2018年3月30日金曜日

東京都交響楽団 第851回 定期演奏会Cシリーズ

2018-03-30 @東京芸術劇場大ホール


エリアフ・インバル:指揮
東京都交響楽団

シューベルト:交響曲第7番 ロ短調 D759《未完成》
チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 op.74《悲愴》

20日のA定期が抜けられない会合と重なったために振替したコンサートだ。「未完成」と「悲愴」という名曲コンサートみたいなプログラムを、音響に不満のある芸術劇場まで聴きに行くのもあまり楽しみではないけど、B定期も会員だしプロムナード定期は回数が少ないので実質的に振替先がないので仕方がなく今日のC定期にした。同じ演目で明日、ミューザ川崎シンフォニーホールでも演奏会(都響スペシャル)があるのでできることならこちらを取り替えたかったが、このシリーズは振替対象になっていないのでやむを得ない。

池袋というと遠い気がするが、我が家からは東横線一本(渋谷からは副都心線に乗り入れ)で行けるし、池袋駅からは地下道を通って直接に劇場の地下に繋がっていてとても便利な場所ではある。
これで音響が良ければいいのだけど、どうもこれまで満足したことがない。
都響の振替えシステムは他のオケと異なり、実によくできていて、NET上で座席指定までできるのが素晴らしい。

それで、今回はこれまで座ったことがない2階席右翼の一段高くなったゾーンの左端(舞台中央より)を選んでみた。
実際に座ってみると、客席全体からみればやや上手寄りになるけど、席がセンターに向いているので視線の前方は指揮者だし、前列には前席がないので前の人の頭が邪魔にならず、いわば2階の最前列のような感覚で舞台を臨めるので、これも悪くないなと思った。

問題は音がどう伝わってくるかだ。

果たして…。
存外悪くはなかった。これまで聴いた中では一番自然な感じだった。もし、今日が初めての経験ならば取り立てて音響に不満は覚えなかったかもしれない。しかし、過去に何度もがっかりしているので、どうしても音楽を聴くというより、あら探しをしてしまうのは健康な鑑賞態度ではないなあ。
で、そのような不健康なシビアな耳で聴くと、やはり、ステージ上の音がそのまま素直に客席に届いているとは思えず、舞台上で完結した音を、超高性能なHiFiシステムで捉え、再生した音を客席で聴いているような感じか。

舞台上の音は客席の空間で一体とはなっていない気がしてならなかった。

そうは言っても、都響の演奏はかなりの音圧があるし、耳タコの音楽も十分楽しめた。

「悲愴」に関しては、いつも正統派で遊びのない指揮ぶりだと思っていたインバルが第4楽章では結構露骨な緩急を付けていた。
もし録音・録画でこの演奏を残すつもりなら、あんな大袈裟なテンポの変化はしなかったのではないかと思う。彼流の生のお客様へのサービスかもしれない。

サービスならば、これは邪道だろうけど、第3楽章と第4楽章はアタッカで続けてほしかったな。そうすることで第4楽章の底なしの悲壮感が際立つと思うのだけど。

♪2018-033/♪東京芸術劇場大ホール-01

2018年3月26日月曜日

東京都交響楽団 第850回 定期演奏会Bシリーズ

2018-03-26 @サントリーホール


エリアフ・インバル:指揮
アレクサンドル・タロー:ピアノ*

ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番ヘ長調 op.102*
ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14
--------------
アンコール
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番ヘ長調から第2楽章*

ショスタコのピアノ協奏曲第2番はCDで何十回も聴いているが少しも頭に入らなくて、今日は初めて生を聴いたのだけど、いつも聴いている同じ音楽だとななかなか思えなかったくらいだ。

あらためて向かい合ってみるとなかなかおもしろいし、特に中間楽章は、ショスタコとは思えないほど甘美で癒される音楽だ。ショパンかラフマニノフだと言われたらそうかもと思ったろうな。

この楽章を、アンコールにオーケストラと一緒に演奏してくれたのは良かった。

幻想交響曲は5日前にコバケン指揮日フィル(みなとみらいホール)で聴いたばかりだ。この日フィルの演奏がとても良かったので、果たして、都響の腕前は如何、と興味深く傾聴したが、どうも弦の高域に僅かに濁りがある。これはどのオケでも時々感ずるのだが、どうしてだろう。聴き手の体調とか、温湿度などの関係もあるのだろうか。

一つ言えることは、ホールの響の良さはサントリーホールよりもみなとみらいホールの方が僅かだけど、確実に優れている。良いアンサンブルを一層よく響かせてくれるのがみなとみらいだ(タケミツメモリアルも同じ印象を持っている。)。
そのせいで、今日の都響の弦の高域に耳障りなものを感じたのかもしれないが、ただ、オケが出さない音をホールが増幅する訳はないので、やはり、今日に限っては都響の高域弦が一糸乱れずとはゆかなかったのではないか。

迫力はあるし、合奏力は優れている。
日フィルを聴いていなければ、終演後の大歓声の中に混じって僕も思い切り拍手していたかもしれない。

♪2018-032/♪サントリーホール-02

2018年3月21日水曜日

読響第102回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2018-03-21 @みなとみらいホール


小林研一郎:指揮
読売日本交響楽団

ロッシーニ:歌劇「セビリアの理髪師」序曲
ビゼー:「アルルの女」第2組曲
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
----アンコール----
マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲

春分の日だというのに、関東広域で雪が降った。横浜も朝からの雨が昼には雪に変わり、それも桜の花びらがが舞っているような、牡丹雪というのだろうか、本格的な振りようで驚いた。家の前の道路は既に降り積もっていてシャーベット状になっている。途中、転びそうになって踏みとどまったが、頭でも打っておればコンサートどころではなかった。

帰りにはすっかり止んでいて、コンサート自体がとても心地の良いものだったし、寒かったものの、晴れ晴れとして帰途についた。

最初の「セビリアの理髪師」はイマイチだった。第1曲めの出来が悪いのは、どのオケでも大抵そうだ。弦の高域の透明感がない。あれあれ、今日は全曲こんな調子か、と不安に思っていたが、「アルルの女2」では出だしから全然違う。あんまり高域がキンキンする音楽でもないのだけど、管弦のアンサンブルはとても重厚だし、高域の耳障りな音もほとんど目立たなくなった。

第2組曲の4曲中第2曲「間奏曲」はあまり耳に馴染んでいないが、他の3曲〜とりわけ、第3曲の「メヌエット」と第4曲「ファランドール」は耳タコの有名曲だが、フルート単独曲としても演奏機会の多い「メヌエット」でのフルートの音色のきれいなこと。みなとみらいホールの音響の良さが実に効果的に作用していた。

そして、大曲「幻想」の素晴らしいこと。
元々大規模管弦楽曲として演奏効果の高い作品なので、どこのオケが演っても楽しく聴けるが、今回の読響の演奏はソロパートも巧いし、アンサンブルの溶け合った音響もいいし、指揮者とオーケストラが一体となって久々に唸らせる出来上がりだった。


個人的には、今日のコンマスの日下紗矢子に好感しているので、いつものように、スレンダーボディをしならせて繰り出す大振りな動きとはっきりしたボーイングなど、コンマス(コンサート・ミストレスと表記するオケもある。)らしい仕事ぶりをみられたのもとても良かった。

コバケンは時にお客様サービスで演出過剰な音楽を聴かせるが、最近はプログラムに遊べる楽曲が含まれないせいか、本来のマエストロぶりを見せてくれるのはいいね。本当は凄腕の指揮者なんだろうな。今日も全曲暗譜だった。

今日は、今年度定期の最後の演奏会ということで、コバケンが3.11の犠牲者に捧げますと前口上して「カヴァレリア〜」をアンコール演奏したのもなかなかしみじみとして良かった。

♪2018-031/♪みなとみらいホール-09

2018年3月16日金曜日

オペラ:ドニゼッティ「愛の妙薬」

2018-03-16 @新国立劇場


指揮⇒フレデリック・シャスラン
演出⇒チェーザレ・リエヴィ
美術⇒ルイジ・ペーレゴ
衣裳⇒マリーナ・ルクサルド
照明⇒立田雄志
合唱⇒新国立劇場合唱団

管弦楽⇒東京フィルハーモニー交響楽団
アディーナ⇒ルクレツィア・ドレイ
ネモリーノ⇒サイミール・ピルグ
ベルコーレ⇒大沼徹
ドゥルカマーラ⇒レナート・ジローラミ
ジャンネッタ⇒吉原圭子

ガエターノ・ドニゼッティ:全2幕〈イタリア語上演/字幕付〉

予定上演時間:約2時間35分
第Ⅰ幕70分
 --休憩25分--
第Ⅱ幕60分

「愛の妙薬」に関してはバーデン・バーデン歌劇場、MET、ミラノ・スカラ座のBDを持っているが、それぞれ演出がまったく異なるけど、それぞれに面白い。特にスカラ座のはミラノの本物の空港のレストランやロビーで旅行客などに混じってオペラを進行させるというとんでもない企画だが、これがちゃんと楽しめる。

やはり、レシタティーヴォ、ソロのアリア、2重唱、3重唱にそれぞれ魅力があり、オペラのアリアというよりカンツォーネのように親しみやすい音楽が溢れていることが、どんなに設定を変えてもこのオペラを楽しめる第一の要素ではないか。そして合唱も大活躍して、明るい雰囲気を大いに盛り上げてくれる。

「愛の妙薬」とは「トリスタンとイゾルデ」にヒントを得た偽の惚れ薬だが、貧乏な青年農夫(ネモリーノ)が村の金持ちで美しい娘アディーナの愛を得ようと実は安物のワインにすぎない「愛の妙薬」を飲んだところ、これまで見向きもしてくれなかった村の娘達に急にちやほやされ始めるのを見て早速クスリが効いたと勘違いするが、それは彼の親戚が亡くなって大金を相続することになったためだったのだが、肝心のアディーナには通用しないなど、一捻りしてあるところも面白い。やがてはネモリーノの誠実さがアディーナにも通じてめでたしめでたし、と丸く収まって分かり易い。

2幕構成で、正味は2時間10分というコンパクトさもいい。主要登場人物は5人(いや、1人は大した役ではないので実質は4人か)なので、役どころにまごつくこともない。

音楽の、一番の聴きどころは2幕終盤のネモリーノのアリア「人知れぬ涙」だ。ドニゼッティの全オペラ作品の中でも一番人気曲だと言われている。非常にメランコリックで切ないメロディだ。そして、数回聴けば憶えられるような簡素な作りだ。
でも、このアリアは、話の脈絡にうまく噛み合わない場違いさがあるのだけど、観客としては、筋は筋、歌は歌、と割り切って、この異次元空間にしばし酔いたいのだから文句を言う人はいないだろう。

新国立劇場では2010年、2013年に続く三演なので、演出や美術なども過去の公演を基本的には踏襲しているのだろう。舞台装置は大きな本(トリスタンとイゾルデ)や大小の本が並び替えられていろんな舞台に早変わりするが、そんなに「本」や「言葉」にこだわるような必然性は無いと思うが、さりとてこれもありか、と思った。
前回の「ホフマン物語」でも衣裳などは原色で派手派手しかったが、今回の「愛の妙薬」も色使いは派手だ。ただ、全体にパステル調で統一されていたので、無用な刺激はなく、なかなかきれいだった。照明も効果的だった。

♪2018-030/♪新国立劇場-04

2018年3月14日水曜日

国立演芸場3月中席

2018-03-14@国立演芸場


講談 神田真紅⇒名月若松城
漫才 宮田陽・昇
講談 神田紅⇒南部坂雪の別れ
奇術 山泉ポロン
落語 柳亭楽輔⇒笠碁
  ~仲入り~
落語 春風亭柏枝⇒時そば
落語 桂米福⇒てれすこ
紙切り 林家今丸
落語 三遊亭圓遊⇒紺屋高尾

珍しく講談が2曲あった。
神田真紅は前座(パスした。)の次に出たが落語でいう二ツ目なのだろうか、それとも講談にはそういう資格制度はないのだろうか。いずれにせよ、あまり上手ではなかった。
でも、話は結構面白いのでその先も聴きたいのだけど、寄席の講談は時間がいつも不足する。これから面白くなるというところで、ちょうど時間となりましたで終わるのが腹立たしい。

神田紅の「南部坂雪の別れ」は以前にも聴いたことがあって、そっくり同じにならぬよう工夫してあるが、自分の芸を自慢しているようではもう伸びないのかな。


今日は初めての演者が多かった。
春風亭柏枝もそのひとり。変わった芸風で、馴染みにくい。「時そば」も変形版だった。自分でも自分の噺がつまらないと思ったか、話終えてから踊りを踊ったが、巧いのか下手なのか分からない。
桂米福も初めて。「てれすこ」は面白い噺だけど、まずまずか。
林家今丸の「紙切り」は話芸の方も嫌味がなくて好感。
三遊亭圓遊(五代目)はかなりの風格があると思うが、イマイチ乗れなかった。「紺屋高尾」はいい噺なんだけど、好みの芸風とは語り口が違う。これを味と思えば楽しめるのかもしれないが。
単に噺を聴いているだけだけど、これで、「話芸」についてあれこれ考えさせられるよ。


♪2018-029/♪国立演芸場-04

2018年3月10日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第335回横浜定期演奏会

2018-03-10 @みなとみらいホール


広上淳一:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
小山実稚恵:ピアノ*

ショパン:ピアノ協奏曲第1番*
ブラームス:交響曲第4番ホ短調 作品98
---------------
アンコール
ショパン:ワルツ第19番イ短調 遺作*
ブラームス:ハンガリー舞曲第1番ト短調(管弦楽版)

ピアノの小山実稚恵は伊藤恵と並んで好きなタイプだ。と言っても、音楽性は別として、人柄に好感を抱いている程度だ。
音楽性に関して僕が言えることは、プロとして当然のことだが、音楽に対して真摯な取組みを感ずることができ、外連味がないということは理解できるし、ユジャ・ワンを生で聴くような音楽外の感情移入をしなくて済む(いや、したいという側面も否定できないな。)ので、その分、音楽に没頭できる…というと褒めているのかどうか。いや、褒めているのだけど。
まあ、とにかく、テクニックは全然衰えを感じさせないし、女性だが、ダイナミックレンジも広く、安定して、正統的な音楽を演奏できる一流のピアニストだと思う。

不思議なもので、一昨年、昨年は一度も聴く機会がなかったが、今年は先月に続きもう2度めだ。

ショパンの協奏曲第1番(作曲順では2番)、は同じみなとみらいホール、日フィルの組合せ、菊池洋子のピアノで聴いたのがほぼ半年前。この作品は耳に馴染みすぎているせいか、いつも、あまり気合を入れて聴くこともないのだけど、今日は、久しぶりの小山実稚恵ということもあって、何時になく熱心に聴いたが、長いオケの前奏(帰宅後スコアを調べたら138小節もあるんだ!)に続いてようやくピアノソロがffで入ったときのピアノの音がとてもきれいで驚いた。

いや、ピアノの響だけではない。
今日の日フィルはどうしたことか響が良い。いつも同じ場所で聴いているのに、不思議に思うくらい(特に弦の)アンサンブルがきれいだ。

ブラームスの4番は全体にゆったりとしたテンポだったが、アラが目立ちやすい高音部も含め、きれいにホールに鳴り渡った。

みなとみらいホールは日頃聴く首都圏のホールの中でオーケストラ演奏には最高にきれいな響を放つと思っているが、だからといって、いつもきれいとは限らない。何が原因するのか、オケとホールがうまい具合に共鳴し合う場合と反撥する場合があるように思う。いや、ホールが反撥したりはしないので、オケの調子がイマイチなのだろう。

日フィルが本来の力を出したのか、僕の体調が良かったのか、お客の入り具合も関係したのか(このところ暖かくなってきたので、厚着の程度が穏やかになると残響が多くなるだろうな。)、よく分からないが、実に心地よい響だった。
ひょっとしてブラームスの管弦楽技法が優れているのだろうか。

定期演奏会には珍しく、オケのアンコールがあったが、これもブラームスの「ハンガリー舞曲第1番」で、この冒頭の弦の鳴りようの芳醇なこと。
ブラームスがピアノ用に書いたこの舞曲集のうち、自身で管弦楽用に編曲したのは今日演奏された第1曲のほか第3曲、第10曲だけだそうだ。今日の演奏が素晴らしかったのは、やはり、ブラームスのアレンジの巧さのせいもあるかな。

♪2018-028/♪みなとみらいホール-08

2018年3月5日月曜日

国立演芸場3月上席

2018-03-15@国立演芸場

落語 入舟辰乃助⇒弥次郎
落語 柳家小せん⇒三人無筆
音曲漫才 めおと楽団ジキジキ
落語 三遊亭歌奴⇒初天神
落語 桂藤兵衛⇒竹の水仙
      ―仲入り―    
漫才 ホームラン
落語 柳亭燕路⇒お菊の皿
奇術 ダーク広和
落語 桂南喬⇒粗忽の釘

お客の立場としても、いつも体力・気力が絶好調という訳ではないので、今日のように睡魔と戦わざるをえない状況では、演者に本当に申し訳ないと思うが、一方で、そんなお客をも覚醒させる芸を見せてくれと言ってもいいかな。

というのも、幾つかの出し物ではしっかり聴いて、声を出して笑ったりもしたので…。

睡魔が負けた出し物で、かつ、面白かったもの。
・柳家小せん⇒三人無筆
・音曲漫才 めおと楽団ジキジキ
・漫才 ホームラン…ホームランはいつ聴いても面白い。どんな眠気も覚ましてくれるような気がする。
・落語 柳亭燕路⇒お菊の皿

奇術(手妻というべきか)のダーク広和も腕は確かなようだけど、話し方にシンパシーを感じない。

トリの南橋は、ちょうど眠気の山場に差し掛かり、睡魔の完全勝利。


♪2018-027/♪国立演芸場-03

2018年3月3日土曜日

三月歌舞伎公演「増補忠臣蔵」/「梅雨小袖昔八丈」

2018-03-03 @国立劇場

●『増補忠臣蔵』


桃井若狭之助⇒中村鴈治郎
三千歳姫⇒中村梅枝
井浪伴左衛門⇒市村橘太郎
加古川本蔵⇒片岡亀蔵
        ほか

●『梅雨小袖昔八丈』


髪結新三⇒尾上菊之助
下剃勝奴⇒中村萬太郎
白子屋手代忠七⇒中村梅枝
白子屋娘お熊⇒中村梅丸
白子屋後家お常⇒市村萬次郎
紙屋丁稚長松⇒寺嶋和史
家主女房お角⇒市村橘太郎
家主長兵衛⇒片岡亀蔵
加賀屋藤兵衛⇒河原崎権十郎
弥太五郎源七⇒市川團蔵
         ほか

明治150年記念

一、増補忠臣蔵(ぞうほちゅうしんぐら)一幕二場
 ―本蔵下屋敷―(ほんぞうしもやしき)
     国立劇場美術係=美術
  
  第一場 加古川家下屋敷茶の間の場
  第二場 同        奥書院の場

河竹黙阿弥=作
尾上菊五郎=監修
二、梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)三幕六場
 ―髪結新三―(かみゆいしんざ)
     国立劇場美術係=美術
  
  序幕  白子屋見世先の場
      永代橋川端の場
  二幕目 富吉町新三内の場
          家主長兵衛内の場
        元の新三内の場
  大詰    深川閻魔堂橋の場

国立の歌舞伎は通し狂言が多いが、昨年の秋に続いて今回は2本立てだった。
最初の「増補忠臣蔵」は僕には初モノだが、「仮名手本忠臣蔵」
の九段目(山科閑居)の前日譚だとは承知していたので楽しみだった。ここで主人公は加古川本蔵が仕える桃井若狭之助であるが、筋立てからは本蔵の方が重い役にも思える。「仮名手本〜」全体を通じても重要なキーパーソンであり、なかなか魅力的な人物だ。

「増補」と付いているのは、「仮名手本〜」の話の一部を膨らませたという意味だが、出来たのが明治の始め頃らしい。最初は人形浄瑠璃で、明治30年が歌舞伎版の初演。初代鴈治郎が桃井若狭之助を演じ、二代目も三代目(現・藤十郎)も得意とし、歴代鴈治郎が演じてきたが、当代の鴈治郎としては今回初役であり、先代までは東京では演じてこなかったので、東京での公演は65年ぶりなのだそうだ。

1幕2場で公演時間もちょうど1時間というこじんまりした作品だ。登場人物も少なく筋も簡単で分かりやすい。

ほとんど、若狭之助(鴈治郎)と本蔵(片岡亀蔵)の主従のやりとりで、若狭之助に見送られて虚無僧姿で出立するところでこの芝居は終わるが、忠臣蔵の物語としてはこの後に九段目が続くと思うと、なかなかその別れも味わい深いものがある。

今日は初日だったせいか、竹本と2人のセリフに少しズレというほどでもないけどぴったり感のない箇所があったような気がした。

また、これは本質的なことだけど、鴈治郎の芝居と亀蔵の芝居がそもそもタイプが違うというか、木に竹継いだようで、うまく噛み合っていなかったように思う。

2本めがいわゆる「髪結新三」だ。菊之助初役。
この人は美形過ぎてヤクザな新三には不似合いだと思っていたが、なかなかどうして、ほとんど違和感がなかった。
ただ、最初の方で忠七(梅枝)の髪を整えるところの仕草はちっとも髪結いには見えなかったな。誰だったか、現・芝翫だったか、松緑だったか思い出せないが、多分ふたりとも今日の菊之助より髪結いらしかったな。

まあ、こちらの腕も徐々に上がるだろう。
家主長兵衛とのやり取りなど、とてもおかしい。初役はひとまずは成功だと思う。

この長兵衛を片岡亀蔵が演じていて、ここではまことに嵌り役だ。この人は軽めの(こってりしない)芝居が合っているのではないか。

梅丸は既に何度か観て娘役として実にかわいらしいのでとても男が演じているとは思えない。

♪2018-026/♪国立劇場-005