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2025年2月8日土曜日

NHK交響楽団2031回A定期 02月公演

2025-02-08 @NHKホール



ペトル・ポペルカ:指揮
NHK交響楽団
ラデク・バボラーク:ホルン*

ツェムリンスキー:シンフォニエッタ 作品23
R.シュトラウス:ホルン協奏曲第1番変ホ長調*
ドボルザーク:交響詩「のばと」作品110
ヤナーチェク:シンフォニエッタ
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ラデク・バボラーク:狩りのファンファーレ




ツェムリンスキーはオペラ以外はもっぱら都響で数回聴いたが、聴く度に初聴きばかり。いずれも面白いと思って聴いたものはない。
しかし、4日前に観たばかりのオペラ「フィレンツェの悲劇」は良かった。音楽がいいという訳ではないけど。

R.シュトラウス:Hr協第1番は素晴らしかった。
2番は何度か聴いているが1番は初聴き。

ラデク・バボラークはこれまで何度も聴いていたように思っていたけど、記録にないのが不思議に思う(後刻、記録を発見!日フィルを指揮したのを聴いていたがHrは吹いていない。)
ともかく、なんて巧いのだ!
過去、何人もの名人を聴いているが、この人はとびきりの名人だ。次元が違う。完璧に楽器を操っているのにただただビックリだ。
人柄も良さそうで、オケはもちろん、大勢の観客の心もしっかり掴んで、とても良い雰囲気だった。

ドボルザークまで3曲とも初聴き。「のばと」は、なるほどドボルザークらしいところもあったが、全体として共鳴できなかった。

大トリが、ヤナーチェク:シンフォニエッタ。
これは過去数回。最近ではN響+フルシャで聴いている。

管は大編成だ。そこに加えてTp11本とユーフォニアム2本の別働隊が加わり、第1曲と最終曲はこの別働隊とTympによるファンファーレ(コラールといった方が相応しい?)がとても華々しくて惹きつけられる。
もっとも、別働隊といっても、並んだのは、オケの最後列に横一列なので、本隊とほぼ一体だけど。2F左右のバルコニーから咆哮してくれたらもっとゾクゾクできたかも。

この最終曲の終わったあとの暫時静寂。フラ拍もなく、本当にGoodなタイミングで一斉に拍手が起こったのは気持ち良かった。
指揮者とオケと客席が気脈を通じた瞬間だ。

♪2025-020/♪NHKホール-02

2021年10月21日木曜日

東京都交響楽団 第937回 定期演奏会Bシリーズ

2021-10-21 @サントリーホール


大野和士:指揮
東京都交響楽団
藤村実穂子:メゾソプラノ*

すぎやまこういち:交響組曲「ドラゴンクエストⅡ」からレクイエム(氏の急逝を追悼して急遽追加)
R.シュトラウス:交響詩《死と変容》 op.24
ツェムリンスキー:メーテルリンクの詩による6つの歌 op.13*
R.シュトラウス:交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》op.30


すぎやまこういち作:交響組曲「ドラゴンクエストⅡ」から「レクイエム」は初聴きだけど耳障りの良い音楽。


「死と変容」…半分は睡魔と格闘。


「6つの歌」…不思議なもので、全曲歌の切れ目を覚えているのに夢心地。


休憩を挟んで一番聴きたかった「ツァラトゥストラ」は16型大編成で寝ているどころじゃない。


「2001年宇宙の旅」冒頭のファンファーレ!

ここでのオルガンや大太鼓、ティンパニー、コントラファゴット等の重低音は、その昔、再生テスト《LP》にも使われていた。当時の我が家のHiFi装置ではゴロゴロ鳴って失格だったが。


さて、この曲は19年4月N響Aを遅刻して聴き逃す痛恨のミスを犯したので、ナマは本当に久しぶり。


こういうド派手な音楽をやると、都響の失対事業のような大型編成が生きてくる。

弦もがんばるが、なんといってもバスドラムを軸に打楽器と金管が耳をつん裂く大音量で嬉しい。


静かな部分もあるが、ずっと緊張が張り詰めて最後のクライマックスを迎える。


哲学者枝雀が「落語は緊張と緩和の芸」と言っていたが、時間芸術とは押し並べてそういうものだろう。


最後に頂点に達した緊張は解き放たれ、穏やかな終曲を迎える…かに見せてどっこい、忘れ物をしたような不安を残す。


都響の力技がとても良かった。


♪2021-114/♪サントリーホール-14

2019年4月17日水曜日

新国立劇場オペラ『フィレンツェの悲劇』/『ジャンニ・スキッキ』

2019-04-17 @新国立劇場


指揮:沼尻竜典
演出:粟國淳
美術:横田あつみ
衣裳:増田恵美
照明:大島祐夫
舞台監督:斉藤美穂

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

<フィレンツェの悲劇>
グイード・バルディ⇒ヴゼヴォロド・グリヴノフ
シモーネ⇒セルゲイ・レイフェルクス
ビアンカ⇒齊藤純子

<ジャンニ・スキッキ>
ジャンニ・スキッキ⇒カルロス・アルバレス
ラウレッタ⇒砂川涼子
ツィータ⇒寺谷千枝子
リヌッチョ⇒村上敏明
ゲラルド⇒青地英幸
ネッラ⇒針生美智子
ゲラルディーノ⇒吉原圭子
ベット・ディ・シーニャ⇒志村文彦
シモーネ⇒大塚博章
マルコ⇒吉川健一
チェスカ⇒中島郁子
スピネッロッチョ先生⇒鹿野由之
アマンティオ・ディ・ニコーラオ⇒大久保光哉
ピネッリーノ⇒高橋正尚
グッチョ⇒水野秀樹

アレクサンダー・ツェムリンスキー:
「フィレンツェの悲劇」全1幕<ドイツ語上演/字幕付>

ジャコモ・プッチーニ:
「ジャンニ・スキッキ」/全1幕<イタリア語上演/字幕付>

予定上演時間:約2時間25分
フィレンツェの悲劇60分
 --休憩25分--
ジャンニ・スキッキ60分

いずれも上演時間が1時間程度の短いオペラの2本立てだ。ダブル・ビルdouble billというそうだ。
大野和士新音楽監督の意向で今後1年おきにダブル・ビル公演を行うとか。

そういえば、プッチーニの<三部作>も本来は3本立て公演を意図されたもので、この中に「ジャンニ・スキッキ」も含まれている(残りは「外套」、「修道女アンジェリカ」)。これはトリプル・ビルということか。
二期会が昨年この本来形で公演をしたらしいが、1日で3作は歌手たちも大変だが、お客も疲れる。

今回の新国立劇場の公演は、2本に絞り、性格(悲劇と喜劇)も出演者数(3人と15人)も異なるが、いずれもフィレンツェを舞台にしたほぼ同年代(1916年と1918年)の作品ということで、その好対照を楽しむことができるよう意図されている。

「フィレンツェの悲劇」は初めて観た。
ツェムリンスキーの音楽はナマではこれまでに2作品(交響詩《人魚姫》、抒情交響曲〜ラビンドラナート・タゴールの詩による7つの歌)を聴いているが、いずれもあまり面白くはなかった。この2作とも大野和士指揮都響で聴いているのは偶然ではなかろう。
という次第で、あまり期待をかけていなかった「フィレンツェの悲劇」だが、これがなかなか面白い。音楽はプッチーニと同時代とは思えないモダンな感じで必ずしも馴染めないが、物語が面白い。家に帰った男は、妻が浮気相手を連れ込んでいるのを知り、決闘によって彼を殺し、次はお前だ、と妻の首を絞めるが…。ラストの思いがけない展開が面白い。間男にとっては「悲劇」であったが夫婦にとっては「悲劇」とはいえないから、このタイトルの意味するところはよく分からないが。

「ジャンニ・スキッキ」はもうお馴染み。例の「私のお父さん」という大ヒットアリアがある。15人も登場して雑駁な印象を受ける物語だ。好みのソプラノ、砂川涼子がラウレッタを演じ「私のお父さん」を歌った。これはとても良かった。
が、プッチーニの中ではさほど重要な作品とも思えない。
彼が<三部作>の1本として作曲したように、映画で言えばプログラム・ピクチャー程度のものではないか。
ま、気軽に楽しめる作品ではあるが。

♪2019-049/♪新国立劇場-04

2018年10月24日水曜日

東京都交響楽団 第864回 定期演奏会Aシリーズ

2018-10-24 @東京文化会館


大野和士:指揮
東京都交響楽団

アウシュリネ・ストゥンディーテ:ソプラノ*
アルマス・スヴィルパ:バリトン*

シュレーカー:室内交響曲
ツェムリンスキー:抒情交響曲
 〜ラビンドラナート・タゴールの詩による7つの歌 op.18*

シュレーカー(1878-1934)は存在さえ知らなかった。「室内交響曲」(1917年初演)はもちろん初聴き。
ツェムリンスキー(1871-1942)は今年の1月の都響B定期、指揮も今日と同じ大野和士で交響詩「人魚姫」という全く面白くないのを聴いたが、「叙情交響曲」(1924年初演)は初聴き。

2曲とも音楽史区分では<近代>という<調性>との格闘の時代の落とし子と言えるのだろう。
調性を完全否定するには至らないが、そのまま認める訳にもいかぬ。調性を見え隠れさせながらその概念を拡大させたようだ。

さて、そんな音楽が面白いのかと言えば(この時代の音楽を全否定するつもりはサラサラ無いけど)今日の2曲に関して言えば、これは初めて聴いたせいもあるだろうがつまらない。

前者は「室内交響曲」というだけあって、小ぶりな編成だが、通常の弦5部(バイオリン2部、ビオラ、チェロ、コントラバス各1部)を、バイオリン4部、ビオラ2部、チェロ3部、コントラバスの弦10部に分けてある。それだけ、精妙に作曲されているのだが、凝った割にはその効果は響いてこなかった。これは演奏能力の問題もあるだろう。

全曲を通じてけだるい音楽が(一応4楽章に区分できるらしいが)さほどの起伏もなく長々と続くので、途中で眠くなった。

後者は弦は16型の大編成。
冒頭は映画音楽のように大げさな出だしだ。すれ違いの男女の恋愛感情をバリトンーソプラノが交代しながら歌う7曲から成る。
歌のテキストに照らして管弦楽が極端に大げさすぎる。
この音楽も7楽章構成とも言えるが、古典的な交響曲構成は踏襲していない。全曲続けて演奏される(プログラムには48分と書いてあったが実測は42分だった。)。

ワーグナーを思い起こさせるところがある。ここいらが後期ロマン派の残滓か。もし、オペラの一部として演奏されたら案外音楽に入り込めたかもしれないが。


♪2018-135/♪東京文化会館-05

https://youtu.be/XxKWG1K29v0 シュレーカー:室内交響曲

https://youtu.be/3XyKTCKSVKg ツェムリンスキー:抒情交響曲

2018年1月10日水曜日

都響定期B846回

2018-01-10 @サントリーホール


大野和士:指揮
東京都交響楽団

R.シュトラウス:組曲《町人貴族》 op.60
ツェムリンスキー:交響詩《人魚姫》

2曲とも初聴き。
R.シュトラウスというと、すぐに交響詩のような壮大な編成の華麗な管弦楽曲を思い浮かべるが、「町人貴族」は驚くほど小規模な編成だ。弦5部が合計20人。これはプログラムに記載の楽器編成のところにバイオリン6、ビオラ4、チェロ4、コントラバス2と具体的な数が記載されているところを見ると作曲家自身が指定したものだろう。管・打楽器も合わせて20人ほど。舞台の中央にピアノが指揮者を向いて据えられ、その左右に弦と管打が相対するという配置だった。
初めて聴いた音楽だが、全体として軽音楽のような親しみやすさだ。でも、こんな音楽を演奏会で聴くのかなあという疑問は残った。元は芝居のための劇伴音楽だ。それを組曲化したのだけど、あまりに軽い感じがして、立派なコンサートホールにはピッタリ来なかった。
それに、こういう編成のせいか、冒頭から弦のアンサンブルが美しくないのに驚いた。もう少し規模が多ければ、弦楽器はお互いが共鳴しあって響が豊かになるのだけど、バイオリンだけでは6人。第1、第2バイオリンと分けていたら、3人ずつか4人+2人ということになるから、いずれにせよ、互いが共鳴し合うようなレベルではない。そのせいかと思うが、えらくざわついた響だった。35分間も心地よく聴いておられる音楽ではなかった。

ツェムリンスキーも知らないし、交響詩《人魚姫》も知らない。
馴染んでなくとも面白い音楽というのはある。でも、これはどうも楽しめなかった。全体にメリハリがなくて構成感が掴めない。3楽章に分かれて入るけど、それぞれが明確に特徴的ではなく、ズルズルと引きずっている感じで、途中で《眠り姫》になってしまった。45分間という演奏時間も長過ぎたね。
また、聴く機会があれば、捲土重来を期そう。

♪2018-003/♪サントリーホール-01