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2024年5月11日土曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団 第395回定期演奏会

2024-05-11 @みなとみらいホール



大植英次:指揮
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
大江馨:バイオリン*

ラロ:スペイン交響曲ニ短調 Op.21*
ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調 Op.27
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カルロス・ガルデル(A.ハーデリヒ編):
 Por Una Cabeza(ポル・ウナ・カベサ)





昨日、10連休明けで聴いた新日フィル@墨鳥がとても良かったが、今日の神奈川フィルはみなとみらいホールの良さもあって、音色がとても明るくてクリアなのに、驚いた。
特にラロはオケの編成も12型とコンパクトだったのが各パートを引き立てた。
大江くんのVnも良く鳴って聴き応えあり。

後半、ラフマ2番。彼の3曲の交響曲の中ではダントツに聴く機会が多い。が、前半2楽章は好きになれない。超有名な第3楽章Adagioと賑やかな終楽章はとてもいい。

なんたって、大植ちゃんの気合いが入っていたな。後ろ姿しか見えないけど、多分、顔面紅潮させてオケを引っ張っていたのだろう。時々気になる(面白い)大植節は今回は気が付かなかったがどうだったのだろう。

神奈川フィルもよく応えて、管弦共に気持ち良く響いた。
大植ちゃんも大満足の様子で、いつものドヤ顔。

♪2024-063/♪みなとみらいホール-14

2019年6月2日日曜日

N響 横須賀公演

2019-06-01 @横須賀芸術劇場


ジュゼップ・ポンス:指揮
NHK交響楽団

南紫音:バイオリン*


ファリャ:歌劇「はかない人生」から間奏曲とスペイン舞曲
ラロ:スペイン交響曲 ニ短調 Op.21*
ファリャ:バレエ組曲「三角帽子」 第2部
ラヴェル:ボレロ
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J.S.バッハ:無伴奏バイオリン組曲第1番から「サラバンド」*



スペイン人又はスペインゆかりのフランス人作曲家による近代スパーニッシュ音楽特集。
どの作品もお馴染みで本来ならとても楽しめるはずだったが、大いにガッカリした。
第一声?からしてこれは一流オケの音ではないと思ったが、最後まで変化無し。

メンバーはレギュラーと予備軍(があるのかどうか知らないが、見知らぬ顔もチラホラ。コンマスも神奈川フィルの﨑谷直人の客演だった。)?との混成という感じだったが、音が悪いのはオケのせいでは無い。
サントリーで言えば一階大理石壁後ろの中央という良席で聴いたから席のせいでもない。

明らかにホールの音響がなっていない。
残響もえらく短いがそれだけでもなさそうだ。
弦楽器の共鳴が聴こえてこない。シンフォニック(交響的)ではないのだ。
管もまったく美しくない。
管弦混ざると無惨な響きに。
終始ガサついて聴き苦しかった。

ヨーロッパのオペラハウスのようにも見えるが、おそらく全体が安普請なのだろう。同じ安普請でもカルッツかわさきの方が音は美しくないけどまとまりがあり迫力がある。

横須賀藝術劇場大ホールは、音の流れが制御できていないのだろう。奇しくも池袋の東京藝劇も音の伝播が悪いが、横須賀ほど酷いホールは初めてだ。

N響の演奏もずいぶん聴いているが、史上最悪の演奏になってしまった。

もっとも、音の響きに関してはオケのせいではないのだけど、演奏もがっかりさせるところはあった。「ボレロ」のソロで管楽器が2種類、音を外した。これもN響とは思えない失態だった。


♪2019-073/♪横須賀芸術劇場-01

2019年3月2日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団 第345回横浜定期演奏会

2019-03-02 @みなとみらいホール


ダレル・アン:指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
周防亮介:バイオリン*

【輝け!アジアの星☆第11弾】
マイアベーア:歌劇《預言者》より「戴冠式行進曲」
ラロ:スペイン交響曲ニ短調 op.21*
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
ラヴェル:《ダフニスとクロエ》第2組曲
-----アンコール-----
タレガ:アルハンブラの思い出(無伴奏バイオリン版)
サティ(ドビュッシー編):ジムノペディ第1番(管弦楽版)

マイアベーアって、名前は知っているけど作品に関しては全く知識がなかったが「戴冠式行進曲」は聴き馴染みのある曲だった。とはいえ、オーケストラ演奏で聴くのは初めてだ。おそらく、吹奏楽で聴いたことがあるのだと思う。Youtubeで探してもHitするのはほとんど吹奏楽版だ。

そのせいか、どうか、日フィルの演奏もまるで吹奏楽のようだった。そういう譜面なのだからそれでいいのだけど。

さて、今日のプログラムは、スペイン交響曲以下ドビュッシーもラヴェルも華やかな管弦楽技法が駆使されているものばかり。その華やかさの大部分は増強された多彩な管楽器と珍しい打楽器が担っている。
その華やかな<管・弦楽>を、最初に聴いたマイアベーアの<吹奏楽>の印象をそのまま引き摺って聴くことになってしまった。
つまり、本日の演奏は<日フィル吹奏楽団>に弦楽アンサンブルが付属したような感じに終始した。

そういう音楽なのだから、それが悪い訳ではないし、華やかなオーケストレーションを楽しむことができたのだけど、どうも弦楽アンサンブルの部分が弱く聴こえてしまう。
以前なら、同じ音楽を聴いてなんの違和感もなかったし、これぞ管弦楽の楽しさと受け止めていたのに、この日の演奏は、いつも鳴りの良い日フィルの弦楽パートの魅力はほとんど発揮されない。
そんな不審を抱きながら聴いていると、ラロもドビュッシーもラヴェルも、音楽の良い部分はほとんど管楽器に任せ、弦は音楽の下支えだったり、ボリュームを付けることにしか使っていないような気がしてきたけど、本当かなあ。

ところで、スペイン交響曲で独奏バイオリンを担当した周防(すほう)亮介は初聴きだった。
名前から男だと分かっていたが、チラシなどの写真では女性のようでもある。衣装や靴もおよそ男らしさがない。そういう趣味らしい。それをよしとする生き方を認めなければならない面倒な世の中だ。男なら男らしくしろ!なんて時代錯誤なことを言っていたらこの社会からつまみ出されそう。バイオリンさえ上手に弾いてくれたらそれでよし。

…ところが、出だしのソロの音程が微妙に外れた。
ここでも最初の印象に最後まで引き摺られ、注意深く音程チェックしながら聴くことになってしまった。そして、全体として音程に甘い、という結論に達した。

最初に<音程事故>がなければそんな聴き方はしないのだけど、これはお互いに不幸なことだ。

ま、音程の少々の甘さはさほど問題にはならない。
生演奏だし、どんな名人・上手にも稀にはあることだ。そういうことを気にせず弾きまくる大ベテランを聴いたことがある。ロストロポーヴィチも晩年は大甘だった。そんなことよりもっと大切なものがあると言わんばかりだ。
そうかもしれない。
でも、そう言えるのは熟成して良い味が出るようになってからだろう。

僕にとっては、どんな味よりも先ず以てピッチが大切だけど。

♪2019-025/♪みなとみらいホール-01

2017年8月10日木曜日

フェスタサマーミューザ2017 昭和音楽大学 ≪灼熱のスペイン≫

2017-08-10 @ミューザ川崎シンフォニーホール


園田隆一郎:指揮
郡司菜月:バイオリン*
昭和音楽大学管弦楽団

シャブリエ:狂詩曲「スペイン」
ラロ:スペイン交響曲
ラヴェル:スペイン狂詩曲
ラヴェル:ボレロ

昭和大学のオケはなかなか上手だ。それにプログラムが僕の好みを直撃しており、フェスタサマーミューザ2017の全11回のコンサートの中でどのプロオケよりも楽しめそうという点で期待度が1番だった。
「灼熱のスペイン」という副題どおり、オール・スペイン音楽だが、いずれもスペイン人作曲家によるものに非ず、すべてフランス人作曲家によるものばかり。

スペイン人が作曲するより他国民が作曲した方が、あこがれも含んでスペインらしさが濃厚になるような気がする。

このプログラム構成に記憶があるなあと、これは帰宅後確認したら、昨年の同じフェスタサマーミューザで上岡敏之+新日本フィルで聴いたのとほぼそっくり。この時は「スペイン交響曲」の代わりにビゼーの「アルルの女」第1組曲とリムスキー=コルサコフ「スペイン奇想曲」が演奏されたが、他の3曲は同じで演奏順も同じ。リムスキー=コルサコフは言うまでもなくロシア人なので、この時も全曲が非スペイン人によるスペイン音楽だった。

そんな訳で、本日は2番煎じではあるものの4曲とも耳に馴染んだ名曲揃い。
中でも前回は聴けなかった大曲「スペイン交響曲」こそ、その本日の白眉となるはず…だったが。
バイオリン独奏の郡司菜月嬢。昭和音大の2年生という。全国学生音楽コンクールの入賞歴も、オケとの共演歴もあり上手だ。
でも、同じ場所で前日に小林美樹+日フィルを聴いていただけに、プロとアマの差は歴然とした。
演奏技術という点では、やや音圧が不足することを除けば不満はないのだけど、何より「官能とメランコリー」が不足する。真っ赤なドレスもそれを補うことはできなかった。

終楽章に至って、ようやく「スペイン」らしさを味わったが、えらく端正で教科書を開いているような音楽だったのが残念だ。まだ20歳ではやむを得ないのかもしれない。

そこで前半が終わり、休憩を挟んでラヴェルが2曲。
「スペイン狂詩曲」が始まると、もう、前2者とは管弦楽技法に明らかな相違を感じた。ラヴェルはシャブリエやラロとはほぼ30歳から50歳若い。その時代の差もあるのだろうが、やはり、感性の違いなのか。
第1バイオリンのパートを2分割したり3分割したりして、弦だけでも微妙な味わいを引き出している。他のパートでもやっていたかどうかは分からなかったが、一事が万事で「管弦楽」の表現世界を格段に煌びやかにしている。
昨年、新日本フィルで同じプログラムを聴いた際にそんな感慨は持たなかったのは直前が派手な「スペイン奇想曲」だったせいで気づかなかったのかもしれないが、僕の聴く耳も進歩しているのかも知れない。

最後は「ボレロ」。
この作品は聴く機会が多いが、昨夏の上岡敏之+新日本フィルがマイ・ベストだ。その後も今回までに既に他のオケで3回聴いてすべてそれなりに楽しんだが上岡ボレロを超えるものはなかった。
しかし、4回目に当たる園田+昭和音大ボレロはかなり肉薄したのに驚いた。

演奏時間16~7分だが、最弱音から始まって最強音で終わるまで、同じリズム、同じメロディがクレッシェンドしながら続くので、冒頭のスネアドラムの刻むリズムが絶対に大きすぎてはいけない。客席が息を潜め耳を澄まさなければ聴こえないくらいの最弱音が期待される。最初のメロディを奏でるフルートも思い切り小さな音でなければ終盤に向かっての長大なクレッシェンドの緊張感を維持することができない。

上岡ボレロはそこを徹底したところが素晴らしかったが、昭和音大の始まりのスネアの音も見事に小さい。あんなに弱音で正確なリズムを刻むことは難しいはずだが、上手に刻んだ。続くフルートはどうか。これもうんと小さな音で始まった。次のクラリネットも。かくして、弱小にスタートした音楽は2小節毎繰り返されるリズムに乗って、原始脳を刺激する官能的な音楽を繰り返しながら成長を続け遂に終盤の大クライマックスを迎えた。

誰が演ってもハズレなしの名曲とはいえ、アマオケとは思えない技量を聴かせ、大満足をしたものである。

♪2017-138/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-23

シャブリエ(1841-1894)
ラロ(1823-1892)
ラヴェル(1875-1937)

2015年6月7日日曜日

N響第1811回 定期公演 Aプログラム

2015-06-07 @NHKホール


ステファヌ・ドゥネーヴ:指揮
ルノー・カプソン:バイオリン*
NHK交響楽団

ラヴェル:道化師の朝の歌
ラロ:スペイン交響曲 ニ短調 作品21*
ルーセル:交響曲 第3番 ト短調 作品42
ラヴェル:ボレロ
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アンコール(バイオリンソロ)
グルック(クライスラー/ルノー・カプソン編):歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」から「メロディー」


前日、オール・ロシアプログラムを聴いた翌日はオール・フランスプログラムだった。
指揮のドゥネーヴも、バイオリンのカプソンもフランス人で、完璧なフランス尽くし。因みに次のコンサート(神奈川フィルみなとみらい定期)もオール・フランスときている。まあ、こういうことってあるんだ。

さて、ラヴェルの「道化師の歌」は昔、FMのクラシック放送にかじりついていた頃に確かに聴いた覚えはあったがその後長らく聴いたことがなく、CDも持っていないのですっかり忘れていた。

原曲はピアノのための5曲から成る組曲「鏡」の中の第4曲で、そのタイトルは「Alborada del gracioso」。スペイン語だ。意味は日本語訳のとおり。
曲調はフラメンコの音楽のようで調子が良い点は「道化師」を表しているのだろうけど、あまり「朝」という雰囲気ではない。でも、全篇スパニッシュなのだ。


次が、本来ならメインイベントでもいいような最長大曲のラロの「スペイン交響曲」。
交響曲と言いながら実際は5楽章構成のバイオリン協奏曲だ。
ラロの唯一のポピュラーな作品だと思う。純粋な交響曲も書いているようだが、こちらは聴く機会があるだろうか。

ここで、ルノー・カプソンが大活躍をする。
多分、技術的には相当難しいのだろう。ラロはこの曲を「ツィゴイネルワイゼン」の作曲者として有名でバイオリンの名人でもあるサラ・サーテに献呈し、彼によって初演されている。

「スペイン交響曲」というタイトルはラロ自身がつけたらしい。彼自身スペイン系であったという事情もあるのだろう(ほかにも「ロシア協奏曲」、「ノルウェイ幻想曲」などというタイトルの実質バイオリン協奏曲も書いているが。)。
音楽は、その名のとおりもう出だしから、スペイン色に溢れている。まあ、それだけ親しみ深い。バイオリンの名人芸とド派手な管弦楽を堪能できる。



休憩を挟んでルーセルの交響曲第3番。
作曲家の存在は知っていたけど、彼の音楽を自覚的に聴くのは初めてだった。
なんとなく、現代の作曲家というイメージを持っていたが、ラヴェル(1875年生まれ)より6年早く生まれている。
しかし、音楽は、かろうじて調性(ト短調)を残しているものの、歌えるような旋律はなく、ストラヴィンスキーを思わせるような(いやいや、ストラヴィンスキーの方がまだ歌があるな。)、強烈なリズムの継続と変化に終始する。
それがつまらないかといえば、面白くもあるのだ。新古典主義だそうだが、モダンの手前ぎりぎりのところで踏みとどまっているのだろう。


いよいよ最後はお馴染み「ボレロ」である。
過去何度もナマで聴いているが、何度聴いてもラヴェルが用意周到に準備した巧妙な仕掛け…同じ旋律を何度も繰り返し、その度にメロディー楽器が変わり、編成が増え、音量が増加してゆくが、ボレロのリズムは微動だにしない。そしていやが上にも高まったところで、急転直下様相を変えて終結する。
その間緊張が途切れることなく音楽とともに気分も高揚し、ラストのクライマックスに突如吹っ切れる極度の爽快感がある。それが大いなるカタルシスなのだ。

15分程度の、いわば小品だけど、これこそ一夜のコンサートを締めくくるにふさわしい。



館内は久しぶりに割れんばかりの大歓声と拍手だった。
ドゥネーヴがN響と初顔合わせということもあり、音楽の出来もさることながらようこそN響へ、という観客の気持ちの現われだったろう。指揮者に花束が贈呈されるという、N響のステージではめったにないこともあった。

さらに思いがけない出来事は、首席トランペットの関山幸弘氏にも
花束が贈呈された。最初はボレロの演奏のソリストとして祝福を受けたのかと思ったが、それならもっと他にもたくさんのソロプレイヤーが花束をもらっても良さそうなものだ。
そのうち、指揮者が花束を抱いた関山氏をステージの中央指揮台のそばまで引っ張りだして、拍手を受けさせたので、言葉での説明はなかったけど、ああ、彼がこれで定年退職するんだということが分かった。

N響6月定期はこの後BプログラムとCプログラムが開催されるので、それらに彼が出演するのかどうか知らないけど、Aプログラムのコンサートとしては最後の出演だったわけだ。
テレビのN響コンサートでもほぼ毎回のように顔を見せ、素晴らしい演奏を聴かせてくれたので、これからはN響のステージでは(客演があるかもしれないが)ほぼ聴くことができなくなるのだろう。惜しいことだ。
ま、後を継ぐ人達も優れた人ばかりだと思うけど。

あ、ボレロまで聴いて気づいたのだけど、ボレロはスペイン風バレエ音楽として委嘱を受け作曲されたものだ。

すると。この日のフランス音楽集は、ルーセルを除けば、3曲ともフランス音楽と言いながら、実はスパニッシュの香り高い音楽ばかりだったのだ。そういう目論見だったのか、偶然だったのか、分からないが、まあ、フランスとスペインは国境を接しているし、同じラテン系だから、音楽の成り立ちも同根の部分が多いのだろうとは思うけど。

♪2015-54/♪NHKホール-05