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2019年3月19日火曜日

三月歌舞伎公演(小劇場)元禄忠臣蔵/積恋雪関扉

2019-03-19 @国立劇場


(主な配役)
『元禄忠臣蔵』
徳川綱豊卿⇒中村扇雀
富森助右衛門⇒中村歌昇
中臈お喜世⇒中村虎之介
新井勘解由⇒中村又五郎
                     ほか
『積恋雪関扉』
関守関兵衛実ハ大伴黒主⇒尾上菊之助
良峯少将宗貞⇒中村萬太郎
小野小町姫/傾城墨染実ハ小町桜の精⇒中村梅枝

真山青果=作
真山美保=演出
●元禄忠臣蔵(げんろくちゅうしんぐら)二幕五場
 御浜御殿綱豊卿 (おはまごてんつなとよきょう)
      伊藤熹朔=美術
      中嶋八郎=美術
第一幕 御浜御殿松の茶屋
第二幕 御浜御殿綱豊卿御座の間
        同      入側お廊下
        同      元の御座の間        
        同      御能舞台の背面

宝田寿来=作
●積恋雪関扉 (つもるこいゆきのせきのと) 
 常磐津連中
 国立劇場美術係=美術

小劇場での公演は12年ぶりだそうな。僕は初めての経験だ。小劇場だから2階はない。故に、第劇場公演ならいつも決まって席を取るお気に入りの2階最前列花道寄り通路側で観ることもできない。で、どうせ1階で観るなら前方花道寄りがよかろうとその辺をとったが、これが大正解だった。

個々の役者の熱心なファンという訳ではないので、役者がよく見えるより、舞台全体を俯瞰したいというのが2階最前列の意図なのだけど、今回は、役者の近くに座ってみ、なるほどこういう楽しみ方もあるかと納得した。

やはり迫力がある。セリフが聞き取りやすい。

さて、小劇場での公演は、国立劇場の説明によると、「上演が途絶えていた名作の復活や、次代を担う俳優が初めて大役を勤める舞台など“挑戦する小劇場歌舞伎”として上演を重ねてきました。」そうだ。

なるほど、それで、大看板は出ていないが、ベテランに中堅を配し、かなり意欲的な布陣とみた。

「元禄忠臣蔵」では扇雀、又五郎というベテランに対し、歌昇と虎之介が担ったのは彼らがこれまで演じていた役より少し大きめの役であったように思う。そこでの彼らの熱演は、これまでの2人の印象をガラッと変えてしまった。
歌昇も虎之助も実にうまい。なるほど与えられたら大きな役もできる力を持っているのだ、と大いに感心した。

常磐津の大曲『積恋雪関扉』での菊之助と梅枝も同様で、菊之助の場合は既に中看板くらいの存在になっていると思うが、それでも大伴黒主は初役だそうだ。因みに、今回の歌昇、虎之介、梅枝が演じた役もすべて初役。)。

これまでにも大ベテランで観たことがある演目であるが、その面白さは分からないでいたが、この2人も実に熱の入った演技で目が覚めるように話がよく分かって踊りも楽しむことができた。

国立劇場ならではの企画だが、見事に成功したと思う。何年かに一度はこういう機会を若手に与えることは大切なことだと、観客にも納得させる内容だった。

♪2019-034/♪国立劇場-05

2015年2月5日木曜日

松竹創業120周年二月大歌舞伎

2015-02-05 @歌舞伎座


一 吉例寿曽我(きちれいことぶきそが)
 鶴ヶ岡石段の場
 大磯曲輪外の場

 近江小藤太 又五郎
 八幡三郎 錦之助
 化粧坂少将 梅枝
 曽我五郎 歌昇
 曽我十郎 萬太郎
 朝比奈三郎 巳之助
 喜瀬川亀鶴 児太郎
 秦野四郎国郷 国生
 茶道珍斎 橘三郎
 大磯の虎 芝雀
 工藤祐経 歌六

二 彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)

 毛谷村六助 菊五郎
 お園 時蔵
 微塵弾正実は京極内匠 團蔵
 お幸 東蔵
 杣斧右衛門 左團次

三 積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)

 関守関兵衛実は大伴黒主 幸四郎
 小野小町姫/傾城墨染実は小町桜の精 菊之助
 良峯少将宗貞 錦之助


江戸歌舞伎においては、正月興行には曽我兄弟の仇討を素材にした所謂「曽我狂言」を上演するのが吉例となっているそうだ。
と言っても、仇討の端緒も仇討ちに至る艱難辛苦も肝心の仇討ちも描かれない。「伊賀越え」と比べると物語としての面白みはない。

が、ここが歌舞伎の難しいところであり面白いところで、舞台芸能の一つの洗練された型を楽しむものなのだろう。

なぜ、正月を寿ぐ演目になっているのか、劇場で買った筋書きにも説明がなかった(と思う)が、おそらく書く必要も感じないくらい吉例になっているからだろうが、素人考えでは、仇討ちを果たせたということがおめでたいということのほかに、仇討の舞台が富士の裾野であるということがその理由ではないかと思う。
仇討ちがめでたいなんて、野蛮な感じもするけど。

1幕2場で、その場面転換は鶴岡八幡宮の石段が90度持ち上がって富士山を望む大磯曲輪の外に早替わりするという「がんどう返し」だ。奇しくも1年前の1日違いの歌舞伎座で「青砥稿花紅彩画」を観た時にもこの「がんどう返し」があった。
石段に役者が乗ったまま立ち上がってゆくのだから怖いだろうな。

江戸歌舞伎の様式美を勉強するには良い作品のようだが、巻物の取りっこだけで終始するような筋に、なにか今日的な色付けはできないものかと正直なところ残念感が漂ったなあ。

「積恋雪関扉」も、芝居というより常磐津を伴奏にした舞踊劇で、「曽我」ともども頭のスイッチを切り替えて楽しむべき演目だ。

この作品で覚えたこと。
「見顕(あらわ)し」と「ぶっ返り」。
自ら本性を顕にすることと、多くの場合その際に瞬間的に衣裳を変えることをいう。
幸四郎演ずる関守関兵衛、実は大伴黒主だと正体を顕す際に衣裳を手早く赤から黒主体に変え、菊之助が演ずる傾城墨染は墨染の桜模様から明るい桜模様の衣裳に変えて小町桜の精の正体を顕した。
菊之助は立役では甘いマスクが邪魔をすることがあるけど女形はホンに似合う。



この3枚は團十郎と藤十郎の舞台。Eテレから
やはり楽しめたのは「彦山権現誓助剱」。
元は人形浄瑠璃だそうで、その中から九段目の「毛谷村(けやむら)」だけが歌舞伎として伝わっているそうだ。

百姓だが剣術の使い手でもある六助(菊五郎)は、彼が託されて育てている幼い弥三松(やそまつ)と二人暮らしだが、その日、あれこれあった挙句、訪ねてきた老婆お幸(東蔵)と弥三松の叔母であるお園(実はお幸の娘で六助の許嫁⇒時蔵)が顔を合わせることになり、お園の仇が六助にとっても憎い相手であると分かって、(別の)老婆を殺された村人たちの願いもあって、仇討ちに出かけよう、という(ところで終わる)話だ。

話自体はありふれているけど、お園が俄然面白い。よくこういうキャラクターを考えたものだ。
登場は虚無僧姿で、悪者をやっつけるが、六助はその虚無僧が本物ではないことを見抜く。実は…と正体を明かせば怪力女であった。そして話しているうちに六助が父の決めた許嫁だと分かるや途端にしおらしく恥じらいを見せたりしながらも、つい片手で臼を転がしたり、甲斐甲斐しく台所に立つも火吹き竹と間違えて尺八を吹くとか、実におかしい。

前に同じ菊五郎と時蔵のコンビで「魚屋宗五郎」を観た時も面白くて、特に時蔵がすごく巧いと思ってそれ以来楽しみにしているけど、今回も期待を裏切らなかったなあ。


今回は3つの演目というより3通りの歌舞伎を楽しんだ。
たくさんの引き出しを持っている芸能だ。

♪2015-11/♪歌舞伎座-01