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2025年6月21日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団 Dramatic Series 楽劇「ラインの黄金」

2025-06-21 @みなとみらいホール



沼尻竜典:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団

青山貴⇒ヴォータン
黒田祐貴⇒ドンナー
チャールズ・キム⇒フロー
澤武紀行⇒ローゲ
妻屋秀和⇒ファーゾルト
斉木健詞⇒ファフナー
志村文彦⇒アルベリヒ
高橋淳⇒ミーメ
谷口睦美⇒フリッカ
船越亜弥⇒フライア
八木寿子⇒エルダ
九嶋香奈枝⇒ヴォークリンデ
秋本悠希⇒ヴェルグンデ
藤井麻美⇒フロースヒルデ

Dramatic Series
ワーグナー:楽劇『ニーベルングの指環』序夜
「ラインの黄金」<セミステージ形式>

全1幕〈ドイツ語上演/日本語字幕付〉

予定上演時間:
約2時間30分(休憩なし)




過去鑑賞分を含め最上の「ラインの黄金」だった。
冒頭の、ラインの水煙や水の流れを表す低音の持続音に少しずつ音が重なって同じ音形を繰り返しながら徐々に音量を増すところの緊張感がまずは見事で、弦も管も美しい。
弦は16型で、総勢100人以上いたのではないか…特大編成のオケが、ピットとは異なり、見事に明瞭に唸る様が実に聴きものだった。みなとみらいホールの鳴らせ方を熟知している沼さんと神奈川フィルの最良の演奏を聴いた思いだ。

今後、「ワルキューレ」〜と全作を是非ともやってほしい。

残念だったところは、P席と左右の舞台周りのRA、LAを潰したのなら、そこをうまく活用してもっと芝居に立体感を持たせられなかったか?
照明もかなり大掛かりな機材が別途持ち込まれていたが、プロジェクターマッピングも駆使できなかったか?



歌唱は1人を除いてとても良かった。
最初はラインの乙女から始まるが、これが良い出来で、もうすっかり惹き込まれた。

残念なのは、ヴォータンと並んで大役のアルベリヒ役の志村文彦で、一人だけ譜面台にしがみついていた。これでは芝居が流れない。この神奈川フィルのDramatic Seriesの第1作「サロメ」でも一人だけ譜面台を持ってうろうろしたのがいたが、この場合は急遽の代役だったからやむを得ない。しかし、今回は代役でもないのに譜面台はよくない。また彼の舞台は何度も聴いているが、歌唱そのものも以前の巧さが感じられなかった。

ま、そこは目を瞑って、全体としてはまたとない優れた演奏・演唱だった。



ところで。
2時間半は長すぎるよ。5時間を超えるオペラもあるけど、必ず幕間休憩が入るもの。1幕もので150分は最長だと思うな。

♪2025-084/♪みなとみらいホール-017

2017年11月11日土曜日

NISSAY OPERA 2017 ドボルザーク『ルサルカ』

2017-11-11 @日生劇場


指揮:山田和樹
演出:宮城聰

管弦楽:読売日本交響楽団
合唱:東京混声合唱団

ルサルカ⇒竹多倫子
王子⇒大槻孝志
ヴォドニク(水の精)⇒妻屋秀和
イェジババ(魔法使い)⇒与田朝子
外国の公女⇒秋本悠希
料理人の少年⇒守谷由香
森番⇒加藤宏隆
森の精1⇒松原典子
森の精2⇒梶田真未
森の精3⇒池端歩
狩人⇒松原友

ドボルザーク作曲 オペラ『ルサルカ』全3幕
(チェコ語原語上演・日本語字幕付)

アンデルセン童話の「人魚姫」によく似たメルヘンだ。
水の精ルサルカは一目惚れをした王子様の済む人間界の住人になりたくて魔法使いに人間にしてほしいと頼むが、代わりに声を失う。また、恋人の裏切りは二人の死を意味するとも告げられる。

最初はそのルサルカを愛おしいと思っていた王子も物言わぬルサルカから他の女性に心が移ろう。
かくして、2人には悲劇が待っている。

声を失うヒロインの物語を、よくぞドボルザークはオペラにしたものだと思うが、第2幕の最初から殆どの場面、ルサルカは無言で苦しい胸の内を演じなければならない。
この「声を失う」には、当時のヨーロッパの政治・文化の中心(ドイツ語圏社会)に入ればチェコ語が通じなくなるという厳しい現実を童話に託したという説明も読んだが、社会風刺劇ではなさそうだ。

物語は、納得できるかどうかは別として単純で分かりやすい。
音楽は、流石にドボルザークだ。西洋音楽の枠組みの中に民族的な旋律もまぶしてあって、楽しめる。有名なアリアは「月に寄せる歌」しか無い(と思う。これしかなくともこれだけでも聴けば満足、というほどに美しい。)が、それほど有名ではない歌もしみじみと共感できる。


今回は、舞台装置・照明が素晴らしかった。

オーケストラの規模がかなり大きいのでピットに収まりきらず。舞台の上手(管・打の一部)と下手(木管全員)の両側方に別れて陣取った。その為に、オケが一体化するようにピットも底上げしてあった。普段なら、ピットの中の演奏家は頭ぐらいしか見えないのだけど、今回は客席とほとんど同じ高さぐらいまで底上げしてあった。指揮者も指揮台に乗り立ったままの演奏だった。でなければ演奏家たちによく見えないからだ。
そんな変則オケ配置だったが、観劇に特段支障はなかった(これは僕の席がGSの中央最前列だったからかもしれないが、お陰で山田和樹の入魂の指揮ぶりがよく分かって感心した。)。

さて、すばらしかったというのはオケの配置ではない。これはむしろ苦肉の策だろう。しかし、それを逆手に取った舞台美術や演出が舞台と客席の一体感を高めた。
舞台の両側方から円弧を描いた背景の壁は日生劇場の独特の壁面と同じようなデサインにしてある(もっと徹底して欲しかったが。)ので、劇場の客席と舞台は繋がっているかにも見える。

1幕終盤の女声合唱は1階席後方の両側に陣取り、2幕冒頭では客席前方が舞台となり、ここにも舞台と客席の一体化は成功していた。
また、舞台装置が全幕を通して変わらないので、その分、照明やスモークなどが工夫されて、本来は異界の地をそれなりにイメージできたのも良かった。

あるいは、この公演がチェコ語(原語)で行われたというのも、意義が深いかもしれない。歌手たちは大変だったろう。

NISSAY OPERA近年のヒットではないか。

♪2017-176/♪日生劇場-03

2015年12月19日土曜日

横浜交響楽団第667回定期演奏会

2015-12-19 @県民ホール


飛永悠佑輝:指揮

独唱: 
ソプラノ⇒村元彩夏
アルト⇒秋本悠希
テナー⇒土崎譲
バリトン⇒小林大祐
合唱:
横響合唱団
横響と「第九」を歌う会合唱団

横浜交響楽団

ヴェルディ:歌劇「ナブッコ」序曲
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調 作品125 「合唱付き」


横響恒例の「第九」だ。
この日は、単なる定期演奏会とは様子が違って、演奏する側も聴衆の側もテンションが高まっている。

横響自体、歴史のあるオーケストラで、1932年の創立(第1回演奏会は翌年)だが、「第九」演奏会は1950年が最初だそうな。
今日は第667回の定期演奏会だが「第九」演奏会としては66回目になる訳だ。こんな長い歴史を持ったアマチュアオケが他にあるだろうか。

アマオケが年8回も定期演奏会を開いているのもすごいことだが、おり、通常、会場は県立音楽堂だが「第九」だけはキャパ2,500人の県民センターに移す。
この大きなホールが、ざっと見回して満席になる。
県民ホールで開かれるプロ・アマの「第九」演奏会の中で最大集客演奏会らしい。

合唱団もアマチュアで総数600人と聞いた。
ふだんクラシックコンサートに縁の遠い人でも、これだけの合唱団が参加するとなると、その家族や友達が数人ずつ客席に付けばそれだけで満席になるのかもしれない。

そのせいもあって、会場は一種のお祭りのような雰囲気がある。
このテンションの高さがいい。

客席の熱い期待に応えて、横響と声楽ソリスト、合唱団も大いに気合が入っていた。

横響について言えば、前回の定期演奏会で急に腕を上げたという印象を受けたが、今回も見事だった。
ミスの目立ちやすい管楽器もほとんど問題なし。
プロでも時々は変な音を出すホルンは特に第3楽章に聴かせどころがあるが、これがもう完璧。下手なプロよりうまい。

弦もピッチが合うようになってきたみたいだ。今日はほとんど干渉波を感じなかった。
難点は、音の出だしが揃わない。メンバーの中には気持ちが遅れている人がいる。これは僕もアマオケ経験者としてよく分かる。自分だけ飛び出したくないし、つい周りの音を聴きながら弾き始めるので、ナノセコンドの単位かもしれないが、ピシっとは決まらない。

バイオリンパートの相対的音量不足も感じた。

第4楽章の低弦のレシタティーヴォは、ここも呼吸合わせが難しいところだけど、まずは破綻なかった。もう少し力強く、息を合わせて、ガリッと脂を飛ばしてほしいところだが。

まあ、全体としては非常に良い出来。近年にない優れた演奏だったように思う。


終曲後は、これも横響恒例のオケとソリストと大合唱団が「蛍の光」を演奏してくれるのだが、それを聴きながら観客は大いなる満足感で胸をホクホクして帰路につくのだ。

この冬(夏にも聴いたが)、「第九」はあと4回聴くことになっている。
今日はその第1回目。
とても良い出だしだった。
明日も同じ県民ホールで神奈川フィルの「第九」だ。
プロの技を聴かせてほしいものだ。


♪2015-128/♪県民ホール-04