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2022年11月23日水曜日

新国立劇場 開場25周年記念公演 モデスト・ムソルグスキー「ボリス・ゴドノフ」<新制作>

2022-11-23 @新国立劇場



大野和士:指揮
【演出】マリウシュ・トレリンスキ
【美術】ボリス・クドルチカ
【衣裳】ヴォイチェフ・ジエジッツ
【照明】マルク・ハインツ
【映 像】バルテック・マシス
【ドラマトゥルク】マルチン・チェコ
【振付】マチコ・プルサク

【合唱指揮】冨平恭平
【合唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京都交響楽団

【ボリス・ゴドゥノフ】ギド・イェンティンス
【フョードルの声】小泉詠子
【クセニア】九嶋香奈枝
【乳母】金子美香
【ヴァシリー・シュイスキー公】アーノルド・ベズイエン
【アンドレイ・シチェルカーロフ】秋谷直之
【ピーメン】ゴデルジ・ジャネリーゼ
【グリゴリー・オトレピエフ(偽ドミトリー)】工藤和真
【ヴァルラーム】河野鉄平
【ミサイール】青地英幸
【女主人】清水華澄
【聖愚者の声】清水徹太郎*
【ニキーティチ/役人】駒田敏章
【ミチューハ】大塚博章
【侍従】濱松孝行
*本プロダクションでは、聖愚者は歌唱のみの出演。


モデスト・ムソルグスキー
ボリス・ゴドノフ<新制作>

プロローグ付き全4幕
〈ロシア語上演/日本語及び英語字幕付〉

予定上演時間:約3時間25分
 プロローグ・第Ⅰ幕  70分
  休憩   25分
 第Ⅱ・Ⅲ幕        40分
  休憩   25分
   第Ⅳ幕            45分



少なくとも3つの版があり、それを上演に当たっては演出家が弄くり回すので、何が本来のボリスの姿なのかよく分からない。
版の違いを含め筋書きは理解しているつもりだったが、知っているとむしろ混乱する。さりとて知らなきゃさっぱり分からない。

今回は許容限度を超えた奇妙奇天烈な演出だった。
序幕で既にボリスが登場し、その息子フョードルは重度の障がい者だ。彼と乳母はボリスの娘クセニアの友人という設定!え?姉弟ではないのか?

フョードルは黙役で歌はMsが歌う。
と同時に彼は聖愚者でもあり、その歌はTnが歌う。

全く、何をどう補えば合理的に受け止められるのだろう。

つまり、筋書きは荒唐無稽なので、なまじ知識が邪魔して少しも頭に入らない。

ボリスは僭称王に追い詰められ息子を殺す!これも原作を大きく逸脱した演出で吃驚。

僭称王は、逆さ釣りのボリスの心臓にナイフを入れ、滴る血をグラスで飲む。なんてこった!猟奇ドラマか!

ま、オペラ観賞史上最悪の作品だった。胸糞悪し!

♪2022-175/♪新国立劇場-12

2021年11月24日水曜日

オペラ夏の祭典2019-20 Japan↔Tokyo↔World リヒャルト・ワーグナー ニュルンベルクのマイスタージンガー<新制作>

2021-11-24 @新国立劇場



【指 揮】大野和士
【演 出】イェンス=ダニエル・ヘルツォーク
【美 術】マティス・ナイトハルト
【衣 裳】シビル・ゲデケ
【照 明】ファビオ・アントーチ
【振 付】ラムセス・ジグル
【演出補】ハイコ・ヘンチェル
【舞台監督】髙橋尚史

【合唱指揮】三澤洋史
【合 唱】新国立劇場合唱団、二期会合唱団
【管弦楽】東京都交響楽団
【協力】日本ワーグナー協会


ハンス・ザックス⇒トーマス・ヨハネス・マイヤー
ファイト・ポーグナー⇒ギド・イェンティンス
クンツ・フォーゲルゲザング⇒村上公太
コンラート・ナハティガル⇒与那城敬
ジクストゥス・ベックメッサー⇒アドリアン・エレート
フリッツ・コートナー⇒青山貴
バルタザール・ツォルン⇒秋谷直之
ウルリヒ・アイスリンガー⇒鈴木准
アウグスティン・モーザー⇒菅野敦
ヘルマン・オルテル⇒大沼徹
ハンス・シュヴァルツ⇒長谷川顯
ハンス・フォルツ⇒妻屋秀和
ヴァルター・フォン・シュトルツィング⇒シュテファン・フィンケ
ダーヴィット⇒伊藤達人
エーファ⇒林正子
マグダレーネ⇒山下牧子
夜警⇒志村文彦

リヒャルト・ワーグナー
ニュルンベルクのマイスタージンガー<新制作>
全3幕〈ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付〉

予定上演時間:約5時間55分
第Ⅰ幕 95分
 休憩 30分
第Ⅱ幕 70分
 休憩 30分
第Ⅲ幕130分


途中の休憩込みで5時間55分という超大作。
中でも一番の心配は第3幕の130分間だ。

幕間から開演を待ち、終演後のカーテンコールを経て整列退場まで所要見込みは150分間。

この間に”自然”が我を呼ばねばいいがと祈るような気持ちだったが、できるだけ水を断ち、膝から足下まで防寒して臨んだら、これが無問題・無事観了!


二番目の心配は演出だ。

新国立劇場のサイトに演出家のコメント動画でニュルンベルクを「劇場に設定」したとあったので、やれやれまた劇中劇かと心配していたが、日本版ではだいぶ志を曲げたようだ。

新国立劇場の本来の額縁の中に拵えられた劇場額縁。その中にさらに劇場という3重構造は徹底されなかったので、見かけは気にせずワグナーの台本どおりに脳内転換して楽しんだ。

とはいえ、危なっかしい問題を孕んだ作品。

歌合戦の商品に娘を差し出すとは何たる不埒。
芸術の名を借りたドイツ至上主義が後々ナチズムとの関係を指弾されている。
明示的に示されないがユダヤ人を虚仮にして侮辱する不愉快さ。

ワーグナー唯一の喜劇とされるがこれは笑えない。

しかし、今回の演出版ではラストのアイデアが、それらの鬱憤を晴らす鉄槌となった。


残念ながら全体がそのような方向を目指して設計されていないので(歌詞を変えない限り無理)、不整合で唐突感は拭えないが、フツーの終わり方よりはずっとマシだ。

歌でも光ったエーファ役の林正子が本当に美味しいところを拐った。

音楽はいい。
話に納得できなくとも音楽にはやられた。
とりわけ、3幕の耳に馴染んだ旋律が、合唱を伴い、客席2階バルコニーに陣取ったバンダのラッパを従えて堂々と演奏されるところでは、震えが来た。

♪2021-137/♪新国立劇場-11