2015-02-05 @歌舞伎座
一 吉例寿曽我(きちれいことぶきそが)
鶴ヶ岡石段の場
大磯曲輪外の場
近江小藤太 又五郎
八幡三郎 錦之助
化粧坂少将 梅枝
曽我五郎 歌昇
曽我十郎 萬太郎
朝比奈三郎 巳之助
喜瀬川亀鶴 児太郎
秦野四郎国郷 国生
茶道珍斎 橘三郎
大磯の虎 芝雀
工藤祐経 歌六
二 彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)
毛谷村六助 菊五郎
お園 時蔵
微塵弾正実は京極内匠 團蔵
お幸 東蔵
杣斧右衛門 左團次
三 積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)
関守関兵衛実は大伴黒主 幸四郎
小野小町姫/傾城墨染実は小町桜の精 菊之助
良峯少将宗貞 錦之助
江戸歌舞伎においては、正月興行には曽我兄弟の仇討を素材にした所謂「曽我狂言」を上演するのが吉例となっているそうだ。
と言っても、仇討の端緒も仇討ちに至る艱難辛苦も肝心の仇討ちも描かれない。「伊賀越え」と比べると物語としての面白みはない。
が、ここが歌舞伎の難しいところであり面白いところで、舞台芸能の一つの洗練された型を楽しむものなのだろう。
なぜ、正月を寿ぐ演目になっているのか、劇場で買った筋書きにも説明がなかった(と思う)が、おそらく書く必要も感じないくらい吉例になっているからだろうが、素人考えでは、仇討ちを果たせたということがおめでたいということのほかに、仇討の舞台が富士の裾野であるということがその理由ではないかと思う。
仇討ちがめでたいなんて、野蛮な感じもするけど。
1幕2場で、その場面転換は鶴岡八幡宮の石段が90度持ち上がって富士山を望む大磯曲輪の外に早替わりするという「がんどう返し」だ。奇しくも1年前の1日違いの歌舞伎座で「青砥稿花紅彩画」を観た時にもこの「がんどう返し」があった。
石段に役者が乗ったまま立ち上がってゆくのだから怖いだろうな。
江戸歌舞伎の様式美を勉強するには良い作品のようだが、巻物の取りっこだけで終始するような筋に、なにか今日的な色付けはできないものかと正直なところ残念感が漂ったなあ。
「積恋雪関扉」も、芝居というより常磐津を伴奏にした舞踊劇で、「曽我」ともども頭のスイッチを切り替えて楽しむべき演目だ。
この作品で覚えたこと。
「見顕(あらわ)し」と「ぶっ返り」。
自ら本性を顕にすることと、多くの場合その際に瞬間的に衣裳を変えることをいう。
幸四郎演ずる関守関兵衛、実は大伴黒主だと正体を顕す際に衣裳を手早く赤から黒主体に変え、菊之助が演ずる傾城墨染は墨染の桜模様から明るい桜模様の衣裳に変えて小町桜の精の正体を顕した。
菊之助は立役では甘いマスクが邪魔をすることがあるけど女形はホンに似合う。
やはり楽しめたのは「彦山権現誓助剱」。
元は人形浄瑠璃だそうで、その中から九段目の「毛谷村(けやむら)」だけが歌舞伎として伝わっているそうだ。
百姓だが剣術の使い手でもある六助(菊五郎)は、彼が託されて育てている幼い弥三松(やそまつ)と二人暮らしだが、その日、あれこれあった挙句、訪ねてきた老婆お幸(東蔵)と弥三松の叔母であるお園(実はお幸の娘で六助の許嫁⇒時蔵)が顔を合わせることになり、お園の仇が六助にとっても憎い相手であると分かって、(別の)老婆を殺された村人たちの願いもあって、仇討ちに出かけよう、という(ところで終わる)話だ。
話自体はありふれているけど、お園が俄然面白い。よくこういうキャラクターを考えたものだ。
登場は虚無僧姿で、悪者をやっつけるが、六助はその虚無僧が本物ではないことを見抜く。実は…と正体を明かせば怪力女であった。そして話しているうちに六助が父の決めた許嫁だと分かるや途端にしおらしく恥じらいを見せたりしながらも、つい片手で臼を転がしたり、甲斐甲斐しく台所に立つも火吹き竹と間違えて尺八を吹くとか、実におかしい。
前に同じ菊五郎と時蔵のコンビで「魚屋宗五郎」を観た時も面白くて、特に時蔵がすごく巧いと思ってそれ以来楽しみにしているけど、今回も期待を裏切らなかったなあ。
今回は3つの演目というより3通りの歌舞伎を楽しんだ。
たくさんの引き出しを持っている芸能だ。
♪2015-11/♪歌舞伎座-01