ラベル アレクサンドル・タロー の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル アレクサンドル・タロー の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年10月17日火曜日

アレクサンドル・タローが描くエリック・サティの世界

2023-10-17 @フィリアホール



ピアノ・構成:アレクサンドル・タロー
テノール:ジャン・ドゥルスクルーズ*
語り(エリック・サティ役):鬼倉龍大

オール「エリック・サティ」プログラム
<75分間休憩なし>

バラ十字団のファンファーレ第3番 「大僧院長の歌」
グノシェンヌ第3番
男やもめ*
ジュトゥヴ
梨の形をした3つの小品から
 「開始のひとつのやり方」(ピアノデュオ)*
1916年の3つの歌曲から
 「ブロンズの彫像」*
 「伊達男」*
 「帽子屋」*
エンパイヤ劇場の歌姫*
潜水人形から
 「ネズミの頭」*
 「アメリカ人の娼婦」*
 「詩人の唄」*
 「猫のシャンソン」*
ひからびた胎児
いいとも、ショショット*
グノシェンヌ第1番
ジムノペディ第1番



A.タローはだいぶ前にショスタコPf協2番@都響を聴いたことがあるがリサイタルは初めて。

プログラムは「E.サティの世界」というタイトルで、オール・サティ作品。75分間ノンストップでピアノ演奏のほかテノール歌唱、朗読を通じて変人サティの人間像と音楽性を描こうとするものでタロー自身が構成をしている。

小品というより掌編というのがふさわしいような短いものを17曲!この中にはTnによる歌曲10曲と、その歌手と一緒に弾いたPfデュオも1曲含まれる。
それに、サティになりきった朗読者が自己紹介や人生観などを(日本語で)披露する。

サティがとんでもないネーミングの音楽を書いたり、内容もヘンテコな音楽を書いているのは承知していたが、今日の演奏の中には、本当にサティが作曲したのかと信じられないような冗談のような作品もあった。

しかし、面白い企画だったが、成功したとは言い難い。
朗読者の声が小さく、僕の席はずいぶん前だったが、それでも語尾がはっきりと聞き取れない部分が多く、興醒めだった。

とはいえ、最後の2曲はやはり取って置きという感じで、馴染みのグノシェンヌやジムノペディ(先に弾いたジュトゥヴも)などは、鍵盤に指が触れたか触れないかというような繊細なピアニズムで、やはりドイツ音楽とは全く異なる世界の美意識を味わった。

♪2023-175/♪フィリアホール-04

2018年3月26日月曜日

東京都交響楽団 第850回 定期演奏会Bシリーズ

2018-03-26 @サントリーホール


エリアフ・インバル:指揮
アレクサンドル・タロー:ピアノ*

ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番ヘ長調 op.102*
ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14
--------------
アンコール
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番ヘ長調から第2楽章*

ショスタコのピアノ協奏曲第2番はCDで何十回も聴いているが少しも頭に入らなくて、今日は初めて生を聴いたのだけど、いつも聴いている同じ音楽だとななかなか思えなかったくらいだ。

あらためて向かい合ってみるとなかなかおもしろいし、特に中間楽章は、ショスタコとは思えないほど甘美で癒される音楽だ。ショパンかラフマニノフだと言われたらそうかもと思ったろうな。

この楽章を、アンコールにオーケストラと一緒に演奏してくれたのは良かった。

幻想交響曲は5日前にコバケン指揮日フィル(みなとみらいホール)で聴いたばかりだ。この日フィルの演奏がとても良かったので、果たして、都響の腕前は如何、と興味深く傾聴したが、どうも弦の高域に僅かに濁りがある。これはどのオケでも時々感ずるのだが、どうしてだろう。聴き手の体調とか、温湿度などの関係もあるのだろうか。

一つ言えることは、ホールの響の良さはサントリーホールよりもみなとみらいホールの方が僅かだけど、確実に優れている。良いアンサンブルを一層よく響かせてくれるのがみなとみらいだ(タケミツメモリアルも同じ印象を持っている。)。
そのせいで、今日の都響の弦の高域に耳障りなものを感じたのかもしれないが、ただ、オケが出さない音をホールが増幅する訳はないので、やはり、今日に限っては都響の高域弦が一糸乱れずとはゆかなかったのではないか。

迫力はあるし、合奏力は優れている。
日フィルを聴いていなければ、終演後の大歓声の中に混じって僕も思い切り拍手していたかもしれない。

♪2018-032/♪サントリーホール-02