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2023年4月21日金曜日

東京都交響楽団 第973回 定期演奏会Aシリーズ

2023-04-21 @東京文化会館



大野和士:指揮
東京都交響楽団
チェロ:上野通明*


ターネジ:タイム・フライズ(Time Flies)(2020)[都響、BBCラジオ3、NDRエルプフィル共同委嘱作品/日本初演]
ルトスワフスキ:チェロ協奏曲(1970)*
エルガー:エニグマ変奏曲 op.36
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J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009から IVサラバンド*


ターネジなんて人は存在も知らなかった。
「タイム・フライズ」は日本初演。
英独日の団体の共同委嘱作。
3楽章仕立てで各スポンサーの土地を巡る。

2022年作だからとんでもない現代音楽かと思いきや全編とっつき易い音楽で、「東京」を表現する終楽章はバーンスタインの「シンフォニックダンス」そっくり。

2番手ルトスワスキは何度も聴いている割に「管弦楽のための協奏曲」等に偏っていて、今日のチェロ協奏曲は初聴き。
これまでのイメージとはだいぶ違った。
上野くんはこの曲でジュネーヴで優勝したとか。

そのせいか、気合が入っていたこと。面白くない音楽だけど、迫力と緊張感で引っ張り込まれた!

最後はエルガー:エニグマ変奏曲。これを最後に聴くと、いつも以上に美しい音楽だと思ったよ。

今日も都響は上出来。先月のリゲティから好調が続いている。
前2者では弦は専ら効果音係であまり活躍の場がなかったが16型でも透明感を維持。

尤も、エニグマ中最も魅力的なNimrodの出来が弦も木管も今イチだったが。

そうそう、上野くんのアンコールがなんとJ.S.バッハ:無伴奏Vc組曲3番からサラバンド。

これがえらく新鮮で、一瞬現代音楽を弾いているのかと思った。
彼の無伴奏は全曲を聴いてみる価値がありそうだ。

♪2023-066/♪東京文化会館-06

2021年12月5日日曜日

東京交響楽団川崎定期演奏会 第84回

2021-12-05 @ミューザ川崎シンフォニーホール



ジョナサン・ノット:指揮
東京交響楽団

ゲルハルト・オピッツ:ピアノ

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 op.83
ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲



本来、独創ピアノはNアンゲリッシュという人だったが、体調不良とやらでオピッツに代わった。

アンゲ氏はまったく知らない人だが、オピッツは15年にSゲッツエル指揮神奈川フィルで聴いた。

その時も今日と同じブラームス2番だった。


過去の記録に、その時の印象を

「指はほとんど鍵盤に向かって突き立てることがなく、まるで鍵盤の上を雑巾がけでもしているような動きだ。力みがまるでなく感情を込めるといった様子もなく、淡々と職人芸を聴かせるといった風だ。」

と書いていたが、今日もそう思ったよ。


もし、小林愛実だったら、どんな悲惨な人生ドラマが起こっているのか、と思わせられたかもしれない。


淡々と弾いて、ブラームスの音楽の大きさ、魅力を感じさせてくれた。


オケは14型対抗配置。

と言っても第2バイオリン以下は16型と同じ。

大きな編成だったが、ピアノが埋もれる場面はなかった。


今日のノットのコントロールが次の曲も含め良かった。


ただ、ピアノの中低域は少し明瞭さにかけるところがあったが、ここはむしろオケと一体化したとでも言っておこう。


ルトスワフスキは滅多に聴けない作曲家だが、「管弦楽のための協奏曲」は過去に東響やN響等で経験済み。

ポーランド民族風味がどこに出ているのか分からないが、弦16型に管打鍵多数で、管弦楽を[生]で聴く楽しさには溢れている。


♪2021-145/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-40

2019年9月14日土曜日

N響第1918回 定期公演 Aプログラム

2019-09-14 @NHKホール


パーヴォ・ヤルヴィ:指揮
NHK交響楽団

ジョシュア・ベル:バイオリン*

オール ・ ポーランド ・ プログラム
 バツェヴィチ:弦楽オーケストラのための協奏曲
 ヴィニャフスキ:バイオリン協奏曲第2番*
 ルトスワフスキ:小組曲
 ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲

オールポーランド作品。
バツェヴィチは他の作品を、ルトスワフスキは今日の作品のほか交響曲なども聴いた経験あり。ヴィニャフスキは多分初めて。

1曲めはバイオリンに付けた弱音器のせいか、えらく乾いた弦楽合奏に聴こえた。え〜っこれN響の音?

2曲めは明確に好みでない。
他の3本(いずれも1950年前後の作)より百年ほど前の作品で、歌謡曲みたいで安っぽい。初聴きのジョシュア・ベルのバイオリンはなかなかの熱演で悪くはないが、音楽自体に惹き込まれない。

最後の2本はルトスワスキで、特に以前も聴いたことのある「管弦楽のための協奏曲」は、これも好みではないとはいえ、<管弦楽>を聴く面白さが詰まっていたように思う。
終盤は自分の体調もだいぶ戻って、N響の巧さ、P・ヤルヴィの統率力に感心した。

N響は今日から新シーズンだ。
ホール・エントランスの鉢巻部分が綺麗に塗装してあった。
演奏会の1日目はFM生中継とTV録画が行われる。
その為の客席内ビデオカメラの配置が変更されて、下手後方は静止画カメラ席になり、従来そこにあったカメラは客席最後列中央に移動していた。これで僕の後ろ髪が映されるかもしれないな。あまりふさふさしていないけど…。

♪2019-138/♪NHKホール-05

2018年9月6日木曜日

東京都交響楽団 第860回 定期演奏会Bシリーズ

2018-09-06 @サントリーホール


アントニ・ヴィト:指揮
東京都交響楽団

シャルル・リシャール=アムラン:ピアノ*

ワーグナー:序曲《ポローニア》
ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 op.21*
ルトスワフスキ:交響曲第3番(1983)
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アンコール
ショパン:夜想曲第20番嬰ハ短調 遺作*

指揮者のヴィトの出身に因んでか、ワーグナーの序曲「ポローニア」(初聴)、ショパンのピアノ協奏曲第2番、ルトスワフスキの交響曲3番(初聴)というポーランド尽しだった。

まずは、ヴィトという指揮者が初聴きだった。祖国ポーランドでは相当有名な人らしい。当然、得意としているであろうショパンは僕も馴染んだ作品だけど、特に指揮ぶりで気になったところもないし、抵抗なく進んでいった。
アムランの演奏も、やや、我が道を行く、感じだったが、許容範囲。演奏が終わって、何度かカーテンコールに応えたが、ふと、思いついたようにピアノに向かったが、ヴィトの方は打ち合わせがなかったようで、オケを全員起立させようとしていたところにいきなりアンコール曲が始まったので、バツが悪そうに袖に引っ込んだが、静かに退くのかと思ったが、結構靴音を立てていた。

前後の2曲はいずれも初聴きで、どこにヴィトの芸が現れているのかは分かりようもない。

ワーグナーが「ポローニア」(ラテン系言語でポーランドの意)なる序曲を作曲していたとは知らなかった。「序曲」といっても「歌劇」に付すものではなく単独の作品らしい。ワーグナー19歳から23歳にかけて作曲したもののようだ。どうりで若作りの印象は否めない。

この「ポローニャ」とピアノ協奏曲は、いずれもアンサンブルの響が悪くてあまり集中できなかった。

管楽器は鋭く刺さってくるが、弦にまろやかさ、豊かさがない。本来、弦楽器は複数がステージに並ぶことで、互いに共鳴しあって、弦楽合奏ならではの柔らかい響となるはずだが、どういう訳か音は乾いてカサカサだ。
これまでも、サントリーホールではこういう事をしばしば経験している。都響の弦楽グループが下手な訳ではない。
サントリーホールは、世間では響の良いホールとされているようだが、そうでもないのではという疑問が予てからあったが、今日の都響の演奏で、確信になった。
残響はしっかり付いているが、共鳴の豊かさに欠ける。どうしてか、それは分からない。

が、最終曲のルトスワフスキ(この名前すら初耳だ。)の作品は、1983年の作で、いうまでもなく現代作品であり、調性は否定され(一部に感ずるところはあったが)、リズムも複雑で、不協和な雑音の洪水。勝手に自己満足してな!といったタイプの音楽だ。
はっきり言って大嫌い。意表を突くことのみに腐心している他の多くの現代作曲家と同じだ。

ところが、慣れてくると、一定の法則めいたものを感ずるので多少共感できるようになったことと、弦の豊かな響なんてもともと期待していない刺激的な、全員打楽器化したリズム中心の音楽なので、カサカサの潤いのないアンサンブルが、むしろこの音楽には似合っていて面白くなってきた。

♪2018-106/♪サントリーホール-08

2014年10月18日土曜日

東京交響楽団第624回定期演奏会

2014-10-18 @サントリーホール


クシシュトフ・ウルバンスキ:指揮
庄司紗矢香:バイオリン
東京交響楽団

ヴィチェフ・キラル:交響詩「クシェサニ」
ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品53
ヴィトルト・ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲
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アンコール
パガニーニ:「うつろな心」による変奏曲から(Vnソロ)



6日前に同じウルバンスキ指揮東響でショスタコの大作を聴いたが、今日は、彼の故郷ポーランドの現代作曲家と隣国チェコの大家ドボルザークのプログラム。

ドボルザークは聴き馴染んでいるけど、ポーランドの2人は初めて聞く名前であり、音楽も初めてだ。

ヴィチェフ・キラルという人は、1932年生まれで2013年(去年!)まで存命だった人だ。その作品交響詩「クシェサニ」(「打つ」とか「閃光」というような意味らしい。)は74年の初演なので、もうとびきりの現代音楽だ。

7分程度の小粒な作品だけど、オーケストラの規模はものすごい。
ティンパニは3人の奏者が計9つを操るのも壮観。
木管、金管の数も非常に多く、これに見合う弦楽5部の総勢もステージに目一杯並んでいる。そして、オルガンも使われた。

この大編成は、ドボルザークを挟んで最後のヴィトルト・ルトスワフスキ(1913~1994)の「管弦楽のための協奏曲」においてもほぼ同様に維持されていた。


コチラの初演は「クシェサニ」より少し古いがそれでも1954年だ。
だからというわけでもないのだろうけど「前衛度」は「クシェサニ」程ではなかったものの、やはり、一体これはなんだろう?というような感じの音楽だ。
2作ともポーランドの民族音楽が取り入れられているそうで、それを感じさせる部分もあるし、そういう箇所はメロディを追うこともできるけど、全体としては強烈な不協和の連続で、こんな音楽ならいっその事調弦しなくともいいのではないかとさえ思わせる。

ところがどっこい。CDで聴けばとても聴くに耐えないだろうが、この100人超のオーケストラで生を聴くと、これがなかなかおもしろいのだ。
また、聴いてみたい、というより、あのプリミティヴな感性を直撃するような体験をもう一度味わってみたいという気にさせる。

ただし、不協和大音響と変質を繰り返す強烈なリズムに浸りながら、「音楽ってなんだろう」と、これはいつも現代音楽を聴く度にもたげる疑問を同居させていたが。



ドボルザークは中規模編成。といっても60人位だろうか、これでもハイドンが見たらびっくりするような大編成だろうけど、この規模で演奏したのは当然なのだろうね。

このスラブぽいちょっとセンチな曲調が、掃き溜めに鶴といった感じでとても安心感を与えてくれた。

ウルバンスキは、前回のショスタコ第7番も完全暗譜で指揮をしたが、今回も3曲とも総譜は持たなかった。
ドボルザークはともかく、他の2曲は極めて複雑な上「~協奏曲」など3楽章構成で30分程度の長さはあるのだけど、よく隅々まで勉強が行き届いているんだろうな。
完全に自分のものにしているのはすごいよ。

♪2014-93/♪サントリーホール-05