2014年11月15日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団第304回定期演奏会

2014-11-15 @みなとみらいホール


金聖響:指揮
ギョーム・ヴァンサン:ピアノ
*江川説子:フルート(首席フルート奏者)

クセナキス:ピソプラクタ
ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調Op.37
ブーレーズ:メモリアル*
ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲
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アンコール
リスト:ハンガリー狂詩曲第6番
ショパン:夜想曲第20番 嬰ハ短調


今日は、脳が空中分解しそうなプログラムだった。
クセナキス(ギリシャ/1922-2001)。聞いたことのある名前だったけど、それ以上の知識はなし。
ブーレーズ(仏/1925-)は有名だけど、やはり、作品となると皆目知らなかった。

前者はパリで活躍したギリシャ人。
現代作曲家であると同時に建築家だという。
ナチスへのレジスタンスで左目を失い、顔半分に大きな傷が残った。終戦後もギリシャ新政府への抵抗運動が原因で死刑判決が出され、パリに亡命してほぼ終生仏国内に住んだという。
電子音楽、テープ音楽を含む超現代音楽を書いていて、今回演奏された「ピソプラクタ」という作品は、管弦楽作品だが、数学理論を応用した「確率音楽」というジャンルの作品らしい。
奏法も楽器を叩いたり、弓の背中でこすったり叩いたり(コル・レーニョ奏法)、グリッサンドがあったりと、ほとんど実験音楽だ。
とても美しいとかいう次元の作品ではなく、どこが面白いのか分からない。いや、こんな音楽もある、ということについては了解できるけど、付いて行けない。

ブーレーズの「メモリアル」も完璧に現代音楽で、「管理された偶然性」という作品の中の「オリジナル」という曲に基いて、不確定だった!部分をブーレーズ自身が決めて書き上げたものだそうな。
訳が分からん。

演奏されたものは、独奏フルートに小編成の管弦が協奏する5分程度の小品。

因みに原曲のタイトルは、アンドレ・ブルトンという人の『狂気の愛』に含まれた詩句「痙攣的な美は覆われた官能、固定された爆発、状況に応じた魔法に違いなく、さもなくば存在しない」からの引用だとプログラムの解説に書いてある。
これって、音楽なのだろうか?
確かに楽器が音を発してはいたけど。

…な訳で、冒頭と中間に<とんでも音楽>を挟んだ一見意味不明の曲目構成だったが、これは指揮者の金聖響が、それぞれの時代における音楽の革新性を代表するような作品を選んだものらしい。
キャッチコピーは「時代に衝撃を与えた異才たちのコラージュ」だ。

確かに、「ダフニスとクロエ」は間違いなく時代を革新したろうし、ベートーベンのピアノコンチェルトも第3番に至って初めてすべてのカデンツァを自分で書いた(ピアニストによる即興を拒んだ)という点で革新的なのだそうだ。

その時代では革新的であっても、クセナキスやブーレーズとの比較においてはベートーベンもラヴェルさえもなんと分かりやすい音楽であることか。異郷の旅に疲れて我が家に戻ったような安堵と癒やしを感ずる。

「ダフニスとクロエ」第2組曲は2週間前に東響で聴いたばかりで、その演奏もとても楽しめたのだけど、この日の神奈川フィルの素晴らしいこと。
明瞭、透明、それでいて厚みもある響で、しっかりとメリハリがあり、これまでに聴いた同曲では最高の出来だった。
これはベートーベンでも同様で、何か、一皮むけたような演奏だったのは、多分、先代の常任指揮者である金聖響が、知り尽くした古巣の神奈川フィルの良さを十分に引き出したのではないか。
楽団員もそれに応えてピタッと指揮者と呼吸を合わせることができたのではないかと思った。



ラヴェルも良かったけど、ベートーベンを弾いたギョーム・ヴァンサンのピアノが一段と素晴らしかった。
指揮者、オーケストラ、ピアニストの呼吸合わせと掛け合いに真摯な緊張感が漲って、聴く者を幸福にしてくれる、そんなありがたいようなひとときだ。
加えて、アンコールが一段と素晴らしい。

オーケストラのアンコールは不要だと思っているけど、ソリストはやってくれた方がいい。意外な選曲で異なる一面を見せてくれたりするのがうれしい。

ヴァンサンはまず、リストで超絶技巧を披露してくれた。いやはや圧倒される音楽だ。
もう、それだけで十分だったが、拍手歓声になんども舞台に呼ばれてワンモアサービスが、ショパンの、それも僕としては大好きな夜想曲20番だった。これはもう痺れました。元々、誰が弾いたって美しい名曲だけど、ヴァンサンの演奏はハートを直撃した。まったく、泣けそうになるんだから困ったものだ。

という次第で、この日の神奈川フィル定期は満点であった。



♪2014-102/♪みなとみらいホール大ホール-39