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2017年5月31日水曜日

東京都交響楽団 第828回 定期演奏会Aシリーズ

2017-05-31 @東京文化会館


小泉和裕:指揮
東京都交響楽団
アブデル・ラーマン・エル=バシャ:ピアノ*

ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 op.73《皇帝》*
シューマン:交響曲第2番ハ長調 op.61

終身名誉指揮者の小泉和裕のタクトでエル=バシャと組んだ都響が素晴らしい「皇帝」を聴かせてくれた。
<合奏=アンサンブル>の安定感はいつも感ずることだが、今回は、これにピアノ独奏が加わってもまったく揺るぎない合奏のお手本を聴いた気がする。

協奏曲であるからには、独奏とオケが何度も往来する。ピアノのフレーズが一段落してオケが流れを引き取る場合は、ピアノの最終強打が同時にオケのTuttiであることが多い。これが往々にして合わないものだ。ピアノが先んじて終結することが多い。

これは生演奏の勢いみたいなもので、たいていは許容範囲だ。協奏曲でなくとも盛上がったティンパニの打撃がオケとは僅かに前後することも少なからず。
が、しかし。エル=バシャとオケはピタッと合うのが凄い。
これは三者が同じ呼吸をしているからだ。

特に楽章の最後の強奏打撃の間隔は微妙にタメが入るものだ。測れないほど僅かにリズムの間合いが伸びることで終曲効果を高める。これがわざとらしいと興醒めだが、小泉師の間合いは絶妙で団員も飲み込んでいるのだろう。ピアノも微妙な間合いに完全合致。

なにもそんなところばかり聴いていた訳ではないが、独奏パートも見事で、力強く、それでいて歌うべきところはちゃんとテンポ・ルバートをかけて情感を表現しながら、尻をピタリと合わせる。
過去に聴いた「皇帝」の中で一番皇帝らしい威厳を備えていた。

シューマンの2番は、第1楽章冒頭、管と弦がバラバラでしっくり来ないのは、都響のせいではなかろう。ほかのオケで聴いたときも同じ不満を感じた。家でCDを聴いても同じだ。シューマンの情緒不安定のせいかオーケストレーションの不備ではないか。

開始から2分程で、急に霧が晴れたように音楽の輪郭が見えてくる。それ以降終曲までシューマンらしく迷走する浪漫が感じられて面白い。
この2番をマーラーが編曲しているそうで、神奈川フィル7月定期ではこの編曲版を使うという。どんな響か楽しみだ。

♪2017-095/♪東京文化会館-10

2016年5月3日火曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2016 No.157 アブデル・ラーマン・エル=バシャ ピアノ・リサイタル

2016-05-03 @東京国際フォーラムD7


アブデル・ラーマン・エル=バシャ(ピアノ)

グラナドス:ゴイェスカスー恋するマホたち


フォーレの夜想曲を2回に分けて全曲演奏するというから楽しみにしていたのだけど、会場に出かけたら悲しい貼り紙が。
ジャン=クロード・ペヌティエが体調不全で代役(エル=バシャ)に代わり、演奏曲目もグラナドス作ピアノ組曲「ゴイェスカス~」に変更された。

代役のエル=バシャには申し訳ないが、聴きたかったのはフォーレだもの。大いに残念。

「ゴイェスカス~」って聞いたことがあるが、ほかの作曲家の作品だったろうか。その意味は(画家の)「ゴヤ風」の音楽という意味らしいから、他の作曲家の作品にもこういうタイトルを持ったものがあってもおかしくないな。

ゴヤ風かどうかははともかく、スペイン風であることは確かだ。
馴染みがなかったので、わかりやすい音楽ではあるのだけど、あまり楽しめなかったな。


♪2016-55/♪東京国際フォーラム-04

2015年5月2日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015 No.113 恋する作曲家たち~ブラームスの秘めた激情


2015-05-02 @東京国際フォーラムA


アジス・ショハキモフ:指揮
アブデル・ラーマン・エル=バシャ:ピアノ
デュッセルドルフ交響楽団

ブラームス:ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 op.15


よみうりホールで不完全「熱狂」の次はそのキャパシティが約5倍というマンモスホールだ。これだけ広いとある程度前の方の席を確保しなければ欲求不満に陥るおそれがある。

今年の「熱狂の日」は全9公演すべてS席というプチ贅沢をしたが、このホールAは収容人員5千人超というマンモスホールなので、Sだからと言っても良い席とは限らない。

このコンサートではやや上手寄りだったが、この広大な空間としてはかなり前の方が取れた。
まあ、上等な位置だろう。

このステージに立った演奏家たちを全く知らなかった。
デュッセルドルフ交響楽団の名前は聴いたことがあるけど演奏はどうかなあ。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番はお気に入りの曲だ。
ティンパニーロールから弦が不気味に迫ってくる。
これをCDで聴いているととても迫力があっていい音楽なのだけど、この日もちょっと疑問が湧いた。


先月末にサントリーホールで日フィル(ピエタリ・インキネン:指揮、アンジェラ・ヒューイット:ピアノ)の演奏を聴いた時に感じた不満を今回も感じたのは、僕の体調のせいでもなかろう。

天才ブラームスの作品にケチをつけるのはとんでもないことだが、この冒頭はやはり非常に大切な部分で、全体の印象を決定づける。ところが、ティンパニーの強烈な地響きのようなロールに対して、弦の入りの音楽は音程が低いためにティンパニーにかき消され気味で、音の厚みに欠けるように思う。そこが物足りないのだ、とこの日改めて思った。CDではおそらくバランスよく録音してあるから強奏部分の音抜けはないのではないか。
さりとて、この協奏曲をナマで聴くのは昨日今日に始まったことではないが、以前は感じなかったことを感ずるようになったのは、少しは感性が磨かれたのか、逆に雑念が入るようになったのか、どうなのだろう。

いずれ再び聴く機会は近く訪れるだろう。
その時、この第一楽章冒頭をやはり空疎な響と感ずるのだろうか。

♪2015-37/♪東京国際フォーラム-01