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2023年5月20日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第387回横浜定期演奏会 【ベートーベン・ツィクルスVol.6】

2023-05-20 @みなとみらいホール



ピエタリ・インキネン:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:東京音楽大学*

ソプラノ:森谷真理*
アルト:池田香織*
テノール:宮里直樹*
バリトン:大西宇宙*

シベリウス:交響詩「タピオラ」 Op112
ベートーべン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125*



インキネンが首席として振る最後の定期にして、彼のベートーべン・チクルスの総仕上げ、「第九」だ。

前座がシベリウスの「タピオラ」で、この日の90分前まで音楽堂で大学オケによるシベリウス特集を聴いていたので、気分はうまく軟着陸。

なぜ、シベリウスとセットなのか?

日フィル創始者の渡邉暁雄とインキネン両者所縁の作曲家ということで、インキネン・日フィル演奏会の掉尾を飾るに相応しいプログラム、という事らしい。

で、その「タピオラ」は分厚い弦が豊かに鳴って上出来。


肝心の「第九」。オケは弦16型で重厚。インキネンの指揮は、クセのない、さらりと流れる淡白な演奏で、これも暫くは一興…だったが、3楽章のテンポがやや速い。4楽章も速い。速いだけでなく、低弦のレシタティーヴォが流水の如く、速くてえらくあっさりして、溜めもなく、見得もない。
歓喜の主題が最初に現れるところは、Vcの音が小さく、次にVaに移ったらもっと小さく、普段は聴こえないような木管の旋律を耳にした。

インキネン、そんなに急いで*どこへゆく?

テンポも疑問だが、全体に彫りが浅い。スイスイ流れるのは良いとしても、処々、クサイところも欲しい。

とまあ、インキネンが日フィルに登場以来過去15回は全て好感を以て聴いたのに、最後の16回目が残念賞だった。

声楽は良かった。4人の独唱者が舞台の一番前で歌った。コロナの前についに戻った。当然、よく声が通る。オケにも合唱にも埋没しない。東京音大合唱団は約80人。見た目は寂しいが声はよく出て満足。

*因みに、演奏時間は、予定65分に対し実測64分。
3楽章前の独唱者入場に結構時間を取ったにもかかわらず短い。楽章間休止を除くと正味62分5秒。

昨年、「第九」は12回聴いた。その時の各オケの演奏時間と比べると最速だ。昨年の最速も日フィルだったが、インキネンはこれをも更新した。トスカニーニと並んだよ!

♪2023-086/♪みなとみらいホール-18

2022年4月23日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第376回横浜定期演奏会

 2022-04-23 @ミューザ川崎シンフォニーホール



ピエタリ・インキネン[首席指揮者]
日本フィルハーモニー交響楽団

シベリウス:交響詩《エン・サガ》op.9
ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 op.36
ベートーベン:交響曲第4番 変ロ長調 op.60


同日に神奈川フィルと日フィルってキビシイ!来月も同日だ。
神奈川フィルの沼さん音楽総監督就任記念式典はサボったので、今日は悠々間に合ったが、次回は怪しいな。

どうでもいい偶然だけど、神奈川フィルと日フィルの定期演奏会の回数が同じというのは不思議だ。
両方とも今日は第376回だった。みなとみらいホールが本格稼働した次の楽季からはズレが生ずるかもしれない。

シベリウスの「エン・サガ」はAギルバート+都響で聴いたのが最初で、好感を持った作品だ。

都響の時もそうだったと思うが、今日の日フィルも弦は16型。昨日の都響「英雄の生涯」も16型だったが、コロナ禍にあっては都響以外でこの編成を聴くのは久しぶりだ。

その大掛かりな編成の弦の響きのなんと美しいこと。

民謡風な調べは日本人にさえ郷愁を感じさせるのだからインキネンの望郷の思いもひとしおだったかも。

2日間で3オケを聴いた(実は明日もミューザ!)。
昨日の都響(文化会館)、本日マチネの神奈川フィル(県民ホール)とミューザではホールの響きがまるで違うが、その違いを考慮しても、日フィルの巧さが光った。

「エン・サガ」が実は一番良かった。
他はベートーベン・チクルスの再開で、今日は2番と4番。
個人的には1番に次いで聴く機会が少ない曲だ。
いずれも心地良く聴いたが、大編成曲の後では物足りなさもあった。

昨年11月のインキネンの日をダブりでパスしたので、2年半ぶりに拝顔した。元気そうで何より。

♪2022-059/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-13

2019年10月26日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第351回横浜定期演奏会

2019-10-26 @みなとみらいホール

ピエタリ・インキネン[首席指揮者]
日本フィルハーモニー交響楽団
アレクセイ・ヴォロディン:ピアノ*

ベートーベン:交響曲第1番ハ長調 op.21 
ベートーベン:ピアノ協奏曲第1番ハ長調 op.15* 
ドボルザーク:交響曲第8番ト長調 op.88 B.163
-------------
ショパン:子犬のワルツ*
ラフマニノフ:前奏曲集作品32-12*
ドボルザーク:スラブ舞曲作品72-6

インキネンの指揮でベートーベンの交響曲第1番とピアノ協奏曲第1番というちょっと珍しくて、前半のプログラムにしては豪華な組み合わせが嬉しい。

初聴きのヴォロディン。教科書どおりでカチッと仕上げた感じだったが、ベートーベンでは遊びようもないだろう。物足りなかったか、アンコールでは2曲で超絶技巧ぶりを発揮。
子犬のワルツは過去に聴いた最速を更新した。よくまあ、あんなに速く指が動くものだ。

ドボルザークの8番は哀調を十分歌わせて美しい。
弦の透明感は先週の東フィル定期と良い勝負か。ただし、全体として管楽器が控えめな感じだった。

インキネンの意図なのだろうが、終楽章のホルン(フォルテのトリル)のいななきがなかったのは寂しい。ここはやはり泥臭く決めて欲しい。こういう風に綺麗にまとめた8番は珍しいのではないか。換言すれば物足りなかったのだけど。

♪2019-163/♪みなとみらいホール-47

2019年6月15日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第348回横浜定期演奏会

2019-06-25 @みなとみらいホール


ピエタリ・インキネン:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

ペッカ・クーシスト:バイオリン*

【日本フィンランド修交100周年記念公演】
シベリウス:交響詩「フィンランディア」作品26
シベリウス:バイオリン協奏曲ニ短調 作品47*
シベリウス:交響曲第5番変ホ長調 作品82
-----アンコール-----
フィンランドのフォークダンス「悪魔の踊り」
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第1番からサラバンド〜ドゥーブル

県民ホールでの神奈川フィル定期演奏会が終わって、即、みなとみらいホールへ移動。
日フィル定期はオール・シベリウス作品だ。

第1曲、「フィンランディア」の冒頭のブラスの咆哮で神奈川フィルとの違いを感じてしまった。
オケの差もあるだろうが、まずもってホールの問題だ。
音の輝きと響きの豊かさが全然違う。

「雨の日はホールの鳴りがいい」という仮説はここでも確認できる。
バイオリン協奏曲、交響曲5番とシベリウスのオーケストレーションの面白さを堪能した。

時々、みなとみらいホールでは管・弦のアンサンブルの美しさに浸りながら、こんな贅沢をしていて良いのやら、と思うこともあるが、誰にも迷惑をかけている訳でもないし…。

ただし、交響曲5番では最後の最後に緊張が解けてしまった。
金管のピッチが甘くなって響きが濁ってしまったのは残念だ。
オーバーワークだったのか。

バイオリン協奏曲の独奏者ペッカ・クーシストは指揮のインキネン同様フィンランド人だ。
丁髷の黒装束で忍者風。
この人の演奏は、インキネンと息を合わせていたのか、これまでに聴いたシベリウス・バイオリン協奏曲の中で一番軽快な音楽だった。
本場の人間が揃ってこういう演奏をやるのだから、そもそもシベリウスはなんとなくイメージしているほど重苦しくないのかもしれない。

クーシストのアンコールが面白くて、最初に弾いたフィンランドの民謡もなにやら凄い演奏だったが、まさかの2曲めがバッハの無伴奏組曲1番サラバンドで、これがある意味凄い。
長音以外は弓の先1/3くらいしか使わずに全部を弾き終えた。当然音量は小さい。音楽が軽い作りだ。
最初はお遊びなのかと思って聴いていたが、ドゥーブルまで全曲その調子だったから真面目だったのだろう。独自色の強いバッハ解釈だが、何か意図するものがあるのだろうな。

♪2019-082/♪みなとみらいホール-23

2019年4月27日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第346回横浜定期演奏会

2019-04-27 @県民ホール


ピエタリ・インキネン:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

村治佳織:ギター*

ラウタヴァーラ:In the Beginning
武満徹:夢の縁へ*
チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 op.36
-----アンコール-----
オーバー・ザ・レインボウ&イェスタデイ*
シベリウス:悲しきワルツ

ラウタヴァーラという作曲家の存在は知らなかったし、その作品「In the Beginning」も初聴き。2016年に亡くなったフィンランドの作曲家だというから、同国出身のインキネンにとっては大切な作品なのだろう。

2017年にインキネンがドイツ放送管弦楽団で世界初演をしている。
現代の作品なので、調性は曖昧で、終始不穏な響きが継続するが、あまり嫌な感じではなかった。
https://youtu.be/CdoZU2c2ilI

武満徹の「夢の縁へ」は小ギター協奏曲風。初聴き。
ギター独奏の村治佳織も初めて。名前は知っているけど、これまで縁がなかった。ともかく、音が小さい。ギターは爪弾く楽器だから音量の面で不利ではあるけど、それにしても小さかった。
彼女の技量の問題もあるだろうけど、いつものみなとみらいホールでの演奏なら、よく響くホールだから、音量不足をあまり感じなかったかもしれないが、今回はなぜか、県民ホールだ。残響は少ないし、客席空間は広い。それもあったかもしれない。
縁コールで、ギター独奏をしたが、これもやはり音が小さくて話にならない。
僕の席は絶好の良席だが、それでもイマイチなのだから、後方や2階、3階席では音楽として届かなかったのではないか。

メインのチャイコの4番は、10日ほど前に東フィルで聴いたばかりだったが、その際に残念に思った冒頭のファンファーレは僕の耳には完璧な出来栄えだった。
もちろん、ファンファーレだけではなく、全体としても迫力のある高水準な演奏だったが、ここでも、県民ホールの限界というか、管・弦の響きに豊かさが不足して、やはり、残念なことであった。でも、こういう音楽こそ県民ホール向きなのだけど、これでも満足を得られないとなると、悲しいね。


♪2019-055/♪県民ホール-04

2018年6月8日金曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第338回横浜定期演奏会

2018-06-08 @みなとみらいホール


ピエタリ・インキネン:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

川久保賜紀:バイオリン*

【オール・メンデルスゾーン・プログラム】
演奏会用序曲「フィンガルの洞窟」ロ短調 作品26
バイオリン協奏曲ホ短調 作品64*
劇音楽「真夏の夜の夢」作品61から
 序曲/スケルツォ/間奏曲/夜想曲/結婚行進曲
---------------
アンコール
J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第2番ニ短調 BWV1004から第3曲サラバンド*
メンデルスゾーン:「無言歌集」作品30から「ヴェネツィアの舟歌」管弦楽版

オール・メンデルスゾーン・プログラム。
これでバイオリンのアンコールがメンデルスゾーンであれば完璧だったが、でも、彼はバイオリンの無伴奏は作っていないはずだから、やむを得ないね。


フィンガルの洞窟は管と弦がうまく噛み合っていない感じだったな。
弦について言えば、だんだん良く鳴る法華の太鼓で、後半うんと良くなった。メンコン(メンデルスゾーン・バイオリン・コンチェルト)では、独奏の陰で、弦楽合奏があまり出しゃばらないのだけど、良い感じだった。尤も肝心の独奏は全然楽しめなかったが。

真夏の夜の夢での弦楽アンサンブルは実に耳に心地良い。少しシャリシャリ感もあったが、広域のキンキン音よりずっといい。管は何箇所か残念なミスがあった。

最近の日フィルの弦はかなり高水準で満足できるのが楽しみだ。

さて、問題はメンコンだ。
Vnは川久保賜紀。出だしの音楽が違う。それはメンデルスゾーンじゃないっ!と言う感じが最後まで払拭できなかった。音はすごくきれいだし、独奏者として音圧も十分。
なのに、気持ちが乗れないのは、表情が堅いからではないか。どうも、教本どおりだが、未だ、自分の音楽になっていない、そこまでこなれていない、という感じで、それはアンコールのバッハで更に極端に表れて、まだ仕上がっていないものを聴かされた感じだった。

5月20日、同じ場所で聴いたクロエ・ハンスリップ+読響のメンコンの味わい深さに比べるとこちらは砂を噛むような音楽だった。

オケもアンコールがあって、メンデルスゾーンの無言歌から作品30の「船歌」のオーケストラ版だったのが洒落ていたね。無言歌集の中で3曲ある「舟歌」の中でも一番有名でそれだけに馴染んでいるし、素直に美しい。

終演後インキネンを囲んで
♪2018-065/♪みなとみらいホール-17

2018年4月21日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第336回横浜定期演奏会

2018-04-21 @みなとみらいホール


ピエタリ・インキネン:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

伊藤寛隆:クラリネット*
松井久子:ハープ**

【ドビュッシー没後100周年記念プログラム】
ドビュッシー(アンリ・ビュッセール編):小組曲
 <小舟にて><行列><メヌエット><バレエ>
ドビュッシー:クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲*
ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲**
ドビュッシー:交響詩《海》
---------------
アンコール
ドビュッシー(アンドレ・カプレ編):「子供の領分」より第6曲「ゴリウォーグのケークウォーク」管弦楽版

ドビュッシー没後100年ということで組まれたオール・ドビュッシープログラム。さほど期待していなかったけど、とても良かった。久しぶりに満足度の高いコンサートだった。
「小組曲」はピアノ連弾が原曲で、これも聴いたことがあるがその時はあまり印象に残らなかったようだ。管弦楽版は読響と日フィルでいずれもコバケンの指揮で聴いている。

インキネンのタクトが降りて冒頭のフルートが惹きつける。もう、この日のコンサートは満足できそう!とその瞬間に思った。
始めよければ終わりよし、そのことわざを地で行ったみたいだ。
「小組曲」の管弦楽編曲はドビュッシー自身の手になるものではないけど、ドビュッシーがピアノ連弾用に作曲した時からオーケストレーションをイメージして書いたのではないか。管弦楽版を聴くとむしろピアノではこの雰囲気はとても出せまいと思う…とおもって帰宅後ピアノ連弾盤を聴いてみたら、やっぱり、これはこれでなかなかいいんだ。名曲だと再確認したよ。

「クラリネット〜第1狂詩曲」はちょうど1週間前(14日)に同じみなとみらいホールで、カンブルラン+読響、ポール・メイエのクラリネットで聴いたばかり。しかもNHK-BSクラシック倶楽部でその前日にアレッサンドロ・カルボナーレのクラリネットでピアノ伴奏版を放送していたのを録画していたので、この間に視聴している。まあ、こういう偶然てあるんだな。1週間の内に同じ曲を生で2回、放送でも1回聴くことになった。
そんな訳で、最近急にお馴染みさんになった、「牧神の午後への前奏曲」のクラリネット版のようなやや官能的な音楽を楽しんだ。「牧神〜」もフルートの代わりにクラリネットでやれば一層官能的になるかもしれない。

「神聖な舞曲〜」は独奏ハープと弦楽アンサンブルのための作品で、これは初聴きだった。細かく速いフレーズでハープの音がクリアに聴こえなかったところがあったのは残念。

メインは「交響詩≪海≫」。若い頃はなかなか馴染めなかったが、今ではかなり好きな作品だ。音楽の印象派だの象徴派だのと言われているが、音楽を聴きながら海の三態(海の夜明けから正午まで・波の戯れ・風と海の対話)が凡人に見えてくる訳ではないけど、まあ、それらしい気配は十分だし、何より、たゆたう感じの音楽そのものに不思議な魅力がある。これはドイツ音楽にもイタリア音楽にもない近代フランスの感性だ。それを切り開いたドビュッシーの天才なのかもしれない。

日フィルは、最近ずっと好感度が高いが、今日の演奏はインキネンの彫琢が細部まで行き届いているようで実にレベルの高い演奏だった。ひょっとして、昨日のN響よりも高水準だったかも。
やはり、オーケストラはみなとみらいホールで聴くのが一番安心して聴けるなあ。良い演奏を引き立てる名ホールだ。

♪2018-045/♪みなとみらいホール-12

2017年11月17日金曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第695回東京定期演奏会

2017-11-17 @サントリーホール


ピエタリ・インキネン:首席指揮者
日本フィルハーモニー交響楽団

ラウタヴァ―ラ:In the Beginning (アジア初演)
ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調 WAB105

最初に、エイノユハニ・ラウタヴァ―ラ(Einojuhani Rautavaara)という、インキネンが作曲を委嘱した、インキネンと同じフィンランド人の作曲家による「In the Beginning 」という7分弱のアジア初演があった。初めて聴く名前だ。2016年に亡くなっているので、まさしくできたての現代音楽だ。2017年9月にインキネンによって世界初演されたばかりで、その時の演奏がYoutubeにあった。

無調ではないようだが、調性があるかと言えばよく分からない。
現代音楽にありがちな嫌味な自己陶酔的音楽ではなくて、まあ、こういうのもありか、という程度の許容範囲であった。積極的に聴きたいような音楽ではないな。

https://youtu.be/vtUSY5gpfJA

メインはブルックナーの5番。
マーラーほどではないが、その中で5番は多分4番と同じくらい聴く機会が多い方だ。
若い頃は、こういうむやみに繰り返しが多く演奏時間の長い(80分近い)音楽はなかなか辛抱できなかったが、最近は、よくできた軽音楽、みたいな気分で聴くと楽しめるという境地になってきた。音楽としてスグレモノなのかどうかはよく分からない。今でも、もう少しスッキリできるんじゃないかと聴きながら思ったりする。

♪2017-181/♪サントリーホール-04

2017年5月26日金曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第690回東京定期演奏会

2017-05-26 @東京文化会館


ワーグナー:楽劇《ニーベルングの指環》 
序夜「ラインの黄金」(演奏会形式/字幕つき)

ピエタリ・インキネン:指揮[首席指揮者]
演出:佐藤美晴
日本フィルハーモニー交響楽団

ヴォータン:ユッカ・ラジライネン
フリッカ:リリ・パーシキヴィ
ローゲ:ウィル・ハルトマン⇒西村悟
アルベリヒ:ワーウィック・ファイフェ
フライア:安藤赴美子
ドンナー:畠山茂
フロー:片寄純也
エルダ:池田香織
ヴォークリンデ:林正子
ヴェルクンデ:平井香織
フロスヒルデ:清水華澄
ミーメ:高橋淳⇒与儀巧
ファーゾルト:斉木健詞
ファフナー:山下浩司

サントリーが使えない間放浪している日フィル東京定期。今回は文化会館で演奏会形式「ラインの黄金」。ピットではなく舞台上に特大オケが所狭しと並んでいるのを見ると、サントリーじゃこれだけ並ばなかったのではないか。

4月に同じ場所で聴いたN響の「神々の黄昏」は素晴らしかったが、「黄昏」ではこんなにもオケの編成が大きかったろうか。また15年秋に新国立で「黄金」を聴いた時、ピットの中にはかくも大勢が収まっていたのだろうか。

何よりも、舞台上のオケの編成の大きさに目を奪われ、これから大変なものが始まるという高揚感で開幕を待った。
指揮は首席のP・インキネン。若いけど正統な熟練を感じさせて好感度大。聴いたのは初日。ローゲとミーメ役が体調不良で急遽交代した。


N響の「黄昏」でもジークフリート役が急遽交代した。まあ、その辺はちゃんと手当がしてあるのだろう。今回の日フィルでも、特にローゲ役は見事な歌唱力だった。もちろん、体調十分な各歌手も人間拡声器かと思うくらい訓練された美声を轟かせてた。

演奏会形式だから歌手がそれらしい衣裳を着用しているだけで舞台装置はない。しかし、今回は照明がとても凝っていて素晴らしく、各情景が照明だけでも十分想像できるのだ。それを踏まえた演出も良かった。
オケも音が明瞭にして繊細、時に爆音。

舞台のオケは演出効果のため終始暗かったが、そんな中で大編成のオケを仕切りまとめワーグナーの真骨頂を聴かせてくれたインキネンも日フィルも凄い。かつてメンデルスゾーンの「エリア」を演奏した日フィルが最高だと思っていたが、記録更新した。

事前のアナウンスは2時間半、休憩なし。実際はカーテンコールも含め2時間50分は座り続けたよ。そんなに長く耐えられるかという不安もあったが、なんて事もなく至福の2時間50分だった。

♪2017-092/♪東京文化会館-09


2017年5月20日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第327回横浜定期演奏会

2017-05-20 @みなとみらいホール


ピエタリ・インキネン:指揮[首席指揮者]
日本フィルハーモニー交響楽団
田村響:ピアノ*

リスト:交響詩《レ・プレリュード》S.97
リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調 S.124*
​【ブラームス・ツィクルスⅢ】
ブラームス:交響曲第1番 Op.68
-------------
アンコール
ショパン:華麗なる大円舞曲 作品34-1*
ブラームス:ハンガリー舞曲 第5番ト短調

ブラームス・チクルスの最後、といってもブラは交1番だけ。ここは全作品ブラームスで組んで欲しかったね。
演奏は良かった。前回の交響曲2番は残念な出来だったが、今回の1番は同じ指揮者、オケとも思えない上質な管弦楽を聴く愉しさ。

ブラームスが好きになったきっかけは、多くの人もそうだと思うけどこの交響曲1番だ。冒頭からティンパニーの8部音符が73回連打され、その上に抑圧された情感が管・弦でうねっている。正に青春だ。ここで惹き込まれない訳にはゆかぬ。

ブラームスの音楽は交響曲4曲のほか、多くの作品が溢れそうな思いをギリギリ自制しているところに共感を覚える。これは知性の賜物で、聴く側にもそれを求められ、そこに自分の心がシンクロできた時に感動が生まれるのではないか。

♪2017-088/♪みなとみらいホール-20

2017年4月22日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第326回横浜定期演奏会

2017-04-22 @みなとみらいホール


ピエタリ・インキネン:指揮[首席指揮者]
日本フィルハーモニー交響楽団
真鍋恵子:フルート

ブラームス:悲劇的序曲
ニールセン:フルート協奏曲
ブラームス:交響曲第2番ニ長調 作品73
-------------
アンコール
ブラームス:ハンガリー舞曲第4番嬰ヘ短調

ブラームス「悲劇的序曲」。冒頭の重厚な和音が<管弦楽>アンサンブルの美しさをまず以てアピールした。ホンに響きの良いホールだ。

ニールセン(1865〜1931年)はほとんど聴く機会がない。記憶が怪しいから記録を調べるとほぼ3年前に東響で狂詩曲風序曲「フェロー諸島への幻想の旅」というのを聴いており、20世紀の作家にしては古典風で分かり易いなんて感想を書いていた。今回のフルート協奏曲(1926年)も初めて聴いたが、一応調性も保っていて現代曲にしてはさほどの抵抗はなかった。むしろ物足りないくらいだ。フルートはJ.S.バッハやドップラーなどの古典の名曲を奏でるにふさわしい柔らかな音色はもちろんのこと、荒々しい暴力的な音も出せる楽器なのにのこの曲ではきれいなままで終始した。

ニールセンは19世紀末から20世紀前半に活躍したことになるが、ブラームス(1833〜1897年)と比べると生没年ともにほぼ1世代若いだけだ。30年など短いものだ。その間に文化の骨格、美意識などが目に見える形で変化したとも思えない。すると、ニールセンの音楽に特別な意識を持つのは、誤解の元かもしれないな。

肝心のブラームス交響曲2番は最初から管楽器がもたついて「悲劇的」。せっかくの首席指揮者インキネンを迎えてのブラームスだったが、少なくともこの曲についてはリハーサル不足ではなかったか。管弦音量均衡にも疑問出、全体としてチグハグな印象を拭えなかった。

♪2017-063/♪みなとみらいホール-16

2016年4月16日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第316回横浜定期演奏会

2016-04-16 @みなとみらいホール


ピエタリ・インキネン:指揮

ソプラノ:安藤赴美子(大隅智佳子から変更)
メゾソプラノ:池田香織
テノール:錦織健
バス:妻屋秀和
合唱:晋友会合唱団
日本フィルハーモニー交響楽団

ヴェルディ:レクイエム

ヴェルディの「レクイエム」は、モーツァルト、フォーレと並んで三大レクイエムと呼ばれているが、フォーレはともかく、モーツァルトと並ぶ作品だろうか?三つ選ぶならブラームスの「ドイツ・レクイエム」がなぜ入らないのだろう、という疑問を持っていた。

よく言われているようにこの作品はオペラ作家らしくとても劇的な音楽だ。それで、宗教性や精神性が低いとみる向きもある。
これまでビデオやCDでしか聴いたことがなかったが、今回、じっくりと集中して聴いたので、なるほど、まるでオペラのような部分もあるし、有名な「怒りの日」の主題(はその後もクイド・スム・ミゼルの前、ラクリモサの前、リベラ・メの後でも再現される)など、ここまで激しい表現がレクイエムに必要なのか、とも思うが、一方で、ヴェルディの本作の作曲動機(敬愛するイタリア文学者マンゾーニの死去に対する弔意)を知るとこれらの劇的表現も納得できる。


ま、ともかく、約80分間、喜怒哀楽の激情の音楽に晒されていると徐々にアドレナリンが噴出してきて体内を駆け巡り、否応なく興奮してくる。
宗教性だの精神性だのは超越して、この巨大な音楽に圧倒されてしまうのだ。

大規模管弦楽に大規模合唱団と声楽独唱4人を加えて240人位はいたように思う。
音楽を聴いた、というより体験した、という感じだ。

で、やはり3大レクイエムなのだろうか…という疑問は残ったままだ。ヴェルディの大作を聴き終えてもやはり、個人的にはヴェルディを外してブラームスを入れたい。

♪2016-045/♪みなとみらいホール-14

2015年11月14日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第312回横浜定期演奏会

2015-11-14 @県民ホール


ピエタリ・インキネン[首席客演指揮者]:指揮

ピエタリ・インキネン:バイオリン*
扇谷泰朋[ソロ・コンサートマスター]:バイオリン*

シベリウス:歴史的情景第2番
J.S.バッハ:2挺のバイオリンのための協奏曲*
チャイコフスキー:交響曲第5番
---------------
アンコール
シベリウス:アンダンテ・フェスティーヴォ

日フィル横浜定期の会場はみなとみらいホールなのだけど、どういう訳か今回だけ県民ホールだった。特に大規模な合唱団が加わるという事情もなかったし、会場変更の説明はとくに行われなかったが、みなとみらいホールのコンサートカレンダーを見ると今日と明日の2日間、「全日本高等学校吹奏楽大会 in 横浜」というコンクールが開かれているので、これにダブって会場変更になったのだろう。

その結果、というべきかどうかは断言できないけど、日フィルの「実力」に対する疑問が湧いてきたコンサートになった。

映画は冒頭の10分が勝負だ。10分程度は面白くなくとも我慢できる。それを超えても興味を惹かれなければその後はネガティヴな思いが支配的になってしまう。その間にキュッと気持ちを掴まれるとその後の進展がはかばかしくなくともなんとか好意的に観続けることができる。

しかし、コンサートは違う。
最初の第一声(音?)が大切で、ここでキュッと気持ちを掴んでくれないともうその先は残念感で一杯になる。

今日の日フィルの第一声はそんな非力な響から始まった。そして、これは僕の気持ちがもうそういう不信感で満ちているためもあったろうけど、最後まで気分が乗れなかった。

弦の響がざわついている。スッキリとした透明感がない。
高音部になると干渉縞のような濁りが交じる。
となると、弱音における繊細さも強奏部分の重厚感も不足する。

いつも、みなとみらいホールではまろやかな艶のある音なのだけど、一体どうしたものか。

聴いた席は、会場が変わったため似たような場所に振り替えられたけど、みなとみらいホールよりもむしろ音響的には好条件(のはず)の場所だった。

外は雨でホールの中も少しは湿気があったのだろうか?
いや、温湿度の管理はやっているはずだけどなあ。

ま、弦楽器の共鳴効果が十分働いていなかったのはピッチの甘さが原因なのか(まさか!)、会場内が湿っていたせいなのかよく分からないが、元々みなとみらいホールに比べて残響時間が短いので、音響のまろやかさには欠ける。
ごまかしが効かないとも言える。
でも、ホールの残響の長短は聴く人の好きずきで、音楽によっては原音のガリガリ感が好ましい場合もある。

そんな次第で、みなとみらいホールでは気が付かなかった弦セクションの不安定感を感じてしまったのは良かったのか悪かったのか。これからも日フィルを聴き続けるつもりだけど、いよいよもって第一声を気にすることになるか…。

シベリウスに「歴史的情景」という作品があるとは知らなかった。それも第2番というからには2曲ある訳だ。少なくとも今日の第2番は<楽章>とは明記されていないが、3つの小品で構成されていた。
あまり引き込まれなかったのは、音楽というより音に引っかかりが生じたせいもある。

指揮のインキネンはフィンランドの出身だから、得意にしているようで、帰宅後どんな音楽だったか反芻したいと思ってAmazonをチェックしたら彼の指揮によるCDを見つけたが、各曲45秒ずつの試聴では全然思い出せなかった。

J.S.バッハの2つのバイオリンのための協奏曲(弦5部とハープシコード)ではインキネン自身がソロ・コンマスの扇屋とともにソロバイオリンを受け持ち、弾き振りというのか半端ではない腕前を聴かせてくれた。

チャイコの5番では、やや野性味が欠けた。特に終楽章。
実は、明日も、N響で同じ曲を聴く。違いを聴き分けるのも楽しみだ。

♪2015-112/♪県民ホール-03

2015年4月24日金曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第669回東京定期演奏会

2015-04-24  @サントリーホール


ピエタリ・インキネン[首席客演指揮者]
アンジェラ・ヒューイット:ピアノ
日本フィルハーモニー交響楽団

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15
ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB107 [ハース版]


僕の体調は悪くなかったし、ホールも席も悪くないのに、今日の日フィルの響に全く満足できなかったなあ。
いつもはみなとみらいホールで聴いているけど、横浜定期の日程が他のオケとバッティングしたので、今日の東京定期に振り替えてもらったのだけど、これはよくあることで、どこで聴こうとたいてい満足できたのに、今日はハナから変調だった。

最初のブラームスはとても楽しみにしていたのに、出だしのティンパニーロールに続く管弦楽の響がなんだか空疎な感じで、食いつけなかった。最初に食いつけないとその疑問を引きずったまま全曲を聴いてしまう。

ピアノのアンジェラ・ヒューイットは、多分相当達者な人なのだろうけど、オーケストラと呼吸が合っていなかったような気がする。決め所のアタックがオケと重ならず、先走っていたところがあった。
明日も同じ公演があるが、そのための練習かと不信感。

指揮のインキネン(次季から首席指揮者になるそうだ。)のテンポが遅めではなかったか。
グールドとバーンスタインの解釈をめぐる争い(バーンスタインが折れた!)もブラームスの1番の主にテンポが原因だったが、この逸話を思い出しながら聴いたよ。


ブルックナーの7番は最近では「ノヴァーク版」というのを聴いたけど、今日の「ハース版」との違いなんてもちろん全然分からない。

音楽自体、もちろん悪くないし、オーケストラを楽しむ要素が盛り込まれていると思っている。
けど、ブルックナーって本当に才能あるのだろうか、と思ってしまった。無駄な繰り返しが多くてそれで、演奏時間が1時間以上もかかるんだ。
…なんてことを思ったりするのも、すべて最初の空疎な響が尾を引いていたからだと思う。


ところで、アンジェラ・ヒューイットが弾いたピアノは「FAZIOLI」だった。そういう超高級(高額?)ピアノを作るメーカーが有ることは知っていたが、実物を見るのもナマで聴くのも初めてだ。
彼女が持ち込んだものらしい。
客席からでは凡夫の耳にはYAHAMAやスタインウェイとの音色の差は分からなかったが、よく響いてこの音には何の不満もなかった。

♪2015-33/♪サントリーホール-02

2014年11月22日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第302回横浜定期演奏会

2014-11-22  @みなとみらいホール


ピエタリ・インキネン[首席客演指揮者]:指揮
舘野泉:ピアノ
日本フィルハーモニー交響楽団

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
ドビュッシー:交響詩《海》
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲
ラヴェル:《ダフニスとクロエ》第2組曲
------------------
アンコール
カッチーニ(吉松隆編曲):アヴェ・マリア(ピアノソロ)



ピエタリ・インキネンはフィンランド出身の若手指揮者。
インキネンとフランス音楽との関わりはプログラムに何ら説明はなかったが、3年半前の企画が東日本大震災で流れたのを、今回実現したということらしい。

ドビュッシーとラヴェルの作品だけでプログラムを組むというのは近代のフランス音楽の粋を楽しもうということだろう。

ドビュッシーの音楽史上の位置づけとか功績についてもっともらしいことを書けるほど詳しくないけど、手法的には調性を自由に拡張した旋律や和声を用い、表現においては幻想、情感など、それまでのロマン派音楽とは一線を画している。
時代は20世紀初頭。
まさに新世紀の音楽がドビュッシーによって開かれた。

ラヴェルはドビュッシーと同じフランス人で13歳若いだけだから、ほとんど同じ場所で同じ時代の空気を吸って生きた人だ。
御本人はどビュッシーからの影響を否定しているそうだが、彼が18歳の頃に発表された「牧神の午後への前奏曲」を聴かなかったはずはなく、聴いた以上大いに触発されたはずだ。


ところで、今月は(というより今年はというべきか)「ダフニスとクロエ」第2組曲がこの日で3回めだった。
東響(11月1日)、神奈川フィル(11月15日)、日フィル(11月22日)だ。実は16日のN響も当初は予定していたので、急遽の変更がなければ短期間に4回も立て続けに聴くことになっていた。

そこで不思議なのは、どうして、2014年11月に少なくとも4つのオケがそれぞれの定期演奏会で「ダフニスとクロエ」第2組曲をこぞって取り上げようとしたのかということだ。

今年はC.P.E.バッハの生誕300年に当たるというので、夏までに何度か作品を聴く機会があったが、ラヴェル(1875年-1937年)の生没年や「ダフニスとクロエ」の初演などの年のどれをとっても2014年が記念となるようなキリの良い数字にはならない。
偶然にしては重なりすぎで、気になってあれこれ調べてみたがまったく手がかりがない。



牧神の午後への前奏曲はフルートのソロで始まる。まずは4小節だけどその間息を継いでいないように見える・聴こえるのだけど本当は上手に息継ぎしているのだろうか。
あの長さを一息で吹き切るって自分の年齢分のローソクの火を消すより難しいな。まずはそこに感心した。

それはともかく、ドビュッシーもラヴェルも木管・金管・打楽器をフルに活用している。当時は古典は以前から存在した管楽器も改良が進んだという背景もあったろう。また、できたばかりの楽器を進んで取り入れたりしている。
管楽器奏者は、腕に自身があれば、そりゃモーツァルトやベートーベンを演奏するよりずっと楽しいだろう。
しかし、奏者には高い技量が求められるようで、特に「ダフニスとクロエ」ではピッコロ~フルート1~フルート2~アルト・フルートの連続技があるのに今回初めて気がついた。

近代ロマン派までの音楽を革新した旋法や和声を存分に活かすにはやはり新しい革衣(管弦楽技法)が必要だったのだなと納得した。


「左手のためのピアノ協奏曲」については、片手で弾いているとは思えない名人芸だったという感想にとどめておこう。

♪2014-106/♪みなとみらいホール大ホール-42

2014年6月28日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第661回東京定期演奏会

2014-06-28  @サントリーホール


ピエタリ・インキネン[首席客演指揮者]
日本フィルハーモニー交響楽団

シベリウス:交響詩《夜の騎行と日の出》 作品55
マーラー:交響曲第6番イ短調《悲劇的》

シベリウスの作品はお初だった。CDも持っていないし、放送でも聴いた覚えがない。
最初から最後までシャカシャカとリズムが刻まれて、急き立てられるような音楽で、なるほど、馬で夜を駆けるのだろうが、最終盤に至って少しゆったりした、と思ったらもう夜が明けて終わりだった。

同じ交響詩の「フィンランディア」や「トゥネラの白鳥」に比べると馴染みのないせいもあるだろう。今回は楽しめなかったが、次回聴く機会があればどんな印象だろうか。


本日のメインイベントは、前日に引き続きのマーラーだ。
前回のサントリーホールもマーラー(東京交響楽団で第9番)だった。これが実に良かった。
また、6番については3月にやはり神奈川フィル+金聖響の退任記念演奏会で聴いて、これも素晴らしかった。

なにより、前日の神奈川フィルの「復活」があまりに凄かったので、どうしても期待は膨らむ。

しかし、大きすぎる期待が邪魔をしたか、なかなか音楽に没入できないのには弱った。体調がイマイチだったせいもある。何やら朝からシャキッとしていなかった。
「悲劇的」も十分「刺激的」な曲なのだけどそれが伝わってこないのはどうしたものか…と考えながら聴いていると余計に気持ちが音楽から遠ざかってしまう。

さりとて決してつまらない訳ではなく、日フィルは長大な音楽を十分緊張感を持って演奏し切ったと思う。
終曲のタクトが止まって暫時の沈黙を経て会場は割れんばかりの拍手とブラボーの合唱。これは大曲をともに共有できたという喜びのほかに、若い指揮者への激励もあったろう。

〈ピエタリ・インキネン〉
胸を打たれる、というような高揚感は得られなかったけど、これは最近の生々しい感動の記憶が引き算をしてしまったということだろう。

..あえて言えば、最前列で聴いている60歳前後と思しき男性。

顔を天井に向け目は閉じているが口はポカンと開いたまま。
右手が胸の前で手刀を切るように音楽に合わせて動き、時には両手を繰り出してさも指揮をしているような塩梅で完全没入している。
まるで脱法ハーブ状態だ。
そんな音楽の聴き方ってあるものか、と呆れて心中憎まれ口を利いていたのが、僕が没入できなかった原因の一つかもしれない。
もっと気の毒なのは隣席の紳士。いい迷惑で集中できていない様子がありありだった。

♪2014-64/♪ @サントリーホール-02