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2022年6月17日金曜日

新日本フィル:すみだクラシックへの扉#8

 2022-06-17 @すみだトリフォニーホール



キンボー・イシイ:指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団

周防亮介:バイオリン*

ベートーベン:バイオリン協奏曲ニ長調 op. 61*
吉松隆:鳥は静かに… op.72
吉松隆:交響曲第6番「鳥と天使たち」 op. 113
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J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第2番から「サラバンド」*


新日フィルは、3日前にデュトワの指揮で見事な演奏を聴いたので、今回はそこそこであれば良し、と構えていたが、これがどうして。デュトワの余後効か弦の響きがとても感じ良くて3曲とも楽しめた。


独奏バイオリンの周防(すほう)亮介は2度目だったが、今回も、少し、表現に独自性を感じた。聴きなれない節回しというか、呼吸点の違いなのかな。だからと言って、嫌味な訳でもないけど。

何より好ましいのは、音が実に明瞭で大きい。オケに埋もれるような場面はなく、はっきりと独奏Vnの動きを感じた。


吉松隆の2曲はいずれも初聴きだが、分かり易いのがいい。「現代音楽撲滅運動」を主唱し調性音楽を貫いているというのは本当かどうか知らないが、調性の中で現代にも通ずる大きな仕事を期待したいね。まあ、既に多くの大先達がやり尽くしている分野でもあるので、気を衒わずに、調性音楽を作るのがむしろ難しいのだろう。

しかし、たとえば、音を出さない音楽なんぞそれこそ《撲滅》したいところだ。

♪2022-088/♪すみだトリフォニーホール-06

2019年11月22日金曜日

新日本フィル:#27ルビー<アフタヌーン コンサート・シリーズ>

2019-11-22 @すみだトリフォニーホール


キンボー・イシイ:指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団

山崎伸子:チェロ*

シューベルト:交響曲第1番ニ長調 D82
チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲 op. 33*
ベートーベン:交響曲第5番ハ短調 op. 67「運命」
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カザルス:鳥の歌*

新日フィルの指揮は太田弦から急遽変わってキンボー・イシイ。
シューベルト交響曲第1番、チャイコフスキーのロココ風の主題による変奏曲にベートーベン交響曲第5番。
癒しコンサートだった。

「運命」は全体にUPテンポだったが、処々にルバートを効かせたのが安っぽく感じた。僕の気分ではインテンポで走って欲しい。

今年は「運命」当たり年だった。
飯守+日フィルには刮目した。
小泉+神奈川フィルの全編煽り運転も痺れた。
井上+都響は井上流外連を効かせた。

そんな後のイシイ+新日フィルは平凡に良し。

♪2019-184/♪すみだトリフォニーホール-04

2016年6月4日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団音楽堂シリーズ第8回定期演奏会

2016-06-04 @県立音楽堂



キンボー・イシイ:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

スティーヴン・パウルス:スペクトラ
ラヴェル:クープランの墓
ハイドン:交響曲第102番変ロ長調Hob.I:102
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アンコール
ビゼー:組曲「アルルの女」第1番から第3曲「アダージェット」


スティーヴン・パウルス(米1949-2014)なんて作曲家は知らない。
Wikipediaにも出ていない。Youtubeでもヒットしない。Amazonでも見当たらない。
当然、「スペクトラ」も初聴き。
完璧に現代の人による現代の作品だけど、これが案外分かりやすい。でも、好きじゃないけど。

ラヴェルの「クープランの墓」、ハイドン「交響曲第102番」。
いずれも残響の少ない音楽堂向きの音楽だ。
音質は明瞭だが、弦の高音部に難があった。音楽堂では全くごまかしが効かないからオケも大変。
しかし、本当に巧いオケになると(いや、神奈川フィルも時に信じられないような胸を打つ演奏を聴かせてくれるのだけど。出来栄えに波がある。)このソリッドな響が良い味わいになる。


♪2016-79/♪県立音楽堂-04

2014年9月20日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団第302回定期演奏会

2014-09-20 @みなとみらいホール


キンボー・イシイ指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
三舩優子(ピアノ)

ガーシュイン:キューバ序曲
ガーシュイン:パリのアメリカ人
バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」


指揮者もピアニストも初めて。
曲目も「パリのアメリカ人」以外は初めて。
厳密には放送などで目にし、耳にしているのかもしれないけど。

ガーシュインの「キューバ序曲」は1932年に作曲された。
キューバ旅行の産物らしい。
元々は「ルンバ」というタイトルで初演されたそうだが、その名の通り、全体はルンバのリズムに乗って、いや~賑やかなこと。陽気なラテン音楽そのものだ。
中間部は様子が変わってスローテンポのジャズというか、ブルースっぽい。
終盤は再びテンポが上がって、ラテン音楽になり、派手に終曲する。

ギロ、マラカス、クラベス、ボンゴなどのラテン・パーカッションが総動員されていた。
後2者はともかく、前2者(ギロやマラカス)の音って、放送やCDでは大抵ほかの楽器の音にかき消されよく聴こえないのだけど、やはり、生の舞台はジージー、チッチッというリズムがしっかり聴こえてくるもいとおかし。

パリのアメリカ人は29年の作曲。シンフォニック・ジャズだ。
こちらは51年に公開されたミュージカル映画「巴里のアメリカ人」でも使われている。
アカデミー賞作品・美術・撮影・作曲・脚本・衣装デザイン賞を受賞した大ヒット作となった。
「パリのアメリカ人」はこの映画のおかげで世界中に知られることになったのではないか。

グロフェの組曲「グランドキャニオン」に感じがよく似ているのは、同じ時代のアメリカ人で共にジャズに通じていたからか、と思っていたが、あれこれ調べていたら、それだけではなく、2人は音楽的に特に深い関係があったようで、ガーシュインの一番有名な作品「ラプソディー・イン・ブルー」のオーケストレーションをしたのが、グロフェで、現在我々が聴いているのはグロフェ版を元にフランク・キャンベル=ワトソンという人が再編集(42年)したものらしい。これは新発見。

グロフェよりガーシュインの方が少し若いけど、2人は互いに影響を与え合っていたのかもしれない。



さて、「パリのアメリカ人」が作曲された翌年が世界大恐慌がスタートした1929年だ。この音楽にはそのような不安感は全くない。「キューバ序曲」の32年もまだまだ、不況のさなかで、アメリカ経済が立ち直り始めるのは第2次世界対戦による戦争特需が始まってからだと言われている。
しかし、この音楽にも不安感は感じられない。

そりゃそうだろう。そんな音楽を作曲しても誰も聴きたくもない。

バーンスタインが交響曲第2番「不安の時代」を初演したのは49年。世界大戦も終わって当面の不安は解消されていた時期だが、バーンスタインがこの作品の題材にしたのは、W・H・オーデンという作家の詩「不安の時代」で、これは47年に発表さた。その詩は第二次世界大戦中の人々の不安を描いている。

何故、バーンスタインがこの詩を元に作曲しようとしたのかは、俄勉強の限りでは分からないけど、世界大戦の悲劇を音楽で総括しておきたかったのかもしれない。

ピアノ協奏曲風で、全6楽章だけど、前半の3楽章と後半の3楽章は続けて演奏されるので、2楽章構成のようにも聴こえる。

2つのパートに分かれていることは事前にプログラムの解説を読んで知っていたが、何しろ初めての曲なので、実際の演奏の形は
見当がつかない。
短い区切りっぽい部分があるので、それが楽章の区切りだったのかもしれないけど、よく分からない。
指揮者の手が休んだところで前半が終わったのだな、ということは分かったが。

構成は分かっているのに、今聴いているのはその中のどの辺に位置するのかが分からないというのはまことに「不安」だ。


交響曲だけど、ピアノ協奏曲風でもある。
このスタイルも変わっているけど、ピアノは舞台中央のフルコンサートグランドだけではなく、舞台奥にはチェレスタとアップライトピアノも登場する。こういう楽器編成の音楽も珍しい。

部分的にはミクロス・ローザの映画音楽を彷彿とさせるが、全体としてやはり「不安感」が漲った音楽である。
今、Youtubeで聴きながら、思い出しながら書いているのだけど、ホンに暗い音楽だ。
それでも、いよいよ最終局面になって、曙光が差してくる。
チューブラベルが希望の鐘を鳴らして幕を閉じる。

元の詩がそのような終わり方をしているのかどうか知らないが、音楽としてはせめて最後に救いがあったようで良かった。

ガーシュインの2曲とは対極に位置するような音楽で、決して楽しい気分では聴けないけれど、馴染んでくれば「面白い」くらい思うゆとりが出てくるのかもしれない。


♪2014-86/♪みなとみらいホール-35