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2018年11月15日木曜日

ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン2018

2018-11-15 @ミューザ川崎シンフォニーホール


フランツ・ウェルザー=メスト:指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
フォルクハルト・シュトイデ:バイオリン
ペーテル・ソモダリ:チェロ

ドボルザーク:序曲「謝肉祭」作品92 B.169
ブラームス:バイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 作品102
ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」~舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」第3夜から抜粋(ウェルザー=メスト編)
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J.シュトラウスⅡ:レモンの花咲くところ 作品364、
   〃     :浮気心 作品319

2年前に同じミューザでメータ指揮のウィーン・フィルを聴いた。その時がウィーン・フィルを聴いた最初だったが、期待したほどの音ではなかった。アンサンブルが分厚い、とは思ったがびっくりするような音質ではなかった。

そんな訳で、2年ぶりのウィーン・フィルが前回以上の素晴らしい音楽体験を与えてくれるか、多少の不安はあった。

しかし、第1曲「謝肉祭」の、冒頭の管・弦・打のTuttiがあまりに強烈で、しかも、音が濁っていないのに、まずは惹き込まれた。耳をそばだてていたが、弱音になっても、ほとんど問題なく、分厚いアンサンブルを響かせながら弦は透明感を維持していたので大いにホッとし、これなら全プログラムが高水準で楽しめるぞ、と確信できた。

「謝肉祭」の弦の編成は大規模だったが、完全な16型ではなかったように思う。自席からはバイオリン群は重なって見えるので、正確に数えるのが難しい。第1バイオリンが15本、第2バイオリンが13本のように見えた(1人で譜面台を見ている奏者が2人いたような気がした。)が、16+12だったのか、14+14だったのかもしれない。
ビオラ以下は16型の基本形に従ってビオラ12人、チェロ10人、コントラバス8人だったと思う。つまり、バイオリンがはっきりしないが、ほぼ16型だ。

ブラームスのダブル・コンチェルトでは、14型だったのではないか。少し縮小したが、ブラームスの協奏曲だから、そのほうがバランスがいいはず。

ソリストは、バイオリンがウィーン・フィルのコンサートマスター。チェロがウィーン国立歌劇場管弦楽団のソロ・チェリストで、有名なソリストではない(と思う。僕は彼らの名前を知らなかった。)が、腕前は一流なのだろ。むしろ、ウィーン・フィルを知り尽くしているのだから、オケとの呼吸はよく合うはず。

ブラームス最後の管弦楽作品で、オーケストレーションの集大成なのだろう。遠慮なく自分らしさを発揮した重厚な音楽で、独奏者の超絶技巧も、あまりそれらしく聴こえず、これみよがしの見せ場というか、アクロバティックな聴かせどころは少ないものの独奏楽器とオーケストラは溶け合って、深い世界へと誘っているように聴こえるが、果たして聴く側の耳がどれほど立派かによって表面の面白さにとどまっているのかもしれないと聴きながら葛藤していた。

欲を言えば、バイオリンの音がこの曲においてはやや繊細だったか。もっと図太い音でガリガリと脂を飛ばしてくれた方が、似合ったように思った。

今回の真打ちは、ウェルザー=メスト自らが「神々の黄昏」から抜粋した音楽を1曲の管弦楽作品にまとめたものだ。

4部作「ニーベルングの指環」全曲を網羅した管弦楽編曲(歌がないもの)はいくつか例があるが、今回は「〜黄昏」だけを対象に、その中で既に管弦楽曲として独立して演奏されることの多い「ラインの旅」と「ジークフリートの葬送行進曲」を軸に、前奏曲やフィナーレ部分などを加えていたように思ったが、自信はない。

「〜指環」は大好きな音楽だけど、「〜黄昏」だけでも休憩なしの正味演奏時間が4時間を超える大作だから、残念ながら、2曲以外の部分については確実にこの場面だ、というだけの確信は持てなかった。まあ、そんなことはどうでもいいことだけど。


特大編成の管弦楽が精緻なオーケストレーションを一瞬も緩むことなく、休むことなく楽劇の壮大なシーンを彷彿させてくれる。
演奏は、管・弦それぞれに美しいだけでなく、管と弦がこんなふうにも混じり合うのか、という驚きの響で溢れていた。

こんな素晴らしいアンサンブルで、この名曲を味わうという幸せに浸っていてもよいものだろうか、とさえ思った。

しかし、幸せは長くは続かない。
今回の編曲版は演奏時間30分に20秒ほど満たなかった。

フリーヘル編:楽劇「ニーベルングの指環」<オーケストラル・アドベンチャー>は全4部を網羅しているだけに演奏は60分〜70分も続く大曲だ。それをなんとなくイメージしていたのでまさか30分で終わるとは思っていなかったが、15時間の音楽を60分強でまとめているなら4時間の音楽を30分にまとめるのは上々なのかもしれないな。ともかく、ずっと聴いていたかったよ。

♪2018-147/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-22

2016年10月9日日曜日

ウィーン・フィルコンサート

2016-10-09 @ミューザ川崎シンフォニーホール


ズービン・メータ:指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲 K527
ドビュッシー:交響詩「海」-3つの交響的スケッチ
シューベルト:交響曲第8番ハ長調 D944「グレート」
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アンコール
ドボルザーク:スラブ舞曲作品46-8

ウィーフィルなんてナマで聴くの初めて!
えらく高いチケットだったけど、一度は聴いておきたいと思って特等席を買った。ミューザ川崎シンフォニーホール2CBのセンター最前列。絶好のポジションだ。

1曲めのモーツァルトは、なんだかざわついて聴こえてこれがウィーン・フィル?という感じ。
2曲目になって、オケの規模が特大になり(コンバス8本、チェロ10本)、そのせいか、あるいは音がホールに馴染んでくるということがあるのかもしれないが、弦は厚みを増したがまだまだこんなものじゃないはずという期待感と失望感がないまぜ状態。

いよいよメインのシューベルト。
ここではオケの規模はやや小さくなった。
そして驚いたことにフルート、オーボエ、ファゴット、クラリネットの各2本ずつの木管8人が、なんと指揮者の回りに半円形に並んだ。
通常は、木管楽器は弦楽器(多くの場合チェロかビオラ)の後ろに並ぶものだが、オケの最前列に出てきたのは初めて見る形だった。これまでにもウィーン・フィルの演奏を放送・ビデオで何度も何度も見ているけどこういう楽器配置は記憶に無い。
ただ、考えてみると、木管楽器は通常幾重もの弦楽器奏者や譜面台の影に隠れて演奏するのが常だから、彼らを最前列に引き出すのは音量のバランスさえ失わなければ合理的だ(特にオーボエやクラリネットは朝顔が床に向いているから音が遠くまで届きにくい。それでマーラーは時に楽器を水平に持って吹くように指示している)。

ただ、コンマスがフルートの首席の後ろになってしまうので他のメンバーとのアイ・コンタクトが取りにくいだろうけど。

また、僕の席からは良い塩梅に聴こえたけど、ステージそばの聴衆には木管八重奏団+管弦楽に聴こえたかもしれない。

それはともかく、マーラーの交響曲のように管楽器が大活躍する作品はなかったので優れた腕前に感嘆する場面はなかったが、図らずもの木管八重奏団はみんな達者だった。
問題は弦のアンサンブルだ。
最初の軽い失望は徐々に癒やされて、やはりシューべルトのような根っからウィーンの作品ともなると自家薬籠中のものか、繊細さを残しつつ重厚な響だった。

アンコールがドボルザークと、なんだかまとまりのない品揃えだったが、観客の拍手は長く続き、楽団員が舞台から全員引き上げた後も鳴り止まない拍手に応えて、メータ御大は一人で舞台に出て四方八方の観客に愛想を振りまいた。

さて、さて、さて。
これが世界の最高レベルとなると、我が日本楽壇は大いに安心してよいのではないかと思った。

演奏される曲にもよるし、どこ(ホール・席)で聴くかも問題だけど、これまでに聴いた海外オケの中で、一番感動を与えてくれたのは昨年NHKホールで聴いたhr交響楽団だ(ゲヴァントハウス管弦楽団は「マタイ受難曲」だったので、ちょいと比較が難しい。)。
海外オケの中で、というより、国内オケも含めて一番オーケストラの精緻なアンサンブルをhr交響楽団に聴いたように思う。

今年、11月にはドイツ・カンマーフィルとサンフランシスコ交響楽団を聴くことになっているので、いずれも楽しみにしているが、世界の3本指に入ると言われているウィーン・フィルがこの程度であるなら、N響も都響も読響も東響も日フィルも結構肉薄しているのではないかと思ったよ。
そういえば、早速明日の読響定期は、今日のウィーン・フィルと同じくシューベルトの交響曲第8番がメインだ。
どんな演奏を聴かせてくれるのだろう。

♪2016-138/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-24