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2024年1月8日月曜日

第126回N響オーチャード定期 東横シリーズ 渋谷⇔横浜 <ブラームス・チクルス>

2024-01-08 @オーチャードホール



準・メルクル:指揮
NHK交響楽団
森野美咲:ソプラノ*

デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」
トマ:歌劇「ミニョン」〜ポロネーズ「私はティタニア」*
J.シュトラウスII:常動曲 作品257
J.シュトラウスII:ワルツ「春の声」作品410*
ブラームス:交響曲第1番ハ短調 作品68
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J.シュトラウスII:ポルカ「狩り」作品373




冒頭のデュカス「魔法使いの弟子」が何と美しい。
これは久しぶりにN響の名演が聴けるか、と前半は期待⇒満足、期待⇒満足の好循環。

ところが、どうした。
後半のブラームスでがっかり。
同じメンバーが演奏しているとはとても思えない。

特に、冒頭の高域弦のうねりの部分が全く美しくない。

スコアを見たらVn1の一番高い音は上第5線のBbだもの。
この近辺の音をTuttiで1本の糸のようにきれいに揃えるのって結構難しいのではないだろうか…というのは素人考えで、原因は別のところにあるのかもしれないけど。

ま、N響だけじゃない。この曲はどこが演奏してもなかなか満足させてくれない。

アンコールに前半に続いて再度JシュトラウスⅡが取り上げられたが、こちらは前半同様とても良い出来。

♪2024-003/♪オーチャードホール-01

2022年10月24日月曜日

東京都交響楽団 第961回 定期演奏会Aシリーズ

2022-10-24 @東京文化会館


準・メルクル:指揮
東京都交響楽団
五明佳廉:バイオリン*

細川俊夫:オーケストラのための《渦》(2019)
プロコフィエフ:バイオリン協奏曲第1番 ニ長調 op.19*
ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲《展覧会の絵》
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サミュエル・アダムス:バイオリン ディプティック*



細川俊夫「渦」は初聴き。非常に興味深く聴いた。
舞台奥に管楽器群。
前の左右に打楽器等と弦5部によるオケが対峙。
2F左右の客席に金管2名ずつ配置。

最弱音から始まる音がうねるように変容して超立体的!に渦を巻いてゆく様な…、と作者弁を読んだのでそんな気が…。

旋律らしきものなく、拍らしきものなく、ただ、特殊奏法を中心にした効果音の羅列だ。
音の実験として面白いけど、こんな事なら初めから電子音楽で作れば良かったのでは?

それを舞台・客席・壁・天井に配置したスピーカーから鳴らせばもっと明瞭で効果的。何なら客席からハウリングも加えたら面白いのに。

アコースティックな楽器を山ほど並べて、懸命に電子音を模しているようで、どうもおかしい。

プロコフィエフ:バイオリン協奏曲第1番は、真剣に聴こうと構えていたが、なかなか入ってゆけなかった。
先月の周防亮介+日フィルの響が頭に残っていて「なんか違うぞ…」。ホンに良い演奏を聴くと後が厳しい。

「展覧会の絵」で初めてメルクル節が出たのかな。
各フレーズは消え入るまでしっかりと歌う。
一点一画を疎かにしない楷書ぽい。

が、全体にゆったりとしたテンポで、管楽器は概ね粘っこい。
弦は細かい音符も数えられる程の滑舌の良さ。
これ迄沢山聴いてきたが、かくも”独自”なのは初めて。

この曲も過去に何度も名演を聴いているからなあ。
昨年末のG・デスピノーサ+N響!
今年6月のS・ヴァイグレ+読響!

今日の都響が素晴らしかったのは「サムエル・ゴールデンベルク〜」だ。
木管と弦のユニゾンが美しい。音域も特に高くないので時に聴くことがある不快音とも無縁。都響の16型の弦が豊かな厚みで本領を発揮した。

♪2022-158/♪東京文化会館-13

2018年2月22日木曜日

歌劇:ワーグナー「ローエングリン」

2018-02-22 @東京文化会館


台本・作曲:リヒャルト・ワーグナー
歌劇「ローエングリーン」全3幕 
日本語字幕付き原語(ドイツ語)上演

準・メルクル:指揮
深作健太:演出

合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京都交響楽団

装置:松井るみ
衣裳:前田文子
照明:喜多村 貴  
合唱指揮:増田宏昭
演出助手:太田麻衣子 
舞台監督:八木清市
公演監督:大野徹也
公演監督補:牧川修一

ハインリヒ・デア・フォーグラー⇒金子宏 
ローエングリン⇒小原啓楼
エルザ・フォン・ブラバント⇒木下美穂子
フリードリヒ・フォン・テルラムント⇒小森輝彦
オルトルート⇒清水華澄
王の伝令⇒加賀清孝 
4人のブラバントの貴族⇒菅野敦、櫻井淳、湯澤直幹、金子慧一


コンサート等で忙しくてナマのオペラを観る機会はあまり多くないけど、METのライブビューイング始めBSプレミアムなどで放送される(た)オペラは、よほど現代の、作曲家の名前も聞いたことがないような作品は別にして、大抵録画し、今では録画済みディスクも相当な枚数になっている。
それらは放送時点で観たり、暇を見つけて後日観たり、ナマオペラ鑑賞の前の予習のために観たりして結構鑑賞本数も多い。それにつけても思うのは、オペラの場合はその成否を決するのは一に「演出」にあるように思う。

11月末に日生劇場で観た「こうもり」と2ヵ月後に新国立劇場でみた「こうもり」は面白さという意味では全然レベルが違った。これは舞台美術や歌手の技術に差もあったろうが、何と言っても後者の演出が良かったからだ。

今回の「ローエングリーン」は、どんな物語になったか。
もうスタートから頭が混乱する。
原作台本には登場しないはずのルートヴィヒⅡが第1幕前奏曲からうろついており、同時に子供時代のルートヴィヒⅡも声は発しないが同じ時空に存在し、ルーロヴィヒⅡの方はそのうちローエングリーンに化身する。かと思うと若いローエングリーンも登場し、こちらはエルザの見た夢なのか象徴としての存在なのか、一言も発しない。
本来は、単純なメルヘンであるはずなのに、複雑怪奇な物語にしてしまって、もう訳が分からない。
今回の演出は深作健太だ。こういう他ジャンルから演出家を招くとつい力が入り、”独自色”を出したがって、本来のワーグナーが書いた歌劇からは遠ざかってしまう。本物のルートヴィヒⅡが夢中になった「ローエングリーン」とは似て非なるものになる。

このように大胆に翻案するのを「読み替え演出」というらしいが、やり過ぎは禁物だ。自己満足はできるが観客は置いてきぼりになってしまう。
「ローエングリーン」の過去の演出では2011年のバイロイト音楽祭の”ねずみの兵隊・貴族たち”という奇抜な演出が賛否を引き起こしたという。ちょうどそのをディスクで持っているが、これなど笑止千万だ。

それで、今回の深作演出にはまったく乗れなかった。なぜこの役がここで登場するのかなどの意味を考えていたらちっとも楽しめなかった。

しかし、舞台美術は良かった。かなりお金を掛けている感じだ。

また、声楽独唱陣も合唱団も、都響の演奏もすべてに満足できた。とくに主要独唱者などみんなよく通る声で声量がある。こんなに上手ならなにも外国から歌手を招かなくとも日本人だけでやれるのではないか、と思ったくらいだ。

♪2018-023/♪東京文化会館-02

2015年1月16日金曜日

読売日本交響楽団第540回定期演奏会

2015-01-16 @サントリーホール


準・メルクル:指揮
金子三勇士:ピアノ
読売日本交響楽団

ウェーベルン:パッサカリア 作品1
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調作品54
ブラームス(シェーンベルク編曲):ピアノ四重奏曲第1番(管弦楽版)ト短調作品25


本来聴くべき11日のみなとみらい定期がN響定期と重なったのでこの日に変更してもらった。
やりくり先としては可能な限りサントリーホールにしている。一番足の便がよく、音響面でもまったく不満がない。

もっとも、本当に日本で一番優れたホールかどうかはよく分からない。
ミューザ川崎シンフォニーホールの方が、聴きやすいような気もするし、場所を選ぶ難点はあるけどみなとみらいホールも素晴らしい。
聞く場所より、聴く側の集中力に音楽鑑賞を有意義なものにできるかどうかがかかっているような気が、この頃している。

昨日は、前半良かったのに後半は携帯ピロピロおばさんのせいですっかり集中力を欠いてしまった。

今日は、そんな邪魔もされず、比較的入り込めたが、冒頭のウェーベルンの「パッサカリア」が初めての曲で、おまけに、ほぼ無調(12音技法などの完全な無調作品ではない。)と言っていいのだろう。部分的にはきれいな旋律も流れるけど、なかなかハードルが高い。この手の現代音楽は何度か聴いたからといって馴染むものでもないように思う。音楽の性格がロマン派までとは革命的に異なるのだ。その変化に僕は対応できていないし、今後も努力して対応する気持ちもないのだから、一生、楽しめないまま終わるかもしれない。






こういう音楽を聴いた後では、シューマンの情緒性が天国のように思える。ピアニストの金子三勇士(かねこ・みゆじ)は初めて。ハンガリー人とのハーフだ。そういえば、指揮の準・メルクルもドイツ人とのハーフだ。西洋クラシック音楽の世界で国籍は関係ないと思うけど、やはり、独墺の音楽には血が騒ぐということがあるのだろうか。

シューマンが見出した出藍の誉れがブラームスだ。
ウェーベルンの師匠は12音技法の生みの親シェーンベルクだ。
そのシェーンベルクは、自己の音楽的血統をブラームスに求めていたらしい。

彼は、ブラームスのピアノ四重奏曲第1番を大規模な管弦楽に編曲した。まことに大規模で、シューマンの協奏曲の時はコンバスは4本しか出ていなかったが、この管弦楽版ピアノ四重奏曲では倍の8本が並んだ。他の弦パートも推して知るべしで、弦楽5部だけでほぼ60人。管打楽器を入れて約90人という編成だった。
原曲はわずか4人で演奏される音楽だが、これを大規模管弦楽で演奏するというのは、シェーンベルクが19世紀のブラームスに当時は早すぎたのかもしれない革新性を見出し、それを20世紀の精緻なオーケストレーションで証明しようとしたこと、さらには自分自身こそブラームスの後継者であると世に知らしめたかったのではないか、とプログラムには説明してあったが。



この管弦楽版を生で聴くのはこれで2回めだ。最初聴いた時は耳に慣れた弦楽四重奏曲との違和感が拭えず、第3楽章のジプシー風ロンドに至って、初めて「管弦楽」で聴く面白さを感じたのだけど、まあ、やっぱり、今回もそういう感じかな。
シェーベルクの意図がなんであれ、ピアノ四重奏曲として完成している音楽がある以上、やはりブラームス版で聴きたいな。




余談:
1月12日に「新世界より」より「新世界から」にしてほしい、と書いたが、今日のコンサートで配っていた読響2月公演のチラシがなんと「新世界から」だった。こうでなくっちゃ。



♪2015-7/♪サントリーホール-01

2014年9月21日日曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第100回

2014-09-21  @ミューザ川崎シンフォニーホール


準・メルクル:指揮

東京交響楽団

イリヤ・ラシュコフスキー:ピアノ

早坂文雄:左方の舞と右方の舞
R.シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」作品28
メンデルスゾーン:交響曲 第4番 イ長調 作品90 「イタリア」
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アンコール

メンデルスゾーン:演奏会用序曲「フィンガルの洞窟」作品26


1曲めの早坂文雄「左方の舞と右方の舞」はどういう場面でか思い出せないけど、聴いたことがある。
雅楽の中に「左方の舞=唐楽」と「右方の舞=高麗楽」という種類の舞楽を管弦楽で表現したものだと解説に書いてある。
雅楽も邦楽の一部かもしれないが、雅楽というより、もっとずっと親しみやすい邦楽を感じさせる。
大陸や半島伝来の音楽ではなく、日本で育まれた「和」の音楽を感じさせる。

早川文雄と聞けば映画音楽の巨匠という刷り込みがあるせいか、この曲を聴いていても映画音楽のように感じ、あれこれ映画作品を思い浮かべた(酔いどれ天使、羅生門、七人の侍、雨月物語、山椒大夫、近松物語などの錚々たる日本映画の音楽を担当した。)。


「ティル~」は好きな音楽。
R・シュトラウスについては別の機会に書こう。



メインディッシュがメンデルスゾーンの「交響曲イタリア」。
大変なごちそうだ。
メンデルスゾーンについては、若い頃は、失礼なことに!なんだか甘ったるい作品を書く作曲家として軽んじていたが、歳をとるに連れその魅力に目覚めた。反省の意味も込めて2年ほど前に全作品集を購入したけど、聴いている時間がない。

交響曲もよく聴くのは3番「スコットランド」と4番「イタリア」。
特に「イタリア」はどの楽章も完璧に素晴らしい。
しかし、メンデルスゾーン本人は気に入らない部分があったようで、改訂版が完成するまでは出版を許さなかったそうだが、それはついに完成しなかった。
僕の耳には手の入れようがないくらいに完璧だと思うけど。

とりわけお気に入りは第2楽章のアンダンテ。
「イタリア」を好きになるきっかけはこの哀愁漂うメロディーを知ったからだ。

東響の演奏も良かった(このオケはこの日にかぎらず、たいていいつも「巧い!」と感じさせる演奏を聴かせてくれる。)。

第1楽章にしても終楽章にしてもとてもテンポが早く、とりわけ終楽章の冒頭は管楽器は非常に早くて細かいタンギングが必要だけど、これが実にきれいに揃って見事だった。
もちろん全楽章が素晴らしい演奏だった。


僕はアンコールは要らない派だけど、演奏された。
でも、選曲が良かった。
同じメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」だ。
これも好きな曲で、ワクワクさせる動機が繰り返えされながらロマンチックなメロディーに成長して展開されてゆく。
この旋律も、一度聴いたら脳裏に染みこむのではないか。


という訳で、僕には満足のコンサートだったが、前回(東響名曲全集第99回)に引き続き、1階最前列のおばちゃん!そんな目立つ場所で寝ないでください。

♪2014-87/♪ @ミューザ川崎シンフォニーホール-10