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2024年12月12日木曜日

新国立劇場オペラ「魔笛」

2024-12-12 @新国立劇場



【指揮】トマーシュ・ネトピル
【演出】ウィリアム・ケントリッジ
【美術】ウィリアム・ケントリッジ、ザビーネ・トイニッセン
【衣裳】グレタ・ゴアリス

【合唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団


ザラストロ⇒ マテウス・フランサ
タミーノ⇒ パヴォル・ブレスリック
弁者/僧侶Ⅰ/武士II⇒ 清水宏樹
僧侶Ⅱ/武士I⇒ 秋谷直之
夜の女王⇒ 安井陽子
パミーナ⇒ 九嶋香奈枝
侍女I⇒ 今野沙知恵
侍女II⇒ 宮澤彩子
侍女III⇒ 石井藍
童子I⇒ 前川依子
童子II⇒ 野田千恵子
童子III⇒ 花房英里子
パパゲーナ⇒ 種谷典子
パパゲーノ⇒ 駒田敏章
モノスタトス⇒ 升島唯博

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト:
歌劇「魔笛」
全2幕〈ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付〉

予定上演時間:約3時間
第Ⅰ幕
 70分
 --休憩25分--
第Ⅱ幕
 85分





4日前に藤沢市民オペラで観たばかりの「魔笛」だ。
新国立劇場版はWケントリッジの演出で3回目。
前2回の我が鑑賞ノートを読んでみたら悪口ばっかり書いている。

舞台美術がつまらない。終始暗い。
そもそも、物語は謎だらけだ。
それらの謎解きをしてくれても良いはずの2幕が長すぎて(85’)、詰め込まれた多くのエピソードの関連が分からない。

…と、自分の勉強不足を棚に上げて毎回不満を募らせている。でも、新国立劇場の前の版も日生劇場ほかのプロダクションとかこの作品はそこそこ観ているけど、物語に納得できないのはいつも同じ。

これがモーツァルトの最後のオペラで最高傑作と言われているけど、理解できないよ。
でもいつかそのゆえんを理解できる日が来るか…楽しみにておこう。

藤沢版に比べると、オケはダンチで、音楽面は充実していて聴きごたえがあった。


♪2024-170/♪新国立劇場-13

2024年11月28日木曜日

新国立劇場オペラ「ウィリアム・テル」 <新制作>

 2024-11-28 @新国立劇場




【指揮】大野和士
【演出/美術/衣裳】ヤニス・コッコス
【アーティスティック・コラボレーター】アンヌ・ブランカール
【照明】ヴィニチオ・ケリ
【映像】エリック・デュラント
【振付】ナタリー・ヴァン・パリス

【合唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

ギヨーム・テル(ウィリアム・テル)⇒ゲジム・ミシュケタ<22年椿姫>
アルノルド・メルクタール⇒ルネ・バルベラ<20年セビリアの理髪師/21年チェネレントラ/22年N響ヴェル・レク>
ヴァルテル・フュルスト⇒須藤慎吾
メルクタール⇒田中大揮
ジェミ⇒安井陽子
ジェスレル⇒妻屋秀和
ロドルフ⇒村上敏明
リュオディ⇒山本康寛
ルートルド⇒成田博之
マティルド⇒オルガ・ペレチャッコ<17年ルチア/18年N響カルミナ・ブラーナ>
エドヴィージュ⇒齊藤純子

狩人⇒佐藤勝司


ジョアキーノ・ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」<新制作>
全4幕〈フランス語上演/日本語及び英語字幕付〉

予定上演時間:約4時間35分
第Ⅰ幕
 75分
 --休憩30分--
第Ⅱ幕
 55分
 --休憩30分--
第Ⅲ・Ⅳ幕
 85分




序曲は聴く機会が多いけど、オペラ本編は放映・ビデオでも観たことがない。
実際、滅多に上演されないと思う。

歌唱技術の難しさ、合唱・バレエに大勢が必要、何より長くて、正味4時間というから、2度の休憩を挟むと拘束5時間だ。ワーグナー並だよ。
そんな理由で上演されないのだろう。
でも、今回初めて観て、それだけじゃない。面白くないというのも重要な理由だろうと思った。

そういうこともあってか、新国立劇場が新制作した今回の作品も、少し端折ってあったかもしれない。

まあ、とにかく長く、話が分かりづらく、深刻な話なのだからバレエの出番などなくともいいと思うが、そこそこに用意してある。これが緊張を削ぐ。


演出家の記したものには、ロッシーに最後のオペラ作品である本作は「音楽における自殺」と評されることがあるそうだ。その正確な意味は分からないが、実際、それまでのロッシーに作品のような面白さ、分かり易さ、軽やかさがない。

どうも、失敗作ではなかったか、とど素人の僕は思うのであります。

余談ながら、日本で初めて本舞台形式で上演したのが藤沢市民オペラだそうだ。アマチュアだからこそ経費の面でもチャレンジできたのだろうな。

♪2024-163/♪新国立劇場-12

2023年3月21日火曜日

新国立劇場オペラ:オッフェンバック「ホフマン物語」

2023-03-21 @新国立劇場



【指揮】マルコ・レトーニャ
【演出・美術・照明】フィリップ・アルロー
【衣裳】アンドレア・ウーマン
【振付】上田遙
【再演演出】澤田康子
【舞台監督】須藤清香

【管弦楽】東京交響楽団
【合唱指揮】三澤洋史
【合唱】新国立劇場合唱団

【ホフマン】レオナルド・カパルボ
【ニクラウス/ミューズ】小林由佳
【オランピア】安井陽子
【アントニア】木下美穂子
【ジュリエッタ】大隅智佳子
【リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダペルトゥット】エギルス・シリンス
【アンドレ/コシュニーユ/フランツ/ピティキナッチョ】青地英幸
【ルーテル/クレスペル】伊藤貴之
【ヘルマン】安東玄人
【ナタナエル】村上敏明
【スパランツァーニ】晴 雅彦
【シュレーミル】須藤慎吾
【アントニアの母の声/ステッラ】谷口睦美


ジャック・オッフェンバック「ホフマン物語」
全5幕〈フランス語上演/日本語及び英語字幕付〉

予定上演時間:約3時間45分
第1幕・第2幕   75分
 休憩       30分
第3幕                50分
 休憩       30分
第4幕・第5幕   40分




5年前にやはり新国立劇場で同じ演出・美術で観た。オランピア役は今回も同じく安井陽子だった。砂川涼子が出ない代わりに木下美穂子が同じアントニアの役だった。

舞台美術や衣装は派手で、綺麗だ。
音楽も悪くない。オランピアの歌う「クマシデ並木の鳥たちから」やニクラウスとジュリエッタの二重唱「舟唄」など耳馴染みもいくつかあるし、全体として不満はない。

しかし、物語がさっぱり分からない。18年の時も同じ感想を持った。MET版の録画ディスクを回してみてもやはりよく分からない。

未完の大作らしいが、物語としても未完成ではないかと思うよ。

♪2023-049/♪新国立劇場-05

2022年4月20日水曜日

モーツァルト「魔笛」

 2022-04-20 @新国立劇場


指 揮】オレグ・カエターニ
【演 出】ウィリアム・ケントリッジ
【美 術】ウィリアム・ケントリッジ、ザビーネ・トイニッセン
【衣 裳】グレタ・ゴアリス
【照 明】ジェニファー・ティプトン
【プロジェクション】キャサリン・メイバーグ
【再演演出】澤田康子
【舞台監督】村田健輔

【合唱指揮】三澤洋史
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

【ザラストロ】河野鉄平
【タミーノ】鈴木准
【弁者・僧侶Ⅰ・武士Ⅱ】町英和
【僧侶Ⅱ・武士I】秋谷直之
【夜の女王】安井陽子
【パミーナ】砂川涼子
【侍女I】増田のり子
【侍女Ⅱ】小泉詠子
【侍女Ⅲ】山下牧子
【童子I】前川依子
【童子Ⅱ】野田千恵子
【童子Ⅲ】花房英里子
【パパゲーナ】三宅理恵
【パパゲーノ】近藤圭
【モノスタトス】升島唯博


モーツァルト「魔笛」
全3幕〈ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付〉

予定上演時間:約 3時間
第Ⅰ幕       70分
     休憩25分
第Ⅱ幕                 85分


先週の「ばらの騎士」にように「良かったところだけ」書きたいけど、そうすれば砂川涼子のパミーナがとても良かった!で終わってしまいそう。

はっきり言って、このオペラは面白さが分からぬ。上演機会が多いから観る機会も多いけどストンと落ちない。


オペラの最高傑作とか書いてあったりすると自信を失ってしまう。

それでも敢えて言えば、ケントリッジの演出(というより美術)は単純な物語を、偉く意味深なものに見えるようにとの作為を感じてならない。

昔に日生劇場で観たパパゲーノは鳥刺の格好だった。

そんなメルヘンぽいのが好き。


夜の女王役の安井陽子は「ばらの騎士」ではゾフィーを歌ったばかり。

実は、ゾフィーは似合わないと思っていた。

夜の女王の方が余程似合っている。その有名な2幕のアリアの後はすぐ袖に引っ込ませないで拍手を受けさせるようにした方が歌手の為だけでなくお客の精神衛生上も好都合なのに。


♪2022-056/♪新国立劇場-06

2022年4月12日火曜日

R.シュトラウス「ばらの騎士」

2022-04-12 @新国立劇場


【指 揮】サッシャ・ゲッツェル
【演 出】ジョナサン・ミラー
【美術・衣裳】イザベラ・バイウォーター
【照 明】磯野睦

【合唱指揮】三澤洋史
【合唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】多摩ファミリーシンガーズ
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

【元帥夫人】アンネッテ・ダッシュ
【オックス男爵】妻屋秀和
【オクタヴィアン】小林由佳
【ファーニナル】与那城敬
【ゾフィー】安井陽子
【マリアンネ】森谷真理
【ヴァルツァッキ】内山信吾
【アンニーナ】加納悦子
【警部】大塚博章
【元帥夫人の執事】升島唯博
【ファーニナル家の執事】濱松孝行
【公証人】晴 雅彦
【料理屋の主人】青地英幸
【テノール歌手】宮里直樹
【帽子屋】佐藤路子
【動物商】土崎譲


R.シュトラウス「ばらの騎士」
全3幕〈ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付〉

予定上演時間:約 4時間10分
第Ⅰ幕        75分
     休憩25分
第Ⅱ幕                        60分
     休憩25分
第Ⅲ幕                        65分



残念な部分もあったが、良かったところだけ書こう。

なんと言っても、5年ぶり尊顔拝謁のアンネッテ・ダッシュが、まさに元帥夫人の気品を漲らせて◎。

テノールには重要な役が全く振られていない変わったオペラだが、役としてはなくともいいような小さい「テノール歌手」役の宮里直樹が短い出番ながら朗々と歌って◎。

ピットに入ったのはS.ゲッツェル+東フィル。

客席との仕切りが通常より低かった(東フィル仕様)ので、ゲッツェルの背中まで見えたが、彼の指揮姿が実に美しい!

その美しい指揮が東フィルから見事な響きを引き出していたように思う。ピットの音とは思えないほど弦の透明感が美しかった。
これは、ピットの仕切りが低かった事も関係しているだろう。

やはり終盤の三重唱にはゾクゾクしたが、ゲッツェルの見事な棒捌きも大いに寄与したはず。

今回、改めてR.シュトラウスの才気を感じた。

終始ウィーンワルツ風の軽やかさを保ちながら、皮肉や冗談を精密な管弦楽技法に塗り込んでいる。

余録だが、森谷真理(マリアンネ)がさほど大きな役でもないのに出演していたが、もったいないような使い方だな。

以前、森谷の元帥夫人を二期会で観たこともあるのだけど。

その一方で、人材不足も感じたよ。どの役とは言わないけど。


♪2022-049/♪新国立劇場-05

2021年12月18日土曜日

名曲全集第172回 秋山和慶、円熟の 「 第九」❸

2021-12-18 @ミューザ川崎シンフォニーホール



秋山和慶:指揮
東京交響楽団
新国立劇場合唱団

ソプラノ:安井陽子
メゾソプラノ:清水華澄
テノール:宮里直樹
バリトン:加耒徹

ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125


ミューザはP席(舞台後方席)など舞台周りの客席にもお客を入れて完売・満席。


今年「第九」を聴くのは3回目だが、ようやく本格的な編成(弦は12-10-8-7-5。合唱は新国総勢40人マスク無し!)になった。


伝統の、安定の、安心の秋山「第九」だ。

指揮台にスコアは置いてあったが勿論暗譜。


何十年もかけて作り上げたご馳走を順番に並べているかのような自然体の指揮ぶり。

勿論オケの方にも長年のDNAが継承されているのだろう。ほんに大船に乗った気持ちで隅から隅までを楽しみ尽くせる感がある。


演奏時間70分余。過去の記録でもいつも70分前後。音楽と心身が一体化しているようだ。


定番の蛍の光の宝塚ぽい演出もこの頃では待ってました!の楽しみ。舞台の上も客席も一同満面笑みを浮かべて、温かい気持ちで繋がる。


そこに音楽の力がある。


40年以上続いた秋山「四季と第九」が2019年から形を変えたのは、別の「第九」を始めたからだと思うが、別版「第九」は聴きたくもないので、東響のHomeであるミューザでやらないのもまことに変だけど、全然気にならない。


それより、形を変えた秋山「第九」も来季はオペラシティ定期1回切りだ。

そのうち消されてしまわないか心配だよ。


♪2021-158/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-44

2019年12月25日水曜日

東京都交響楽団 都響スペシャル「第九」<第九⑨>

2019-12-25 @東京文化会館


レオシュ・スワロフスキー:指揮
東京都交響楽団
二期会合唱団

安井陽子:Sp
富岡明子:Ms
福井敬:Tn
甲斐栄次郎:Br

ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125

前半は音楽に集中できず考え事をしていた。途中から、これはイケナイと考え直して集中に努めたが、その前半(1、2楽章)、上の空で聴いたとはいえ弦の響に難あり。管・打も迫力不足。
都響も3日連続で疲れが出たのではないか?

これまで聴いた8回で弦編成が16型だったのは、アマの横響とやっぱり!今日の都響だけ。
大勢並んだ上に独唱4人を指揮者横に2人ずつ並べたので窮屈なこと。スワロフスキーは何度も福井敬の頭を叩きそうに見えた。4楽章バリトン独唱が入った途端指揮棒を落としかけたのは福井に指揮棒が当たりそうだったから?

3楽章以降は弦が落ち着いた響きで心地よく、都響の久しぶりに良い管弦アンサンブルを聴いた。
前方に配した独唱陣もよく声が通り、二期会合唱団もマズマズの出来。
先日の横響@県民ホールと同様、額縁舞台では合唱団を後方に配置したせいで舞台前に押し出されたオケの響が結果的にとても良かった。

♪2019-201/♪東京文化会館-10

2018年12月26日水曜日

都響スペシャル「第九」 ---「第九」❺

2018-12-26 @サントリーホール


小泉和裕:指揮
東京都交響楽団
二期会合唱団:合唱

安井陽子:ソプラノ
富岡明子:メゾソプラノ
福井敬:テノール
甲斐栄次郎:バリトン

ベートーベン:交響曲第9番ニ短調「合唱付き」作品125

今季「第九」は5回目だが、弦の編成が16型は初めて。
数にものを言わせる都響らしい。合唱の二期会も音圧高く、何もかも強力で爆音コンサートのよう。
尤も、その割には纏まり良く、いつも不満が残る第1バイオリンの高域もほとんど不快な音が混じることがなかった。

第2楽章はえらく短かった。テンポが早目であったこともあるが、どこか(提示部・展開部・再現部)で反復を省略したようだが、どの部分かは気がつかなかった。

終楽章の、歓喜の物語を誘う低弦のレシタティーヴォは鋭さが不足した。そもそもチェロ10本、コントラバス8本という編成は多過ぎないか。そのせいかどうか分からないが、エッジが効いておらず、ぼんやりとしてモタモタ感があった。

全曲は正味62分(第2楽章の短縮効果)と短いが、決して<疾走する「第九」>という訳ではない。小泉和弘の指揮はどんな曲を聴いても正攻法で、外連味がないのがいいと思っている。

第3楽章から第4楽章の入りは間髪入れず、というほどではないが、ほんの2呼吸空けた程度で突入したのは良かった。
ここは、ゆっくり休止をとるのが好きという人もいるが、ベートーベンが本来(古典的形式)なら緩徐楽章である第2楽章とスケルツォであるべき第3楽章を入れ替えて配置し、第2楽章を急速なスケルツォ、第3楽章をアダージョとしたからには、楽譜上の指示はないが、第3楽章が終わり次第、一呼吸で終楽章の激しい世界に雪崩れ込むのが効果的だと思う。

全体としては、最近都響にがっかりすることが多かったが、今日はまずまず楽しめた。
16型(弦楽器60人)にせずとも他のオケのように14型(同50人)で演奏した方がもう少し引き締まった響きになったのではないかとは思うが。
80点。

♪2018-178/♪サントリーホール-15

2018年10月10日水曜日

新国立劇場オペラ「魔笛」

2018-10-10 @新国立劇場


指揮:ローラント・ベーア
演出:ウィリアム・ケントリッジ
美術:ウィリアム・ケントリッジ、ザビーネ・トイニッセン
衣裳:グレタ・ゴアリス
照明:ジェニファー・ティプトン

合唱⇒新国立劇場合唱団
管弦楽⇒東京フィルハーモニー交響楽団

ザラストロ⇒サヴァ・ヴェミッチ
タミーノ⇒スティーヴ・ダヴィスリム
夜の女王⇒安井陽子
パミーナ⇒林正子
パパゲーノ⇒アンドレ・シュエン
パパゲーナ⇒九嶋香奈枝
モノスタトス⇒升島唯博
弁者・僧侶I・武士II⇒成田眞
僧侶II・武士I⇒秋谷直之
 ほか

モーツァルト:「魔笛」全2幕〈ドイツ語上演/字幕付〉
 予定上演時間:約3時間
 第Ⅰ幕70分
  --休憩25分--
 第Ⅱ幕85分

新音楽監督大野和士が手がけた第1作はウィリアム・ケントリッジ演出の「魔笛」。
<新制作>とあるが、新国立劇場で過去6季継続上演してきた版を改めたからだろう。今回のケントリッジ版は既に2005年から世界各地で上演されてきたもので、装置・衣装ごと権利を買上げたというから、この先当分はこの演出による上演が続くだろう。でないと元が取れないもの。

ケントリッジは現代美術家としてむしろ有名らしい(僕は知らなかったが)。それで演出だけでなく舞台美術も担当している。
今日、開演前に紗幕越しの舞台を見て、どうも見たことがあるなと思って、帰宅後何本もある「魔笛」のビデオをチェックしたら、2011年3月のミラノ・スカラ座の録画がこの舞台美術と演出で、おまけに指揮者まで同じローランド・ベーアだった。

さて、音楽はよろしい。演奏も素敵だ。夜の女王とパミーナは交代した方がいいのではないかと思ったりもしたが、不満というほどのものではない。

問題は、今回売り物の<演出と美術>だ。納得できない。

「魔笛」はメルヘンでファンタジーであってほしいが、この演出では舞台装置は無いも同然。そこにモノクロの線画映像がプロジェクターで投影されることで場面変化をつけているのだが、いかんせん黒が基調で舞台は常に暗い。

また、演出ノートを読むとアパルトヘイトを念頭に置いているような説明があったり、映像のそこここにフリーメイソンを暗示したり、小難しい事が書いてあって辟易だ。

そこで何種類もあるビデオの中から、お気に入りのMETのメルヘン&ファンタジー版(ジュリー・テイモア演出)を見直して口直ししたよ。

♪2018-076/♪新国立劇場-11

2018年2月28日水曜日

オペラ「ホフマン物語」

2018-02-28 @新国立劇場


指揮:セバスティアン・ルラン
演出・美術・照明:フィリップ・アルロー
衣裳:アンドレア・ウーマン
振付:上田遙
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

ホフマン⇒ディミトリー・コルチャック
ニクラウス/ミューズ⇒レナ・ベルキナオ
オランピア⇒安井陽子
アントニア⇒砂川涼子
ジュリエッタ⇒横山恵子
リンドルフ/コッペリウス/ミラクル/ダペルトゥット⇒トマス・コニエチュニー
アンドレ/コシュニーユ/フランツ/ピティキナッチョ⇒青地英幸
ルーテル/クレスペル⇒大久保光哉
スパランツァーニ⇒晴雅彦
シュレーミル⇒森口賢
ニアントニアの母の声/ステッラ⇒谷口睦美
 ほか

ジャック・オッフェンバック:「ホフマン物語」全5幕〈フランス語上演/字幕付〉

予定上演時間:約3時間40分
第Ⅰ・Ⅱ幕70分
 --休憩30分--
第Ⅲ幕50分
  --休憩30分--
第Ⅳ・Ⅴ幕40分

有名なオペラについては放送機会も多いのでその録画を中心に、大抵複数のバージョンを持っているのだけど、「ホフマン物語」に関しては2009年のMET版だけしかなく、これは数回観たがなかなかしっくりと来ない。それで特に関心を惹く作品ではなかった。そういうこともあって、この作品をナマで鑑賞するのは今回が初めてだった。

元々未完の作品を後日他人が手を入れて完成したものだが、その後も楽譜が発見されたことなどから色んな人が再構成をした版が存在するようで、Wikipediaには6種類が挙げられており、最新版はなんと2006年に発表されたそうだ。
実際の舞台は比較的新しい版が用いられているらしいが、それでもその版に忠実とは限らず、各版の良いとこ取りでの再構成もあるようで、今回のフィリップ・アルローの演出も良いとこ取りだそうだ。

いろんな版があり、部分的に混ぜ合わせた構成も可能ということは、演出家にとっては面白いのかもしれないが、よほどの「ホフマン物語」ファンでない限り、観客は混乱するだろう。

MET版でも納得できなかったが、今回もよく分からないのが、最終幕最終場面のホフマンの死の意味が、やっぱり分からない。(おそらく、ここは、原作台本でもこう書いてあるのだと思うが)3人の女性に失恋したとはいえ、自ら死を選ぶに至る説得力がない。

人は死んでも芸術家(ホフマンは詩人)の作品は残る…なんて意図なら薄っぺらいし、納得できる前フリがない。

倒れたホフマンの躯を放置して登場人物が勢揃いし、「人は愛で大きくなり、涙で一層成長する」と合唱して幕が降りるが、ホフマンは死んでしまっているのだから成長もできないだろう。

とにかく話の筋が分からない。
ひょっとして愛と死と芸術に関する哲学的思索を試みているのだろうか。

どうせ、版はいくらもあり、まぜこぜありの世界だ。誰かスッキリする新演出で「ホフマン物語」を観せてくれないものか。

演出家は美術・照明も担当しているが、こちらの方面には豊かな才能があるのではないか。蛍光色を含む原色で彩られた舞台や衣裳(担当は別人だが演出家の指示を受けているだろう。)が面白く、舞台装置もセンスの良いもので、音楽も聴きどころは多く、筋さえきっちり納得させてくれたら面白いオペラなんだが。

♪2018-025/♪新国立劇場-03

2014年12月27日土曜日

ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団名曲全集 第103回

2014-12-27  @ミューザ川崎シンフォニーホール


秋山和慶:指揮

秋山和慶:チェンバロ*
神尾真由子:ヴァイオリン*
安井陽子:ソプラノ
清水華澄: メゾ・ソプラノ
与儀巧:テノール
萩原潤:バリトン
東響コーラス:合唱

ビバルディ:「四季」~春&冬*
ベートーベン:交響曲第9番 ニ短調 Op125 「合唱付き」



このシーズン5回目の「第九」にして今年最後のコンサート。
有終の美を飾って欲しいところ。

指揮は東響の顔とも言える御大、秋山和慶。
コンマスはこちらも東響の顔、大谷康子。
バイオリンソリストが若手バイオリニストのホープ、神尾真由子。
…と役者が揃った感じで大いに期待していたのだけど、うーむ。

「第九」のコンサートは1本立てでいいと思うのだけど、ビバルディのバイオリン協奏曲「四季」から春と冬が前置された。
やるなら全曲やって欲しいところだけど、中途半端だ。

管弦楽は弦楽器のみ20人に指揮者が兼任するチェンバロが加わっただけの極めて小編成。実際にビバルディが作曲した当時はこんな程度だったのだろう。
これに神尾真由子のソロヴァイオリンが加わるが、ソロはもちろん、伴奏(協奏というべきか)の各パートもくっきりとして新鮮な感じで聴くことができた。

<ミューザ提供>

ソロパートの節回しに普段聴き馴染んでいるものと違うようなところを感じたのは普段聴こえていない音を聴いたからだろうか?トリルなどの装飾音の奏法が違ったのか、それとも気のせいだろうか。
神尾真由子のバイオリンは、ここぞというところでは大きな音が出るものだ。ソリストはなにより音量が大事だけど、楽器の良さもあるだろうが、全身を楽器にして絞りだす音に迫力がある。かと思えば、微細加工も怠りない。幾多のコンクールを制覇し、とりわけチャイコフスキー・コンクール第1位というのはなるほどこういうものかと、耳の保養になった。
<ミューザ提供>

さて、「第九」だ。
実は、「四季」のときから感じていたのだけど、いつもの東響の音じゃないように思ったのは「四季」ではオケの編成があまりに小さいためではないか、と思っていた。
しかし、「第九」でもやはり、どうも違う。音のまろやかさが違うなあ。どうして?

いや、音の問題だけではなく、わずかながら生理的に違和感があった。
微妙な間の取り方などが、自分の脳内で流れている音楽と完全シンクロしないからだ。どうして?

<ミューザ提供>

「第九」の、「第1楽章」と「部分的に第1楽章を再現する第4楽章」の一部にとても危なっかしいところがあると感じている。
緊張感を失うと空中分解してしまいそうな場所がある…と思っている。
でも、普段は、それを感ずることはない。
音楽に違和感を感じた時だけ、その失速しそうな危うさを嗅ぎとってしまうみたいだ。
滅多に無いことだけど、今日は感じてしまったなあ。それが引っかかって最後までとうとう気持ちが盛り上がらなかったのが残念。

でも、この原因は僕の側にあるのだろう。13日からの15日間で「第九」を5回も聴いたということは3日に1回は聴いたということだ。僕の脳内は異常に敏感になっていたのかもしれない。

<ミューザ提供>

「第九」が終わった後のカーテンコールのさなかに楽団員が譜面台にアンテナのようなものを取り付けているのを発見。何かあるな、と思っていたら、カーテンコールもひととおり山場を過ぎると声楽ソリストも元の場所に戻り、音楽が始まった。
アンコールというより一年の最後を締めくくるという意味だろう、合唱団とソリストたちによる「蛍の光」がオーケストラ伴奏で始まった。途中から館内の照明が落ちると、合唱団やソリストは手に持っていたカラフルなLEDライトを一斉に点灯した。譜面台に取り付けたものもLEDライトだった。
これがなかなか幻想的でよかった。
青色ダイオードのおかげだよ。
そういう意味では2014年掉尾を飾るにふさわしかったかも。

余談:
声楽がどこで登壇するか?シリーズ。
合唱団は全員冒頭から着座した。
ソリストは、やはり、第2楽章が終わったところで入場し着座した。
この入場に関して、曲の始まる前に「指揮者からのお願い」が館内放送された。
音楽の緊張感を維持するために、第2楽章終了後ソリストが入場するが、拍手はご遠慮いただきたい、ということだった。
宗教音楽でもあるまいしそんなにテンションを高めなくともいいかとも思うけど、そこまでする以上、第3楽章と第4楽章は切れ目なく演奏するのだな、と受け取ったが、果たしてそのとおりだった。
間髪入れず第4楽章になだれ込んだ。「第九」はこうでなくちゃ。


♪2014-121/♪ミューザ川崎シンフォニーホール-13