみらいホール


秋山和慶:指揮
加藤知子:バイオリン
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

武満徹:3つの映画音楽
伊福部昭:バイオリン協奏曲第2番
チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調 Op.36

「3つの映画音楽」にはぼんやりとした記憶があった。弦楽のみの合奏だが編成は中規模。かなり分厚い弦楽合奏だ。
3つの映画のタイトルは、「ホゼ・トレス」、「黒い雨」、「他人の顔」だ。観た映画は後2者。聴き覚えがあったのは最後の「他人の顔」だけ。あとで調べたらアンサンブル金沢のコンサートのアンコールで聴いていた。この曲だけが耳障りの良い、そしてテンポも良いワルツ形式だ。残りはムツカシイ。

伊福部のバイオリン協奏曲も初聴き。全1楽章構成で30分近くある。
バイオリン独奏の加藤知子って、知らなかったよ。第47回日本音楽コンクール1位、第7回チャイコフスキーコンクール第2位だそうだ。それって30年ほど前のことだから、今や大ベテランという訳だ。まあ、確かに、よく鳴るバイオリンだし、管弦楽に埋没せず、伊福部のエキゾチックな?多分5音音階を駆使しているのではないか、東アジアの民謡風なメロディーをグイグイと引っ張っていたように思う。

武満は没後20年、伊福部は没後10年という節目の年なので取り上げられたらしいが、それなら、もう1本も邦人作品でも良かったのではないかと思ったが…。

メインはチャイコの4番。
金管、木管、打楽器が大活躍して気持ちがいい。
今日は不安のホルンも小さな失敗が1ヵ所のみの出来だったが、これまで一度たりとも変調したことのなかったオーボエが第2楽章のきれいなメロディでちょいと音が外れた。指使いではなく楽器の不調ではなかったか。これがともかく残念だったけど、終楽章のけたたましいブラスの咆哮と打楽器の爆発でカタルシス。

秋山御大が神奈川フィルを振るのは記憶に無いなあと思ったが、それもそのはず、34年ぶりだそうな。それにしてはお客の入りが少なくて7割程度だったろうか。何時になく寂しい状況だった。
まあ、終わったら、拍手喝采は大きく、長く、横浜まで来てくれたマエストロに敬意を評するかのように盛り上がったのは良かったよ。

♪2016-156/♪みなとみらいホール-43

2016年11月13日日曜日

プロースト交響楽団 第24回定期演奏会

2016-11-13 @ミューザ川崎シンフォニーホール


新田ユリ:指揮
プロースト交響楽団

シベリウス:交響詩「フィンランディア」 作品26
シベリウス:レンミンカイネン組曲 作品22 より「トゥオネラの白鳥」「レンミンカイネンの帰郷」
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 作品47
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アンコール
ショスタコーヴィチ:タヒチ・トロット


プロースト交響楽団を聴くのは3回目だ。
大学オケ出身者によるアマチュアオケだが巧い。
それに一番の魅力はコントラバス10本が並ぶ特大規模だ。

管・打楽器の数は作品によってほぼ決まっているからメンバーが大勢板としても演奏時にむやみと増やすことはしないはず。
弦の編成も大方決まっているのだろうけどこちらは増やせば増やすほど響が厚くなる。これで透明感が備われば言うことなしだけど、まあ、そこはプロだって難しいところだ。アマチュアがこの大規模にしてはよく揃っていると思う。

初めて聴いた時はメインがマーラーの交響曲第1番ニ長調「巨人」だった。その次がブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」と、その規模を活かした音楽を取り上げていて、今回はショスタコーヴィチの第5番。

金管の一部に惜しまれる箇所があったものの、壮大な音楽を壮大なオーケストラで堪能できた。
ラストのバスドラムの音があんなにも大きいとは今更ながら驚いた。

♪2016-155/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-26

2016年11月12日土曜日

ミューザ モーツァルト・マチネ 第27回

2016-11-12 @ミューザ川崎シンフォニーホール


飯守泰次郎:指揮
森麻季:ソプラノ
東京交響楽団

≪オール・モーツァルト・プログラム≫
交響曲第1番 変ホ長調 K.16
モテット『踊れ、喜べ、幸いなる魂よ』(エクスルターテ・ユビラーテ)ヘ長調 K.165(158a)
交響曲第29番 イ長調 K.201(186a)


モーツァルトは早逝だから一番最後の作品(未完に終わった「レクイエム」)でさえ35歳のときの作品だから、ほかの何を聴いてもたいていは随分と若い時代に作曲されたものだ。

特に今日演奏された3曲は、交響曲第1番がなんと8歳頃、モテット「踊れ〜」が17歳、交響曲第29番が18歳だ。
こんな若造、というより8歳じゃ小学生じゃないか。
子供の遊びのような作品をありがたがって聴くのも癪だな、と思いつつも、明朗快活で分かり易い純粋な音楽(絶対音楽)の魅力が溢れている。

モテットは聴いたことがなかったが、交響曲第1番は(CDでは何度か聴いているが)どこかのオケで聴いたことがあったように思う。冒頭の主題がとても特徴的だから印象に強く残る。
むしろ、29番が新鮮だった。

CDは交響曲全集全41曲と番外の7曲のセットを持っているが、なかなか聴く機会がなく、演奏会で取り上げられるのを機会にその前後に聴いてみるくらいで、どうやら29番はCDでも聴いたことがなく、今回が初聴きだったのかもしれない。

今回東響(こじんまりとした編成)で両方聴いてみて、そしてCDでも復習の為に聴いてみたが、8歳児の作品の方が面白い。

飯守泰次郎といえば、ワーグナーを聴く機会が多いが、なんだってできるのだ。あの好々爺然とした風貌とにこやかな表情で観客の気持ちもオケの気持ちもスーッと掴んでしまう。
ソプラノの森麻季は1曲だけの出番だったが、せっかくだから交響曲は1曲だけにしてモーツァルトの声楽作品をあと数曲聴きたかった。

♪2016-154/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-25

2016年11月9日水曜日

国立劇場開場50周年記念 平成28年度(第71回)文化庁芸術祭協賛11月上席 橘家文左衛門改メ三代目橘屋文蔵襲名披露公演

2016-11-09 @国立演芸場


落語 橘家門朗⇒
落語 柳家花ごめ⇒狸札
落語 柳家小せん⇒金名竹
ギター漫談 ペペ桜井
落語 林家正雀⇒大師の杵
落語 金原亭馬生⇒目黒の秋刀魚
<仲入り>
襲名披露口上
奇術 アサダ二世
落語 春風亭一朝⇒やかん泥
漫才 ロケット団
落語 橘家文左衛門改メ三代目 橘家文蔵⇒芝浜

正雀の話ぶりは独特だが、これをよしとするかどうかは聴き手の好みで別れるだろうな。
今日の出し物の中では金原亭馬生の「目黒の秋刀魚」が一番良かった。

橘家文左衛門のことはその名前すら知らなかったが、「文蔵」という名前を襲名したそうで、今月の上席はその襲名披露公演を兼ねていた。
そのためか、トリに回った文蔵氏は古典落語の大作「芝浜」を演じたが、なにやら全編硬い。大いに笑うという話ではないけど、少なくともマクラでは笑わせてくれないと、まるで説教でもされているような感じだ。
本題に入ると益々笑えない。ちくりと笑わせるところがあってもいいはずなのに全編講談調だ。それにおかみさんの人物の造形が弱々しくてジメジメと暗い。ここは生きのいい江戸っ子のおかみさんで話を軽く仕上げてほしい。

まあ、よくできた人情噺で、最後はホロッとさせてくれるのだけど、途中の風とおしがよくないので胸アツには至らなかった。

この噺は談志も得意にしていたようだけど、今は亡き三代目志ん朝の芝浜をDVDで聴き返したら、この人は本当に巧かったなあとしみじみ思う。

2016-153/♪国立演芸場-14

2016年11月8日火曜日

みなとみらいアフタヌーンコンサート2016後期 ≪名曲の花束≫ソフィア・ゾリステン

2016-11-08 @みなとみらいホール


プラメン・デュロフ:指揮
リヤ・ペトロヴァ:バイオリン*
ソフィア・ゾリステン(弦楽合奏団)

J.S.バッハ:G線上のアリア
ドボルザーク:ユーモレスク
シューベルト:楽興の時〜第3番
パッヘルベル:カノン
ボッケリーニ:メヌエット
ゴレミノフ:収穫と踊り
クライスラー:愛の喜び*
マスネ:タイスの瞑想曲*
サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ*
モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク〜第1楽章
チャイコフスキー:弦楽セレナード〜第2楽章「ワルツ」
イギリス民謡:グリーンスリーヴズ
アイルランド民謡:庭の千草
ハイドン:セレナーデ
J.S.バッハ:主よ、人の望みの喜びよ
J.S.バッハ:幻想曲BWV542
エルガー:愛のあいさつ*
シューベルト:アヴェ・マリア*
サラサーテ:チゴイネルワイゼン*
-------------
アンコール
ビバルディ:「四季」から「冬」〜第2楽章*
ヤン・ヴァン・デル・ロースト:リクディム*
ブリテン:イタリア風アリア
*はペトロヴァがゾリステンとともに独奏者として参加した曲

ソフィア・ゾリステンと言うのは指揮者と14人の弦楽器奏者からなるアンサンブルで、これに今回は、バイオリン独奏者が曲目によって加わった。つまりは弦楽アンサンブルだ。
ソリスト入れてもわずか15人の合奏に指揮者が必要なのかは甚だ疑問だけど、来年創設55周年だそうで、多分、長い間、こういうスタイルを踏襲してきたのだろう。

音の分離はとても良い、のが当たり前だが、アンサンブルとしても響はとてもいい。

ソリストのリヤ・ペトロヴァとはもう20年ほど共演しているそうだ。
いっそ、彼女の弾き振りでも良かったかもしれない。

さて、曲目がまさに「名曲の花束」だ。
ここまで耳タコの小品の名曲ばかりが柔らかい弦の響きにクセのない流れるような演奏でこれでもかと続くと、普段のクラシックコンサートとはもう異次元といった感じさえ覚えたが。

広い客席はほぼ満席で子供連れも多かった。クラシック入門としては良い機会になったろう。

♪2016-152/♪みなとみらいホール-42

2016年11月6日日曜日

第35回横浜市招待国際ピアノ演奏会【ソロ公演】

2016-11-06 @みなとみらいホール


エフゲニ・ボジャノフ Evgeni Bozhanov, Bulgaria
バラージュ・デメニー Balazs Demeny, Hungary
小林海都 Kaito Kobayashi, Japan
ゲオルギー・チャイゼ Georgy Tchaidze, Russia

●ゲオルギー・チャイゼ(ロシア)
  シューベルト:4つの即興曲 Op.142, D.935

●バラージュ・デメニー(ハンガリー)
  バルトーク:15のハンガリーの農民の歌 Sz.71
  リスト:巡礼の年 第2年「イタリア」より ダンテを読んで-ソナタ風幻想曲

●ゲオルギー・チャイゼ&バラージュ・デメニー(連弾)
  シューベルト:アレグロ イ短調「人生の嵐」 Op.144, D.947 

●小林海都(日本)
  J.S.バッハ:トッカータ ホ短調 BWV914
  モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 K.310
  ドビュッシー:喜びの島

●エフゲニ・ボジャノフ(ブルガリア)
  シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960

●小林海都&エフゲニ・ボジャノフ(連弾)
  ドビュッシー:小組曲


昨日の続きで、今日は小ホールでのピアノソロとデュエットだ。
440人という規模。よく鳴るホール(残響時間は大ホールより短いのは当然だろうが、客席の広さに対しては十分過ぎるのではないか。)。そして、今日は前から9列目。ピアノを聴くには申し分ないと思う。

この日は2人が夫々ソロ演奏をした後その2人でデュエットを弾く。それが2セットだった。

ソロとして最後に登場したのがケイト・リウの代役のボジャノフだが、彼のシューベルトが格別に心地よかった。

この日は全9曲演奏されたが、その内3曲がシューベルトというのも不思議な偶然だ。僕としてはショパンやリストを聴くよりシューベルトの方が断然嬉しい。
4人共ソロかデュエットで、あるいは両方共でシューベルトを弾いた。あらためてシューベルトのピアノ音楽の美しさに感ずるところ大だった。

さて、この日もピアノはYAMAHAのCFXだった。
会場が異なるというせいもあるだろうけど、昨日の大ホールのピアノの音とは相当違う。ブリリアントだ。そして力強い。
あまりの違いに休憩中に主催担当者に、昨日の大ホールのピアノと同じなのか、と尋ねたら同じ機種だが個体は異なるという返事だった。そりゃそうだろうな。わざわざ大ホールから運ぶなんて手間なことする訳ない。各ホール毎に何台かずつのコンサート用グランドピアノが備えてあるはずだもの。

個体が異なるからといって響にあれほどの差が出るとは思えない。おそらく、大ホールと小ホールの音響特性や聴いた席の違いによるのだろう。
やはり、大ホールでのピアノと管弦楽をバランスよく聴くにはどこに席を取るか、一層の研究が必要だと思ったよ。

♪2016-151/♪みなとみらいホール-41