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2017年12月3日日曜日

N響第1873回 定期公演 Aプログラム

2017-12-02 @NHKホール


シャルル・デュトワ:指揮
NHK交響楽団
ピエール・ロラン・エマール:ピアノ*

ラヴェル:古風なメヌエット
ラヴェル:組曲「クープランの墓」
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲ニ長調*
ラヴェル:道化師の朝の歌
ラヴェル:スペイン狂詩曲
ラヴェル:ボレロ
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アンコール*
ブーレーズ:12のノタシオンから第1、4、5、2番

デュトワ指揮で全ラヴェル6曲。
聴き始めは大いに違和感を感じて好きじゃなかった左手Pf協奏曲。本当に左手しか使えない人が弾くなら分かるが両手使えるのに右手を封じて左手だけで弾くというのも妙なことだ。でも、多分、両手を使うとかえって弾きづらいのかもしれないな。何であれ、ラヴェルは左手しか使えなくなったピアニストの依頼を受けて作曲した。やってみると左手だけという制約がむしろ創作欲を刺激して名作が出来上がったという訳だけど、ピアノっていう楽器は両手使って弾くものであり、そうすることで初めてその楽器の能力を発揮できる。片手を失くしたピアニストには気の毒だけど、サロンのような場で残存能力を親しい人達に披露するのはいいとして、一般公開の場で片手演奏を披露するのは如何なものか。左手のためのピアノ曲はその後も何人かの作曲家が委嘱を受けて、あるいはこの作品のような先例に触発されて作曲していて、現に聴いたこともあるけど、やはり、ピアノは両手で弾くものではないか。

…という引っかかりがあって、どうも素直に聴けなかったのだけど、これが馴染んでくると結構すごい作品でとても片手で演奏しているとも思えないものだ。ピアノを使い尽くしているようでもあって、これはこれで十分に鑑賞に耐えるものだと思えるようになってきた。ま、完全に納得できている訳ではないが、とにかく、この頃は素直に良い音楽だと思いながら聴ける様になった。

今日も、本来は両手が使えるP.L.エマールが熱演した。大いに良かった。

シメはアマチュアがやってもハズレ無しの名曲「ボレロ」。今日の演奏が特別とは思わないけど、頂点目指すあのリズムの繰り返しにいつも原始脳をやられてしまう。


2017-193/♪NHKホール-12

2016年11月28日月曜日

東京都交響楽団 第814回 定期演奏会Aシリーズ

2016-11-28 @東京文化会館


大野和士:指揮
東京都交響楽団

ピエール=ロラン・エマール:ピアノ *
天羽明惠:ソプラノ **

ベルク:アルテンベルク歌曲集 op.4 **
ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調 *
マーラー:交響曲第4番 ト長調 **
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アンコール
ブーレーズ:ノタシオン Ⅷ~Ⅻ *

ベルクの「アルテンベルク歌曲集」は初聴き。こういう作品の存在も知らなかった。
全5曲で10分強。
作曲者のベルクと作品名が似ているのでちょっと混乱したが、同時代の詩人アルテンベルクの詩集「絵葉書の詩」の中の5篇に音楽をつけたものだそうだ。

ベルクについてはシェーンベルクの弟子筋に当たる無調の作曲家ということくらいしか知らないが、まさにこの曲は無調音楽だ。
大規模な管弦楽を伴奏にしたソプラノの独唱だが、訳が分からない。つまらない。まあ、なんとなく夢遊病者みたいな感覚は再現しているのだけど、こういうのが音楽といえるのか疑問が払拭できない。しかし、旋律らしい旋律もない、和声や調性の手がかりのない音の連続を「歌う」のは相当困難なことだろうとは思った。

まことに個人的な趣味で言えば、天羽明恵が本領を発揮したのは最後のマーラーの第4番の最終楽章だ。これは良かった。きれいな透き通るソプラノが朗々と響いた。

ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」は既に何度も聴いている。舘野泉の演奏も聴いた。
しかし、何度聴いても大いに疑問があって気分が乗れなかった。
不幸にして片手しか使えなくなったピアニストはまことに気の毒だが、ピアノという楽器はいうまでもなく両手で弾いてこそ本領を発揮する。私的な楽しみのために(片手のための作品を)作曲し、演奏するのはそれで良いとしても、両手が使えるピアニストがわざわざ片手を封じて演奏するというのはどう受け止めたらいいのだろう。

この日の演奏も、こういう懸念が解消された訳ではないが、しかし、演奏は良かった。
ピエール=ロラン・エマールについては、NHKクラシック倶楽部で放映されたリサイタルを聴いたが、どんなレベルなのか分からない。プログラムの解説によると「当代最高のピアニストの一人」と書いてあるが、まあ、こういう紹介は常套文句だからどのくらいすごいのかは分からない。

が、ピアノも都響の管弦楽も緻密にしてダイナミック。
片手のみということが信じられない超絶テクニック(これまでも聴いた演奏も当然そうだったが)に気持ち良くあっけにとられているうちに行進曲風のリズミカルな3連符が続くがここが単一楽章の第2部なのだろうか。その後の長いカデンツァも鳥肌モノだ(本当は良い意味で「鳥肌」は誤用らしいが、この際適切な語彙が思いつかない。)。激しさだけではなく、ここでピアノはたっぷりロマンチックだ。甘い夢をさまようがごとく。

そんな訳で、「左手の〜」に引っかかりを残しながらも、今回はじめてこの音楽が美しいと感じた。

マーラーも良かった。
オケの定期にマーラーは欠かせないので、これまでも色々聴いたが、どういう訳か第4番は聴いたという記録がないし、記憶もはっきりしない。たぶんナマで聴くのは初めてだったのかも。
CDなどでは特徴的な第1楽章の出だしからすっと入りやすいが、第3楽章がやたら長すぎる(全楽章中最長で22分位)という思いがあった。しかし、ナマで聴くとこれはこれで楽しいものだ。

都響はいつも安定感抜群で、このオケこそ「管弦楽」(正しくは「管弦打楽」か。)を感じさせてくれる。
マーラーのような大規模な管弦楽作品となると俄然巧さが際立つようだ。

♪2016-165/♪東京文化会館-09

2014年11月15日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団第304回定期演奏会

2014-11-15 @みなとみらいホール


金聖響:指揮
ギョーム・ヴァンサン:ピアノ
*江川説子:フルート(首席フルート奏者)

クセナキス:ピソプラクタ
ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調Op.37
ブーレーズ:メモリアル*
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲
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アンコール
リスト:ハンガリー狂詩曲第6番
ショパン:夜想曲第20番 嬰ハ短調


今日は、脳が空中分解しそうなプログラムだった。
クセナキス(ギリシャ/1922-2001)。聞いたことのある名前だったけど、それ以上の知識はなし。
ブーレーズ(仏/1925-)は有名だけど、やはり、作品となると皆目知らなかった。

前者はパリで活躍したギリシャ人。
現代作曲家であると同時に建築家だという。
ナチスへのレジスタンスで左目を失い、顔半分に大きな傷が残った。終戦後もギリシャ新政府への抵抗運動が原因で死刑判決が出され、パリに亡命してほぼ終生仏国内に住んだという。
電子音楽、テープ音楽を含む超現代音楽を書いていて、今回演奏された「ピソプラクタ」という作品は、管弦楽作品だが、数学理論を応用した「確率音楽」というジャンルの作品らしい。
奏法も楽器を叩いたり、弓の背中でこすったり叩いたり(コル・レーニョ奏法)、グリッサンドがあったりと、ほとんど実験音楽だ。
とても美しいとかいう次元の作品ではなく、どこが面白いのか分からない。いや、こんな音楽もある、ということについては了解できるけど、付いて行けない。

ブーレーズの「メモリアル」も完璧に現代音楽で、「管理された偶然性」という作品の中の「オリジナル」という曲に基いて、不確定だった!部分をブーレーズ自身が決めて書き上げたものだそうな。
訳が分からん。

演奏されたものは、独奏フルートに小編成の管弦が協奏する5分程度の小品。

因みに原曲のタイトルは、アンドレ・ブルトンという人の『狂気の愛』に含まれた詩句「痙攣的な美は覆われた官能、固定された爆発、状況に応じた魔法に違いなく、さもなくば存在しない」からの引用だとプログラムの解説に書いてある。
これって、音楽なのだろうか?
確かに楽器が音を発してはいたけど。

…な訳で、冒頭と中間に<とんでも音楽>を挟んだ一見意味不明の曲目構成だったが、これは指揮者の金聖響が、それぞれの時代における音楽の革新性を代表するような作品を選んだものらしい。
キャッチコピーは「時代に衝撃を与えた異才たちのコラージュ」だ。

確かに、「ダフニスとクロエ」は間違いなく時代を革新したろうし、ベートーベンのピアノコンチェルトも第3番に至って初めてすべてのカデンツァを自分で書いた(ピアニストによる即興を拒んだ)という点で革新的なのだそうだ。

その時代では革新的であっても、クセナキスやブーレーズとの比較においてはベートーベンもラヴェルさえもなんと分かりやすい音楽であることか。異郷の旅に疲れて我が家に戻ったような安堵と癒やしを感ずる。

「ダフニスとクロエ」第2組曲は2週間前に東響で聴いたばかりで、その演奏もとても楽しめたのだけど、この日の神奈川フィルの素晴らしいこと。
明瞭、透明、それでいて厚みもある響で、しっかりとメリハリがあり、これまでに聴いた同曲では最高の出来だった。
これはベートーベンでも同様で、何か、一皮むけたような演奏だったのは、多分、先代の常任指揮者である金聖響が、知り尽くした古巣の神奈川フィルの良さを十分に引き出したのではないか。
楽団員もそれに応えてピタッと指揮者と呼吸を合わせることができたのではないかと思った。



ラヴェルも良かったけど、ベートーベンを弾いたギョーム・ヴァンサンのピアノが一段と素晴らしかった。
指揮者、オーケストラ、ピアニストの呼吸合わせと掛け合いに真摯な緊張感が漲って、聴く者を幸福にしてくれる、そんなありがたいようなひとときだ。
加えて、アンコールが一段と素晴らしい。

オーケストラのアンコールは不要だと思っているけど、ソリストはやってくれた方がいい。意外な選曲で異なる一面を見せてくれたりするのがうれしい。

ヴァンサンはまず、リストで超絶技巧を披露してくれた。いやはや圧倒される音楽だ。
もう、それだけで十分だったが、拍手歓声になんども舞台に呼ばれてワンモアサービスが、ショパンの、それも僕としては大好きな夜想曲20番だった。これはもう痺れました。元々、誰が弾いたって美しい名曲だけど、ヴァンサンの演奏はハートを直撃した。まったく、泣けそうになるんだから困ったものだ。

という次第で、この日の神奈川フィル定期は満点であった。



♪2014-102/♪みなとみらいホール大ホール-39