2014-11-29 @みなとみらいホール
シルヴァン・カンブルラン:指揮
読売日本交響楽団
モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲
シューマン:交響曲第3番 変ホ長調作品97「ライン」
ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調作品55「英雄」
「魔笛」序曲はともかく、「ライン」は思い出せないくらい久しぶりだし、「英雄」は2月に聴いたけどその折も感ずるものがあったのでとても楽しみな組合わせだった。
そして、新たな発見というか音楽体験をした。
2月に金聖響+神奈川フィルで聴いた際にも「英雄」という作品の凄さの片鱗を感じたのだけど、今回はそういう次元ではなかった。
音楽の神の啓示を聴いたような、と大げさだけど、そんな気がしたなあ。神なんて信じていないけど、音楽の神はいるのかもしれないな。
シューマンは好きだし、「ライン」はとても良い感じで聴いた。
その後に「英雄」だ。ずいぶんと聴き馴染んだ作品で、心地よく楽しめるに違いない。そう思ってリラックスして聴いていたが、音楽が進んでゆくに連れ、いつもは感じないものを感じ始めた。
この感覚はどう説明すればよいのか分からないのだが、次から次へと表れる曲想は、聴き飽きるほど聴いているのにもかかわらず、この日はいちいちがとても新鮮だ。
よく思いつくなあと思うくらい突飛で新鮮なメロディーが噴き出してくるのだけど、すべての曲想は必然的に一つの形に収まってゆくのが奇跡にも思える。
おお、これこそがベートーベンの真髄なのか。
僕はようやく今、その入口に立っているのか、と思った。
こんな経験は初めてのことだ。
アマオケ時代、第九の演奏中に、やはり説明し難い感興高まる経験をしたことがあったが、それとは違う。
演奏・解釈が素晴らしかったから…でもないと思う。
シューマンの後に続けて聴いたのがそういう効果を齎したのかもしれないけど、だからといって、家でCDを聴いていたんでは到底得られない感覚だ。
よく分からないけど、体調のせいもあったのかな。
次回聴くときには多分今回経験した感覚は味わえないだろうけど、しっかり、感覚を研ぎ澄ませて聴いてみようと思う。
ところで、この奇妙な体験とは別に、今回は面白い勉強ができた。
プログラムに実に興味深い解説が出ていたので、端折って紹介しよう。
「魔笛」、「ライン」、「英雄」(特に後2者)に共通する「3」の不思議。
「ライン」も「英雄」もシューマンとベートーベンの交響曲の第「3」番である。「魔笛」にも「3」が散りばめられているそうだが、煩雑なので省略。
3曲はいずれも調性は変ホ長調。つまり♭が「3」つだ。
そして、「ライン」と「英雄」はいずれも「3」拍子で始まる。
<プログラムから>
「ライン」と「英雄」はヘミオラ(3拍子が2拍子に聴こえる書法)が取り入れられている。
この3拍子とも2拍子とも聴き取れる不安定さが音楽をスリリングにしているが、宗教的あるいは文化史的に西洋人の「3」に対するこだわりが音楽に表現されているとも解説してあって、興味深いのだけど、ここいらも端折る。
「英雄」の第3楽章トリオ部分では、ホルンが3本使われているが、当時の標準編成は2本だったところ、わざわざ3本というのも意味があるのかも、と解説は示唆している。
余談ながら、この3曲の楽器編成も非常に似通っている。まあ、そういう時代だったということかもしれないのだけど。
魔笛 ⇒Fl2、Ob2、Cl2、Fg2、Tr2、Hr2、Tb2、Tp、弦楽5部
ライン ⇒Fl2、Ob2、Cl2、Fg2、Tr2、Hr4、Tb3、Tp、弦楽5部
英雄 ⇒Fl2、Ob2、Cl2、Fg2、Tr2、Hr3、 無、 Tp、弦楽5部
♪2014-110/♪みなとみらいホール大ホール-46