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2020年8月8日土曜日

八月花形歌舞伎 第三部

 2020-08-08 @歌舞伎座


義経千本桜
吉野山(よしのやま)

佐藤忠信実は源九郎狐⇒猿之助
逸見藤太⇒猿弥
静御前⇒七之助


今日はホンに「花形歌舞伎」の看板にふさわしい猿之助・七之助の「義経千本桜-吉野山」。

本来の演題は「道行初音旅(みちゆきはつねのたび)」というそうだ。「道行」は、一般的には道ならぬ恋をした男女の逃避行が多いが、ここでは義経の愛妾「静御前」(七之助)とその家来「佐藤忠信」(本当は狐:猿之助)という主従の道中を描いているのが珍しい。

ほとんど台詞のない舞踊劇だが、特に猿之助の表情がとても雄弁。狐であるからすっぽんから登場。最後も衣装の早変わりで狐の忠信として花道に消えた。

途中に大立ち回りもあって賑やかだ。

筋らしい筋もなく、妙な芝居だけど、型や仕草が満開の桜を背景に華やかだ。

拍手盛大だが、やはりここぞ、というところで「大向こう」の掛け声が欲しい。

世界の演劇に通じている訳ではないけど、「歌舞伎」は舞台と客席が一体となってその相互作用が生み出す芸能として稀有な存在ではないだろうか。

客席側の態度表明が拍手だけ(それもタイミングが難しい。)では寂しいし、芝居が成り立っていないと思う。


帰りに歌舞伎座のお兄さんに「大向こう席」を作るように申し入れをしておいた。
2、3階の上手通路後方に一角を区切って声を掛けたい人たちの専用席を作り、臨席との間はアクリルで仕切れば問題ないはず。真剣に考慮するかな。

♪2020-037/♪歌舞伎座-03

2018年8月26日日曜日

歌舞伎座百三十年 八月納涼歌舞伎第三部 通し狂言 「盟三五大切」

2018-08-26 @歌舞伎座


四世鶴屋南北 作
郡司正勝 補綴・演出
織田紘二 演出
通し狂言 「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」

序幕
 佃沖新地鼻の場
 深川大和町の場  
二幕目
 二軒茶屋の場
 五人切の場   
大詰
 四谷鬼横町の場
 愛染院門前の場

薩摩源五兵衛⇒幸四郎
芸者小万⇒七之助
家主くり廻しの弥助⇒中車
ごろつき五平⇒男女蔵
内びん虎蔵⇒廣太郎
芸者菊野⇒米吉
若党六七八右衛門⇒橋之助
お先の伊之助⇒吉之丞
里親おくろ⇒歌女之丞
了心⇒松之助
廻し男幸八⇒宗之助
富森助右衛門⇒錦吾
ごろつき勘九郎⇒片岡亀蔵
笹野屋三五郎⇒獅童

初めて観る芝居で、あらすじはざっと予習していたが、本番では、歌舞伎座が販売している「筋書き」(プログラム)を手元に開いてややこしい人間関係の理解に追われながら観ることになった。手元に置くと言っても、演出で館内も暗くなる場面が多くてそうなるともうお手上げなのだが。

この作品は、先行の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」、「仮名手本忠臣蔵」、「東海道四谷怪談」が織り込まれているそうだ。後者2作はまずまず理解しているつもりなので、どういうふうに本作に取り込まれているかは、およそ分かる。
が、「五大力恋緘」を観たことがなく内容も予習の範囲でぼんやりとしか頭に入っていなかった。
今後のために改めてブリタニカ国際大百科から関係部分を引用しておこう。

『<五大力>とは、元来は<五大力菩薩>の略で、女からの恋文の封じ目に書く文字であり、また貞操の誓いとして簪(かんざし) 、小刀、三味線の裏皮などにこの字を書いた。』
『<五大力恋緘>〜は紛失した宝刀探しに明け暮れる源五兵衛と三五兵衛に、辰巳芸者小万との愛と義理立てをからませた筋で、隣で唄う上方唄<五大力>を聞きながら三味線の裏皮に<五大力>と書く趣向が受けた。ほかに文化3 (1806) 年並木五瓶作の『略三五大切 (かきなおしてさんごたいせつ) 』、文政8 (25) 年鶴屋南北作の『盟三五大切 (かみかけてさんごたいせつ) 』の書き換え狂言が有名。』とある。

つまり、「盟三五大切」は「五大力恋緘」を再構成し、その際?に「仮名手本忠臣蔵」と「東海道四谷怪談」(東海道〜は元来が忠臣蔵の外伝である。)を盛り込んで再構成したようだ。

本作では、笹野屋三五郎がその女房小万の腕に彫った「五大力」の入れ墨に、頭に「」を加え「」に偏として「」を加えて、「五大」に書き変える。これが終盤の悲劇の原因となる。

小万は三五郎の女房であることを隠して深川芸者として稼いでいる。それは三五郎の父に討ち入りの資金を提供することで、勘当を解いて欲しいからだ。つまり、三五郎も今は身分を隠して船頭をしているが、元は武家の出で、塩谷家(史実では浅野家)に縁の者だ。

一方、その小万にすっかり入れ込んだのが源五右衛門。彼は主人の切腹前に主家の御用金を盗まれて、その科で浪人となったが、なんとか盗まれた金を取り戻し、塩谷家に復縁したいと思っているが、今は、その素性を明らかにできない。また、そんな事情から芸者にうつつを抜かしているゆとりはないのだが、そこがだらしがないのがこの男の性なのだ。
ところが、親戚筋から、思わぬ大金百両を得ることになった。本来なら、主家に届けて復縁を願い出るべきところ、小万に未練があって逡巡している。
それを知った三五郎夫婦がその金を奪おうと計画する。三五郎も源五右衛門も本来は仲間同士なのだが、互いはその事情を知らないがゆえである。

源五右衛門は結局百両を奪われ、深夜、その恨み果たさんと三五郎の仲間が寝入っている家を襲い、5人を斬り殺す。

筋書きは、このあとも更に複雑に展開し、人殺しや腹切など凄惨な場面が続くが、最後は源五右衛門が晴れて塩冶浪士として高野家(史実では吉良家)討ち入りに向かう。

という訳で、この芝居も全体として「忠臣蔵外伝」なのだ。
幽霊の紹介は略したが、民谷伊右衛門(実は塩冶浪人)が女房のお岩を斬り殺した家が重要な舞台となり、お岩の幽霊が出る、という話が絡んでくる。

こういう筋書きの理解で、冒頭に書いた、「五大力恋緘」、「仮名手本忠臣蔵」、「東海道四谷怪談」の織り込みは納得できるが、おそらく、この作者はもっと巧緻な仕掛けを用意しているのかもしれない。

「予習」した際に、芝居の大詰で源五右衛門が三五郎の切腹を見て「こりゃかうなうては叶うまい」(こうでなくちゃおさまらなない)というセリフを言うことで、三五郎の切腹を早野勘平、塩冶判官の切腹に見立て、物語全体が「忠臣蔵」として「収まる」という見方を読んだが、今回の公演ではこのセリフ、確かに聞いたが、源五右衛門のセリフではなく、三五郎の父徳右衛門がつぶやいたように思った。なので、このセリフの意味が理解できない。浮いている感じだ。

巧緻な仕掛け、というのは、ここに引用した独自な見方が正しいかどうか判断できないが、そのような類の仕掛けが施してあるのではないか。登場人物を(源五右衛門⇒不破数右衛門だけでなく)忠臣蔵のいろんな人物に重ね合わせることができるのではないか、そんな気もしながら観ていたが、筋を追いかけるのが精一杯だった。

歌舞伎の常套手段で、登場人物の「A実はB」というびっくりぽんが多いこと。
参考までに以下に列挙しよう。これが、理解を難しくさせる原因の一つだ。

●薩摩源五兵衛⇒実は塩冶浪人(御用金を盗まれたため浪人となった)の不破数右衛門
●芸者妲妃の小万⇒実は民谷伊右衛門の召使いお六⇒実は大家の弥平の妹⇒実は三五郎の女房
●大家の弥助⇒実は民谷家中間土手平⇒実は小万の兄⇒実は塩冶家から御用金を盗み出した盗賊
●賤ケ谷伴右衛門⇒実はごろつき勘九郎
●笹野屋三五郎⇒実は塩冶家縁の徳右衛門(同心の了心)の息子千太郎

♪2018-101/♪歌舞伎座-04

2017年8月16日水曜日

八月納涼歌舞伎 第一部

2017-08-16 @歌舞伎座


長谷川 伸 作
坂東玉三郎・石川耕士 演出
一刺青奇偶(いれずみちょうはん)二幕五場
半太郎⇒中車
お仲⇒七之助
赤っぱの猪太郎⇒亀鶴
従弟太郎吉⇒萬太郎
半太郎母おさく⇒梅花
半太郎父喜兵衛⇒錦吾
荒木田の熊介⇒猿弥
鮫の政五郎⇒染五郎

二 上 玉兎(たまうさぎ)
  下 団子売(だんごうり)
〈玉兎〉
玉兎⇒勘太郎
〈団子売〉
お福⇒猿之助
杵造⇒勘九郎

8月の歌舞伎座は1日に3部公演だ。それなら、もっと安くできないか、と思うが、役者をこき使って、狭い場所に大勢の観客を閉じ込めて、2部公演のときとさほど料金は変わらない。松竹の商魂がミエミエな感じで役者にはすまないけど、歌舞伎座での歌舞伎公演はなかなか好きになれない。国立でゆったりと大人の歌舞伎をリーズナブルな値段で観るのが好き。

とは言え、この月は国立の歌舞伎公演はないから、毎年納涼歌舞伎に行くことになる。3部構成の中で、一番興味を持ったのが第一部の「刺青奇偶」。泣かせてくれそうな江戸の粋な人情噺。これを玉三郎の共同演出、中車、七之助、染五郎の主演で演るというから楽しみだった。

博打さえしなければ良い男だが、ヤクザな稼業から足を洗えないでいる半太郎が、ふとした縁で川に身投げした酌婦のお仲を助けた。人生に疲れていたお仲は初めて男の真情に触れ、2人は相身互いの貧乏だが幸せな暮らしを送っていたが、無理が祟ってお仲は不治の病に。なんとか助けたいと思う半太郎は賭場に因縁つけてお金にありつこうとして半殺しで叩き出されるが、そこに土地の親分政五郎が半太郎の事情を聞き、その男気に惚れて子分にしてやろうというが、半太郎は断る。そこで政五郎、自分の有り金全部を賭けて丁半で勝負しようと持ちかけ、応じた半太郎が勝利する…のは偶然なのか政五郎の情けが通じたのか。
思ってもみなかった大金を手にした半太郎は、喜び勇んで臥せているお仲の元へと急ぎ足。…この先は描かれないが、愁嘆場が待っているのは想像に難くない。

隣のご婦人は途中からもうグズグズに崩れまくっていたが、それほどの噺かな。

いくつも不満を感じた。

まずは、舞台が暗い。客席も真っ暗だ。いくら夜の情景としても暗すぎる。その一幕の間に暗転が2回。大道具を作り変えるために仕方がないとは言え、三場とも暗くて役者の顔もよく見えない。すると不思議な事にセリフも聞き取りづらい。

第二幕で話は暗いままだが、舞台はようやく少し明るくなってこれで初めて生の舞台を見る中車の顔がはっきり見えた。
暗いのが長いと気鬱になる。

そもそも、これは歌舞伎なのか、という疑問も湧いてくる。三味線・浄瑠璃はなし。台詞回しも新劇のようで、つまりは前進座の芝居のような感じを受けたが、前進座も歌舞伎なのかも。少なくとも歌舞伎座で歌舞伎役者が演じたら歌舞伎なんだろうな。

一幕三場と二幕二場に、半太郎を探し訪ねて母親と甥、母親と父親がやってくるが、二度とも半太郎とは会えない。絡みがないのなら何のために登場させているのか分からない。
原作どおりなのだろうが、彼らの出番はカットしたほうがスッキリする。

な、次第で、期待は裏切られてしまった。

二つ目の演目、玉兎はホンのご愛嬌。
団子売りは、前に仁左衛門、孝太郎で観たが、今回の勘九郎、猿之助の方が陽気な感じで良かったかな。

♪2017-140/♪歌舞伎座-04

2017年2月16日木曜日

江戸歌舞伎三百九十年 猿若祭二月大歌舞伎

2017-02-16 @歌舞伎座


田中青滋 作
一、猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)
猿若⇒勘九郎
出雲の阿国⇒七之助
若衆⇒宗之助
若衆⇒児太郎
若衆⇒橋之助
若衆⇒福之助
若衆⇒吉之丞
若衆⇒鶴松
福富屋女房ふく⇒萬次郎
奉行板倉勝重⇒彌十郎
福富屋万兵衛⇒鴈治郎
  
初代桜田治助 作
  戸部銀作 補綴
二、大商蛭子島(おおあきないひるがこじま)
「黒髪」長唄連中
正木幸左衛門実は源頼朝⇒松緑
地獄谷の清左衛門実は文覚上人/北条時政⇒勘九郎
おます実は政子の前⇒七之助
清滝⇒児太郎
熊谷直実⇒竹松
畠山重忠⇒廣太郎
佐々木高綱⇒男寅
三浦義澄⇒福之助
下男六助⇒亀寿
家主弥次兵衛⇒團蔵
女房おふじ実は辰姫⇒時蔵
  
河竹黙阿弥 作
三、四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)
四谷見附より牢内言渡しまで
野州無宿富蔵⇒菊五郎
女房おさよ⇒時蔵
伊丹屋徳太郎⇒錦之助
浅草無宿才次郎⇒松緑
寺島無宿長太郎⇒菊之助
黒川隼人⇒松江
頭⇒亀三郎
三番役⇒亀寿
下谷無宿九郎蔵⇒萬太郎
ぐでんの伝次⇒橘太郎
下金屋銀兵衛⇒松之助
穴の隠居⇒由次郎
数見役⇒権十郎
石出帯刀⇒秀調
生馬の眼八⇒團蔵
隅の隠居⇒歌六
うどん屋六兵衛⇒東蔵
浜田左内⇒彦三郎
牢名主松島奥五郎⇒左團次
藤岡藤十郎⇒梅玉
    
四、扇獅子(おうぎじし)
鳶頭⇒梅玉
芸者⇒雀右衛門

1★★★…いわば、江戸歌舞伎の発祥を祝う長唄に乗せた所作事(舞踊)中心。華やかでいい。

2★★…この幕は寝てよし。

3★★★…これは菊五郎と梅玉が双方いい味出すのだけど、世話物として物足りない。牢屋の仕組みを知らなかった当時の普通の生活者にとって、このリアルさに惹きこまれたのかもしれないけど。

4★★★…清元による所作事。鏡獅子ならぬ扇獅子。四季の移り変わりを愛でる舞踊。梅玉と雀右衛門。ここでの雀右衛門はいいと思った。

勘九郎、七之助はいい。優れたDNAを受け継いでいると思う。
菊之助、松緑は出番少なし。

♪2017-024/♪歌舞伎座-01

2016年10月25日火曜日

中村橋之助改め 八代目 中村芝翫 中村国生改め 四代目中村橋之助     中村宗生改め 三代目中村福之助 中村宜生改め 四代目中村歌之助 襲名披露      芸術祭十月大歌舞伎

2016-10-25 @歌舞伎座


山口晃 作
寛徳山人 作
一 初帆上成駒宝船(ほあげていおうたからぶね)
橋彦⇒国生改め橋之助
福彦⇒宗生改め福之助
歌彦⇒宜生改め歌之助

二 女暫(おんなしばらく)
巴御前⇒七之助
舞台番松吉⇒松緑
轟坊震斎⇒松也
手塚太郎⇒歌昇
紅梅姫⇒尾上右近
女鯰若菜⇒児太郎
局唐糸⇒芝喜松改め梅花
東条八郎⇒吉之丞
江田源三⇒亀寿
猪俣平六⇒亀三郎
成田五郎⇒男女蔵
清水冠者義高⇒権十郎
蒲冠者範頼⇒又五郎
     
三 お染 久松 浮塒鷗(うきねのともどり)
女猿曳⇒菊之助
お染⇒児太郎
久松⇒松也

河竹黙阿弥 作
四 極付 幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)
「公平法問諍」
幡随院長兵衛⇒橋之助改め芝翫
女房お時⇒雀右衛門
唐犬権兵衛⇒又五郎
伊予守源頼義⇒七之助
坂田公平⇒亀三郎
御台柏の前⇒児太郎
極楽十三⇒国生改め橋之助
雷重五郎⇒宗生改め福之助
神田弥吉⇒宜生改め歌之助
下女およし⇒芝喜松改め梅花
舞台番新吉⇒吉之丞
坂田金左衛門⇒男女蔵
出尻清兵衛⇒松緑
近藤登之助⇒東蔵
水野十郎左衛門⇒菊五郎


芝翫襲名を前にして不埒?な話題でマスコミを賑わしてしまったのがバッドタイミングだったが、「芸の肥やし」だと開き直れる時代ではないが、ひんしゅくを買ったことも含め、このことは「芸の肥やし」として生きてくるのだろう。

そういう事情もあって、一部にチケットの売れ行きが悪いとかいう説も流れていたが、なんのなんの。

「夜の部」は「襲名口上」のほか「熊谷陣屋」の直実を、一般的に行われている團十郎型ではなく先々代が工夫した「芝翫型」で演ずるという点でも評判が高く、玉三郎が「藤娘」を踊るということもあってか、「夜の部」の3階席のチケットが取れず、「昼の部」にした。

しかし、「昼の部」も襲名披露興行らしい演目が4つも並んでいずれも楽しめた。

一つ目と三つ目はいずれも踊りを味わうもので、まあ、こんなものか。
七之助が巴御前を演じた「女暫」が傑作で、この人はなかなかうまいと思うよ。悪党の首をゾロっとはねて一応幕が閉まるが、その後に松緑が演ずる舞台番の松吉(なんで舞台番がここで登場するのか分からなかったが。)が出てきて、花道の七三で芝翫親子の襲名を祝う巴御前に(この辺も筋はもう無茶苦茶だ。)、六方を踏んで下がるよう勧め、巴御前は女だてらに恥ずかしいとかなんとか遣取りがあって、結局松吉に教わった六方の型を少し、その型も恥ずかしさに崩して花道を下がるという段取りで、本来の芝居の部分に取って付けたような筋の通らない話だが、ま、ここは何でもありの歌舞伎ならではのサービスだ。

いよいよ、「幡随長兵衛」が新・芝翫の見せどころ。
男気を通して殺されるという、ちょっと馬鹿な話なのだけど、丁寧な話の作りで、長兵衛(芝翫)やその女房(雀右衛門)たちの心情の機微がよく伝わって、気持ちが芝居に入り込んだ。
6月国立劇場での「魚屋宗五郎」の橋之助は素晴らしかったが、こういう世話物というのか、町衆の心意気などを演ずるとまことにハマって巧いと思うよ。

今回は、芝翫、七之助、松緑が実に良かった。

♪2016-147/♪歌舞伎座-07

2016年8月16日火曜日

八月納涼歌舞伎 第一部

2016-08-16 @歌舞伎座


近松門左衛門 作
武智鉄二 補綴
一 嫗山姥(こもちやまんば)
岩倉大納言兼冬公館の場
荻野屋八重桐⇒扇雀
太田太郎⇒巳之助
局藤浪⇒歌女之丞
沢瀉姫⇒新悟
煙草屋源七実は坂田蔵人時行⇒橋之助

岡本綺堂 作
大場正昭 演出
二 権三と助十(ごんざとすけじゅう)
権三⇒獅童
助十⇒染五郎
権三女房おかん⇒七之助
助八⇒巳之助
小間物屋彦三郎⇒壱太郎
猿廻し与助⇒宗之助
左官屋勘太郎⇒亀蔵
石子伴作⇒秀調
家主六郎兵衛⇒彌十郎


2本とも初見。
「嫗山姥」は怪奇伝の類だろうか。
橋之助がその名前で出演する最後の舞台だが、それにしては甲斐性のない男の役(煙草屋源七実は坂田蔵人時行)だったな。

再会した女房八重桐(扇雀)から親の敵討ちや主家の難儀などを聞かされ、女房、妹や主君の苦労にひきかえ自分は源七と名を変え郭通いで身を持ち崩した不甲斐なさを恥じて切腹するが、その際に八重桐の胎内には時行の魂が宿り(将来坂田金時を産むことになる。)、そのため怪力の持ち主になって、悪党を蹴散らす~という話。

浄瑠璃(竹本)に合わせた長セリフが聴かせどころらしいが、あまり良く分からなかった。
元は傾城であった八重桐が神通力を得て変身するところが見どころで、これは衣装の早変わり(引き抜き?)もあっていかにも歌舞伎らしい。

「権三と助十」は江戸時代の長屋が舞台で繰り広げられる人情話であり、大岡裁きの話でもある。
まずは、この長屋の舞台装置がよく出来ていて、江戸時代の長屋はこういうものだったのか、と思わせる。猿回しや駕籠かき、小間物売りに女房たちが江戸の風情をよく表している。
染五郎(助十)と獅童(権三)もいかにもの江戸っ子ぶりで面白い。
話も良く出来ていて、セリフも現代劇風なので聴き取りやすい。

権三の女房おかんを演じた七之助が小粋な女っぷりでうまいなと思った。


♪2016-114/♪歌舞伎座-05

2015年8月12日水曜日

松竹創業120周年 八月納涼歌舞伎 第二部

2015-08-12 @歌舞伎座


一 ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき) 
   逆櫓 一幕
   第一場 福嶋船頭松右衛門内ノ場
   第二場 沖中逆艪の場
   第三場 浜辺物見の松の場

      銘作左小刀
二 京人形(きょうにんぎょう) 常磐津連中/長唄連中


一 ひらかな盛衰記(ひらかなせいすいき) 逆櫓
船頭松右衛門(実は樋口次郎兼光)⇒橋之助
畠山重忠⇒勘九郎
女房およし⇒児太郎
船頭日吉丸又六⇒国生
同 明神丸富蔵⇒宜生
同 灘芳九郎作⇒鶴松
漁師権四郎⇒彌十郎
お筆⇒扇雀

       銘作左小刀
二 京人形(きょうにんぎょう)
左甚五郎⇒勘九郎
女房おとく⇒新悟
娘おみつ(実は井筒姫)⇒鶴松
奴照平⇒隼人
京人形の精⇒七之助



2本とも初めての作品だった。

「ひらかな盛衰記」ってよく目にする耳にするタイトルだったが、歌舞伎の演目とは知らなかった。
「源平盛衰記」も存在を知るだけで読んだことはなかった。何となくこの両者がごっちゃになって記憶に残っていたようだ。

歌舞伎座の「筋書き」によれば、「ひらかな盛衰記」は「源平盛衰記」を平易に描いたという意味が込められているそうだ。
つまりは源氏と平家の争いの物語だ。

歌舞伎(元は人形浄瑠璃の翻案)独特のありえないような複雑な登場人物や状況設定で、予習をしておかないと戸惑ってしまったろう。しばらくしたら、はてどんな話だったっけ、ということになるのは必定なので、忘れないうちにあらすじだけ書いておこう。

頼朝に敗れ討ち死にした木曽義仲の家臣樋口次郎兼光(橋之助)は身分を隠して漁師権四郎(彌十郎)の娘およし(児太郎)の2度めの婿として松右衛門を名乗り、権四郎から学んだ逆艪(船を後退させる技術)の腕を磨きながら、義経に対して、主人のかたきを討つ機会を狙っていた。

…なんて、先月観た「義経千本桜-碇知盛」とそっくり!

ある日、ついにチャンス到来。源氏の武将梶原景時に呼び出され、義経の乗る船の船頭を任された。

一方、およしと前夫の子、槌松は先ごろ西国巡礼の宿での捕物さわぎに巻き込まれ、逃げ帰る途中に、背負っていた槌松が実は騒動の最中に取り違ってしまった他人の子供であったが、いずれは本物の槌松に再会できる望みを抱いて槌松と思い大事に育てていた。

松右衛門がチャンスを掴んだその同じ日に女性お筆(扇雀)が権四郎らの家を訪ねて来て、その子を返してほしいという。
取り違えられた子は木曽義仲の遺児駒若丸で、自分は義仲の家臣の娘だという。
では槌松を返してほしいと迫る権四郎に、お筆は、その子は駒若丸の身代わりに敵に殺されたと告げる。
収まらない権四郎とおよし。

およしの悲痛。それが我が事のように分かるお筆も辛い。

ここが哀切極まりないの場面だ。
権四郎は、ならば、駒若丸の首を討ってから返してやると、いきり立ち、奥の間から駒若丸を抱いて出てきた松右衛門に、その首を討てと促す。

松右衛門、実は樋口次郎兼光の心中は、すべて仇討ちのための準備が整ったのは天の采配だと狂喜しただろう。
主君の遺児に手をかけるはずもなく、駒若丸を抱いたまま権四郎に「頭が高い!」と一喝する。

水戸黄門みたいだが、混乱収拾には効果的。

ここで、素性を明らかにした松右衛門=兼光は権四郎らに言葉を尽くして忠義の道を立てさせてくれと頼み、ついには納得した2人は駒若丸を兼光、お筆に渡し、槌松の死を受け入れる。

この後の場面は、船頭たちの勇ましい争いを華麗に見せる芝居で、ちょっと物語としては閑話休題といったところ。

最終場面で源氏側に正体を見破られた兼光が多勢に無勢の中必死に戦うところも、碇知盛を思わせる。
いよいよ、追い詰められたところに権四郎の機転が奏功して源氏方武将畠山重忠(勘九郎)が登場するが、「勧進帳」で言えば富樫のように、事態をすべて丸く収め、兼光は安心して潔く縄を受ける。

なんだか、よくある話のてんこ盛りという感じだったな。
第二場も第三場も活劇が舞のようにきれいで、話とは別に見せ場として用意したような趣向だが、このごった煮も歌舞伎の面白さなのだろう。
能の間に狂言が混じっているようなものか。


傑作は、むしろ舞踊劇「京人形」だ。

彫工の名人左甚五郎の話だ。
京都の郭で見初めた小車太夫を忘れられない甚五郎(勘九郎)は太夫にそっくりな人形(七之助)を作る。
するとこの人形に魂が乗り移り、動き出すのだが、最初は甚五郎の魂が乗り移ったようで、きれいな女の人形なのに男の仕草をするのがおかしい。
そこで、手鏡を懐に差し入れると今度は実に艶かしく女の仕草を始める。
小車太夫になった人形を甚五郎が口説き始めると彼女のお懐からポロッと鏡が落ちて、その途端姿勢も仕草も男の様子だ。

七之助演ずる人形はもちろん表情を変えず、声を発せず、動きも男らしい、女らしいと言っても、やはり人形のぎこちない動きなのだ。パントマイムのようなものか。
このやりとりがとにかくおかしい。

後半、突飛にも左甚五郎の通名の謂われが描かれる。
何の伏線もなかったが、実は甚五郎は旧主の妹の井筒姫(鶴松)を預かっていたところ、彼女に執心する侍が姫を奪い去ろうとやって来るがこれはなんとか凌いだものの、姫の家来に左手を誤って傷つけられた甚五郎の元に、武家の差配か(はっきり描かれなかったが)大勢の大工が姫を差し出せと襲ってくるが、不自由な左手がつかえないまま、いろんな大工道具で応戦し蹴散らす。

つまりは無理に話をくっつけたのだけど、せめて、小車太夫の人形が後半にも登場して脈絡をつけたら良かったのに、そういう整合性はお構いなしなのだ。こういうところが、歌舞伎を今日的な目で観る時に判断に迷う。


♪2015-78/♪歌舞伎座-04

2014年8月6日水曜日

八月納涼歌舞伎

2014-08-06 @歌舞伎座



八月納涼歌舞伎 第二部

一 信州川中島合戦(しんしゅうかわなかじまがっせん)
輝虎配膳
   
長尾輝虎 橋之助
直江山城守 彌十郎
唐衣 児太郎
越路 萬次郎
お勝 扇 雀

二 たぬき
   
柏屋金兵衛 三津五郎
太鼓持蝶作 勘九郎
妾お染 七之助
門木屋新三郎 秀 調
松村屋才助 市 蔵
倅梅吉 波野七緒八
隠亡平助 巳之助
芸者お駒 萬次郎
狭山三五郎 獅 童
備後屋宗右衛門 彌十郎
女房おせき 扇 雀


「八月納涼歌舞伎」の全三部のどの作品も初めてのものなので、どれでも良かったのだけど、第二部の「たぬき」に歌舞伎らしからぬ面白さを期待して選んだ。

一 信州川中島合戦 輝虎配膳
近松門左衛門作の全五段の浄瑠璃の三段目を歌舞伎に移し替えたもの。

長尾輝虎(後の上杉謙信<橋之助>)は、宿敵武田信玄の名軍師黒田官兵衛を味方に引き入れたく、「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」とばかり、家老の直江山城守<彌十郎>とその妻唐衣(官兵衛の妹)に命じて、勘兵衛の母越路<萬次郎>と勘兵衛の妻お勝<扇雀>を屋敷に招き入れ、贈り物や料理のもてなしてで気を惹こうとするが、母越路は輝虎の本心を見抜いているので、息子の忠義の筋を通そうと、もてなしにあれこれ難癖をつける。
あまりの無礼に輝虎は我慢ならんと越路に刀を振りかざすが、お勝が母の非礼を詫び止めに入る。
輝虎は懸命なお勝に免じて2人を放逐することで許す。

全五段のうちの一部なので、物語としては登場人物の描き方が不十分なのはやむを得ないのだろう。
輝虎が悪意の人なのかどうか、は大きな関心事なのだけど、実はこの三段目を見るだけではよく分からない。

また、息子官兵衛(登場しない)がどういう考えであるかも分からないのだけど、配膳を足蹴にするまでの無礼を働く必要があるとも思えないので、越路の行動に説得力はなく、仮に輝虎が悪党だったとしてもそこまでされては武士の面目丸つぶれだ。斬り捨て御免でもやむをえないだろう。

しかし、そこは置くとして、それでも三段目単独上演が成立する面白さは、やはり、義太夫語りと役者のセリフや所作の絡みにあり、なるほど300年(ざっくりした言い方だけど)の鍛えられた伝統芸を感じた。

特に見せ場は、お勝が琴で輝虎の刀を受け止め、吃音であるために言いたいことがうまく言えず、その言葉代わりに琴を弾いて許しを請うところだ。
扇雀が本当に弾く琴と義太夫の三味線とが掛け合いをしながら橋之助の舞のような所作が全てうまく合わさって見事で、こういう芸はまことに一朝一夕では成らぬものだと感心した。


二 たぬき
大佛次郎の昭和28年初演作。
放蕩三昧の挙句、当時はやっていたコレラで急死した江戸の大店の主、柏屋金兵衛<三津五郎>の葬儀が終わり、参列者もみんな帰った後、焼かれるのを待っていた棺が転がり、中から金兵衛が現れる。生きていたのだ。それもピンピンしている。

金兵衛は考えた。このまま本宅に戻って元の生活をするより、愛妾お染<七之助>と一緒に暮らしたほうが面白い。
そこで勝手知ったるお染の家に上がり込んで待っていると、お染には実はかねてから情夫狭山三五郎<獅童>がおり、その晩も訪ねてきているのを知って愕然とする。

その後、金兵衛は神奈川で甲州屋長兵衛と名を変え新たに興した商いに成功していた。

生まれ変わって1年余。江戸で芝居見物をしていた際に、かつて贔屓にしていた太鼓持ちの蝶作<勘九郎>が長兵衛が金兵衛とそっくりなことに気づくが、まさか同一人物とも思えずうろたえるばかり。それを面白がって嫌味や皮肉でからかう金兵衛。蝶作は自分を裏切っていたお染の兄なのだ。

その蝶作を連れて、元の本宅のそばの寺まで行った金兵衛は、境内でハテ本宅に戻るべきか否か思案するが、そこに通りがかったお染は金兵衛を見て、よく似ているが違う人だと蝶作に告げて去ってゆく。
しかし、たまたま女中に連れられて通りがかった幼い息子の梅吉は、金兵衛を一目見て「ちゃんだ!」と叫ぶ。

と、かなり端折った筋書きはかくの如し。

前半は、死んだ人間のそっくりさんが登場して周囲がまごつく滑稽さ。特に太鼓持ちの勘九郎がおやじさんそっくりで(悲しいくらいに)おかしい。
後半は、商売に打ち込み人の情愛を失くしたかのような金兵衛が、やはり子供の無垢な心は騙せないと悟る人情物語。
ドラマとしてとても面白い。

最後に子供の正直さに化けの皮が剥がれる話は、高倉健主演の傑作映画「新幹線大爆破」の名ラストシーンを思い出した。

と、脱線してしまったが、あまり「歌舞伎」らしくない舞台ではある。
台詞回しもほとんど現代の言葉で、下座音楽はわずかに効果音程度しか使われていない。照明の使い方も含め、「新劇」を観ているようでもあった。
もちろん役者が見栄を切るような場面はない。大向うの掛け声も少なく拍手する場面も少なくて、観客としてはカタルシスに不足する。

しかし、一切のケレン味を排し、地味ではあるが、とても分かりやすい人間ドラマとして一興だ。

「新歌舞伎」、「大佛歌舞伎」というそうだ。


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「浄瑠璃」、「竹本」、「義太夫」の違いを平凡社世界大百科で調べるとおよそ以下のとおり。自分でもすぐ曖昧になるので記載しておこう。

●「浄瑠璃」⇒中世以来の諸音曲を総合した語り物
●「豊後(節)」⇒三味線音楽の一流派。宮古路豊後掾の浄瑠璃を〈豊後節〉といったが,広義にはその弟子系の創始した常磐津節、富本節、清元節、新内節、宮薗節などをも含めていう。
●「義太夫(節)」⇒「浄瑠璃」の中の「竹本義太夫」が創始した流派
●「清元(節)」⇒三味線音楽の一種目。豊後三流の一つ。江戸時代にできた浄瑠璃の中ではもっとも新しい。
●「常磐津節」⇒浄瑠璃の一流派。豊後系浄瑠璃(豊後節)のうち、いわゆる豊後三流の一。江戸の歌舞伎音楽(出語り)として発達した。
●「竹本」⇒「義太夫節」の別称、また歌舞伎専門の義太夫節演奏者の称。もともと人形のために作られた浄瑠璃は、そのままの曲節では人間の俳優の動きに適しない場合が多く、歌舞伎的に編曲したり、文章を加除したりするために専門の職種が生まれた。そこで文楽(人形浄瑠璃)の太夫、三味線と区別して竹本と呼び、文楽から竹本に転向した者は再び文楽には戻れぬという鉄則が現在も守られている。このため、かつては文楽より下位に置かれ、〈チョボ〉と呼ばれて蔑視された。その後、義太夫狂言は歌舞伎の重要な柱であり、これを支える竹本の存在が重視されて、人間国宝の指定を受ける者も出た。国立劇場による後継者養成も始まり、その地位は高まりつつある。なお、チョボの語源については諸説があって明らかでない。

♪2014-76/♪歌舞伎座-04

2014年2月6日木曜日

歌舞伎座新開場柿葺落 二月花形歌舞伎 通し狂言 青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ) -白浪五人男

2014-02-06 @歌舞伎座



河竹黙阿弥作
通し狂言 青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ) -白浪五人男

序 幕  初瀬寺花見の場
     神輿ヶ嶽の場
     稲瀬川谷間の場
二幕目    雪の下浜松屋の場
     同  蔵前の場
     稲瀬川勢揃の場
大 詰  極楽寺屋根立腹の場
     同  山門の場
     滑川土橋の場


弁天小僧菊之助・青砥左衛門藤綱⇒菊之助/
南郷力丸⇒松緑/
赤星十三郎⇒七之助
忠信利平⇒亀三郎/
鳶頭清次⇒亀寿/
千寿姫⇒梅枝/
青砥家臣伊皿子七郎⇒歌昇
青砥家臣木下川八郎⇒萬太郎/
浜松屋倅宗之助⇒尾上右近
手下岩渕の三次実は川越三郎⇒廣太郎/
手下関戸の吾助実は大須賀五郎⇒種之助
丁稚長松⇒藤間大河/
薩島典蔵⇒権十郎/
局柵⇒右之助/
浜松屋幸兵衛⇒團蔵/
日本駄右衛門⇒染五郎

リニューアル歌舞伎座、というより、そもそも歌舞伎座は初めてだった。
どうしてこれまで縁がなかったのだろうと自分でも不思議なくらいだ。
まあ、国立劇場で比較的安価に観られるので入場料の高い歌舞伎座でも観たい、という気になるほど歌舞伎が好きって言う訳じゃなかったからだな。
これまで年に数回だったが、今年から毎月1本は観ようと、とりあえず決めたので、2月に歌舞伎公演のない国立劇場に代わって歌舞伎座デビューとなった次第。
東銀座までは京急が乗り入れしているので非常に便利だ。
半蔵門(国立劇場)に比べると所要時間は半分くらいだろうか。
B3出口がそのまま、歌舞伎座の地下2階木挽町広場に繋がっている。


リニューアル歌舞伎座はまだ1年も経っていないのでどこもかしこもピカピカだが、残念ながら狭い。
1階ロビーなんか無いに等しい。各階のホワイエも狭い。
客席は1808らしい。国立劇場が1520だから、300席近く多いが、間口も横幅も国立劇場より狭いように思う(さらに舞台天井も低いだろう。)。
それでもたくさんお客が入るのは2階席、3階席(4階は一幕見席)の傾斜が怖いくらい急に作ってあるからだ。
その分、3階席からでも舞台が近いが、舞台天井の低さも邪魔をして大詰めの場面では舞台装置の極楽寺の屋根の瓦に昇った菊之助や山門の上の染五郎の見得を切る顔が隠れてしまって見えない。
やはり、国立劇場のほうがゆったりとみられる。


さて、芝居の方は、有名な弁天小僧菊之助、日本駄右衛門ら白波5人男の話だが、これまで部分的には映画や芝居などで観聴きしていたが、「知らざあ言って聞かせやしょう」の弁天小僧と「問われて名乗るもおこがましいが」の日本駄右衛門や白波5人男がどうつながるのか知らなかったが、今回、通し狂言(3幕9場)として観ることができたので、なるほどこういう話か、と合点した。

いかにも歌舞伎・世話物らしく、主要登場人物のほとんどが「(表向きは)某で、実は…」というビックリマーク付きで、よくまあ、こんなでたらめな話を作り上げたものだと思うが、そこは面白ければ何でもOKの庶民感覚なのだろう。

セリフも浄瑠璃調あり、現代話し言葉風あり、五七調ありのごった煮。
しかし、弁天小僧の「浜松屋の場」や五人男がそれぞれ名乗りを連ねる「稲瀬川勢揃の場」などの名調子こそ、歌舞伎の一つの典型なのだろう。何か懐かしささえ感じて日本人のDNAを刺激された感がある。

「(尾上)菊之助」の「(弁天小僧)菊之助」だったが、まだちょっと若い気もする。
日本駄右衛門の染五郎、
南郷力丸の松緑、
赤星十三郎の七之助、
忠信利平の坂東亀三郎はいずれも若い。
白波五人男としてはやや貫禄が不足した。

大詰めの極楽寺屋根立腹の場から山門の場に代わる所謂「がんどう返し」(大屋根が90度後ろに回転して、背景となりその下から2階建ての山門がせり上がってくる。)がなかなかの見世物だった。電気のない江戸時代によく作ったものだ。

ま、とにかく、この狂言、極めて様式化された「立ち回り」、「名乗り」、「連ね」(調子の良い長台詞)に「厄払い」(五七調の名文句)や「だんまり」(暗闘)や「見得」の連続で、これこそ歌舞伎入門に持って来いだと思う。

♪2014-12/♪歌舞伎座-01